☆北ミサイルと「餓死」発言

☆北ミサイルと「餓死」発言

    昨日(21日)のブログで、石川県は北朝鮮の弾道ミサイル発射に備えた住民避難訓練を能登半島で検討しているとの知事の発言を伝えた。さらにこれが意外な展開を見せている。今朝の朝刊各紙によると、21日午前10時30分から金沢市のホテルで開催された県町長会の懇談会で、谷本正憲知事が北朝鮮の相次ぐミサイル発射に触れて、「兵糧攻めで北朝鮮国民を餓死させなければならない」と過激な表現で発言した、という。これが全国ニュースにもなっているのだ。

   上記の発言の前後を精査する。知事のこの発言は、参加者から「北陸電力志賀原発(能登半島の志賀町にある)がミサイルで狙われたら」との質問に答えたもの。発言後に、「挑発行動が止らない現状は国際社会の対話のによる圧力が限界に来ている、効果的でない」と指摘した上で、「北朝鮮の国民には申し訳ないが、生活に困窮するくらいの経済制裁で『今のリーダーではもうダメだ』と考えてもらう必要がある」と述べた(北陸中日新聞)。

    県町長会の会合の後、午後3時45分、県庁で報道陣から「餓死」発言の真意を問われた知事は「北朝鮮にはとんでもないリーダーがいる。北朝鮮国民を生活困窮に追いやれば内部から崩壊する。国民が痛みを感じる制裁を加えないといけない」と説明した。「過激な言葉にならざるを得ない」と述べ、「餓死」発言を撤回することはしなかった。それどころか、知事はミサイル対応訓練を挙げて、「われわれは避難訓練までしなければならない。これ自体、おかしな話。北朝鮮のやり方は暴挙をはるかに超えている」とむしろ非難の語気を強めたのだ。

    北朝鮮がことし3月6日に同時発射した弾道ミサイル4発のうち1発は能登半島から北に200㌔㍍の日本海上に、3発は秋田県男鹿半島の西方300-350㌔㍍に落下している(政府発表)。日本海と接する地域では北の脅威は現実になっており、知事発言に共感する部分もある。ただ、発言内容を吟味すると矛盾点がある。

    北朝鮮を兵糧攻めにする手段を日本が握っているわけではない。つまり、実行不可能なことを知事は発言しているのだ。「国民を餓死」という発言も人道上で問題がある。逆に北朝鮮はあと200㌔、ミサイルの距離を延ばせば能登半島に届く。実行可能なのだ。今回の知事発言を逆手にとって、北のリーダーが「わが人民を愚弄した。許せん」と能登半島に向けて発射ボタンを押さないか、むしろその方が不安である。

⇒22日(木)朝・金沢の天気  くもり

★危機感を煽るCMなのか

★危機感を煽るCMなのか

   きのう(20日)の石川県議会本会議で北朝鮮のミサイル攻撃の対応について議員から質問があった。以下、地元メディアからの引用。県の危機管理監は質問に対して、ミサイルが国内に落下する際は、防災行政無線や緊急速報メールで住民に連絡し、▽近くの頑丈な建物や地下へ避難をする▽建物がない場合は物陰に隠れるか地面に伏せて頭を守る▽屋内にいれば窓から離れる、といったことを具体的に述べた。県知事は議会後の取材に対して、年内に能登地方で住民避難訓練を行うことを示唆した(北陸中日新聞)。

   北朝鮮の弾道ミサイルを想定した訓練は日本海側の自治体を中心に実施されている。秋田、山口、山形、新潟、福岡などの県で。来月には富山、長崎でも行われる。国が全国の都道府県に訓練の実施を要請しているとの背景もある。

