☆世界に拡散する「権力の腐臭」

☆世界に拡散する「権力の腐臭」

     このニュースには驚いた。「なぜ再び」と。日産自動車の前会長、カルロス・ゴーン氏が4日早朝、東京地検特捜部に再逮捕された。本人の姿は隠されていたが、特捜部の車で自宅マンションから連れ出される詳細な映像がテレビで報じられた。この逮捕前にフランスのテレビ局「LCI」がネットを通じてゴーン氏にインタビューした映像が日経新聞Web版に掲載されている。「私は無罪だ」「フランス政府に言いたい。私はフランス人だ。フランス人としての権利を守ること求める」などと語っている。特捜部とゴーン氏側によるメディア戦が繰り広げられている。

   ゴーン氏側のメディア戦の仕掛け人は弘中惇一郎弁護士だろう。メディアを逆手で上手に使う。印象的な事件は、2009年6月に障害者団体向け割引郵便制度悪用事件に絡んで、厚生労働省の課長だった村木厚子氏が大阪地検特捜部に逮捕された事件。同年11月に保釈請求が認められ、村木氏が保釈後に記者会見した。容疑事実を強く否定し、改めて無罪を主張した。会見で被告に事実関係を語らせることで、被告とメディアとの距離感を近づける。すると、メディアは検察側の捜査手法に目を向け始める。この事件では翌年9月、大阪地裁は村木氏に無罪の判決。その後、主任検事が証拠物件のフロッピーディスクの内容を改ざんしたことがメディアによって発覚する。

   ゴーン氏は記者会見を予定していた。今月3日に開設したツイッターで「I’m getting ready to tell the truth about what’s happening.  Press conference on Thursday, April 11.」(何が起きているのか真実をお話しする準備をしています。 4月11日木曜日に記者会見をします)と述べている。うがった見方だが、記者会見となれば状況が一変するかもしれない。東京地検特捜部への捜査手法にメディアの目が向きだすと収拾がつかなくなる。村木厚子氏の事例のように。「弘中メディア戦略」を警戒したのか。逮捕はツイッターの翌日の4日早朝なのでタイミングが合い過ぎる。

  ゴーン氏の逮捕は、有価証券報告書に自身の役員報酬の一部を記載しなかったとして金融商品取引法違反で2回。さらに、日産に私的な投資で生じた損失を付け替えたとする特別背任で3回目の逮捕。今回4度目の逮捕容疑は、ゴーン氏が中東オマーンの販売代理店に日産資金17億円を支出し、うち5億6300万円をペーパーカンパニーを通じてキックバックさせて日産に損害を与えた会社法違反(特別背任)だ。このオマーンの販売代理店を経由した資金のキックバックは、フランスのルノーでも疑惑が浮上している。会社組織の権力者による不透明な巨額資金の流れが世界に拡散している。

  「Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.(権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する)」。イギリスの歴史家、ジョン・アクトン(1834-1902)はケンブリッジ大学で近代史を教え、フランス革命を批判した。ゴーン氏をナポレオン・ボナパルトにたとえると語弊があるかもしれないが、栄華の極みの最終章には没落がある。今回の事件に「権力の腐臭」を感じる。

⇒5日(金)夜・金沢の天気    くもり

★新元号、海外では理解されるのか

★新元号、海外では理解されるのか

   けさ3日の各紙は共同通信が1日と2日に実施した緊急世論調査(電話)の結果を報じている。新元号については73%が「好感が持てる」と答え、「好感が持てない」は15%だった。好感が持てると答えた理由は「新時代にふさわしい」35%、「耳で聞いて響きがよい」35%、「伝統を感じさせる」28%だった。逆に好感が持てない理由は「使われている漢字がよくない」42%、「耳で聞いて響きがよくない」38%だった。(※写真は総理官邸ホームページより)

   世論調査の結果は、周囲の反応と同じだ。「語感がスマートでいいね」「万葉集からの出典が新しさを感じさせる」という知人が多い中で、「令という文字が命令を連想して気にくわない」と顔をしかめた人もいた。

