☆震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~5~

☆震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~5~

  震度7の地震、記録的な大雨、そして今月4日から北陸に吹き荒れている最強・最長の寒波。 3災の能登半島を3日間(今月6-8日)かけてめぐり、「あれはどうなったのか」と気になっていた場所に行った。NHK大河ドラマ『利家とまつ』(2002年放送)で話題を呼んだ、加賀百万石の礎を築いた前田利家の正室まつの遺灰がまつられている菩提寺「芳春院」。寺がある輪島市門前町は震度7の強烈な揺れに見舞われ、多くの建物が倒壊し、芳春院も全壊した。

     「利家とまつ」ゆかりの寺院 再建は緒に就くのか

  震災後に何度かこの地を訪ねたが、倒壊現場はまったく手が付けられていなかった。今回行くとすっかり片付いていた。当初、宗教法人に対しては公費解体が適用されないのかと思っていたが、宗教法人が所有する建物も全壊および半壊の建物は災害廃棄物として公費解体の対象だった(2024年1月・環境省「公費解体・撤去マニュアル第1版」)。そして、能登半島地震は「特定非常災害」に指定されたので、神社や仏閣などの場合でも自治体が発行する被災証明書があれば、法人が解体しても、その費用は補助の対象となる。そうした情報は震災後の混乱の中で交錯したのだろう。芳春院が、野ざらしとなっていた釈迦三尊や達磨大師などの本尊を救い出したのは5月、公費解体を終えたのは10月だった。(※写真・上は、公費解体を終えた現在の芳春院と、解体を待つ芳春院=去年7月6日撮影)

  公費解体は終えたが、この先さらに難問がある。再建への道筋だ。門前地区では住民の大半が仮設住宅で暮らしていて、自宅の再建もままならない状態という。そのような中で檀家を集めて、寺院の再建計画はスムーズに進むだろうか。芳春院に隣接する曹洞宗の大本山・総持寺祖院は山門(国文化財)=写真・下=などは無事だったものの、33㍍の廊下「禅悦廊」(同)が崩れ、一部はブルーシートで覆われていた。

  芳春院や総持寺だけではない。能登では寺社が相当に傷んでいる。能登で一番多い寺院は浄土真宗で、真宗大谷派東本願寺のまとめ(去年6月19日時点)によると、能登地域にある寺院353ヵ寺のうち、被害があったのは331ヵ寺で、そのうち本堂の倒壊など大規模被害は72ヵ寺、庫裏は69ヵ寺に上る。これに他宗派の寺院や神社も加えると相当な数に及ぶだろう。

  能登の寺院や神社は地域コミュニティーの中心の一つでもある。寺で毎月28日に「お講」が開かれる。浄土真宗の宗祖とされる親鸞上人の月命日にあたり、地域の年寄り衆や子どもたちが集い、お経の後に山菜や海藻の精進料理が供される。人々は会話を交わし、情報交換の場ともなっている。その寺でのコミュニティーが地震で今も絶たれた状態になっている。また、奥能登の伝統的なキリコ祭りは地域の神社が拠点となって、キリコや神輿が街中を練り歩く。震災で神社が損傷し、祭りを断念した地域も多い。
  
  石川県は国の支援を受けて設置した「復興基金」(総額540億円)の配分について県内19市町と協議を重ね、被災者の暮らしやコミュニティー施設の再建など27の事業を盛り込んだ活用方針を決定している。今月5日の会議では新年度に基金から80億円の拠出を決めている。伝統の祭りなど通じて地域のコミュニティー施設の役割を果たしてきた神社や仏閣の再建には最大1200万円を補助するとしている。寺社の再建はようやく緒に就くのか。
 
⇒11日(火)夜・金沢の天気     くもり時々はれ  

★震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~4~

★震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~4~

  寒波襲来からきょうで1週間となる。能登の七尾市では43㌢、金沢で27㌢、加賀市で78㌢の積雪(午前11時現在)となっている。地元メディアの報道によると、雪による事故も相次いでいる。加賀市では除雪中に自宅脇の側溝に転落して70代男性が死亡、金沢市でも除雪中や歩行中での転倒で負傷する事故が起きている。また、金沢と能登を結ぶ自動車専用道「のと里山海道」ではけさ雪によるスリップで車が横転し、一部区間で3時間、通行止めとなった。金沢地方気象台の予報によると、冬型の気圧配置は徐々に緩むものの雪はあす11日にかけて続く見込みのようだ。