   さらに、きょうのネットニュースで、北朝鮮情勢の緊迫化を踏まえ、国が弾道ミサイルが発射された際の避難方法を紹介する初めてのテレビCMを23日から放映するという(読売新聞ホームページ)。CMは30秒間で、7月6日までの2週間、東京の民放5局で放送される。CMの内容は、冒頭でミサイルが日本に落下する恐れがある場合に全国瞬時警報システム「Jアラート」で緊急情報が流れることを説明し、頑丈な建物や地下に避難する、建物がない場合は物陰に身を隠すか地面に伏せて頭を守る、屋内の場合は窓から離れるか窓のない部屋に移動する-3種類の避難行動をイラストとナレーションで紹介するという。内容的には県議会の説明とまったく同じだ。

   この時期になぜ国が突飛にテレビCMを流すのかという疑問がわく。素直に解釈すれば、国は非常事態(北朝鮮への斬首作戦の実行など)の情報を事前にアメリカ側から入手して、それに備えているのか、とも受け取れる。うがった見方をすれば、「共謀罪」「加計学園問題」などで内閣支持率が下がっている昨今で、北朝鮮の危機感を国民に示すことで世論を引き締めたいのか、とも読める。いずれにしても、日本海側に住む一人として心が穏やかではない。

⇒21日(水)夜・金沢の天気    あめ

☆皇室の「全身全霊」

☆皇室の「全身全霊」

  けさ(14日)新聞を読んでいて、皇太子が13日、デンマーク訪問を前に東宮御所で記者会見をされた記事に目が止まった。注目したのが見出しだった。「皇太子さま務め『全身全霊』で」(朝日新聞)。もう一紙も「象徴の務め『全身全霊』 皇太子さま会見 退位法、言及控える」(北陸中日新聞)。

   「全身全霊」という言葉を両紙ともに見出しに使っている。前後の記事の文脈を読むと、記者から、生前退位特例法(今月9日成立)について感想を求められたが、皇太子は「皇室の制度面の事項について、私が言及することは控えたい」とコメントを避けた。続いて記者から象徴天皇の役割を引き継ぐことについて尋ねられ、「陛下はお仕事の一つ一つを心から大切にしてきた。そうした陛下のお気持ちを十分に踏まえ、これまで陛下より引き継いだ公務も含め、それぞれの務めに全身全霊で取り組んでいきたい」と答えられた。

  会見で皇太子は「全身全霊」という言葉について、昨年8月の陛下の生前退位の願いを込めたお言葉の中で使っていて、「とても心が揺さぶられた」と述べていて、今回はご自身の言葉としても使われ、陛下の思いを継承する決意を示したようだ。

  では、陛下は昨年8月8日のお言葉で「全身全霊」をどのように述べたのだろうか。「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」

  全身全霊という言葉は一般的に「身も心も捧げる」といった意味で使うが、皇室ではもう一段踏み込んだ意味があるのではないかと推測している。そう思う根拠は、陛下の以下のお言葉から察する。「更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます」。「重い」と表現された「殯の行事」は、一般の葬儀とは違って、ご遺体と共にする「お通夜」が2ヵ月にわたって続く。つまり、ご遺体の腐敗が進むまで儀礼を続けることになる。

  こうした死者の弔い方は東南アジアで一部今でも残っている。ユネスコの世界文化遺産にも登録され、棚田で有名なフィリピンのイフガオを訪れたおり、聞いた話だ。死者を布でくるんで白骨化するまで自宅に置く。家族は死者を身近に置くことで、亡き人をしのぶ。日ごとに悲しみにと同時に死者への畏敬の念が沸いているのだという。その後、家族で洗骨の儀式を営み、埋葬する。こうした死者の弔い方は古代からの農耕文化の名残なのだろうか。

  話を戻す。昭和天皇の「殯の行事」は皇太子も体験されていることだろう。天皇を継承するということはこうした「重い」儀式を経て受けつがれるのだと察する。天皇が発した「全身全霊」という言葉に皇太子が反応して記者会見でも発しということは、この言葉は一般で考える以上に皇室ではよりスピリチュアルな響きがあるのではないだろうか。