   1989年1月に小渕官房長官が「平成」を発表したとき、「薄っぺらい文字だ」との印象だった。その後、『史記』にある「内平外成」(内平かに外成る)の言葉を知り、国内が平和であってこそ、他国との関係も成立するという意味だと理解した。軍部の台頭から大戦を招いた昭和の経験を平成の世に活かそうという意義が二文字に込められているとも教えられ、大いに納得したものだ。

   それにしても新元号の発表によって、内閣支持率が前月から9ポイント伸びて52%、不支持率は8ポイント減り32%となった。一過性の数字かもしれないが、それだけ新元号の評価が高かった、ということだろう。

   ところが、海外メディアの反応をリサーチすると、「the new Japanese Era」「REIWA」を伝えているが、全般に「冷たい」との印象だ。イギリス「BBCテレビ」Webニュースでは、Japan has announced that the name of its new imperial era, set to begin on 1 May, will be “Reiwa” – signifying order and harmony.(日本は5月1日に始まる新しい天皇の時代の名称が「レイワ」になると発表、これは秩序と調和を意味する)と、令をorderとあて、淡々と伝えている。

   1日付のアメリカ「ニューヨークタイムズ」には首を傾げた。見出しでJapan’s New Era Gets a Name, but No One Can Agree What It Means日本の新時代の名称は決まったが、誰もそれが意味するものに同意できない)。Agreeは単に「意味が分かりにくい」という解釈かと思ったがそうではなかった。政治的な意味合いだった。

  記事では、Naruhito’s reign will be called Reiwa, a term with multiple meanings, including “order and peace,” “auspicious harmony” and “joyful harmony,” according to scholars quoted in the local news media.(日本の報道によると、ナルヒトの治世は「レイワ」と呼ばれ、「秩序と平和」「縁起の良い調和」「喜びの調和」などさまざまな意味がある)と述べている。

  その後の記事で、Some commentators noted that Mr. Abe’s cabinet, which is right-leaning and has advocated an expanded military role for Japan, chose a name containing a character that can mean “order” or “law”.(一部の評論家は、右寄りの安倍内閣は軍事的役割を拡大することを主張しているが、「秩序」または「法」を意味する文字を含む名前を選んだ、と述べた)と。全体の文脈は、安倍内閣は軍国化を進めるために、 “order” or “law”を意味する「令」という文字を込めており、この政治的に意図された元号に国民は同意していない、となる。

  この記事を読むと、日本人の感覚と随分とずれていると感じる。それでは、同意していない国民の世論の73%が新元号に好感を持つと答えた理由をニューヨークタイムズの記者にぜひ分析してほしいものだ。

⇒3日(水)夜・金沢の天気     くもり

☆平和で一人ひとりが輝く「令和」を願う

☆平和で一人ひとりが輝く「令和」を願う

     「大化」(645年)から248番目の元号が「令和」に決まった。午前11時35分から総理官邸で開かれた会見で、菅官房長官が墨書を掲げて新元号を公表する様子をネットの動画中継を観ていた。なんと平和なことか。昭和、平成、そして令和の時代を生きることは喜びではないかのか、ふと気づかされた。平成の世と同じく、令和も戦争のない平和な時代であってほしいと願うばかりだ。

  令和は万葉集の梅の花の歌三十二首の序文にある『初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす』から引用したもの(菅官房長官の説明)。万葉集は1200年前の奈良時代に編纂された日本最古の歌集である。この万葉集の序文を読み解いてみる。「初春の良い月に さわやかな風が心地よく吹いている 梅の花は鏡の前の白粉(おしろい)のように美しく咲いて」と、ここまでは読める。しかし、「蘭は珮後の香を薫らす」の「珮後(はいご)」の意味がよく分からない。「珮」は腰帯とそれにつりさげた玉・金属などの総称とある(三省堂『大辞林』)。「蘭は腰帯に付けた香りの飾りのように薫っている」という意味だろうか。

