☆続々々・いま伝えるべきこと、誰が伝えるのか

☆続々々・いま伝えるべきこと、誰が伝えるのか

   前回(18日)のブログを更新した後に、テレビ朝日の報道局長が記者会見を開きし、セクハラ発言を受けたとする女性記者は同社の社員であると発表した。けさの新聞各紙は報じている。女性記者は会社の上司に相談したが、消極的だったという。そこで、女性記者は週刊誌に音声データを提供したと経過説明をしたというのが経緯のようだ。財務事務次官が報道陣に向かって辞任を表明したのが18日午後7時ごろ、テレビ朝日側が記者会見を開いたのは19日午前0時すぎ。この5時間のタイムラグの意味は何だろう。

    一連の報道を注視しているが気になる点がある。音声データを公開している新潮社のニュースサイト「デイリー新潮」でその音声を聞くと事務次官が、女性記者の「森友問題」の取材し対し「胸触っていい」「予算が通ったら浮気するか」「抱きしめていい」などと話す言葉が聞くことができる。気になるのはバックのノイズだ。飲食店での会話だと想像されるが、鉄板の上でステーキを焼くようなカチャカチャという音や、カラオケのような音声も聞こえる。ここから推測すると、複数の店での会話を録音であることが分かる。つまり、公開されている音声は場所が異なるいくつかの会話を切り取って編集されているのだ。テレビ局の記者らしく「セクハラ発言の特集」をつくっていた。

    上記のことを積極的に評価するとすれば、女性記者は事務次官をセクハラ発言に耐えかねて、番組で訴えようと準備していた。そのため、これまでの発言の数々を別途編集していた。そう考えると、女性記者は報道番組で自ら出演して、記者として「#MeToo」、セクハラ告発を事実として訴えよう、と。その女性記者の志(こころざし)に冷や水を浴びせたのは、ほかならぬ職場の上司だった。報じられているテレビ朝日側は会見内容で「放送すると本人が特定され、二次被害がある。報道は難しい」と却下したと述べているが、もし本人が自ら番組に出演して「#MeToo」を訴えたいと提案していたにもかかわらず、却下したとするならば、むしろ問われるべきは報道機関としての対応だろう。

    その報道番組への企画が通らず、女性記者は取材し編集した素材(音声データ)を週刊誌側に提供した。おそらく無念の思いだったろうことは想像に難くない。記者が取材活動で得た素材をまったくの第三者に渡すということはそれ相当の覚悟があってのこと、つまり懲戒免職も覚悟の上ということだ。今回のセクハラ発言の一件、いろいろと考えさせられる。

⇒19日(木)朝・金沢の天気    はれ

★続々・いま伝えるべきこと、誰が伝えるのか

★続々・いま伝えるべきこと、誰が伝えるのか

        では、なぜ、セクハラ発言を受けた女性記者が所属するメディア企業は動かないのか。取材だから、当然勤務時間中でのことだ。そして、会社組織として、財務省事務次官に対してセクハラ発言への抗議を申し込まなかったのだろうか。理解に苦しむ。

   きょう18日のニュースで、麻生財務大臣が、女性記者にセクハラ発言をしていたと週刊誌に報じられた事務次官から辞任の申し出があったと述べたと報じられている。辞任の理由は、このような状況下で次官の職責を果たすことが困難と考えたようだ。次官はきょう財務省内で記者団の取材に応じ、セクハラ発言の事実を否定し、名誉棄損で裁判に訴え争うという。

   裁判となると、当然、セクハラ発言を受けた女性記者に対して、法廷での証言が求められるだろう。顔出しをする必要はないが、記者としてそのセクハラ発言にどう対応したのか聴きたい。もし、出廷しなかった場合、裁判は成立するのだろうか。週刊誌報道は被害者と加害者という構図で構成がされているので、被害者の証言がない場合は事実認定は難しくなるだろう。その場合、週刊誌側に不利になるのではないだろうか。

   女性記者が出廷して証言した場合はどうか。「セクハラ」と感じたと女性記者が証言したとして、なぜ自身の自らのメディアで報じなかったのか問われるだろう。週刊誌に音声データを渡した理由と経緯も問いただされるでのはないだろうか。

   フリージャーナリストの女性が元TBSの記者の男性を、望まない性行為で精神的苦痛を受けたとして民事訴訟で訴えている。報道によると、女性は2015年4月、就職の相談をしようと都内で男性と会食し、その後意識を失ってホテルで望まない性行為をされたと訴えている。この問題が浮き上がった当初はハリウッドで起きた「#MeToo」、セクハラ告発が日本でもムーブメントとして起きたとの新鮮な印象だった。顔をメディアに出しての告発だ。

