☆能登・祭りの輪~万博盛り上げるお熊甲、燈籠山、あばれ祭~

☆能登・祭りの輪~万博盛り上げるお熊甲、燈籠山、あばれ祭~

きょうも金沢は35度の猛暑日。熱中症警戒アラートも10日間連続で出ている。そんな暑さを吹き飛ばす、熱い催しが能登の祭りかもしれない。あす27日、大阪・関西万博のEXPOアリーナ「Matsuri」で「石川の日祭りイベント」が開催される。テーマは、「いしかわの祭り~未来へつなぐ伝統と能登復興の響き~」、能登と加賀を代表する祭りが一堂に会する。以下、大阪・関西万博イベント出展「石川の日」Webサイトより。

祭りイベントには石川県内の20の祭り団体、1000人余りが出演する。中でも注目は七尾市中島の「お熊甲(くまかぶと)祭り」だろう。毎年9月20日に行われることから、地元では「二十日祭り」とも呼ばれている。天狗面を着けた猿田彦が軽妙な舞をしながら先導し、男衆が高さ20㍍余りの深紅の枠旗を掲げ、「イヤサカサー」の掛け声と鉦‧太鼓を打ち鳴らし町内を練り歩く。見どころは「島田くずし」と呼ばれる旗を地面すれすれまで傾ける妙技だ=写真・上、「和倉温泉お祭り会館」公式サイトより=。約400年の歴史を持ち、国の重要無形民俗文化財に指定されている。あすは200人に及ぶ派遣団が万博会場で妙技を披露する。

きらびやかな山車は珠洲市飯田町の「燈籠山(とろやま)」だろう。高さが16㍍あり、「えびす様」の人形を載せている。夜になると、煌々と明かりを灯して、8基の曳山とともに街中を練る=写真・中、珠洲市公式サイト「GO TO SUZU  飯田燈籠山祭り」より=。毎年7月20日と21日に行われる江戸時代が起源とされる祭礼で、去年は能登半島地震で開催できなかったものの、ことしは2年ぶりに巡行した。木遣り歌『きゃーらげ』を大声で歌いながら、山車と曳山が万博会場を練る。

そして能登町宇出津の「あばれ祭」も万博であばれる。能登でキリコと呼ぶ「切子灯籠(きりことうろう)」を老若男女が担ぎ、「イヤサカヤッサイ」の掛け声で港町を練る=写真・下=。絶好調になると、神輿を川に投げ込んだり、火の中に放り込むなど、担ぎ手が思う存分に暴れる。それを神が喜ぶという伝説がある祭りだ。毎年7月4日と5日に開催され、夏場の能登のキリコ祭りの先陣を切る祭りでもある。

深紅の枠旗をたなびかせ、えびす様の山車と曳山が練り、イヤサカヤッサイとキリコがあばれる。祭りの担ぎ手は全国からの震災支援への感謝の気持ちを込めて担ぐだろう。 能登の祭りは万博会場を盛り上げるに違いない。

⇒26日(火)夜・金沢の天気  はれ

★読売調査で内閣支持率が急上昇、ところで「防災庁」はどうなった

★読売調査で内閣支持率が急上昇、ところで「防災庁」はどうなった

内閣支持率が急上昇している。きょう付の読売新聞の世論調査(22-24日・電話調査・有効回答991人)によると、石破内閣について「支持する」との回答は39%で前回調査(7月21、22日)の22%を大幅に上回った=写真・上=。「支持しない」は50%で前回調査より17ポイント減ったものの、過半数を占めている。また、参院選の結果を受けて、総理は辞任すべきだと思うか、との問いには、「思う」が42%、「思わない」が50%だった。

朝日新聞(今月18日付)の世論調査(今月16、17日・電話調査・有効回答1211人)も同様の傾向を示していて、内閣支持率は36%で前回調査(7月26、27日)の29%を上回り、不支持は50%で前回調査より6ポイント減った。そして、参院選の結果を受けて辞めるべきだと思うか、との問いには、「辞めるべきだ」が36%、「その必要はない」が54%だった。朝日の調査について記した今月20日付のブログでも述べたが、衆参両選挙で自民が大敗を喫したそもそもの原因は裏金問題であり、自民党内の「石破降ろし」の動きは責任の転嫁ではないのか、というのが有権者の目線ではないだろうか。内閣支持率の上昇は石破氏へのある意味で同情票のように感じる。