     まるでスキーのジャンプ台・・能登島大橋の雪景色

  去年元日の震度7の地震、48時間で498㍉という9月の記録的な大雨、そして今月4日から北陸に吹き荒れている最強・最長の寒波。 「3災」ともいえる能登半島を3日間(今月6-8日)かけてめぐり、これまで見たことのない光景を目にすることあった。半島の中ほどに位置する七尾市の能登島大橋。かつて島だった能登島を1982年に長さ1㌔、全線2車線の橋で結んだ。これまで能登島を何度も訪れているが、冬場は今回が初めて。積雪の大橋を走ると、まるでスキーのジャンプ台を滑っているような感覚になった=写真・上=。もちろん、スキーのように「滑降」はできなのでゆっくり運転で。

  能登島を結ぶもう一本の橋「ツインブリッジのと」(620㍍、中能登農道橋)は地震で橋桁が損傷し、さらに道路との間に40㌢ほどの段差ができ、現在も通行ができなくなっている。能登島には「のとじま水族館」や「ガラス美術館」などがあり、アクセスの上からもツインブリッジの復旧が待たれる。

  そして、「あれ、櫓(やぐら)に人が」と一瞬思ったのが、七尾市から北上した穴水町の海岸沿いで見た「ボラ待ち櫓(やぐら)」だった=写真・下=。穴水湾では櫓に漁師が上って、ボラなど魚群が湾に入って来るのを見つけて、「ボラが来た」と叫ぶと、周囲の人が集まって海に仕掛けた漁網を引き上げるという漁法があった。現在その漁法はないが、観光施設としてボラ待ち櫓が湾内に何ヵ所か設置されている。その一つに人影のようなものが見えて、「櫓に人が」と思った次第。

  ボラ待ち櫓が観光名所になったのも歴史的なエピソードがある。明治22年(1889)5月、東京に滞在していたアメリカの天文学者パーシバル・ローエル(1855-1916)が能登半島の地形とNOTOという地名の語感に惹(ひ)かれ、鉄道や人力車を乗り継いで当地にやってきた。そのときボラ待ち櫓に登り、「ここは、フランスの小説でも読んでおればいい場所」と、後に著した「NOTO: An Unexplored Corner of Japan」(1891)で記した。好奇心の固まりのようなローエルがその後、アメリカに帰国しアリゾナ州に天文台を創設し、火星の研究に没頭する。火星の表面に見える細線状のものは運河であり、火星には高等生物が存在すると唱えた。その後、アメリカでは地球外の生命体への関心度が高まり、SFブームが起こる。

  ローエル研究者の中には能登の海から火星の運河を着想したのではないかと、実際にボラ待ち櫓を見学に来たケースもあった。穴水町には「米国人天文学者 パーシバル・ローエル上陸の地」と刻まれた石碑が立っている。

⇒10日(月)夜・金沢の天気   ゆき

☆震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~3~

☆震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~3~

  最強寒波の影響で大雪となっている能登では、震災で全半壊した家屋の公費解体が一時ストップしていると前回ブログで述べた。では、公費解体そのものはどこまで進んでいるのだろうか。今月6日発表した石川県のまとめによると、去年元日の能登地震と9月の豪雨で被災した家屋のうち公費解体が見込まれる家屋は3万9235棟、そのうち1月末時点で1万7112棟で解体作業を終えていて、43.6%が完了したことなる。公費解体は持ち主の申請によるもので、申請数は1月末時点で3万6304棟に上る。半壊と判定されても修繕すれば住み続けられるも家屋もあり、県では解体を申請しても申し出があれば留保し取り消しもできるとしている。

    大雪にも威風堂々とした「九六」のたたずまい

  奥能登では大きくがっしりとした住家を建てる伝統がある。その大きな家は「九六(くろく)」と呼ばれる。間口9間(約16㍍)奥行き6間(約11㍍)の大きな家だ。黒瓦と白壁、威風堂々としたたたずまい。九六を建てるのが男の甲斐性(かいしょう)とする風土もあり、「九六の意地」とも称される。今回の大雪で九六はどうなっているのか、能登町に向かった。