   警視庁はこの件を男性による準強姦罪の容疑で捜査したが、東京地検は2017年4月、嫌疑不十分で不起訴処分。女性は5月に司法記者クラブで会見し、検察審査会に不服を申し立てたことを公表したが、検察審査会は9月に「不起訴相当」との議決を出した。女性はめげずに民事訴訟で訴えた。2017年10月、日本外国特派員協会での記者会見も行っている。女性は氏名も明かしている。評価はいろいろあるが、戦うジャーナリストの姿がそこにある。   

⇒18日(水)夜・金沢の天気   はれ
  

☆続・いま伝えるべきこと、誰が伝えるのか

☆続・いま伝えるべきこと、誰が伝えるのか

  週刊誌で報道された財務省の福田淳一事務次官による女性記者へのセクハラ発言について、腑に落ちないことがいくつかある。一つには、前回コラムで述べたように、女性記者が福田氏への取材過程でこれはセクハラ発言と受け止めたのであれば、なぜ記者本人が告発しないのだろうか。また、その録音データを週刊誌サイドに渡し、週刊誌での告発としたのだろうか。

   女性記者は上司に報告しなかったのだろうか。その報告を受けて、会社として対応できるのではないか。。たとえば、部長クラスが財務省に出向き、事務次官に「今後言動を慎んでほしい」と申し入れすべきではないか。

  16日財務省が発表した福田氏からの聞き取りの調査が、時事通信Webサイトで掲載されていたので引用する。

【(1)週刊誌報道・音声データにある女性記者とのやりとりの真偽】
  週刊誌報道では、真面目に質問をする「財務省担当の女性記者」に対して私(福田事務次官)が悪ふざけの回答をするやりとりが詳細に記載されているが、私(福田事務次官)は女性記者との間でこのようなやりとりをしたことはない。音声データによればかなりにぎやかな店のようであるが、そのような店で女性記者と会食をした覚えもない。音声データからは、発言の相手がどのような人であるか、本当に女性記者なのかも全く分からない。また、冒頭からの会話の流れがどうだったか、相手の反応がどうだったのかも全く分からない。

【(2)週刊誌報道・音声データにある女性記者の心当たり】
  業務時間終了後、男性・女性を問わず記者と会食に行くことはあるが、そもそも私(福田事務次官)は、女性記者との間で、週刊誌報道で詳細に記載されているようなやりとり(また、音声データおよび女性記者の発言として画面に表示されたテロップで構成されるやりとり)をしたことはなく、心当たりを問われても答えようがない。

  上記の福田氏のコメントを読むと、音声データの内容を完全に否定しているようにも感じる。聴取したのは、麻生財務大臣の指示を受けた矢野大臣官房長。福田氏は今回の週刊誌報道が事実と異なり、名誉毀損で提訴に向けて準備を進めているようだ。

   そして、財務省が異例の対応を記者クラブに対して行っている。以下引用。

本日(4月16日)、財務省の記者クラブ(財政研究会)の加盟各社に対して、各社内の女性記者に以下を周知いただくよう、要請した。【各社内の女性記者への周知を要請した内容】 一 福田事務次官との間で週刊誌報道に示されたようなやりとりをした女性記者の方がいらっしゃれば、調査への協力をお願いしたいこと。 一 協力いただける方の不利益が生じないよう、責任を持って対応させていただくこと。

   要するに、このようなセクハラ被害を受けた女性記者は名乗り出てほしいとメディア各社に要請したのだ。メディア各社から果たして返答はあるのか。なければ、音声データの真贋が問われる。財務省側は先手を打った。

⇒16日(月)夜・金沢の天気    くもり 

   

★いま伝えるべきこと、誰が伝えるのか

★いま伝えるべきこと、誰が伝えるのか

          日本のマスメディアに指摘されている問題点の一つとして、自らに降りかかった問題をその場で質さないことだと思う。その典型的な事例が、最近ニュースで報じられている、財務省の福田淳一事務次官が女性記者にセクハラ発言を繰り返したと週刊誌が報じ、野党が本人を更迭するよう求めている一件だ。