ところで、有権者の一人として、「アレはどうなりましたか」と石破総理に尋ねたいことがある。防災庁の創設のことだ。自身が初めて耳にしたのは、石破総理が就任早々の去年10月5日に、元日の能登半島地震、そして9月の「記録的な大雨」の被災現場を輪島市を訪れ視察した。そのとき、インタビューに答え、「日本国中どこで何が起きても、同じ支援が受けられるよう内閣として尽力していく。そのための防災庁を創設する」と述べた(2024年10月5日付・NHKニュース)。その後、政府は12月20日に全閣僚が参加する「防災立国推進閣僚会議」の初会合を総理官邸で開催し、2026年度中の創設を目指すことを確認している。

ことし7月4日、参院選で党公認候補の応援のため能登空港を訪れた石破総理の演説=写真・下=を直に聴いた。石破氏は「世界有数の災害大国ならば世界一の防災大国にしなければならない」と述べ、事前防災と災害対応の司令塔となる「防災庁」の必要性について強調した。ただ、どこに本部を置くかなどの具体案はなかった。そして、参院選以降、防災庁構想は進展しているのだろうか。

新しい省庁の新設で思い起こすのが、東日本大震災や福島第1原発事故の発生翌年の2012年2月に発足した「復興庁」だ。設立時は「スーパー官庁」と位置付けられ、複数省庁にまたがる課題を「ワンストップ対応」で調整し、予算を含めた復興政策を一元的に統括することが主な役割だったが、13年を経てその役割は最終ステージの段階に入っている。石破氏が構想するのは復興庁の「後継庁」なのだろうか。総理肝いりの防災庁だ。国民に早くビジョンを示してほしい。

⇒25日(月)午後・金沢の天気  はれ

☆能登・祭りの輪~輪島を練る豪華キリコ、復興へ掛け声響く~

☆能登・祭りの輪~輪島を練る豪華キリコ、復興へ掛け声響く~

前回ブログの続き。能登半島地震の被災地を巡る日帰りバスツアー「能登半島地震を風化させないために(減災企画)」で輪島市の中心部を巡ると、輪島大祭が行われていた。市内の重蔵神社、奥津比咩神社、住吉神社、輪島前神社の4社で23日から25日まで連続して営まれる夏祭りが総称して「輪島大祭」と呼ばれている。

初日の23日は重蔵神社、奥津比咩神社の祭り。重蔵神社は中心部の河井町にあり、17本のキリコが出る。バスで訪れたのは午後4時過ぎだったが、市内を朱色のキリコが練り歩いていた=写真・上=。能登のキリコは白木が多いが、輪島のキリコは朱塗りされたものや、黒漆のものが多い。さらに、輪島塗蒔絵や金箔で飾りつけられたものが豪華さを引き立たせる=写真・下=。かついて聞いた話だが、地区がそれぞれ豪華さやきらびやかさを競ってキリコを造るため、1本2000万円くらいはするそうだ。

この日は輪島は35度ほどの暑だったが、威勢いい掛け声が街中に響き、猛暑を吹き飛ばす熱気だった。そして、面白い光景がその祭りの一服の様子。ビルの木陰で老若男女が笑いながら楽しく会話が弾んでいた=写真・下=。能登半島地震で金沢などに避難している人やほかの都市で就職した人たちが祭りの日に帰って来て、年に一度の祭りを楽しむ。お酒が入った勢いがあるのかもしれない。この後、また張り切ってキリコを担いで市内を練る。能登では、「1年365日は祭りの日のためにある」、「盆や正月に帰らんでいい、祭りのために帰って来い」とよく言われる。まさに、その祭りを楽しむ光景だった。