  自然と人の営みを美しく表現している歌だと思う。この序文の中の「令」と「和」を取って令和とした。安倍総理は記者会見で、「春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込めて決定した」と述べた。

  知人に「令和」の印象をメールで送った。「この言葉に込められた意義がすこし分かりにくいと感じながらも、語感とするとスマートな感じがします」と。さっそく返信があった。「『令』という字がちょっと冷たい感じがするものの、『和』があることでバランスがとれているかな、というのが最初の印象です。たしかにスマートですね。首相談話を読んで、日本人としての誇り、世界の平和を希求する心が感じられ、心が豊かになるように感じました。そして、この令和の書体が大好きです。平成のときの書体はどうしても好きになれなかったのですが、この書体もあって、個人的な好感度がアップしました。」と。

  厳しい寒さの後に咲き誇る梅の花のように、未来への希望とともに、一人ひとりが輝く国であってほしい。(※写真・上は総理官邸ホームページより)

⇒1日(月)夜・金沢の天気    あめ

★時代を象徴する出来事と元号

★時代を象徴する出来事と元号

   5月1日の新天皇の即位にともなう改元について、政府はあす4月1日午前中に臨時閣議を開き、「平成」に代わる新しい元号を決定し、午前11時半から官房長官が発表するとしている。元号の文字は歴史的な事件や災害などととともに、日本人の頭の中にインプットされている。自らの脳裏に記憶されている元号をこの機会に時系列で整理してみる。

   最初に出てくる元号は「大化」だ。日本史で習う代表的な言葉が「大化の改新」。645年、中大兄皇子らによる天皇を中心とした国づくりが始まった。当時は西暦という概念はなかったので、君主が時間を支配するという中国の思想をそのまま導入した。その中国では清朝時代の終焉(1911年)とともに元号は消滅している。次が「和同」だ。日本に貨幣経済が導入されたことを象徴する「和同開珎」は708年に鋳造された。「天平」もよく耳にした。井上靖の歴史小説『天平の甍』は有名で、遣唐使として大陸に渡った留学僧たちの物語は映画にもなった。「延暦」は比叡山延暦寺から連想する。最澄が延暦7年(788)に比叡山に薬師如来を祀る寺を建てたのが最初とされ、その後、山に建立された数々の寺を総称して延暦寺と呼ぶようになった。

    ところで、政府やメディアは「元号」と称しているが、一般、とくにシニア世代では「年号」が普通ではないだろうか。その由来を探ってみる。明治時代に入り、旧皇室典範で「一世一元」が明文化されたが、昭和の敗戦で、連合国軍総司令部(GHQ)のもとで新皇室典範からは元号の規定はなくなった。つまり、戦後は法的根拠もなく、慣習として昭和という元号を使っていた。ところが、昭和天皇の高齢化とともに、元号について議論され、1979年6月に元号法が成立した。元号は「政令で定める」「皇位の継承があった場合に限り改める」と一世一元が復活した。この時点で、一般的には年号だが、公式には元号が使われるようになった。

    脳裏に残る元号の話を続ける。「延喜」は延喜式内社の言葉が浮かび、神社めぐりによく使う。「応仁」は応仁の乱(1467‐77年)で刻まれる。京都の人が「先の戦(いくさ)」と言う場合は応仁の乱を指すとか。「天正」と「慶長」は寒川旭著『秀吉を襲った大震災~地震考古学で戦国史を読む~』に心象深い。1586年の天正地震。このとき豊臣秀吉は琵琶湖に面する坂本城にいた。当時、琵琶湖のシンボルはナマズで、ナマズが騒ぐと地震が起きるの土地の人たちの話を聞いた秀吉は「鯰(ナマズ)は地震」と頭にインプットしてしまった。その後、伏見城を建造する折、家臣たちに「ふしミ(伏見)のふしん(普請)なまつ(鯰)大事にて候まま、いかにもめんとう(面倒)いたし可申候間・・」と書簡をしたためている。現代語訳では「伏見城の築城工事は地震に備えることが大切で、十分な対策を講じる必要があるから・・・」(『秀吉を襲った大震災』より)と。この話には続きがある。