   福田氏が飲食店で30代の女性記者に「胸触っていい」「予算が通ったら浮気するか」「抱きしめていい」などと話したとする音声データを新潮社がニュースサイト「デイリー新潮」で公開した。女性記者は「森友問題」の件を取材したのだが、セクハラ発言でうまくかわされている。「渦中の省」が問題となっている矢先、そのトップの事務次官として脇が甘いと感じるのは当然だが、一方で、セクハラ発言を浴びせられ、まさに「#MeToo」を地で行く状態なのに当事者でもある記者はなぜ記事で暴かないのだろうか。福田氏は記者の身内でもなんでもなく、かばう必要もまったくない。記者はあくまでも取材者としての立場で、自ら体験したことをドキュメントとして記事にすればよいのだ。ここが不可解なのだ。

   ケースは異なるが同様のことを感じた一件がある。2017年7月5日に富山商工会議所で記者会見した、産業用ロボット製造メーカー「不二越」の会長が本社機能を富山市から東京に移すことを発表した。この会見の発言の中で、「(富山生まれは)極力採用しません」「閉鎖的な考えが強いです」と発言した。ところが、そのことが問題発言として記事になったのは1週間たった12日付の地元紙の紙面だった。

   記者会見の場にいた記者たちはなぜ、その場で地域に対する差別的な発言を質し、記事にしなかったのだろうか。取材の録音テープは当然残しているはずだ。なぜ1週間も後に記事になるのか、そのタイムラグは一体どういう経過があったのだろうか。これは想像だが、経済担当の記者はあくまでも経済面を埋める記事を書くことが優先なので、不二越本社の東京移転がメイン。差別的な発言に関しては、後にそのことを経済部の記者から聞いた社会部の記者が「その方がニュースだろう」との思いで記事にしたのではないだろうか。
   
   メディアにおけるジャーナリズムと何か。大学のメディア論の講義でもよく問う。ジャーナリズムは「理念」をさしている。民主的な手続きによって「権力」が成立しても、権力による不正は生じる。不正をただす有権者らの「知る権利」を守る。いま伝えなければならないことを、いま伝える。いま言わなければならないことを、いま言う。それがジャーナリズムだと学生たちに教えている。

   その事実を知った記者自身がジャーナリストとしての自らの感性でセクハラ発言や地域差別的な発言を質して記事にするのが本来の在り様ではないだろうか。

⇒14日(土)夜・金沢の天気    はれ

   

☆「点数主義エリート」の限界か

☆「点数主義エリート」の限界か

    昨日(9日)自家用車の運転中に参院決算委員会の模様をNHKラジオの中継で聞いていた。森友学園への国有地売却問題をめぐり、地中から出たごみの撤去について財務省側が昨年2月に森友学園側へ口裏合わせを求めていたことを理財局長が認め陳謝すると、質問した自民党の議員が「バカか、本当に」と大声を上げた。国会で「バカ」という言葉を実際に聞いたのはこれが初めてではないだろうか。昭和28年(1953年)の衆議院予算委員会で、当時の吉田総理が社会党の議員との質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけで解散にいたった、いわゆる「バカヤロー解散」は日本の政治史に残る。以来「バカ」は国会でタブーになっていたと思っていたのだが、どっこい生きていた。

   議員の「バカ」発言に別の感情を抱いた。「財務官僚にとってはショックな言葉だろう」と。財務省のようなエリート官僚たちは、点数主義の入試を突破して東京大学などに入学、さらに国家公務員試験の合格を目指し黙々と励んできた。断わっておくが点数主義の入試は透明性と公平性がある選抜システムともいえる。それを勝ち抜いてきただけにプライドは人一倍高いだろう。財務省の隠ぺい体質に浴びせられた「バカ」発言で財務官僚たちのプライドはひどく傷ついたのではないか。

    以下は考察だ。点数主義を勝ち抜いてきた人たちの同質性というのは、官僚機構や大企業にある「日本型組織の特性」ではないだろうか。こうした組織中では「空気を読む」「空気を察知する」「忖度する」、そして価値観を統一して突き進む。プロセスでは、異質性や多様性といった価値観が排除される傾向にある。森友学園問題の忖度などは詰まるところは、この日本型組織の特性によるものではないだろうか。

    点数主義によるエリートの選抜は限界に来ているのではないだろうか。アメリカのプリンストン大学の学生らが石川県に滞在して日本語と日本の文化について学ぶ「PII(Princeton in Ishikawa)」プログラムの講義を行ったことがある(2013年6月)。学生はプリンストンやハーバードなど16大学の50人、それに日本人学生65人も加わり、彼らを前に世界農業遺産(GIAHS)の講義(90分)を行った。テーマは「Noto’s Satoyama Satoumi ~Omnibus consideration ~」。

