☆本州のトキ絶滅から半世紀 能登で復活願い「トキの日」制定

☆本州のトキ絶滅から半世紀 能登で復活願い「トキの日」制定

きょう5月22日は石川県が独自に制定した「いしかわトキの日」だ。来年6月から能登半島で放鳥が始まるのを記念して、「国際生物多様性の日」でもあるこの日を「トキの日」とした。今週24日にはいしかわ動物園や能登空港など県内5ヵ所でイベントが開催されるようだ。

能登の人々と対話していて、トキに対する愛着心というものを感じることがある。もう半世紀以上も前の話だが、1970年1月、本州最後の1羽のトキが能登半島の穴水町で捕獲された。トキは渡り鳥ではなく、地の鳥である。捕獲されたトキはオスで、「能里」(のり)という愛称で地元で呼ばれていた。能里の捕獲は繁殖のため新潟県佐渡市のトキ保護センターに移すためだった。

能里の捕獲と佐渡行きについては当時、地元能登でも論争があった。「繁殖力には疑問。最後の1羽はせめてこの地で…」と人々の思いは揺れ動いた。結局、トキ保護センターに送られることになる。論争がありながらも最後の1羽を送り出した能登の人たちの想いはまだ記憶されている。穴水町に行くと、今でも「昔、能里ちゃんはここら辺りを飛んでいたよ」と話すお年寄りがいる。「ちゃん」付けに能里への想いがこもる。

その能里は翌1971年に死んで、本州のトキは絶滅した。その後、能里は剥製となって石川県に里帰りし、毎年の愛鳥週間(5月10-16日)に期間限定で県立歴史博物館(金沢市)で展示されている=写真=。来年6月からの放鳥で再び能登がトキの里として復活することを県民の一人として願っている。

⇒22日(木)夜・金沢の天気    くもり

★米価高騰再び ”無銭米”農相「貧乏人は麦を食え」と言うのか

★米価高騰再び ”無銭米”農相「貧乏人は麦を食え」と言うのか

きょうは二十四節季の一つ、「小満」にあたる。草木や花々、鳥や虫も、そして人も日を浴びて輝く季節という意味が込められた季語のようだ。金沢は朝からムッと暑かった。自宅近くの街路の温度計は正午過ぎで30度だった=写真・上=。真夏日だ。スーパーの駐車場に行くと、車から出て日傘を差す人や、店から出て日傘を差す人の姿が多く見られた。太陽の光を避けるのはもはや現代人の習いか。

スーパーに入ると、コメ売り場に目が向いてしまう。地元石川県のブランド米「ゆめみずほ」の5㌔袋が3980円(税込み4299円)だった=写真・下=。つい、「また高くなっている」と思った。前回4月14日付のブログでも書いたが、このときは備蓄米の放出の効果で、「ゆめみずほ」は3580円(税込み3867円)だった。その5日前の4月9日には4080円(税込み4407円)だった。1ヵ月半余りで、400円から500円の乱高下を繰り返している。

一方、コメはあるところにはあるようだ。報道によると、きょう江藤農水大臣は、総理官邸で石破総理に辞表を提出した。江藤氏は今月18日に佐賀県での講演で、「私もコメは買ったことありません。正直。支援者の方々がたくさん米をくださるんでですね。まさに売るほどあります、私の家の食品庫には。大変なんですよ、もらうというのも」などと発言。地元紙などが報じ、批判が広がっていた。

江藤氏は衆院宮崎2区選出で、現在8期目のベテラン議員ながら、この発言はコメの生産者にも、そして消費者にも配慮のない発言ではないだろうか。備蓄米の放出の陣頭指揮を執った大臣の発言とは思えない。「貧乏人は麦を食え」は、コメの価格が高騰していた1950年の当時の池田勇人大蔵大臣の有名な発言だが、江藤氏の発言はまさに「コメが食えなければ麦を食え」と言っているようなものだ。

⇒21日(水)夜・金沢の天気   くもり 

☆能登地震で新たな名所「絶景海道」 観光の最先端に

☆能登地震で新たな名所「絶景海道」 観光の最先端に

去年元日の能登半島地震の後の海岸線とめぐると、これまで見たことがないような絶景が広がっている場所がいくつかある。その様子はこのブログの2024年12月28日付「☆変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その3~」でも紹介した。きのう(19日)のNHKの石川ローカルニュースによると、国が認定する「日本風景街道」への登録を目指す動きが報じられていた。以下、NHK公式サイトからそのニュースを引用する。

