★平成最後の年末、レクイエム回顧~その3

★平成最後の年末、レクイエム回顧~その3

  最近耳にする言葉を2つ挙げると「SDGs(エス・ディ・ジーズ)」と「5G(ファイブ・ジー)」かも知れない。慣れない人は「エス・ディ・ジー」と発音して、なかなか「ズ」が出てこない。この2語はおそらく来年のキーワードではないかと想像している。

      能登半島の最尖端から発するSDGsアクション

   偉そうに言う自身が「SDGs」を発するようになったのはことし3月ごろだ。能登半島の先端に位置する珠洲市が、「SDGs未来都市構想」を掲げる内閣府が全国自治体から公募する「SDGs未来都市」に応募するので、知恵を貸してほしいと持ちかけられたのが最初だった。同市の提案「能登の尖端“未来都市”への挑戦」が採択されたのは6月だった。初公募で29自治体が採択された。次年度(2019年)は応募が過熱するだろうと読んでいる。それだけ、学校教育や企業の現場でも「SDGs」が語られるようになっている。

   珠洲市が率先して「SDGs未来都市」に乗り出したことには2つの意味があると考えている。それは、これまでの地方創生の目標に加え、国際的に通用する「新しい物差し」で地域の課題に向き合うという意思表示を国内だけでなく世界に示したということになるからだ。 

  国連の持続可能な開発目標であるSDGsの基本原則は「誰一人取り残さない」ということ。これは、立場の弱い人々に手を差し伸べて、負担を少なくする、あるいはどうすれば負担が少なくなるのかを福祉の観点だけでなく、環境や経済などの視点から前向きに幅広く考えて、地域のプラス成長にもっていくという発想でもある。SDGsは高邁な理想にも聞こえるが、実践ベースではとても地味だ。珠洲市は7月に市内の10の郵便局とSDGsの目標達成に向けて協力する包括連携協定書を交わした。「なぜ郵便局と」と思われるかもしれないが、郵便局はすべての世帯に郵便物を届けるという使命感がある。その郵便局のネットワークを活かして、地域の見守り活動や災害時の支援、広報など行政の取り組みを支援していく。これは、SDGsの「誰一人取り残さない」社会の理念と実に合致する。地味な一歩かもしれないが、SDGs実践に向けてプロジェクトを積み上げる大きな一歩ではないだろうか。

   10月1日には、珠洲市におけるSDGsの取り組みの中核となる「能登SDGsラボ」がオープンした=写真=。能登SDGsラボは、地域の課題解決のワンストップ窓口であり、さまざまな専門家や有識者が集うシンクタンクの拠点機能を目指している。多くの研究者や学生にも参加してもらい、グローバルな視点で地域課題を考え、課題解決に参画するアクションの場となればと期待する。

        2020年には同市で「奥能登国際芸術祭」が開催される。半島の先端から「SDGs芸術祭」を世界に発信するチャンスかもしれない。

⇒25日(火)朝・金沢の天気     はれ

☆平成最後の年末、レクイエム回顧~その2

☆平成最後の年末、レクイエム回顧~その2

   きのう23日は天皇誕生日だった。平成最後の年末を迎えるにあたって、天皇のお気持ちを察する。85歳の誕生日を前に開かれた記者会見(20日、皇居)の内容からお気持ちを読んでみる。宮内庁ホームページに会見録が掲載されている。在位中最後となる会見でもあり、象徴として歩んで来られた平成という時代に込めた思いを述べられ、「私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と語られた。印象的な言葉は、「天皇としての旅を終えようとしている今、…」とのフレーズだった。来年春の譲位が決まり、安堵のお気持ちが伝わるフレーズだと感じた。

    在位中最後となる会見で天皇が込められた「旅を終える」想い

   天皇が初めて譲位の意向をお言葉として発せられた、平成28年8月8日のお言葉の中で、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と語られ、悲壮感が漂ったお言葉だと感じた。それが、今回のお言葉では、「天皇としての旅を終えようとしている今、…」と肩の荷を下ろされたような表現になっている。

