★続・「どぶろく」携え「あえのこと」へ

★続・「どぶろく」携え「あえのこと」へ

   ユネスコの無形文化遺産で単独に登録されている農耕儀礼「あえのこと」は能登半島の中でも奥能登と呼ばれる輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の地域に伝承されている。「あえ」はご馳走でもてなすこと、「こと」は儀式や祭りを意味する。

   田の神は各農家の田んぼに宿る神であり、それぞれの農家によって田の神さまにまつわる言い伝えが異なる。共通しているのが、目が不自由なことだ。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったと諸説ある。目が不自由であるがゆえに、それぞれの農家の人たちはその障害に配慮して接する。座敷に案内する際に階段の上り下りの介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。もてなしを演じる家の主(あるじ)たちは、自らが目を不自由だと想定しどうすれば田の神さまに満足していただけるのかと心得ている。

   あえのことを見ていると「ユニバーサルサービス(Universal Service)」という言葉を連想する。社会的に弱者とされる障害者や高齢者に対して、健常者のちょっとした気遣いと行動で、障害者と共生する公共空間が創られる。「能登はやさしや土までも」と江戸時代の文献にも出てくる言葉がある。初めて能登を訪れた旅の人(遠来者)の印象としてよく紹介される言葉だ。地理感覚、気候に対する備え、独特の風土であるがゆえの感覚の違いなど遠来者はさまざまハンディを背負って能登にやってくる。それに対し、能登人は丁寧に対応してくれる。それが「能登はやさしや」という意味合いだろうと解釈している。能登人のその所作のルーツはあえのことではないだろうか、と推察している。

   初日にどぶろくを頂いて、「あえのこと」スタディツアーは5日、輪島市の民家を訪ね、農耕儀礼を見学させていただいた。午前9時、どぶろく(1升瓶)を託されたドイツからの男子留学生は家の主に「天日陰比咩神社からの預かりものです。田の神さまにお供えください」と手渡した=写真・上=。主人は甘酒も用意していたが、別御膳で神酒用の銚子と徳利で供えてくれた=写真・中=。「大役」を果たした留学生はあえのことを見終えて、「神様に拝むことはあるが、自宅に招き入れるという神事はとても新鮮に感じた。まさに、もてなしの心だと思いました。田の神がどぶろくを堪能してくれていると想像するとうれしい」とメディアのインタビュー取材に答えていた。

    どぶろくはもう1本預かっていた。それを能登町の合鹿庵で執り行われたあえのこと行事にお供えした=写真・下=。どぶろくを携えたスタディツアーは滞りなく終了した。チェコからの女子留学生は「チェコでガイドブックを手にした際に能登のことを知り、あえのこと神事に興味を抱いた。最初に訪れた(天日陰比咩)神社の雰囲気を感じたときに、日本人と自然の近い関係性を感じた。大切な習慣、考え、儀式はこれからも日本で残されていってほしい。チェコではこうした儀式や伝統文化ははなくなりつつある」とチェコの現状にも触れた。中国からの男子留学生は「自分は中国の少数民族(チワン族)出身で、田の神は祭られている。しかし、能登のように田の神の存在はそれほど大きなものではない。今回のツアーを通して、人として自然への尊敬を持たなくてはならないと感じた」と感想を語った。

   「どぶろくが119年ぶりに飲めてよかった。来年も来てくれよ」。そんな田の神の声を想像しながら、金沢への帰路に就いた。

⇒7日(金)午前・金沢の天気     はれ  

☆「どぶろく」携え「あえのこと」へ

☆「どぶろく」携え「あえのこと」へ

  「どぶろく」という酒を初めて飲んだのは2011年10月のことだ。世界遺産の合掌集落で知られる岐阜県白川郷の鳩谷八幡神社のどぶろく祭りに参加し、神社の酒蔵で造られるどぶろくをお神酒としていただいた。蒸した酒米に麹(こうじ)、水を混ぜ、熟成するのを待つ。ろ過はしないため白く濁り、「濁り酒」とも呼ばれる。どぶろくは簡単に造ることはできるが、1899年(明治32年)、自家での醸造酒の製造を禁止した酒税法により一般家庭では法律上造れない。

