☆キナ臭くなってきた日本海

☆キナ臭くなってきた日本海

   また日本海が荒れだした。報道によると、能登半島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内で、韓国海軍の駆逐艦が20日午後3時ごろ、海上自衛隊のP1哨戒機に対して火器管制レーダーを照射した。火器管制レーダーは、ミサイルで対象を攻撃するために、距離や高さ、移動速度を計測するためのもの。通常のレーダーとは全く違うもの。

   事件は岩屋防衛大臣が21日夜に緊急記者会見で公表した。防衛省ホームページで詳しく説明されている。火器管制レーダーを照射したのは韓国海軍「クァンゲト・デワン」級駆逐艦=写真・上、防衛省ホームページより=。P1は海上自衛隊第4航空群所属P1(厚木基地所属)。P1は最初の照射を受け、回避のため現場空域を一時離脱した。その後、状況を確認するため旋回して戻ったところ、2度目の照射を受けた。P1は韓国艦に意図を問い合わせたが、応答はなかった。照射は数分間に及んだと報じられている。

   これに対し、韓国側は韓国側は火器管制レーダーの使用について「哨戒機の追跡が目的ではなく、遭難した北朝鮮船捜索のため」などとしているが、防衛省は、不測の事態を招きかねない、そして意図しなければ起こりえない事案であり「極めて危険な行為」として韓国側に強く抗議した。 

    注目したいのは、場所が北朝鮮によるイカの違法操業で問題になっている大和堆だったことだ。この付近での最近の韓国側の行動は「大和堆は韓国海域なので勝手に上空を飛ぶな」との言わんばかりの威嚇行動ではなかったかと疑ってしまう。先月11月20日にも、韓国側の意図を感じさせる「事件」が起きている。水産庁ホームページによると、20日午後8時半ごろ、能登半島の西北西約400㌔に位置する、EEZの大和堆付近で操業中の日本のイカ釣り漁船(184㌧、北海道根室市所属)に対し、韓国・海洋警察庁の警備艦が「操業を止め、海域を移動するよう」と無線交信をしているのを、水産庁漁業取締船と海上保安庁巡視船が確認した。

    水産庁の漁業取締船は日本の漁船の付近に位置取り、韓国警備艦に対し、日韓漁業協定でも日本漁船が操業可能な水域であり、漁船に対する要求は認められないと無線で申し入れた。その後、韓国の警備艦が漁船に接近したため、海上保安庁の巡視船が韓国の警備艇と漁船の間に割って入った。すると、韓国の警備艇は午後10時50分ごろ現場海域を離れた。

   こうした一連の韓国側の動きを読むと、一連の事件は、竹島は韓国の領土であると言い張り、大和堆は韓国海域であると主張する前触れではないのか。そう考えると、冒頭で「日本海が荒れだした」と述べたが、キナ臭く感じてきた。

⇒22日(土)夜・金沢の天気  くもり

★「いざなみ景気」と並んだとはいえ

★「いざなみ景気」と並んだとはいえ

   きょう20日の日経平均株価は前日より595円安い2万392円。一時700円を超える大幅な値下がりもあり、終値としての今年の最安値となった。19日のアメリカのダウ平均株価も前の日に比べて352㌦安い2万3324㌦で、これも今年最安値となった。

   きょう注目したのが日銀の黒田総裁の記者会見だ。日経Web版によると、黒田総裁は「経済の見通しは海外動向を中心に下振れリスクが大きい」と述べたという。では、海外のリスク要因とは何か。日本銀行のホームページをチェックすると、きょう20日の政策委員会・金融政策決定会合の報告が掲載されている。それによると、リスク要因は「米国のマクロ政策運営やそれが国際金融市場に及ぼす影響、保護主義的な動きの帰趨とその影響、それらも含めた新興国・資源国経済の動向、英国のEU離脱交渉の展開やその影響、地政学的リスクなどが挙げられる」としている。そのため、日銀は、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を継続する、としている。