    1596年に慶長伏見地震があり、このとき秀吉は伏見城にいた。太閤となった秀吉は中国・明からの使節を迎えるため豪華絢爛に伏見城を改装・修築し準備をしていた。その伏見城の天守閣が地震で揺れで落ちた。さらに、建立間もない方広寺の大仏殿は無事だったが、本尊の大仏が大破したことに、秀吉は「国家安泰のために建てたのに、自分の身さえ守れぬのならば民衆は救えない」と怒りを大仏にぶつけ、解体してしまったという話も。さらに、秀吉の「なまつ大事にて候」の一文は時を超えて「安政」の江戸地震(1855年)に伝わる。余震に怯える江戸の民衆は、震災情報を求めて瓦版を買い求めたほか、鯰を諫(いさ)める錦絵=写真=を求めた(『秀吉を襲った大震災』より)。震災後、幕府が鎖国から開国へと政策転換を図るときに起こした「安政の大獄」もこの混乱の時代を象徴する。

   江戸時代の「元禄」(1688‐1704年)は「浮世」と称せられるほど民衆文化が花開く。戦後の高度経済成長時代の天下太平ぶりは「昭和元禄」ともいわれた。時代の様子は元号とともに、その時代を象徴する言葉として我々の脳裏に刻まれている。あす発表される新元号はどのような意味や意義が込められているのか。

⇒31日(日)午後・金沢の天気      あめ後時々ゆき

☆平成最後、不正のウミ出し切る

☆平成最後、不正のウミ出し切る

  大阪大学はきょう29日、大学院高等司法研究科の教授(63歳)が通勤・住居手当や出張旅費を不正請求し、総額9195万円を受け取っていたと発表した。ネットのニュースで報じられていたので、阪大の公式ホームページに入ると詳細な報告が記載されている。

  HPの報告を以下要約する。昨年(平成30年)7 月18 日、大学の監査室に大学院高等司法研究科の教授であり、知的基盤総合センタ ー長の教授が公的研究費の不正使用をしている疑いがあるとの通報があった。通報の内容は2項目あり、1)毎年欧州各国を学生と一緒に旅行(ゼミ旅行)しており、教授は調査・研究の出張として旅費申請しているが、その成果を示す研究実績(論文など)はほとんど存在せず、旅費申請したレンタカー代やガソリン代を学生からも別途徴収しているようである。 2)教授が用務外私用と思われる国内外旅行を旅費申請している。

   大学では通報を受けて、予備的な調査を行い、9月13日に「公的研究費の不正使用にかかわる調査委員会」を設置した。そこで認定された事実が、長期にわたる不正受給だった。教授は平成16 年4 月に阪大に採用された際、「岡山県の市内の借家に居住し、そこから本学へ通勤する」という内容の住居届と通勤届を大学に提出し、現在まで住居手当を毎月2万7000円、通勤手当を6ヵ月ごとに33万 円を受給している。 しかし、住居届の賃貸借契約の証明書と領収書は偽造されたもので、居住と通勤の事実のないことが確認された。これまで大学が支払った通勤手当(平成16 年4 月-31 年3 月分)990万円、住居手当483万円は不正受給と判明した。

   では、実際どこで居住していたのか。教授が提出した旅費請求書類で宿泊地を集計すると、東京での宿泊日数が年間の約半分前後も占めており、生活の本拠(自宅)は東京であるとことが判った。教授本人への聴き取り調査では、平成22 年10 月以降は大学用務(授業、会議)のある平日は学内の宿泊施設に宿泊し、それ以外の日は土・日曜日を含めて東京に旅行して滞在する出張を繰り返していることが判明した。これがさらなる不正の連鎖だった。週末から週初めにかけて東京出張を繰り返し、出張目的はデジタルサイネージ・コンテンツに関する実態調査、それらに関するワーキンググループ、資料収集、中央省庁との打ち合わせと申請していたが、中央省庁との打ち合わせを除けば、調査研究の事実がなく、事実があっても業務としては認められない虚偽の用務だった。旅費の虚偽請求による不正使用は平成21-30年度で604件7522万円にのぼる。