  白川から6年後、どぶろくを能登で堪能することができた。中能登町の天日陰比咩(あめひかげひめ)神社は毎年12月5日の新嘗祭で同社が造ったどぶろくをお供えし、お下がりを氏子らに振る舞っている。地域の伝統的な神事が広がり、昨年(2017)12月に初めて同社でどぶろく祭が開催された。関西や関東方面からも「どぶろくマニア」が訪れていた。国の「どぶろく特区」の認定を受けた中能登町にどぶろくを造りたいというIターン者が移住してくるようになり、中能登町はどぶろくで盛り上がりを見せている。

  天日陰比咩神社で新嘗祭が行われる12月5日は、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、奥能登の農耕儀礼「あえのこと」が執り行われる日でもある。この日、輪島市など奥能登2市2町で伝統儀礼を引き継ぐ稲作農家の家々では、田の神をお迎えしてご馳走でもてなす日である。神事の新嘗祭は、その年の新米を神に捧げて収穫に感謝し、併せて翌年の豊穣も祈る祭儀。つまり、あえのことは家々で執り行う「農家版新嘗祭」と言ってよい。

   あえのことでは、田の神は目が不自由であると伝承されていて、それぞれの農家は座敷に案内する際に介添えをしたり、供えた料理を一つ一つ口頭で説明する。「もてなし」をする家の主(あるじ)は、自らが目を不自由だと想定し、どうすれば田の神に満足していただけるもてなしができるかと想像を膨らませながら、一人芝居を演じる。

   新聞記者時代に何度かあえのことを取材した。輪島市のある農家の高齢の主のつぶやきを記憶している。「もっとおいしい甘酒を差し上げたいのだが」と。「もっとおいしい甘酒とは何ですか」と主に問うと、今は田の神が大好きとされる「甘酒」を捧げているが、明治ごろまでは各家で造っていたどぶろくを供していたと先祖から聞いたことがある、というのだ。田の神の好物は甘酒ではなくどぶろく、だと。明治の酒税法により家庭での醸造酒造りは禁止、どぶろくの代替えが甘酒になった。時代の流れを容易に察する。「それなら、田の神に本来の好物、どぶろくを捧げよう」と思い立った。

    留学生や学生を連れての「あえのこと」スタディ・ツアー(12月4、5日)に2016年から実施している。3回目となる今回、初日の4日に天日陰比咩神社をコースに組み入れた。ここで禰宜に事情を説明し、新嘗祭用のどぶろく2本を田の神に奉納することを約束にいただいた。この趣旨をよく理解してくれたドイツからの留学生がお神酒どぶろくを禰宜から受け取った=写真=。「どぶろくが119年ぶりに飲める。待っとるぞ」。そんな田の神の声を想像しながら、奥能登へと向かった。

⇒6日(水)朝・金沢の天気   はれ

★ヨーロッパの「アマメハギ」

★ヨーロッパの「アマメハギ」

   けさ(3日)のNHKニュースを見て思わず、能登半島のアマメハギや秋田・男鹿半島のナマハゲはヨーロッパにもあるのだと、そのそっくりな仮面と動作に驚いた。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に日本古来の「来訪神 仮面・仮装の神々(Raiho-shin, ritual visits of deities in masks and costumes)」が登録されることが決まったタイミングでの実にタイムリーなニュースだ。

  ニュースによると、オーストリア北部ホラブルンの伝統行事「クランプス(Krampus)祭」。クランプスはドイツやオーストリアなどヨーロッパの一部の地域で長年継承されている伝統行事。頭に角が生え、毛むくじゃらの姿は荒々しい山羊と悪魔を組み合わせたとされ、アマメハギの仮面とそっくりだ。12月初めの今の時期、子どもたちがいる家庭を回って、親の言うことを聞くよい子にはプレゼントを渡し、悪い子にはお仕置きをするのだという。そこで、ドイツ・ミュヘン市の公式ホームページをのぞくと「Krampus Run around the Munich Christmas Market」とさっそく特集が組まれていた。それほど現地では有名な行事なのだろう。

