⇒ニュース走査

★震災あれど、花火を上げる心意気

★震災あれど、花火を上げる心意気

    日本は災害列島だ。ここ数ヵ月でも大阪北部地震(6月)、西日本豪雨(7月)、最大級の台風21号(9月)、そして今回の北海道地震。まさに非常事態だ。日本は自然災害と戦っている「紛争国」ではないだろうか。

    自然災害がもたらすこんな数字を思い起こす。今後30年以内に70-80%の確率で発生するとされる「南海トラフ地震」がM9クラスの巨大地震と想定すると、経済被害額は最悪の場合、20年間で1410兆円(推計)に達する(ことし6月7日・土木学会)。倒壊などによる直接被害は169兆5千億円、それに加え、交通インフラが寸断されて工場などが長期間止まり、国民所得が減少する20年間の損害額1240兆円を盛り込んだ数字だ。そして、奪われるであろう命は最悪30万人余り。

    自然災害に怯えてばかりはいられない。災害と共生するたくましい人々が北海道にいる。きょうのネットニュース(BuzzFeed Japan)にもなっていた。洞爺湖町で開催されている「洞爺湖ロングラン花火大会」(4月28日-10月31日)は、地震があったきのう6日夜も450発が打ち上げれたようだ。「震災で亡くなった人々がいるので不謹慎」と思う人もいるだろう。洞爺湖周辺の人々には自然災害と付き合ってきた長い歴史がある。

           昨年9月16-18日の休日を利用して北海道の洞爺湖を旅した。目的は「洞爺湖有珠山ジオパーク」だ。2009年、ユネスコ世界ジオパーク認定地として糸魚川、島原半島とともに日本で初めて登録された。ジオパークは大地の景観や奇観を単に観光として活用するというより、地域独特の地学的な変動を理解して、その大地で展開する自然のシステムや生物の営み、人々の生業(なりわい)、歴史、技術などを総合的に評価するものだ。

    洞爺湖有珠山ジオパークの価値を理解するため、ロープウエイに乗って、有珠山の噴火口に行き、あるいは洞爺湖を望んだりした。理解を深めるとっかかりはガイドの男性の意外なひと言だった。「有珠山はやさしい山なんです」。火山科学館で 有珠山のビデオ上映があった。1663年の噴火以来、これまで9度の噴火を繰り返してきた日本で最も活動的な火山の一つだ。映像は18年前の2000年の噴火を中心に生々しい被害を映し出した。この映像から有珠山の「やさしさ」の理由が解きほぐされる。

    2000年の噴火では、事前の予知と住民の適切な行動で、犠牲者がゼロだった。犠牲者ゼロが成し遂げられたのは、有珠山は噴火の前には必ず前兆現象を起こすことだった。その「山の声」を聞く耳を持った住民や気象庁や大学の専門家が観測をすることで適切な行動を起こすことができたからだ。この犠牲者ゼロの貴重な体験から「火山防災」あるいは「火山減災」という考えが地域に広まり、学校教育や社会教育を通じて共有の認識となる。さらに気象庁は火山の監視と診断(緊急火山情報、臨時火山情報、火山観測情報)の精度を高め、大学などの研究機関は予測手法の確立(マグマの生成、噴火に伴う諸現象など)をすることで「火山学」の理論構築を展開させた。

   定期的に噴火を繰り返す有珠山と共生するという周辺地域の人々の価値感は、噴火の事前現象を必ず知らせてくれる「やさしい山」なのだ。それだけではない、1910年噴火では温泉が沸き出し、カルデラ湖や火砕流台の自然景観は観光資源となり、年間301万人(平成27年度・洞爺湖町調べ)の観光客が訪れ、宿泊客は64万人。有珠山観光は地域経済を支える基幹産業である。火山を恵みとしてとらえ、犠牲者を出さずに火山と共生する人々の営みを創り上げた。

   防災、減災、リスクヘッジをひたむきに追求し、危機対応や被災に対する心構えがこの地には根付いているからこそ、被災地域を超えて「大地の公園」、ジオパークという発想に立つことができる。「花火は人が打ち上げるものだ。停電の闇夜(ブラックアウト)に明かりを」と言わんばかりに震災の日に花火を打ち上げた、洞爺湖観光協会の人々の心意気は十分に理解できる。(※写真は洞爺湖観光協会ホームページから)

