★北陸新幹線のストロー現象

★北陸新幹線のストロー現象

   昨日3月14日は北陸新幹線の「長野-金沢間」が開業して1周年だった。東京から金沢までの所要時間は最速で2時間26分に。新幹線の利用客は在来線特急が走っていたころに比べて3倍に増えた。ここ数日の新聞報道=写真=などによると、去年4月から今年1月の観光客数は、兼六園が前年同期比で1.6倍に増えて、NHKの連続テレビ小説「まれ」のロケ地となった輪島市では、朝市の入込客数が1.3倍になってという。

   上記は誰もが予想した新幹線効果だったが、意外なこともあった。首都圏からの乗客が増えたのだとばかり思っていたら、仙台方面からの客が激増していたことだった。石川県が去年4-6月の3ヵ月で観光客の居住地を調べたところ、前年比の伸び率は関東圏からは180%、宮城県も180%と同じく増加している。確かに仙台駅から大宮駅(埼玉)で乗り換えれば、金沢駅まで乗車時間3時間25分で到着する。これは兼六園で実感した。料金所の近くで立っていると、中国語や英語に混じって、東北なまりの言葉もよく聞こえるのだ。団体客だったので余計目立ったのかもしれない。

   北陸新幹線で喜んでばかりはいられない統計もある。3月1日に石川労働局が発表した、石川県内の卒業予定の大学生、短大生、高専生、専修学校生ら学生の就職内定率だ。全体としては、内定率89.8%と、1996年から調査を始めて過去最高との数字だった。数字だと、就職希望者6436人のうち5780人が内定を得た(1月末調べ)。ところが、さらく詳しく数字を拾ってみると、大学生の県内内定者が減っているのだ。大学生の就職内定者3585人、うち県内内定者は1376人、割割り合いにして35.6%。昨年同期では1327人で38.3%だったので、2.7%の落ち込み。この数字は過去5年間で最低なのだ。これは一体どういうことか。

   「ストロー現象」だ。北陸新幹線の沿線(東京や長野方面)からの求人数が増加している。まるでストローに吸い込まれるようにして、就職する学生が関東方面へと逆流している、と言える。どれだけの求人数があったかは、統計的に定かではない。「リクナビ」など求人情報サイトを経由した就活が主流になってきて、実態が見えるのは、結果の統計だけだ。

   首都圏などからの求人が増え、学生たちの就活の選択肢が増えることはいいことに違いない。ただ、これが現象として、あるいはトレンドになって加速すると、地域を担う若者たちが減少することを危惧するのである。

⇒15日(火)朝・金沢の天気   くもり

☆「災害は復興を待たず」

☆「災害は復興を待たず」

  きょう「3月11日」、東日本大震災が起きて満5年になる。その時、私は大学の公開講座で社会人を対象に広報の在り方について講義をしていた。「東北が地震と津波で大変なことになっている」とテレビを見た公開講座の担当教授が血相を変えて講義室に駆け込んで、耳打ちしてくれたことを覚えている。

  2ヵ月後の5月11日に仙台市と気仙沼市を調査取材に訪れた。当時、気仙沼の街には海水の饐(す)えたような、腐海の匂いが立ち込めていた。ガレキは路肩に整理されていたので、歩くことはできた。岸壁付近では、津波で陸に打ち上げられた大型巻き網漁船「第十八共徳丸」(330トン)があった。津波のすさまじさを思い知らされた。

  昨年15年2月10日、再度気仙沼を訪れた。同市に住む、「森は海の恋人」運動の提唱者の畠山重篤氏に講演をお願いするためだった。畠山氏との交渉を終えて、前回訪れた市内の同じ場所に立ってみた。「第十八共徳丸」はすでに解体されてすでになかった。が、震災から2ヵ月後の街並みの記憶とそう違わない。今でも街のあちこちでガレキの処理が行われていた=写真=。復興という想いを抱いて来たので、現地を眺めて愕然としたのだった。

