☆2016 ミサ・ソレニムス~中

☆2016 ミサ・ソレニムス~中

  還暦を過ぎて、自分の至らなさにハッとすることが多々ある。過日寺が点在する金沢の東山界隈を歩いていると、山門の掲示板にあった「その人を憶(おも)いて、われは生き、その人を忘れてわれは迷う」という言葉が目に入った。仏教的な解釈は別として、人は若いころは諸先輩の言葉に耳を傾けていても、加齢とともに聞く耳を持たなくなり、我がままに迷走するものだと。これって自分のことではないか、と気がついて掲示板を振り返った・・・。

        熊本、そして伊勢志摩の旅で目にしたこと

今年訪れたプラベイトな旅先をいくつか振り返る。10月8、9日日、熊本を訪れた。地震から半年たった現状を見たいと。そして、現地では大変なことが起きていた。8日午前1時46分ごろ、阿蘇山の中岳で大噴火があった。このことを知ったのはJR「サンダーバード」車内の電光ニュース速報だった。熊本に着いて、タクシー運転手に「阿蘇山まで行って」と頼んだ。すると運転手は「ここから50㌔ほどですが、おそらく行っても、帰る時間は保障できない」と言う。聞けば、熊本市内と阿蘇を結ぶ国道57号が4月の地震で寸断されていて、迂回路(片側1車線、13㌔)は慢性的な交通渋滞になっている。さらに、今回の噴火で渋滞に拍車がかかっている、という。プロの運転手にそこまで言われると、無理強いもできない。「それでは益城(ましき)町へ行ってほしい」と方針を変えたのだった。

  ともとも益城町へ行く予定だった。4月14日の前震、16日の本震で2度も震度7の揺れに見舞われた。今はほとんど報道されなくなったが、現状を見て愕然とした。新興住宅が建ち並ぶ中心部と、昔ながらの集落からなる農村部があり、3万3千人の町全体で5千棟の建物が全半壊した。実際に行ってみると街のあちこちにブルーシートで覆われた家屋や、傾いたままの家屋、解体中の建物があちこちにあった。印象として復旧半ばなのだ。

  とくに被害が大きかった県道沿いの木山地区では、道路添いにも倒壊家屋があちこちにあり、痛々しい街の様子が。タクシー運転は「先日の新聞でも、公費による損壊家屋の解体はまだ2割程度しか進んでいないようですよ」と。そして農村部では倒壊した家の横にプレハブ小屋を建てて「仮設住宅」で暮らしている農家もある。益城ではスイカ、トマトなどが名産で、被災農家は簡単に自宅を離れられないという事情も想像がついた。

 噴火と震災のクマモト。言葉で「復興」「復旧」「再生」は簡単だが、それを実施する行政的な手続き、復興政策の策定には時間がかかる。時間と戦いながら丁寧な行政手続きを進める、日本型の復興モデルになってほしいと心から願った。

  ゴールデンウイークの5月3日、伊勢志摩を訪れた。その月の26、27日に伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)が開催されるとあって、賢島(かしこじま)駅の周囲ではものものしい警備体制の様子だった。道路には随所に警察の警備車両が配置され、機動隊員が立っている。集落の細い道では自転車に乗って巡回している警察官も見えた。

  英虞湾を望む風景はまさに、人の営みと自然が織りなす里山里海の絶景だった。真珠やカキの養殖イカダが湾の入り組みに浮かぶ。昭和26年(1951)11月にこの地を訪れた当時の昭和天皇は「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」と歌にされた。晩秋に赤く熟した実をつけたサルトリイバラ(ユリ科)とソヨゴ(モチノキ科)が英虞湾の空と海に映えて心を和ませたのだろう。昭和天皇はその後も4回この地を訪れている。歌碑は志摩観光ホテルの敷地にある。その少し離れた横に俳人・山口誓子の句碑もある。「高き屋に 志摩の横崎 雲の峯」。ホテルの屋上から湾を眺めた誓子は志摩半島かかる雲のパノラマの壮大な景色をそう詠んだ。志摩観光ホテルはサミット会場となった。各国首脳はこの景色を臨んで何を思ったのだろうか。

