☆蛇行する「のと里山海道」 国宝「色絵雉香炉」に愛嬌を感じる首かしげ

☆蛇行する「のと里山海道」 国宝「色絵雉香炉」に愛嬌を感じる首かしげ

  来年2025年は干支で言えば、「巳年」にあたる。「みどし」あるいは「へびどし」と読んでいる。「巳年」でイメージするのが、金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」だ。何しろ、ヘビがはうように、くねくねと左右、そして上下に曲がって走行することになり、まさに蛇行運転になる=写真・上、6月4日撮影=。元日の能登半島地震で、道路側面のがけ崩れや道路の「盛り土」部分の崩落などが起き、全線で対面通行が可能になったのはことし9月だった。その後遺症はいまも重く、この蛇行運転が余儀なくされる区間は制限速度が時速40㌔に引き下げられている。

  さらに冬の季節が本格的になれば、積雪が見込まれる。左右に土のうが積まれた箇所も随所にあり、除雪車の作業もかなりの時間を要することになるのではないかと、利用する側も案じる。

  「巳」の次は「雉」の話。きのう金沢市にある石川県立美術館に行く。「色絵雉香炉」(いろえきじこうろう)」が目玉の展示作品。地元石川県にある国宝2点のうちの1点である。京焼の祖といわれた野々村仁清が17世紀に焼いた作品。羽毛などを美しく彩り、豪華さがある。説明書によると、作品の幅 は48.3㌢、奥行が12.5㌢、高さが18.1㌢あり、鳥のキジのほぼ等身大のカタチをした香炉だ。じつに写実的に焼き上げられていて、飛び立つ寸前の姿を写し、気迫に満ちた緊張感あふれる作品と評されている=写真・中、県立美術館公式サイトより=。

  国宝に対して、これは適切な表現かどうかは分からないが、「面白い」と思ったのは首の部分だった。よく見ると、わずかに首を左にかしげていて、鳥の表情が絶妙に表現されている=写真・下、3日撮影=。ひと言で言えば、鳥の習性をじつによく観察している。個人的な話だが、幼いころ(小学低学年)に実家の納屋で十数羽のニワトリを飼っていて、エサやりが日課だった。エサを持って納屋に入ると、鳥たちは最初、首を少しかしげている。それから一斉にゆっくりと近づいてくる。エサをまくと、鳥たちはエサを突き始める。

  鳥の目は頭の横にあるので、首を横にかしげる仕草はこちらを観察しているのではなくて、周囲の鳥たちの行動を見て一斉に動き出すのだと親から教わった。それにしても、鳥が首を少しかしげる仕草は人に愛嬌というものを感じさせる。仁清もそれを表現したかったのだろうか。

⇒4日(水)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

★燃えるような紅葉の那谷寺 青空に映える冠雪の白山

★燃えるような紅葉の那谷寺 青空に映える冠雪の白山

  久しぶりに石川県小松市にある名刹、那谷寺を訪れた。「石山の石より白し秋の風」。江戸時代の俳人、松尾芭蕉が那谷寺で詠んだ『おくのほそ道』の俳句だ。奇岩がそびえ立つ景観で知られる那谷寺は紅葉の名所でもある。境内ではモミジや、カエデなどが赤々と燃えて、見事な景観だった=写真・上、2日午前11時37分撮影=。

  境内を巡っていて、「紅葉良媒(こうようりょうばい)」という言葉を思い出した。見学に訪れている人たちを見ると、男女のカップルが多いことに気づき、この四字熟語が脳裏に浮かんできた次第。紅葉を見に行くことがきっかけとなって良縁が結ばれることを意味する言葉だ。さらに、奇岩がそびえ立つ那谷寺はパワースポットとしても知られ、若い人たちにとっては人気がある。「奇岩良媒」かもしれない。