   岡山県に住んでいると届け出、実際には学内宿舎に住み、自宅のある東京には調査研究の出張と称して帰省する。この不正請求は実に計画性を感じる。報道によると、大学側は教授に返還を求めるとともに処分と刑事告訴を検討しているようだ。阪大の西尾章治郎学長は「コンプライアンスの徹底等に取り組んできました。しかしながら、今回このような事案が発生したことを真摯に受け止め、今後とも、不正経理等の根絶に向けて全学をあげて取り組み、信頼回復に鋭意務めてまいります」とのコメントをHPで出している。

   通報があったゼミ旅行だけを調査していたら、「事件」にはならなかったのかもしれない。この報告書を読んで、調査委員会が学内の不正のウミを平成最後の年度末に出し切りたいと議論を重ね奮戦した様子が伝わってきた。(※写真は、大阪大学がHPで公開している調査委員会の報告書をダウンロードしたもの)

⇒29日(金)夜・金沢の天気      くもり

★伊香保の石段、歴史の風景

★伊香保の石段、歴史の風景

   北陸新幹線の金沢開業がこの3月で5年目に入った。新幹線のおかげで北関東や東北が随分と身近になった。きょう高崎駅で途中下車し、伊香保温泉まで足を延ばした。高崎駅から列車で渋川駅へ、駅からはバスで伊香保へ、1時間足らずだった。

   400年余りの歴史がある温泉街、初めて訪ねた。そこは石段の街だった=写真・上=。365段の石段の周囲には歴史の風情を感じさせる温泉地の街並みがあった。土産物店の軒下にポスター写真が貼ってあった。石段を埋め尽くす女性たちの古い写真だ=写真・中=。説明書きに「昭和初期に伊香保温泉に富岡の製糸工場の女工さん達が泊まりに来た記念写真」と。女性たちの表情は笑みを浮かべている。当時はそれほどレジャーがある時代ではない。これは推測だが、「伊香保講(こう)」と称して旅費を毎月積み立て、数年に一度、こうして温泉を楽しみに来ていたのではないだろうか。

   365段を上り切ると伊香保神社がある。温泉の守護神だけに、伝説も豊富だ。幕末、北辰一刀流の千葉周作が額を上州地方で他流試合を行い門弟を増やした。伊香保神社に奉納額を掲げようとすると、地元の馬庭念流の一門がこれを阻止しようとしてにらみ合いになった。千葉周作は掲額を断念したが、この騒動で名を挙げた。その後、江戸に道場を構え、坂本龍馬らが入門している。

   境内に灯籠(とうろう)があった=写真・下=。「伊香保町指定史跡」とあり、由来記にこうあった。天保4年(1833)から明治15年(1882)までの50年間に60回の入湯を果たした人物が記念に建てた。伊香保まので片道60㌔もある道のりを通った、とある。個人の記念碑のようなものなのだが、この人物をネットで検索すると、草津温泉にも40回通って灯籠を建てている。無名ながら、よほどの温泉マニアだったのだろう。

   大正の画家、竹久夢二もこの地を訪れ、女性が黒猫を抱く、代表作『黒船屋』を描いている。さまざま人が行き交い、伊香保の歴史を創ってきた。階段を上り下りしたおかげでスマホの歩数計は8700歩になっていた。

⇒27日(水)夜・金沢の天気     くもり

☆能登学舎までの30年、それからの13年

☆能登学舎までの30年、それからの13年

   能登半島の先端、珠洲市にある金沢大学能登学舎で人材養成プロジェクト「能登里山里海マイスター育成プログラム」の6期生修了生式が今月16日あった=写真・上=。同プロジェクトは2007年に始まった、社会人を対象とした人材養成プロジェクトである。これまで通算10期183人がマイスターの称号を得ている。