                  ◇

国土交通省などは能登地方の海沿いの道路を「絶景海道」として、地震で隆起した海岸を新たな名所とするなど復興の指針となるプランをまとめることになりました。

国土交通省や県、能登地方の7つの市と町は、能登半島地震と豪雨災害からの復興を進めるための検討会を立ち上げています。検討会では眺めのいい沿岸部を通る全長250㌔の道路を「能登半島絶景海道」として、道路の整備を中心に復興の指針となるプランを話し合っています。

先週開かれた2回目の会合では4つの方針が示され、地震によって隆起した海岸を新たな「絶景」として周遊ルートに組み込むことや道の駅のサービス機能を拡充させることが盛り込まれました。また、サイクリングルートとして自転車で走りやすい環境を整備することや国が認定する「日本風景街道」への登録を目指すことも盛り込まれました。

検討会はさらに具体的な取り組みについて話し合い、ことし秋ごろまでにプランをまとめることにしています。検討会の委員長を務める金沢大学の藤生慎教授は「地震による地形の変化で新たな観光スポットもできた。計画が実現すれば観光面で最先端の地域になると期待している」と話していました。

                   ◇

塩田村で知られる珠洲市仁江町と同市真浦町を結ぶ逢坂トンネルは土砂で埋まり、国土交通省はトンネルの海側沿いに全長1.7㌔の迂回路を造成した。この迂回路を走ると、地震で崩れた山の岩肌がむき出しになった光景が続き、まさに見る人を圧倒する。この光景はまさにジオパーク(Geopark)ではないだろうか。大地の造形物は何千年、何万年と歴史を刻みながら少しづつ姿を変えきたのだと実感する。上記の検討会の委員長のコメントにあるように、「観光面で最先端の地域」ではないだろうか。3千年に一度の地震と称される能登半島地震の跡をどう活かすか。

⇒20日(火)夜・金沢の天気   くもり

★愛子さま金沢到着に歓迎の列/SNSを断った知人のこと

★愛子さま金沢到着に歓迎の列/SNSを断った知人のこと

きょう正午ごろ、JR金沢駅東口の前の通りを車で行くと、通りに人が行列ができていた。移動ではなく、出迎えという様子で警察官が列を仕切っていた。思い出した。皇室の愛子さまがきょうから能登半島地震の被災地を訪ねるため、間もなく金沢駅に到着されるのだ、と。それにしても愛子さまを一目見ようと長い行列だ。100㍍余りだろうか。列の長さは愛子さま人気のバロメーターなのかもしれない。

話は変わる。東京在住の知人からメールがあり、15年ほど続けてきたX(旧Twitter)のアカウントを削除したと書かれてあったので、「どうして」と返信すると、長文のメールが届いた。以下、本人の了解を得て要約したものを紹介。

「ツイッターでは新たな人間関係もできて、いろいろな反応や情報をもらったりして、最初は居心地が良く楽しかった。いつの間にか生活の一部ようになって、そのうちなんだか依存性のようになってきて、人から情報摂取を続けることがおっくうにも感じるようになった」「そこで、70歳になったのを機にやめたんだよ。人とのネットワークを失うことの抵抗感もあったけど、いまこそ断つべきと決断したよ・・・苦笑」

「最近SNSにまつわる事件が多いことも気になっているんだ。知り合いが海外で運営されているオンラインカジノに誘われていると言ってきたので、金を賭けてスロットやバカラに参加すれば、日本では賭博罪なるからやめとけと注意したんだ」、「毎日のように新聞やテレビで取り上げられているけど、SNSでもうけ話に誘われる投資詐欺も目立っている。恋愛感情につけ込んだロマンス詐欺も多くある。SNSがまるで『悪の温床』のようになっているよ」

知人からの文面で、人とSNSの15年間の変遷を垣間見た思いだった。情報の断捨離を経て、これから身軽で快適な生活を送られることを願う。自分自身はXなどSNSのアカウントは持ってない。これまで何度かSNSに誘われたものの、このブログ「自在コラム」だけでも十分に時間が取られるので断ってきた。ブログは人とのネットワークがコンセプトではないので、ある意味で楽だ。ブログとの付き合いは20年経つが、あとしばらく続ける。