  鳥羽市にある相差(おおさつ)海女文化資料館を訪れた。海女たちがとったアワビを熨斗あわびに調製して、伊勢神宮に献上する御料鰒調製所がある。二千年の歴史があるといわれる。資料館では、石イカリがあった。平均50秒という海女さんの潜水時間を有効に使うため、速く深く潜るための道具である。石を抱いて海に潜った海女がアワビをとり、命綱をクイクイと引っ張ると、舟上の夫が綱をたぐり寄せて海女を引き上げる。セイマン(星形)とドウマン(網型)は海女が磯着に縫った魔除けのまじない。それほどに命がけの仕事でもあった。

  これだけの歴史と文化、潜水技術を有する伊勢志摩の海女のエリアだが、ユネスコは先月30日、韓国が申請した「済州の海女文化」を無形文化遺産に登録した。海女文化は日本と済州島にしかないとされ、日韓共同での登録を目指す動きもあったが、残念ながら日本側の申請作業が進まず、韓国の単独登録となってしまった。

⇒26日(月)夜・金沢の天気     くもり

★2016 ミサ・ソレニムス~上

★2016 ミサ・ソレニムス~上

  先の休日(天皇誕生日、23日)はちょっと優雅な一日だった。「宇野さん、いっしょに茶杓(ちゃしゃく)をつくりませんか」と誘ってくれた友人がいて、この日の午前中、茶杓づくりに初めて挑戦した。茶杓は茶道で使い、棗(なつめ)など茶器に入った抹茶を茶杓ですくって茶碗に入れる。還暦を過ぎてお茶を習い始めたと知った友人が竹細工のプロを紹介してくれたのだ。30年間乾燥させた竹をひたすら小刀で削って、サンドペーパーで磨く、最後に半ば乾燥した椋(ムクノキ)の葉で全体を磨く。3時間ほどかけて仕上げた。竹細工をしたのは、子どものころ竹とんぼをつくって以来だろうか。

  午後は石川県立音楽堂での「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」のコンサートに聴き入った。県内では、すっかり年末の恒例のイベントとして定着し、ことしで54回目。ことしはイタリアからソリスト(メゾソプラノ)を招き、例年になく雰囲気が盛り上がった感じだった。「キリエ (Kyrie)憐れみの讃歌」、「グロリア (Gloria)栄光の讃歌」、「クレド (Credo)信仰宣言」、「サンクトゥス (Sanctus)感謝の讃歌」、「アニュス・デイ (Agnus Dei)平和の讃歌」と演奏は進み、聴いているうちに高揚感が湧いてくる。茶杓づくりで味わった一点集中の充実感との相乗効果か、爽快感に満ちた一日だった。余勢を駆って、このブログでも年末恒例となった「ミサ・ソレニムス」と題して、この1年を回顧したい。

戦後71年「負の遺産」の清算、その現実はどうか

あす26日、安倍総理はハワイのパールハーバー(真珠湾)をオバマ大統領と訪れ慰霊する。このニュースに接した多くの日本人は、5月に被爆地・広島を訪れたオバマ氏への返礼の訪問と感じたのではないだろうか。オバマ氏とともに犠牲者を慰霊し、これが最後となる首脳会談も行うという。総理は「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという未来に向けた決意を示したい」と首相官邸で記者団に語っていた。謝罪ではなく、あくまでも未来志向なのだ。

  今月16日、総理とロシアのプーチン大統領との総理公邸での共同記者の様子をじっとテレビを通して見つめていた。北方四島での「共同経済活動」に耳目を傾けた。2人の首脳はそれぞれ、関係省庁に漁業、海面養殖、観光、医療、環境などの分野で協議を始めるよう指示し、実現に向け合意したと述べた。この「共同経済活動」が「平和条約締結」に向けた重要な一歩になると、安倍氏、プーチン氏それぞれが強調した。ロシアが実効支配している北方四島に共同経済活動を足がかりに日本が手をかけた、つまりフックをかけたということだろう。これまで手出しすらできなかった四島に影響を拡大できる可能性を手にしたようだ。