     プリンストンの女子学生から以下の質問があった。輪島の海女漁を持続可能な漁業を説明したことに対して、彼女は「なぜ女性が海に潜り漁をするのか、女性虐待ではないか」と。「いや、海女たちは権利として漁を行っている」と追加説明すると納得した。ハーバードの男子学生は「日本も交渉に参加するTPP(Trans-Pacific Partnership、環太平洋戦略的経済連携協定)では、能登の農林漁業にどのような影響が考えられるのか」と。この質問には以下のように返答した。GIAHSサイトの農業のほとんどは小規模農業、家族経営であり、その意味では生産効率の高いアメリカやオーストラリアの大規模農業とは農業形態がまったく異なる。しかし、GIAHSでは価格競争力ではなく、付加価値の高いブランド農産品を目指していて、たとえば能登の稲作では「能登米」「能登棚田米」としてブランド化を図っている。TPPのような農産品のグローバル取引の到来がむしろGIAHSの評価を押し上げていくのではないだろうか、と。

     日本人学生から質問がなかったことは残念だったが、プリンストンやハーバードの学生たちの数々の質問にはこちらも楽しませてもらった。「面白い質問をする学生たちをそろえている」、そんな印象を持った。実は、プリンストンやハーバードは点数もさることながら、面接を重視する選抜制度を採用している。入試ではエッセイ(作文)、推薦状2通、SAT®(アメリカの全国共通テスト)、そして面接が選抜の要件。とても手の込んだ入試制度だ。少なくとも、点数主義のエリートを育てる土壌ではない。その理念は多様な社会のリーダーを育てるということだ。「新たな知識の扉を開き、その知見を学生と共有し、学生の知性・人間性いずれにおいても最大限の可能性を引き出し、やがて学生をして社会に貢献する」(The Mission of Harvard Collegeより訳)。社会へ貢献は多様だ。だから、多様な人材をそろえる、大学の使命として理にかなっている。

⇒10日(火)朝・金沢の天気    はれ

★漢方薬は消滅するのか

★漢方薬は消滅するのか

   金沢で開催された日本薬学会第138年会に合わせて市民講演会(3月25日)が開かれた。講演会のタイトルが衝撃的だった。「漢方薬 消滅の危機と国産化の試み」。「消滅の危機って、一体なんだ」、そんな思いで出かけた。

   漢方薬に造詣が深いわけでもなんでもない。ただ、漢方薬と言えば、その原料が植物や鉱物など天然物に由来する生薬から構成される医薬品ということぐらいは知っている。知り合いの研究者からはこんな話を聞いた。漢方薬の理論は古代中国の影響を受けていて、その原料の生薬には中国からの輸入品が多く含まれている。中国産は安価で供給量があるため、日本で生産可能な生薬ですら中国産に依存するようになっている。日本の医療に使用される生薬の実に8割は中国産、国産は1割でしかない。輸入が途絶えると日本の漢方薬の7割以上が消滅するとまで言われている。

   本来ならば国産化は急務なのだが、それがなかなか進まない。何がネックになっているのか、それが知りたかった。また、個人的にも若干の興味はあった。私の金沢住まいは旧町名が「地黄煎町(じおうせんまち)」だった。江戸時代から、ここでは漢方薬の地黄を煎じて飴状にして売られていた。飴といっても現代のいわゆる飴ではなく、地黄を圧搾して汁を絞り出し、湯の上で半減するまで煎じ詰める。滓(かす)を絞り去り、さらに水分を蒸発させ堅飴のようにして仕上げる。堅く固まるのでノミで削って食べたと親たちから聞いたことがある。滋養強壮や夏バテに効果があったようだ。ただ、高度成長とともに宅地化が進み、地黄煎町の町名も50年前に変更になった。近所にある「地黄八幡神社」=写真=という社名から当時の地域の生業(なりわい)をしのぶのみだ。

   話を市民講演会に戻す。金沢大学の佐々木陽平准教授(薬学系)は「漢方処方『四物湯(しもつとう)』の原料生薬を石川県で」と題して講演。江戸時代に金沢で薬草栽培が盛んだった事例として、「地黄煎町」を紹介した。しかし、それは過去のことで、4種類の生薬から構成される漢方薬「四物湯」の中で一番自給率が低いのは地黄でわずか0.6%にすぎない。自給率の低さの理由は経済的な問題、つまり、国内産よりも海外産が安価だからだ。。