⇒14日(水)朝・金沢の天気   はれ

   

★北のミサイル、このタイミングの意味は

★北のミサイル、このタイミングの意味は

  今朝(8日)のテレビニュースによると、北朝鮮が複数の飛翔体を発射した模様だ。8日朝、北朝鮮の東部の元山付近から北東の日本海に向けて複数の飛翔体を発射した。韓国軍は地対艦ミサイルと推定していると伝えている。日本政府は北朝鮮が発射した弾道ミサイルが日本に飛来する可能性がある場合、Jアラート(全国瞬時警報システム)やエムネット(緊急情報ネットワークシステム)で国民に伝達するとしているが、現時点ではそうしたメッセージは出ていない。とうことは、朝鮮半島の近海に向けて発射したようだ。

   韓国軍が分析しているように、これが地対艦ミサイルということになれば、地上から敵艦艇を攻撃するミサイル、つまり、沿岸防衛が目的で、上陸作戦や海峡から陸上に近づく敵艦艇を攻撃するものだ。目標設定は定かではない。ただ、日本海で原子力空母「カール・ビンソン」と「ロナルド・レーガン」の2隻が今月1日から3日までの日本の自衛隊と共同訓練を行った。これを想定しての北朝鮮の発射だったのか。しかし、報道によると訓練を終えた2隻の空母は日本海をすで離れた。ロナルド・レーガンは沖縄東方の海域で海上自衛隊との訓練を続けている。

  北朝鮮はすでに去ってしまったアメリカの原子力空母に向けて、デモンストレーションとして発射したのだろうか。先月、3種類の新型弾道ミサイルの発射実験を相次いで実施し、ミサイル開発を加速させる姿勢を示していた。これに対し、今月2日に採択された国連の安全保障理事会の新たな制裁決議では、弾道ミサイルの関連団体・個人が制裁対象に加えられていている。北朝鮮は今回の発射で、こうした制裁圧力に屈しない姿勢を改めて示したとでもいうのだろうか。それにしてもタイミングにずれている。あるいは、あえてタイミングをはずしたのだろうか。(※写真はアメリカ海軍のホームページより。6月1日の日米の共同訓練の模様)

⇒8日(木)朝・金沢の天気    あめ

☆「地方重視の外務大臣」

☆「地方重視の外務大臣」

   外務省が主催する「地方を世界へ」プロジェクトが今月3、4日の両日、金沢市で開催された。このプロジェクトは地方の魅力をグローバルに発信する新たな取り組みで、外務大臣とと駐日外交団が地方を訪れて、文化や産業を見聞することで、地方の魅力を世界に発信すると同時に地域の活性化を目指すものも。岸田大臣は駐日外交団(8ヵ国=ベネズエラ、ニカラグア、デンマーク、ニュージーランド、フィンランド、キューバ、オーストラリア、韓国)を伴って、金沢の日本酒や金箔のメーカーを訪れ、さらに同時に開催された金沢百万石まつりの時代行列などを見学した。

   一行が到着した3日午前中、国連安保理で北朝鮮に対する経済制裁を拡大する決議が全会一致で採択されたことを受けて、JR金沢駅で臨時の記者会見が設定された。以下、外務省のホームページから抜粋する。岸田大臣は今回の安保理の制裁決議をこう評価した。「今回の決議については、資産凍結、あるいは入国・入域の禁止、こうした対象を追加する、こうした内容のものです。国連安保理において、中国、ロシアをはじめ安保理の理事国全員で一致をし採択をした、このことの意味は大きい。国際社会が一致して、北朝鮮に対して強い内容を含む決議を採択することによって意思を示ししたという意味で重要であると認識をします」と。

   4日午前中、金沢大学十全講堂(金沢市宝町)で「北陸・石川県の魅力を世界に発信」と題してシンポジウムが開催され、その後に記者会見が開かれた。ここで地元の記者からリアリティのある質問が飛ぶ。

