☆「酒蔵の科学者」の引退

☆「酒蔵の科学者」の引退

 昨日の地元紙の朝刊に、酒造りの名人と言われた農口尚彦(のぐち・なおひこ)さん(82歳)が杜氏(とうじ)を引退したとの記事が掲載されていて、能登町のご自宅を訪ねた。金沢大学の共通教育授業として「いしかわ新情報書府学」という科目を担当していて、非常勤講師として農口さんに語ってもらったことが縁でこれまでご自宅や酒蔵を何度か訪ねた。

 日本酒の原料は米だ。農口さんは、米のうまみを極限まで引き出す技を持っている。それは、米を洗う時間を秒単位で細かく調整することから始まる。米に含まれる水分の違いが、酒造りを左右するからだ。米の品種や産地、状態を調べ、さらには、洗米を行うその日の気温、水温などを総合的に判断し、洗う時間を決める。勘や経験で判断しない。これまで、綿密につけてきたデータをもとにした作業だ。酒造りのデータを熱心に記録する姿を見て、「酒蔵の科学者」との印象を強くしたものだ。

 冬場は酒蔵に住み込む農口さんは、夜中でも米と向き合い、米を噛み締める。持てる五感を集中させて、手触り、香り、味など米の変化を感じ取る。そのため、40代にして歯を失った。次に行うべき適切な仕事とは何かを判断するためだ。農口さんは言う。「自分の都合を米や麹(こうじ)に押し付けてはならない。己を無にして、米と麹が醸しやすいベストな状態をつくらなければ、決して良い酒は出来ない」。酒造りに生涯をささげた人の言葉はふくいくとした深みがある。農口さんは全国新酒鑑評会で連続12回、通算27回の金賞に輝き、「四天王」や「魂の酒造り」「酒の神」と呼ばれるまでになった。

 農口さん自身は下戸(酒が飲めない)なので、酒の出来栄えや批評は、飲める人の声に耳を傾ける。それでも、「一生かかっても恐らく、酒造りは分からない。それをつかもうと夢中になってやっているだけです」と能登方言を交えた語りがいまでも耳に残っている。「魂の酒造り」のゆえんはここにある。日本酒は欧米でちょっとしたブームだ。ワインやブランデー、ウイスキーなどの醸造方法より格段に手間ヒマをかけて醸す日本酒を世界が評価しているのだ。

 授業では、農口さんを紹介するビデオを流し、「神技」とも評される酒造りの工程を学生に見せた。授業の終わりに、農口さんが持参した酒を何人かの学生にテイスティングしてもらった。「芳醇な香り」「ほんのり感が漂う」「よく分からないけど、のどを通るときにふくよかな甘さを感じる」。最近の学生は意外と言葉が豊富だ。「生きた授業」になった。訪れたご自宅ではそんな懐かしい話もさせていただいた。

 自宅を辞するとき、農口さんから「これ一本持って行きなさい。これで最後だよ」と生原酒をいただいた。名工の最後の一本、ありがたく頂戴した。(※写真は、金沢大学の授業で学生たちと語り合う農口尚彦さん=右)

⇒21日(祝)夜・金沢の天気    はれ

★歴史家の「闘争」

★歴史家の「闘争」

  かつて新聞記者としての経験から、インタビューには緊張があり、また相手から画期的な証言を引き出したときの醍醐味、そしてそれが記事になって世間に出た時の言い知れぬ喜び、というものがある。それはアカデミズムの世界でも共通なのだと実感した。人と向き合い、話を引き出すというのはある意味で闘争でもある。伊藤隆著『歴史と私~史料と歩んだ歴史家の回想~』(中公新書)を読み終えて、「老兵は死なず」の言葉を思い出し、著者に敬服した。

  現在80歳超えた著者は東京大学や政策研究大学院大学で、日本近現代史を切り開いた研究者である。本の帯にも書かれている通り、若き日の共産党体験や、歴史観をめぐる論争、伊藤博文から佐藤栄作にいたる史料収集と編纂の経緯を回想している。著書の後半では、岸信介や後藤田正晴、竹下登らへのオーラル・ヒストリーの秘話やエピソードが綴られていて興味深い。

