★「森奥戦争」と石川県知事選
石川県の少々年配の有権者だったらおそらく「森奥戦争」と聞けばピンと来るはずだ。森喜朗と奥田敬和の両代議士によるかつての激しい政争を指す。奥田氏は1998年7月に没し、森氏も2012年11月に政界を引退してはいるが、いまでも選挙があるたびに、「森奥戦争が」とささやかれる。今回の県知事選(3月13日投開票)でも何度か耳にしている。
現在の衆院選小選挙区は1区(金沢)、2区(加賀地方)、3区(能登地方)と別れているが、両氏が初出馬した1969年は中選挙区で1区(金沢・加賀)と2区(能登)だった。同じ1区(定数3)で、金沢が地盤の奥田氏と加賀が地盤の森氏はトップ争いを演じた。当時は、森氏は自民党の福田赳夫派の清話会に、奥田氏は田中角栄派の経世会に属していたので、2人の争いは「角福戦争」と称された派閥抗争の代理戦というイメージも当時はあった。1994年に小選挙区が導入されて奥田氏は1区、森氏は2区となり直接対決に一応終止符が打たれた。
この森奥の戦いは県政にも波及した。1991年2月の知事選だった。8期目を目指す中西陽一知事に対して、森氏は副知事だった金沢出身の生え抜きの県庁マン、杉山栄太郎氏を自民党公認として担ぎ出した。これに対して、奥田氏は多選批判もあった中西氏への支援を掲げて金沢を中心に支持を固め、中西8選へと導いた。このときの投票率は76%、1万1000票差の激戦だった。その後、奥田氏は自民党を離党し、新生党の結成に参加する。
知事選をめぐる森奥戦争の第2ラウンドは1994年3月だった。中西氏が任期中に死去。後継の知事選で、奥田氏は副知事の谷本正憲氏を擁立。これに対して、自民党幹事長だった森氏は、参院議員で元農林水産事務次官の石川弘氏(金沢出身)を推した。このころは奥田氏が所属する新生党を中心とする公明党、民社党、
日本新党、社会党のいわゆる「非自民」連立政権で、細川護熙総理が谷本氏の応援に駆け付け、街頭演説が行われた香林坊が聴衆で埋め尽くされたのを覚えている。谷本氏が1万600票差で競り勝ち、投票率は70%だった。その後、谷本氏は通算7期にわたって知事を務め、去年11月に引退を表明した。
話は国政選挙に戻る。奥田氏が死去し、後を継いだのは子息の奥田健氏だった。衆院石川1区の補欠選挙(1998年8月)に民主党公認で出馬し、自民党公認の岡部雅夫を下して初当選。新たな森奥戦争をほうふつさせたのが2000年年6月の衆院選だった。プロレスラーでもあった馳浩氏が、自民党幹事長の森氏から抜擢されて1995年7月の参院選石川選挙区(定員1)に出馬して初当選。2000年衆院選で馳氏は鞍替えして自民党公認で1区から出馬し、奥田氏を破った。2003年の衆院選では逆に奥田氏が馳氏に勝った。そして、2005年には馳氏が勝ち、2009年は奥田氏が勝利するという、まさに森奥戦争の再現だった。しかし、奥田氏は2012年12月の衆院選で4万7000票対9万9000票という大差で馳氏に敗れ、比例復活もならず政界から身を引くことになる。2021年6月に急性心筋梗塞で他界。62歳だった。(※写真は2012年衆院選石川1区のポスター掲示板)
今回の知事選には、参院議員だった山田修路氏、衆院議員だった馳氏、そして金沢市長だった山野之義氏が立候補している。まさに退路を断って争う、近年まれに見る保守系3候補の激しい争いだ。森奥戦争はもう過去の話なのか。次回でさらに分析してみる。
⇒26日(土)午後・金沢の天気 はれ
地元に住む者として、知事選をめぐるポイントをいくつか点検してみたい。全国的に見れば、金沢市は百万石の伝統を現代に伝える優美な街というイメージで、観光需要は北陸新幹線の金沢開業(2015年3月)以来さらに高まった。石川の県庁所在地であり、市の人口は46万人と北陸3県(石川、富山、福井)でもっとも大きい。都市の強みや魅力など、いわゆる「都市力」を評価した2021年度版「日本の都市特性評価」(森記念財団都市戦略研究所)でも、神戸市、仙台市に次いで8位に金沢市がラキングされ、毎年全国ベスト10に入っている。