  展望台から臨んだ「奇岩遊仙境」(国名勝指定)。ここから遊仙境を眺めると、寺でありながら赤い鳥居と稲荷社が点在するのが見える。パンフによると、奈良時代に創建された白山信仰の寺院とのこと。確かに、那谷寺の周辺からは白山が見える=写真・下、2日午前11時24分撮影=。青空に映えた冠雪の白山、じつに神々しい。

  「風かをる越しの白嶺を国の華」。これも芭蕉が詠んだとされる句。白山のまわりには、さわやかな風が吹き渡っていて、まるで国を代表するような山だ、と解釈する。白山は北陸3県ほか岐阜県にまたがる標高2702㍍の活火山で、富士山、立山と並んで「日本三名山」あるいは「三霊山」と古より称される。奈良時代には禅定道(ぜんじょうどう)と呼ばれた登山ルートが開拓され、山岳信仰のメッカでもあった。

  その白山を源流とする手取川は加賀平野を流れ、日本海に注ぎこむ。去年2023年5月にその白山と手取川がセットになって、ユネスコ世界ジオパークに認定された。遠方から白山を眺めると、白山には長く厳しい冬が訪れている。その名のとおり「白い山」となり、山容は穏やかでやさしい。芭蕉が讃えたように「国の華」のようだ。

⇒3日(火)夜・金沢の天気      くもり時々あめ

☆プラごみ国際条約の合意先送り 環境問題国と生産国との隔たり埋まらず

☆プラごみ国際条約の合意先送り 環境問題国と生産国との隔たり埋まらず

  12月に入った。先日、造園業を営んでいる人との立ち話で、「モズのはやにえ」のことが出た。鳥のモズはこの時季、捕らえたカエルなどの獲物を木の枝に突き刺す習性があり、突き刺した場所が低いと暖冬、高いと大雪になるとの風説がある。業者の人は「ことしは高めですね。例年は1.5㍍から2㍍ほどですが、ことしは3㍍のものもある。きっと大雪ですよ」と。話を聴いていた別の知人は「それは大変、ことしも雪囲いをしっかりよろしくお願いします」と真剣に受け止めていた。ただ、業者は「あくまでも話のネタですよ。当たる年もあれば当たらない年もある」と笑っていた。

  話は変わる。先月30日付のブログで、プラスチックによる環境汚染を防ぐための国際条約を2024年中にとりまとめる政府間交渉委員会(先月25日-今月1日)が韓国で開かれ、条文案の合意を目指している、と述べた。きょう公表された外務省公式サイトの「プラスチック汚染に関する法的拘束力のある国際文書(条約)の策定に向けた第5回政府間交渉委員会の結果概要」によると、焦点となっているプラスチックの生産量の世界的な削減目標を設けるかどうかなどについて各国の意見の隔たりが埋まらず、合意は見送られた。

  プラスチックの消費や廃棄物の量を減らすと同時に生産についてもできるだけ抑制していく必要があると主張した国々がある一方、プラスチックの原料になっている化石燃料の輸出に経済を依存している国々は、気候変動対策に加えて化石燃料の生産や輸出を制限される国際条約には反対した。対立点が改めて浮き上がった。

  国連環境総会(2022年3月)で法的拘束力のある国際条約を2024年中にとりまとめることを決議していたが、見送られることになった。プラスチックごみの量は2019年には世界で3億5300万㌧と20年で2倍以上に増えるなど深刻になっている。今回の政府間交渉委員会で日本は「プラスチックのライフサイクル全体での取組の促進」「プラスチック製品及びプラスチック製品に使われる化学物質に関する共通基準の明確化」「各国におけるプラスチック資源循環の促進」「環境に配慮した製品設計、リデュース・リユース・リサイクルの促進」などを提案し、積極的に条約交渉に関与していた(外務省「結果概要」より)。