  歴史学では主として文献から歴史を調べてゆくが、文献資料から知られる内容には限りがある。例えば、政策決定の過程を検討しようとしても、文献としては公表された結果のみで、どのようにそうした決定が行われたのかは、文書が残っていないことが多い(「ウィキペディア」引用)。オーラル・ヒストリー(oral history)は、当時の関係者にインタビューを行うことで、文書が残っていないことや、史料や文献からはわからないことを質問して、その史実や政策の過程などを埋めていく研究手法である。

  このコラムの冒頭で「闘争」と表現したのも、インタビューする側とされる側は常に向き合い、対峙する場面もあるからだ。著書でも、元警察庁長官で中曽根内閣の官房長官をつとめた後藤田正晴氏へのインタビューでは、「なんで君たちは俺の話を聞くのか」と何度も逆に尋ねられたり、「突っかかってくるような感じだった」と。そして、後に著者の身元調査もされたことが後藤田氏本人から告げられ、著者は「後藤田さんはハト派だけれども、やっぱり警察なんだなと、思ったものです」とエピソードを述べている。インタビュー相手から逆に調べられるといった緊張感は、文献を漁る研究では得ることができない、フィールド研究の醍醐味なのだ。このほかにも、「昭和の妖怪」と呼ばれた政治家・岸信介やのオーラル・ヒストリーのエピソードも紹介している。内幕話では、読売新聞の渡邊恒雄氏へのインタビュー(1998年)がきっかけで、その連載を企画した中央公論社が読売新聞社に合併されるという「事件」も起きたこと。海千山千、手練手管の人物と貴重な証言を求めて対峙した回想録でもある。

  著書は、こうしたエピソードや秘話、個人史を織り交ぜながら、日本の近現代史の面白さを伝えているだけでなく、最後の部分にあるように、膨大な史料を次世代へ引き継ぐ歴史家の責任も語っている。史料を発掘し、歴史を描き、そして史料を保存して公開する。著者の歴史家としての闘争はまだ続いていると察した。

⇒5日(日)朝・金沢の天気    くもり

☆「花燃ゆ」スペクタクル

☆「花燃ゆ」スペクタクル

  NHK大河ドラマ「花燃ゆ」をほぼ毎回見ている。司馬遼太郎の小説「世に棲む日日」(文春文庫)をかつて読んだことがあり、吉田松陰の生涯、そしてその弟子たちの躍動を当時のイメージと重ね合わせて楽しんでいる。視聴率は12%前後とそれほど勢いはないようだが、毎回視聴するたびに、幕末の志士たちの、人々の生きざまが胸を打つ。実際もおそらくこうだったのだろう、と。

  6月28日の第26話は緊張感があった。近藤勇ら新選組が襲撃した池田屋事件で、吉田稔麿ら多くの長州藩の志士が逝った。それを受けて、戦後武将のような勢いのある来島又兵衛、久坂玄瑞らが1500人の兵をともなって京に登る。久坂玄瑞は、兵を連れて天王山に陣取るが、戦は避けて、孝明天皇への嘆願が叶うよう動く。長崎に左遷されていた小田村伊之助は、グラバーから西洋式の兵器の調達をする。長州藩の命運をかけた軍議が石清水八幡宮で開かれた。来島又兵衛は御所に進軍、また、久坂玄瑞は戦を避けたいと、意見が真っ向対立するが、結局、京にいる1500人の長州藩兵だけで、御所へ進軍することに決した。一方、西郷吉之助(隆盛)が薩摩藩兵を京に送り、幕府側は諸藩の兵あわせて2万人の大軍で御所の守り固める。

  そんな中、英国、アメリカ、フランス、オランダの軍艦20隻が、下関に向かっているとの情報がもたらされ、長州藩は大混乱に陥る。このようなことになったのは、久坂玄瑞のせいだと藩内で怨嗟の声が起きる。まるで、歴史のスペクタルをタイムトンネルでスリップして、現場でその動きを見ているようで、実にダイナミックなのだ。

  そこで、ふと、この歴史スペクタクルを4Kテレビで見たいとの衝動にかられている。4Kテレビはすでに出荷台数が50万台を超えたようだ。先日も、近所の家電量販店を訪ねると、店のフロントは50型以上の4Kテレビが占拠している。50型だと、25万円程度。店員は、「ボーナス商戦の後だともう少し安くなりますよ」と薦めてくれたが、逆になんと商売っ気のないこと。