  現地に到着したの7日午後2時ごろ。車で走っていて、この地域はとくに降雪量が多いと感じた。地名は「神和住(かみわずみ)」。日本人として初めて全米オープン(1973年)で3回戦へ進み、日本プロテニス界 のパイオニアと呼ばれた神和住純氏の故郷でもある。九六の家を眺めると、屋根雪で40㌢ほど積もり、屋根から落下した雪が玄関前に積み重なっていた=写真・上=。10年ほど前の夏に学生たちを連れて能登スタディアツアーを企画し、この家を訪ねたことがある。畳にして32畳の広い座敷に案内された。能登では結婚式や葬儀を自宅で行う。家の大きさと比例して太い柱が家を支えていた。家の主に「ところでエアコンを使わないのですか」と尋ねると、「夏は風が通るので使わない。冬は石油ストーブがあればそれで十分。エアコンはいらない」とのことだった。それにしても大きい。初めての人は大寺院と見間違えするかもしれない。

  能登をめぐり目に付いたのが、裏山が崩れ倒壊した家屋が多いことだ。建物の構造はしっかりしていて揺れには耐えたが、裏山のがけ崩れで横倒しになるケースだ。元日の地震で裏山の地盤が緩み、9月の豪雨でがけ崩れ起きた、という話もよく聞いた。能登には中山間地の集落が多い。平地は水田として活用し、家屋は山のふもとで建てる。このケースは能登だけでなく、全国の中山間地であればどこでも起きることではないだろうか。(※写真・下は、裏山のがけ崩れで倒壊した珠洲市の民家=撮影・2024年1月30日)

⇒9日(日)午後・金沢の天気    ゆき

★震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~2~

★震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~2~

  今季で最強で最長の寒波が流れ込んで、気象庁はきのう夜、石川県に「顕著な大雪に関する情報」を出した。きょう夕方までの積雪は能登の七尾市で42㌢、奥能登の珠洲市で40㌢、金沢市で32㌢となっている。きのう能登半島の尖端、珠洲市をめぐった。気象庁と国土交通省は会見(3日)で、被災地では雪の重みによる建物の倒壊に注意が必要と呼びかけていたが、現地ではさらに難題もあるようだ。

    高波に向かってゴジラが吠える、ような光景

  珠洲市の海岸沿いの名勝「見附島」の近くある仮設住宅は入り口に布シートが張られていた=写真・上=。この仮設住宅を監修したのはあの世界的な建築設計士として知られる坂茂氏だ。布シートはおそらく出入り口が北向きであることから、冬場の強風を少しでも和らげるために張られたのではないかと憶測している。

  仮設住宅から少し離れた場所に地震で全半壊となった住宅の公費解体が行われている。ただ、訪れたきのうは平日の午後2時半ごろだったが作業はストップしていた=写真・中=。同市では、作業中の事故を防ぐために雪の降る1月からの2月の間、雪に慣れていない地域から来ている県外の解体業者に対し、積雪時における作業の休止を県構造物解体協会を通じて要請している。11月27日に解体現場で重機に接触した作業員が死亡する事故が起きたことなどから、作業現場の労働災害を防ぐ対策を進めている。作業の安全を最優先の課題としているようだ。しかし、40㌢もの積雪があると作業の再開は見通せないかもしれない。

  その後、珠洲市の外浦方面に車を走らせた。視界全体が真っ白になって空間と地面との見分けがつかない、まさにホワイトアウトの現象が時々起きた。その都度、車をストップさせた。安全な場所を選んで停車するのだが、後ろや前から来た車に追突される危険性も抱えての停車だ。午後3時半ごろには、降り方が落ち着いてきた。

  海岸を見ると、「ゴジラ岩」が見えた。同市馬緤町の沿岸にある奇形の岩だ。西の空に向かって今にも炎を吹き出しそうな姿は怪獣ゴジラに似ており、その名が付けられた。冬の高波に向かって、ゴジラが吠えているようにも見え、なかなかの絶景だった。このゴジラ岩は夏ごろになると沿岸から夕陽も見え、観光名所にもなっている。

  この近くで自身に問題が起きた。車の前輪が雪道のみぞにはまりスタック(立ち往生)となった。そこで、通りかかった車に手を振って止まってもらい、手助けをお願いした。計2台から4人の男性が降りてきて車を押してくれて、なんとかみぞから脱出することができた。お礼を述べると、「雪道ではお互い様ですよ」と2台はさりげなく去って行った。雪国の共助の心には感謝しかなかった。