その背景は製薬会社が儲けに入ってるからという意味合いではない。保険診療制の中では漢方薬原料生薬の薬価(医療品公定価格)が決まっていて、国内の生産コストが薬価を上回る場合だってある。こうなると製薬会社は安価な輸入品に頼らざるを得なくなるのだ。野菜の場合は生産コストに利益を上乗せできるが、薬草の場合は頭が決まっている分、それ相当のコスト削減策を講じなければ栽培経営は難しいようだ。佐々木氏は「この問題を解決するために、生薬に付加価値をつけることや非薬用部として未利用であった部分を有効活用するなど、生産者の採算面を考慮する必要がある」と訴えた。
 
  「身土不二」という言葉がある。その土地で育った人にとって、その土地で生産されたものが最良で、安全、安心という意味合いもある。生薬で身土不二を実現するのはそう簡単ではない。地黄煎町でなぜ地黄が栽培されなくなったのか、考えさせられた。

⇒8日(日)夜・金沢の天気   くもり       

☆「神話の続き」、さらに悩ましく

☆「神話の続き」、さらに悩ましく

     昨年秋に能登半島の尖端、珠洲市で開催された「奥能登国際芸術祭」の会場をめぐり、アーチストたちの鋭い感性に触れた。総合プロデューサーの北川フラム氏は「さいはてのアート」と称したように、半島の尖端で創作された芸術作品群が想像力をかきたてた。その中で「歴史信仰の壮大なパロディ」として脳裏に焼き付いているのが、深澤孝史氏作「神話の続き」=写真=だった。

   能登半島は地理的にロシアや韓国、北朝鮮、中国と近い。古代より海の彼方から漂着するものを神様や不思議な力をもつものとして、「寄(よ)り神」あるいは「漂着神」と崇めた。深沢氏の作品は、日本海に突き出た半島の先端に隣国から大量のゴミが流れ着く現状を「現代の寄り神はゴミの漂着物」と訴え、ゴミを白くペイントして鳥居に似せたオブジェを創り話題となった。「鳥居」に近づき白く塗られたゴミをよく見ると、ハングル文字の入ったポリ容器やペットボトル、漁具が多かった。

     石川県廃棄物対策課の調査(2017年2月27日-3月2日)によると、県内の加賀市から珠洲市までの14の市町の海岸で合計962個のポリタンクが漂着していることが分かった(県庁ニュースリリース文)。ポリタンクは20㍑ほどの液体が入るサイズが主で、そのうちの57%に当たる549個にハングル文字が書かれ、373個は文字不明、27個は英語、10個は中国語、日本語は3個だった。さらに問題なのは、962個のうち37個には残留液があり、中には、殺菌剤や漂白剤などに使われる「過酸化水素」を表す化学式が表記されたものもあった。ここから理解できることは、簡単に言えば朝鮮半島からの海洋不法投棄は深刻だ、ということだ。

     このことが頭にあったので、きょう韓国・中央日報Web版を読んで「さらに深刻になる」と胸騒ぎがした。記事の見出しは「韓国国内で捨てられたペットボトルも処理できないのに…輸入は大きく増える」(4月4日付)。要約すると、中国が今年からプラスチックやビニールなどの廃棄物輸入を禁止し、アメリカや日本など世界の資源ゴミが韓国に集まっているという。韓国の「廃プラスチック類輸出入現況資料」では、ことし1-2月の廃プラスチック輸入量は1万1930㌧で前年同期の輸入量の3.1倍と急増している。韓国ではペットボトルなど圧縮品形態で入ってくる廃棄物に対しては申告だけすれば輸入が可能なのだという。

     なぜ廃プラスチック類などの輸入が急増したのか。国内問題のようだ。記事では「韓国製のペットボトルは色がついており低級品が多く処理費用が多くかかるため資源ごみ加工会社があまり引き取ってくれない」と資源ごみ回収業者のコメントを紹介している。ということは、アメリカや日本などから良質なペットボトルを圧縮品形態で輸入してリサイクル加工することが増えたが、その分、良質でない国内産のペットボトルなどは資源ゴミとして引き取り手がなくなった、ということだ。

    「さらに深刻になる」とはここだ。韓国内で引き取り手がない資源ゴミはこれまで以上に日本海に不法投棄されるのではないか。不法投棄を何とか防げないか。地中海の汚染防止条約であるバルセロナ条約(1976年)が21ヵ国とEUによって結ばれ、地中海の海域が汚染されるのを何とか防いでいる。国連環境計画(UNEP)などに訴求していかなければ、二国間では「日本海」の呼称の問題や「竹島」の領有権問題で解決策が見出せないのではないか。そうこうしている間に、すさまじい量の不法投棄があるのではないか。作品「神話の続き」が投げかけた問題がさらに悩ましく思えてくる。