  今後、改めて会合が開かれ、今回の交渉内容をもとに条文案をまとめるための協議が再開されるという。

(※写真は、2017年「奥能登国際芸術祭」の作品、深澤孝史氏作『神話の続き』。「現代の寄り神はゴミの漂着物」と訴え、海岸ゴミのポリ容器やペットボトル、漁具ゴミを白くペイントして鳥居に似せたオブジェ)

⇒2日(月)夜・金沢の天気    はれ

★プラごみ国際条約ようやく合意へ 日本海沿岸国で汚染対策条約を

★プラごみ国際条約ようやく合意へ 日本海沿岸国で汚染対策条約を

  プラスチックごみによる汚染問題は世界各地で深刻化している。排出や廃棄を規制する国際条約づくりがようやく動き出した。けさのNHKニュースによると、プラスチックによる環境汚染の防止に向け初めてとなる国際条約の案をまとめる政府間交渉委員会が、今月25日から韓国・プサンで行われている。プラスチックごみの量は2019年には世界で3億5300万トンと20年で2倍以上に増えるなど深刻なことから、各国はプラスチックによる環境汚染を防ぐため国連環境総会(2022年3月)で法的拘束力のある国際条約を2024年中にとりまとめることを決議し、今回の政府間交渉委員会で条文案の合意を目指している。

  交渉委員会のバジャス議長は29日に新たな条文の素案を示した。この中で、生産量の規制については2つの選択肢を示した。1つはプラスチックの生産量を持続可能なレベルにするため世界的な削減目標を設け、各国が生産量や、目標達成のために行った対応を報告するというもので、もう1つはプラスチックの原料となる石油を産出する産油国などが規制に強く反対していることを踏まえ生産量の規制については条約に盛り込まないとしている。そして、プラスチック製品についてゴミとして散乱したり環境中に流出したりしやすいものや再利用やリサイクルが難しいものは各国が削減や禁止などの対応をとるといった内容も盛り込まれている。プラスチックの生産から廃棄までのライフサイクル全体で削減に取り組む方向では一致している。

  以下は、日本海側に住む一人としての希望だ。沿岸国の不法投棄をどう解決すればよいか、そうした条約の枠組みも併せてつくってほしい。たとえば、「地中海の汚染対策条約」とも呼ばれるバルセロナ条約は21ヵ国とEUが締約国として1978年に発効している。日本海にも沿岸各国との汚染対策条約が必要ではないだろうか。(※図は、日本海の海流の流れ。能登半島に沿岸国からの漂着ごみが流れ着く)

  データがある。石川県廃棄物対策課の調査(2017年2月27日-3月2日)で、県内の14の市町の海岸で合計962個のポリタンクを回収した。そのうちの57%に当たる549個にハングル文字が書かれ、373個は文字不明、27個は英語、10個は中国語、日本語は3個だった。沿岸に流れ着くのはポリタンクだけではない。漁具や漁網、ロープ、ペットボトルなど、じつに多様なプラごみが漂着する。2022年にはロシア製の針つきの注射器が大量に流れ着いて全国ニュースになった。医療系廃棄物(注射器、薬瓶、プラスチック容器など)の不法投棄は国際問題だ。(※写真は、海の環境問題をテーマにしたインドの作家スボード・グプタ氏の作品「Think about me」=2021年・珠洲市の「奥能登国際芸術祭2020+」)

  なので、日本海の沿岸国である日本、ロシア、韓国、北朝鮮、中国の5ヵ国で汚染対策条約がつくれないだろうか。

⇒30日(土)午後・金沢の天気   あめ

☆冬の訪れは雷鳴と氷あられ  子どものSNS環境めぐり規制の動き

☆冬の訪れは雷鳴と氷あられ  子どものSNS環境めぐり規制の動き

  けさ雷鳴とともに叩きつけるような氷あられが降ってきた。屋根にあたる音がバシバシと強烈だった。しばらくして雨になった。氷あられが降ったのは午前6時すぎ、その後、午前9時40分ごろに自宅の庭に出ると、氷あられがところどころに残っていた=写真=。見ると、1㌢四方の大きさのものもある。午前6時に降ってきたのはそれより大粒だったろう。歩行者にけがはなかっただろうか、農家のハウスは大丈夫だったのか、などと考えてしまった。その後も金沢では雨が降り続き、いまも大雨警報が出されている。