   世界的な景気減速で、来年中はアメリカの利上げが停止する可能性が出てきた。日銀は、日本とアメリカの金利差縮小が招く円高・ドル安を警戒し、政策修正に動きにくくなった、と読める。日銀による大規模な金融緩和の「出口」政策は当面はなしということだ。金融政策もさることながら、経済政策はどうなっているのか。

   政府はきょう発表した月例経済報告で、国内経済の基調判断を「緩やかに回復している」で据え置いた。景気拡大の長さが6年1ヵ月になり、戦後最も長かった「いざなみ景気」(2002年2 月-08年2月)に並んだと可能性が高い、と。ところが、見えないことがある。安倍政権は発足時に「金融緩和」「財政拡張」「構造改革」を進める「三本の矢」を打ち出した。金融緩和と財政拡張は数字的に見える。ところが、構造改革についてはまったく見えない。この改革なくして「いざなみ景気」を超えることができるのだろうか。

   株価に話を戻す。年明けに2万円台を割り込むかもしれないと素人ながら思っていたが、年内かもしれない。(※写真は日銀の企画展「江戸の宝くじ「富」 一攫千金、庶民の夢」のチラシ)

⇒20日(木)午後・金沢の天気    あめ

☆世界経済の新たな火種

☆世界経済の新たな火種

  けさのテレビニュースは、週明け17日のニューヨークダウが大幅に続落し、508㌦安の2万3592㌦で取引を終え、9ヵ月ぶりの安値水準と伝えている。世界経済が減速する懸念が投資家の間で広がっているとも述べている。アメリカの経済紙「ウオールストリート・ジャーナル」も「Dow Industrials Fall 508 Points as Investors Fret Over Growth」と大きく報じている=写真=。

  その解説記事の中で、「U.S.-China tensions, plus worries about economic growth and the tech sector, spell more volatility ahead for investors. 」とある。直訳すれば、「アメリカと中国の緊張感と経済成長と技術分野の懸念は、投資家にとってより大きなボラティリティをもたらす」と。一般では聞き慣れないこのボラティリティ=volatilityとは何か。「証券用語解説集」(野村證券)によると、「証券などの価格の変動性のこと」とある。ボラティリティが高いということは、期待する収益率から大きく外れる可能性が高く、価格の変動性が大きいことを指す。

      では、ボラティリティのリスクを押し上げている要因は何か。おそらくこれしかない。中国通信機器メーカー「ファーウェイ」の製品を締め出す動きが、世界で広がっていることだろう。アメリカは国防権限法という法律をことし8月につくり、ファーウェイなど中国通信機器メーカーの製品を政府機関が使うことを禁止している。同社の製品を通じて政府機関や軍の情報が中国当局に流れる危険性があるとし、アメリカは日本など関係国にも働きかけも強めている。

   この動きに反発を強めているのは、中国政府なのだが、ファーウェイの副会長(CFO)がアメリカの要請によりカナダで逮捕された際に、カナダ人を逮捕するなど報復ともとれる行動に出ている。これがかえって、はやり中国政府はファーウェイと結託しているのではないかとの不信感を煽った。オーストラリアがいち早くアメリカに追随し、続いてドイツなどヨーロッパ各国、そして日本でも通信インフラを担う企業などが中国製品ボイコットの流れに乗った。

   問題はこの一件はこれが始まりだということだ。報道によると、先に述べたアメリカの国防権限法は第2弾として2019年8月から、政府機関や軍、政府所有企業がサーバーなどにファーウェイなど中国通信機器メーカーが製造した製品や部品を組み込んだ他社製品の調達を禁じている。さらに、第3弾として2020年8月からは、中国メーカーの製品を社内で利用しているだけで、その企業はいかなる取引もアメリカ政府機関とできなくなる。当然、日本企業も対象に含まれる。これが、世界経済の新たな火種になるとの所以であり、投資家に大きなボラティリティをもたらす結果になっているのではないか。