⇒8日(土)夜・金沢の天気     くもり

☆震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~1~

☆震度7・記録的大雨・最強寒波 3災の能登冬路をめぐる~1~

  去年元日の震度7の地震、48時間で498㍉という9月の記録的な大雨、そして今月4日から北陸に吹き荒れる最強・最長の寒波。 「3災」ともいえる能登半島を3日間(今月6-8日)かけて一周した。 被災地や観光名所などの冬の現場で気が付いたことなどまとみてみる。

  隆起した岩ノリ畑 『ゼロの焦点』ヤセの断崖

  先日、能登の知り合いから「岩のり」が届いた。 お礼の電話をすると、「地震で海岸が隆起したのでことしは採れるか心配したが、隆起した岩場でも採れました」とのこと。 そこで、海岸が隆起した能登の北側の外浦をめぐった。 岩のりは外浦の岩場で採れた天然のノリで、干したもの=写真・上=。 養殖のノリに比べて厚みがあり、さっとあぶると磯の香りが広がる。 ノリが採れる海沿いの家々では、波が穏やかな冬の日を見計らって海岸に出かける。 手で摘み、竹かごに入れて塩分を洗い流して水切りした後、自宅の軒下などで竹かごの上に乗せて陰干しする。 

  地域によっては「岩ノリ畑」を造ってところもある。 岩場を利用して平海面すれすれのところでコンクリート面を造成すると、冬の波で覆われた岩ノリ畑にノリが繁殖する。 ところが、地震で数㍍隆起した海岸では岩ノリ畑が干上がって使えなくなった畑もある。 一方で海底から隆起した岩場でノリが採れるようなったところもある。 知人は「シケの日が続き収穫は少なかったが、ノリの出来は上々」とのこと。 岩ノリ採りは今月中旬まで続く。 (※写真・中は、地震で隆起した「岩ノリ畑」=輪島市門前町の海岸)

  能登の現場を訪ねるとダイナミックな光景を目にすることがある。 震度7の揺れがあった志賀町香能の近くにあり、松本清張の推理小説『ゼロの焦点』で登場する名勝「ヤセの断崖」。 1961年に初めて映画化され、観光名所となった。 日本海からの強烈な波と風によって形成された断崖絶壁で、訪れた日も台風を思わせる暴風が吹いて、白波が打ち寄せていた=写真・下=。

  海面からの高さが35㍍から55㍍もある、断崖を眺めると、海の向こうの暗い雲の切れ間から光りが指している。 まるで映画のシーンのような光景だった。 もう少し近づいて撮影しようとした瞬間、強烈な風が吹いてきて、身の危険を感じて現場を離れた。

⇒7日(金)夜・金沢の天気     雪

★重くのしかかる雪に耐える  北陸の「雪吊り」に込められた知恵と工夫の職人技

★重くのしかかる雪に耐える  北陸の「雪吊り」に込められた知恵と工夫の職人技

  気象庁が「今季最強・最長寒波」と緊急会見で発表した今回の寒波は3日目に入った。けさ7時半ごろ自宅2階から撮った写真と前回ブログ(4日付)のものと比較してみる。きょうも空にはどんよりと雪雲が連なっている。左側に見える雪吊りの五葉松には前回と比べ、倍くらいの厚さで雪が積もっている。目分量だが、多いところで20数㌢ほどだろうか。右側のガレージの屋根にも同じくらいの厚さで積もっている。写真下の部分は屋根雪。前回と比べてもその分厚さが見て取れる。35㌢ほどあるだろうか。北向きなので雪が溶けにくい。同じ家の屋根雪でも向きによって溶け方がまったく異なる。(※写真・上は、金沢市内の積雪の様子=4日午前7時40分、自宅2階から撮影)

  先ほど述べた雪吊りの五葉松の話。北陸の雪は湿ったような重さがある。その理由でよく言われているのが、大陸からの偏西風にのってやって来る冷たい空気が日本海で水分を多く含み、白山や立山連峰などの高い山に当たって上昇し冷えることで雪となるので、北陸の雪は湿気を含んで重い。雪の重みで庭木の枝が折れる。このため、金沢の兼六園をはじめ一般の民家でも庭木に雪吊りを施すの恒例となっている。