  話は変わる。NHKニュース公式サイト(29日付)によると、オーストラリアの議会は、16歳未満の子どもがSNSを利用することを禁止する法案を可決した。アルバニージー首相は29日朝、記者会見を行い「今回の法律で親と子どもの会話が変わり、その変化はオーストラリアの子どもたちにとって害を少なくし、より良い結果をもたらすことになる」として、子どもと保護者のための法律だと述べた。この法律は、SNSの運営会社に16歳未満の子どもが利用できないような措置を講じることを義務づけるもので、違反した場合は最大で4950万オーストラリアドル、日本円でおよそ49億円の罰金が科される。保護者や子ども自身への罰則はない。

  オーストラリアでは近年、子どもたちがSNSにのめり込み、日常生活や心の健康に悪影響が出ることへの懸念が高まっているほか、悪質ないじめにあったり、性被害にあったりする事態が相次ぎ、保護者を中心に規制を求める声が高まっていた。

  オーストラリアだけでなく。フランスではSNSの運営会社に対して、保護者の同意がないかぎり、15歳未満の子どものアクセスを制限するよう義務づける法律が制定している。また、アメリカの一部の州でも、未成年のSNS利用を規制する法律を制定していて、ユタ州などでは未成年がSNSを利用する際には保護者の同意が必要となる(29日付・NHKニュース)。

  一方、イギリスBBC公式サイト日本語版(11月7日付)によると、オーストラリア最大の子供の権利擁護団体のひとつ、「オーストラリア子供の権利タスクフォース」は、この禁止措置を「あまりにも乱暴な手段」と批判している。同団体は10月に政府に公開書簡を送付。100人以上の学者と20の市民団体が署名したこの書簡はアルバニージー首相に対し、禁止措置に代えてSNSに「安全基準」を課すことを求めた。同団体はまた、国連の助言を引用し、オンライン空間を規制するための「国家政策」は、「子供たちがデジタル環境と関わることで利益を得る機会を提供し、その安全なアクセスを確保することを目的とすべきだ」と指摘した。

  政府が子どもたちのSNS環境そのものを規制するのか、あるいは規制せずにSNSに安全基準を課すことでアクセスを確保するのか。デジタル化が進む世界の情報環境にあって、争点として浮上している。

⇒29日(金)夜・金沢の天気     あめ

★震源は能登半島を南下してくるのか 連動する活断層の不気味さ

★震源は能登半島を南下してくるのか 連動する活断層の不気味さ

  前回ブログの続き。今月25日付のブログ『☆能登地震による液状化で電柱同士が接触し発火 これはレアケースなのか』を読んでくれた金沢の知人から、きのうメールがあった。「(26日の)震度5弱の地震で傾いて今にも倒れそうになっている電柱が内灘にある。危なっかしくて道路を通るのも不安になる」と。知人は内灘町の企業に勤めている。きょう現地を見に行った。

  危なっかしい電柱がある場所は内灘町室地区の県道沿い。同町では元日の能登半島地震による震度5弱の揺れと液状化被害で全半壊の住家が686棟にも及んでいる。今月25日付ブログは、傾いた道路の電柱が地盤の液状化でさらに傾き、隣接する工場敷地内の電柱との電線が接触して発火したと書いた。危なっかしい電柱は発火した電柱と同じ県道沿いにあり、わりと近い。その傾き加減は素人目線で15度から20度はあるかもしれない=写真=。傾きが以前より大きくなったのは、ここ数日の雨と26日の地震の影響なのだろうか。この周囲の電柱もこれほどではないが軒並み傾いている。このまま倒れば人身事故になりかねない。