  ここで総理のことしの外交の特徴が一つ浮かんでくる。戦後71年目の「負の清算」だ。真珠湾攻撃、原爆投下、北方四島…。この重い負の歴史遺産をオバマ、プーチンの両氏を巻き込んで、未来志向へと転化したいとの思いがにじむ。ただ、現実はどうか。

  今月23日の国連総会の本会議で、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について、来年3月から交渉を始めるとの決議が賛成多数で採択された。核保有国のアメリカやロシアは反対。それに被爆国である日本も反対したのだ。核兵器の非人道性を訴える非保有国のリーダーとなるべきは日本ではないのだろうか。それが、なぜ反対なのか。アメリカの「核の傘」に入っている気がねがあるのならば、せめて棄権ではないのか。その説明が聴きたいものだ。

⇒25日(日)夜・金沢の天気     くもり

☆北方四島に手をかける

☆北方四島に手をかける

きょう(16日)も安倍総理とロシアのプーチン大統領との総理公邸での共同記者=写真=の様子をじっとテレビを通して見つめていた。新しい言葉がいくつかあった。北方四島での「共同経済活動」がその一つ。2人の首脳はそれぞれ、関係省庁に漁業、海面養殖、観光、医療、環境などの分野で協議を始めるよう指示し、実現に向け合意したと述べた。この「共同経済活動」が「平和条約締結」に向けた重要な一歩になると、安倍氏、プーチン氏それぞれが強調した。

  上記のことは両国による共同声明でもなく、共同宣言でもなく、なんと「プレス向け声明」だと。プレス向け声明ってなんだ。これは政府や行政、民間企業などがマスメディアに発表する声明や資料のこと、つまり「プレスリリース」のことだ。つまり、このようなことをお互いに確認しましたので、マスメディアのみなさんにお知らせしますというたぐいのものだ。

  ここで考え込んでしまう。これだけ国際的にも注目される外交案件で、しかも、首脳同士が胸襟を開いて協議し、合意したのであれば、共同声明か共同宣言が発せられてしかるべきだろう。実際にプレス向け声明では、「両首脳は平和条約問題を解決する自らの真摯な決意を表明した」と明記してある。それだけ確信をもって合意したのであれば、なぜ、共同声明か共同宣言として発しないのか。

  北方四島の日本への帰属問題についての言及はなく期待外れだったが、元島民が査証(ビザ)なしで渡航できる「自由往来」の拡充すると双方が述べた。プーチン氏は「総理から元島民の手紙を読ませてもらい、人道上の理由から、一時的な通過点の設置と現行手続きのさらなる簡素化を含む案を迅速に検討するよう指示した」と説明した。

  元島民が査証なしで渡航できることはそれは元島民の長年の願いだったろう。しかし、ここでまた考え込んでしまう点がある。「元島民の手紙」である。なぜここで元島民の手紙が浮上してくるのだろうか。誰がそのような仕掛けをしたのか。安倍氏は「しっかりした大きな一歩を踏み出すことができた」と強調した。その言葉の運びは、この元島民の手紙に安倍氏もプ-チン氏も感動して、思いが通じ合ったというシナリオが意図されるように思えてならない。その手紙をぜひ読んで見たいものだ。

  今回の合意は安倍氏とプーチン氏が試行的に互いの信頼の醸成に向けて取り組む新しいアプローチなので、あえてので国家間の共同声明でも共同宣言でもない、プレス向け声明にとどめて着実に実績を積み上げ、平和条約締結に持ち込んでいきたい、という意味合いなのだろうか。それは、元島民の手紙を読んだ2人が互いに感動して約束したことなのだ、とでも言いたいのだろうか。これまでの外交シナリオにはない、安倍氏とプーチン氏によるパートナーシップ協定といった意味合いか。正直よくわからない。

  ただ一つ、評価できるのは、ロシアが実効支配している北方四島に共同経済活動を足がかりに日本が手をかけた、つまりフックをかけたということだろう。これまで手出しすらできなかった四島に影響を拡大できる可能性を手にしたのである。これが安倍氏の戦略だったのだろうか。会見で安倍総理は毎年秋にウラジオストクで開催される東方経済フォーラム(ロシア主催)に出席し、この共同経済活動の進捗状況を確認していくと述べ意欲を見せた。

