☆雪すかしとマイクロプラスチック問題

☆雪すかしとマイクロプラスチック問題

     きょう14日、金沢では久しぶりに青空が広がった。日曜日なので青空の下、のんびりとという訳にはいかない。雪すかし、除雪作業が朝から始まる。「おはようございます。よく積もりましたね」とあいさつをしながら玄関先の道路の雪をスコップでかいて敷地の空きスペースに積み上げていく。冬の金沢では日常的な光景なのだが、最近少しわだかまっていることがある。スコップのことだ。

    実は我が家でもそうなのだが、雪をすくう先端のさじ部がプラスチックなど樹脂製のスコップが増えている。昔は鉄製、ひと昔前はアルミ、そして今は樹脂製とスコップが軽量化しているのだ。が、今では全部が樹脂製かというとそうでもない。氷結した路面の雪を砕く場合は、金属製で先が尖っているケンスコ(剣先スコップ)やカクスコ(角スコップ)でないと使えない。きょう朝、近所のみなさんが使っていたスコップを見ると、10本のうち4本は樹脂製ではなかったかと思う。

     わだかまっていると言ったのは、樹脂製のものはすり減りが速いのだ。路面はコンクリートやアスファルトなので、そこをかくとなると樹脂の方が摩耗する。さじ部の先端にアルミなど金属を被せたものが売られてはいるが、きょう見た限りではそれはなかった。何が言いたいのかというと、我々の日常の雪すかしが意識しないうちに「マイクロプラスチック汚染」を増長しているのではないかということだ。

     最近問題視されているマイクロプラスチック汚染は、粉々に砕けたプラスチックが海に漂い、海中の有害物質を濃縮させる。とくに、油に溶けやすいPCB(ポリ塩化ビフェニール)などの有害物質を表面に吸着させる働きを持っているとされる。そのマイクロプラスチックを小魚が体内に取り込み、さらに小魚を食べる魚に有害物質が蓄積される。食物連鎖で有害物質が濃縮されていく。最後に人が魚を獲って食べる。

     マイクロプラスチック問題に関してはまったくの素人だ。ただ、路上の雪すかしをすることで知らず知らずのうちにマイクロプラスチックを製造し、それが側溝を通じて川に流れ、海に出て漂っている。そう考えると、樹脂製のスコップには製造段階でさじ部分の先端に金属を被せるなどの対策が必要なのではないだろうか、と考えてしまう。

⇒14日(日)夜・金沢の天気     はれ

★北陸新幹線は銀世界を快走する

★北陸新幹線は銀世界を快走する

              この冬最強の寒波だそうだ。金沢など北陸では記録的な大雪になっている。きょうから大学入試センター試験が2日間の日程で始まったが、石川県内7つの大学に設けられた11の会場では受験生たちが足元に気にしながら試験会場に向かったことだろう。「滑らないように気をつけて」と。昼のテレビニュースによると、大雪による在来線列車の遅れで受験生4人が時間をずらし、別の部屋で試験を受けるというトラブルがあったが、そのほか目立った問題は起きなかったようだ。

     それにしても「三八(さんぱち)豪雪」(昭和38年、1963年)を思わせる降り方だ。きょう13日の夕方で能登半島の先端・珠洲市で69㌢、金沢で57㌢の積雪となっている。正直、自宅前の「雪すかし」の作業はきりがない。どんどん積もって来る。交通機関にも影響が出ていて、JR北陸線では午後6時現在、特急列車24本と普通列車29本が運休したほか、小松空港発着の便でも合わせて34便が欠航となっている。

     大雪による交通インフラへの影響が出る中、快走しているのが北陸新幹線だ。きのう12日、大雪の中、東京へ日帰り出張に出かけた。出発は午前7時48分の「かがやき」。10分遅れでの出発となったが、長野までは一面の銀世界を行き、大宮では青空だった。北陸新幹線のどこが雪に強いのか。それはJR西日本とJR東日本と共同開発した新型車両「W7系」「E7系」の先頭車両に「スノープラウ」と呼ばれる雪かきが付いているからだ。また、線路脇に積もった雪を掘り下げて除雪できる機能を備えた新型の除雪作業車23両を配備している。