    ところで次回27話は内戦に突入する、いわゆる「禁門の変」が描かれる。1864年7月19日、長州藩は会津藩などと京都の蛤門付近=写真=で激突する。長州藩が門を突破し京都御所に入るものの、西郷吉之助の率いる薩摩藩がこの戦いに介入して、長州藩の形勢は逆転する。この禁門の変で長州勢が火を放ち京の街は大火事、さらに御所に向け発砲したことから「朝敵」となる。その後、長州藩は長州征伐や外国船20隻の砲撃の報復で打ちのめされる。が、長州藩の藩論が倒幕に傾き、敵対していた薩摩藩との薩長同盟が実現し、倒幕の道を歩んでいくのだ。紆余曲折油を経て、新たな歴史が拓かれ、日本が動くシーンである。

⇒28日(日)夜・金沢の天気    はれ

★「奇跡のイラスト」

★「奇跡のイラスト」

  今年度から小学校で使われている1年生の国語の教科書に、制作上のミスから腕が3本あるように見える女の子が描かれたイラストが掲載されていたとして、発行元の三省堂が自主回収と交換を始めたとニュースになっている。「まさか」と一瞬思った。文字一句でも厳しい、あの教科書検定のチェックをスルリとかいくぐって、である。※掲載画像と本文はリンクしていません。

  ニュースを総合すると、女の子が花輪を両手で持っているにもかかわらず、もう1本の手が背後の机にあり、腕が3本あるように見えるという不思議な状態になっていた。教科書は、東京都世田谷区などの小学校で使用されていて、世田谷区の教育委員会から5月に、「イラストの子供の腕が3本あるように見える」と三省堂に連絡が入り、イラストを調べたところ、下書きを消し忘れたままの状態で印刷されたことが分かった、という。

  三省堂では、文部科学省への訂正の申請を行い、誤りを正した教科書1万冊を、教科書を使用している地区・学校に連絡し、順次、新しい教科書への差し替えを行っていく予定だという。三省堂のホームページを調べると、真摯なお詫びのコメントを掲載されていた。以下。

      『しょうがくせいのこくご 一年上』イラストの誤りについてのお詫び

 このたび、弊社の国語教科書『しょうがくせいのこくご 一年上』5ページの絵に誤った箇所が見つかりました。教科書において、このような誤りを起こしてしまいましたことを衷心よりお詫びいたします。誠に申し訳ございませんでした。つきましては、文部科学省に訂正の申請を行い、誤りを正した新しい教科書をご用意いたしました。弊社の教科書をお使いいただいている地区・学校にご連絡して、順次、新しい教科書に差し替えさせていただく所存です。児童の皆さま、そして保護者の皆さまには多大なご迷惑をおかけすることになりますが、どうかお許しください。

 今後はこのようなことを起こさぬよう、全社をあげて慎重に編集作業に取り組んでまいりますので、何卒ご容赦のほどお願い申し上げます。

  以上がコメントである。とくに「どうかお許しください」「何卒ご容赦のほどお願い申し上げます」と丁寧に謝っているのが印象的だ。出版社は文字表現で生業(なりわい)を立てている。言葉でその真摯な気持ちが伝われなければ企業としての価値はないと思い、あえて謝罪のコメントをチェックした次第である。

  ところで、教科書は文部科学省の管理下にある。学校教育法により、小・中・高等学校の教科書については教科書検定制度が採用されている。教科書の検定は、民間で著作・編集された図書について、文部科学大臣が教科書として適切か否かを審査し、これに合格したものを教科書として使用することを認める制度だ。今回の教科書にしても、何人もの検定員の目で確認されているはずだ。その目をかいくぐって、世に出たイラストとなる。もう少しうがった見方をすると、文章表現は一字一句を細かくチェックするが、イラストなど図や写真に対してはそんなに厳しくないということか。

  それにしても、このイラスト、教科書検定制度下にあって、ある意味で奇跡のデビューを果たしたと言えなくもない。

⇒24日(水)朝・金沢の天気    はれ

☆USJ、見て歩き

☆USJ、見て歩き

  GW旅行の3日目は大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行った。1日しか時間が取れなかったので、エクスプレスパス(税込7200)をあらかじめ購入して主なところを回った。ハリーポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニーやバックドラフト、バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド、アメージング・アドベンチャー・オブ・スパーダーマンTM・ザ・ライド、ウオーター・ワールドなど。