  復興計画は一体どうなっているのかと考えてしまう。聞けば、高台移転で住民のコンセンサスが得られていないという。過日の報道で、元の場所に戻って住みたい人が3分の1、二度と元の場所には戻りたくない人が3分の1、高台に住みたいという人が3分の1と被災地の人々の思いは3つどもえになっている。海を生業(なりわい)とする人々が多い地域では、高台移転のコンセンサスは難しいのかもしれない。でも、安全な高台に町ごと移す復興計画を実施しなければ復興計画は前に進まない。危険を覚悟で海辺に住みたいのなら、それは自己責任で住むということにすればよいのではないだろうか。

   それにしても、復興工事そのものが進んでいない。一つには、土木・建築系の職員数が集まらないという現実があるようだ。行政のマンパワーだけでなく、被災地は建設工事ラッシュなので、漁港施設、海岸、道路、河川、土地区画整理、宅地造成、下水道等の工事が同時進行している。しかも、国や県、各自治体が一斉に工事を発注するので、建設会社の落札に至らないというケースがあるようだ。工事ができず、さらに工期が伸びるとうい悪循環が起きている。さらに、アベノミクスの「国土強靭化計画」で全国で工事ラッシュが起きている。優先させるべき復興作業の現場では作業員が不足している。採石、生コン、コンパネなどの建築資材や建設機械の不足もあるだろう。

  復興はスピードが肝心だと考える。1923年の関東大震災では、東京市長で震災後に内務大臣と帝都復興院総裁を務めた後藤新平は復興計画を自らの手で書き上げたといわれる。まずガレキをいち早く横浜に持って行った。それが今の山下公園になっている。阪神淡路大震災後は、ほぼ1年半で復興したと高く評価されている。

  今は復興財源については手が尽くされている。震災から4年間の累計で総額が29兆円、さらに、新年度から5年間で6.5兆円を手当てしている。問題は「災害は復興を待たず」である。次なる災害に備えて、ピッチを上げて今の復興を進めなければ、もし不幸にして「次」が起きた場合どうなることか。一つ言えることは、国家の財政破綻という「二次災害」が起きることだけは間違いない。

⇒11日(金)朝・金沢の天気    はれ

★ニュース現場の凄み

★ニュース現場の凄み

  新聞とテレビの取材経験から、現場の迫力や凄(すご)みというものを十分に感じてきた。現場でしか実感できない怒りや悲しみ、有難さというものがあるものだ。だから、今でも現場に行きたいという欲求が湧いてくる。

  昨年9月22日、沖縄旅行で辺野古の現場に行った。翁長知事がジュネーブでの国連人権理事会でアメリカ軍基地の県内移設は「政府は沖縄をないがしろにしている」とスピーチを行った後のことで、連日100人ほどの基地反対派がアメリカ軍基地キャンプ・シュワブのゲート前に集まり、集会を開いていた。

  キャンプ・シュワブのゲート前、現場はものものしい雰囲気が漂っていた。正門の道路を挟んだ向こう側には基地反対派のテントが張られて入れ替わり、立ち代わり大音響でアジ演説が飛び交っていた。タクシーでその前を走行すると、「辺野古新基地NO!」などのプラカードが車から見えるように道路側に差し出される。車との接触が危ない。正面で陣取っていた人がいた。「辺野古埋立阻止」のプラカードを持って椅子に腰かけている。基地と歩道の境界線である黄色い線を超えないように公道スレスレのところでアピールしていた=写真・上=。数センチでも基地側に入れば、おそらく逮捕されるだろう。まさにギリギリの抗議行動がここで見えた。このような絵(映像写り)にならないシーンはテレビメディアでは放送されないだろう。

