⇒ニュース走査

★大学に在り、政変を想う

★大学に在り、政変を想う

   私が勤める金沢大学はこの6日から夏休みに入った。大学行きのバスは大幅に間引かれ(夏季ダイヤ)、乗客も少ない。キャンパスではTシャツ姿の学生がまばらに行き交う。合宿でも始まるのか、学生が重そうにオーケストラの楽器を運んでいた。学生1万700人、教職員3500人の「この町」は蝉時雨の音が妙に大きく響く。

   人間の脳というのは不思議なものだ。野にあっては街を想い、夜にあっては昼を想う。静寂にあっては喧騒を想い、学問の場にあっては政争の国会を想ったりする。でも人間はなぜこのように逆の場面をイメージしてしまうのか理由が分からなかった。またまた、司馬遼太郎のエッセイや講演録をまとめた「司馬遼太郎の考えたこと・7」(新潮文庫・平成17年6月1日発行)の中の「願望の風景」を読んでいると面白い下りがあった。司馬さんの家の周囲で(選挙か)マイクなどが響いて騒がしかったので、高野山の宿坊を借りて、日本近世の小説を書こうとしたが、結局、一字も書けず下山してしまったというエピソードである。桧皮葺(ひわだぶき)の屋根や床柱の黒漆など、目に見える宿坊そのものが中世の風景で、肝心の頭の中での中世の風景描写が湧いてこなかったというのだ。司馬さんは「心理学的にはごくあたりまえの願望現象ではないか」と結んでいる。

    前置きが長くなった。郵政民営化のことである。テレビ局の報道を離れて(今年1月退職)、むしろ政治の動きに鋭敏になったような気がする。テレビ局時代は椅子に腰掛けていても「永田町の情報」が入ってきた。それがなくなった分、たとえば「小泉内閣メールマガジン」(毎週木曜日に配信)を丹念に読んでいる。特に小泉総理が発する郵政民営化についてのコメントはその行間まで読んでしまう。

    以下、行間からにじみ出た小泉総理の本音を読む。「一国の首相が5年間、情熱を傾けてやろうしてきた郵政民営化の公約が果たせないのであれば、日本という国の将来ビジョンを語る政治家は誰もいなくなる。金と技術はある、が、夢やビジョンがないからこの国は閉塞している。これまでタブーとされてきた郵政民営化を突破するだけで、この国の政治の未来は随分と明るくなるのだ。自民党が頑迷固陋の輩(やから)で支配されるのならば壊す。8日に。私は政界の突破者(とっぱもの)である」

    あす8月8日、参院本会議での郵政民営化法案の採決後に「政変」が始まり、学生がキャンパスに戻ってくる9月の終わりには政界地図が大きく塗り変わっている。

⇒7日(日)午前・金沢の天気  晴れ

★試合に勝ち勝負に負ける

★試合に勝ち勝負に負ける

   「勝つためにどう努力するかだ」。1992年(平成4年)、夏の甲子園球場で石川代表の星稜高・松井秀喜選手に「連続5敬遠」という物議を醸した高知代表の明徳義塾の馬淵史郎監督は当時、マスコミのインタビューでこう語っていたのを覚えている。明徳義塾はその10年後の2002年に全国優勝、去年まで戦後最多の7年連続出場を果たし、強豪にのし上がった。そして今年の大会で部員の不祥事で前代未聞の全国出場辞退(4日)という不名誉な記録をつくった。以下、新聞紙面で拾った辞退までの26日間のドキュメント。

【7月9日】明徳義塾の野球部寮内のボイラー室で、たばこの吸い殻2本が見つかる。キャプテンが全部員を集める。1年生と2年生のおよそ10人が喫煙を申し出る。馬淵監督は、自主申告であり、また、集団喫煙ではないとして学校には届けなかった。

【7月15日】1年生部員の保護者が野球部寮を訪ねてきて、「子どもが暴行を受けているので学校をやめる」と訴える。

【7月16日】全国高校野球選手権高知大会が開会。開会式の終了後、馬淵監督はいじめた側の部員6人とその保護者らと、大阪のいじめられた部員の保護者宅を訪ねて謝罪。学校側は被害者側に入学金や寮費、教科書代などを返還した。

【7月末~8月3日】高知県高野連などへ匿名の投書が寄せられ、一連の不祥事が判明。日本高野連は高知県高野連を通じて事実を確認し、馬淵監督に対する事情聴取を行う。

【8月3日】組み合わせ抽選会で、明徳義塾は大会5日目に日大三高(西東京)との対戦決まる。

【8月4日】午前中、明徳義塾が大会本部に出場辞退を申し入れ。大阪の宿舎で、馬淵監督が選手を集め、辞退を伝える。日本高野連は午後、臨時審議委員会と同運営委員会を開き、大会規定により高知大会での明徳義塾高の優勝を取り消し、準優勝だった高知高を優勝校と決定し、午後2時半、高知高に電話で出場を要請した。午後3時、大阪市西区の日本高野連で馬淵監督が記者会見に臨み、辞任の意向を表明した。