⇒16日(金)夜・金沢の天気     くもり

★プーチン、技あり一本

★プーチン、技あり一本

  きょう(15日)のニュースは何といっても、山口県長門市で日本とロシアの首脳会談だ。ところが、ロシアのプーチン大統領の到着は予定より3時間近く遅れた。友人と電話でこの話をしてして、友人は「安倍総理への政治的なメッセージではないか。じらせることで、きょうの会談はオレのペースでやるという意味ではないか」と解説した。

  私はこの電話での話の後、ひょっとしてプーチンは宮本武蔵と佐々木小次郎の巖流島の闘いの伝説を知っているのではないかと思った。巖流島は山口県下関市にある関門海峡に浮かぶ無人島だ。この島で小次郎は2時間も待たされたり、さらに太刀の鞘(さや)を捨てたことを敗北の予兆だと武蔵から揚げ足を取られ、頭に血が上り、冷静さを失ったところを武蔵に舵棒(かじぼう)で額を割られたというあの有名な話である。プーチンは山口入りにするにあたって、巖流島の闘いをモチーフにわざと遅れたのでは、ないかと。これはプーチン流の政治的なショーだ、と。ちょっと考えすぎか。テレビの解説では、プーチン氏はどうやら遅刻の常習犯で、これまでも各国首脳との会談にたびたび遅れているそうだ。

  午後6時すぎ、首脳会談の冒頭のシーン=写真=がテレビで放送された。安倍氏は「大統領の11年ぶりの訪日を、私のふるさとである長門市でお迎えできてうれしい。会談での疲れをぜひ温泉で癒してほしい。ここの温泉は必ず疲れがとれる」と発言。これに対し、プーチン氏は「安倍総理の尽力により、ロシアと日本の関係が前進している。きょうとあすの首脳会談は、日ロ関係の前進に大きく貢献すると期待している。温泉はうれしいが、疲れが出ない会談にしましょう」と応じた。

  この冒頭のやり取りを視聴して、思わず「プーチン、技あり一本」と思った。普通だったら、招かれた側は「そのような素晴らしい温泉に招待いただきありがとう。十分に話をしましょう」と言うのかと思いきや、「疲れない会談をしましょう」と切り返すあたりは、さすが手練手管の政治家だ。「安倍、敗れたり」とならないよう会談に期待したい。

⇒15日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆36年連続日本一の「もてなし伝説」

☆36年連続日本一の「もてなし伝説」

  能登半島・和倉温泉の旅館「加賀屋」はちょっとした誇りだった。全国の旅行会社の投票で選出する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(主催・旅行新聞新社)で36年連続総合1位を獲得したからだ。「日本で最高の温泉旅館があるのは能登の和倉温泉だよ」と金沢の市民もよく自慢していた。ところが、ことし第42回(今月11日発表)では残念ながら総合3位に甘んじてしまった。ちなみに、1位は福島県母畑温泉の八幡屋、2位は新潟県月岡温泉の白玉の湯泉慶・華鳳だった。しかし、よく考えてみれば、競争の激しい温泉旅館業界にあって、よく36年連続記録を打ち立てたものだと思う。今後35年間は破られることのない温泉旅館で最高記録の伝説をつくったのだ。

  加賀屋のもてなしは客室から見える七尾湾の海と相乗として自然だ。そのポイントは「笑顔で気働き」という言葉に集約されている。客に対する気遣いなのだが、マニュアルではなく、その場に応じて機転を利かせて、客のニーズを先読みして、行動することなのだ。