  それにしても気がかりなのは、今月26日の震度5弱の揺れなど、このところ能登で頻発している地震の震源が元日の半島尖端から南下していることだ。地元メディアの報道によると、地震学者のコメントとして、元日の地震で動いた断層とは別の「羽咋沖西断層」が震源の可能性があるとしている。元日の震源は半島尖端の珠洲市だったが、このところの地震は半島の真ん中の羽咋市の沖に位置する。さらに南下すると金沢に限りなく近いづいてくる。

  金沢には「森本・富樫断層」がある=図=。国の地震調査研究推進本部の「主要活断層」によると、切迫度が最も高い「Sランク」が全国で31あり、その一つが森本・富樫断層だ。断層は全長26㌔におよび、今後30年以内の地震発生確率が2%から8%とされる。金沢市の公式サイトに掲載されている「平成24年度(2012)被害想定調査結果」によると、この森本・富樫断層で金沢市内中心部に直下地震が起きた場合、マグニチュード 7.2、最大震度7と想定されている。地震は連動する。連動しながら南に降りてくるのか。じつに不気味だ。

⇒28日(木)夜・金沢の天気    あめ 

☆能登の地震いつまで続く 震度5弱、四国から東北まで揺らす

☆能登の地震いつまで続く 震度5弱、四国から東北まで揺らす

  昨夜は午後10時00分過ぎに帰宅。アルコールが入っていたせいもあり、ゆったりと寝ようか思っていた矢先の午後10時47分ごろ、スマホの緊急地震速報が鳴り響き、同時にグラグラと揺れが来た。あわててリビングに行き、テレビのNHK速報をチェック。「能登地方で最大震度5弱を観測する地震」「震源地は石川県西方沖で、震源の深さは10㌔、マグニチュードは6.4と推定」のテロップが流れていた。自宅がある金沢は震度3だった。その後、速報値は更新され、震源の深さは7㌔、マグニチュードは6.6となっている。

  揺れの中心にあたる震央が志賀町にある志賀原発と向き合っている位置にあり、津波は大丈夫か、原発施設への被害はないかなどと案じていたが、「北陸電力によると、停止中の志賀原発1、2号機に異常は確認されていない。また、敷地外の放射線量を監視するモニタリングポストの値に変化はみられない」「沿岸で若干の海面変動があるものの、津波被害の心配はない」とのコメントが流れていた。

  ただ、元日の地震では午後4時6分ごろにマグニチュード5.5、震度5強の揺れがあり、その4分後の4時10分にマグニチュード7.6の地震が2回連動して起きて震度7の大きな地震となったので、今回もそのケースで前触れの地震後に本震がくるのではないかとしばらく身構えていた。1時間余り経って、ようやく寝付いた次第。

  けさのメディア各社の報道をチェックすると、昨夜の地震で震度1以上の揺れは四国から東北へと広範囲で観測されている(※各地の震度図は気象庁公式サイトより)。能登半島で震度5弱以上を観測したのは、ことし6月3日の5強の地震が発生して以来となる。気象庁は元日の地震以降も周辺では地震活動が活発になっていて、今後も強い揺れが起きる可能性があるとして、注意するよう呼びかけている。

  もう一点、今回の地震で気になっていることがある。最大震度5弱は輪島市門前町走出と志賀町香能で観測された。この2地点は海岸沖の震源から20㌔ほどと近くだった。ところが、この2地点は元日の地震で最大震度7が観測された地点でもある。震源の半島の尖端、珠洲市からおよそ45㌔離れていたにもかかわらず、最大震度だった。震源地の珠洲市や近隣の能登町は震度6弱から6強だった。震源地から遠方のポイントが揺れが大きくなる。このメカニズムはどうなっているのだろうか。