  その雪吊りには木の種類や形状、枝ぶりによって実に11種もの技法があると言われている。単に枝が折れるのではなく、「雪圧」「雪倒」「雪折れ」「雪曲」といった樹木の形状によりさまざまな雪害が起きる。これに対応する雪吊りは素人ではできない仕事なので、造園業者に依頼することになる。プロは樹木の姿を見て、「雪吊り」「雪棚」「雪囲い」などの雪対策の手法を判断する。

  雪吊りで有名なのは「りんご吊り」=写真・下=。五葉松などの高木に施される。マツの木の横に孟宗竹の芯(しん)柱を立てて、柱の先頭から縄をたらして枝を吊る。パラソル状になっていることろがアートでもある。「りんご吊り」の名称については、金沢では江戸時代から実のなる木の一つとしてリンゴの木があった。果実がたわわに実ると枝が折れるので、補強するため同様の手法を用いていたようだ。

  雪吊りを眺めていると職人の知恵と工夫、庭木をいたわる気持ちが伝わってくる。と同時に、雪吊りの経費は春の撤去も含めてそれなりに掛かる。たとえ気象予報が暖冬であったとしても、今季のようにいつドカ雪が来るか分からないので、「庭税」だと思いながら毎年雪吊りの備えをする。なのでいまは、五葉松に雪吊りをしていてよかったと安堵の気持ちで眺めている。

⇒6日(木)午前・金沢の天気    くもり時々ゆき

☆しんしんと降り積もる雪 道路で車がスタックしたらどうする

☆しんしんと降り積もる雪 道路で車がスタックしたらどうする

  きょう(4日)朝7時の自宅前の積雪は10㌢ほどだった。その後も断続的に雪が降り、大雪警報が出ている。午前中の気温は1度。金沢地方気象台の降雪量予想(4日6時時点)によると、きょう6時から18時までの12時間の積雪量は金沢の平地で10㌢から20㌢、さらにきょう18時からあす6時までの12時間で10㌢から20㌢の積雪予想となっている。単純に計算すると、金沢の平地ではあす朝までに多いところで40㌢ほど積もるようだ。

  朝9時に開店するスーパーが近くにあるので買い物に行くと、開店まもなくの時間にもかかわらず混雑していた。普段だったらそれほど客はいない時間帯なのだが、昼前や夕食前の時間帯のあの混雑ぶりだ。大雪になる前に買い物を早く済ませておこうという消費者心理が働いているのだろう。そう言う自身もそのために店に入った。

  何しろ雪が積もれば積もるほど予想外のことが起きる。たとえば、よく使われる言葉で「スタック」。車の立ち往生のことで、英語で「stuck」。とくに、雪道のわだちに入ってしまい、車の底が雪上に乗り上げて立ち往生する。そんな時はスコップで車の底の雪を除き、他の人に後ろから車を押してもらいながら前進するとなんとか抜け出すことができる。雪国の人たちはその場面をよく理解しているので「お互いさま」という共助の気持ちで手伝ってくれる。金沢市でも道路のスタック対策として2021年12月から除雪計画を見直し、それまで15㌢以上の積雪で除雪車を出動させていたが、10㌢以上積もれば除雪作業を行うことにした。市内幹線の雪道の安全度は確実に高まった。雪道における「自助・共助・公助」ではある。

  ちなみに、スタックでJAFに電話してもなかなかつながらない。つながったとしても半日は待たされる。大雪であちらこちらに立ち往生が起きているからだ。そして、スタックと並んで気をつけるのが、「ブラックアイスバーン」だ。路面に雪がなくても、路面が凍結している状態で、アイスバーンはスリップ事故につながる。道路に積雪がないからとスピードを出していて、急にブレーキをかけても止まらずにそのまま車が滑りる。雪国の道路では時速20㌔ほどでゆっくり走行することはよくあることだ。

 (※写真・上は、雪がしんしんと降り積もる金沢市内=4日正午すぎ、自宅2階から撮影。写真・下は、立ち往生した車を周囲の人たちが車の後ろから押して助けている様子)

