★亡き父の「8月15日」
まったく個人的な話だ。平成14年(2002)8月に父が他界した。亡くなる前「一度仏印に連れて行ってほしい。空の上からでもいい」と病床で懇願された。仏印は戦時中の仏領インドシナ、つまりベトナムのことだ。父の所属した連隊はハノイ、サイゴンと転戦し、フランス軍と戦った。同時に多くの戦友を失った。父はベトナムに亡き戦友たちの慰霊に訪れたかったのだろう。「空の上からでもいい」とまで言われたが、病状は思わしくなかった。まもなく他界。父の最期を見守った兄弟3人にはその言葉が脳裏に焼き付いていた。
父のベトナムへの想いをかなえようと2017年11月、父の遺影を持参して3泊4日のベトナムの旅に出かけた。父の想いは仏印という戦地で散った戦友たちへの供養だったので、いろいろ調べた。が、現地ベトナムでは日本兵の戦死者たちを祀る慰霊碑は見当たらない。ただ、太平洋戦後に捕虜地を逃れ、ベトナム独立のために戦った元日本兵たちの墓がハナム省モックバック村にあるとの情報を得て墓参することにした。ベトナムは社会主義の国だが仏教信仰が盛んだ。革命烈士の墓の近くの商店で線香を買い求め、近くに野ギクが自生していたので切って、元日本人の墓に線香と花を手向けた。
サイゴンのラジオ局に向かった。敗戦で父たちの捕虜収容所があった場所がかつての「無線台敷地」、現在のラジオ局の周辺だった。父たちは周囲で畑をつくり、近くの川で魚を釣りながら、戦闘のない日常を楽しんでいたと話していた。ラジオ局の近くを流れるのはティ・ゲー川。生前父から見せてもらった捕虜生活の写真が数枚あり、その一枚がこの川で魚釣りをしている写真だった。兄弟でこの川の遊覧船に乗った=写真=。川面を走る風が頬をなでるようにして流れ、捕虜生活の様子を偲ぶことができた。
旅の最後に、父たちの部隊が帰還の船に乗り込んだサイゴン港に行った。父からかつて聞いた話だが、乗船の際は一人一人が名前を大声で名乗りタラップを上った。地元民に危害を加えた者がいないか、民衆が見守る中、「首実験」が行われたのだ。父が所属した部隊では幸い「戦犯者」はいなかった。別の部隊では軍属として働いていた地元民にゴボウの煮つけを出したことがある炊事兵が、乗船の際に「あいつはオレらに木の根っこを食わせた」と地元民が叫び、イギリス軍によりタラップから引きづリ降ろされた。そう語る父の残念そうな顔を今でも覚えている。
父たちがサイゴンの港を出たのは1946年5月2日だった。港を出て行く船を見ていると、父たちの帰還船を見送っているような不思議な感覚になった。まるでタイムマシーンに乗って、港に来たような。「無事日本に帰ってくれてありがとう」と心の中で叫んだ。父は同月13日に鹿児島港に上陸。能登半島に戻り結婚。1949年に兄が、私は54年に、そして弟は58年に生まれた。
⇒16日(火)夜・金沢の天気 くもり
時季だけでなく、墓参りの仕方にも違いがある。金沢の場合は「札キリコ」を持参する。墓の前に札キリコをつり下げる棒か紐がかけてあり、墓参した人は棒か紐につるす。札キリコには宗派によって、例えば浄土真宗の墓地ならば「南無阿弥陀仏」、曹洞宗ならば「南無釈迦牟尼仏」と書いて、裏の「進上」には墓参した人の名前を記す=写真・上=。この札キリコによって、その墓の持ち主は誰が墓参に来てくれたのかということが分かる仕組みになっている。
キリコはもともと切子灯籠(きりことうろう)と呼ばれていて、行灯(あんどん)のようなカタチをしていた。金沢では、札キリコとしてコンパク化して名刺の役割を持つようになった。一方、能登ではキリコは巨大化した。能登各地で伝統的に催される夏祭りと言えば、祭りキリコ=写真・下=。神社の神輿の先導役として集落を練る。
