☆「加賀百万石」いつまで通用するか

☆「加賀百万石」いつまで通用するか

   先日、大学の留学生たちと話す機会があった。インドネシアからの女性は流ちょうな日本語で「金沢はストーン(石)の王国なんですね」と。「そうだね、石川県というくらいだからね。確かに石の王国だね」と返事をし、「でも、なんでそんなストーン王国なんて言うのか」と逆に尋ねると、「だって加賀百万石って言うでしょう」と。「ええっ」と一瞬言葉に詰まった。

    留学生は以前、兼六園を散策に行き、そのときインバウンド観光客の団体を案内していた日本人のガイドが「カガ・ワン・ミリオン・ストーンズ」と言っていたのを聞いて、「加賀百万石」のことかとガイドの案内に耳をそばだて納得したようだ。そのとき、ガイドは金沢城の石垣を指さして説明していたので、とても腑に落ちたという。「百万個もの石を使って、お城を造り、そして金沢に用水をはりめぐらせた加賀のお殿様はとても有能な方だったのですね」と留学生。

   「加賀百万石」は土木工事のことだと誤解されていると考え、「石(こく)はストーンではなく、昔はコメ(米)の容量のことを意味していて、180㍑分のコメの容量のことを表現しているので、それは誤解だよ」と説明した。留学生はけげんそうな顔つきで質問してきた。「だって石と漢字で書いてあるでしょう。よく分かりません」と。確かにそうだ。今の日本では「石」を容量として教えてはいない。一石や一升といった、いわゆる尺貫法は戦後の計量法により使われなくなった。今一般で使われているのはせいぜいが土地の広さを表す「坪」ぐらいではないだろうか、あるいは、農家が田んぼの面積を「町(ちょう)」「反(たん)」と使うくらいだ。

    「加賀百万石」と聞くと、日本人は「コメの石高が高い、裕福なお殿様」というイメージがなんとなくわくが、「石」が容量なのか重さなのかを説明できる人がどれだけいるだろうか。ましてや海外の人に「石」はコメの容量を表現するものだと説明しても理解されないだろう。さらに「一石は昔の人が1年間に食べるコメの容量の目安」と説明しても、さらに話がややこしくなるだけだ。

    ところが、石川県や金沢市の観光パンフレットには「加賀百万石の歴史と文化」を強調する内容が多々ある。このキャッチフレーズはインバウンド観光には使えないのではないかと、懸念する。日本人であっても、おそらく次の世代には「加賀百万石」の観光キャッチは通用しなくなるのではないか。

⇒13日(日)夜・金沢の天気     あめ

★勉強になった過剰反応

★勉強になった過剰反応

    けさ(8日)大学当局から教員はじめ、職員に注意喚起のメールが届いた。「【文部科学省・周知】 Twitter利用におけるパスワード変更について(注意喚起)」とある。先月もイギリスのデータ分析企業がフェイスブックのユーザー情報を不正に入手していたことが世界的に問題となって、ついにツイッタ-もかと胸騒ぎを覚えた。メールの内容はこうだ。

                  ◇

  米Twitter社より、利用者のパスワードが米Twitter社のシステムの内部ログに暗号化されないまま保存されていたため、パスワードの変更を求める発表がされましたのでご連絡いたします。ご多忙の折恐縮ですが、情報発信等のため業務上でTwitterを用いている場合には、以下の対策を講じるようお願いいたします。

① Twitterで利用しているパスワードを変更すること。
② Twitterで利用しているパスワードと同じパスワードを使用している他の全てのシステムやサービスのパスワードを変更すること。

また、下記のような対応も、パスワード流出を防ぐ有効な手段となりますので、合わせてご確認よろしくお願い致します。 ■数字やアルファベットを織り交ぜた複雑な文字列など、他人が推測しにくいパスワード設定をする ■ブラウザでTwitterなどのサービスにアクセスする際に、パスワードを覚えさせない設定にする

            ◇

   いきなりツイッターのパスワードを替えろとの指示だ。私はツイッターをやっていなので、その切迫度は分からない。ただ、ツイッターと言えば、トランプ大統領はじめ3億人余りが利用しているSNSだ。大変なことになっているのでないかと思い、ツイッターを楽しんでいる友人に電話で尋ねた。「こんなメールが当局から来たんだけど、ツイッター愛好者は大混乱になっているんじゃないの」と。