     帰りもほぼ定刻で東京駅から金沢駅に着いた。雪の季節、こんなに頼れる交通機関は他にない。北陸新幹線の価値を見直した。(※写真は、12日午前6時50分に撮影したJR金沢駅前の雪景色)

⇒13日(土)夜・金沢の天気    ゆき              

☆続・冬の電磁パルス攻撃

☆続・冬の電磁パルス攻撃

    放送法施行規則第125、157条では、放送中断が15分以上となった場合には重大な事故として電波監理を管轄する総務省に報告の義務がある。今回の石川テレビと北陸放送の通信障害は10日午後7時ごろから、げさ午前10時ごろまでの応急復旧まで実に15時間におよんだ。

    きょうの地元各紙は今回の雷による放送中断を一面で大きく伝えている。2局が共用している送信鉄塔(160㍍)の高さ130㍍から140㍍の場所で内部のケーブルとアンテナ一部が焦げていた。鉄塔には2系統の配信設備(ケーブル)があり、1系統に問題が生じても、もう1系統を使って放送ができる仕組みになっているが、今回は落雷によって両方とも使用が不能になっていた。きょう午前中、石川テレビは緊急用の仮設アンテナを設置して応急復旧した。しかし、復旧したとは言え、確認のためテレビをつけてみると、画質がザラメ状態で見れたものではなかった=写真・上=。すぐにチャンネルを変えた。

            石川テレビの公式ツイッターでは「【視聴者の皆様へ】この度は、長時間にわたり放送が中断する事態となり、深くお詫び申し上げます。本日の午前10時30分ごろ、仮設アンテナの設置が完了し、地上波放送を再開しましたが、出力の関係で受信環境によっては依然視聴できないことも想定され、完全復旧をめざして全力を挙げております。」と釈明している。

    確かに地元各紙などでは大きく扱われた=写真・下=。問題は視聴者の反応だ。私の仲間内で今回の放送中断のことを話しても、関心度が低い。「そう言えば映ってなかったね」程度なのだ。「あの番組が見れなくて残念」とか「テレビの公共性を考えて、もっとしっかり対応を」などといった声は聞かれなかった。2局同時に放送が15時間も中断したにもかかわらず、である。テレビ局の存在感は一体どこにいってしまったのだろうか。むしろ、放送中断で別の問題が見えてきたようだ。

    それよりも周囲の関心事は今回の大雪だ。上空に強い寒気が来ていて、13日までは降り続くと予報が出ている。一方で、両局は総務省への報告に追われるだろう。また、CMスポンサーに対しどのように弁償するかといった対応もあるはずだ。シンシンと雪は積もっている。焼け焦げたケーブルの復旧作業はこの雪の中、進むのだろうか。他人事ながら、あれやこれやと考えてしまう。

⇒11日(木)夜・金沢の天気      ゆき   

    

     

    

★冬の電磁パルス攻撃

★冬の電磁パルス攻撃

   それにしても冬の雷は怖い。空が光ったとたんにバキバキ、ドンと落ちる。よく聞かされてきたことは、冬の落雷のエネルギーは夏のそれより数百倍も強い。また、雷雲は冬の方が夏より低く、必ずしもタテに落ちるのではなくヨコ、ナナメに落ちるものだ、と。幼いころから雷が落ちる様子を見ているが、「慣れる」ということはない。この歳になっても怖いものだ。

    その雷がテレビ局を襲った。10日午後8時ごろ、帰宅してテレビをつけたが、石川テレビ(フジ系)と北陸放送(TBS系)の2局が映らないのだ。ブラックアウトの状態になってる=写真=。エラー表示が出ていて、「放送が受診できません。リモコンで放送切替や選局を確認ください。またはアンテナの調整・接続を確認ください。雨や雪んどの影響で一時的に受診できない場合もあります」。このエラー表示は、雪が降る日にBS放送が視聴できなくなる場合に表示されることがままある。ただし、地上波では見たことがない。