⇒18日(日)午後・金沢の天気  くもり

☆コウノトリとトキの共生、能登で描くあるべき自然の姿

☆コウノトリとトキの共生、能登で描くあるべき自然の姿

能登でコウノトリとトキは共生できるのか・・・。きょう金沢市にある石川県立図書館で開催された生物多様性を考える集いで話題になったテーマの一つだった。能登半島では志賀町の山中のほか、金沢市に隣接する津幡町の平野でもコウノトリのヒナが誕生。また、奥能登の珠洲市と穴水町でも営巣が新たに確認されている。「コウノトリが住み着くと幸福が訪れる」「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」との伝承がヨーロッパにあるように、コウノトリが能登ににぎわいもたらすのではないかと話が弾んだ。

そして、環境省は来年2026年6月にも能登で放鳥を行うことをすでに決めている。具体的な放鳥の場所についてはことし7月ごろまでに決定し、1度に15から20羽ほどを複数年にわたって放鳥する計画のようだ。トキもコウノトリも国の特別天然記念物であり、全国的に注目される「国鳥の聖地」になるかもしれない。(※写真・上は、能登の電柱で営巣するコウノトリ=今月3日撮影)

トキもコウノトリもエサとしているのが、カエルやドジョウ、メダカなどだ。そこで出た話が、エサをめぐって鳥同士が争いをしないだろうか、という点。これについて鳥類の研究者の話。かつて、佐渡を訪れたとき、トキのエサ場にコウノトリ1羽が舞い降りた様子を観察したことがある。トキは数羽いたが、コウノトリがエサをついばんでも威嚇することもなく、「知らんぷりという様子だった」。しばらくして、コウノトリは飛び立っていった。

コウノトリの研究者の話。コウノトリ同士がエサをめぐって威嚇する様子をこれまで見たことがあるが、コウノトリがほかの鳥にちょっかいをかけたりすることは見たことがない、と。カラスがコウノトリを威嚇することもある、との話だった。(※写真・下は、輪島市三井町洲衛の空を舞うトキ=1957年、岩田秀男氏撮影)

2人の研究者の話として、「コウノトリやトキに限らず、動物を野生復帰、そして定着させる際には、自然状態で十分なエサを捕ることができる環境が大切。エサをめぐって鳥同士がたとえ争っても、人が関わらないことが大切では」とのことだった。

⇒16日(金)夜・金沢の天気  くもり

★「清く貧しく美しく」哲人政治家ホセ・ムヒカ氏逝く

★「清く貧しく美しく」哲人政治家ホセ・ムヒカ氏逝く

金沢の自宅庭にシャクヤクが花を咲かせている=写真・上=。「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」という言葉があるように、上品な女性の姿をイメージさせる。花言葉は「恥じらい」。とても優雅な花なのに、「恥じらい」とは、なぜと

思ってしまう。その由来は、シャクヤクは夜になると花を閉じる習性があり、その姿から「恥じらう様子」がイメージされたようだ。それにしても花は精気を放ち、心を和ませてくれる。

話は変わる。 「世界一貧しい大統領」として知られたウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏が今月13日、亡くなったと報じられている。享年89歳、2010年から15年まで大統領を務めた。4年半ほど前になるが、朝日新書『ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ』(2016)を読んでその人となりに感動し、このブログで書いたことがある。以下、再録する。

ムヒカ氏の言葉は日本人に心によく刺さる。「私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」。まさに人生訓だ。もう一つ。「生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう」

ムヒカ氏がよく使う言葉は「Nobody is more than nobody」(英訳、同書)。誰も誰かより偉いということはない、という意味だろう。近い響きが、福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずといへり」(『学問のすゝめ』)ではないだろうか。こうしたムヒカ氏の言葉はどこからくるのだろか。ウルグアイの軍政下で13年にも及んだ刑務所生活での悟りのなのだろうか。ちなみに福沢の「天は人の上に・・」はアメリカの独立宣言の一節「・・ that on all men are created equal on、・・」 を意訳したものといわれている。(※写真・下は、朝日新書『ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ』の帯から)

ムヒカ氏は世界に向けても言い放った。2012年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された「国連持続可能な開発会議」(Rio+20)での演説。「西洋の豊かな社会と同じような消費と浪費を、世界の70億、80億の人ができると思いますか」「発展することが幸福を損なうものであってはなりません。発展とは、人間の幸せの味方でなくてはならないのです」と。