   その背景を探ってみる。平成28年8月8日のお言葉の中に、重苦しいお言葉があった。「皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません」と。

   「重い」との形容詞をあえて被せた「殯の行事」。一般の葬儀とは違って、夜を徹してご遺体と共にする「お通夜」が2ヵ月にわたって続く。天皇というのは皇位を継承するだけではなく、亡くなられた天皇の霊を継承するという宗教的な意義がセットになっている。こうした「重い」儀式は果たして現代の皇室に必要なのだろうかと天皇自ら問いかけられたのが前段のお言葉だった。生前退位で皇位が継承されれば、殯の行事は簡素化で済む。これが皇室改革の大きな一歩になると、天皇は平成28年8月8日のお言葉を述べられたのではないかと解釈している。今回の「天皇としての旅を終えようとしている今、…」はようやくその願いがかなったとの安堵のお言葉ではないだろうか。

   ちなみに、殯の弔いは東南アジアの一部で残っている。壮大な棚田で2千年の稲作の歴史を有するフィリピン・ルソン島中央のイフガオだ。現地で聞いた話だが、イフガオ族では死者を布でくるんで白骨化するまで自宅に置いて弔う。家族は死者を身近に置くことで、亡き人をしのぶ。日ごとに悲しみにと同時に死者への畏敬の念が沸いているのだという。その後、家族で洗骨の儀式を営み、埋葬する。カトリック教の布教の広がりとともにこうした弔い方は減ってはいるが、古代からの農耕民俗として今でも伝えられている。(※写真は、今月20日の天皇の記者会見、場所は宮殿「石橋の間」=宮内庁ホームページより)

⇒24日(振休)朝・金沢の天気   くもり

★平成最後の年末、レクイエム回顧~その1

★平成最後の年末、レクイエム回顧~その1

    きょう23日午後2時から石川県立音楽堂で、県音楽文化協会の年末公演が開催された。モーツアルトの「レイクエム」、年末を飾るのにふさわしいコンサートだった。昭和38年(1963)から続く恒例の年末コンサートはこれまで長らく、ベートーベンの「第九交響曲」と「荘厳ミサ曲」の2公演がセットだった。今回初めて「荘厳ミサ曲」から「レクイエム」に変更された。平成最後の年末公演を「レイクエム」で締める。練習も相当厳しいものがあったろうことは想像に難くない。公演では、イタリアの合唱団メンバーも加わり、35歳で亡くなったモーツアルトが最後に残した曲が感動的に演奏された。「レイクエム」を聴きながら、平成最後の1年を振り返る。

      日本海の「厄介な危険物」、来年はさらに混沌と

    日本海側で暮らす一人として、はやり北朝鮮と日本海、そして最近の韓国の動向が気にかかった1年だった。年初の1月10日朝、金沢市下安原海岸に北朝鮮の漁船が漂着し中から7人の遺体が見つかった。現場に足を運んだ。船の中には、ハングル文字で書かれた菓子袋などが散乱し、迷彩服もあった。ひょっとして軍人が乗っていたのではないかと勘ぐった。昨年から問題となっている北朝鮮の漂着船を現場で見るのは初めてだが、それにしても古い木造船だ。全長16㍍、幅3㍍ほど。このような船で日本海のイカの好漁場である大和堆(日本のEEZ内)に繰り出し、漁をする。しかし、冬の日本海は荒れやすい。命がけで、なぜそこまでしてイカ漁に固執する必要があったのだろうか。上からの命令だったのか。

      海上保安庁によると、ことし1年ですでに北朝鮮からとみられる木造船が漂着は201件、昨年の2倍。問題はこうした漂着船の解体処分や遺体の火葬をするのは自治体だ。石川県に漂着した木造船などの処分費用21件880万円(11月現在)。最終的に国が全額負担している。