⇒7日(金)夜・金沢の天気   あめ

☆災害列島の正念場

☆災害列島の正念場

  「震度7」、痛ましい。先日の台風21号に続いて、まさに「災害列島」。気象庁は地震の名称を「北海道胆振東部地震」に決定したと発表した。胆振(いぶり)という地名を入れる必要があるのだろうか。おそらくテレビ各局のアナウンサーも困っているだろう。「いぶりとうぶ」という読みは舌を噛みそうだ。「北海道地震」でよいのではないだろうか。何しろ東北の一部を含め北海道全体が揺れている=写真・上、気象庁ホームページより抜粋=。

   早朝にNHKニュースを視聴して「震度7」の状況を見たのは、厚真町(あつまちょう)の山々の土砂崩れだ。頂上の樹木を残して赤土の山肌がいたるところで露出している。震度7の揺さぶりの激しさを見た思いだ。土砂災害がこれほど大きくなると自衛隊の災害派遣が要請される。防衛庁のホームページによると。現在4900人が派遣され、今後2万5000人規模まで増派予定と。艦船は4隻、航空機は20機。陸上自衛隊は給水支援や人命救助活動を行っている=写真・下、防衛庁ホームページより抜粋=。海上自衛隊は救援物資の輸送を行っている。航空自衛隊は救助犬の派遣など行っている。自衛隊では海上と航空が「警備犬」を養成していて、爆発物の検索や不審者の追求、災害時における被災者の捜索を行う。犬種はドイツ・シェパードが多いようだ。

   大規模な震災では二次災害が起きる。とくに火災だ。電気機器やコードが損傷している場合は火災が起きる。消防庁の呼びかけで意外だったのは太陽光発電パネルの危険性だ。損傷した太陽電池パネルに日が当たると発電し、感電や火災につながる可能性があり、可能ならばパネルの表面に遮光を施す、たとえばブルーシートや段ボールで覆う、裏返しにするなどの対策をとってほしいと呼びかけている。文明の利器も災害時には凶器となるのだ。

    総理官邸ではどんなことがなされているのか。ホームページをチェックすると、関係閣僚会議で安倍総理が次のように指示している。北海道全域で発生していた停電は水力・火力発電所の再稼働を進めた結果、札幌市の一部など30万戸への送電を再開した。あす朝までに全体の3分の1に当たる100万世帯への供給再開を目指す。病院や上下水道、通信基地局などの重要施設向けては300台以上のタンクローリーを派遣して自家発電(非常用電源)に必要な燃料供給を行う。全国の電力会社から150台の電源車を確保し、今夜中に35台が現地に入り、重要施設への電力供給を行う。

    内閣も必死なのだろう。災害列島は正念場だが、ただ、これで終わることはない。「災害は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦)は教訓だが、すでに現実味を失った。「天災は忘れないうちにやってくる」と心得た方がよい。

⇒6日(木)夜・金沢の天気     はれ 

★台風一過の兼六園、梢のざわめき

★台風一過の兼六園、梢のざわめき

    昨夜(4日)の金沢での最大瞬間風速は44.3㍍(午前6時前)だった。台風一過、けさは雲一つない青空だった。6時30分ごろ、兼六園に出かけた。名木が倒れているのではないかと気になった。入り口に札がかかっていた。「本日の早朝入園は中止します」。普段だと午前7時前ならば無料で入ることができる。その早朝入園が中止ということは、はやり名木が倒れるなど緊急事態が発生しているのではないかとますます気になった。

    午前7時に開門。入場料(310円)を払って入った。園内は落ち着いた名園の風景だった。早朝入園が中止は落ちた枝葉の清掃によるものだった。根が盛り上がっている根上松(ねあがりのまつ)や見事な枝ぶりで知られる唐崎松(からさきのまつ)は健在だった。44.3㍍の台風によく耐えたものだと安堵を得た。でも、その姿をよく見ると、根上松の枝に縄を張って補強が施され、さらに支柱がしてある=写真・上=。枝が強風で折れないように「台風対策」があらかじめ施されていたのだ。台風が去った後は速やかに撤去されるのだろう。名木あっての名園を守るということの意義に感じ入った。

           実は兼六園では「名木を守る」もう一つの手段が講じられている。台風で名木が折れた場合に備え、次世代の子孫がスタンバイしている。これは兼六園管理事務所の関係者から聞いた話だが、子孫とは、たとえば種子からとることもあるが、名木のもともとの産地から姿の似た名木をもってくる場合もある。兼六園きっての名木である唐崎松。これは、滋賀県大津市の「唐崎の松」から由来する。歌川広重(安藤広重)が浮世絵「近江八景之内 唐崎夜雨」に描いた名木である。近江の唐崎松は2代目だが、第13代加賀藩主・前田斉泰(在位1822-1866)が近江から種子を取り寄せて植えたのが現在の兼六園の唐崎松だ。