   この日の夕方から雷音が鳴り響いていたので直感した。「ひょっとして雷の電磁パルスが送信鉄塔を襲ったか」と。理由があった。この2局が同時に映らないということは、2局が共用している金沢市観音町の送信鉄塔に異変が起きたとしか考えられなかったからだ。その異変とはやはり雷だろう。送信鉄塔には避雷針は当然ついているだろうが、冒頭述べたように冬の雷は必ずしも垂直に落ちる訳ではない。ヨコ、ナナメに落ちるケースもある。

   そのことが確認できたのは、北陸放送の公式ツイッターだった。「この度は、送信機器の不具合により長時間にわたり県内の広い範囲で放送が中断する事態となり、誠に申し訳ありません。原因は送信鉄塔への雷の直撃が原因と見られますが、調査しているところです。現在、復旧に向け全力で作業に当たっております。」と伝えている。さらに驚いたのは、金沢市消防局の災害情報(ネット)には「19:36 観音堂町[チ]地内で建物火災が発生しています。」と。落雷で送信鉄塔に火災が発生したとなれば、復旧には当然時間がかかるだろう。

   いまでも断続的に雷が鳴っている。現場検証のため、鉄塔に上れば再度雷による二次災害も出る可能性もある。雷が止むまでは停波が状態が続くのか。まさに、冬の電磁パルス攻撃だ。

⇒10日(水)夜・金沢の天気   ゆき

☆加賀の酔い-下

☆加賀の酔い-下

   その新しく最先端の酒蔵、「農口尚彦研究所」は小松市の里山、観音下(かながそ)にあった。この辺りはかつて石切り場として有名で、点在する跡地はまるでギリシャの神殿のような神々しい造形美を感じさせる。パワースポットを訪れたような少し緊張した面持ちで新築の酒蔵に入った。「農口杜氏さんはいらっしゃいませんか。約束はしてあるのですが」。6日午前10時30分ごろだった。

 「酒蔵の科学者」農口杜氏が小松の里山で現場復帰「世界に通用する酒を」

    酒蔵と別棟の杜氏と蔵人(くらんど)の詰め所に案内された。朝の作業が終わり休憩中だった。「よう来てくださった」。張りのある声だった。昭和7年(1932)12月生まれ、85歳だ。杜氏室に案内され、開口一番に「世界に通じる酒を造りたいと、この歳になって頑張っておるんです」と。いきなりカウンターパンチを食らった気がした。グローバルに通じる日本酒をつくる、と。そこで「世界に通じる日本酒とはどんな酒ですか」と突っ込んだ。「のど越し。のど越しのキレと含み香、果実味がある軽やかな酒。そんな酒は和食はもとより洋食に合う。食中酒やね」。整然とした言葉運びに圧倒された。

     農口氏と最後に会ったのは2015年7月。地元紙で能登杜氏の「四天王」が引退すると大きく扱われていて、能登町のご自宅にお邪魔した。当時82歳で「そろそろ潮時」と普通の高齢者の落ち着いた話しぶりだった。その当時に比べ、きょうは身のこなしの軽やかさ、声のテンションも高い。そこで「なぜ現役復帰の決意を」と尋ねた。「家にいても頭にぽっかりと穴が開いたような状態だった。この歳になると片足を棺桶に突っ込んでいるようなものだから、どうせなら酒蔵に戻ろうと。弥助寿司の森田さんも、陶芸の吉田さん(美統、人間国宝)も同じ歳、皆現役で頑張っておられるからね」。酒造り2季のブランクを経て、建物の設計などにかかわり、満を持して昨年暮れに酒造りの現場に復帰した。