⇒4日(火)正午すぎ・金沢の天気    ゆき 

★金沢でもドカ雪か 気象庁と国交省が緊急会見で「大雪警戒」呼びかけ

★金沢でもドカ雪か 気象庁と国交省が緊急会見で「大雪警戒」呼びかけ

  きょうは二十四節気の立春。春の兆しが現れてくるころかと思いきや、さきほど午後2時に気象庁と国土交通省は緊急会見で「大雪警戒」を呼びかけた=写真、テレビ画像より=。気象庁の担当者は、この冬一番の強い寒気が流れ込み、北日本から西日本にかけての日本海側の広い範囲で山地、平地ともに大雪となる日が数日続くと述べ、暴風や暴風雪、高波に警戒するよう呼びかけた。また、国土交通省の担当者は、大雪による交通への影響、とくに車両の立往生、道路の通行止め、公共交通機関の大幅な遅延や運休が発生し通勤・通学などに影響が出るおそれがあると述べ、テレワークの活用などを含め不要不急の外出を控えてほしいと呼びかけた。

  プレスリリース「大雪に対する国土交通省緊急発表」(12時発表)によると、北陸地方の多いところであす4日12時までの24時間降雪量は50㌢、5日12時までの24時間降雪量は70㌢、6日12時までの24時間降雪量は100㌢としている。また、能登の平地でも多いところで 4日12時までの24時間降雪量は15㌢、5日12時までの24時間降雪量は30㌢、6日12時までの24時間降雪量は30㌢となっており、「能登半島地震で損傷を受けた家屋では積雪の重みによる倒壊に、損傷を受けた海岸施設の周辺では、越波による浸水に注意」と呼びかけている。文中の「越波(えっぱ)」は、暴風などにより打ち寄せる波が堤防や護岸を超えることを指し、能登などでは5日に最大瞬間風速30㍍、波の高さ6㍍が予想されている。  

  北陸に強烈な寒波をもたらすのは大陸からの西回りの風と北風がぶつかり合って出来るJPCZ(日本海寒帯気団収束帯)が発生するからで、これまでも大雪をもたらしてきた。直近では2018年2月5日から8日にかけての大雪で、福井で147㌢の記録的な豪雪となり、国道8号で1500台を超える大規模な車両滞留が発生し、自衛隊の災害派遣も行われた。金沢の平地でも70㌢を超える積雪となった。(※図は6日までの72時間降雪量=日本気象協会「tenki.jp」公式サイトより)

  能登では去年元日の地震で全半壊となった家屋など公費解体が進められ、さらに一部損壊の住宅の修繕も行われている。今後の大雪と暴風で作業はストップせざるを得ないだろう。さらに、能登の中山間地では集落の孤立化も、そして仮設住宅は圧雪に耐えうるだろうかと懸念する。金沢の週間予報ではあす4日から10日までは雪、そして雷とある。冬将軍は雷鳴とともにやってくる。

⇒3日(月)午後・金沢の天気    くもり

☆江戸時代の能登にタイムスリップ 時空を超えて人々の心根に触れるオペラ

☆江戸時代の能登にタイムスリップ 時空を超えて人々の心根に触れるオペラ

  『能登奇譚』というオペラを鑑賞してきた。能登を舞台にした初めてのオペラという触れ込みもあり興味がわいた。きょう午後6時から石川県文教会館(金沢市)での2時間余りの公演だった。タイトルの「奇譚(きたん)」という言葉は日常で使う言葉でもないので、辞書やネットで意味を探ると「奇談」「不思議な言い伝え」と出てくる。ますます好奇心がわいて客席に着いた。
 
  時を超えるダイナミックなストーリーだ。主人公の能太(のうた)は不登校がちで頭を金髪に染めた14歳の男子中学生。教室で、今晩はキリコ祭りを見に行こうと話しているうちに気を失って、江戸時代の能登にタイムスリップする。170年余りの時を超えて能登のキリコ祭りで出会ったのが、大飯食らいで江戸に出て横綱になった阿武松緑之介。最初は、飯ばかり食べて相撲が上達しなかったため、親方から「お前は能登に帰れ」と言われ帰途に就く。が、「このままでは死んでも死にきれない」と一念発起して江戸に戻り、ひたすら稽古に励み、「天下に敵なし」と言われた横綱となる。花相撲で故郷に錦を飾った阿武松からそんな話を聞かされる。
 