          すると友人は「利用者にはもうツイッター社から案内があったよ。利用者が入力したパスワードにはマスク技術で文字が分からないようにしているのに、一部でマスクがかからない状態でパスワードが保管されているのが見つかったそうだ。別に外部にログ自体が流出したわけではない。できれば念のためパスワードの変更をお願いしますという程度の内容だったよ」と平然とした声で。「パスワードが外部に漏れたわけではないし、バグがあったということか」と念のため聞き質すと、「そうだよ。大した話ではないよ。むしろツイッターは親切だなと思うよ。それよりウノちゃんもツイッターやらないか」と友人。

    少々拍子抜けした。確かに大学からのメールをよく読むと、「情報発信等のため業務上でTwitterを用いている場合・・」とある。大学の関係者が個人的に利用しているツイッターのパスワードにまで変更を指示していわけではない。単なる私の過剰反応だったようだ。友人には朝から電話で迷惑だったかもしれないが、とても勉強になった。

⇒8日(火)朝・金沢の天気   くもり
    

☆続・解せないニュース

☆続・解せないニュース

  それにしても、被害者とは示談も成立し、謝罪会見を行い、そして起訴猶予となった。さらに、事務所の社長もお詫びのコメントを出した。あとは本人の再起を期すだけではないのか。ところが、6日付で契約解除、つまり解雇である。一連のニュースをウオッチして、演出されるステージの華やかさとは裏腹に、ジャーニズ事務所の「暗さ」を感じる。

    下された「審判」、自らを啓発するチャンスに
   
 「TOKIO」の公式サイトをのぞいてみると、すでに山口達也の写真やプロフィルは削除されている。事件が発覚して間もなく同サイトを検索したときには、メンバー5人の写真と名前が掲示されていた。どうやら、4人が記者会見した2日に削除されたようだ。その後、6日付で契約解除ということは、勘ぐるに2日の時点ですでに、事務所の役員の腹は「解雇」で決まっていたのかもしれない。

     会見ではリーダーの城島茂が、山口の辞表を預かっていると述べていた。その後、事務所側に辞表が託され、正式に受理されたということだろう。山口は2月に自宅マンションの部屋に女子高生を呼び出し、無理やりキスをするなどのわいせつな行為をしたとして、警視庁から強制わいせつの疑いで書類送検されていた。示談が成立していたので、東京地検は起訴猶予にした。本来ならば、ここからが再起のステップになるのだが、役員は見限ったのだろう。

   彼はこれで社会的には事実上「孤立無援」の状態になった。前回ブログでも述べたが、自ら断酒を宣言し、俗世間とのかかわりを絶ち、ある意味で自己啓発の道を進むべきだと思う。まだ、46歳だ。いっそう海外にボランティアに出かけてはどうだろうか。アフリカの難民キャンプで飢えた子どもたちの医療サポートをする。その現実を目の当たりにすることで、まったく違った世界が見えてくる。それが自己啓発だ。自分を追いつめることではない、自分をまったく違う世界に目覚めさせることだ。

   6日に4人が事務所を通じて、コメントを出している。「自分たちに変えられるものがあるとすれば、それは明日であり、目の前にあることからです。」と。いい言葉だ、いい仲間たちだ。5人が相互に高め合うチャンスになるかもしれない。

⇒7日(月)朝・金沢の天気   あめ

★解せないニュース 2題

★解せないニュース 2題

  このところ解せないニュースを見聞きする。これでよいのか、こんなことがあってよいのか、と。きのう(2日)午後2時からテレビのワイド番組で生中継されていた「TOKIO」メンバーによる記者会見の様子をしばらく見ていたが、何のためにどんな目的の会見なのかコンセプトが理解できなかった。はたして多くのファンは納得したのだろうか。

     「TOKIO」記者会見、アルコール問題の行方は  

  そもそもTOKIOの山口達也が2月に東京の自宅マンションの部屋に、女子高生を呼び出し無理やりキスをするなど、わいせつな行為をしたとして、警視庁から書類送検されたことが明るみに出たのがきっかけ。被害者との示談も成立し、今月1日付で東京地検は起訴猶予としている。所属するジャニーズ事務所は、本人の芸能活動は「無期限の謹慎」としている。