   もっと厄介なのは北朝鮮の違法操業だ。スルメイカ漁は6月に解禁になり、多くの日本漁船が大和堆でのイカ釣り漁を開始する。日本漁船は釣り漁であるのに対し、北のイカ漁船は網漁だ。夜間に日本漁船が集魚灯をつけると、集魚灯の設備を持たない北の漁船が多数近寄ってきて網漁を行う。獲物を横取りするだけでなく、網が日本漁船のスクリューに絡むと事故になる危険性にさらされる。また、夜間では北の木造漁船はレーダーでも目視でも確認しにくいため、衝突の可能性が出てくる。衝突した場合、水難救助法によって北の乗組員を救助しなければならない。そうなればイカ漁どころではなくなる。だから、「厄介な危険物」にはあえて近寄らない。多くの日本漁船が好漁場である大和堆を避けるという現象が起きたのはこのためだ。

    さらに厄介なのは最近の韓国の動きだ。11月20日、大和堆付近で操業中の日本のイカ釣り漁船に対し、韓国の海洋警察庁の警備艦が「操業を止め、海域を移動するよう」と指示を出し、漁船に接近していた「事件」があった。日本の海上保安庁の巡視船が韓国の警備艇と漁船の間に割って入ることで、韓国の警備艇は現場海域を離れた。

    スルメイカは貴重な漁業資源だ。それを北朝鮮に荒らされ、さらに「日本漁船は海域を出ろ」という韓国。来年の日本海はさらに混沌としてくるのではないか。

⇒23日(日)夜・金沢の天気    あめ

☆キナ臭くなってきた日本海

☆キナ臭くなってきた日本海

   また日本海が荒れだした。報道によると、能登半島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内で、韓国海軍の駆逐艦が20日午後3時ごろ、海上自衛隊のP1哨戒機に対して火器管制レーダーを照射した。火器管制レーダーは、ミサイルで対象を攻撃するために、距離や高さ、移動速度を計測するためのもの。通常のレーダーとは全く違うもの。

   事件は岩屋防衛大臣が21日夜に緊急記者会見で公表した。防衛省ホームページで詳しく説明されている。火器管制レーダーを照射したのは韓国海軍「クァンゲト・デワン」級駆逐艦=写真・上、防衛省ホームページより=。P1は海上自衛隊第4航空群所属P1(厚木基地所属)。P1は最初の照射を受け、回避のため現場空域を一時離脱した。その後、状況を確認するため旋回して戻ったところ、2度目の照射を受けた。P1は韓国艦に意図を問い合わせたが、応答はなかった。照射は数分間に及んだと報じられている。

   これに対し、韓国側は韓国側は火器管制レーダーの使用について「哨戒機の追跡が目的ではなく、遭難した北朝鮮船捜索のため」などとしているが、防衛省は、不測の事態を招きかねない、そして意図しなければ起こりえない事案であり「極めて危険な行為」として韓国側に強く抗議した。 

    注目したいのは、場所が北朝鮮によるイカの違法操業で問題になっている大和堆だったことだ。この付近での最近の韓国側の行動は「大和堆は韓国海域なので勝手に上空を飛ぶな」との言わんばかりの威嚇行動ではなかったかと疑ってしまう。先月11月20日にも、韓国側の意図を感じさせる「事件」が起きている。水産庁ホームページによると、20日午後8時半ごろ、能登半島の西北西約400㌔に位置する、EEZの大和堆付近で操業中の日本のイカ釣り漁船(184㌧、北海道根室市所属)に対し、韓国・海洋警察庁の警備艦が「操業を止め、海域を移動するよう」と無線交信をしているのを、水産庁漁業取締船と海上保安庁巡視船が確認した。

    水産庁の漁業取締船は日本の漁船の付近に位置取り、韓国警備艦に対し、日韓漁業協定でも日本漁船が操業可能な水域であり、漁船に対する要求は認められないと無線で申し入れた。その後、韓国の警備艦が漁船に接近したため、海上保安庁の巡視船が韓国の警備艇と漁船の間に割って入った。すると、韓国の警備艇は午後10時50分ごろ現場海域を離れた。

   こうした一連の韓国側の動きを読むと、一連の事件は、竹島は韓国の領土であると言い張り、大和堆は韓国海域であると主張する前触れではないのか。そう考えると、冒頭で「日本海が荒れだした」と述べたが、キナ臭く感じてきた。