  たとえば、客室係は客が到着した瞬間から、客を観察する。普通の旅館だと浴衣は客室においてあり、自らサイズを「大」「中」の中から選ぶのだが、加賀屋では客室係が客の体格を判断して用意する。そこから「気働き」が始まる。茶と菓子を出しながら、さりげなく会話して、旅行の目的、誕生日や記念日などを聞いて、それにマッチするさりげない演出をして場を盛り上げる。たとえば、家族の命日であれば、陰膳を添える。客は「そこまでしなくても」と驚くだろう。しかし、それが加賀屋流なのかもしれない。小手先のサービスではない、心のもてなしなのである。客室係の動作は雰囲気の中で流れるように自然であり、決してお節介と感じさせない。さざ波の音のような心地よさがある。

  「もてなし」はホスピタリティ(hospitality)と訳される。癒されるような心地よさの原点は一体なんなのかと考える。この心地よさは、実は加賀屋だけでない、能登の心地よさなのだと思うことがある。先日(12月4、5日)、留学生や学生を連れて奥能登の農耕儀礼「あえのこと」を見学に行った。ユネスコの無形文化遺産に登録されている、「田の神さま」をもてなす儀礼である。粛々と執り行われる儀式。その丁寧さには理由がある。昔から当地の言い伝えで、田の神さまは目が不自由だという設定になっている。田んぼに恵みを与えてくれる神さまは、稲穂で目を突いてしまい目が不自由なのだから、神が転ばないようにも座敷へと案内をしなさい、並んでいるごちそうが何か分かるように説明しなさい、と先祖から受け継がれてきた。障がいのある神さまをもてなすという高度な技がこの地には伝わる。現代の言葉で、健常者と障がい者への分け隔てない接遇はユニバーサル・サービス(universal service)と呼ばれる。この接遇の風土は「能登はやさしや土までも」と称される。

  加賀屋が36年連続総合1位の伝説をつくることができたのも、そうした接遇の風土があるからなのだろうと勝手に想像している。

⇒13日(火)朝・金沢の天気    くもり
   

★天災はいつでもやって来る

★天災はいつでもやって来る

   きょう(9日)午前中、依頼したビデオ撮影のため金沢から能登半島に車で出かけた。のと里山海道の別所岳サービスエリアに近づくと強い雨が大粒の霰(あられ)に変わり、道路が真っ白になった=写真=。早めにスノータイヤに交換しておいてよかったと胸をなでおろしたが、先に走っていた別の車がスリップ事故を起こした。ちなみに外気温は4度だった。いよいよ冬本番がやってくる。

   このほど、日本気象協会は気象予報士100人が選ぶ「日本気象協会が選ぶ2016年お天気10大ニュース・ランキング」を発表した。ランキングは11月上旬までの情報で選定され、2016年に最も印象に残ったお天気ニュースでは、1位が他と大きく差をつけて「地震・大雨・火山噴火 熊本を中心に相次ぐ災害」だった。熊本地方を震源とする最大震度7の地震は4月14日21時26分と16日1時25分に2度発生。最大震度7を記録した地震は、2011年3月11日の東日本大震災以来だ。最大震度7を28時間以内に2回観測したのは、1923年の観測開始以来初めてという。さらに、6月19日から25日にかけて本州付近に梅雨前線が停滞し、その前線上を低気圧が通過したため、西日本を中心に大雨となり、土砂災害などが発生した。その後、阿蘇山の中岳第一火口で、1980年以来となる爆発的噴火が10月8日1時46分に発生。噴石や火山灰による影響が広範囲に及んだ。国の特別史跡である熊本城の石垣が崩れるなど無残な姿が災害の印象を心に深く刻んだ。

   2位は「北海道に台風上陸3個 被害相次ぐ」が選ばれた。8月17日、北海道に台風第7号が上陸。21日に台風第11号、23日に台風第9号が上陸し、1週間で3つの台風が北海道に上陸した。北海道に続けて台風が3個上陸するのは、これも1951年の統計開始以来初めて。

   3位は「Uターン台風 豪雨被害・東北太平洋側に上陸は史上初」。8月19日に台風第10号が八丈島付近で発生。最初は南西に進み、27日ごろからUターンして北寄りに進んだ。さらに、一時的に「大型で非常に強い台風」にまで発達した後、岩手県大船渡市付近に大型で強い勢力の状態で30日18時前に上陸した。台風が東北地方の太平洋側に上陸したのは、1951年の統計開始以来初めてのこと。