    面白く感じたのは、幼い子に接するコンセプト、つまり、「親の言うこと聞かない悪い子にはお仕置きをする」という動作だ。言うことを聞かない幼い子にクランプスは「また親の言うことを聞かないのか」と大声で脅す。すると子どもは「聞きます、聞きます」と親の後ろに逃げて隠れる。まるで、能登で演じられるアマメハギと同じ光景だ。毎年、クリスマスの12月初めにさまざまな姿のクランプスが登場し、現地では冬の風物詩として親しまれているようだ。

     逆に、ヨーロッパでクランプスを知る人たちにとっては、アマメハギやナマハゲがユネスコ無形文化遺産に登録されることが決まり、情報として接する機会も今後増え、同じようなことを考えるだろう。「日本の行事と同じだ」と。この際、鬼仮面の相互交流をしてはどうか。幼い子どもたちにとってたまったものではないが。(※上の写真はドイツ・ミュンヘン市のHPより、下の写真は能登町のHPより)

⇒3日(月)朝・金沢の天気  あめ

 

☆民俗文化を残す、至難の業

☆民俗文化を残す、至難の業

   審査待ちが長引きようやく決まったという印象だ。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に日本古来の「来訪神 仮面・仮装の神々(Raiho-shin, ritual visits of deities in masks and costumes)」が登録されることが決まった。実際に見て、身近に知る伝統行事でユネスコ無形文化遺産に登録されたのは、奥能登の農耕儀礼「あえのこと」(2009年)、七尾市の青柏祭が「山・鉾・屋台行事」(2016年)、そして輪島市と能登町の「アマメハギ」が今回登録された。3件ともすべて能登半島で連綿と守られ、続いてきた民俗文化なのだ。

    秋田ではナマハゲと称され、能登ではアマメハギと言う。節分にあたる2月3日に能登町秋吉地区で行われるアマメハギは高校生や小中学生の子どもが主役、つまり仮面をかぶった訪問神に扮する。囲炉裏やこたつに長くあたっているとできる「火だこ」のことをアマメと言い、能登では怠け者のしるしとされる。この火だこを「いつまでこたつにあたっているのだ」と剥ぎ取りに来るのがアマメハギである。主役は子どもたちなので驚かす相手は幼児や園児になる。幼児が怖さで泣き叫ぶ、その場を収めるために親がアマメハギにお年玉を渡す。

    この伝統行事は子どもたちへの小遣い渡しの行事でもあった。伝統行事を世話している地域の方からこんな話を聞いたことがある。かつて、アマメハギ行事での子どもたちへの小遣い渡しが教育委員会で問題となり、行事を自粛するよう要請されたこともあったそうだ。このことがきっかけで実際に自粛して、伝統行事が途絶えた地区もあったという。

    地域の民俗文化や伝統行事は社会現象によって衰退するケースが多々ある。そのほかにも、能登では伝統行事の男女平等が問われたことがある。奥能登では夏から秋にかけてキリコ祭りが盛んだが、併せて家々ではヨバレという客に対する「もてなし」がある。その際の祭りのご馳走をゴッツオと呼び、数日前から嫁、姑の女性たちが仕込みに入る。キリコ祭りのゴッツオをつくっている女性たちが祭りを楽しめないのは不平等ではないかとの声が上がり、ヨバレをしない家も増えてきた。このアマメハギでも、幼児を不必要に恐怖に陥れるのは「虐待ではないか」との声がないわけでもない。

    民俗文化や伝統の行事というのはそうした時代の尺度にさらされながら、しぶとく生き残ってきたのだろう。今回のユネスコ無形文化遺産の登録でアマメハギは国際評価を得た。少子高齢化と過疎化で伝統行事の継承そのものもが危ぶまれていたときだけに、何とか踏みとどまるチャンスを得たのではないだろうか。