⇒22日(土)夜・金沢の天気  くもり

★「いざなみ景気」と並んだとはいえ

★「いざなみ景気」と並んだとはいえ

   きょう20日の日経平均株価は前日より595円安い2万392円。一時700円を超える大幅な値下がりもあり、終値としての今年の最安値となった。19日のアメリカのダウ平均株価も前の日に比べて352㌦安い2万3324㌦で、これも今年最安値となった。

   きょう注目したのが日銀の黒田総裁の記者会見だ。日経Web版によると、黒田総裁は「経済の見通しは海外動向を中心に下振れリスクが大きい」と述べたという。では、海外のリスク要因とは何か。日本銀行のホームページをチェックすると、きょう20日の政策委員会・金融政策決定会合の報告が掲載されている。それによると、リスク要因は「米国のマクロ政策運営やそれが国際金融市場に及ぼす影響、保護主義的な動きの帰趨とその影響、それらも含めた新興国・資源国経済の動向、英国のEU離脱交渉の展開やその影響、地政学的リスクなどが挙げられる」としている。そのため、日銀は、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を継続する、としている。

   世界的な景気減速で、来年中はアメリカの利上げが停止する可能性が出てきた。日銀は、日本とアメリカの金利差縮小が招く円高・ドル安を警戒し、政策修正に動きにくくなった、と読める。日銀による大規模な金融緩和の「出口」政策は当面はなしということだ。金融政策もさることながら、経済政策はどうなっているのか。

   政府はきょう発表した月例経済報告で、国内経済の基調判断を「緩やかに回復している」で据え置いた。景気拡大の長さが6年1ヵ月になり、戦後最も長かった「いざなみ景気」(2002年2 月-08年2月)に並んだと可能性が高い、と。ところが、見えないことがある。安倍政権は発足時に「金融緩和」「財政拡張」「構造改革」を進める「三本の矢」を打ち出した。金融緩和と財政拡張は数字的に見える。ところが、構造改革についてはまったく見えない。この改革なくして「いざなみ景気」を超えることができるのだろうか。

   株価に話を戻す。年明けに2万円台を割り込むかもしれないと素人ながら思っていたが、年内かもしれない。(※写真は日銀の企画展「江戸の宝くじ「富」 一攫千金、庶民の夢」のチラシ)

⇒20日(木)午後・金沢の天気    あめ

☆世界経済の新たな火種

☆世界経済の新たな火種

  けさのテレビニュースは、週明け17日のニューヨークダウが大幅に続落し、508㌦安の2万3592㌦で取引を終え、9ヵ月ぶりの安値水準と伝えている。世界経済が減速する懸念が投資家の間で広がっているとも述べている。アメリカの経済紙「ウオールストリート・ジャーナル」も「Dow Industrials Fall 508 Points as Investors Fret Over Growth」と大きく報じている=写真=。

  その解説記事の中で、「U.S.-China tensions, plus worries about economic growth and the tech sector, spell more volatility ahead for investors. 」とある。直訳すれば、「アメリカと中国の緊張感と経済成長と技術分野の懸念は、投資家にとってより大きなボラティリティをもたらす」と。一般では聞き慣れないこのボラティリティ=volatilityとは何か。「証券用語解説集」(野村證券)によると、「証券などの価格の変動性のこと」とある。ボラティリティが高いということは、期待する収益率から大きく外れる可能性が高く、価格の変動性が大きいことを指す。

      では、ボラティリティのリスクを押し上げている要因は何か。おそらくこれしかない。中国通信機器メーカー「ファーウェイ」の製品を締め出す動きが、世界で広がっていることだろう。アメリカは国防権限法という法律をことし8月につくり、ファーウェイなど中国通信機器メーカーの製品を政府機関が使うことを禁止している。同社の製品を通じて政府機関や軍の情報が中国当局に流れる危険性があるとし、アメリカは日本など関係国にも働きかけも強めている。