見学は30分ほどだったが、街中を歩くと公費解体で空き地が点在する。ワッショイ、ソリャッーと響く祭りの掛け声は輪島の人たちが復興へと心を一つにしているように聞こえた。

⇒24日(日)午前・金沢の天気   はれ

★地震にめげない五重塔 海底隆起で新たに漁港 句碑が後ろ向く

★地震にめげない五重塔 海底隆起で新たに漁港 句碑が後ろ向く

きょう金沢市内のバス会社が企画した能登半島地震の被災地を巡るツアーに参加した。テーマは「能登半島地震を風化させないために(減災企画)」。企画した会社の営業所長は阪神・淡路大震災を経験したことをきっかけにこれまでも東日本大震災の被災地で学ぶツアーなど企画している。今回も、参加者が被災の状況や復興の取り組みを直接見聞きすることで、今後の災害と向き合う減災の取り組みに役立ててほしいと企画した。ツアーで巡ったポイントの中からいくつか。

北陸随一の五重塔=写真・上=が羽咋市の妙成寺にある。二王門(国重文)をくぐると、高さ34㍍の優美な姿を現す。執事の大句哲史氏の説明によると、日蓮聖人の孫弟子の日像上人が1294年に開山した北陸最初の法華道場という。その古刹を熱心に保護したのが加賀藩祖・前田利家の側室で、2代藩主の利常の母の寿福院だった。妙成寺を菩提寺と定め、五重塔など整備した。能登半島地震では羽咋市は震度5強の揺れ。築400年余りの五重塔は無傷だった。妙成寺は海辺に近いことから、内部の木組みは風に強く、破壊力を吸収する構造となっているという。大句氏は、「重要文化財ですが、これを機にぜひ国宝に」と述べていた。

能登の海岸は日本海側を外浦(そとうら)、そして七尾湾側の方を内浦(うちうら)と呼んでいる。去年元日の地震では外浦は海岸の隆起、内浦では地盤沈下が起きた。外浦の輪島市門前町の鹿磯(かいそ)漁港では、地震で海底が4㍍も隆起した。被災地を案内してくれた谷内家次守氏によると、隆起した場所を活用して新たな港を造っているとのこと=写真・中=。実際に鹿磯漁港に行ってみると、なるほどと思った。隆起した部分に道をつけ、漁獲した魚を水揚げする場所が新たに設けられていた。谷内氏は「現地を見てもらい、復興に向けた地域の思いが伝わったらうれしい」と。

同じく同市門前町の曹洞宗の大本山・総持寺祖院は2007年3月25日の能登半島地震で大きな打撃を受け、14年の歳月をかけ完全復興を宣言。輪島市民にとって「復興のシンボル」でもあった。副監院の高島弘成氏によると、去年元日の地震では33㍍の廊下「禅悦廊」が崩れるなど国の登録有形文化財17棟全てが被災した。そして、案内してもらったのが、坐禅堂前の俳人・沢木欣一の句碑。地震の右回転の揺れによって180度回転し、句碑は後ろ向きになった=写真・下=。高島氏は「しばらく誰も気づかなかった。それにしてもこれが自然のチカラなんです」と。ちなみに句は、「雉子鳴いて 坐禅始まる 大寺かな」

静寂な寺で座禅修行の始まりを告げるかのようにキジの鳴き声が聞こえる。視覚的なイメージと聴覚的なイメージが絶妙に組み合わさり、場の情景が伝わってくる。

⇒23日(土)夜・金沢の天気 はれ

☆能登・祭りの輪~八朔祭に秘められた男神と女神の逢瀬の物語~

☆能登・祭りの輪~八朔祭に秘められた男神と女神の逢瀬の物語~

能登の夏祭りをテーマに各地を訪れているが、祭りの中心となる地域の神社は去年元日の能登半島地震で多く損壊した。社殿のほか鳥居が倒れるケースが目立つ。それをことしの夏祭りまでに再建しようと地域が力を合わせ、また他の震災地の人々の支援を受けて完成にこぎつけた事例(今月17日・18日付のブログ)もある。