この著書を読んで思い浮かべたのは「清貧」という言葉だった。大統領在任中は公邸ではなく、質素な農場の自宅で暮らし、収入の大半を貧しい人たちに寄付した。あえて「清く貧しく美しく」という生き方を実践した人物だった。冒頭のシャクヤクのような、人生の花を咲かせた。冥福を祈りたい。

⇒15日(木)夜・金沢の天気  はれ

☆トレーラーハウスで時代を走る 輪島塗アート&工房

☆トレーラーハウスで時代を走る 輪島塗アート&工房

輪島と言えば輪島塗だ。徹底した分業で専門職人の手から手へと渡るプロセスがあり、木地づくりから塗り、加飾までじつに124の工程があるといわれている。こうした綿密な作業工程から完成度の高い漆器が生まれる。「NOTO、NOT ALONE研究所」の次に、知り合いの「田谷漆器店」を訪ねた。

漆器工房は地震で倒壊したため、トレーラーハウスでギャラリー=写真・上=と工房が造られていた。訪ねたのは日曜日ということもあり、ギャラリーは休館で本人がいる様子もなかった。外から窓越しに中をのぞくと、整然と作品が並んでいる=写真・下=。下のカップはひょっとしてあのカップではと思い浮かんだ。

あのカップとは、去年4月、当時の岸田総理がアメリカを訪問し、バイデン大統領にお土産として手渡したのが輪島塗のコーヒーカップだった。プレゼントしたカップにはバイデン夫妻の名前入りで、青と黒のグラデーションが施されていた。岸田氏は、被災した能登で創られている日本ではとても有名な「lacquerware(漆芸品)」だと紹介した。あのコーヒーカップはこの漆器工房でつくられたものだった。

震災、そして余震も続いたが、輪島塗は124の工程を綿密に重ね、いまもトレーラーハウスでつくられている。でも、ふと思った。なぜ仮設店舗ではないのだろうか、あえてトレーラーハウスを使用する理由は何か、と。以下憶測だ。トレーラーハウスが使用されたのは去年の9月以降だ。あの48時間で498㍉という「記録的な大雨」に見舞われたことを教訓に床を高くしたのか、と考えた。さらに、仮設店舗より外観にデザイン性があり、別荘のような趣(おもむき)だ。

まずは漆器工房のオーナー本人に尋ねてみよう。あれこれ思いをめぐらしながら現地を後にした。

⇒14日(水)午前・金沢の天気  はれ

★トレーラーハウスで時代を走る 「NOTO,NOT ALONE」

★トレーラーハウスで時代を走る 「NOTO,NOT ALONE」

おととい(11日)輪島市の白米千枚田の田植えの様子を見学した帰りに市街地をめぐった。200棟余りが全焼した朝市通り周辺は損壊したビルなどが撤去され、原っぱのようになっていた。行政では今後、この地区の復興をシンボルプロジェクトと位置付け、建築家の隈研吾氏を「復興まちづくり特別アドバイザー」に迎えて再開発計画を進めている。

街中で目立ち始めているがトレーラーハウスを活用したショップかもしれない。中心部の小路に入ると、「NOTO、NOT ALONE研究所」と記されたトレーラーハウスがあった=写真=。社会福祉法人が運営するショップで、コーヒーやクラフトビール、オリジナルTシャツなどを販売している。ショップの女性に「NOTO, NOT ALONE」の意味を尋ねると、「能登はひとりじゃないですよ、お互い繋がりましょうという意味です」とのこと。そして、意味はさらに深かった。

店のパンフによると、社会福祉法人では近隣にスポーツジムや障害者が共同生活を送るグループホームをいくつか設けている。高齢者が健康なうちに地方に移住し、終身過ごすことが可能な生活共同体のことをCCRC(Continuing Care Retirement Community)、と言うそうだ。CCRCは1970年代にアメリカで始まり、全米で2000ヵ所のCCRCがあるともいわれる。都会での孤独死を自らの最期にしたくないと意欲あるシニア世代が次なるステージを求めている。そうした人々を受け入れる仕組みづくりを輪島で目指しているようだ。

「NOTO, NOT ALONE研究所」は震災以降で立ち上げたショップだが、まさにCCRCのコンセプトを込めたネーミングのように思えた。

⇒13日(火)午後・金沢の天気   はれ

☆「トキが来る田んぼに」 千枚田レジリエンスの田植え250枚 

☆「トキが来る田んぼに」 千枚田レジリエンスの田植え250枚 

去年元日の能登半島地震、そして9月の「記録的な大雨」の被害を受けた輪島市の白米千枚田で田植えが行われている。きょう現地を見に行った。地元の人たちと棚田のオーナー、そして支援ボランティアの50人ほどが裸足で田んぼに入り、苗を植えていた=写真=。