⇒7日(土)夜・金沢の天気    あめ

★「電波の座」めぐる攻防-下-

★「電波の座」めぐる攻防-下-

  きょう4日付の新聞各紙で、3月末にアメリカのローカルテレビ193局でキャスターたちが一部のメディアが「フェイクニュース」を流していると、暗にCNNやNBCなどの報道の在り方を批判するコメントをニュース番組で放送したとの記事が出ていた。見出しは「米・保守メディア 地方TVに指示」「米巨大メディア 193局を統制」などまるで政治体制が異なる国のメディア支配であるかのような印象だ。

  「フェイクニュース」口撃、コードカッティング・・・アメリカで起きている事  

   もう少し詳しく記事を紹介する。コメントを流した193局はアメリカ南部や中西部にあり、アメリカの大手放送事業者「シンクレア」の傘下にある。日本の新聞各紙が問題としている点は、このコメントそのものがトランプ大統領がCNNなどのメディアをツイッターなどで「口撃」する際によく使う「フェイクニュース」で、シンレクアそのものがトランプ政権寄り。日本では政府の規制改革推進会議で放送法の規制全廃、とくに放送第4条(政治的公平性など)が無くなれば、アメリカの二の舞いになるなるのではないか、と。

       この記事のきっかけになったのはアメリカのニュースサイト「DEADSPIN」がフェイクニュースのコメントを読み上げるキャスターたちの動画を集め公開したことから=写真=。ローカル局がぞれぞれに読み上げるコメントならばそう気にならないが、こうして並べてそれぞれのコメントを聞くとほぼ同じ内容なので、冒頭で述べたような見出しの印象を受ける。まるでプロパガンダのようだ。では、どのようなコメント内容だったのか。DEADSPINではシアトルのテレビ局「KOMO」の2人のキャスターのコメントを紹介している。引用する。

(A) But we’re concerned about the troubling trend of irresponsible, one sided news stories plaguing our country. The sharing of biased and false news has become all too common on social media.(しかし、無責任で一方的なニュースが私たちの国に蔓延し、悩ませています。偏って間違ったニュースが拡散されることは、ソーシャルメディアにおいて当たり前になっています)
(B) More alarming, some media outlets publish these same fake stories… stories that just aren’t true, without checking facts first.(もっと警戒すべきは、こういった虚偽の、真実に反した記事を事実確認もせずに発信する一部のメディアがあるということです)
(A) Unfortunately, some members of the media use their platforms to push their own personal bias and agenda to control ‘exactly what people think’…This is extremely dangerous to a democracy.(不幸にも、一部の報道関係者は世論を操作するため、自らのプラットフォームを使って、個人の偏見や議論を押しつけ、「人々の思考」をコントロールしようとしています。これは民主主義にとって極めて危険です)

  上記のような2人のキャスターのコメントが異なる局でまったく同じ内容で放送された。日本では考えられないことなのだが、アメリカでは歴史と背景がある。かつてアメリカのテレビ局には「The Fairness Doctrine」(フェアネスネドクトリン)、つまり番組における政治的公平が課せられ、連邦通信委員会(FCC)が監督していた。ところが、CATV(ケーブルテレビ)などマルチメディアの広がりで言論の多様性こそが確保されなければならないと世論の流れが変わる。1987年、連邦最高裁は「フェアネス性を義務づけることの方がむしろ言論の自由に反する」と判決、このフェアネスドクトリンは撤廃されたのだ。

  アメリカのテレビ事情はまったく日本と異なる。ABCやNBC、CBS、FOXといった4大ネットワークが多数の系列テレビ局を有し、さらに独立テレビ局などその数は1780局余り。さらにCNNなどのケーブルテレビもある。これに一律に政治的公平性を求めると言論の多様性は失われるというもの理解できる。逆に、フェアネスドクトリンが撤廃されたことで、テレビ局に政治色がつく。たとえば、FOXは共和党系、CNN、NBCは民主党系は典型的だろう。今回のシンクレアも共和党系として知られる。それにしても、なぜ同じコメントを193局のキャスターが読まなければならなかったのか、理解できないが。

  その背景にアメリカTV業界の危機感というものを感じる。最近ではDEADSPINのようなネットメディアがニュースやスポーツ、エンターテイメントを配信する時代となり、テレビ局の存在感が薄れている。「ペイテレビ」と呼ばれる有料のCATVや衛星放送などでは「コードカッティング(Cord Cutting)現象」とも呼ばれる解約が進み経営危機もささやかれる。トランプ色をより鮮明に打ち出すことでスポンサーの獲得を画策したのか、と。