この記事を読んで、日本では中学の理科で地動説を習うのが、ロシアではこうした宇宙を学ぶ理科教育はないのかと不思議に感じた。何しろ、ロシアはアメリカと組んで国際宇宙ステーション(ISS)を建設するなど、「宇宙大国」のイメージがある。その国の3人に1人が天動説を信じている、とは。
読売の世論調査で、萩生田光一経産大臣が党政調会長に起用されたことについて、「評価しない」が40%で、「評価する」32%を上回っている。萩生田氏はこれまで統一教会主催のイベントに来賓としてあいさつ、関連団体に会費を支払うなどの濃厚な接触が取り沙汰されていた。岸田総理が統一教会と自民の関係を見直しを「徹底する」と発言したものの、この矛盾に有権者は憤っている。それが数字に現れた。
各紙の扱いを比べてみる。ほとんどの紙面が一面トップで改造内閣を取り上げている。「有事に対応 政策断行」(読売新聞)、「首相、守りの内閣改造」(朝日新聞)、「岸田首相『政策断行』」(毎日新聞)、「首相『防衛力強化が最重要』」(日経新聞)など。見出しに各社のポリシーが浮かぶ。ただ、正直言って、トップではあるものの、政治ものなので仕方なく優先的に据えたという印象を受ける。読売は大谷翔平の快挙を一面で準トップ、ほかスポーツ面、そして社会面でも大々的に取り上げている。改造内閣と日がずれていれば、おそらく紙面は大谷翔平一色だったかもしれない。
電通の元専務もある高橋氏はオリンピックそのものを誘致するロビイストだ。ロイター通信Web版(2020年3月31日付)は、ロイター通信が五輪招致をめぐり高橋が招致委員会から820万㌦(8億9000万円)の資金を受け、IOC委員にロビー活動を行っていたと報じている。IOC委員に対するロビー活動については、国際的にも問題が指摘されている。これだけあからさまになって、高橋氏は札幌五輪のためにロビー活動を続けることはできるだろうか。札幌市長にとっては不都合な痛みだ。
今月4日、石川県の加賀地方は災害級の記録的な大雨に見舞われた=写真・上=。金沢地方気象台によると、4日午後8時30分時点の24時間降水量は白山河内で395㍉、白山白峰で274㍉、小松で251㍉とそれぞれ観測史上最大を記録した。金沢は132㍉だった。
た、各家々ではボランティアも入り、家の中の泥などの除去作業が行われていた=写真・中=。
酒店を営む80歳の女性もその日の午後4時ごろにひざのあたりまで水が来て、知人に助けを呼ぶと、消防隊のボートが救助に来てくれたと話した。店では、ビールなどを冷やす大型の冷蔵庫が倒れて使えない。「いまごろはお中元で忙しい時期なのに。店を続けるかどうか迷っている」と肩を落としていた。
の癒着の実態が次々と明らかになっていることから、検察側もかなり慎重に捜査を進めているようだ。
こうした問題を知りながら、安倍総理の2015年と16年の「桜を見る会」に統一教会幹部を招待していた。さらに、16年6月、統一教会の会長を総理官邸に招待していた。そのほか、閣僚や議員、地方自治体の首長、県会議員が統一教会から選挙支援やイベントの招待を受けていたとなれば、政治責任が問われて当然だろう。
本州最後の1羽だったトキが1970年に能登半島で捕獲され、繁殖のため佐渡のトキ保護センターに送られた実績があることから、石川県と能登の4市5町、JAなど関係団体は5月6日に「能登地域トキ放鳥受け入れ推進協議会」を結成。環境省に受け入れを申請していた。
ひなを育てているつがいは足環のナンバーから、兵庫県豊岡市で生まれたオスと、福井県越前市生まれのメスで、ことし4月中旬に志賀町の山の中の電柱の上に巣をつくり、5月下旬には親鳥がひなに餌を与える様子が確認された。初めて見た1ヵ月前より、相当大きくなっていて、時折羽を広げて飛び立とうとしている様子だった=写真・下=。この場所はコウノトリのひなが育った日本での最北の地とされていて、これからの定着と繁殖を期待しながら巣を見上げていた。