白米千枚田は4㌶の斜面に1004枚の棚田が広がり、2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な存在だ。それが、去年の地震で8割の田んぼにひび割れなどの被害が出た。地元や棚田のオーナー、ボランティアの人たちが懸命に修復作業を行い、去年は120枚で田植えを行った。ところが、120枚の稲刈りを終えた9月21日に48時間で498㍉という「記録的な大雨」に見舞われ、棚田に土砂が流れ込むなどの被害が出た。これも3者で土砂の除去作業などが行い、ことしは250枚で田植えを行うとのこと(白米千枚田景勝保存協議会)。

現地で見学していると、地元の人が転枠(ころがしわく)を田んぼで回し、その後に棚田のオーナーやボランティアが苗を植えていた。近くの駐車場で停めてあった車のナンバーを見ると、「金沢」を始め「世田谷」などがあり、全国から集まっているようだ。一人から話を聞くと、「トキが来てくれるといいなと思っています」と。来年6月に環境省が能登でトキを放鳥することを意識して、千枚田にトキのエサとなるドジョウやメダカなどが繁殖するように、ことしは無農薬で有機肥料を使って田植えを行っているという。

2重災害にめげず、さらにトキが訪れる田んぼを目指して田植えをしている。千枚田を耕す人びとのモチベーションの高さには敬服する。6月に草を取り、9月に稲刈りを行う。

⇒11日(日)夜・金沢の天気  くもり

★能登の湾に浮かぶソーラーパネル 「とり貝」をICT養殖

★能登の湾に浮かぶソーラーパネル 「とり貝」をICT養殖

能登の海を眺めているといろいろなことに気づく。内浦(うちうら)と称されている半島の東側の湾沿いでは、たくさんの「浮き」が並んでいる。浮きの下には、カキの種苗を付着させたホタテの貝殻をロープに通したものを吊り下げている。こうしたカキの養殖が盛んで、「能登かき」は人気ブランドになっている。

能登の里山の栄養分が川を伝って流れ、七尾湾に注ぎこむ。その栄養分が植物プランクトンや海藻を育み、海域の食物連鎖へと広がり、カキがよく育つとされる。とくに、里山の腐葉土に蓄えられた栄養分「フルボ酸鉄」が豊富にあるとされる。

そうした大量の浮きに交じって、湾の中にソーラーパネルが浮いている=写真・上=。何だろうと思って眺めていると、近くに漁師らしき人が通りかかったので尋ねた。「あれ何ですかね」と。すると、「トリガイだよ」と。「最近はあんなの使って養殖しとるんや」と。ソーラーパネルの筏(いかだ)の横には養殖用らしき筏も並んでいる。自宅に戻ってネットで調べた。分かったのは「スマート養殖」と呼ばれる、ICTを活用した養殖方法のようだ。

トリガイはホタテやアサリと同じ二枚貝の仲間で、寿司ネタとして利用される高級品種だ=写真・下、JFいしかわ公式サイト「能登とり貝」より=。ただ、養殖が難しい貝で、能登での生産量も数千個ほどとされ、市場にもそれほど多く出回ってはいなかった。それが、このところ「能登とり貝」として人気となっている。先日(今月8日)金沢市の卸売市場でことしの初競りが行われ、最も大きなものは1個6万円で落札されたと地元メディア各社が報じていた。

その「能登とり貝」を成長させているのが、どうやらICT養殖のようだ。筏にセンサーを設置して海の水温や塩分、酸素濃度、そして餌となるプランクトンの量などをチェックする。そして、稚貝の入ったかごを吊るした養殖筏を適切な海域に移動して育てる。これまで漁師の経験と勘で筏を設置する海域を決めていたが、海水温などの環境変化が著しいことから、センサーで監視するようになったようだ。その電源としてのソーラーパネルの筏が養殖筏の近くにある、という訳だ。

ことしは6万個の水揚げが見込まれ、生産量の6割が東京に、4割が金沢に出荷される(9日付・日経新聞)。「能登かき」に次いで、「能登とり貝」も人気ブランド化する日が近い。

⇒10日(土)朝・金沢の天気 くもり