⇒27日(水)午前・金沢の天気    くもり時々あめ

★国史跡の「利家とまつ」前田家墓所の石灯篭など100基倒壊 本格復旧へ調査始まる

★国史跡の「利家とまつ」前田家墓所の石灯篭など100基倒壊 本格復旧へ調査始まる

  グラグラと金沢の自宅が揺れた。午後10時47分ごろ。NHK速報によると、輪島市門前町走出と志賀町香能で震度5弱、金沢で震度3だった。震源は能登半島の西方沖でマグニチュードは6.4だった。輪島市門前町走出と志賀町香能 は元日の地震で震度7を観測した地点だ。

              ◇

  前回ブログの続き。元日の能登半島地震の影響はさまざまな場所で起き、そしてさまざまなケースがある。金沢には野田山墓地があり、山頂から山腹にかけて墓石が並ぶ。年代物と思われる古いものや最近のものまでさまざまだ。金沢の山沿いは震度5弱だった。野田山墓地を見渡す限りでは、地震で崩れている墓石はさほどないよう見える。ただ、よく見ると墓石がズレていたり、石塔の一部が欠けたりしているものも多くある。                                  

  中でも目立って石灯篭などが倒れていたのが、国の史跡でもある「加賀藩主前田家墓所」だった。加賀百万石の礎を築いた前田利家の墓碑や、横にある正室まつの墓碑は無事だったが、両墓碑の入り口などにある石灯篭の笠の部分が崩れたりしていた=写真、1月14日撮影=。金沢市文化財保護課の調査によると、前田家墓所全体では石灯篭を中心に100基余りの石像物が倒れたり、割れたする被害が確認されている(26日付・地元メディア各社の報道)。このうち、まつや2代藩主利長などの墓にある石灯篭6基については5月末に石工職人が滑車で起こするなど復元作業を終えている。

  現地の看板「野田山墓地由来記」によると、野田山墓所は天正15年(1587)に利家が兄・利久をこの地に葬ったことから墓地としての開発が進み、慶長4年(1599)には利家がまつられ、以降14代藩主と正室ら家族の墓地となった。前田家墓所の墳墓は84基あり、全体で敷地面積が8万6千平方㍍にもおよぶ。文化財の価値を保全するためには、建立当時と同じような石材や工法が求められるため、金沢市では文化庁の担当者らと協議を重ねながら、倒壊した石像物などの本格復旧をめざし調査を進める。このため、同市では12月補正予算案に3510万円を計上した。「利家とまつ」前田家墓所の復旧作業がこれから本格的に始まる。

⇒26日(火)午後・金沢の天気    あめ

☆能登地震による液状化で電柱同士が接触し発火 これはレアケースなのか

☆能登地震による液状化で電柱同士が接触し発火 これはレアケースなのか

  元日の能登半島地震の影響はさまざまな場所で起き、そしてさまざまなケースがある。その典型がこの事例だろう。地元メディア各社の報道によると、今月23日午後7時20分ごろ、金沢市に隣接する内灘町の県道沿いの電柱から出火し、消防がまもなく消し止めた。周辺の10戸ほどが3時間ほど停電した。近くの住人から「家が突然停電し、外の電柱が燃えている」と110番通報があった。
 
  きょうその現場を見てきた。出火した電柱は地震による液状化被害が大きかった同町宮坂地区にある。出火した電柱は傾きが進み、近くにある工場敷地内の細い電柱との電線同士が接触して発火したようだ=写真・上=。この周辺ではこの電柱だけでなく相当数の電柱が傾いている。中には目算で20度ほども傾いているのではないかと思えるものもある。北陸電力の関連会社では、電柱の建て替え作業を進めているが、内灘町だけでなく能登でも相当数の電柱が傾いていて施工が間に合わないのだろうか。
 
  問題の電柱の下を見ると、黒と黄色の電柱標識板の一部が地面に埋まっている=写真・下=。日常で見る標識板は地面から40-50㌢上にあるので、これは電柱が地盤に沈下したのだろう。液状化がいまも進んでいるのではないだろうか。
 