  国政選挙にはよく行く。夜だ。21時30分、金沢市の開票作業が始まるのに合わせて、金沢市営中央市民体育館に出かける。持参した双眼鏡で何か所かの開披台をのぞいて、開票者(自治体職員)の手元で裁かれる候補者名をチェックすれば、自分なりに候補者の「当落」の判断がつく。あるいは、ちょっとずるいが、テレビ局や新聞社の調査でアルバイトにきている学生たちが双眼鏡をのぞきこみながら=写真・中=、襟元の無線マイクで候補者名を本社に伝えているので、傍らにいれば自ずと聞こえる。どの候補者が現在優勢かということも判断できる。選挙は結果をいち速く知るというリアルタイムの凄みがこの場で体験できる。もちろん、開票作業は公正さを保つという意味で双眼鏡で開票者の手元をのぞくことは違法ではない。バードウオッチィングのようで楽しくもある。

    外国人の活動家が絡むニュースの現場に赴いたのは2011年5月5日だった。和歌山県の南紀に旅行した折に太地町に足を運んだ。日本のイルカ漁を批判したアメリカ映画「ザ・コーヴ」の舞台となった入り江へ。前日にイルカが網にかかっており、あす市場が再開するのでイルカを運搬するというその日だった。おそらく反捕鯨団体シーシェパードのスタッフをみられる外国人2人がカメラ撮影に来ていた。また、入り江の漁を監視する姿もあった=写真・下=。「和歌山県警」の腕章をつけた人も随所に配置されていて、入り江はものものしい緊張感が漂っていた。漁協の前では、外国人数人が、車から漁師風の男が下車するたびに近寄って、たどたどしい日本語で「イルカ漁をやめてほしい」とお札を数枚差し出していた。猟師は無視して漁協に向かった。

  この後、太地町の「くじらの博物館」を見て回った。古式捕鯨などがなぜ途絶えたかというと、これまで見たことない巨大なクジラがきて、漁師100人以上が犠牲になったと説明されていた。自然への恐れや畏怖の念を抱きながら、それでも太地の人たちは海からの恵みを得ようと歴史を刻んできた。そんな様子が見て取れた。

⇒5日(土)朝・金沢の天気   あめ

☆トランプと異次元の世界秩序

☆トランプと異次元の世界秩序

    アメリカ大統領選挙の序盤の戦いをこんなにぞくぞくした思いで日々テレビ画面をみつめたことは過去にない。それほど面白い。そのポイントは、ドナルド・トランプが勝つか、ヒラリー・クリントンが勝つかではなく、トランプが大統領になったらどんな世界になるのだろうか、との近未来の国際政治の組み立てが脳裏を駆け巡るからだ。

  3月1日の「スーパー・チューズデー」、共和、民主両党の大統領候補指名獲得争いの今後の方向性を決める予備選挙、党員集会がアメリカ10州で実施され、共和党では595名、民主党では865名の代議員がそれぞれ選出。そして、共和党ではドナルド・トランプが、また、民主党ではヒラリー・クリントンが他候補を寄せ付けず、それぞれ指名獲得に向け大きく踏み出す結果となった。

  トランプの支持層は、ムードではなく、強固な支持層を基盤にしていることが分かる。過日のネバダ州党員集会での出口調査では、トランプを支持しているのは保守穏健派、キリスト教福音派(エヴァンジェリカル)、若年層、高齢者、高学歴層、低学歴層、ヒスパニック系といった様々な有権者層なのである。

  そのトランプの演説で繰り返されるのが次のフレーズだ。「すべてのイスラム教徒のアメリカ入国を拒否すべきだ」「メキシコ人は麻薬や犯罪を持ち込む。国境に万里の長城を築こう」 と。宗教や人種差別、暴言が物議をかもしているのだが、その乱暴な言葉は日本に対しても向けられている。「日本はアメリカに何百万台もの車を送ってくるが、東京でシボレーを見たことがありますか。我々は日本人には叩かれっぱなしだ」「中国、日本、メキシコからアメリカに雇用を取り戻す」と。