  そして、「能登の親不知(おやしらず)」で知られた難所、曽々木海岸と真浦の断崖絶壁で道を開いていた麒山和尚と出会う。絶壁の海岸で命を落とす人が多くいた。近くの寺で禅修行をしていた和尚は、「何のために禅修行をしているのか」と悩み続けていたが、53歳のとき「寺で座るのも禅、安全な道を開くのも禅修行」と悟り、開道に必要な浄財集めの托鉢に奔走する。苦難の工事には西洋人の道具(ダイナマイト)を使っている、天狗のチカラを借りているといううわさも聞かされた。
 
  能太は能登に秘められた数々の物語を聴き、教室で目を覚ます。学校の仲間たちがいる。夢を見ていたのかと思ってふと手を見ると、夢の中で占い婆からもらったお守りを握っていた。そして能太の周りには江戸時代の人たちもいた。これでフィナーレとなる。ピアノやフルート、打楽器などによる生の演奏と歌や合唱と芝居が融合したオペラだった。原作と作曲、指揮は金沢在住の木埜下(きのした)大祐氏、そして時代考証は郷土史家の藤平朝雄氏が担当した。時空を超えて結びつく人々の絆と、そして「能登はやさしや土までも」といわれる能登のストーリーが忠実にそして見事に描かれていた。
 
⇒2日(日)夜・金沢の天気   くもり

★能登地震から1年1ヵ月、「住まい」問題でふるさとに戻れず悩む被災者

★能登地震から1年1ヵ月、「住まい」問題でふるさとに戻れず悩む被災者

  きょうは2月1日、去年元旦の能登半島地震から1年1ヵ月が経った。数字で振り返ってみる。震災で亡くなった人は能登を中心に石川県では、家屋の下敷きになるなどして亡くなった直接死が228人、避難所などでの疲労やストレスが原因で持病などが悪化して亡くなった災害関連死が290人(1月28日時点)。さらに、新潟県で5人、富山県で3人の災害関連死があり、直接死を合せた能登半島地震による死者の数は526人となる。関連死を判断する医者と弁護士で構成する審査会はこれまで17回開かれていて、遺族からの申請で審査が進むと今後さらに増えることになる。  

  住宅の被害は消防庁災害対策本部のまとめによると、10府県で全半壊・一部損壊を合せ15万5751棟に及んでいる。このうち、石川県は10万7976棟、新潟県2万4380棟、富山県2万2534棟、福井県832棟、長野県21棟などとなっている。このほか、店舗やテナントビル、土蔵、作業所など非住家の被害は石川県で3万6053棟、富山県1203棟、新潟県68棟などとなっている(12月28日時点・消防庁公式サイト)。このうち半壊以上の被害が出た住宅などを自治体が所有者に代わって解体や撤去を行う「公費解体」は、石川県の発表で12月末までに1万4152棟の解体を終えている。石川県が見込む公費解体は3万9000棟なので3分の1余り完了したことになる。ことし10月までに解体を終えるとしている。(※写真は、輪島市内で行われている公費解体の現場=去年12月26日撮影)

  問題は住宅の修理だ。石川県では、住宅被害の範囲が全体の1割以上ある場合に修理費を最大70万円を補助する「応急修理制度」を設けていて、1月24日時点で制度の申請は1万2105件に上っている。ところが、工事業者の不足から修理の見通しが立たないケースが出ているため、県ではことし3月末までとしていた制度対象の工事完了の期限を12月末まで延長した(石川県庁公式サイト「住宅の応急修理について」)。

  気になる数字がある。地元メディア各社の報道によると、石川県外の公営住宅に暮らしている被災者255世帯を対象に、石川県庁が電話で意向調査(12月9-27日)を行った。回答があった176世帯の集計で44%に当たる78世帯が「石川県には戻らない」と答えた。その理由は「高齢であり、親族のそばで住む」や「安定した仕事を見つけた」が多かった。一方で、21%に当たる37世帯が「戻りたいが課題がある」と答えた。その中では、公費解体や修繕など「住まい」の問題を挙げる世帯が多かった。公費解体を申請しているが工事がなかなか進まない、修繕を依頼しているが業者の手が回らない。ふるさとに戻れず、悩んでいる被災者がいる。

⇒1日(土)午後・金沢の天気   くもり時々はれ