きのう21日に訪れた志賀町富来領家町の住吉神社の鳥居も、今月23、24日の夏祭りを前に1年7ヵ月ぶりに再建された=写真・上=。社殿はまだ修復中だったが、高さ5㍍ほどの鳥居は木製で造られ、近づくとヒノキの香りがした。それまでの鳥居は石造りだった。境内で祭りの準備を行っていた地域の人に話を聴くと、「神輿で新しい鳥居の下をくぐるのを何よりも楽しみにしているんです」と目を細めていた。

あすからの祭りは、「冨木八朔(とぎはっさく)祭り」と呼ばれ、能登でも知られた祭りだ。むしろ能登では「くじり祭り」として知られる。「くじり」は男女の性行為のことだ。なぜそう呼ばれるのか。境内にある祭りの説明看板にはこう記されている。

「その昔、岩舟に乗り増穂浦(※富来地区の海岸)に漂着した男神が住吉神社の女神に助けられ、夫婦になりました。ところが、荒波の音を嫌った男神は里山の冨木八幡神社に遷座してしまいました。その後、男神は年に一度(旧暦の八月朔日)に女神との逢瀬のため住吉神社に渡御したことが冨木八朔祭礼の始まりと言われ、約800年の伝統を誇ります」

男神と女神が逢瀬を交わすことが祭りのルーツとされ、それが「くじり祭り」として伝えられてきた。2日間にわたる祭礼の1日目は「お旅祭り」と称され、町内各地から大小30本のキリコが冨木八幡神社に集結する。男神を乗せた神輿とともに夜道を練り歩きなながら2㌔離れた住吉神社に届ける。2日目は本祭りで10基の神輿が増穂浦に勢ぞろいし、白砂青松の海岸を渡御する「浜廻り」が行われる。その後、街中を練り歩き男神を八幡神社まで送り届ける。

ストーリー性といい、キリコと神輿の巡行といい、じつにダイナミックな祭りだ。ちなみに、男神が嫌った「荒波」はおそらく冬場の荒海だろう。富来地区には、松本清張の推理小説『ゼロの焦点』の舞台となった名所の能登金剛があり、清張の歌碑がある。『雲たれて ひとり たけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅』。清張が能登で初めて見た荒海の情景。人は出世欲、金銭欲、さまざまな欲望をうねらせて突き進むが、最後には自らの矛盾や人間関係、社会制度に突き当たって一瞬にして砕け散る。ズドンと音をたてて砕ける荒海から、サスペンスのイメージを膨らませたのかもしれない。

⇒22日(金)午後・金沢の天気  はれ

★内閣支持率が上昇、「石破降ろし」に対する有権者の同情か

★内閣支持率が上昇、「石破降ろし」に対する有権者の同情か

有権者の政治に対するこの思いをなんと表現すればよいのだろうか。石破総理が率いる自公政権は去年10月27日の衆院選、そして先月20日の参院選で大敗したものの、世論調査の内閣支持率が上がっている。今月18日付の朝日新聞の世論調査(16、17日に電話調査・有効回答1211人)の結果を読んで、少々驚いた。見出しは「首相辞任『必要ない』54%に増 内閣支持率上昇36%」とあった=写真=。

自身も先月24日付のブログ「★『信なくば立たず』 続投に執着する石破総理が失う求心力」で、「参院選で過半数を失ったにもかかわらず、比較第1党として『国政に停滞を招かない』と続投を表明。さらにアメリカとの関税交渉を理由に再び続投を表明した。なぜここまで執着する必要があるのかと有権者の一人として考え込んでしまう」と石破氏の政権執着を批判的に述べた。参院選からきょうで1ヵ月経ったが、政治は何も変わっていない。ただ、支持率が上昇しているのだ。