  東京ディズニーリゾートはこれまで計5回、かたや、USJは今回初めて。この2大テーマパークのコンセプトの違いは何だろうか。USJは、炎を使った演出が多い、ディズニーリゾートでも炎を使った演出はあるが、USJは過剰なくらいに演出がされている。もう一つが、サーカスと思えるほどの空中を舞うアクションの迫力さだ。ちょっとでもミスしたら惨事になりかねないと思えるほど。迫真の演技はディズニーリゾートではお目にかかれない。

  炎の演出は、バックドラフト。果敢な消防士の物語を描いた映画「バックドラフ」をテーマにしている。入場すると、3つの部屋に分かれていて、AD(アシスタント・ディレクター)と称する女性が案内してくれる。1番目の部屋では映画「バックドラフト」の説明を。2番目の部屋では「映画のロケとは何か」の説明を映画のキャストのVTRを交えて。そして3番目の部屋が「映画シーンの再現」だ。化学工場の火災を再現して、タンクや貯蔵庫などいろいろな場所から炎と火花が飛び散り、その炎の勢いは本物の火災のよう。最後に、頭上からパイプが落ちてきて、ガクンと実際の床が下がり、キャーと観客(ゲスト)の悲鳴がする。自分自身もちょっと肝をつぶした。

  迫真の演技は、ウォーターワールド=写真=。1995年のSF映画が題材で、地球温暖化によって北極と南極の氷が溶けて海面が上昇し、海だけが広がる海洋惑星となったとの想定。陸地「ドライ・ランド」の情報をめぐって、武装集団が押しかけて来るとのシナリオ。面白いのが座席の色だ。水色は前方、茶色は後方に設置されていて、水色は「濡れる危険が大」の座席で、茶色は「濡れる危険が小」の席となっている。水色の席に座るゲストはビニールのポンチョを頭からかぶっている人がほとんど。そして、仕掛けが大きい。飛行機がシアターに突っ込んでくるシーンもある。水上バイクがステージを勢いよく走り回り、その水しぶきが前列にいる水色の座席のゲストにかかるのだ。炎と水しぶき、USJのアトラクションを表現すればこれに限る。

  東京ディズニーリゾートとUSJの違いの気になったもう一つは再入場のこと。USJは再入場ができないのだ。その理由を考察すると、おそらく再入場を可能とすると、観客の多くはテーマパークの外の飲食街で食事を済ませてしまうからではないか。かたや、ディズニーリゾートは再入場は可能となっている。これはすぐ近くに飲食店街がないからだろう。もし近場にファミレスなどがあれば、再入場はNGになっていたかもしれない。儲けのためのシナリオも抜け目ない。

⇒4日(月)夜・金沢の天気   くもり   

★南紀白浜、見て歩き

★南紀白浜、見て歩き

  2日と3日の両日、ゴールデン・ウイークの連休を利用して南紀白浜を旅行した。特急「くろしお」の車窓からは、コバルトブルーの海とリアス式海岸の絶景が広がる。万葉の時代から、人々を感動させてきた絶景だ。

  「み熊野の浦の浜木綿 百重(ももへ)なす 心は思へど ただに逢はぬかも」は万葉集の歌人、柿本人麻呂が詠んだ歌。海辺を彩る涼しげなハマユウの花が人麻呂の想像をかき立てたのだろう。藤原京に出仕していた時代、気になるのはどのようにして「熊野の浦」にたどり着いたのだろうか。海岸の道を歩き、山を越えるルートは、熊野へ詣でる都人にとってまさしく苦行の旅だったろう。そのときに浜辺のハマユウの白い花がなんともいとおしく思えた、そんな歌だったのだろうか。

  JR白浜駅で下車して、バスで白良浜に向かった。白良浜(しららはま)の石英砂は目にまぶしい。ちょうど夕日が落ちるころだった。北陸の海岸でも、こんなに白い浜は見たことがない。明治から大正にかけてはガラス原料として採取されていたほど豊富だったが、現在は浜が痩せ、オーストラリア産の珪砂が入れられているとか。