   「【記者】 北朝鮮のことについてなんですが、今回,宇出津事件から40年ということで言及もありましたが、今なお石川県では漁師の方がEEZの近くで操業されるとかということもあって、北朝鮮の脅威にさらされる土地柄でもあるんですが、こちらについての対応といいますか、対策、思いということをお聞かせいただけますでしょうか。」
   「【岸田外務大臣】 まず、石川県と拉致問題との関係で申し上げるならば、講演の中でも申し上げさせていただきましたが、久米裕さん当時52歳でいらっしゃいましたが、昭和52年(1977)9月19日に石川県宇出津(うしつ)海岸付近において北朝鮮の工作員によって拉致されました。政府としては北朝鮮に対し、久米さんの一刻も早い帰国、これを強く求めてきましたが、北朝鮮はこれまで久米さんの入境、要は、北朝鮮の国内に入ったということを認めていない。これが現状であります。捜査当局は、平成15年1月、主犯格である北朝鮮工作員・金世鎬(キム・セホ)の国際手配を行っており、政府としては、北朝鮮に対して、この同人の身柄の引渡しを求めているところです。久米さんの拉致から40年経ちました。これは一刻の猶予も許されない問題であると認識をしています。政府としては、対話と圧力、行動対行動の原則の下に、ストックホルム合意の履行を求めながら、久米さんを含む全ての拉致被害者の一日も早い帰国、これを実現するべく、全力で取り組んでいかなければならない。国の責任でそれを実現しなければならない。こういったことを強く感じています。」

    北朝鮮による久米裕さんの拉致は「拉致1号事件」とも呼ばれる。拉致問題が外交の最重要課題であり、シンポジウムの講演で、岸田大臣は当地と関連ある拉致1号事件にあえて触れたのだろう。記者会見での返答ぶりや自らが各国の大使クラスを連れて地域を訪問する様子はこれまでの外務大臣の印象と明らかに異なる。「地方重視の外務大臣」と評価してよいのではないか。(※写真・上は金沢市内の金箔メーカで、写真・下は外務省主催のシンポジウムで講演する岸田大臣。外務省ホームページより)

⇒5日(月)午後・金沢の天気  はれ

★嵐の前の静けさ

★嵐の前の静けさ

北朝鮮はミサイル発射を繰り返している。さらに、アメリカや中国の出方にはかたくななまでに態度を硬化させている。そのような中で、国連安全保障理事会は昨日(日本時間で3日)、北朝鮮に対する経済制裁を拡大する決議を全会一致で採択した。これまで制裁に慎重だった中国とロシアがそろって採択に回った。報道によると、制裁ではあらたに北朝鮮の情報機関の局長や団体の資産凍結や渡航禁止とした。

  日本海側に住む身として気になったニュースは、今月1日、海上自衛隊の護衛艦2隻と航空自衛隊のF15戦闘機部隊が、アメリカ海軍の「カールビンソン」と「ロナルド・レーガン」の2隻の空母艦隊と日本海で共同訓練を実施したことだ(防衛省発表)。航空自衛隊小松基地からはF15戦闘機6機が参加し、アメリカの空母艦載機FA18戦闘攻撃機と模擬の空中戦を展開した。海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」と「あしがら」はアメリカ側の艦艇と通信訓練を実施した。護衛艦は3日まで、小松基地の戦闘機部隊は2日まで共同訓練を実施した。

  防衛省ホームページには、今月2日行われたの防衛大臣の記者会見の概要が掲載されている。記者との質疑でこのような下りがある。「Q:空母と自衛隊の共同訓練について、北朝鮮に対する圧力につながるとお考えでしょうか。」と記者が問いかけた。これに対し防衛大臣は次のように返答している。「A:今回の訓練の目的自体は自衛隊の戦術技量の向上と米軍との連携強化を図ることが目的であります。そして、今回こうした形で共同訓練を行うことは、わが国の安全保障環境が厳しさを増している中で、効果として日米同盟全体の抑止力・対処力を強化して、地域の安定化に向けたわが国の意思と高い能力を示すものであるというふうに考えているところでございます」と。