先の朝日新聞の世論調査は見出しにあるように、今回の内閣支持率は36%と前回調査(7月26、27日)の29%から上昇している。そして「参院選の結果を受けて、石破首相は首相を辞めるべきだと思いますか」の問いには、「辞めるべき」が36%で、前回41%から低下、「その必要はない」が54%で、前回47%から上昇し、過半数を占めた。政党支持率は自民20%と前回と同数値、公明は3%、前回4%だった。ちなみに、自民党支持層での「辞めるべき」は20%、前回は22%、「その必要はない」が76%、前回70%だった。

政党支持率は上がっていないのに内閣支持率が上がっていることをどう読めばよいのか。一つの見方として、参院選の敗北直後から高まってきた、いわゆる自民党内の「石破降ろし」にむしろ有権者は石破氏に同情を寄せているのかもしれない。そもそも衆院選、そして参院選の敗北の根底には「裏金問題」が尾を引いていた。この裏金問題に絡んで議員に対して、石破総理は即決感のある対応で方針を公表した。党の処分が継続中なら政治倫理審査会で説明した場合を除き非公認とし、不記載議員は公認する場合も比例代表への重複立候補を認めない、など。

衆参両選挙で大敗を喫したそもそもの原因は裏金問題であり、自民党内の石破降ろしは責任の転嫁ではないのか、という有権者の目線が石破氏には同情として注がれているのかもしれない。

⇒20日(水)夜・金沢の天気  はれ

☆庭に咲くユリの花 同じユリでも外来種は駆除すべきか

☆庭に咲くユリの花 同じユリでも外来種は駆除すべきか

庭のタカサゴユリの花が開き始めた=写真・上=。例年ならば処暑(8月23日)のころが開花の時季だが、ことしは5日ほど早いようだ。旧盆が過ぎた今のこの頃は花の少ない時季でもあり、金沢では茶花として重宝されている。

10年ほど前の話だが、このタカサゴユリをめぐって意見を交わしたことがある。金沢大学で教員をしていたときのことだ。金沢ではタカサゴユリを茶花として床の間に飾ることを話すと、植物の研究者が「えっ、あんな外来種を床の間に飾るなんてバカげている」と嘲笑したのだ。自身もそのときまではあまり自覚はなかったが、タカサゴユリは漢字名で「高砂百合」。日本による台湾の統治時代の1924年ごろに園芸用として待ち込まれたようだ(Wikipedia「タカサゴユリ」)。当時としては外来種という意識もなく、ユリとして日本人になじんだのだろう。そして、茶室の床の間にも飾られるようになった=写真・下=。

ところが、先の植物の研究者のように、立場が異なればタカサゴユリは外敵、目の敵だ。国立研究開発法人「国立環境研究所」の公式サイトには、「侵入生物データベース」にリストアップされている。侵入生物、まるでエイリアンのようなイメージだ。「学名」はLilium formosanum。注目したのは、「備考」だ。「全国的に分布を広げている種であり、自然植生に対して悪影響が及ばないよう、適宜管理を行う必要がある」と記載されている。ただ、以前読んだ「備考」では、「近年各地で繁茂しているが花がきれいなためなかなか駆除されない。少なくとも外来種であることを周知する必要がある」と書かれていて、苦々しさが伝わってくるような文面だった。いずれにしても要注意の植物と指摘している。

植えた覚えはないので、おそらく種子が風に乗って庭に落ちて、繁殖したのだろう。確かに繁殖力は強い。根ごと抜いてもいつの間にか生えてくる。前述のデータベースの「影響」の欄には、「植物病害ウイルスの宿主であることが報告されており、これらのウイルスを在来植物種に媒介するリスクが想定される」とあり、在来種を枯らす恐れもあるようだ。

花を見ていれば、心が和む。それを在来種に影響を与える外来種だと区別して駆除すべきなのか。ある意味悩ましいタカサゴユリではある。

⇒19日(火)午後・金沢の天気  はれ

★能登・祭りの輪~岩手から神戸から、震災の縁がつながる曽々木大祭~

★能登・祭りの輪~岩手から神戸から、震災の縁がつながる曽々木大祭~

能登の祭りを見学に訪れると、前回ブログで述べた神輿の修復だけでなく、祭りに関わる地域を超えた支援がさまざまにあることが分かった。輪島市町野町曽々木の春日神社では16日に曽々木大祭が営まれた。きのう17日に境内に行って見ると鳥居が真新しくなっていた=写真・上=。近所の民宿のおばさんに尋ねると、去年元日の能登半島地震で鳥居が崩れた。「それを新しくしてくれたおかげで気持ちよく祭りができたんやわ」「岩手の人のおかげなんやわ」と話してくれた。