  白良浜から徒歩3分、海を望む高台に建つホテルがきょうの宿だ。最上階の露天風呂や貸切風呂からの眺めも格別だ。夕食に赤ワインを飲むと一気に眠気が襲ってきた。ズボンを穿いたままそのまま寝込んでしまった。夜中の11時ごろだったろうか、ふと気が付くとドアをコンコンコンと小刻みにノックをする音がする。スコープのないドアなので、「誰ですか」と問うと、女性の声で「ドアを開けてください」との声がする。私はピンときた。その筋の人だな、と。古い温泉街の夜のビジネスが今でも生きているのだ、と。なので、放っておいた。その後はノックもなく。また、寝込んでしまった。後で思えば、その女性は同じフロアの客で部屋を間違えてノックしたのかもしれない、とも思った。これは自分自身も経験があるからだ。

  翌日(3日)朝、白良浜へ散歩に行くと、人が群れていた。水着になっている子供たちもいる。「海開き」と看板が出ていた。おそらく本州で最も早い海開きではないか。北陸だと7月だ。フラダンスの女性たちもいてなんともにぎやかしそう。その開放感に、さすが、南紀白浜だと実感した。

  バスで「アドベンチャーワールド」に出かけた。動物園と水族館、遊園地がまじりあった混合施設のよう。ここの名物のパンダは行列が長すぎて遠目で見ただけだった。メインイベントが動物たちのパレードだ。ペンギンやラクダが大音響のBGMのもとでエントランスの広場を行進するのだ。子供たちは目を爛々と輝かせながら見つめている。ただ、私には「動物虐待」という四文字が脳裏によぎった。

  夕方、アドベンチャーワールドから路線バスで白浜駅に向かった。車中はほぼ満員だ。出発するとき、運転手がこう説明した。「道路がとても混みあっているので、迂回して、まず白浜駅に行きます」と。このバスは路線バスなのになぜ迂回するのかと不思議に思った。道路運送法の違反だろう、と。ただ、多くの客は白浜駅に降りるので、客とすればその方がありがたいのだ、が。このとき、作家の司馬遼太郎の著書の記述を思い出した。「紀州方言には敬語がない」と。明治初めに紀州や土佐で自由民権運動が起こったのも、ある意味で合理的な考えの持ち主が多かったからだろう、と。

⇒3日(日)朝・大阪の天気  くもり   

☆頭上のリスク

☆頭上のリスク

  規制法はいつも後手後手に回り、犠牲者が出て始めて立法へと動き出す。信号機の設置ですらそうだ。犠牲になった人はまさに人身御供だ。これが法治国家、日本の現状といえる。

  前回、前々回のブログで小型無人機「ドローン」のことを書いた。現行法では、航空法で250㍍以下の飛行物体に関して規制はない。ただ、人の頭上にドローンを飛ばすな、と。当たり前のことを書いているだけだ。今月1日付の読売新聞で関連したことが記事になっていた。以下、引用する。

  富山県高岡市の伝統祭礼「御車山祭(みくるまやままつり)」の山車が集まる同市の交差点付近で1日正午前に、ドローンが上空を飛行しているのを大勢の見物客が目撃した。見物客が最も多く集まる祭りのハイライトとなる場所で、人混みの上空を上下したり、空中にとどまったりして、十数分間にわたって飛行したという。誰が飛ばしたのか分かっていない。高岡署の幹部は「人通りの多い場所での飛行は好ましくない」としたうえで、現状では法規制がないため、「危ないからやめるようにと注意はできても、強制的な措置は取れない」と話す。以上が記事の要約だ。

  祭りの実施者や見物客が頭上が気になって、祭りに集中できなかったであろうことは想像に難くない。いくら法律的な規制がないとしても、飛ばす方の無神経さがむしろ気になる。操作の誤り、電柱や電線、樹木などとの接触事故、電池切れ、そんなリスクを考えたら普通だったら人様の頭上を飛ばすことはためらう。早急に、操縦者の登録制、それに伴う適正検査、飛行エリアの基準、事前の届け出など、法的な規制でするべきことはいくらでもあるだろう。

  これは飛ばすことの権利や自由などとは次元が異なり、人身の安全の保障・担保という話だ。田んぼや野山なら、誰も文句は言わない。頭上にリクスを感じるから、やめてほしいと言っているだけなのだ。

⇒2日(土)午後・和歌山県白浜町の天気   はれ  

★ドローンの後始末

★ドローンの後始末

  やはり「テロ」だった。総理官邸の屋上で小型無人飛行機が見つかった事件で、24日夜、福井県警小浜署、40代の男が出頭して関与を認めたと、新聞・テレビのマスメディア報じている。