    兼六園管理事務所では、滋賀県の唐崎の2代目の種子で成長した低木を譲り受け、管理事務所で育てている。つまり「年の離れた兄弟」という訳だ。この兄弟の出番はいつか分からない。100年後か200年後か。ただ、名木に次世代がスタンバイするという在り様は永遠という時空をつけている。兼六園は四季の移ろいを樹木などの植物によって感じさせ、それを曲水の流れや、玉砂利の感触を得ながら確かめるという、五感を満たす感性の高い空間なのだ。その空間に永遠という時空をつけて、完成させた壮大な芸術品、それが兼六園だ。   

     ことじ灯ろう=写真・下=など30分ほど兼六園を散策して、随身坂口の門を出ようとすると風が頬をなでた。松の枝葉がサラサラと音を立てた。庭を愛したドイツの詩人、ヘルマン・ヘッセの作品を思い出した。「あの涼しい庭の梢(こずえ)のざわめきが私から遠のけば遠のくほど私はいっそう深く心から耳をすまさずにはいられない、あの頃よりもずっと美しくひびく歌声に」(『青春時代の庭』)。梢のざわめきがハーモニーのような美しい歌声に聞こえた。

⇒5日(水)午後・金沢の天気    はれ

★27年ぶり「猛烈台風」

★27年ぶり「猛烈台風」

          豪雨の次は猛烈な台風だ。「非常に強い」台風21号が4日に本州に上陸する。気象庁のきょうのホームページで掲載されている台風の進路予想図では同日夜には北陸が暴風域のど真ん中に入るルートになっている。「非常に強い」勢力の台風が本州に上陸するのは1991年以降初めと警戒感が広がっている。

    1991年9月27日夜に北陸を直撃した「台風19号」。鮮明に覚えている。このとき、北陸朝日放送の報道制作局に所属していた。開局を4日後の10月1日に控え職場では準備で慌ただしかった。さらに台風の直撃。カメラマンと取材場所をどこにするかと議論になった。台風は長崎県に上陸し、山口県をかすめて、日本海を北上していた。防波堤に叩きつけるような波を撮影しようと、カメラマンには金沢港に向かってもらった。この日は社内に泊まり込んだ。

   ところが一夜明けて大変なことになっていた。金沢の観光スポット、兼六園の名木が何本も倒れて無残な光景に。輪島市にある輪島測候所の風速計が最大瞬間風速57.3㍍を記録した後に破損するという事態になっていた。映像は「ネット上げ」(全国ニュース用)にテレビ朝日に送った。北陸朝日放送の駐車場にあった取材用のワゴン車1台も横転していた。その後、台風は青森、北海道を通過した。映像で繰り返し放送されて有名になったのは、収穫を前に青森のリンゴが軒並み落下し、落胆する農家の様子だった。このことから台風19号は「リンゴ台風」とも呼ばれた。

   では、27年ぶりの「非常に強い」台風21号はどうか。気象庁の予測データでは、4日の最大風速は北陸で30㍍、最大瞬間風速は45㍍、5日朝までの24時間に北陸では300-400㍉の雨。気象用語では最大風速30㍍は「猛烈な風」だ。風速33-49㍍(約10 秒間の平均)で「屋根瓦が飛び、ガラス窓が割れる。ビニールハウスの被害甚大。根の弱い木は倒れ、強い木の幹が折れたりする。走っている自動車が横風を受けると、道から吹き落とされる」とある。台風19号を経験しているだけにリアリティを感じる。(※写真は気象庁の3日付のHPから抜粋)

⇒3日(月)朝・金沢の天気    はれ

☆「ため池ハザ-ド」

☆「ため池ハザ-ド」

    豪雨の峠は越えたようだが、能登半島を中心に石川県ではきのう(31日)の降り始めからの雨量が各地300㍉近くに達しているところがあり、テレビのニュースでは気象台が土砂災害に警戒するよう呼びかけている。能登の人たちの心配はむしろこれからだ。きのう夕方のNHKニュース(ローカル)で、避難所に身を寄せている高齢女性のひと言が心配を象徴していた。「堤が壊れるんやないかと不安でここ(避難所)にきたんや」

