☆パールハーバーとソウル
昨夜(5日)午後6時50分ごろだったと思う、ニュース速報に感動した。安倍総理が今月26、27日にハワイのパールハーバー(真珠湾)をオバマ大統領と訪れ慰霊するという
ニュースだった。このニュースに接した多くの日本人は、5月に被爆地・広島を訪れたオバマ氏への返礼の訪問と感じたのではないだろうか。
日本の現職総理がパールハーバーを訪れるのは初めてで、オバマ氏とともに犠牲者を慰霊し、これが最後となる首脳会談も行うという。総理は「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという未来に向けた決意を示したい」と首相官邸で記者団に語っていた。謝罪ではなく、あくまでも未来志向なのだ。
画期的な訪問だと思ったのは、安倍総理がオバマ氏とのこれまでの外交の集大成と位置付けている点だ。去年4月にアメリカ議会上下両院合同会議で、安倍総理は戦後70年の節目を踏まえて演説した。こえを踏まえて、オバマ氏は今年5月に伊勢志摩で開催されたG7の帰りに、現職のアメリカ大統領として初めて、アメリカが原子爆弾を投下した広島市を訪問し、犠牲者を慰霊した。オバマ氏とのこれまでの外交は、ある意味で日本とアメリカの戦後に終止符を打つとともに、同盟関係の深化を内外にアピールしたきたことだ。
日本による奇襲作戦は1941年12月8日未明。その12月に総理がパールハーバーを訪れることで、「日米の未来へのレガシー」が完成するのだと思う。
一方で分かりにくいニュースがお隣・韓国だ。パク・クネ大統領の外部の取り巻きによる国政介入事件で、大統領退陣を求める大規模デモが6週連続におよび、3日は各地で最大規模となる42万人(警察推計、主催者推計212万人)が参加したと報じられている。ソウルでのデモが大統領府から100㍍の地点まで接近することが初めて許可されたというから、大統領府としては気が気ではなかったろう。
日本でも現地リポートを交えて報道されるこのデモ、日本から見えれば、パク氏は退陣を表明しており、なぜここまで毎週熱くデモを繰り広げなければならないだろうかと思ってる日本人が多いと思う。辞任する時期に関して、大統領は与野党が退陣日程で合意すれば従うと表明している。そこで、与党は来年4月の退陣を求めているが、野党は与党との協議を拒否し、合意成立の見通しは立っておらず、弾劾案が浮上している。つまり、退陣要求の舞台はデモから国会に移ったと思うのだが、統領府周辺へのデモは止みそうもない。このデモへの執着、一体何が国民の心に火をつけているのか。現地リポートやコメンテーターの解説を何度聴いても腑に落ちないのは私だけだろうか。
⇒6日(火)朝・金沢の天気 あめ
テレビのトップニュース、翌日27日の新聞一面を飾った。ただ、メディア各社のその扱いに少々違和感を感じた。「なぜ一面なのか」と。
当のアメリカでは、トランプの大統領に反対するデモが各地で盛り上がっている。11日午後、ニューヨーク中心部の公園で開かれたデモ集会には数千人(主催者発表)が集まり、高校生や大学生らが「トランプは出ていけ」「Love trumps hate」(愛は憎しみに勝る)と叫び、抗議した。ロサンゼルスではデモが暴徒化して、逮捕者が180人にのぼったという。この日、アメリカ各地17ヵ所でデモが行われた。
回復したと伝えていた。アメリカの政治情報サイト「リアル・クリア・ポリティクス(RCP)」も7日時点の全米世論調査の平均支持率で、クリントン氏44.8%、トランプ氏42.1%だった。ではなぜ、予想はひっくり返されたのか。
罪者」と非難し合う場面が多々あり、嫌悪感を感じた。日本でこんな選挙討論が放映されれば、おそらくテレビ局に視聴者からの苦情が殺到するだろう。「もっとまじめに政策論争をやれ」と。
。その年の2月25日に朴槿恵氏が第18代大統領に就任し、「経済復興」「国民幸福」「文化隆盛」を掲げた韓国の新しい時代のスタートを切って間もないころ。まさに上げ潮ムードだった。
渉を来年2017年3月から開始するという決議案が、軍縮を担当する国連総会第1委員会で123ヵ国の賛成多数で採択された。一方、アメリカ、ロシア、イギリス、フランスなどの核保有国など38ヵ国が反対したが、その中に唯一の被ばく国として核兵器の廃絶を訴えてきた日本が反対にまわったのだ。
「MRJ」だった=写真=。前日(13日)に予定外で能登空港に急きょ着陸したと空港のスタッフが話していた。スリムでシャープな姿立ちの機体だ。まるで、鳥のハヤブサのような安定感がある機体だと感じた。
広範囲に噴石が飛び散っているという。熊本市内でも灰は降っているのだろうか、そんなことを思いながら熊本に向かった。
半壊した。実際に行ってみると街のあちこちにブルーシートで覆われた家屋や、傾いたままの家屋、解体中の建物があちこちにあった。印象として復旧半ばなのだ。
にもかかわらず「熊本城坪井川園遊会 秋の宴」というイベントの真っ最中で大勢の人が集まっていた。女の子たちが扮する花魁(おいらん)道中やフラダンスのイベントもあり、華やかな雰囲気だ。そんな中、ちょっと気が引けたが、ボランティアの女性に「被災した熊本城でかろうじて残った縦一列の石垣で支えらた城はどこから見えますか」と尋ねた。すると、「湧々座(わくわくざ)の2階からだったら見えますよ」と丁寧にも施設に案内までしてくれた。石垣が崩れるなど恐れからいまも城の大部分は立ち入り禁止区域になっている。
う。熊本城の周囲をぐるりと一周したが、飯田丸五階櫓だけでなく、あちこちの石垣が崩れ、櫓がいまにも崩れそうになっている。