⇒1日(土)朝・金沢の天気      くもり

★出雲大社と竹内まりや

★出雲大社と竹内まりや

    11月のことを旧暦の月名では神無月(かんなづき)と称する。ここ出雲では神在月(かみありづき)と称することを初めて知った。神無月と神在月は何がどう違うのか。島根県立古代出雲歴史博物館の企画展「神々が集う」のチラシによると、この時季、全国の神々、つまり八百万(やおよろず)の神が出雲に集い、全国各地では神がいなくなるので神無月に。出雲では全国から集うので神在月となるそうだ。さすが出雲は神話のスケール感が違う。

    きのう(24日)高校時代の同級生おっさん3人のドライブ旅は朝に姫路を出発、正午ごろには松江を巡り、夕方に出雲に到着した。松江では島根名物「割子そば」を食した。朱塗りの丸い器が三段重ねになっていて、そばが盛ってある。それに 刻みねぎ、おろし、削り節などの薬味をのせ、つゆをかけて食べる。そのつゆはトロリとした濃いめで、ソースのような。そばと言えば、信州そばなのだが、物知りのおっさんの一人が「出雲のそばは松江藩初代の松平直政(徳川家康の孫)が、信州松本から出雲に国替えになってつくられるようになったそうだ」と教えてくれた。入ったそば屋のパンフにも、直政がそば職人を信州から一緒に連れて来たとも記されていた。出雲そばと信州そばは歴史的なつながりがあるようだ。

    そば屋を出て、国宝の松江城の堀を歩くと、城と堀と松の老木、そして白壁の武家屋敷街が一体となった歴史的な空間が心を和ませてくれる。少し坂を登ると、茶室「明々庵」がある。パンフには、大名茶人として知られた七代の松平治郷(号・不昧=ふまい)が造った。庭を眺めながら、そばの後の一服。不昧公はこう述べたそうだ。「茶をのみて 道具求めて そばを食ひ 庭をつくりて月花を見ん その外望みなし 大笑々々」。至福のひとときは現代でも通じるのでないか。

   話は冒頭の出雲の神の話に戻る。午後4時に出雲大社に到着すると。拝殿では神等去出(からさで)の神事が執り行われていた。出雲大社に集合した八百万の神が今度はそれぞれの国に帰る儀式。大社にある19の社(やしろ)の依代(よりしろ)が絹布で覆われて拝殿に移される=写真・上=。祝詞が奏上され、神官の一人が「お立ち、お立ち」と唱えた。この瞬間に神々は出雲を去った、とされる。まるでデジタルの発想だ。この神事を大勢の参拝客が見守っていた。

   「きょう竹内まりやさんはいらっしゃいますか」と旅館のフロントに尋ねると、「先週は来られたのですが、きょうはいません」と。出雲大社の門前町にある旅館「竹野屋」での会話。同級生おっさん3人は歌手の竹内まりやのフアン。出雲に泊まるのならば当地出身の竹内まりやゆかりの旅館で、となった。フロントでの質問は本人は時折帰省しているとの情報をネットで得ていたため。それにしても、明治初期に造られた老舗旅館は風格あるたたずまい。この家で生まれ、大社の境内で幼少期にはどんな遊びをしたのだろうかなどとおっさんたちの想像は膨らんだ。

   夕食にゆでカニが出た。島根県沖の日本海で取れた由緒正しい「松葉ガニ」かと想像したが、品書きには「ズワイガニ」と記してあった。けさ(25日)の朝食では「しじみ汁」が出されたので、「宍道湖のシジミですか」と問うと、男性の給仕係は「ジンザイコ産です」と。シジミと言えば、宍道湖産ではないのかと一瞬いぶかった。神西湖は大社の西側にある汽水湖で宍道湖よりも近い。竹野屋とすれば、神西湖で採れたシジミが地元産なのだ。カニはおそらく山陰地方の漁港で揚がったものではなかったのだろう。客とすれば「松葉ガニ」「宍道湖のシジミ」を期待するのだが、そうしたブランド物にあえてこだわらない経営方針なのだろう。「愚直」という言葉が脳裏に浮かんだ。温泉地ではない、参拝客が旅装を解く門前通りの旅館なのだ。