  アメリカではこうしたテレビ業界での危機感を背景に、FCCが中心となってメディア規制の緩和に乗り出している。たとえば新聞とテレビの兼業の容認やテレビ局の合併を制限するルールの見直しなどだ。日本では政府の規制改革推進会議で放送法の規制全廃などが検討されているが、おそらくこうしたアメリカの動きを睨んでのことだろう。放送法第4条の一点集中でこの動きを見ると全体の方向性が把握できなくなる。

  今回のシリーズ「『電波の座』めぐる攻防」では放送法の規制撤廃をめぐる論点やその背景、アメリカの事情などランダムに語った。後日もう少し突っ込んでみたい。

⇒4日(水)夜・金沢の天気   あめ

☆「電波の座」めぐる攻防-中-

☆「電波の座」めぐる攻防-中-

   近い将来、日本の電波をどう割り当てるのか、大きな論点になってくるだろう。民放テレビ局の放送をインターネット化(通信化)、空いた電波帯域を超スマート社会の実現のためのIoT、AI、ビッグデータ、ロボットの事業者に割り当てる、というのが政府の目指す方向性だろう。

 「テレビ局の敵はテレビ局でない」時代、放送の価値をどう見出していくのか

   電波割り合てに関しては、2011年7月に実施された、それまでのアナログ放送から地上デジタル放送の移行時でもあった。地デジ移行により、従来370MHz幅の周波数帯域を使用していた地上テレビ放送の周波数は240MHz帯域となり、3分の2以下に縮小した。空いた周波数帯を、スマートフォンなどの急速な普及でひっ迫していた携帯電話サービス用の周波数帯として割り当てた。政府は「電波は国民の財産である」との言い分で、電波の割り当てや再編には強く出るのだ。

   放送は、放送法第2条により「公衆によつて直接受信されることを目的とする無線通信の送信」と定義されているものの、放送インフラと通信インフラを分ける時代ではなくなっている。インターネット網のブロードバンド化や光ファイバーの広がり、そこそこ品質の高いが画像がネットも見ることができる。インターネットと放送の同時配信だ。先の韓国・平昌冬季オリンピックでは、民放テレビ局のオリンピック公式動画サイト「gorin.jp」で初めて実況付きの同時配信を行っている。放送時間外でもネットで送信され、テレビをネットが補完したカタチだ。

   コンテンツで言えば、テレビ朝日とサイバーエージェントが共同出資したテレビ型動画配信サイト「AbemaTV」(2016年開始)は放送と通信が融合した新たなビジネスモデルではないだろうか。そして、もうテレビ局の敵はテレビ局ではないと感じさせたいのが、女子テニスの大坂なおみ選手がBNPパリバ・オープンでの初優勝(3月18日)だった。この決勝戦をライブ中継したのはテレビ局ではなく、インターネット動画配信サービス「DAZN」だった。さらに、DAZNとJリーグはJ1、J2、J3の全試合の放送権を2017年から10年間2100億円で契約している。テレビ局と動画配信サービスによるコンテンツの争奪戦が始まっている。

   テレビ局と電波を考える際、もう一つの動きに注目したいのが「スマートグリッド(Smart Grid)」だ。送電網と通信網の融合だ。IoT(Internet of Things)の代名詞としても使われ、すべてのものがインターネットとつながる時代を意味する。このときの放送はどうなるのか。

   民間放送連盟は3月15日の記者会見で、政府の動きに対応するように「放送の価値向上に関する検討会」(仮称)を設置したと発表した(民間放送連盟HP)。今後テレビやラジオ放送の価値向上策や未来像を検討するとしている。会見で井上弘会長(TBS名誉会長)は「(政府の)規制改革推進会議の方々には、単なる資本の論理、産業論だけで放送を切り分けてほしくないし、バランスの取れた議論をお願いしたい。私は、放送に比べてネットの世界は発展途上だと思っているので、もう少し時間をかけて推移を見守っていったほうが、国民視聴者にとってより有効な、放送とネットの“棲み分け”というものが成立するのではないかと考えている」と述べた。「放送の価値向上に関する検討会」(仮称)の設立の意義については、「放送が本来持っている強みや特性を踏まえ、新しい時代の放送について考えたい。そのうえで、もうひとつ上の段階へ進んで、より強力な媒体となってほしいと考えている」と。

   放送法の規制を全廃すると、民放は普通のコンテンツ制作会社になってしまうとの懸念はある。では、ネット社会が高度化し、テレビ放送に課していた政治的公平性を撤廃したアメリカの現実はどうか。

