★メモる2007年-6-
年末にビッグニュースである。「メモる2007年‐3‐」でも紹介したトキが石川県にやってきそうだ。21日付の北陸中日新聞によると、20日、環境省を訪れた石川県の谷本正憲知事が田村義雄事務次官に対し、トキの分散飼育に「いしかわ動物園」(石川県能美市)もその候補に含めてほしいと陳情したところ、田村氏は「トキを育てている佐渡島の皆さんは、本州最後のトキがいた能登地区にいい思いを抱いている」と告げたという。この記事のポイントは①知事が事務次官に陳情した②上記の言質を得た、というたった2点なのだが、「トキ分散飼育、石川は有力」と5段抜きの見出しが躍った。
トキの羽音が聞こえるか
では、「佐渡島の皆さんは、本州最後のトキがいた能登地区にいい思いを抱いている」ということがどうして「石川は有力」となるのか。ちょっと解説が要る。
2003年10月、佐渡で捕獲されたキンが死亡し、日本産トキは絶滅した。その後、同じ遺伝子を持つ中国産のトキの人工増殖がトキ保護センターで進み、ことし7月現在で107羽に増えた。環境省では、鳥インフルエンザへの感染が懸念されることから本州での分散飼育を検討し、第一陣として多摩動物公園(東京都)に4羽を移送した。さらに来春、第二陣の分散飼育を計画している。で、なぜ「佐渡島の皆さんは、本州最後のトキがいた能登地区にいい思いを抱いている」が「有力」となるのか。
環境省は飼育分散の場所の選定にあたって、佐渡の人たちの地域感情に配慮しているといわれる。分散飼育の候補地に名乗りを上げているのは、石川県のほかに新潟県長岡市、島根県出雲市など。かつて国の特別天然記念物であり、現在も国際保護鳥であるトキはある意味で大きな資源である。飼育の次に増殖し、さらに野生化へのプロセスがあり、野生化した場合は観光資源ともなるからだ。しかし、これまで環境省に数十年にわたって協力してきた佐渡自体が来年ようやく野生化プロセスの段階である。だから環境省としては分散飼育に当たって、地元の感情を配慮せざるをえないのだ。
そして、「能登地区にいい思いを抱いている」というのは、1970年1月、本州最後の1羽のトキが石川県能登半島の穴水町で捕獲された。トキは渡り鳥ではなく、地の鳥である。捕獲されたトキはオスで、「能里」(のり)という愛称で呼ばれていた。能里の佐渡行きについては当時、地元能登でも論争があり、「繁殖力には疑問。最後の1羽はせめてこの地で…」と人々の思いは揺れ動いた。結局、佐渡のトキ保護センターに送られたが、翌1971年に死亡する。当時、佐渡の人たちは日本産トキのサンクチュアリ化に大きな期待を寄せていたはずである。地元で論争がありながらも最後の1羽を送り出してくれた能登の人たちへの思いはまだ記憶されているのだろう。この故事来歴が、20日の環境省次官の言葉では「佐渡島の皆さんは、本州最後のトキがいた能登地区にいい思いを抱いている」となる。つまり、石川県を分散飼育の候補地とすることに地元佐渡に反対論はなく、第二陣でトキを送り出しますよとの解釈につながる。
「いしかわ動物園」ではすでに近縁種のシロトキとクロトキの人工繁殖と自然繁殖に成功し、トキの人工繁殖のシュミレーションを終えている。受け入れ準備は整っている。
話はここから少々飛躍する。分散飼育、人工繁殖、そして野生化が石川の地でスムーズに進んだとしてもさまざまな問題が生じる。それは、トキが絶滅した理由ともかかわる。トキの絶滅は農薬だけの問題ではない。能登半島でトキはドゥと呼ばれ、10数センチほどの短い脚で水田の稲を踏み荒らす「害鳥」だった。ドゥとは「追っ払う」という意味である。かつて、トキと水田の耕作者の関係は良好ではなかった。かつて、日本を含む東アジアに数多く生息したトキだが、食糧の増産で追っ払われ、食べられ、そして農薬によってエサ場を失い、絶滅の危機に瀕したのである。
トキと共生する環境を再生させようと一部有志が声を上げても、その主なフィールドである水田の耕作者の理解を得なければかつての悲劇を再現することになる。トキと共存することによる経済効果、たとえば農産物に対する付加価値やグリーンツーリズムなどへの広がりや、踏み荒らされた補償の基金づくりといった仕組みを提示しなければ、トキを受け入れる地域全体の合意形成は得られない。トキを呼び戻すということは、自然生態の問題であり、社会システムの問題でもあり、ハードルは高い。ただ、トキが戻ってくれば、里山の風景と価値は一変する。
※写真は石川県輪島市三井町の空を飛ぶトキ(昭和32年・岩田秀男氏撮影)
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