   竹内まりやはデビュー40周年だが、テレビメディアにはほとんど露出しない。ミュージシャンとしての人生を愚直に貫いている。その竹内まりやのライブ映像を映画化したシアターライブが今月23日から全国の映画館でロードショーされている=写真・下=。「あの伝説のライブが今、蘇る! お久しぶり、まりや!」がキャッチコピーだ。「神在月」でにぎわう出雲の一日を堪能した。

⇒25日(日)午前・出雲市の天気    くもり

☆白鷺城と姫路おでん

☆白鷺城と姫路おでん

  きのう(23日)姫路市に到着した。夕方ホテルにチェックインしてテレビにスイッチを入れると、大阪の民放はテレビ特番を組んでいた。大阪誘致を目指す2025年国際博覧会(万博)の開催国を決めるBIE(博覧会国際事務局)の総会がパリであり、加盟国による投票の票読みなどが詳しく報じていた。大阪キー局の万博誘致への意気込みが伝わってきた。そして、真夜中に再びスイッチを入れると、日本がロシア(開催地エカテリンブルク)とアゼルバイジャン(開催地バクー)を破り、開催国に選ばれたと大騒ぎになっている。1970年の大阪万博の熱気が再び蘇るのか。今から48年前、南沙織の『17才』の歌に心を動かされた、あの時代でもある。

  まさに大阪万博のときに知り合った高校時代の同級生たちと連休を利用してドライブで姫路に来ている。北陸自動車道から、敦賀ジャクションで舞鶴若狭道へ、吉川ジャンクションから中国道、福崎インタージェンジを降りて、姫路市に到着した。ドライブ中は外の景色の山並みで紅葉が楽しめたが、同じ視界が数時間も続くとさすがに飽きてくる。それでも、山並みを見ると篠山あたりでは、人里と山には鉄線柵が連なっている地域も見えた。イノシシなどの獣害で悩まされている地域なのだと察した。

  姫路と言えば、姫路城。映像などで白壁の美しさと石垣の高さから「白鷺(しらさぎ)城」と呼ばれ、国宝、そして1993年には法隆寺とともにユネスコ世界遺産にも登録されている。姫路城に到着した時刻は午後4時を過ぎていて入場は叶わなかったが、その優雅な外観は堪能できた=写真・上=。残念に思ったことが一つある。城に入るまでのアクセスに緑が少ないことだ。確かに桜門を入ると桜の並木が広がる。問題はその下、グランドカバーは見た限りだが、雑草だった。また、三の丸の茶室「鷺庵(ろあん)」の庭も地面が見える。スギゴケなどで和風庭園らしいカバーできないものかと残念に思った次第だ。

   夕食は姫路駅周辺で探した。インバウンド観光の客なども多く、姫路城の観光効果を思い知った。仲間の一人が「姫路おでん」を食べに行こうと提案した。商店街の裏通りに居酒屋があり、のぼり旗の「姫路おでん」の文字が目に入った=写真・下=。カウンターに腰かける。さっそく大根や卵を注文し、地酒を頼んだ。ここのおでんは生姜(しょうが)醤油がかけてあり、風味がよい。辛口の日本酒が合う。

   カウンターの向こうにいるスタッフは会話が弾む女性たち。そう言えば、コンビニの定員、ホテルのフロントのスタッフは元気のよさそうな女性が多い。姫路とは「女子が元気な街」という意味かなどと話しながら、同級生おっさんたちはホテルに戻った。

⇒24日(土)朝・姫路市の天気   くもり

★北の違法操業を支援する構図

★北の違法操業を支援する構図

           けさ(22日)のヤフーニュースで「韓国警備艦が日本漁船にEEZ内で操業停止要求」を読んで、韓国の「北朝鮮化」ではないかと訝(いぶか)る。さっそく水産庁のHPで掲載されているプレスリリース(21日付)で事実確認をする。20日午後8時半ごろ、能登半島の西北西約400㌔に位置する、日本の排他的経済水域(EEZ)の大和堆(やまとたい)付近で操業中の日本のイカ釣り漁船(184㌧、北海道根室市所属)に対し、韓国・海洋警察庁の警備艦が「操業を止め、海域を移動するよう」と無線交信をしているのを、水産庁漁業取締船と海上保安庁巡視船が確認した。