   平成18年(2006)に金沢大学が同市に「能登半島 里山里海自然学校」のプロジェクトを持ち込んだことがきっかけだった。珠洲市は半島の先端であり、ここで人材育成を行うことは意義があった。それまで、珠洲市にはおよそ30年にわたって原発というテーマがあった。

   珠洲市では、昭和50年(1975)に北陸電力・中部電力・関西電力のから力会社3社による珠洲原発の計画発表があった。同58年(1983)年12月に同市議会で当時の谷又三郎市長が原発推進を表明した。平成元年(1989)5月に関電が高屋地区での立地可能性調査に着手、建設反対住民が役所で座り込みを始め、40日間続いた。

   平成5年(1993)4月に賛成派と反対派が立候補した珠洲市長選挙で「ナゾの16票」発覚し、無効訴訟へと裁判闘争が始まった。同8年(1996)5月に同市長選挙の無効訴訟で、最高裁が上告を棄却して、原発推進派の林幹人市長の当選無効が確定した。同8年(1996)7月にやり直し選挙で、原発推進派の貝蔵治氏が当選した。同15年(2003)12月、電力3社が珠洲市長に原発計画の凍結を申し入れた。同18年(2006)6月、貝蔵市長が健康上の理由で辞職。選挙では、市民派の泉谷満寿裕氏が自民推薦の前助役を破り初当選を果たした。

   平成18年(2006)に金沢大学が同市に「能登半島 里山里海自然学校」を小学校の廃校舎を借りて始めた=写真・下=。能登の里山里海での生物多様性を研究者と市民がいっしょになって調査する、オープンリサーチの拠点とした。このとき、泉谷市長自らが候補地をいくつか案内するなど熱心な誘致活動があった。同19年(2007)10月に金沢大学が「能登里山マイスター養成プログラム」を始める。同21年(2009)9月、ユネスコ無形文化遺産に「奥能登のあえのこと」が登録された。これがきっかけで、同23年(2011)6月に国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に日本で初めて「能登の里山里海」と「トキと共生する佐渡の里山」が認定された。同30年(2018)6月、珠洲市が内閣府の「SDGs未来都市」に採択された。能登半島に国際評価と国連の目標が定まった。

   予断を挟まず淡々と述べた。原発というテーマがなくなり、そこに里山里海と生物多様性、里山マイスターという人材育成プロジェクットを持ち込んだ能登学舎での13年だった。学舎での取り組みは、全国の大学や産業支援機関でつくる「全国イノベーション推進機構ネットワーク」による表彰事業「イノベーションネットアワード2018」で最高賞の文部科学大臣賞を受賞した。そして、珠洲市は「SDGs未来都市」の2030年の目標達成をめがけて突き進んでいる。その運営母体となる「能登SDGsラボ」の事務局は能登学舎にある。

⇒25日(月)夜・金沢の天気    くもり

★SDGsの「あいうえお」

★SDGsの「あいうえお」

   きょう23日、金沢市文化ホールで国連大学サステイナビリティ高等研究所OUIKが主催するシンポジム「地域の未来をSDGsでカタチにしよう~Localizing SDGs~」が開催された。SDGsは「国連の持続可能な開発目標」なのだが、ゴールは17もあり、これを地域でどう合意を形成して政策として落とし込んでいけばよいのか。人類の難しい課題ではある。

   シンポジウムでは、内閣府の「SDGs未来都市」に選定された自治体が参加してセッション1「地域でのSDGs推進における自治体の役割とは」=写真=、SDGsと地域課題に取り組む会社や団体、大学関係者らが意見を交わすセッション2「SDGsパートナーシップのデザインとは」の 2部構成でパネル討論があった。その中でキーワードがいくつか出た。その一つが「シビックテック」。Civic(市民)とTech(技術)を合わせた造語で、テクノロジーを活用して社会への市民参加を促し、市民自らが地域課題を解決しようとする取り組み。市民参加型で課題の解決法を考え、それをICTで実現する。2014年2月に一般社団法人化して金沢を中心にITエンジニア、デザイナー、プランナーら100人が参画している。