中国のケースは「人質外交」を狙っていると言えるかもしれない。NHKニュースWeb版(23日付)によると、 北京の日本大使館の職員が21日午後、北京市内で公務中に中国当局に一時的に拘束された。日本の外務省の事務次官は、中国の駐日臨時代理大使を呼んで、正当な公務中の拘束でありウィーン条約に明白に違反していると厳重な抗議を行った。これに対し、中国大使館は23日、報道官の談話を発表し「日本の外交官は中国でその地位にふさわしくない活動を行っており、中国の関係部門が法律に基づいて調査を行った。中国は日本側のいわゆる抗議を受け入れない」と反論した。
方気象台は大雪警報が出ている金沢市に「顕著な大雪に関する気象情報」を発表した。今夜にかけてさらに積雪が見込まれる。
雪桜のように冬に「満開の花」を咲かせたのが、北京オリンピックでの日本勢の活躍ではなかっただろうか。冬のオリンピックで最多となる18個のメダルを獲得した。金が3個、銀6個、銅が9個で、これまで最多だった平昌大会の13個を上回った。カーリング女子の決勝はイギリスに3対10で敗れ、銀メダルだったが、「氷上のチェス」とも称される理詰めの試合展開にはテレビで観戦する側も息をのんだ。そして、スノーボード男子ハーフパイプで金メダルを獲得した平野歩夢選手は難度の高い大技「1440(斜め軸に縦3回転、横4回転)」を披露した。実況アナが「人類初めての公式戦での演技」と称賛していたのにも納得した。
BBCニュースWeb版日本語(15日付)は「ロシアはウクライナ国境付近に約13万人規模の軍部隊を配置している。戦車、大砲、医療施設、後方支援態勢など、すべてがそろっている」と報じている。また、20日付では、イギリスのジョンソン首相がウクライナ問題について、「ロシアは1945年以来、ヨーロッパで最大の戦争を計画している」と語ったと報じている=写真=。その一方で、東側の日本海とオホーツク海南部にロシアは艦艇24隻を配備している。なぜロシアはこのような西と東の2正面展開を行っているのか。
カーリングにはまったく興味はなかったが、2018年の平昌オリンピックでロコ・ソラーレのメンバーたちが競技中に「そだねー」と声をかけ合っていたのが印象的で何度か見た。今回も競技よりもむしろ、「そだねー」が聞きたかったので、新聞のテレビ欄を見てチャンネルを合わせた。ところが、きのうの試合では「そだねー」が聞こえなかった。「ナイッスー」に変わっていた。なぜだろう。
どんに入れる。磯の香りが広がり食欲がわいてくる。
たとえば、受賞作品集の77㌻にある、「あるものは海流に乗って運ばれ、あるものは風によって運ばれ、翼をもつものは自力で、あるいはそれに紛れて、三つのW、Wave(波)、Wind(風)、Wing(翼)によって、海を越えて小笠原の島々にたどり着き、環境に適応したものだけが生き残ることができました」という下り。海流、気象、生物に熟知したプロが表現するような文章との印象だ。さらに、「です」「ます」調なら少年らしいと読めるが、「でもあります」という表現も出てきて少々大人っぽい。文章表現だけでなく、ぜひご本人の言葉で小笠原諸島の旅の話を聞いてみたいものだ。
日本海にある低気圧が発達しながらあす16日から17日にかけて北陸から東北付近に近づき、上空には強い寒気が流れ込む。このため、日本海側を中心に雪となり、北陸ではこの冬一番の大雪となるおそれも。17日夕方までの24時間に、北陸で60㌢から80㌢の雪が降り、その後も18日の金曜日にかけて積雪が増える。春一番が大雪に逆戻り。しかし、こうした「寒の戻り」は北陸ではよくあることだ。(※天気図は15日付・日本気象協会「tenki.jp」より)