   これから心配なのは雪だ。11月24日には東京で初雪が観測された。地殻変動、気候変動はいつ起きるかわからない。関東大震災に遭遇した経験があった物理学者の寺田寅彦は「天災は忘れた頃に来る」と書き記したと言われる。昨今の状況は「天災はいつでもやって来る」と表現した方がよいかもしれない。

⇒9日(金)夜・金沢の天気   あめ

☆パールハーバーとソウル

☆パールハーバーとソウル

      昨夜(5日)午後6時50分ごろだったと思う、ニュース速報に感動した。安倍総理が今月26、27日にハワイのパールハーバー(真珠湾)をオバマ大統領と訪れ慰霊するというニュースだった。このニュースに接した多くの日本人は、5月に被爆地・広島を訪れたオバマ氏への返礼の訪問と感じたのではないだろうか。

  日本の現職総理がパールハーバーを訪れるのは初めてで、オバマ氏とともに犠牲者を慰霊し、これが最後となる首脳会談も行うという。総理は「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという未来に向けた決意を示したい」と首相官邸で記者団に語っていた。謝罪ではなく、あくまでも未来志向なのだ。

  画期的な訪問だと思ったのは、安倍総理がオバマ氏とのこれまでの外交の集大成と位置付けている点だ。去年4月にアメリカ議会上下両院合同会議で、安倍総理は戦後70年の節目を踏まえて演説した。こえを踏まえて、オバマ氏は今年5月に伊勢志摩で開催されたG7の帰りに、現職のアメリカ大統領として初めて、アメリカが原子爆弾を投下した広島市を訪問し、犠牲者を慰霊した。オバマ氏とのこれまでの外交は、ある意味で日本とアメリカの戦後に終止符を打つとともに、同盟関係の深化を内外にアピールしたきたことだ。

  日本による奇襲作戦は1941年12月8日未明。その12月に総理がパールハーバーを訪れることで、「日米の未来へのレガシー」が完成するのだと思う。  

  一方で分かりにくいニュースがお隣・韓国だ。パク・クネ大統領の外部の取り巻きによる国政介入事件で、大統領退陣を求める大規模デモが6週連続におよび、3日は各地で最大規模となる42万人(警察推計、主催者推計212万人)が参加したと報じられている。ソウルでのデモが大統領府から100㍍の地点まで接近することが初めて許可されたというから、大統領府としては気が気ではなかったろう。

  日本でも現地リポートを交えて報道されるこのデモ、日本から見えれば、パク氏は退陣を表明しており、なぜここまで毎週熱くデモを繰り広げなければならないだろうかと思ってる日本人が多いと思う。辞任する時期に関して、大統領は与野党が退陣日程で合意すれば従うと表明している。そこで、与党は来年4月の退陣を求めているが、野党は与党との協議を拒否し、合意成立の見通しは立っておらず、弾劾案が浮上している。つまり、退陣要求の舞台はデモから国会に移ったと思うのだが、統領府周辺へのデモは止みそうもない。このデモへの執着、一体何が国民の心に火をつけているのか。現地リポートやコメンテーターの解説を何度聴いても腑に落ちないのは私だけだろうか。

⇒6日(火)朝・金沢の天気   あめ

★「カストロの死」一面のなぜ

★「カストロの死」一面のなぜ

  キューバの革命家、フィデル・カストロが11月26日死去した。享年90歳。彼の功績は1959年のキューバ革命でアメリカ合衆国の事実上の傀儡政権であったフルヘンシオ・バティスタ政権を武力で倒し、キューバを社会主義国家に変えたという点だろう。その死は、当日のテレビのトップニュース、翌日27日の新聞一面を飾った。ただ、メディア各社のその扱いに少々違和感を感じた。「なぜ一面なのか」と。

  革命によってキューバの最高指導者となり首相に就任。1965年から2011年までキューバ共産党中央委員会第一書記を務めた。現役を引退した革命家の死が、新聞一面である理由が分からない。日本の総理経験者の死で、これほどの扱いをするだろうか。カストロの死を一面扱いする論拠は一体何なのか。