⇒18日(火)朝・金沢の天気    あめ

★島崎藤村と「どぶろく」

★島崎藤村と「どぶろく」

   出張の帰りに北陸新幹線軽井沢駅で途中下車し、「しなの鉄道」に乗り換え、小諸市を巡った。晴れてはいたが寒風がふいていた。小諸駅の裏手にある「小諸城址 懐古園」を散策した。ダイナミックな野面石積みの石垣、樹齢500年のケヤキの大木など城址めぐりを楽しんだ。ただ、城の大手門と本丸の間に鉄道が敷設されているので、城址公園の遺産がまるで分断されたようになっていて、「もったいない」と感じたのは私だけだろうか。

   懐古園にある「藤村記念館」に入った。平屋の小さな民家のような建物なのだが、設計者は東宮御所や帝国劇場を手掛けた建築家、谷口吉郎(1904-1979)だった。パンフレットによると、島崎藤村が小諸にやってきたのは明治32年(1899)のこと。牧師として藤村に洗礼を施した木村熊二に招かれて私塾の教員として小諸にやってきた。ここで過ごした6年余の間に創作活動を広げ、『雲』『千曲川のスケッチ』、そして『破戒』を起稿した。記念館には藤村の小諸時代を中心とした作品や資料、遺品が展示されている。

   館内は写真撮影は不可なのだが、一枚の写真のみ「撮影可」となっているものがあった。浅間山、小諸の街並み、そして千曲川が流れる大判サイズの写真で、『千曲川旅情の歌』と藤村の写真を配置している=写真=。確か中学時代に覚えた『千曲川旅情の歌』の始まりは今でも記憶にある。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・」。出だしは覚えているのだが、実は最後まで目を通したことは記憶に薄い。歌詞が長い。改めて最後まで目を通すと、歌詞は「千曲川いざよふ波の岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて草枕しばし慰む」で締めている。このとき、「藤村はどぶろく大好きだったのか」と想像をたくましくした。どぶろくは蒸した酒米に麹と水を混ぜ、熟成させた酒。ろ過はしないため白く濁り、昔から「濁り酒」とも呼ばれていた。どぶろくは簡単に造ることはできるが、明治の酒税法によって、自家での醸造酒の製造を禁止され、現在でも一般家庭では法律上造れない。

   歌詞にあえて「濁り酒」を入れるとは好物だったのではないかと想像するが、と言うことは、藤村自身も家庭で醸造していたのか。酒税法によって自家での醸造酒の製造を禁止されたのは明治32年(1899)。藤村が小諸にやって来た年である。この歌が作品として発表されたのは同34年(1901)の『落梅集』とされる。国立国会図書館デジタルコレクションでこの著作物を開いてみると、巻頭言の次の2ページと3ページに「小諸なる古城のほとり」のタイトルで掲載されている。藤村にとって相当の自信作だったに違いない。

           当時法律の周知には数年かかったろうと想像すると、この歌をつくったころはまだ、どぶろくを自由に造れ、存分に飲めたのだろう。しかし、日露戦争が明治37年(1904)に起き、戦費調達のために税の締め付けがきつくなり、「濁り酒」は本格的に御法度となっていったのではないだろうか。

⇒16日(日)午前・金沢の天気   くもり

☆自然「災」害と人「災」と

☆自然「災」害と人「災」と

    日本漢字能力検定協会は毎年年末にその年の世相を表す漢字一字とその理由を全国から募集していて、最も応募数の多かった漢字を京都・清水寺の貫主の揮毫により発表している。協会のホームページによると、ことしも11月1日から12月5日までの期間で19万3214票の応募があり、「災」が2万858票(10.8%)を集めて1位となった。

  きのう12日午後2時から清水寺で森清範貫主が揮毫する様子を民放だけでなくNHKも実況生中継で報じていた。確かにことしは災害ラッシュだった。自然災害では、年初めの豪雪に始まり、西日本豪雨、記録的な猛暑、北海道・大阪・島根での地震、大型台風の到来など。大規模な自然災害により多くの人が被災した。