   この動きに反発を強めているのは、中国政府なのだが、ファーウェイの副会長(CFO)がアメリカの要請によりカナダで逮捕された際に、カナダ人を逮捕するなど報復ともとれる行動に出ている。これがかえって、はやり中国政府はファーウェイと結託しているのではないかとの不信感を煽った。オーストラリアがいち早くアメリカに追随し、続いてドイツなどヨーロッパ各国、そして日本でも通信インフラを担う企業などが中国製品ボイコットの流れに乗った。

   問題はこの一件はこれが始まりだということだ。報道によると、先に述べたアメリカの国防権限法は第2弾として2019年8月から、政府機関や軍、政府所有企業がサーバーなどにファーウェイなど中国通信機器メーカーが製造した製品や部品を組み込んだ他社製品の調達を禁じている。さらに、第3弾として2020年8月からは、中国メーカーの製品を社内で利用しているだけで、その企業はいかなる取引もアメリカ政府機関とできなくなる。当然、日本企業も対象に含まれる。これが、世界経済の新たな火種になるとの所以であり、投資家に大きなボラティリティをもたらす結果になっているのではないか。

⇒18日(火)朝・金沢の天気    あめ

★島崎藤村と「どぶろく」

★島崎藤村と「どぶろく」

   出張の帰りに北陸新幹線軽井沢駅で途中下車し、「しなの鉄道」に乗り換え、小諸市を巡った。晴れてはいたが寒風がふいていた。小諸駅の裏手にある「小諸城址 懐古園」を散策した。ダイナミックな野面石積みの石垣、樹齢500年のケヤキの大木など城址めぐりを楽しんだ。ただ、城の大手門と本丸の間に鉄道が敷設されているので、城址公園の遺産がまるで分断されたようになっていて、「もったいない」と感じたのは私だけだろうか。

   懐古園にある「藤村記念館」に入った。平屋の小さな民家のような建物なのだが、設計者は東宮御所や帝国劇場を手掛けた建築家、谷口吉郎(1904-1979)だった。パンフレットによると、島崎藤村が小諸にやってきたのは明治32年(1899)のこと。牧師として藤村に洗礼を施した木村熊二に招かれて私塾の教員として小諸にやってきた。ここで過ごした6年余の間に創作活動を広げ、『雲』『千曲川のスケッチ』、そして『破戒』を起稿した。記念館には藤村の小諸時代を中心とした作品や資料、遺品が展示されている。

   館内は写真撮影は不可なのだが、一枚の写真のみ「撮影可」となっているものがあった。浅間山、小諸の街並み、そして千曲川が流れる大判サイズの写真で、『千曲川旅情の歌』と藤村の写真を配置している=写真=。確か中学時代に覚えた『千曲川旅情の歌』の始まりは今でも記憶にある。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・」。出だしは覚えているのだが、実は最後まで目を通したことは記憶に薄い。歌詞が長い。改めて最後まで目を通すと、歌詞は「千曲川いざよふ波の岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて草枕しばし慰む」で締めている。このとき、「藤村はどぶろく大好きだったのか」と想像をたくましくした。どぶろくは蒸した酒米に麹と水を混ぜ、熟成させた酒。ろ過はしないため白く濁り、昔から「濁り酒」とも呼ばれていた。どぶろくは簡単に造ることはできるが、明治の酒税法によって、自家での醸造酒の製造を禁止され、現在でも一般家庭では法律上造れない。

   歌詞にあえて「濁り酒」を入れるとは好物だったのではないかと想像するが、と言うことは、藤村自身も家庭で醸造していたのか。酒税法によって自家での醸造酒の製造を禁止されたのは明治32年(1899)。藤村が小諸にやって来た年である。この歌が作品として発表されたのは同34年(1901)の『落梅集』とされる。国立国会図書館デジタルコレクションでこの著作物を開いてみると、巻頭言の次の2ページと3ページに「小諸なる古城のほとり」のタイトルで掲載されている。藤村にとって相当の自信作だったに違いない。

           当時法律の周知には数年かかったろうと想像すると、この歌をつくったころはまだ、どぶろくを自由に造れ、存分に飲めたのだろう。しかし、日露戦争が明治37年(1904)に起き、戦費調達のために税の締め付けがきつくなり、「濁り酒」は本格的に御法度となっていったのではないだろうか。