  確かに理由はいくつかあるだろう。たとえば、キューバ革命を成功させて反アメリカの政権を打ち立て、これを指導した。革命の嵐だった1960年代をリードしてきた人物は、その後、アメリカとの国交を54年ぶりに回復した。社会主義国家キューバを創成し、そして社会主義国家キューバにピリオドを打たせた人物なのだ。名実ともに「一つの時代が終わった」ということなのだろう。でも、それが一面なのだろうか。カストロの理念を共有した時代の人間、あるいは国の人間ならば、その歴史的な価値観を共有できるかもしれないが、それでも、日本でそれを共有できる人は果たしてどれだけいるだろうか。

  ある新聞は見出しで「キューバ革命主導 反米のカリスマ」と打っている。キューバ革命というのは現代の日本人にどれほど訴えるものがあるのだろうか。ましてや、「反米のカリスマ」とはどんな意味なのか。誰に訴えた見出しなのだろうか。確かに、カストロは2003年に広島を訪れ、原爆慰霊碑に献花している。そのことと、反米はイコールなのだろうか。「反米のカリスマ」とはいったどのような意味がある見出しなのだろうか。

  亡命キューバ人がアメリカで100万人とも言われる。キューバでの革命が進行する中で、急速な社会改革に反対する富裕層が出国した。アメリカは「キューバ地位特別法」で不法入国するキューバ人を1966年から政治亡命者として扱い、アメリカの領土に入れば滞在を許可し、永住ビザを取得できるようにした。これが大量出国を煽ったとも言われている。アメリカとすれば、亡命を受け入れる方が正義であり、亡命者を大量に出した国が悪という構図をつくりたかったのだろう。その後、アメリカへの大量キューバ人の移住は重荷になる。

  言いたいことは、カストロの死を「反米のカリスマ」として扱い、一面に持ってくることに、むしろ反感を抱く読者がいるのではないだろうか。キューバが日本にとってそれほど身近ではない国だけに、素朴な疑問がわいただけの話である。

⇒27日(日)夜・金沢の天気  あめ

☆2つのデモを読む

☆2つのデモを読む

   トランプ大統領の誕生をどう見るか。現地アメリカのテレビをはじめ、日本のメディアでもその分析で忙しい。14日の時事通信WEB版では、1100万人超と言われる不法移民について、トランプ氏が犯罪歴のある200-300万人を強制送還する考えを明らかにした、と伝えている。選挙期間中、トランプ氏は不法移民全員を強制送還すると公約していたが、選挙戦の途中から犯罪歴のない不法移民の扱いをあいまいにしていた。また、焦点となっていたアメリカにおけるTPP(環太平洋経済連携協定)の議会承認手続きについて、オバマ大統領は任期中の実現を事実上断念したと13日付の朝日新聞などが伝えた。こんなたぐいのニュースがここしばらくは続くだろう。

   当のアメリカでは、トランプの大統領に反対するデモが各地で盛り上がっている。11日午後、ニューヨーク中心部の公園で開かれたデモ集会には数千人(主催者発表)が集まり、高校生や大学生らが「トランプは出ていけ」「Love trumps hate」(愛は憎しみに勝る)と叫び、抗議した。ロサンゼルスではデモが暴徒化して、逮捕者が180人にのぼったという。この日、アメリカ各地17ヵ所でデモが行われた。

   こうした一連のデモで分析できる特徴的なことは、民族対立の様相を帯びてきていることだ。ロサンゼルスでは反トランプデモが連日行われ、ヒスパニック系や黒人の若者層が「KKKもトランプも出て行け」と叫んでいる。KKKは白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン」のこと。KKKは来月3日に拠点であるノースカロライナ州で、当選祝賀パレードをすると発表していて、民族対立のヤマ場になる可能性がある。今回の大統領選によって、アメリカ社会に修復できない亀裂ができてしまったようだ。それにしても、仮にクリントンだったら、反クリントンデモが各地で起きていただろうか。その違いを分析する必要がありそうだ。