  つまり、北朝鮮への圧力ではない。あくまでも自衛隊の戦術技量の向上とアメリカ軍との連携強化である、と。なんとも煮え切らない防衛大臣の答えではないだろうか。誰が考えても、朝鮮半島の東側の日本海で海と空の共同訓練を実施すれば、それは「北に対する圧力」以外の何ものでもない。

  現に、アメリカのマティス国防長官は3日、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)でリアリティのある演説をしている。以下、朝日新聞の記事引用。マティス氏は、北朝鮮が核・ミサイル開発を急ピッチで進めていることについて「最も危険で差し迫った脅威」と危機感を示し、日本や韓国などの同盟国に加え、中国とも協力し、「北朝鮮が核・ミサイル計画を放棄するまで、外交的、経済的な圧力を高めていく」と述べた。その上で、アメリカは北朝鮮問題や台頭する中国の脅威に対応するため、アメリカ海軍の艦艇の60%、陸軍の55%、艦隊海兵部隊の3分の2をアジア・太平洋地域に重点的に配備していることも明らかにした。

  マティス国防長官の上記の発言を読んだだけでも、今回の日本海での共同訓練は実践的な軍事訓練、つまり「圧力」である。さらに、兵力の注ぎ方にも驚く。アメリカ・ワシントン州の海軍基地を今月1日に出港した原子力空母「ニミッツ」が日本海で合流することになれば空母3隻目となる。「アメリカ海軍の艦艇の60%」をアジア・太平洋地域に重点的に注ぐとはこのことかと実感として伝わってくる。先月30日、アメリカ国防総省は大陸間弾道ミサイル(ICBM)の迎撃実験を初めて実施し、成功したと発表した。北のミサイル攻撃への対応を整えたということだろう。日々拡大する日本周辺での「軍事拠点化」である。とくに日本海側に住む我々にとって、ただごとではない。いま状況は「嵐の前の静けさ」か。

⇒4日(日)午後・金沢の天気    はれ

☆鼻毛大名のヒストリー

☆鼻毛大名のヒストリー

   前回(5月11日)のブログ「★気になる沖縄での動き」を書いてから、アメリカで起きたトランプ大統領をめぐる動きが気になっている。それはトランプ氏とロシア側との不適切なかかわり「ロシアゲート」疑惑の始まりではないかとメディアで騒がれている、FBIのジェイムズ・コミー長官解任事件(5月9日)だ。トランプ氏の「やましい」ところを内外に晒す格好になった。さらに、司法省は去年のアメリカ大統領選挙にロシアが介入したという疑惑を捜査するため、ロバート・モラー元FBI長官を特別検察官に任命(5月17日)。一気にロシアゲート疑惑に真実味が帯びてきた。25日にはアメリカのメディアが、FBIが、トランプ氏の義理の息子で上級顧問を務めるジャレッド・クシュナー氏の事情聴取を検討していると伝えた。

   こうした一連の動きにで気になっていることは、追い込まれたトランプ氏は何をしでかすか分からない。ひょっとして、メディアや世論の目をそらすため、北朝鮮への「斬首作戦」を実行するのではないかと。その実行の日は「★気になる沖縄での動き」で述べたように、真っ暗闇となる5月の新月、つまり今月26日だったが、注目していた動きはなかった。ただ、日本のメディアが26日にアメリカ太平洋艦隊の発表として伝えたように、アメリカ西海岸ワシントン州の海軍基地に空母ニミッツを太平洋の北西部に派遣すると発表した。朝鮮半島の近海には すでに空母カール・ビンソンとロナルド・レーガンが展開している。それにニミッツが加わることで、核実験や弾道ミサイル発射などの挑発行為を続ける北朝鮮に圧力をかけるのが狙いだろう。そして次の新月は6月24日だ。