     この事件を突き詰めて考えると、会見でも話が出ていたように山口本人のアルコールによる自己管理のなさ(酒癖の悪さ、あるいは酒乱)がそもそも問題だろう。城島茂は「現場で酒の匂いがするとか、二日酔いで調子悪そうだなということは確かにあった。円滑にロケが進まないようなこともあった」と。さらに、松岡昌宏はこう述べていた。「山口はアルコール依存症なんだと思っていたが、いろいろな病院に診断書を求めても、アルコール依存症というのは出てこない。本人も先の会見でそう言っていた通り、30日の時点での診察の紙には『依存症』とは書かれていない。どこが原因なのかと我々も、もちろん彼もわからない」と。

  察するにアルコールは好きだが、おぼれるタイプではないので依存症ではない。おそらく、酒を一定量飲むと人格が変わるタイプなのだ。普段は真面目だが、凶暴になる「二重人格」タイプもいる。とすれば、TOKIOの仲間たちが山口に促すことは「断酒宣言」しかない。その実践を仲間で見守ることだ。記者会見では「5人で仕事を続けたい。そのために彼には断酒を宣言し実践してもらう。それを見届けて、グループに復帰してもらう」と言い切った方がすっきりした内容になったのではないか。

   「取らぬタヌキ」のノーベル平和賞

  もう一つ、解せないニュース。きょう(3日)のNHKニュースで、史上初となるアメリカと北朝鮮の首脳会談を前に、アメリカの共和党の議員がノーベル平和賞の選考委員会にトランプ大統領を推薦する書簡を送った、と報じらた。先日(4月29日)のニュースでも、ノーベル平和賞について、イギリスの大手ブックメーカーの予想で、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の2人が一番人気となっている、と。

  米朝首脳会談は日時も場所もまだ公表すらされていない。まして核廃棄の道筋(ロードマップ)も具体化していない中でノーベル平和賞が取りざたされるとは、授与者のノルウェー政府も戸惑っているに違いない。さもありなんと、それを報じるメディア側もいかがなものか。

⇒3日(木)午前・金沢の天気   あめ

☆季節は移ろう、庭の花

☆季節は移ろう、庭の花

     庭先を眺めると、いまでも今年2月のあの大雪を思い出す。屋根から落ちてきた雪が軒下いっぱいに積もった。あれから3ヵ月、季節は移ろい自宅の庭は花盛りだ。

     イチリンソウ=写真・上=は「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」と称されるように、早春に芽を出し、白い花をつけ結実させて、初夏には地上からさっと姿を消す。春の一瞬に姿を現わし、可憐な花をつける様子が「春の妖精」の由来ではないだろうか。1本の花茎に一つ花をつけるので「一輪草」の名だが、写真のように一群で植生する。ただ、可憐な姿とは裏腹に、有毒でむやみに摘んだりすると皮膚炎を起こしたり、間違って食べたりすると胃腸炎を引き起こすといわれる。手ごわい植物なのだ。

     タイツリソウ=写真・中=は「鯛釣り草」と書く。面白い名前だ。花が枝にぶら下がった姿が何匹もの鯛が釣り竿にぶら下がった様子に似ていることからその名が付いたようだ。姿だけではなく、花の形も面白く、ピンクのハート形。そのせいか、ネットで検索すると花言葉は「心」に関係するものが多く、「恋心」「従順」「あなたに従います」「冷め始めた恋」「失恋」などいろいろと出てくる。実にイメージを膨らませてくれる。

     大物も咲き始めた。天に向けて咲くオオヤマレンゲ=写真・下=は「ウケザキオオヤマレンゲ(受咲大山蓮華)」との名前がある。花径は12㌢から15㌢あり、甘く芳香性のある白い花だ。私はむしろ「つぼみ」に気品を感じる。「まもなくデビューします」と言わんばかりの凜とした立ち姿は、出番を待つバレリーナのような姿だろうか。