     農口氏と初めて会ったのは2009年。金沢大学の共通教育科目「いしかわ新情報書府学」という地域学の講義の非常勤講師として、ひとコマ(90分)能登杜氏の酒造りをテーマに、3年連続で講義をいただいた。必ず自身の日本酒を持参され、講義の終わりには学生にテイスティングしてもらって、学生たちの感想に耳を傾けていた。農口氏自身はまったくの下戸(げこ)で飲めない。その分、飲む人の話をよく聴く。日本酒通だけでなく、女性や学生からの客観的な評価にも率直に耳を傾けるプロとの印象を持っている。

     もう一つ、農口氏の酒造りの特徴、それは客観的なデータづくりだ。1970年代中ごろからいい酒をコンスタントにつくるには数字になるものはすべて記録しなければならないと考え、酒米の種類、精米歩合、麹の品温、酒米を浸水させた時間、水温などのデータを毎日、几帳面にノートに記している。実験と検証を繰り返す「酒蔵の科学者」の雰囲気がある。「農口尚彦研究所」という会社名もそこが由来だ。分析室に酵母の培養装置があり、麹は色別センターで温度管理しているというから本格的な研究所だ。

     もちろん独りで立ち上げたのではなく、小松の財界人や行政が手厚く支援し、ディレクターとして陶芸家の大樋長左衛門氏らが関わり、知恵とチカラが結集されている。また、地域の人たちの理解を得るため、地元の農家の人たちに酒米「五百万石」を栽培してもらい昨秋は300俵購入した。若手を育てるため全国から蔵人を公募すると20人が応募、8人を採用した。営業基盤を固めてグローバル展開するため、大手酒造メーカーのOBを役員に迎えた。

     初年度は1升瓶(1.8㍑)で8万本の出荷を予定し、昨年12月26日に本醸造無濾過生原酒を初めて発売した。アルコール度数19度。帰りがけに、生原酒を手渡された。「(生原酒は)生きていますから、瓶を振らんとおいてください。なるべく寒いところに置いてくださいよ」と。農口氏の人生の決意の1本、ありがたくいただいた。その後、今夜の宿泊先の片山津温泉に車を走らせた。暖房を切って、瓶を揺らさないようにゆっくり運転で。(写真・上は酒蔵のイメージを脱した農口尚彦研究所の外観=小松市観音下町、写真・下は酵母の培養を確かめる農口杜氏)

⇒6日(土)夜・加賀市の天気    くもり

★加賀の酔い-上

★加賀の酔い-上

   正月三が日は自宅で過ごし、今週末は石川県の加賀温泉めぐりを楽しんでいる。きょう(5日)は小松市の粟津温泉に来ている。泊まった旅館は「法師」。開湯はちょうど1300年前の養老2年(718年)という。一度は泊まってみたかった温泉旅館だった。

       開湯1300年、一度は泊まってみたかった旅館

    旅館の従業員に法師(ほうし)という名前の由来を尋ねると、「それはですね」とちょっと身を乗り出すようにして説明してくれた。加賀地方で霊峰と呼ばれる白山(はくさん)は泰澄大師が荒行を積んだことでも知られる。その泰澄にインスピレーションが働いて粟津の地で村人といっしょに温泉を掘り当てた。そこで、弟子の一人の雅亮法師(がりょうほうし)に命じて湯守りをさせた。それが旅館の始まり、とか。一時期、もっとも古い温泉旅館としてギネスブックにも登録されたこともあるそうだ。

   期待通りだった。部屋の中の内湯は源泉かけ流しで、くつろげる。ちょっと口に含んでみた。ナトリウム硫酸塩泉塩化物泉で無色透明で無臭、味は少ししょっぱいがクセがない。浴感がすこぶるよい。1300年、客が絶えなかった湯治場の歴史を感じさせる。