    水産庁の漁業取締船は日本の漁船の付近に位置取り、韓国警備艦に対し、日韓漁業協定でも日本漁船が操業可能な水域であり、漁船に対する要求は認められないと無線で申し入れた。その後、韓国の警備艦が漁船に接近したため、海上保安庁の巡視船が韓国の警備艇と漁船の間に割って入った。すると、韓国の警備艇は午後10時50分ごろ現場海域を離れた。以上が水産庁のプレスリリースの概要だ。2時間20分余りの緊迫した雰囲気が伝わってくる。

   今回の韓国の警備艦による日本漁船の退去要求はまさに「ここは我々(韓国)の漁場」であり、出ていけと警告したのと同じだ。これは、北朝鮮が繰り返してきた主張と重なる。領海の基線から200㌋(370㌔)までのEEZでは、水産資源は沿岸国に管理権があると国連海洋法条約で定められている。ところが、北朝鮮は条約に加盟していない上、日本と漁業協定も結んでいない。端的に言えば、北朝鮮が非批准国であることを逆手にとって自らの立場を正当化して違法操業を繰り返しているのが現状だ。条約の批准国であり、日本と漁業協定も結んでいる韓国がなぜ日本のEEZ内の海域で「日本漁船は出ていけ」とメッセージを発したのだろうか。その意図は一体何だろうか。

   このブログでも何回かEEZ内における北朝鮮の違法操業について述べた。現在でも大和堆での北のイカ漁船によるが違法操業が繰り返され、海上保安庁巡視船は退去警告に応じなかった漁船に放水して退去させている。少々乱暴な言い方かもしれないが、韓国の警備艦による日本漁船への退去要求ならびに、漁船への接近はこうした日本側の措置に対する「警告」ではないか。つまり、これ以上北の漁船に対する取締をするなとのメッセージではないだろうか。

   最近の韓国の動きは不可解だ。10月、済州島での国際観艦式に際して自衛艦隊旗の旭日旗の掲揚に難色を示して物議をかもし、韓国大法院が日本企業に戦時中の朝鮮半島からの出稼ぎ者に対する損害賠償を下し、「国際法違反だ」と日本の反感を煽った。今月は「最終的かつ不可逆的に解決」と確認した日韓合意でつくられた、いわゆる元慰安婦を支援する「和解・癒やし財団」を解散した。これから先に見えるのは、日本海の呼称問題、つまり韓国側が主張する東海(トンヘ)の地図上で併記の要求、さらに日本と韓国の漁業協定の棚上げ、あるいは破棄などへの広がりではないだろうか。

⇒22日(木)午前・金沢の天気    あめ

☆司法取引のモデルケース

☆司法取引のモデルケース

   「Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.(権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する)」。イギリスの歴史家、ジョン・アクトン(1834-1902)はケンブリッジ大学で近代史を教え、フランス革命を批判した。「権力の腐臭」を感じ取っていたのだろう。きのう(19日)日産自動車のカルロス・ゴーン会長が金融商品取引法違反の疑いで東京地検特捜部によって逮捕されたニュースを知って、アクトンの格言を思い出した。

    当日午後10時から日産グローバル本社(横浜市)で行われた緊急会見の様子を新聞メディア系のライブ動画配信で見入った。午後10時02分、西川廣人CEOが冒頭で「非常識な時間の会見で申し訳ありません」と謝罪。続けて、「本人(ゴーン容疑者)主導の不正行為が3点あった。1.有価証券報告書へ実際より減額した金額の記載、2.目的を偽って当社の投資資金を支出、3.私的な経費支出。内容を細かくは触れられないが、会社として断じて容認できない」と語気を強めていたことが印象的だった。と同時に、単に不祥事を起こした会社の謝罪会見とは違い、用意周到な会見であると察した。