⇒16日(日)午前・金沢の天気   くもり

☆自然「災」害と人「災」と

☆自然「災」害と人「災」と

    日本漢字能力検定協会は毎年年末にその年の世相を表す漢字一字とその理由を全国から募集していて、最も応募数の多かった漢字を京都・清水寺の貫主の揮毫により発表している。協会のホームページによると、ことしも11月1日から12月5日までの期間で19万3214票の応募があり、「災」が2万858票(10.8%)を集めて1位となった。

  きのう12日午後2時から清水寺で森清範貫主が揮毫する様子を民放だけでなくNHKも実況生中継で報じていた。確かにことしは災害ラッシュだった。自然災害では、年初めの豪雪に始まり、西日本豪雨、記録的な猛暑、北海道・大阪・島根での地震、大型台風の到来など。大規模な自然災害により多くの人が被災した。

  個人的には豪雪に恐怖感を味わった。自宅周辺の道路は30㌢ほどの高さの氷のように堅くなった雪道となっていて、ガレージから車が出せない状態が続いた。デイケアなどの福祉車両も通るため、町内会では人海戦術で道路の一斉除雪を行った。路上の雪は金属スコップで突いてもびくともしない硬さで、ツルハシを振り上げて下に勢いよく降ろして砕いた。学生時代にアルバイトで工事現場でツルハシを使った経験が生きた。

   もう一つ印象的なのは人「災」かもしれない。日本大学アメフトによる反則タックルに端を発した、いわゆるスポーツ界のパワハラ問題。オリンピック4連覇を達成して、国民栄誉賞を受賞した伊調馨選手と監督の間の問題もパワハラとされた。指導者が選手を育てる場合、それが教育なのか師弟関係なのか、難しいケースだ。オリンピック金メダリスト6人を育て上げた監督は日本レスリング協会強化本部長だった。指導する側に尊敬に値する人格というものがなければ、教育であっても師弟関係であっても人「災」、パワハラとみなされる。そのような判断の流れを一連の騒動を通じて考えさせられた。

   話は日大アメフト問題に戻るが、いまでも疑問に思っていることがある。動画を見れば、一目瞭然なのだが、試合開始の早々に日大のDL選手がパスをし終わった関学大のQB選手に真後ろからタックルを浴びせて倒している。QBが球を投げ終えて少し間を置いてから、わざわざ方向を変えて突進しているので、意図的なラフプレーだ。3プレー目でも不必要な乱暴な行為があり、5プレー目で退場となった。では、審判は1回目のラフプレーでDL選手をなぜ退場にしなかったのか。明らかに「レッドカード」ではないのか。単なる見逃しであるならば、審判に対してなぜ責任が問われなかったのだろうか。(※写真は清水寺のHPより)

⇒13日(木)朝・金沢の天気    はれ

★昔ハニートラップ、今ファーウェイ

★昔ハニートラップ、今ファーウェイ

  けさ12日のニュースによると、中国の通信機器メーカー「ファーウェイ」の副会長(CFO)がアメリカの要請によりカナダで逮捕された事件で、カナダ・バンクーバーの裁判所は保釈金を納付することやパスポートの提出などを条件に保釈を認められた。保釈金は1千万カナダドル(8億5千万円)。逮捕はアメリカのイランに対する制裁に違反した疑いだったが、むしろ、ファーウェイの製品にサイバーセキュリティーの問題があるとして、5Gなどの通信ネットワークから外す動きが世界各国で相次いでことの方がニュースになっている。

  すでにアメリカ政府はサイバー攻撃による安全保障上のリスクがあるとして、ファーウェイなど中国の通信機器の製品を政府内で使うことを禁止する方針を示し、さらにアメリカ軍の基地が置かれている国に対しても使用しないよう求めているようだ。これを受けて、日本政府もリスクを避けるため、各省庁が通信機器を調達する際の内規について、調達価格のみを基準としてきたこれまでの方針を改め、安全保障上のリスクも考慮に入れるよう改め、事実上ファーウェイなど中国の通信機器の製品の排除に動き出した。