   話はがらりと変わる。先日、知人らを誘い合って東京国立博物館に特別展「茶の湯」を見学に行った。その帰り、茶道と加賀藩の歴的な関わりなどについて造詣が深い知人からエピソードなど教わった。京都の茶道・藪内家の茶室「燕庵(えんあん)」には「利家、居眠りの柱」とういエピソードがある。京の薮内家を訪れた加賀藩祖の前田利家が燕庵に通された時、疲れがたまっていたのか、豪快な気風がそうさせたのか、柱にもたれかかって眠リこけてしまったという。こうした逸話が残る燕庵を後に利家の子孫、11代の治脩(はるなが)が1774年に燕庵を模して兼六園内に夕顔亭を造った。3代の利常には大名茶人として知られた小堀遠州の娘婿・小堀新十郎を召抱え、加賀藩の茶道の基盤をつくった。

   話はここから深みに入る。「ところで3代の利常は加賀藩が幕府から警戒されないように、鼻毛をわざと伸ばしていたんですよね」と金沢では知られた話を知人に投げると、「いや、話はまったく逆で幕府を刺激するために伸ばしていた説がある」と磯田道史著『殿様の通信簿』(新潮文庫)を薦めてくれた。さっそく買って読むと、これまでの利常のイメージとはまったく異なり、目から鱗が落ちるとはまさにこのことか思った。

   金沢に育った多くの人の間では、先の「利常の鼻毛」は百万石という大藩を守るため、あえて愚鈍さを演出することで幕府の警戒感を和らげたとというのが相場である。本著は見事にそうした相場感を覆してくれる。もともと藩祖・利家は「槍の又左」と言われた剛腕で、息子の2代利長は父から豊臣秀頼公をお守りするよう厳命を受ける。ただ、時代の趨勢は徳川に傾いていて、母親まつを江戸に人質として差し出すことをバランスを取った。3代の異母兄弟であった利常は父親似で長身で体格もよかった。家康は慶長10年(1603)に引退する利長と3代として家督を継ぐ利常と面談した。利常13歳である。作者によると「利常を子どものころから徳川の色にそめていきたいと、目論んでいただのだろう」と推論し、家康は秀忠の娘・球姫を3歳にして9歳の利常に輿入れさせた史実を上げている。利常は13歳で義理の祖父・家康と初めて対面したのである。そして「松平筑前守」を名乗るように利常に名前を授けた。名実ともに「家康は前田を完全に徳川に取り込もうとしていた」。さらに、家康は側近の本多正純の弟・本多政重を家老として加賀藩に送り込む。

   秀吉側だった利家、父より厳命を受けていた利長はバランスを取ることに苦心した、そして利常は徳川家の娘婿として、22歳で大阪冬の陣に4万、夏の陣に2万5千の軍勢を整えて豊臣攻めに参戦することになる。本著で初めて知ったのだが、その後、利常は家康から国替えの話を持ちかけられた。四国一円(阿波、讃岐、伊予、土佐)である。それを利常は「加賀が本国でござりまするゆえ」と断わっている。家康は加賀が京と近く、京に上る可能性のある大名として警戒感を解かなかったのではないかと推測している。これは著者の記述だが、「前田家が北国の雪にとざされておらず、四国に巨大藩として存在していたら・・(中略)・・明治維新は加賀藩の手でなしとげられていたかもしれない」。

   こうして成長した利常は若年の家光を「いじめた」。利常は戦国時代の申し子であり、豪快に笑い、大声で怒鳴った人物、そして長身で大阪冬の陣、夏の陣でも活躍した。その大名が鼻毛の長さを気にするタイプでなかった。まさに著者が述べている。「近世という時代をひらいたこの精神は信長の生をもってはじまり、利常の死をもって終わった」。戦国動乱から天下太平の世を生き抜いた大名のヒストリーを著書から感じた。