⇒1日(日)午前・石川県七尾市の天気   はれ

★「電波の座」めぐる攻防-上-

★「電波の座」めぐる攻防-上-

   おそらくこの記事は共同通信の抜きネタ(スクープ)なのだろう。今月23日付の各紙で「政府 放送規制を全廃方針」の見出しで、政府は政治的公平などを求めた放送法の条文撤廃に加え、放送局への番組基準策定の義務付けなどの規制をほぼ全廃する方針との報道があった。この見出しとリードを読んで、「いよいよ来たか」と直感した。

   電波割り当てをテレビ局からIOT、AI、ロボット事業者へ「Society5.0」シフト

   本文を読んでいく。NHKを除く民間の放送局に放送規制を全廃する狙いが述べられている。規制はたとえば、一企業による多数のマスメディア集中を排除する第2条、政治的な公平を求めた第4条、番組基準の策定を義務付け、教養・報道・娯楽など番組ジャンルの調和を求めた第5条、番組審議会の設置を義務付けた第7条など多岐にわたる。これらの規制を廃する狙いは、「放送という制度を事実上なくし、インターネット通信の規制と一本化して、ネット動画配信サービスなどと民放テレビ局を同列に扱い、新規参入を促す構えだ」と報じている。記事ではさらに突っ込んで、「放送を電波からネットへ転換させ、空いた電波帯域をオークションで別の事業者に割り当てることも検討するという」と。

   放送法の規制全廃に関して作業を行うのは政府の規制改革推進会議。5月ごろにまとめる答申に方針を反映させて、今年秋の臨時国会に関連法案を提出、2020年以降の施行を目指すとしている。冒頭で述べたように共同通信のスクープなのだが、規制改革推進会議のホームページを丹念に読むとその方向性はすでに示されている。

   昨年(2017年)11月29日、総理大臣官邸で第23回規制改革推進会議=写真、総理官邸HPより=があり、農地制度の見直しなどに関する第2次答申を大田弘子議長から答申を受け取った後、安倍総理は次のように述べている。「Society5.0を実現するためには、電波の有効利用が不可欠です。国民の財産である電波の経済的価値を最大限引き出すため、電波割当ての仕組みや料金体系を抜本的に改革することが必要であります。これらは、いずれも待ったなしの改革です」「構造改革こそアベノミクスの生命線であり、今後も力強く規制改革にチャレンジしていく考えであります。委員の皆様には、引き続き、大胆な規制改革に精力的に取り組んでいただくよう、よろしくお願いいたします」(総理官邸HPより)。

   「Society5.0」はすでに語られているように、IOT、AI、ビッグデータ、ロボットなどの革新技術を最大限に活用することによって、暮らしや社会全体が最適化された社会とされる。狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会の次の5番目のステップ「超スマート社会」を表現している。総理の発言をひと言で表現すれば、情報社会でテレビ局に割り当ててきた電波を、超スマート社会の実現のためのIOT、AI、ビッグデータ、ロボットの事業者に割り当てる、ということだ。

   これに対し、現場のテレビ業界は複雑、混乱、不安、可能性などさまざまな思いを抱いていることは想像に難くない。何しろ民放テレビ局には60年余りの歴史があり、「電波の座」をそう簡単に明け渡すわけにはいかないだろう。今月27日のテレビ朝日の定例記者会見で早河洋会長兼CEOは記者から政府の放送事業の見直しの検討について意見を求められ、こう述べている。

   「NHKとの二元体制で戦後の復興期から65年、娯楽や文化といったコンテンツを発信し視聴者にも支持され親しまれてきた。報道機関としても取材制作体制を整備し、大きな設備投資も行って、各系列間で切磋琢磨してきた。特に災害報道、地震や台風、最近では噴火、豪雪など、ライフラインとして公共的な役割を担ってきたという自負もある」「規制を撤廃するという話があるが、目を背けたくなる過激な暴力や性表現が青少年や子供に直接降りかかってしまう。それから外資規制がなくなれば、外国の資本が放送局を設立して、その国の情報戦略を展開することになると社会不安にもなるし、安全保障の問題も発生する。こうしたことに、いずれも視聴者から強い拒否反応を招くのではないかと思う」(テレビ朝日HP)

   要約すれば、「テレビ事業を甘く見るな、安全保障にだって関わることだ、Society5.0とは次元が違う話なのだ」と早川氏が述べているように私には読める。

⇒31日(土)朝・金沢の天気     はれ