     政治や外交と違って、自然の花を見ながら膨らませるイメージに罪はない。だから、ちょっとした気休めになる。

⇒1日(火)朝・金沢の天気     はれ

★「日朝首脳会談」演出のシナリオ

★「日朝首脳会談」演出のシナリオ

    27日の南北首脳会談について、安倍総理が韓国の文在寅大統領と電話会談し、会談の中で、金正恩朝鮮労働党委員長が、日本との対話の用意があると表明した、とメディア各社が報じている。また、文氏は正恩氏に対し日本人拉致問題を取り上げ、安倍総理の意向を伝えたとも。

    金委員長が安倍総理と首脳会談を行うとなると、また、演出されたシナリオが透けて見えてくる。以下は想像だ。金氏は日朝首脳会談の前に、ある人物を日本に送り込んで、日本のメディアの論調を自らに引き込む。そのカードは寺越武志氏(68歳)ではないだろうか。年老いた母・友枝さん(86歳)に会いに日本に来るという涙を誘うシナリオだ。

   1963年5月、能登半島沖へ漁に出たまま行方不明になり、87年1月に北朝鮮で生存が判明した寺越武志氏。2002年10月、39年ぶりに一時帰国し、故郷の石川の地を踏んだ。その時は朝鮮職業総同盟の訪日団の一員として訪れた。本人はこれまで一貫して「自分は拉致されたのではない。遭難し、北朝鮮の漁船に助けられた」と拉致疑惑を否定してきた。「金英浩」という現地名を持ち、妻と子供3人をもうけているので、拉致疑惑を否定せざるを得なかったのかもしれない。

    演出されたシナリオはたとえばこうだ。北朝鮮側が寺越武志氏の拉致を認め、公式に謝罪する。その他の拉致被害者については調査中だとして、まず、寺越氏を日本に帰国させるのだ。母の友枝さんはこれまで65回も息子に会いに北朝鮮を訪問している。武志氏は「もう母親に辛い思いをさせたくない」とインタビューに応じる。そうすると日本の世論は沸騰する。拉致を認め、帰国させれば、その時点で金氏の一本勝ちだ。このムードで今度は日朝首脳会談に臨む。過去の歴史清算を基盤とした日朝国交正常化を切り出し、賠償金や経済援助の引き出しを狙う。ざっとそんなシナリオではないだろうか。

    もう一つの思惑もあるだろう。北朝鮮の一連の「平和外交」の狙いは、自分たちは世界に「危険な存在」ではないとアピールしながら国連の経済制裁を緩和させることだろう。アメリカのトランプ大統領との米朝首脳会談がそのヤマ場だが、その前にさらなる一手を打つとすれば、上記の「拉致カード」だ。なぜなら、トランプ大統領は安倍総理の意向を受けて、拉致問題を切り出すことは目に見えている。その前に、「トランプさん、拉致問題は解決済みですよ」と機先を制するのだ。

⇒29日(日)夜・金沢の天気    はれ

☆「南北首脳会談」演技は目立ったが

☆「南北首脳会談」演技は目立ったが

    やはり「演技がうまい」と印象だ。きのう27日、板門店で開催された「南北首脳会談」をテレビで視聴して率直に思った。韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が抱擁する場面など。そして、南北軍事境界線の縁石越しに文氏と握手し、金氏が韓国側に一歩踏み出したものの、「私はいつ(北側に)越えられるのか」との文氏の言葉に「ではいま、越えましょうか」と文氏の手を取って2人で北朝鮮側に入った。生中継を意識していると言えばそうのなのだが、サプライズや感動を地で行く演出だった。まだある。金氏の夫人が夕食会に出席し、ファーストレディーを同伴することをあえて演出したカタチだ。テレビの解説では夫人の同伴は知らさせていなかったというが、これも演出か。

   会談の最大の焦点は「非核化」だ。韓国メディアはどう評価しているのか。現地ではさぞ「万歳」と会談を称える論調だろう思いながら、チェックしてみると意外と冷静だ。本日(28日)付「朝鮮日報」webサイトは社説で次のように述べている。以下抜粋。