    馬淵監督は、「勝つため」にあらゆる手段を講じていたことが分かる。いめじた側の部員6人と保護者、学校関係者ら少なくもと13人を擁した謝罪行動(7月16日)などはその真骨頂であろう。しかし、馬淵監督はここで被害者心理を読み違えたのではないか。推測だから確かではないが、監督はここでいじめた側の生徒の親に謝らせた。その証拠に「6人の親たちは慰謝料を払った」との報道もある。しかし、被害者とその親が本当に問うたのは監督の管理責任だったはずである。配下の選手や親を手駒のように使い、手段を選ばず「勝ちに急ぐ」。13年前の「連続5敬遠」と同じパターンではないか。「試合に勝って勝負に負ける」。歴史を繰り返したにすぎない。ただし、今回は名実ともに敗れた。

⇒5日(金)夜・金沢の天気 晴れ 

★球児の夢、松井のドラマ

★球児の夢、松井のドラマ

 季節には風物詩というものがあって、7月の梅雨が上がるか上がらないかの微妙なこの時期は何と言っても、夏の高校野球ローカル大会をイメージする。きのう15日開幕した第87回全国高校野球選手権石川大会は順調に行けば、決勝は27日だが、見どころとすると夏の連覇をめざす遊学館、あるいは春夏連続での甲子園出場をめざす星稜か。

   メイン球場は石川県立野球場。きのうの日中の金沢の最高気温は31.3度、球場のグラウンドはそれより2、3度高い。筋書きのないドラマはいつもこの炎天下で繰り広げられる。ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手は1992年(平成4年)、3年の時にこの球場で満塁ホームランを放ち、星稜は4年連続11度目の甲子園出場を果たす。意気揚々として乗り込んだ甲子園大会の2回戦で物議をかもした「連続5敬遠」(対明徳義塾戦)があり、高校野球ファンでなくても松井選手を知ることになる。松井選手のあのドラマの書き出しは県立野球場で始まっていたのだ。

   53校のトーナメント表(4ブロック)を眺めていると、「この学校はいつもくじ運がいいな、このブロックだとベスト8かも」とか「この学校とこの学校は相性が悪いから、潰し合うな」などと試合展開のイメージが不思議と浮かんでくるものだ。高校野球の面白さは、こうした「読み」が当たるかどうかの醍醐味でもある。

   とは言え、27日に決勝、52校は敗れ去る。中にはボロ負けのコールドゲームもあるだろう。そこで、高校球児に贈る言葉を探した。マリナーズのイチロー選手は「負けている中でも粘りがないと、次の可能性は見えてこない」と口癖のように言うそうだ。最後までチャンスを狙うマインドが大切だ、との意味だろう。そして松井選手の父親、昌雄さんはこう言って息子を育てた。「努力できることが才能なんだ」と。逆説的な言い回しだが、勝者も敗者も励ます温かな表現である。

⇒16日(土)朝・金沢の天気  くもり

★「ノアの箱舟」の梅雨

★「ノアの箱舟」の梅雨

   少年期に「ノアの箱舟」をテーマにした映画を見た。映画のタイトル名などは覚えていない。雨の恐怖とでも言おうか、大雨が来ると人類は洗い流される、と思ったものだ。それ以来、私にとって雨は恐怖の概念の中にある。

  「降れば土砂降り」とはこのことを言うのだろう。何しろ激しい雨である。北陸地方は先月28日から大雨。ここ金沢大学角間キャンパスもその例外ではない。きのう1日に撮影した写真(左)のように、私が「角間渓谷」と勝手に名づけている人造川もご覧の通り濁流が怒涛のように押し寄せ、水は赤茶けている。石積みは大丈夫か、と心配になる。そして、記念館「角間の里」前に市民ボランティアや養護学校の子供たちが植えたアワやキビ、トウモロコシなどの雑穀の畑の一部も水流にえぐり取られ、痛々しい。

   しかし、金沢地方気象台のきょうの予報は外れたようだ。朝までにまとまった雨となっていたが、すでにきのう夜半には峠を越し、きょうは青空も出て、梅雨の中休み。ところで、向こう一週間は、前線や気圧の谷の影響で曇りや雨の日が多く、期間の前半は前線の活動が活発となるため、降水量の多くなるところがある。最高気温は平年より高い日が多い。降水量は、平年より多い見込み。以上は、気象台のきょう午前11時発表の週間予報。来週も雨が降り、そして蒸す~。

⇒2日(土)午後・金沢の天気 晴れ