  内灘町では地震の揺れは震度5弱だった。震源地の珠洲市からは直線距離で100㌔あまり、そして震度7が観測された輪島市からは直線距離で85㌔離れている。今回の地震で道路がいたるところで隆起したり陥没したりしている。地面がゆがみ、多くの住宅や電柱が傾いている。道路が15度ほど斜めになっているところもある。震源との距離は離れているが、全半壊の住家は686棟に及んでいる。ちなみに、隣接する金沢市では276棟だ(11月22日時点・石川県危機対策課まとめ)。なぜ、これだけ影響が大きかったのか。宮坂地区などは河北潟の西側に広がる。この地域は江戸時代から河北潟を埋め立てる干拓事業が進められてきた。もともと砂地だった場所なので液状化現象が起きたのだろう。これは憶測だ。
 
  冒頭で述べたように、予期せぬさまざまな出来事が起きている。今回のように傾いた電柱と電柱が接触しての出火。冬季に入れば雨量がさらに増え、時間とともに液状化した地盤が動き、同様のケースが連続的に発生するのではないだろうかと危惧する。
 
⇒25日(月)夜・金沢の天気   はれ

★能登地震の被災者の語り 「長靴の恩返し」「ペチャンコの家」「DMATに感謝」

★能登地震の被災者の語り 「長靴の恩返し」「ペチャンコの家」「DMATに感謝」

  元日の能登半島地震で被災し、仮設住宅で生活している人たちから直接話を聴く機会がこれまで何度かあった。そのなかからリアルな話をいくつか。「家がペチャンコになった」から始まった話があった。ペチャンコは潰れて平になるとの意味。能登半島では2020年12月以降、地震が頻発するようになった。揺れに慣れてきて、「また地震か」という気持ちになっていた。この気の緩みのせいで、いざというときに持ち出す貴重品の置き場を定めておくのを失念していた。元日に大きな揺れが来て、貴重品どころか逃げ出すのがやっとだった。ペチャンコになった家からは貴重品を取り出せず、公費解体に立ち会うことにしていて、順番をひたすら待っている。

  別の被災者の話。元日の夕方の揺れで、慌てて外に出た。「家にまだ人がいます。誰か助けてください」とひたすら叫んでいた。すると一台の車が止まった。小学生の子供ら家族が乗っていた。30代くらいの女性が車の中から出てきて、「これを履いてください」と長靴をくれた。靴を履かずに靴下で外に出ていたことに気がついていなかった。女性は「東京に帰りますので」と言い、そのまま去った。そのときお礼も十分にできずにいた。その長靴の恩はいまも忘れられない。色とりどりの円模様が入った黒長靴だ。「お礼をしたい」と繰り返し話していた。

  ほかにも地震にまつわるさまざまな話を聴いた。地震で家屋がきしむギシギシという音を思い出して、いまも身震いすることがある。地震で物が落ちると言うが、元日の震度7の揺れではじつに奇妙な落ち方だった。棚の上にあった電子レンジが一瞬、宙に舞うようにして落ちた。

  避難所生活の話。学校の体育館で避難生活を続けていた、もともと独り暮らしのシニアの話。体育館では、小さな子どもたちも一緒に避難所で生活していたので、走り回ったり、騒いだり、その姿にむしろ元気をもらった。困った話も。シニア層はトイレの回数が多く、夜中もトイレに何度か行く人もいる。トイレの帰りに手洗いをしない人も多く、問題になっていた。避難所にやってきたDMAT(災害派遣医療チーム)の看護師に相談すると、消毒液スプレーを配置してくれた。これをみんなが使うようになり、安心した。

  震災の環境での暮らしで被災者には新たな発見や悩み事などさまざまにある。これまで話を聴かせてもらい、むしろ被災者から元気をもらったり、知恵を授かったりすることが多い。これからも被災者の話に耳を傾けていきたい。

⇒24日(日)夜・金沢の天気    くもり