   庭を歩くとまるで古刹の庭のようだ。苔むしたグランドカバーは見事。シイの巨木、雪吊りがほどこされたアカマツなど庭の老樹は何かを語りかけてくるようだ。築山があり、「心」をかたどった池がある。鶴亀の巨大な石もある。春の桜、夏の清流、秋の紅葉、そして冬景色と庭の四季が凝縮されているようだ。先の従業員氏に再度質問をする。「作庭はどなた」と。「三代将軍・家光公の茶道師範をつとめられました小堀遠州が粟津へお越しの際に法師に滞在され、その折にご指南を受けたと語り継がれております」。大名茶人、小堀遠州がかかわったと伝えられる庭か。2度うなった。

   いっしょに泊まりにきた友人たち3人がそろい、酒宴が始まった。近況を語り合い、議論も交わした。ゆでカニの料理が運ばれてきた。大振りのズワイガニだ。しかし、カニの足の部分しかない。カニには目がないので、部屋にあいさつに来られた若女将に「甲羅の部分はないのですか」とつい言ってしまった。すると、「それはカニの特別料理になりまして、予約のときご注文くだされば対応できましたのに」とさりげなくかわされた。確かにカニは特別料理だ。「なんて食い意地の張った無粋な質問をしてしまったのだろう」と自虐の念に陥ってしまった。

   それにしても、新年から楽しい酒だった。われわれを酔わせた酒は、全国新酒鑑評会で27回の金賞の受賞歴を有する「現代の名工」、85歳にして杜氏に復帰した農口尚彦氏の酒だった。あす6日、農口氏を訪ねることにしている。法師から車で18分ほどだ。湯治と杜氏は近い、ダジャレを言いながら眠りに入った。

⇒5日(金)夜・小松の天気    くもり

☆「2018」を読む-下

☆「2018」を読む-下

   「ことしも自虐ネタできたか」、くすくすと笑いながら読んでしまった。3日付の新聞朝刊を楽しみというほどではないが、少し意識して開いた。期待を裏切らない全面広告だった。「謹んで新年のお詫びを申し上げます。」を最上段に掲げ、以下「『早慶近』じゃなくなったことに関するお詫び」「2018年問題に関するお詫び」「近大マグロに関するお詫び」「インスタ映え広告に関するお詫び」「ド派手な入学式に関するお詫び」などと「お詫び」記事のオンパレード。最下段で「今年も盛大にやらかすんで、先にお詫びしときます。近畿大学」と結んでいる。きょうは同大学の願書受付の開始日でもある。

     自虐ネタの全面広告、「近大」が問うていること

    近畿大学の新年広告について大学の職場で話題になったのは昨年1月のこと。「これは、自虐ネタですよ」。先輩教授が3日付の全国紙の広告を見て笑った。『早慶近』の特大文字とマグロの頭の写真が掲載された全面カラーの広告だった。読者が普通に読めば、「早稲田、慶応、そして近大」。これまでは「早慶上智」だったが、最近は上智にとって代わって近大が早稲田、慶応と並んだ、と言いたいのだろうと解釈した。ところが最後に下段の右隅で「早慶近」の意味を披露している。「みなさまに早々に慶びが近づきますように」。この広告の練り方は深い、と印象に残ったものだ。

    ところが、今年は昨年のネタをさらにこね回し、「『早慶近』じゃなくなったことに関するお詫び」と題して、「早慶近中東立法明上」をキャッチコピ-にしている。「昨年1月3日に掲載した『早慶近』というキャッチコピーの新聞広告によって、『100年早い』とか言われて世間をお騒がせし、っていうか一部炎上したことをお詫び申し上げます」と言い訳しつつ、しっかりと「早慶近」と先頭グループを強調している。「ちなみにこの並び、語呂よくしてみただけで、深い意味はありません。念のため」とあくまでもランキングではなく語呂合わせと言い訳しているが、意図は見え見えだ。ちなみに、近畿大学のランキングはイギリスの教育専門誌「Times Higher Education」が出してる「THE世界大学ランキング」で1000位に入った私立総合大学のことを指す。