  個人的には豪雪に恐怖感を味わった。自宅周辺の道路は30㌢ほどの高さの氷のように堅くなった雪道となっていて、ガレージから車が出せない状態が続いた。デイケアなどの福祉車両も通るため、町内会では人海戦術で道路の一斉除雪を行った。路上の雪は金属スコップで突いてもびくともしない硬さで、ツルハシを振り上げて下に勢いよく降ろして砕いた。学生時代にアルバイトで工事現場でツルハシを使った経験が生きた。

   もう一つ印象的なのは人「災」かもしれない。日本大学アメフトによる反則タックルに端を発した、いわゆるスポーツ界のパワハラ問題。オリンピック4連覇を達成して、国民栄誉賞を受賞した伊調馨選手と監督の間の問題もパワハラとされた。指導者が選手を育てる場合、それが教育なのか師弟関係なのか、難しいケースだ。オリンピック金メダリスト6人を育て上げた監督は日本レスリング協会強化本部長だった。指導する側に尊敬に値する人格というものがなければ、教育であっても師弟関係であっても人「災」、パワハラとみなされる。そのような判断の流れを一連の騒動を通じて考えさせられた。

   話は日大アメフト問題に戻るが、いまでも疑問に思っていることがある。動画を見れば、一目瞭然なのだが、試合開始の早々に日大のDL選手がパスをし終わった関学大のQB選手に真後ろからタックルを浴びせて倒している。QBが球を投げ終えて少し間を置いてから、わざわざ方向を変えて突進しているので、意図的なラフプレーだ。3プレー目でも不必要な乱暴な行為があり、5プレー目で退場となった。では、審判は1回目のラフプレーでDL選手をなぜ退場にしなかったのか。明らかに「レッドカード」ではないのか。単なる見逃しであるならば、審判に対してなぜ責任が問われなかったのだろうか。(※写真は清水寺のHPより)

⇒13日(木)朝・金沢の天気    はれ

★昔ハニートラップ、今ファーウェイ

★昔ハニートラップ、今ファーウェイ

  けさ12日のニュースによると、中国の通信機器メーカー「ファーウェイ」の副会長(CFO)がアメリカの要請によりカナダで逮捕された事件で、カナダ・バンクーバーの裁判所は保釈金を納付することやパスポートの提出などを条件に保釈を認められた。保釈金は1千万カナダドル(8億5千万円)。逮捕はアメリカのイランに対する制裁に違反した疑いだったが、むしろ、ファーウェイの製品にサイバーセキュリティーの問題があるとして、5Gなどの通信ネットワークから外す動きが世界各国で相次いでことの方がニュースになっている。

  すでにアメリカ政府はサイバー攻撃による安全保障上のリスクがあるとして、ファーウェイなど中国の通信機器の製品を政府内で使うことを禁止する方針を示し、さらにアメリカ軍の基地が置かれている国に対しても使用しないよう求めているようだ。これを受けて、日本政府もリスクを避けるため、各省庁が通信機器を調達する際の内規について、調達価格のみを基準としてきたこれまでの方針を改め、安全保障上のリスクも考慮に入れるよう改め、事実上ファーウェイなど中国の通信機器の製品の排除に動き出した。

  この一連のニュースに接すると、2004年5月にあった日本の上海総領事館の事務官が自殺した事件を思い出す。事務官は上海のカラオケ店で知り合った中国人女性と親密になり、そのうち領事館の情報(公電を読み解く暗号システムなど)を要求されるようになり、結局、「一生あの中国人達に国を国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした」と遺書を残し自殺した。当時週刊誌などでは「ハニートラップ事件」などと報じられた。

  昔ハニートラップ、今ファーウェイなのだろうか。中国のあくなき情報戦は現在、通信網ネットワークに仕組まれているようだ。5Gという次世代通信網にいち早く手を打ち、民間企業を通じて輸出というカタチで世界に情報網を張りめぐらせる、驚くべき中華思想、「世界戦略」だ。今後、アメリカと中国の貿易戦争は単なる経済問題ではなく、世界の安全保障にかかわる問題として、その対立の構図がくっきり浮かんでくるだろう。(※写真は、12日付イギリスBBCニュースWeb版)