   「…北朝鮮の核廃棄については本当に深い議論が交わされたのか疑問に感じるほど、合意文書にはわずかな内容しかなかった。本来この会談が開かれた理由はただ1つ、北核廃棄がその目的だったはずだ。誰もがそのように期待した。もしこの問題で進展がなければ、他に何を合意しても何の意味もないからだ。ところが実際の合意文をみると、『非核化』という言葉は仕方なく入れたか、あるいは単なる装飾のように最後の項目にわずか3つの文章しかなく、その量は全体の10分の1にもならなかった。本当に必要なことはよくみえてこないが、それ以外のことばかり派手に書かれた合意文書だといっても過言ではない。…」

    さらに「2005年の9・19共同声明に比べて後退している」とも。9・19共同声明では「北朝鮮は全ての核兵器と現存する核計画の放棄を公約した」と明記されていた。さらに「検証可能な韓半島の非核化」や「検証」についても明記されていた。しかし、実態は、それからわずか1年後、北朝鮮が最初の核実験を強行し、「韓半島に核という暗雲をもたらしたのは周知の事実だ」と懐疑的なのだ。

    となると、はやり注目されるのは6月上旬までに開催されると予告されるアメリカと北朝鮮の「米朝首脳会談」だ。この会談でトランプ大統領が、いわゆる「リビア方式」のようなきっちりとした核廃棄の道筋(ロードマップ)が具体化するかどうかだろう。1)国際原子力機関(IAEA)による査察、2)核兵器・ミサイル装備などの解体、3)申告以外の疑わしい施設の査察、だ。 

    「演技はもういい」。まず、核廃棄のロードマップの合意、そして次に日本人拉致被害者の即時一括帰国だ。日本海側の海岸に今でも次々漂着している北朝鮮の転覆漁船のニュースに接していると、再度言いたくなる。「演技はもういらない」

⇒28日(土)午後・金沢の天気     はれ
  

★「ペンタゴン・ペーパーズ」と報道の自由

★「ペンタゴン・ペーパーズ」と報道の自由

    輪転工場での鉛のにおいが立ち込めるような、見覚えのある懐かしいシーンが随所に出てきて印象に残る映画だった。きょう27日鑑賞した『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(スティーブン・スピルバーグ監督)はエンターテイメントではなく、社会派、そして実録映画なので話の流れが硬い、しかし少し涙がうるんだ。

   映画は1971年の「ワシントン・ポスト」紙の編集現場。今と違って当時はローカル紙だった。映画では、冒頭に述べたように鉛を使った活版印刷の輪転工場の様子や、編集局で作成した原稿や写真を筒に入れて制作現場に送るエアシューターが出てくる。私は1978年入社の元新聞記者なので、その当時の新聞社の現場が映画でリアルに再現されていて、つい身を乗り出してしまった。このワシントン・ポストが社運をかけた取り組んだのが、「アメリカ合衆国のベトナムにおける政策決定の歴史 1945-1967年 」という調査報告書(最高機密文書)を記事として掲載するか、どうかの実録のドラマだった。最高機密文書はペンタゴン・ペーパーズとも呼ばれ、国防長官ロバート・マクナマラが指示してつくらせた歴代大統領トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンのベトナム戦争に関する所感などとまとめた調査報告書だが、歴代の大統領はアメリカの軍事行動について国民に虚偽の報告したとする内容が含まれていた。

    「ニューヨーク・タイムズ」紙が6月13日付でスク-プ記事を出し、それを追いかけるようにワシントン・ポストも最高機密文書を入手する。ただ、タイミングが悪かった。社主で発行人の女性経営者キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)が株式公開に動き出している最中だった。ニューヨーク・タイムズの記事は、6月15日にはニクソン政権によって国家機密文書の情報漏洩であり、国会の安全保障を脅かすとして連邦裁判所に記事の差し止め請求が出され、実際に法的な措置が取られた。

    後追いでペンタゴン・パーパーを入手したワシントン・ポストは6月18日付で記事にするか、しないかと決断に迫られた。ニューヨーク・タイムズと同様に記事が差し止めになれば株式公開、どころか経営が危うくなる。同社の顧問弁護士たちも記事掲載に反対した。そもそも4千ページにも及ぶ最高機密文書を入手からわずか一日で掲載することに、果たして精査された記事と言えるのかといった経営上層部からも懸念が発せられた。編集現場のトップ、ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は抵抗する。「We have to be the check on their power. If we don’t hold them accountable — my god, who will?」(権力を見張らなくてはならない。我々がその任を負わなければ誰がやす?)と。