    その用意周到さは、記者からの質問に対するCEOの返答の中身から感じ取れた。記者からの「私的流用との指摘だが、特別背任ではないか、なぜ金融商品取引法違反なのか」との問いに、CEOは「刑事罰対象の部分は私には判断できない。この件は大きく分けて3つの事案であるが、どれをとっても取締役の義務を大きく逸脱するだけではなく、解任に値するとの意見を専門家、弁護士から意見をいただいている」と述べた。あわせて、今月22日にゴーン容疑者の代表権と会長職を解くことを提案する取締役会を開く予定だと説明した。逮捕のタイミングを予め想定した取締役会であることは推測できる。

     もう一つ。記者の「ゴーン氏の権力がどのように形成され、クーデターのような形で崩壊したのか」との質問。CEOは「クーデターとおっしゃったが、事実として見た場合、不正が内部通報によって見つかり、それを除去するというのがポイントであって、権力集中に対しクーデターが起きたとの理解ではない。そのように説明もしていない」と社内の内紛劇ではないと否定した上で、「より公正なガバナンスに持っていくのが課題」と説明した。

    会見が終了したのは午後11時25分だった。司法取引に関して、CEOは「コメントできない」と会見で述べていたが、否定はしなかった。会見の印象で言えば、以下のプロセスだろう。最初に内部通報による問題の提起、次に弁護士を間に入れての東京地検特捜部との司法取引、その上で逮捕のタイミングを見極めての記者会見。ことし6月に施行された日本の司法取引は、検察官と被疑者(今回の場合、日産自動車)、弁護士の3者の連署で書類を作成することになっていて、会社組織内で発覚した汚職や脱税、談合などの経済犯罪に威力を発揮するとされている。今回の日産での摘発は司法取引のモデルケ-スと言えるかもしれない。

⇒20日(火)夜・金沢の天気   くもり

★「加賀停太郎」の広報戦略

★「加賀停太郎」の広報戦略

   役所が制作したPR動画なのだが、これが面白い。笑える。加賀市役所が2023年の北陸新幹線敦賀開通をにらみ、最速新幹線「かがやき」を加賀温泉駅に停める「新幹線対策室」を開設したという想定で、室長の加賀停太郎と室員が繰り広げる、役所をモチーフにした動画だ。総集編を入れて9本の動画の総視聴数は38万8千回(11月18日現在)にもなる。

   「どんな手を使っても加賀温泉駅に新幹線を停める!」と声を荒げる加賀停太郎役の横田栄司氏(文学座)ははまり役だ。昨年5月から8月にかけて公開した4本の動画のシリーズ。加賀市観光協会が地元のPRに頭を抱える会議の場にいきなり髭面の男、加賀停太郎が登場する。加賀市新幹線対策室が動き始め、新幹線招致に向けた作戦会議を行う。旅館の女将が思いついた名案は加賀美人たち総出のもてなし作戦。 加賀市の魅力的な観光スポットを求めて中央公園を訪れるが、閑散とした園内。加賀停太郎が乏しい観光資源を嘆きながらも「金沢には負けないぞ!」「調子に乗るな、金沢!」と叫ぶ自虐的なシーンが笑える。

    ことし6月に公開した4本のシリーズ第2弾は、自虐的なコンセプトから一転する。順風満帆に見えた加賀市新幹線対策室にライバルが出現する。加賀停太郎の前に現れたのは、「かがやき」の停車駅候補ではライバル関係にある隣接・小松市の新幹線対策室の小松停太郎(俳優・伊藤明賢氏)。2人は加賀市と小松市がそれぞれがカニ料理や自慢の温泉、地酒で対決するというコンセプトだ。第2弾は「かがやき」停車というより、観光PRにシフトした印象を受ける。