  この一連のニュースに接すると、2004年5月にあった日本の上海総領事館の事務官が自殺した事件を思い出す。事務官は上海のカラオケ店で知り合った中国人女性と親密になり、そのうち領事館の情報(公電を読み解く暗号システムなど)を要求されるようになり、結局、「一生あの中国人達に国を国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした」と遺書を残し自殺した。当時週刊誌などでは「ハニートラップ事件」などと報じられた。

  昔ハニートラップ、今ファーウェイなのだろうか。中国のあくなき情報戦は現在、通信網ネットワークに仕組まれているようだ。5Gという次世代通信網にいち早く手を打ち、民間企業を通じて輸出というカタチで世界に情報網を張りめぐらせる、驚くべき中華思想、「世界戦略」だ。今後、アメリカと中国の貿易戦争は単なる経済問題ではなく、世界の安全保障にかかわる問題として、その対立の構図がくっきり浮かんでくるだろう。(※写真は、12日付イギリスBBCニュースWeb版)

⇒12日(水)朝・金沢の天気  あめ

☆南海トラフ地震と高知城

☆南海トラフ地震と高知城

   2012年5月に高知を旅行し、山内一豊が築いた高知城を見学した。印象的だったのはしっかりした野面積みの石垣だった=写真=。説明看板を読むと、安土城築城で有名な石垣集団の穴太(あのう)衆が工事に加わっていたという。穴太衆を使って強固な石垣を築こうとした一豊の動機は、戦(いくさ)への備えもさることながら、地震への備えもあったのではないか。

    『秀吉を襲った大地震~地震考古学で戦国史を読む』(寒川旭著、平凡社新書)によると、秀吉の家臣として活躍した一豊は近江長浜城主となり2万石を領した。が、1586年の天正大地震によって城が崩れた。一豊が高知城で没したのは慶長10年9月20日(1605年11月1日)だが、その9ヵ月前の1605年2月3日には南海トラフのプレート境界に起こったM7・9の慶長大地震と津波で、多くの領民が亡くなった。高知城はその時、まだ築城の最中だった。二代目が慶長 16(1611)年に城を完成させた。それ以降、地震が100年から150年ごとに発生しているものの、高知城はなんとか耐えてきた。一豊の2度の被災体験が城造りづくりに活かされたのかもしれない。

   報道によると、政府の中央防災会議の作業部会はきょう(11日)、南海トラフ巨大地震の震源域で前兆と疑われる異常現象が起きた場合の対応方針を巡り、報告書案をまとめた。震源域の半分で地震が起きた場合、被害がない地域の住民も1週間ほど避難する。「起きるかわからない地震に備えた避難」は混乱を引き起こす恐れがあるものの、住民への周知や訓練は不可欠だろう。なにしろ、南海トラフ巨大地震の避難者数は最大950万人と予測されている。

    ことし6月に土木学会が発表した数字を思い起こす。今後30年以内に70-80%の確率で発生するとされる「南海トラフ地震」がM9クラスの巨大地震と想定すると、経済被害額は最悪の場合、20年間で1410兆円(推計)に達すると。倒壊などによる直接被害は169兆5千億円、それに加え、交通インフラが寸断されて工場などが長期間止まり、国民所得が減少する20年間の損害額1240兆円を盛り込んだ数字だ。

    1410兆円という数字を目にした時は数字が「躍っている」との印象だったが、政府が発表した「南海トラフ地震防災対策推進基本計画」(2014年3月28日)に目を通してみる。M9クラスの巨大地震を想定した場合の「減災目標」を「想定される死者数を約33万2千人から今後10年間で概ね3割減少させること、また、物的被害の軽減に関し、想定される建築物の全壊棟数を約250万棟から今後10年間で概ね5割減少させる」と掲げている。いま、南海トラフ巨大地震が起きれば最悪30万人余りの命が失われるのだ。数字の羅列になってしまった。

⇒11日(火)夜・金沢の天気     あめ