  通常だったら、このようなヘイトスピーチめいた言葉が予備選挙とは言え、有権者が集う政治の舞台で平気でまかり通ること自体に、国連人権委員会が動き出してもよいと思うのだが、そうはならない。また、日本のマスメディア(新聞・テレビ)でもトランプ演説に正面切って論評していない。

  トランプ人気の背景には、今アメリカに沸き起こっている「政治家嫌い」があるのではないかと推測する。今のオバマ政権下で貧富の格差が拡大し、さらにミドルクラスの生活も落ち込み始めている。保守層を中心に現在のアメリカの政治システムに裏切られたと感じている、あるいは、懸命に働けばきっと成功するという「アメリカンドリーム」は消滅したとの絶望感があるのではないか。その反動で、「偉大なアメリカを取り戻す」とトランプが豪言壮語すれば、白人労働階級の支持が集まるという構図だ。「理想主義を世界に振りまく政治家たちは嫌いだ、良きアメリカを立て直す改革者に一票を投じたい」という声がアメリカの民衆の中でうねっているのではないか、と。

  トランプが大統領になれば、世界の政治的な価値観は激変する。トランプはオバマ大統領がリーダーシップを発揮してきたTPP(環太平洋経済連携協定)に対して、これまで「TPPはアメリカのビジネスへの攻撃だ」と激しく批判を展開してきた。また、日米同盟でも「日本はアメリカを守らない」と繰り返し述べている。予測可能なこの近未来に日本は、そして世界各国はどう対応するのか。異次元の国際秩序が展開するのではないか。大統領選に関するニュースから目が離せない。

⇒3日(木)夜・金沢の天気   くもり

★テレビはスターだった

★テレビはスターだった

    金沢大学の総合科目の授業「マスメディアと現代を読み解く」を担当している。講義の中で、1953年(昭和28年)に日本でテレビ放送が始まったときの様子を学生たちにこう話す。「そのころテレビは国民のスターだった。黎明期はまだまだ家庭に普及せず、街頭テレビの時代だった。繁華街や鉄道駅、百貨店、公園など人の集まる場所にテレビが設置され、大勢の人たちが群がった。テレビは憧れの的だった」と。学生たちの反応は「信じられない」といった様子だ。

  国産のテレビを最初に市場に送り込んだのはシャープだった。14インチで当時の価格は17万5000円だった。大卒の銀行マンの初任給が5600円の時代だ。庶民から遠い存在だったテレビが徐々に普及していった。NHKの「にっぽん くらしの記憶」のチラシ=写真=に掲載されている写真を見ると、子どもたちが大相撲の中継を夢中になって見ている。このチラシに写っているテレビがシャープ製の日本初のテレビだ。テレビが家庭に普及するとともに、シャープは家電事業の土台を固めて、成長の足場を築いたのだった。

  日本でテレビ放送がスタートして63年後、そのシャープが「身売り」することになった。メディア各社の報道によりと、シャープは台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業に、「支援」といわれながら、実質的に買収されることになった。鴻海の郭台銘会長は、カリスマ経営者でワンマンと言われる。シャープの経営陣はどのように対応しているのだろうか。知る由もないが、向かう先は一つだろう。

  鴻海はもともとアップルの下請け、その脱皮を狙っている。つまり、独自技術を手に入れ、自社ブランドを作ることにある。そのキーポイントが、シャープの液晶技術ということだろう。シャープの液晶技術は「主要ディスプレイ厚み20ミリ」「コントラスト比10万対1」などオンリーワンと言える。

  シャープの創業者の早川徳次は立志伝中の人だ。シャープペンシルの事業を関東大震災(1923年)で工場を失い、その事業を社員に引き渡して、自らは身ひとつで大阪へ赴く。当時、政府は災害報道に速報性が必要だとラジオ放送の開局を急いでいた。ここ注目した早川徳次は、1925年に国産第1号となる鉱石ラジオを製造し、同じ年にテレビ放送が始まった。鉱石ラジオを真空管ラジオへ進化させていく。戦後になり、テレビの国産第1号を世に送り出した。シャープは常にメディアツール(ラジオ、テレビ)のパイオニアだった。