    最終判断は、社主で発行人のキャサリン・グラハムが下した。「ワシントン・ポストは祖父の新聞だった。そして夫の新聞だった。今は私の新聞」と言い、「私が決める」と掲載を決断する。ニューヨーク・タイムズが差し止め命令を受けた後にペンタゴ・ペーパーズを報道した最初の新聞となった。連邦裁判所はワシントン・ポストに対して政権側の訴えを却下した。さらに、同紙が後追いしたことで、6月30日、最高裁判所はニューヨーク・タイムズの差し止め命令を無効と判断した。ペンタゴ・ペーパーズを公表したことは公益のためにであり、政府に対するメディアの監視は報道の自由にもとづく責務であるとの判決理由だった。

    鑑賞を終えて、ふと思った。ワシントン・ポストの社主で発行人が女性ではなく、男性だったらどう判断しただろうか、と。おそらく「7:3」で掲載却下となっていたのではないか。男性はどうしても経営リスクの回避を優先するのではないか。では、なぜキャサリン・グラハムは掲載を決断したのか。おそらく、女性として、母親として、アメリカの若者たちをこれ以上、戦況が悪化するベトナムに送り込めないとの本能的な思いと、ジャーナリズムの社会的な使命への思いが合致したのかも知れない。

    映画のシーンでも、キャサリン・グラハムが孫たちに寄り添う姿がある。スティーブン・スピルバーグ監督の映画制作の意図はひょっとしてここにあるのか、とも思った。キャサリン・グラハムの判断が、その後にワシントン・ポストを一流紙の座へと押し上げた。

⇒27日(金)夜・金沢の天気 はれ

☆尖った仕事、ニッチトップ企業への眼差し

☆尖った仕事、ニッチトップ企業への眼差し

   金沢大学のキャンパスで学生たちと話していると、学生の風潮が少し変わってきたのではないかと感じることがある。それは「将来は尖った仕事をしたい」とか「公務員や会社員はそのうちAIやロボットに取って替わるので、アート感覚の仕事がしたい」といった主旨の会話で盛り上がること増えた。インターンシップなどでも、独自の技術でグローバル展開する、いわゆる「ニッチトップ企業」への参加希望が目立っている。それまでは、就職難という時代もあり「親を安心させたいので」と上場企業や公務員志向が多かった。過去形ではなく、その志向の学生たちは今でも多いのは事実だが。

   今は売り手市場の時代なので、ある意味で「学生のわがまま」と言ってしまえば、そうなのかもしれないが、学生の志向は確実に「ナンバーワン」から「オンリーワン」へとシフトしているのではないかと直感している。先日も生態系を学ぶ学生と話をしていると具体的な企業名が話題となった。大量に廃棄される残さを乾燥・炭化処理するバイオマス炭化プラントを製造する「明和工業」という金沢市の企業だった。

   学生はその企業のことをよく調べていて、地球環境の改善に貢献することをCSR(企業の社会的責任)ではなく、本業として地球環境の課題解決に取り組む企業の姿にあこがれるというのだ。この企業はもともとは鉄工所からスタートだったが、環境改善に特化した機械装置を開発するため、大学と連携するなど「研究開発型のニッチトップ企業」でもある。学生は「この企業で学んで、自分も起業したい」とさらに自らの将来を見据えていた。

   学生たちは初等教育のころから「点数主義」という計りにかけられ、ひたすらナンバーワンを目指してきた。点数主義を悪く言うつもりはない。ある意味で公正で透明な計りだ。ただ、この計りだと、人間としての多様性を育てることはできないのだ。一方で、「ナンバーワン省庁」とも言える財務省事務方トップを始めとして、いわゆるエリートとして評価を勝ち得てきた人たちの不祥事がさまざま場面で散見される。特にセクハラ、パワハラ、盗撮など。そして、業界ナンバーワン、あるいはトップの企業で相次ぐ組織ぐるみの品質データを書き換え、改ざん問題など。明らかに人として、企業としての在り様が歪んでいる。