そこでネットでも見てみると、インスタグラムやX(旧ツイッター)でその鳥居の再建の様子がいくつか書き込まれている。東日本大震災の被災地でもある岩手県大槌町の石材業者が去年元日の能登半島地震の被災地の炊き出しなどのボランティアに1月下旬に能登に入った。東日本大震災の津波で社屋や車などを流されているだけに、被災者の一人として能登で何かできることはないかと考えていた。そのとき、曽々木で春日神社の鳥居が崩れているのを目の当たりにして修復を思い立った。ただ、そのときは能登半島は一般の車両走行も難しく、ことしに入って本格的に作業を始めた。

再建を指揮したのは、岩手県大槌町の「つつみ石材店」の芳賀光氏。ことし5月にほかの支援者も集まり、作業を進めて再建にこぎつけた。経費は「破格の値段」だったようだ。7月19日には芳賀氏や地元の人々が参加して「新鳥居くぐり初め」の神事が営まれた。関係者はそのときの様子をインスタグラムでこう述べている。「この特別な瞬間は曽々木地区の絆を深め、多くの温かい思いが集まりました。この感謝を忘れず、これからも曽々木地区の再建に向け共に頑張ります」。そして、今月16日の曽々木大祭では新しい鳥居の下を初めて神輿がくぐった。

祭りにはもう一つ被災地の縁があった。祭りにはキリコが4本が出たが。それを担ぎ上げたのは地元の若衆と関西からの学生ボランティアら120人だった。去年に続いて祭りに駆けつけたのは、NPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」(通称「HANDS」)=写真・下=。去年、震災の影響で担ぎ手が減少し、祭りの存続が危ぶまれていたことを知ったHANDSが支援を申し出て、開催にこぎ着けた経緯がある。地域を超えた同じ被災者からの支援の輪が能登の伝統文化を守り支えている。

⇒18日(月)午後・金沢の天気  はれ

☆能登・祭りの輪~復活した黒島天領祭に秘められた物語~

☆能登・祭りの輪~復活した黒島天領祭に秘められた物語~

輪島市門前町黒島の祭礼「黒島天領祭」(8月17、18日)は能登の祭りの中でも独自色がある。そもそも天領祭のいわれは何か。かつて北前船船主が集住した黒島地区は貞享元年(1684)に江戸幕府の天領(直轄地)となり、立葵(たちあおい)の紋が贈られたことを祝って始まった祭礼とされる。祭りはキリコを担ぐ能登のほかの祭りとは異なり、都(みやこ)風な趣がある。去年元日の能登半島地震でメインの神輿が損壊し、2年ぶりの巡行となった。

2基の曳山は輪島塗に金箔銀箔を貼りつけた豪華さ、「百貫」(375㌔㌘)もある神輿だ=写真・上=。小学生による奴(やっこ)振り道中のほか。地元の人たちは麻の黒い半纏(はんてん)を粋に羽織っている。

祭りの舞台となる黒島の街並みは重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されていて、しかも道幅は狭いところで4㍍ほど。ここを曳山が巡行するので道路沿いの家の屋根部分に接触しないよう舵取りが必要となる。そこで求められているのは、きびきびとしたシステマチックな動きだ。

巡行する街路は山と海それぞれに平行に走っている。地元のベテランの舵取り担当が「山一つ」と声を上げると、担ぎ手は一斉に山側に舵棒を1回押す。すると、曳山の車輪は海側に10度ほど舵を切ることができる=写真・下は2017年8月の黒島天領祭=。「海二つ」と声が上がると、海側に2回押して山側に20度ほど舵を切る。この作業を繰り返しながら、曳山は曲線道路を器用に巡行するのだ。