    堤は「ため池」のこと。能登半島は中山間地での水田が多く、その上方にため池が造成されている。能登半島全体で2000ものため池があると言われている。中には中世の荘園制度で開発された歴史的なため池もある。「町野荘」があったことで知られる能登町には「溜水」と書いて「タムシャ」と呼ぶ集落もある。今でも梅雨入り前に集落の人たちが土手を補修するなど共同管理している。インタビューで高齢女性が不安に思ったため池はおそらく、過疎高齢化で管理する人たちがいなくなったに違いない。中山間地のため池が決壊すれば、山のふもとにある集落には水害と土砂災害が一気に襲ってくることになる。

    ため池は普段どのように管理されているのだろうか。能登町矢波地区に行くと、公民館に「ため池ハザードマップ」=写真=が貼ってある。同地区には5つのため溜め池があり、決壊した場合どのような範囲で水や土砂が流れるのか地図上で示されている。溜め池の管理人が堤防の亀裂や崩れ、沈下、濁水、水位などに異常を確認した場合、区長に連絡し、区長は住民に避難の連絡をすると同時に行政とともに現地対策本部を立ち上げると明記している。これだけ用意周到な対策を講じていれば、地域住民は安心感を得ることができる。

    問題は管理されないため池の存在である。石川県農林水産部が珠洲市で行った「ため池の管理に関するアンケート」(2010 年1 月)ではまったく管理や補修がされていため池が1割あった。耕作放棄や河川からの引水で灌漑の機能を失ったためだ。この傾向は増える傾向にあることは言うまでもない。「もう3割は管理されていないのでは」と指摘する向きもある。

    ため池を放置すれば土砂崩れや水害のリスクが高まる。沼地化して、その後に樹木が生えて原野に戻っていくこともある。能登半島はコハクチョウや国指定天然記念物オオヒシクイなどの飛来地としても知られる。これらの水鳥はため池周辺の水田を餌場としても利用している。また、ため池は絶滅危惧種であるシャープゲンゴロウモドキやトミヨ、固有種ホクリクサンショウウオなど希少な昆虫や魚類の生息地でもある。ため池の管理が大きな曲がり角に来ている。

⇒1日(土)午前・金沢の天気    くもり時々あめ

☆暗雲を晴らす政策論争を

☆暗雲を晴らす政策論争を

    昨夕(23日)自宅近くから西の空を見ると不気味な雲が覆っていた。午後6時40分ごろだ。黒い雲が幾重にも走るように重なっている=写真=。以前、図録で見た長谷川等伯の『龍虎図屏風』のようだった。鋭い前足の爪を立てながら一頭の龍が暴風の黒雲の中から現れる姿をイメージさせる。台風20号が北陸も通過するとニュースで流れていたので、暗雲が立ち込めるとはまさにこの空だと実感した。

   「暗雲」と表現すると誤解を招くかもしれないが、9月7日告示、20日投開票で行われる自民党総裁選の雲行きがおかしい。すでに石破茂氏(元幹事長)が出馬を表明し、現職で3期目を目指す安倍晋三氏と一騎打ちになる見通しだ。今月10日付のこのブログでも述べたが、総裁選では、石破氏は外交や安全保障政策について、安倍政権の不確実性を指摘して、トランプ大統領との日米同盟でこの国の安全保障を真に託せるのかと問うべきだ。「いつまでトランプに頼っているのか」と安倍氏の外交・安全保障を対立軸として明確にすれば、党内でも議論が起き、総裁選も面白くなるのではないか、と書いた。

   そのためにも「公開討論会」を期待しているのだが、どうやら雲行きが怪しい。メディア各社のWebニュース(24日付)を検索すると、自民の総裁選挙管理委員会が23日までに街頭演説などの日程について協議した。告示後に党が主催する遊説日程が実質5日間となる案も示された。ところが、公開討論会は日本記者クラブ主催のものに限定し、総裁選の公式日程には組み込まれないようだ。有権者に分かりやすいのは、まず公開討論を実施して、その後にそれぞれが持ち前の論点を街頭演説で訴えていくというのが筋ではないだろうか。政策論争なき政権与党の総裁選というのは一体なんだろう。

   政策論争で期待したいことは先に述べた外交や安全保障政策だけではない。アベノミクをめぐる論点にも注目したい。第2次安倍内閣が発足した直後の2013年1月から、企業に雇われている「雇用者数」は66ヵ月連続プラスとなり、今年6月は5940万人。実に450万人も雇用が生み出された(総務省統計局)。アベノミクスの「一億総活躍」「女性活躍」「生涯現役」「人生百年時代」の相乗効果だろう。