   「尖った仕事」「ニッチトップ企業」にあこがれる今の若者たちの風潮はひょっとして、この点数主義に反旗をひるがえしているのではないかと思う。そのきっかけはAI、ロボットの活用時代という「Society 5.0」での価値感の大きな変化なのかもしれない。簡単に言えば、「点数主義の人間のする仕事なんて、そのうちAIやロボットが勝る時代が来る。AIやロボットでは絶対できない、新しい時代の仕事をみつけたい」と。自らの存在価値を確認する時代と言えるかもしれない。

⇒24日(火)夜・金沢の天気    あめ

★取材「する側」と「される側」の論理

★取材「する側」と「される側」の論理

   テレビ朝日の女性記者が上司に財務事務次官のセクハラ発言を番組で取り上げるよう訴えたが却下されたことが一方で問題と指摘されている。朝日新聞(20日付)は社会面で専修大学の山田健太教授(言論法)のコメントとして「社会に根強く残るセクハラを許容する風潮を変える機会を逸し、残念だ。これは報道機関に共通する課題。これを機に各社とも。社内体制と報道姿勢自体を見直すことを願う」と記載している。コメントにある「報道機関に共通する課題」とは何か。これがむしろ大問題なのだ。

   昨年2017年6月、スイス・ジュネーブでの国連人権理事会で、国連の「表現の自由の促進」に関する特別報告者として、カリフォルニア大学教授のデービッド・ケイ氏が指摘した問題の一つが「記者クラブ」だった。ケイ氏は「調査報道を萎縮させる」と指摘した。そもそも記者クラブとは何か。「官公署などで取材する記者間の親睦をはかり、かつ、共同会見などに便利なように組織した団体。また、そのための詰所」(広辞苑)とある。公的機関が報道機関向けに行う発表する場合は通常、記者クラブが主催する記者会見で行い、幹事社が加盟社に記者会見がある旨を連絡する。このシステムについて日本新聞協会は「情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた」「公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務」(同協会2002年見解)など評価している。

    記者クラブ所属の記者は「番記者」と呼ばれ、例えば内閣府に食い込み取材を通じて、親しくなることでネタ(記事)を取る。親しくなりすぎて「シガラミ」が発生することもある。それでもベテランの記者ほど「虎穴に入らずば虎児を得ず」と言う。権力の内部を知るには、権力の内部の人間と意思疎通できる関係性をつくらならなければならない。という意味だ。そこには取材する側とされる側のプロフェッショナルな仕事の論理が成り立っているのだ。

   一方で、ケイ氏が指摘したように、こうした記者クラブの環境のもとでは政府や官公署のストーリーをそのまま発信しがちになり、権力側の圧力を跳ね返せないのではないか、ましてや権力に対し調査報道をする能力にも影響が出る、と。ケイ氏は、記者クラブは「虎穴の入り口」だと日本のメディアに警告を発しているのだと解釈している。

    話は冒頭に戻る。テレビ朝日の女性記者は事務次官のセクハラ発言を告発するため上司に提案したが却下された。おそらく、上司はこれまでテレ朝として築き上げてきた財務省との情報のパイプを壊したくなかったのだ。あるいは財務省記者クラブに加盟している他社に配慮したのではなか、と推察する。いずれにしても「仕事の論理」に「#MeToo」セクハラ告発は相応しくないと判断したのだろう。「君の仕事はセクハラ告発ではない。事務次官からスクープを取ることだよ」と。この状況は何もテレ朝に限ったことではなく「報道機関に共通する課題」だと考察している。

    今後、名誉棄損の裁判が始まるだろう。次官は「セクハラ発言」を否定している。事実認定をすることになる。公表された音声データの本人確認と内容確認。取材の在り様、たとえば飲食費を誰が払ったのか。次官が女性に電話して飲食店に誘ったと報道されているが、取材目的ならば経費は記者が、懇親会ならば次官と記者の折半、次官の接待ならば次官が支払っているだろう。会話のやり取りの意味合いもこうした状況によって違ってくるのではないか。裁判ではセクハラの認定をめぐり厳密な審理が行われる。

⇒20日(金)朝・金沢の天気     はれ