    確かに、近畿大学の経営戦略は突出している。少子化で18歳人口が減少する中、近畿大学は2005年に5万人だった入試の志願者総数を2017年には14万人に伸ばし、早稲田大学や明治大学を抜いて4年連続で全国1位となっている。昨年4月には入学定員を920人も増やしている。また、32年間かけてクロマグロの完全養殖に成功し、「近大マグロ」はすでにブロンド化されて寿司屋でもメニューになっている。水産資源の持続可能な保全という意味では国際的にもっと評価されていい。経営面では脂が乗りに乗っている。

    2030年以降の18歳人口は100万人を切る。私学ランキングの旧式なパラダイムは「早慶上智」「関関同立」だったが、それだけはでもう大学としの経営は存続が難しくなることは目に見えている。自虐ネタの全面広告ながら、近畿大学はそのことを問うているに違いない。耳を澄ませば高笑いが聞こえてくるようだ。「早慶上智のみなさん、関関同立のみなさん、あと10年もすればあんたがたの経営はどうなりますやろか。気つけなはれ。オーッホッホッ」

⇒3日(水)午前・金沢の天気   くもりときどきゆき

★「2018」を読む-中

★「2018」を読む-中

    前回(1日付)の続き。昨年12月7日に女性宮司が実弟に刺殺された東京・富岡八幡宮が気になっていた。縁起でもない事件で、元旦の初詣客は激減だろうと。ネットニュースではそうでもないらしい。1日午前0時の直前には参拝客が次々と訪れ、本殿まで行列ができたようだ。事件と神様は別なのかもしれない。

     世相を映す賀状、「戌笑い」で乗り切る

    元日に多くの年賀状をいただいた。旧知の方からや最近懇意にさせていただいている方まで、賀状をいただくとうれしいものだ。礼を失することがないように初めて賀状をいただいた方にはなるべく早く出すように心がけている。それにしても、賀状は世相を反映するものだと感じている。

    「小池にハマって さぁ大変! 化かされた後始末も大変です」と賀状を送ってくれたのは東京に住む出版社の友人。世論調査(12月、産経・FNN合同調査)では、小池東京都知事の支持率が19.0%で過去最低を記録。衆院解散前の9月には66.4%に達していた高支持率はもはや崩れ落ちている。小池氏が国政よりも都知事の仕事を優先すべきなのに、先の総選挙で希望の党を立ち上げ、「排除」発言で墓穴を掘ってしまった。都民とすれば信頼できなくなったのだろう。「夢もチボーもない」(©東京ぽん太)年になりそうです!? と結んでいる。切れ味の鋭いユーモア。

    新聞社の関係者から。「新聞販売、厳しさが増していますが、終わりが迫っているのではなく、未来が始まってると強く思います」と。ネットの時代に既存の新聞・テレビの経営は厳しい。しかし、新聞というメディアはしぶとい、といつも思っている。だてに百年の歴史を背負ってはいない。関東大震災、先の大戦をくぐり抜いたメディアだ。どのような「未来」を描いているのか、今度お会いしたときに尋ねてみたい。

    能登半島は少子高齢化が急激に進んでいる。能登の方から。「百歳を越えた母と 古希に向かう妻 古希を疾うに過ぎた私 計二五〇歳に 近づきつつある老々家族となりました こうなれば三百歳超えをを狙おうかな・・・」。振り向く老犬のイラストが描かれ微笑ましい。気が若い。老を払う。

    昨年還暦の年に心筋梗塞で手術を経験したという知人から。「・・・カテーテル手術の最中に、モニター越しに健気に頑張って拍動する我が心臓君の動きを見て、・・・よくぞ60年も黙って、いい加減な私のために働いてくれたかと。この思いの向きは心配をかけた家族や友人、部下の皆にも同じでした。新しい年は感謝の気持ちを忘れずに、大切に過ごして参りたいと思います」。周囲への感謝の想いが詰まった賀状につい目が潤む。