⇒28日(日)午前・金沢の天気  はれ

★気になる沖縄での動き

★気になる沖縄での動き

   気になるニュースがあった。沖縄県の地元紙「沖縄タイムズ」のウエッブ版を読んでいたら、こんな記事だ。以下昨日(10日付)のニュースである。

  「米軍嘉手納基地上空で10日午後7時35分、パラシュート降下訓練が実施された。同基地所属のMC130特殊作戦支援機=写真=から降下し、パラシュートを開いて基地内に着地する兵士の姿が4人確認された。嘉手納町によると、夜間の訓練は少なくとも近年では例がない。沖縄県や基地周辺自治体は沖縄防衛局や外務省沖縄事務所を通じて訓練の中止を申し入れたが、米軍は強行した。嘉手納基地での同訓練は4月24日に6年ぶりに実施されて以来。…」

  このニュースをまともに読めば、アメリカ軍がはた迷惑な夜の訓練をやったとの印象だが、MC130特殊作戦支援機を使った夜のパラシュート訓練となると、ただごとではないと直感する。ウイキペディアなどになると、MC130特殊作戦支援機は赤外線暗視装置、地形追随レーダーを装備し、敵の防空網を突破することができる。その目的は敵地での特殊部隊の潜入・退去・補給、捜索救難活動の支援、心理作戦などに活用されるという。これは北朝鮮への「斬首作戦」の訓練ではないのか。

  北朝鮮への斬首作戦とは金正恩党委員長へのピンポイント攻撃のこと。アメリカによる斬首作戦で有名なのが、パキスタンでオサマ・ビン・ラディンに対して行った2011年5月2日(日本時間)の攻撃。新月(5月3日)の前日だった。つまり肉眼で感知されにくい、夜の闇の中で決行された。記事では嘉手納基地で「先月4月24日」にも実施されている。この月の新月は27日だった。さらに「6年ぶり」とある。すなわち2011月の斬首作戦には嘉手納基地から参加していたのかとも連想させる。

  国立天文台のホームページで調べると、次に夜が真っ暗闇となる5月の新月は今月26日4時44分だ。今回の沖縄での夜のパラシュート降下訓練は斬首作戦を実行する訓練なのか、あるいは相手を動揺させるための心理作戦なのか。

  韓国大統領選で当選した文在寅氏が10日夜、アメリカのトランプ大統領と電話会談を行い、北朝鮮による核・ミサイル開発の廃棄に向け、話し合ったと11日付でメディア各社が伝えている。会談の中でアメリカ側の北への圧力のカードの一つとして斬首作戦のことも当然伝えたはずだと想像する。それに、どう文大統領は答えたのだろうか。(※写真はウイキペディアより)

⇒11日(木)朝・金沢の天気   あめ  

☆「八田與一」評価視点を変えてみる

☆「八田與一」評価視点を変えてみる

   前回に続いて、台湾・台南市にある烏山頭ダム建設を指導した金沢出身の技師・八田與一の座像の切断事件をテーマに。7日の座像修復の除幕に続いて、昨日(8日)は慰霊祭が行われた。その様子を台南市のホームページから引用する。

 ダム建設後、八田與一は軍の命令でフィリピンの綿花栽培のための灌漑施設の調査ため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。1942年(昭和17年)5月8日だった。つまり逝去75周年だ。慰霊祭は烏山頭ダム公園の座像の前で営まれ、日本側から八田與一の子孫や金沢市の山野之義市長らが出席した。ホームページによると、あいさつに立った台南市の頼清徳市長のあいさつは以下だった(要約)。