⇒12日(水)朝・金沢の天気  あめ

☆南海トラフ地震と高知城

☆南海トラフ地震と高知城

   2012年5月に高知を旅行し、山内一豊が築いた高知城を見学した。印象的だったのはしっかりした野面積みの石垣だった=写真=。説明看板を読むと、安土城築城で有名な石垣集団の穴太(あのう)衆が工事に加わっていたという。穴太衆を使って強固な石垣を築こうとした一豊の動機は、戦(いくさ)への備えもさることながら、地震への備えもあったのではないか。

    『秀吉を襲った大地震~地震考古学で戦国史を読む』(寒川旭著、平凡社新書)によると、秀吉の家臣として活躍した一豊は近江長浜城主となり2万石を領した。が、1586年の天正大地震によって城が崩れた。一豊が高知城で没したのは慶長10年9月20日(1605年11月1日)だが、その9ヵ月前の1605年2月3日には南海トラフのプレート境界に起こったM7・9の慶長大地震と津波で、多くの領民が亡くなった。高知城はその時、まだ築城の最中だった。二代目が慶長 16(1611)年に城を完成させた。それ以降、地震が100年から150年ごとに発生しているものの、高知城はなんとか耐えてきた。一豊の2度の被災体験が城造りづくりに活かされたのかもしれない。

   報道によると、政府の中央防災会議の作業部会はきょう(11日)、南海トラフ巨大地震の震源域で前兆と疑われる異常現象が起きた場合の対応方針を巡り、報告書案をまとめた。震源域の半分で地震が起きた場合、被害がない地域の住民も1週間ほど避難する。「起きるかわからない地震に備えた避難」は混乱を引き起こす恐れがあるものの、住民への周知や訓練は不可欠だろう。なにしろ、南海トラフ巨大地震の避難者数は最大950万人と予測されている。

    ことし6月に土木学会が発表した数字を思い起こす。今後30年以内に70-80%の確率で発生するとされる「南海トラフ地震」がM9クラスの巨大地震と想定すると、経済被害額は最悪の場合、20年間で1410兆円(推計)に達すると。倒壊などによる直接被害は169兆5千億円、それに加え、交通インフラが寸断されて工場などが長期間止まり、国民所得が減少する20年間の損害額1240兆円を盛り込んだ数字だ。

    1410兆円という数字を目にした時は数字が「躍っている」との印象だったが、政府が発表した「南海トラフ地震防災対策推進基本計画」(2014年3月28日)に目を通してみる。M9クラスの巨大地震を想定した場合の「減災目標」を「想定される死者数を約33万2千人から今後10年間で概ね3割減少させること、また、物的被害の軽減に関し、想定される建築物の全壊棟数を約250万棟から今後10年間で概ね5割減少させる」と掲げている。いま、南海トラフ巨大地震が起きれば最悪30万人余りの命が失われるのだ。数字の羅列になってしまった。

⇒11日(火)夜・金沢の天気     あめ

★続・「どぶろく」携え「あえのこと」へ

★続・「どぶろく」携え「あえのこと」へ

   ユネスコの無形文化遺産で単独に登録されている農耕儀礼「あえのこと」は能登半島の中でも奥能登と呼ばれる輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の地域に伝承されている。「あえ」はご馳走でもてなすこと、「こと」は儀式や祭りを意味する。

   田の神は各農家の田んぼに宿る神であり、それぞれの農家によって田の神さまにまつわる言い伝えが異なる。共通しているのが、目が不自由なことだ。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったと諸説ある。目が不自由であるがゆえに、それぞれの農家の人たちはその障害に配慮して接する。座敷に案内する際に階段の上り下りの介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。もてなしを演じる家の主(あるじ)たちは、自らが目を不自由だと想定しどうすれば田の神さまに満足していただけるのかと心得ている。