    漆芸の人間国宝の方からいただた賀状。「『髹漆國技也』 正木直彦先生の揮毫した扁額が輪島塗資料館に掲げられてをります。漆芸に係はる一人一人が肝に銘じて大切にしなければいけない言葉だと思う」。髹漆(きゅうしつ)は漆を素地に塗ること。漆器は「japan」。古来から漆芸はこの国の生きる技だ。しかし、漆器業界は売上高が激減していて離職も相次ぐという。原点を見つめ精進を重ねることで、次なる可能性を見出したいとの決意にも読める。ひたすら漆の仕事に向き合う尊い姿が目に浮かぶ。

    メールで新年の言葉も。学生から「去年は能登ツアーや馬緤のキリコ祭りなど、大変お世話になりました。・・・著書『実装的ブログ論』、拝読させていただきました。雑草と戦うドンキホーテの話が面白かったです」。拙書をさっそく購読。こちらこそ感謝。

    投資家のホームページを読むと今年は「戌(いぬ)笑い」の年に当たり、株価が上昇するようだ。それにあやかって今年は笑いで乗り切りたいものだ。

⇒2日(火)朝・金沢の天気    ゆき

☆「2018」を読む-上

☆「2018」を読む-上

  昨年のニュースは暗いものばかりが目立った。神奈川県座間市の27歳の男が住むアパートで女性8人と男性1人の9人の遺体が見つかった事件(10月31日)など。そしてダメ押しは大阪府寝屋川市の自宅で33歳の娘を自宅プレハブ小屋に17年余りも監禁して死亡させ、遺体を遺棄していた事件(12月23日)だ。なぜこうも殺人事件といった暗いニュースが世の中に蔓延するようになったのか、明るいニュースが見当たらないのか。

     暗いニュースばかり、癒されるニュースはどこにある

    警察庁が平成28年7月にまとめた「犯罪情勢」によると、過去10年の殺人事件の認知件数は平成17年が1338件で以降が減少傾向にあり、同27年は戦後最少の933件だった。件数は戦後最少に減っているのに、マスメディア(新聞やテレビなど)やインターネットでは殺人事件ばかりが目立つ。  

   その原因はニュースの価値基準が最近大きく変化しているからではないかと感じている。ネットでニュースを見るようになり、情報の量が多くなったものの、その情報の価値基準は「事件・事故」が優先されているのではないかと考える。マスメディアでは地域で起きた怨恨による殺人事件などはローカルニュースとして扱われ、よほど社会性がない限り全国ニュースとして取り上げられることはなかった。ところが、ネットだとマスメディアのホームページに上がっているローカルニュースもすぐに拡散してしまう。事件・事故は拡散のスピードが速い。つまり、ネット時代になり、マスメディアのニュースの価値基準は通用しなくなったのだ。

   ところが、心が癒されるニュースというのは地域に住む人たちが情報共有するものである。たとえば、昨日(12月31日)の地方紙を読むと、石川県羽咋市で日中朱鷺保護協会名誉会長の村本義雄さん92歳のもとに中国や佐渡からトキのカレンダーが届いたという記事が掲載されている。この記事を読んで、トキの保護活動を一途に続けてきた人柄が見えて微笑ましいと感じる地域の人は多いと思う。でも、この記事はネットニュースで拡散することはないだろう。長年トキ保護に努力している村本さんという人物はある意味で「地域のアイコン」であり、記事を読んでの微笑ましさは「地域の共有共感」でもある。

   先に述べたように、事件・事故というのはこうした「地域の共有共感」とはまったく無関係に、殺人事件であれば、ローカル、全国を問わずネットを通じて全国に流される。結果として、スマホなどと通して毎日のように多くの殺人事件を目にすることになる。しかし、そのニュースは人々の脳裏からすぐに消えていく。暗いニュースというのは心理的に忘れたいものだ。