   「台南市民を代表して最高の謝意と無限の悲しい思いを込めて献花したい。ことしも無事、慰霊祭を開催することができ、また以前より多くの方々に集まってもらい盛大な催しとなった。銅像の破壊は成功しない、台湾と日本の友好も破壊されない。反対にますます友好関係は堅固で、さらに厚いものになる」
      「87年前に八田與一は烏山頭ダムを建設して、嘉南地区の土地に灌漑が整い、さらに彼はダム建設だけでなく農民を指導し、この地区は今では台湾の米所となった。台湾の農業経済を大いに発展させた。烏山頭ダムは実は同じく多くの台湾人と日本人の心の田を潅漑してくれた。私たちは水を飲むときその水源を思うべきで、内心から八田與一に感謝したい」

   上記の思いを胸に日本と台湾の友好が発展的に醸成されることを祈る。ただ、現実はなかなか難しいようだ。政治情勢は台湾の独立派と中国と台湾の統一派によるつばぜり合いとなっていて、今回のように、独立派が蒋介石像を、統一派が八田與一像を切断するといった、争いのシンボリックな出来事になっている。日本のメディア(9日付朝刊)によると、700人が参列した慰霊祭の場外では、独立派と統一派が集会を開いたようだ。統一派50人ほどが「日本人は帰れ」と叫んでダム公園のゲートに詰めかけたが200人ほどの警察官に阻まれ、大きな衝突はなかった、と伝えている。

   こうした台湾内部の政情と日本と台湾の友好関係が絡まってしまった状況をどうほぐせばよいのか。八田與一の功績は台南市長があいさつの後半で述べたように、87年前の烏山頭ダム完成からすでに地域に認められ評価は確立している。現在、台湾では「ダム水利システム」としてユネスコの世界遺産に登録しようとする動きもあるようだ。

        そこで、八田與一座像を日本と台湾の友好の象徴として強調するより、むしろ、アジアにおける農業発展のダム水利システムの先駆者としての評価を双方で高める方が、八田與一座像が政争に巻き込まれなくて済むのではないか。台南市長のあいさつから、そんなことを考えた。(※写真は台南市役所のホームページより)

⇒9日(火)朝・金沢の天気   くもり

★切断された八田與一座像その後

★切断された八田與一座像その後

   このブログで取り上げた台湾統治時代に烏山頭ダム建設を指導した、金沢出身の技師・八田與一の座像の切断事件から3週間。きょう(7日)台湾・台南市役所のホームページをチェックすると、切断された座像の首から頭部の修復が完了し、きょう金沢市からの関係者を交え、除幕式が行われたと掲載されていた。  
 
 除幕式は台南市の烏山頭ダム公園であり、式には日本側から八田與一の子孫や金沢市の山野之義市長らが出席したようだ。ホームページによると、あいさつに立った台南市の頼清徳市長は「銅像の破壊者(元台北市義)は台湾と日本の友情を破壊しようとしたが、試練を経て両者の感情は本物になった」と強調した。山野市長は「銅像の破壊は残念だったが、台湾のみなさん始め頼市長が修理に全力を尽くしてくれて感謝している。地元金沢の偉人の銅像に再び会うことができ、日本と台湾の友好関係を確認できた」と述べた。また、八田與一の孫にあたる八田修一氏は「銅像が完全に修復されて、台湾のみなさんに感謝したい」と述べた。

    台湾では切断事件が相次いだ。ことし2月28日、輔仁大学(新北市)のキャンパスで蒋介石の立像の一部が切断され、学生たちが逮捕された。先月16日、八田與一の座像の首切断され、中台統一派の政治団体に所属する元台北市議が警察に出頭し逮捕された。そして先月22日の台北市の蒋介石の座像の首切断事件があった。

   修復は25年前に製作され保管されていた複製品の頭部を継ぎ合わせる方法で行われ、先月26日に完成した。修復後に再度、破壊されることを警戒して、ダムを管理する水利組合や台南市の警察が警備に当たっているようだ。(※写真は台南市役所のホームページより)

⇒7日(日)夜・金沢の天気   はれ