    それにしても、加賀市の広報戦略は注目に値する。こうした動画だけでなく、加賀市は東京在住の海外メディア特派員を招いて、環境に優しいカモ猟として知られる「坂網猟」の現地見学会を通じて国際発信をしたり、ミス・インターナショナル世界大会に出場する国や地域の代表を招いて和装体験や温泉のお座敷遊びを楽しんでもらい、彼女たちのSNSを通じて加賀市をPRするなど、手の込んだ広報手段が目を引く。実にしたたかな広報戦略なのだ。(※写真は加賀市のHPより)

⇒18日(日)夜・金沢の天気    はれ

☆4K8K、テレビの未来か

☆4K8K、テレビの未来か

      「マスメディアと現代を読み解く」という講義の中で、学生にマスメディアとの接触度を尋ねた。アンケート(2018年6月)の設問は「あなたは新聞を読みますか 1・毎日読む 2・週に2、3度 3・まったく読まない」「あなたはテレビを見ますか 1・毎日見る 2・週に2、3度 3・まったく見ない」の単純な設問だ。回答は102人で、新聞を「まったく読まない」75%、テレビを「まったく見ない」17%の結果だった。3年間同じ設問でアンケートをしている。推移をみると「新聞離れ」は下げ止まり。ところが、テレビは2016年12%、17年15%、18年17%と「まったく見ない」が増えている。「毎日見る」も16年65%、17年56%、18年49%と如実に減少している。「テレビ離れ」は加速しているのだ。

    テレビに未来はあるのだろうか。メディア論を講義しながら、そんなことを考えたりすることがある。ただ、上記のような数字にとらわれると暗いイメージになるのだが、テレビとは何だと問いかけると、まった別次元のイメージもわいてくる。それは、テレビの技術が新たな文化を生み出すということだ。

          1953年に日本でテレビ放送が始まり、白黒画面から相撲や野球の面白さを知るスポーツの大衆化という文化が始まる。1964年の東京オリンピックでは画面がカラー化し、スローVTR、そして通信衛星を通じて競技画像が世界へと配信され、放送のグローバル化が拓けていく。画質の高精彩化によって、家庭にシアター文化がもたらされ、CS放送やBS放送で多チャンネルが進展する。報道現場でもSNG(Satellite News Gathering) 車によって、災害現場からの生中継が可能になり、速報性がさらに高まった。

    次なるテレビの技術文化は何か。それは来月12月から始まる「4K」「8K」放送だろう。現在のフルハイビジョン(2K)と比べ、4Kはその4倍、8Kは16倍の画素数なので高精彩画像だ。4K8K放送は衛星放送で始まるが、手を挙げいるのがテレビショッピングの「QVC」だ。去年1月にBS4Kの基幹放送事業者の免許を取得し、来月から「4K QVCチャンネル」で24時間365日の放送をスタートさせる。同社のホームページでは「見つかるうれしさ、新次元」というキャッチコピー=写真=でPRしている。「4K QVC、それは想像を超えた、全く新しいショッピング体験。鮮やかでリアル。テレビをつけた瞬間、お部屋は一気に、新次元のショッピング空間に」と。

     では、4K8Kが生み出す文化とは何なのか。手短に表現するならば、「バーチャルリアリティ」ということになるだろうか。これまで距離感があった、映像空間とリアリティ空間の差が限りなく縮まる。人間の感性や購買意欲をさらに刺激する新領域の番組に踏み込むかもしれない。テレビ局側は「バーチャルなフィールド=映像」をリアリティ空間に見せる新たな技術(演出)開発に突き進むだろう。たとえば、テレショップだったら、「いいですよ。お安いですよ」の従来の演出よりも、対面型、あるいは対話型による追体験型の絵構成が主になるかもしれない。これは想像だが。

         4K8Kが生み出す新たな番組づくり、お手並み拝見である。一方で、放送局の番組を送り出すバックヤードでは「映像伝送のIP化」という革新が起きている。放送は時間的なディレイ(遅延)が許されないため、通信回線を使うことに抵抗感があった。それが技術革新で光ファイバーで遅延なく伝送できるようになった。4K8Kは番組だけでなく、技術革新をももたらしている。これが2020年に本格化していく、放送と通信による同時配信への技術インフラへと展開していく。

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