   「グリーンインフラ」はグリーンインフラストラクチャ―(Green Infrastructure)のこと。自然の多様な機能や仕組み活用した社会資本整備や防災、国土管理の概念を指す。昨年、石川県内の4大学の研究者らで「北陸グリーンインフラ研究会」が結成された。モットーは「自然を賢く使う 自然と賢く付き合う」だ。防災と減災、生態系の保全をテーマに、たとえば道路やビル屋上の緑化、遊水機能を備えた公園、河川の多目的利用などの社会インフラの整備を進めることで、従来のインフラの補足手段や代替手段として用いることができる。自然が持つ多様な機能を活用するのは人類の課題でもある。

   閉会のあいさつでOUIKの渡辺綱男所長は「SGDsの5P」と「SDGsのあいうえお」を紹介した。「SGDsの5P」はSDGsを理解する上で世界の共通語でもある。人間(People)、地球(Planet)、繁栄(Prosperity)、平和(Peace)、パートナーシップ( Partnership)。そして、「SDGsのあいうえお」とは。明日のため、今のため、宇宙と暮らしの視点で、笑顔で、多くの人の参加で。実に分かりやすい。

⇒23日(土)夜・金沢の天気      はれ

☆親の体罰と懲戒権、そして善意の通報

☆親の体罰と懲戒権、そして善意の通報

    「三寒四温」とはよく言ったものだ。冬から春への季節の変わり目では気温がめまぐるしく変わる。毛布2枚で就寝する夜もあれば、3枚でも寒い朝がある。だから、この時節は目覚めがよくない。20日付の朝刊を読んで、さらに考え込んでしまった。「親の体罰禁止 閣議決定」というニュースを読んで、だ。親の子への虐待防止のため、罰則規定はないが、しつけでも体罰を禁止するのだ、という。

    さらに詳細に各紙に目を通してみる。改正案されるのは児童虐待防止法と児童福祉法で、親など(親権者)は児童のしつけに際し、体罰を加えてはならない。民法の懲戒権のあり方は、施行後2年をめどに検討する。児童相談所で一時保護など「介入」対応をする職員と、保護者支援をする職員を分ける。ドメスティックバイオレンス(DV)対応機関、たとえば配偶者暴力相談センターや警察などとの連携を強化する。学校、教育委員会、児童福祉施設の職員に守秘義務を課す。これらの改正案は来年4月施行を目指すとしている。

    こうした改正案が出てきた背景は、しつけが転じて虐待になることが問題視されているからだろう。昨年1年間、児童虐待の疑いがあるとして全国の警察が児童相談所に通告した18歳未満の子どもの数が8万人余りで、前年比で1万4600人増と22%も増えて過去最多だという。日本では「しつけ」と虐待の線引きがあいまいであるがゆえに虐待が見逃されケースが多い。子に対する体罰を一切認めない立場に立てば、両者の線引きの問題は生じなくなる。児童虐待を単なる家庭の問題としではなく、社会犯罪と明確に位置付ける必要があるだろう。

    問題は、親の子に対する懲戒権が将来放棄されるのではないかとの懸念だ。懲戒は子の利益(民法第820条)のため、ひいては教育の目的を達成するためのものであるから、その目的のために必要な範囲内でのみ認められている。子が危険にさらされると直感すれば、親は子を叩いてでもそれの行動を阻止するものだ。子ども同士のケンカには親は口出しをしない方がよいが、子ども同士がエスカレートして危害を加えそうになるなどの場合、親は体罰で子を制止するケースもあるだろう。