  先端技術の流失などいろいろ議論はあるものの、鴻海とシャープが組んで次世代の画期的なメディアツールを開発してほしいと願う。

⇒2日(火)午後・金沢の天気   はれ

☆鴨足黄連

☆鴨足黄連

  我が家の鉢植えのカモアシオウレンが小さな花をつけた=写真=。毎年、春一番に咲かせる花だ。漢字表記で鴨足黄連と書く。葉っぱの形状がカモの足のような面白いな形をしている。花は白い梅の花のようなので、「梅花オウレン」とも呼ばれる。もともと、中国の四川省や雲南省の高い標高で分布している植物、と図鑑に書かれている。花が少ないこの季節、ちょっとした心の安らぎになる。

  昨日(22日付)の朝日新聞『天声人語』に目をやると、金沢のことが書かれてあった。以下引用させていただく。「鮮やかな色彩の記憶がある。以前、金沢のひがし茶屋街を歩き、加賀藩時代の面影を残すお茶屋の中を見学した。かつて舞や三弦が披露されただろうお座敷の壁は、紅殻(べんがら)で塗られ、あでやかな赤だった▼「はなれ」と呼ばれる奥の座敷に進んで驚いた。一転して群青色に彩られた空間である。宴の場に似つかわしくない印象も持ったが、引き込まれるような心地よい感覚があった。聞けば前田のお殿様も愛(め)でた色とのこと。赤と青の競演を堪能した…」

  金沢で特徴ある色彩は紅殻と群青だ。『天声人語』では赤と青の2色を、彩色と人々の心と行動の関係性へと文を展開している。

  ふと思った。最近報道されるニュースはグレイばかり。まるで、北陸の冬の空模様だ。丸川環境大臣が「環境の日」(6月5日)を「6月1日」と誤って国会で答弁した、とか。重箱の隅をつつくような話から、IS(イスラミックステイト)がシリアで連続自爆テロ攻撃を強めているとか、ロンドン市長がEU離脱を支持、覚せい剤で清原容疑者を再逮捕など、まるで色彩がないニュースばかりだ。

  なぜだろう。面白いと印象に残る、エッジの効いたニュースが薄いのだ。これは記者のニュースの発掘力が低下しているからなのか、あるいは、世の中がこうしたグレイのニュースを好んでいるのか、はたまた自らのニュースの読み込みが甘いのか。我が家で春一番で咲いたカモアシオウレンを眺めながら、世情をふと思いやった。空を見上げると、金沢はきょうも曇りだ。春はまだ少し先か。

⇒23日(火)朝・金沢の天気   くもり 

★質問の価値

★質問の価値

   還暦も過ぎると、世の中の見方が変わるものだ。最近、同年代の友人の会話の中で「ニュース断ち」という言葉があった。「最近の新聞やテレビのニュースは気分が悪い。別に見なくてもよいので、ニュース断ちをしている」と言う。聞けば、ここ数か月テレビも新聞も見ていないのだとか。確かに、最近のニュースは気分はよくない。親の子殺し、SMAP騒動、元プロ野球選手の覚せい剤、北朝鮮による水爆実験・ミサイル発射、世の中が殺伐とした雰囲気だ。でも、私は言葉を返した。「ニュースを知識のワクチンだと思えば、苦にならないだろう」と。気分の悪いニュースも見ておけば、心の耐性ができる。もっと悪いニュースが起きて、心がインフルエンザに罹るよりはましではないか、と論を述べた。すると友人は「なるほど」と笑った。