   お隣、韓国では朴大統領の政治の私物化を糾弾する大規模なデモが12日、ソウルや釜山で市内であった。参加者は「下野しろ」などと迫るスローガンを掲げ、退陣要求を叫んでいることだ。面白いのは、現地のマスコミの報道ぶりだ。ソウルのデモ参加者数は主催者発表で100万人、警察推計で26万人だが、メディア各社は主催者発表の「100万」を見出しで躍らせている。日本のメディアは記事でも見出しでも「26万人」だ。

   上記の違いをどうとらえるか。韓国のメディアはおそらく「民衆の味方」としての立場で「100万人」をアピール、日本のメディアは客観的な報道としての警察推計の「26万人」を取る。見方によっては韓国のメディアは民衆を扇動しているとも受け取れる。この2国で同時多発で起きているデモ。デモを読めばその国のリアルな姿が見えてくる。

⇒14日(月)朝・金沢の天気    くもり

★千載一遇のチャンス

★千載一遇のチャンス

   アメリカ大統領選挙でトランプ氏が勝利した=写真=。「番狂わせ」「予想外」の展開だった。そもそもアメリカの世論調査ではクリントン氏の優勢と伝えていた。たとえばCNNの「政治予測市場」は、クリントン氏が勝利する確率は先週いったん下がったものの、7日には91%に回復したと伝えていた。アメリカの政治情報サイト「リアル・クリア・ポリティクス(RCP)」も7日時点の全米世論調査の平均支持率で、クリントン氏44.8%、トランプ氏42.1%だった。ではなぜ、予想はひっくり返されたのか。

   面白いことに、アメリカのメディアは、その理由を「隠れトランプ票」があったためと伝えている。問題発言を繰り返すトランプ氏への支持を公言しにくいことや、メディアへの不信感から、世論調査に回答しない人たちの存在がこの「番狂わせ」「予想外」を招いたというのだ。言い訳としか聞こえない理由だが、世論調査の結果をひっくり返すほど、「隠れトランプ票」が多かったことは間違いない。

前回のブログ「トランプ現象と白人層の閉塞感」で、「ポリティカル・コレクトネス(political correctness)」について述べた。もともとは政治的、社会的に公正・公平・中立的という概念だが、広意義に職業、性別、文化、宗教、人種、民族、障がい、年齢、婚姻をなどさまざまな言葉の表現から差別をなくすこととしてアメリカでは認識されている。しかし、ポリティカル・コレクトネスは、本音が言えない、言葉の閉塞感として白人層を中心に受け止められている。心の根っこのところでそう思っていても、表だってはそうのように言わない人たちでもある。「隠れトランプ票」とはこうした人たちを指すのではないか。

    それにしても、9日の東京株式市場で、日経平均の下げ幅は一時1000円を超えた。開票作業が続く中で、トランプ氏優勢の報道を伝えられ、投資家にリスクを避けたいとの思いが強まったようだ。終値は前日より919円安い1万6251円だった。さらに、トランプ氏が勝利を決めたことで、日本とアメリカなど12ヵ国が参加するTPP(環太平洋経済連携協定)の発効に暗雲が立ち込めてきた。トランプ氏はTPPについて「大統領の就任初日に離脱する」と反対を表明しているからだ。白人の労働者層の支持を集めるための、プロバガンダだったが、クリントン氏もTPPには反対を表明していたので、ここは有言実行だろう。

    ほかにも、日本とアメリカの安保体制も懸念される。在日米軍の費用負担の全額を日本に負担させるとのトランプ氏の発言である。ある意味、これは「戦後レジーム」を見直す千載一遇のチャンスかもしれない。戦後70年余り経った現在でも「アメリカの核の傘の下」で、外交や防衛問題などアメリカにお伺いをたてているのが現状だ。過日、国連での核兵器禁止条約の制定交渉をめぐる決議案で日本が反対に回ったのは、その最たる事例だろう。この際、対米関係を見直すときが巡って来たと前向きに考えればよいのではないだろうか。もちろん、よきパートナーを目指して、である。

⇒9日(水)夜・金沢の天気    はれ