   逆に言えば、目にしたくもない殺人事件など暗く過剰な情報をどうしたら避けることができるのだろうか。ネットも新聞もテレビも見なければいい、ただそれだけなのだが、やはり心が癒されるニュースには触れたい。ネット時代で新聞の部数減など経営危機が叫ばれているが、ひょっとして新聞やローカルテレビ局が生き残る可能性はコンテンツ戦略にあるのではないだろうか。

⇒1日(月)朝・金沢の天気     くもり

★2017 ミサ・ソレニムス~6

★2017 ミサ・ソレニムス~6

   ことし1年の裁判の判決で憂いているのがNHK受信料をめぐる判決だ。NHKは「最高裁のお墨付き」をもらって優々と未契約世帯に対し「この紋所が見えぬか」と迫っていくだろう。今月6日、NHK受信料制度が契約の自由を保障する憲法に違反するのかどうかが争われた裁判で、最高裁大法廷は合憲と判断した。

     学生・若者のテレビ離れを加速させる判決ではないのか

   前もって述べておくが、私自身の自宅にはテレビがあり、選挙速報や異常気象、災害、地震の情報など民放では速報できないニュースを、NHKがカバーしていると納得している。その公共性の高さを考えれば、放送法64条にあるテレビが自宅に設置されていれば、受信料契約ならびに支払いは社会的にも認められると考えている。

    判決の内容をよく読むと、NHKが契約を求める裁判を起こし、勝訴すれば、契約が成立し、テレビを設置した時点からの受信料を支払わなければならない。つまり、最高裁が出した答えは「義務」と同じだ。納得いかないのは、その義務を親から仕送りをもらって学んでいる学生たちにも課しているという点なのだ。

   学生たちからこんな話をよく聞く。NHKの契約社員という中年男性がアパ-トに来て、「部屋にテレビがありますか」と聞いてきたのでドアを開けた。「テレビはありません」と返答すると、さらに「それでは、パソコンやスマホのワンセグでテレビが見ることができますか」と聞いてきたので、「それは見ることができます」と返答すると、「それだったらNHKと受信契約を結んでくださいと迫ってきた」と。学生は「スマホでNHKは見ていませんよ」と言うと、契約社員は「ワンセグを見ることができればスマホもテレビと同じで、NHKを見ても見なくても受信契約が必要です」と迫ってきた。学生が「親と相談しますから、帰ってください」と言うと、契約社員は「契約しないと法律違反になりますよ」とニコッと笑ってドアを閉めた。親と相談すると法律違反を犯すくらいなら払いなさいと言われ、仕送りにその分を乗せてもうらことになった。

   学生たちは学ぶために親元を離れているのであって、仕送りをしてもらっている。実質的に「同居」だ。会社で働き自活するために親元を離れる「別居」とまったく状況が異なる。NHKが学生たちをさらに追い込む判決が今月27日にあった。ワンセグ機能付きの携帯電話を持つだけでNHKが受信契約を義務づけるのは不当だとして、東京の区議がNHKに契約の無効確認などを求めた訴訟の判決で、東京地裁はワンセグの携帯電話を持っていれば、契約を結ばなければならないと述べ、区議の請求を棄却した。

   使っても使わなくてもスマホにはワンセグのアプリがついている機種が多い。テレビを視聴しようとスマホを求めた訳でもない。ワンセグをめぐる判決は別れている。2016年8月26日のさいたま地裁判決は「受信契約の義務はない」との判断を、ことし5月25日の水戸地裁では「所有者に支払いの義務がある」と判断している。今回でNHKは2勝1敗とり、「NHK受信料払いは義務です。最高裁が判決を出しました。スマホにワンセグがあれば、それも義務です」と学生たちを追い詰めていくNHK契約社員たちの姿が目に浮かぶ。

   この先どのような現象が起きるのか。学生や若者たちのテレビ離れが加速するということだ。自宅にテレビを置かない、スマホの契約時にアプリからワンセグを外す。壮大なテレビ離れ現象がこの先にある。それを憂いている。

⇒30日(土)夜・金沢の天気    くもり