   きょう(9日)は朝から雷鳴がとどろき、庭の木々もうっすらと雪化粧のたたずまいだ=写真=。さて、朝刊のニュースは何だろうと新聞を手に取る。目にとまったのが、高市総務大臣が8日の衆院予算委員会で、テレビ局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合には、「放送法4条」違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性もあると言及したという記事だ。民主党の議員が放送法の規定を引いて「政権に批判的な番組を流しただけで停波が起こりうるのか」との質問に答えたものだ。

   民主党の議員の質問の前段には、週刊誌報道で、安倍政権に批判的とされる番組の看板キャスターが相次いで降板するとあり、それを質問のネタにしたものだ。この記事を読んで思い出したのが、「椿(つばき)発言」だ。

   1993年、テレビ朝日の取締報道局長だった椿貞良氏(2015年12月死去、享年79)が日本民間放送連盟の勉強会で、総選挙報道について「反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないかと報道内部で話した」などと発言した。当時、非自民政権が樹立され、細川内閣が発足していた。この内輪の会合の椿氏の発言が大きく新聞で報じられ、同氏は責任をとって辞任。その後、マスメディア関係者として初めて、国会に証人喚問され、テレビ報道の公平公正が問われた。このとき、初めて放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討されたが、視聴者へのインパクトも大きいとして、行政処分にとどまった。

   つまり、民主党の議員が週刊誌報道を引用し、軽々と「電波停止はあるのか」と質問をしたが、こうした椿発言のような事例を踏まえての質問だったのか、どうか。降板が相次ぐ看板キャスターがこれまで、国会に証人として引っ張り出されるような国政を揺るがす発言したのであれば、その質問も価値があろう。

   しかし、週刊誌の記事引用で、電波停止を質問をするというのは少々軽い。質問の価値というのはどこにあるのだろかと疑ってしまった。

⇒9日(火)朝・金沢の天気    ゆき

☆共存のモデル

☆共存のモデル

   「地方」という言葉は、地方に住む物にとってピンとこない。よく、中央である首都圏との対比として使われるからだ。かつて、「表日本」と「裏日本」という言葉があった。商工業で栄える太平洋側と、新幹線も走らず、寂れる日本海側といった比較で使われた。どこかと比較して、何かの基準の優劣だったら、比較されたほうが不快に感じるものだ。ただ、「地域」という言葉は関東地域、関西地域などそれぞれ独自の文化があり、その地域の固有性性を指す言葉のように感じる。単なる比較ではない。

    ただ、今政府が取り組んでいる「地方創生」という言葉は、ちょっとした凄みがある。それは「東京一極集中」VS「オール地方」という構図からだ。地方は地方で崖っぷちに立たされている。地域を再生させる総合戦略をそれぞに打ち立ている。東京の一極集中をこのまま放置してはならない、という地方の意気込みが見え始めている。それが凄みだ。では、どのような仕掛けがあるのか。

    今月5日、石破地方創生大臣が地域再生法の一部を改正する法律案を閣議決定したと記者会見で報じられた。それは、「企業版ふるさと納税」「日本版CCRC」のための措置、新型交付金を講じるという3本柱のだった。今年度内に成立させるという。なるほどと思ったのが企業版ふるさと納税だ。企業が自治体の総合戦略などに基づき、その意義に賛同してて寄付金をすることによって税制上の措置を講じ、企業と地域の連携をはかるという。「一社一村」運動の様相だ。

    もう一つ、注目したのは日本版CCRCだ。都会から地方に移住したいという人々を地域が受け入れ、一つのコミュニティー(共同体)をつくることで新たな考えや発想、仕事が起こすという作戦。CCRC(Continuing Care Retirement Community)は高齢者が健康なうちに地方に移住し、終身過ごすことが可能な生活共同体のような小さなタウン。1970年代にアメリカで始まり、全米で2000ヵ所のCCRCがあるという。都会での孤独死を自らの最期にしてなるものか、と意欲あるシニアが次なるステージを探しているのだ。そうした人々を受け入れる仕組みが地方で創る、それが日本版CCRCの狙いだろう。