   あえのことを見ていると「ユニバーサルサービス(Universal Service)」という言葉を連想する。社会的に弱者とされる障害者や高齢者に対して、健常者のちょっとした気遣いと行動で、障害者と共生する公共空間が創られる。「能登はやさしや土までも」と江戸時代の文献にも出てくる言葉がある。初めて能登を訪れた旅の人(遠来者)の印象としてよく紹介される言葉だ。地理感覚、気候に対する備え、独特の風土であるがゆえの感覚の違いなど遠来者はさまざまハンディを背負って能登にやってくる。それに対し、能登人は丁寧に対応してくれる。それが「能登はやさしや」という意味合いだろうと解釈している。能登人のその所作のルーツはあえのことではないだろうか、と推察している。

   初日にどぶろくを頂いて、「あえのこと」スタディツアーは5日、輪島市の民家を訪ね、農耕儀礼を見学させていただいた。午前9時、どぶろく(1升瓶)を託されたドイツからの男子留学生は家の主に「天日陰比咩神社からの預かりものです。田の神さまにお供えください」と手渡した=写真・上=。主人は甘酒も用意していたが、別御膳で神酒用の銚子と徳利で供えてくれた=写真・中=。「大役」を果たした留学生はあえのことを見終えて、「神様に拝むことはあるが、自宅に招き入れるという神事はとても新鮮に感じた。まさに、もてなしの心だと思いました。田の神がどぶろくを堪能してくれていると想像するとうれしい」とメディアのインタビュー取材に答えていた。

    どぶろくはもう1本預かっていた。それを能登町の合鹿庵で執り行われたあえのこと行事にお供えした=写真・下=。どぶろくを携えたスタディツアーは滞りなく終了した。チェコからの女子留学生は「チェコでガイドブックを手にした際に能登のことを知り、あえのこと神事に興味を抱いた。最初に訪れた(天日陰比咩)神社の雰囲気を感じたときに、日本人と自然の近い関係性を感じた。大切な習慣、考え、儀式はこれからも日本で残されていってほしい。チェコではこうした儀式や伝統文化ははなくなりつつある」とチェコの現状にも触れた。中国からの男子留学生は「自分は中国の少数民族(チワン族)出身で、田の神は祭られている。しかし、能登のように田の神の存在はそれほど大きなものではない。今回のツアーを通して、人として自然への尊敬を持たなくてはならないと感じた」と感想を語った。

   「どぶろくが119年ぶりに飲めてよかった。来年も来てくれよ」。そんな田の神の声を想像しながら、金沢への帰路に就いた。

⇒7日(金)午前・金沢の天気     はれ  

☆「どぶろく」携え「あえのこと」へ

☆「どぶろく」携え「あえのこと」へ

  「どぶろく」という酒を初めて飲んだのは2011年10月のことだ。世界遺産の合掌集落で知られる岐阜県白川郷の鳩谷八幡神社のどぶろく祭りに参加し、神社の酒蔵で造られるどぶろくをお神酒としていただいた。蒸した酒米に麹(こうじ)、水を混ぜ、熟成するのを待つ。ろ過はしないため白く濁り、「濁り酒」とも呼ばれる。どぶろくは簡単に造ることはできるが、1899年(明治32年)、自家での醸造酒の製造を禁止した酒税法により一般家庭では法律上造れない。

  白川から6年後、どぶろくを能登で堪能することができた。中能登町の天日陰比咩(あめひかげひめ)神社は毎年12月5日の新嘗祭で同社が造ったどぶろくをお供えし、お下がりを氏子らに振る舞っている。地域の伝統的な神事が広がり、昨年(2017)12月に初めて同社でどぶろく祭が開催された。関西や関東方面からも「どぶろくマニア」が訪れていた。国の「どぶろく特区」の認定を受けた中能登町にどぶろくを造りたいというIターン者が移住してくるようになり、中能登町はどぶろくで盛り上がりを見せている。

  天日陰比咩神社で新嘗祭が行われる12月5日は、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、奥能登の農耕儀礼「あえのこと」が執り行われる日でもある。この日、輪島市など奥能登2市2町で伝統儀礼を引き継ぐ稲作農家の家々では、田の神をお迎えしてご馳走でもてなす日である。神事の新嘗祭は、その年の新米を神に捧げて収穫に感謝し、併せて翌年の豊穣も祈る祭儀。つまり、あえのことは家々で執り行う「農家版新嘗祭」と言ってよい。