2年目で天領祭が復活したのも、壊れた神輿を修復できたことにあるようだ。メディア各社が伝えている。震災後、黒島の出身者らでつくる姫路市のボランティア団体「黒島支援隊」が壊れた神輿のことを知り、姫路の「灘のけんか祭り」(兵庫県指定重要無形民俗文化財)の神輿を手がけてきた宮大工の男性に修理を持ち掛けた。男性は厚労省の「現代の名工」に選ばれている福田喜次氏73歳。依頼を快諾し、無償で修理を引き受けた福田氏は壊れた部材をすべて姫路へ運び、祭りの写真や動画を参考にしながら、小さいもので数センチ片になった部材を少しずつ組み上げた。8ヵ月ほどかけて完成させた(朝日新聞、神戸新聞web版)。

地域を超えた支援の輪が能登の伝統の祭りを復活させたのだ。秘話のようなストーリーだ。祭りはあす18日も引き続き行われる。

⇒17日(日)夜・金沢の天気  はれ

★能登・祭りの輪~2年ぶり復活、海で乱舞する大漁祭り~

★能登・祭りの輪~2年ぶり復活、海で乱舞する大漁祭り~

旧盆のこの時季、能登の各地では祭りが開催されている。奥能登の穴水町では海の安全と大漁を願う「沖波大漁祭り」が14日と15日の両日、能登半島地震から2年ぶりに復活した。祭りは5本のキリコが町中を練り歩き、15日には海中へキリコを担ぎ込んだ。

担ぐキリコは高さ5㍍ほど。鉦(かね)と太鼓が打ち鳴らされ、「ヤッサイ、ヤッサイ」と威勢のよい掛け声で法被姿の担ぎ手が首まで海水につかりながら大漁を祈願し巡行した。両日は35度近くの暑さで、例年だと午後2時からキリコを動かすが、ことしは暑さ対策として午後4時からに変更しての巡行となった。祭りの復活は能登半島地震で被災した能登の復興のシンボル、そんな光景でもある。(※写真・上は、穴水町の沖波大漁祭り=日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」 活性化協議会の公式サイトより)

七尾市中島町で14日に営まれた「釶打(なたうち)おすずみ祭り」(新宮納涼祭)では5本のキリコのそうろくに300年以上も燃え続けている「火様(ひさま)」が点火され、祭りを盛り上げた。能登ではかつて、囲炉裏の灰の中から種火を出し、薪や炭で火を起こした。そうした先祖代々からの火のつなぎのことを「火様」と言い、就寝前には灰を被せて囲炉裏に向って合掌する。半世紀前までは能登の農家などで見られた光景だったが、灯油やガス、電気などの熱源の普及で、囲炉裏そのものが見られなくなった。同町では能登でただ一軒、その火様の伝統を守っている民家があり、今回、伝統の祭りと火様がつながった。(※写真・下は、七尾市の釶打おすずみ祭り=同)

もう一つ祭りの話。能登の夏まつりでは、それぞれの家が親戚や知人を招いてご馳走でもてなすヨバレの風習がある。その家の自慢の料理が出る。そのなかでも印象に残っているのが、魚を塩と米飯で乳酸発酵させた「なれずし」。琵琶湖産のニゴロブナを使った「ふなずし」は有名だが、能登でもなれずしは祭りの伝統食だ。

能登町のある民家を訪ねると、アジ、ブリ、アユのなれずしを出してくれた。なれずし独特の匂いがあり、なじめない人も多いという。ただ、食通にはたまらない味と匂いのようだ。アユは5年もので、家の主人はが「ヒネものです」と説明してくれた。ヒネものとは2年以上漬け込んだもの。地酒ととても合う。

能登の祭りには伝統のキリコだけでなく、祭りの伝統料理がある。この伝統を守っていこうという地元の人たちの意気込みこそ、震災からの復興を絆(きづな)で結ぶエネルギーではないだろうか。

⇒16日(土)夜・金沢の天気   はれ