    日本版CCRCにしても、企業版ふるさと納税にしても、問題は国と地域の本気度だ。物事を成し遂げる実行可能性を見せることが必要だろう。石破大臣が7日、金沢市を訪れた。地方の雇用創出に向けて必要な課題や対応を考える政府の「地域しごと創生会議」第3回会合に出席するためだ。午前中は、複合型福祉交流施設の「シェア金沢」を視察した=写真=。

    ここでは、3万6000平方㍍の敷地の中に高齢者向けデイサービス、サービス付き高齢者住宅、児童福祉施設、学生向けアパート、温泉、レストラン、カフェなどが点在している。つまり、高齢者や学生・若者、障害者らが一つのコミュニティーの中で生活している。全国でも珍しい、ある意味で先駆的な施設だ。温泉や売店など見学した石破大臣は「外から来ても楽しいだろうなという印象を持った」「若者、よそ者が地域に必要。その人たちが地域に新たな付加価値を生み出す」と、シェア金沢の取り組みを高く評価した。

    シェア金沢での石破大臣の視察は1時間30分にも及んだ。同施設への入りから出までの視察の様子を観察させてもらった。視線はどこにあるのか、どのような言葉を発するのか。その中に本気度を確かめたかった。案内してくれた人、招き入れてくれた人、それぞれに「ありがとう」と出がけに声をかけ、言葉に無駄がなかった。園内に飼っているアルパカを見て、質問した。「なぜこの施設にアルパカを飼っているの」と大臣。「吠えない、噛まない、やさしい動物なんです」と職員。「それだったら高齢者や障がい者も(アルパカを)お世話ができますね。なるほど」と大臣。その後、帰りがけに「さまざまな人が共存するというモデルがここ(シェア金沢)にある」と大臣が評価したのだった。

⇒8日(月)朝・金沢の天気   はれ

★分かれ道

★分かれ道

  きょう夕方、甘利明経済再生担当大臣が辞任した。「週刊文春」の報道を受けて、建設会社からの自身と秘書の建設金銭授受を認めたものだった。夕方からのNHK生中継で、甘利氏の記者会見を50分余り視聴した=写真=。

  自分なりにまとめると、甘利氏は大臣室と地元事務所で2回、建設会社側から現金100万円を受け取った。政治資金として処理するよう秘書に指示し、収支報告書に記載があったことを確認した。会見で面白いのは、菓子折りの中ののし袋に入った現金をやりとりだった。まるで、時代劇の悪徳商人が代官様に献上する菓子箱で、代官が「おぬしも悪よのう、ハッハッハー」と笑い、悪徳商人がペコリと頭を下げて、「よろしゅう、お頼み申し上げます」と言う、あの構図にそっくりだ。

  もう一つが、地元の公設秘書の問題。建設会社から500万円を受け取ったが、収支報告書には200万円の記載しかなく、300万円は秘書が使い込んでしまった、と甘利氏は説明した。結果的に政治資金規正法の虚偽記載となる。普通に考えれば、業務上横領に問われそうだ。刑事事件の可能性も出てきた。おそらく、調査を依頼した元特捜検事の弁護士が甘利氏にその可能性を示唆したのだろう。そして「(甘利氏が)秘書を告発すべきだ」と進言したのだろう。甘利氏は、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の大筋合意にまでこぎつけた立役者だ。2月4日の協定署名調印を目前に、分かれ道に迷い込んだ。

  北陸新幹線の開業後、低迷している羽田空港発着の小松線と富山線。ANA(全日空)は今月20日、3月27日からの夏ダイヤの路線便数計画を発表し、小松線と富山線を1日6往復から4往復に減便すると発表した。この発表を聞いて、JRの緻密な「2時間半」の移動選択の分かれ道にはまり込んだ、と思った。