  警視庁は威力業務妨害などの疑いで調べているが、出頭した男は「反原発を訴えるために、自分が官邸にドローンを飛ばした」と話しているという。テロリズム(terrorism)とは、何らかの政治的な目的のために、暴力による脅威 に訴える傾向や、その行為のことだが、小型無人飛行機という空飛ぶ「武器」で、たとえそれがそれが微量であったとしても放射線を放つ汚染物質を直撃させたのである。これはある種の「テロ」とみなされる。

  解せないのは、男が「反原発」をその理由としていることだ。これには、法廷闘争などの手段でたたかっている原発反対の住民はおそらく憤っているだろう。「目的と手段を混同するな」と。むしろ、目的と手段を混同しているからこそ、「テロ」なのである。これは、クラジやイルカを守るためなら、日本の捕鯨調査船を襲撃してもかまわないというグループとスタンスは同じではないか。

  先のブログでも述べたように、政府・与党はさっそく小型無人機の飛行を規制するための法整備に動き始めている。報道によると、政府は航空法を改正し、小型無人機の購入時に氏名や住所の登録を義務付けることを検討している、という。また、自民党は、首相官邸や国会周辺に飛行禁止空域を設ける議員立法の成立を目指している。これに向けて、政府は、重要施設の警備態勢の強化や、運用ルールや関係法令の見直しなど分科会の設置して具体的な検討に入ることを決めた。今回のドロ-ン問題をめぐり、政権もどう規制すればよいか、後始末に追われているようだ。

  先のブログと繰り返しになるが、個人的にも頭上で小型無人機など飛んでほしくない。田んぼやら野山ならそれは構わないが、住宅地などに飛ばしてほしくないと思っている。

⇒25日(土)朝・金沢の天気    くもり

☆上空は誰のもの

☆上空は誰のもの

  小型の無人ヘリコプターが能登半島の田んぼで肥料などを空中散布している光景をたまに見る。田んぼに落ちないように、なるべく低空で飛び、肥料が他人の田んぼに拡散しないようにと農家の若い人が意外と気を使って操縦している。コンバインや耕運機とは違い、農業と空飛ぶ工学機械のコラボレーションという感じがする。

  昨日から報道されている、首相官邸の屋上で見つかった小型無人飛行機「ドローン」は不気味な気がする。事件なのか、事故なのか。報道によると、官邸の屋上で見つかった「ドローン」は直径50㌢ほどの大きさで、4つのプロペラで飛ぶタイプという。小型カメラと液体の入ったペットボトルの容器が付いていたようだ。問題は、この容器には「放射能マーク」があり、直径3㌢、高さ10㌢ほどで、ふたがしてあり、放射性セシウムが検出されたという。

  家電量販店で価格1万から15万円で買えるドローン。操縦しながら、VTRで撮影した映像をリアルタイムに手元のスマートフォンに見ることができるという機能があり、趣味の世界でも広がっている。ただ、むやみに上空を飛ばれては、地上の住民としては不安が募る。ドローンなど小型無人飛行機は航空法上、250㍍までの高さだったら自由に飛ばすことができ、オモチャの模型飛行機と同じ扱いとなっている。個人的なホビーユースから、建築施工など業務用まで多様な用途があるがゆえに、今後台数も増えればそれだけ、地上への落下というリスクや、犯罪に使用される、つまり武器としての懸念も出てくる。

  もし、ドローンを官邸に墜落させた人物から「誤って落とした」との名乗りがなかったなら、わざとセシウムを散布するために飛ばした武器、つまりテロとして判断されるのではないだろうか。今後、勝手に上空を飛ばさないためにも規制が必要だろう。庭木や電柱、鉄塔、高層ビル、人為ミスなど小型無人飛行機を阻むものは多々ある。田んぼの上空ならいざ知らず、ホビー感覚や業務用途で住宅の上空など勝手に飛ばしてほしくない。今回のニュースを見てそう感じたのは私だけだろうか。

⇒23日(木)朝・金沢の天気    はれ

  
  

★春に相次ぐ「賓客」

★春に相次ぐ「賓客」

  日々新聞・テレビに目を通すと意外ことに気がつく。それが、小さな記事・ショートニュースであったにせよだ。今回感じたいのは、意外な人物や自然界の賓客が金沢や能登を訪れているということ。賓客という概念は主観的なことなのだが、紹介してみたい。
  
  チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が今月9日に金沢入りした。10日は市内で100人の支援者を前に法話をした。その様子を報じた記事によると、「知恵に支えられた信心を育むことこそ、優れた修行」と述べた。信者ではなく、支援者としたのは、同内のチベット難民支援グループ「仏性会」の招きで訪れたからだ。同グループは30年も前からチベット難民の教育支援などに取り組んでいて、ダライ・ラマ14世が金沢に訪れるには今回で8回目という。ダライ・ラマ14世は11日に金沢を離れた。市内の支援者からかつてこんな話を聞いたことがある。「ダライ・ラマ氏は金沢に前世からかかわりがあったという人がいて、いつもその人の家に宿泊するそうです」。「前世からかかわり」というのは、スピリチュアルな話でなので、定かではない。

  ダライ・ラマ氏金沢を離れた11日、北陸新幹線に乗って金沢入りしたのは安倍総理だった。訪問先で私が注目したのは金沢市にある複合型福祉施設「シェア金沢」だ。サービス付き高齢者住宅と障がい者施設、学生向け住宅が併存する施設で、安倍総理は、京都から高齢者住宅に移住した女性や、ブータンからの女子留学生らと意見交換した。「いろいろな世代の人がいて、日々刺激があることが大切だ」と述べたと報じられた。一国の総理が金沢の福祉施設を訪れたのは伏線があるようだ。

  CCRC(continuing Care Retirement Community)。聞きなれない言葉だが、政府が地方創生に向けた取り組みとして位置づける施策の一つだ。発祥はアメリカだ。健康な時から介護時まで移転することなく暮らし続ける高齢者のためのコミュニティ。アメリカ約2000ヵ所もあり、60万人の居住者が生活しているといわれる。この「日本版CCRC」を目指して、地方創生に向けた「まち・ひと・しごと創生総合戦略」にも明記されている。東京都在住者の60代男女は「退職」などをきっかけとして2地域居住を考える人が33%に上る(2014年8月・内閣「東京在住者の今後の移住に関する意向調査」)。つまり、終の棲家の場所探しは大きなニーズとなっている、これを地方の活性化に活かせないかというのが政府の戦略の俎上に乗っているのだ。シェア金沢では高齢者や障がい者、学生が多世代交流、ボランティア、農作業、住民自治を行いながら生活するコミュニティとして金沢市内でも注目されている。北陸新幹線効果で、東京駅からシェア金沢までは時間にして3時間足らずだ。安倍総理はその時間感覚を実感したかったのでないか。

  それにしてもダライ・ラマ氏と安倍総理、2人は11日に金沢にいた。ニアミスがあったのではないかと勘繰った。2012年11月、ダライ・ラマ氏は日本の国会内で初めて講演した。チベットとウイグル族に対する中国政府の人権問題の改善を求める日本の超党派の集まり「チベット支援国会議員連盟」を指導したのは、当時自民党の安倍総裁だった。

  13日に「賓客」があった。国の特別天然記念物トキが2羽、能登半島の先端の珠洲市で確認されたというニュース。本州で2羽のトキが同時に確認されるのは佐渡で2007年に放鳥が始まって以来、初めて。同市には、佐渡市で放鳥された雌のトキ(10歳)が昨年2月に同市に飛来し、半ば定着している。地元の住民に親しまれ、「美すず」との愛称もついている。「美すず」が別の1羽とともに田んぼでエサを探しているのを住民が見つけたのが13日。個体識別のための足環がついていないので性別や年齢も分からないが、体が大きいので雄ではないかと推測されている。また、佐渡市の自然界で誕生したひなには、ストレスを与えないよう足環がつけられていない。仮に、このトキがオスで「美すず」と巣をつくっていれば、本州では絶滅後、初めてのつがいとなる可能性もある、という。想像は膨らむ。

  それにしても佐渡の自然で繁殖したトキだとしたら、100キロ余り離れた佐渡から能登半島にどのようにして飛んできたのだろうか、また、長細い能登半島で2羽はどのようにして遭遇したのだろうか、偶然かそれとも自然界には出会いのプログラムがあるのか、想像力をかき立てる話ではある。

⇒16日(木)朝・金沢の天気    はれ