    懲戒権のあり方は、施行後2年をめどに検討するとしているが、子どもの利益を守るための行動は体罰というより、防衛本能による行動だ。懲戒権のあり方を議論するより、むしろ社会的に必要なのは「善意の通報」ではないだろうか。日本では目の前で親から子へのあからさまな暴力があったとしても、「関知せず」であえて見過ごすケースが多々ある。アメリカでは人権侵害としての児童虐待の観念が徹底しているので第三者が通報する。法律の問題より、むしろ日本の社会性が問われているような気がしてならない。

⇒21日(祝)夜・金沢の天気      くもり

★Society 5.0にどう向き合うか

★Society 5.0にどう向き合うか

      きょう銀行で両替をした。1万円札2枚を千円札の新券20枚に替えてもらった。依頼書に持参現金の内訳、希望の金種内訳、枚数を書き、新券希望の欄を丸印でチェック、住所と氏名を書くだけよい。両替手数料は50枚以下は無料だ。ちなみに51-300枚は324円、301-1000枚は648円、1001枚以上は1000枚ごとに324円の手数料がかかる。「キャッシュレスの時代に両替なんて、なんとアナログなことを」と自虐的な思いでピン札を受け取った。

  家族が習い事をしていて、月謝は新券で持参するものとの流儀があるからだ。月謝のほかに、結婚や出産の祝いなど慶事の熨斗袋にはピン札を入れる。逆に香典や布施など弔事には旧券を入れる。札は単なるキャッシュではなく、習い事や慶弔など札に込められた文化的な意味合いがある。これは日本独自の文化ではないかと考察している。もちろん、プリペイドカードなど電子マネー(前払い)でコンビニで買い物をし、電車やバスに乗車する。クレジットカード(後払い)で家電製品を買ったりもする。電気料金や水道・ガスなどの公共料金などは自動引き落とし。さらに、住宅ローンなどは銀行口座間での送金となっていて、支払い総額は圧倒的にキャッシュレス決済化している。

  それでも、習い事の月謝はピン札、月命日の供養の住職へのお布施は旧券を袋に入れて手渡しだ。では、私自身が習い事の師匠や住職に「来月から振込でお願いします」と言えるかとなると、自身はやはり違和感を感じる。おそらく、師匠や住職は断らないかもしれないが。対面の文化では恩恵の対価をキャッシュレス決済で、とはならないだろう。

   経済産業省の『キャッシュレス・ビジョン』(2018年4月)によると、世界各国のキャッシュレス決済比率では韓国が89.1%でトップ、2位中国、3位カナダと続く。日本は18.4%にとどまる。韓国では、硬貨の発行や流通にコストがかかることから「コインレス」に取り組み、消費者が現金で買い物をした際のつり銭を、直接その人のプリペイドカードに入金する仕組みを国家の政策として進めている。スウェーデンのキャッシュ決済比率も48.6%と高い。この背景に、現金を扱う金融機関や交通機関などで強盗事件がかつて多発したことから、犯罪対策としてキャッシュレス化が推進された(『キャッシュレス・ビジョン』より)。

   貨幣の流通コストや犯罪対策という迫った課題がない日本でなぜキャッシュレス決済が叫ばれるのか。それは、訪日外国人観光客が年間3000万人を超え、国が掲げる「2020年までにインバウンド客4000万人」の達成を見込んでのことだろう。では、日本でキャッシュレス化を進めるメリットはどこにあるのだろうか。プリペイドカードの枚数が増えて混乱するのは消費者の方だ。根深いところでは、自然災害が多発する日本で送電網が絶たれた場合、プリペイドカードやクレジットカード、デビットカードは果たして使えるのか、機能するのか。それより手元に現金があったほうが安心なのではないか、という深層心理が日本人のどこかにある。

   キャッシュレス化はまだ先の話なのか、そういえば、選挙の投票もいまだに投票所での手書きだ。AI、IoT、5Gなど「Society 5.0」の時代に入っている。超スマート社会に日本人はどう向き合えばよいのか。

⇒17日(火)夜・金沢の天気     くもり