  JRは、かつて上越新幹線で東京と新潟間で「2時間半」を切り、航空便を相次いで撤退させた成功体験がある。JRのこの「2時間半」が移動を選択するときの分かれ道になるとの乗客心理をつかみ、マーケット戦略に位置づけている。そのため、北陸新幹線の最速列車「かがやき」では、あえて軽井沢に停車させず、東京と金沢を「2時間28分」と設定した。乗客はJR東京駅にに行くのか、羽田空港に行くのかの分かれ道。最初から航空便を意識した、したたかで奥深いJRの戦略が見えた。

⇒28日(木)夜・金沢の天気    はれ

☆報道自由ランキング

☆報道自由ランキング

 「報道の自由度ランキング」という「格付け」がある。ジャーナリストで構成する国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)が毎年2月ごろ発表していて、もうそろそろ2016年版の報告書が出るころなので楽しみにしている。ちなみに、2015年版では日本は61位(180ヶ国中)で前年より2ランク下げている。

 その「国境なき記者団」(Reporters Without Borders)は1985年に設立され、活動の中心は各国の報道機関の活動と政府による規制の状況を監視することにある。その他にも、世界各地で拘束された記者の保護や解放、紛争地帯での記者を守る活動などを展開している。昨年12月にフリージャーナリストの安田純平さんがシリアで武装勢力に拉致され、身代金を要求されているとの声明を出したものの、その後声明を撤回して、日本では話題となったこともある。

 中心的な活動であるメディア体制の監視と調査の結果をまとめた年次報告書「報道自由度ランキング」は2002年がスタートで、メディアの独立性、多様性と透明性、自主規制、インフラ、法規制などを客観的に数値化して評価している、という。では本題、日本のランキングはどうなのだろう。日本の最高は2010年の11位が最高だった。民主党政権誕生による社会的状況の変化や、政府による記者会見を一部オープンにしたこと評価された。ところが、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故が起き、2012年は22位に下がる。さらに、2013年は53位、2014年は59位、そして2015年は過去最低の61位となる。
 
  順位が下がった理由が報告書で解説されている。東日本大震災によって発生した福島第一原発事故に対する報道の問題だ。一つは、電力会社などによる、いわゆる「原子力ムラ」と呼ばれる内なる規制でメディアに対する発表が閉鎖的だと指摘されている。二つ目が「記者クラブ」制度がフリーランスの記者や外国メディアの排除しているというのだ。日本のメディアの在り様そのものがマイナス要因だと指摘していることが注目される。

  もう少し深堀りする。重大な災害、とくに震災や原発事故などが発生したときは、情報が監督官庁などに集中する。それを集約して記者会見、これが公式発表となる。監督官庁は記者クラブを通じて発表するカタチとなり、フリーランスの記者や外国メディアには記者発表の日時や場所の案内はない。そのため、フリーランスの記者や外国メディアの特派員は日本のメディアの発表を追いかけて、発表文を入手することになる。そのため、海外から「発表ジャーナリズム」だと批判されることが多い。政府の記者会見での発表をそのまま報道する、いわゆる「垂れ流し」だというのだ。

  さらに海外から批判があるのは、紛争地への記者の派遣を、日本のテレビ局や新聞社、いわゆる「組織ジャーナリズム」は原則として認めていないことだ。組織としては危険な場所に記者を派遣することはコンプライアンス(法令順守)に反するということがベースにある。では、紛争地の情報をどう入手するのか、フリーのジャーナリストに依頼するしかない。危険な場所で取材するのはフリーのジャーナリストなのだ。こうした構造的な問題に、とくに欧米のメディアは日本のメディアの在り様をいぶかっている。

 さらに2013年に特定秘密保護法が成立し、自由な報道の妨げになるというマイナス評価となり、日本の順位は下落。韓国よりもランク下という事態になっている。「報道自由度ランキング」は毎年発表されるが、実は日本のテレビや新聞は熱心に取り上げてはいない。「不都合な真実」だからだ。日本のメディアそのものに改革の余地あり。

⇒22日(金)朝・金沢の天気     ゆき