   あえのことでは、田の神は目が不自由であると伝承されていて、それぞれの農家は座敷に案内する際に介添えをしたり、供えた料理を一つ一つ口頭で説明する。「もてなし」をする家の主(あるじ)は、自らが目を不自由だと想定し、どうすれば田の神に満足していただけるもてなしができるかと想像を膨らませながら、一人芝居を演じる。

   新聞記者時代に何度かあえのことを取材した。輪島市のある農家の高齢の主のつぶやきを記憶している。「もっとおいしい甘酒を差し上げたいのだが」と。「もっとおいしい甘酒とは何ですか」と主に問うと、今は田の神が大好きとされる「甘酒」を捧げているが、明治ごろまでは各家で造っていたどぶろくを供していたと先祖から聞いたことがある、というのだ。田の神の好物は甘酒ではなくどぶろく、だと。明治の酒税法により家庭での醸造酒造りは禁止、どぶろくの代替えが甘酒になった。時代の流れを容易に察する。「それなら、田の神に本来の好物、どぶろくを捧げよう」と思い立った。

    留学生や学生を連れての「あえのこと」スタディ・ツアー(12月4、5日)に2016年から実施している。3回目となる今回、初日の4日に天日陰比咩神社をコースに組み入れた。ここで禰宜に事情を説明し、新嘗祭用のどぶろく2本を田の神に奉納することを約束にいただいた。この趣旨をよく理解してくれたドイツからの留学生がお神酒どぶろくを禰宜から受け取った=写真=。「どぶろくが119年ぶりに飲める。待っとるぞ」。そんな田の神の声を想像しながら、奥能登へと向かった。

⇒6日(水)朝・金沢の天気   はれ

★ヨーロッパの「アマメハギ」

★ヨーロッパの「アマメハギ」

   けさ(3日)のNHKニュースを見て思わず、能登半島のアマメハギや秋田・男鹿半島のナマハゲはヨーロッパにもあるのだと、そのそっくりな仮面と動作に驚いた。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に日本古来の「来訪神 仮面・仮装の神々(Raiho-shin, ritual visits of deities in masks and costumes)」が登録されることが決まったタイミングでの実にタイムリーなニュースだ。

  ニュースによると、オーストリア北部ホラブルンの伝統行事「クランプス(Krampus)祭」。クランプスはドイツやオーストリアなどヨーロッパの一部の地域で長年継承されている伝統行事。頭に角が生え、毛むくじゃらの姿は荒々しい山羊と悪魔を組み合わせたとされ、アマメハギの仮面とそっくりだ。12月初めの今の時期、子どもたちがいる家庭を回って、親の言うことを聞くよい子にはプレゼントを渡し、悪い子にはお仕置きをするのだという。そこで、ドイツ・ミュヘン市の公式ホームページをのぞくと「Krampus Run around the Munich Christmas Market」とさっそく特集が組まれていた。それほど現地では有名な行事なのだろう。

    面白く感じたのは、幼い子に接するコンセプト、つまり、「親の言うこと聞かない悪い子にはお仕置きをする」という動作だ。言うことを聞かない幼い子にクランプスは「また親の言うことを聞かないのか」と大声で脅す。すると子どもは「聞きます、聞きます」と親の後ろに逃げて隠れる。まるで、能登で演じられるアマメハギと同じ光景だ。毎年、クリスマスの12月初めにさまざまな姿のクランプスが登場し、現地では冬の風物詩として親しまれているようだ。

     逆に、ヨーロッパでクランプスを知る人たちにとっては、アマメハギやナマハゲがユネスコ無形文化遺産に登録されることが決まり、情報として接する機会も今後増え、同じようなことを考えるだろう。「日本の行事と同じだ」と。この際、鬼仮面の相互交流をしてはどうか。幼い子どもたちにとってたまったものではないが。(※上の写真はドイツ・ミュンヘン市のHPより、下の写真は能登町のHPより)

⇒3日(月)朝・金沢の天気  あめ