   ではなぜ、デフレ脱却の切り札として打ち出された2013年4月の「異次元緩和」、大胆な金融緩和の効果が表れないのか。日銀総裁はマネタリーベースを2倍にして、2年で2%の物価上昇を達成するとしたが、達成目標年度を何回も先送りしているではないか。消費が盛り上がらないのは可処分所得が増えていないからだろう。確かに賃金は上昇傾向にあるが、一方で年金掛け金など社会保険の負担も増え続けている。ではどうすればよいか。有権者が案じている経済、外交、安全保障の暗雲を政策論争を通じて晴らしてほしいものだ。

⇒24日(金)朝・金沢の天気     くもり時々あめ

★豪雪、豪雨、そして「災暑」

★豪雪、豪雨、そして「災暑」

           アメリカのCNNテレビのニュースが、大型のハリケーン「レーン」がハワイに接近していて、ハワイ島はきょう(23日)夜にも暴風圏に入る恐れがあり、州知事は非常事態を宣言したと伝えている。日本でも「W台風(19、20号)」が西と東で並んで日本列島を通過する。今夜から北陸でも風が強まりそうだ。このとろの異常気象が世界中で猛威を振るっている。

    きょうも金沢は35度を超える猛暑日だ。きのう小松市で観測史上最高の38.6度まで上がった。直射日光に焼け付くような痛さを感じる。1時間ほど駐車場に置いておいた自家用車のドアを開けると、車内から熱風が吹き出し、入れない。しばらく前後のドアを開けて待ち、それから運転席に着き、エアコンを最大限にしてようやく運転開始。それでも車内が熱い。「車は走るかまど」とはよく言ったものだ。県内のニュースによると、きのう県内で21人が熱中症の疑いで病院に搬送されている。

    ことしのブログのテーマは「異常気象」扱ったものが多い。2月9日付では、豪雪について書いた。金沢でも1㍍を超える大雪となった。ところが、気温が上がり、今度はまとまった雨が降るという。雪国で生活する者の直感として不安感がよぎる。屋根に積もった大量の雪にさらに雨が降れば、どれだけの重さが家屋にのしかかってくることか、と。屋根の瓦には雪止めがしてあって、自然には落ちてこない。屋根雪降ろしをして、木戸を開けると、背丈をはるか超える、まるで南極のような雪壁が迫っていた=写真・上=。

    7月10日付は西日本豪雨について書いた。「死者126人 平成最悪」と新聞の見出しは白抜きベタで伝えている。西日本豪雨での大雨特別警戒は全て解除されたものの、その後の被害は日々拡大している。昨日付の紙面では104人だった死者がきょう付で126人だ。安否不明者は86人もいる。先週5日に気象庁が「記録的な大雨になる恐れがある」と呼びかけたが、「平成最悪」になるとは想像すらできなかった。

    豪雪、豪雨、そして猛暑日。7月30日付では「災暑日」について述べた。気象庁は天気予報や解説などで予報用語を使っているが、最高気温が35度以上の日を「猛暑日」と定義して、2007年4月から使っている。これまでは最高気温が30度以上の日を「真夏日」としていたが、最高気温が35度以上の日が1990年以降急増したため、レベルアップした用語が必要となったからだ。熊谷市で41.1度を記録した23日、気象庁の予報官が記者会見でこう述べた。「命に危険をおよぼすレベルで、災害と認識している」と。深刻な発言に思えた。40度以上の日、これを「災暑日」と名付け予報用語としてはどうか。

    異常気象はすでに「気象災害」と化している。加えて、大地震などの地殻変動も世界各地で頻繁に起きている。我々の地球はどこに向かっているのか。ふと、そんなことを考えてしまう。

⇒23日(木)午後・金沢の天気    はれ(猛暑日)

☆石破語録「よそ者、若者、ばか者」

☆石破語録「よそ者、若者、ばか者」

   きょう(10日)自民党の石破茂氏が午後4時から国会内で記者会見し、9月の党総裁選への立候補を正式に表明した。連続3選を目指す安倍晋三氏との一騎打ちとなる公算が大きいとメディア各社が報じている。党総裁選は6年ぶりの選挙戦となる見通し。前回2015年9月は無投票で安倍氏が再選、2012年9月は決戦投票で「安倍108、石破89」の接戦だった。安倍氏も石破氏の政治手腕や見識を評価していて、党幹事長や内閣府特命担当大臣(地方創生担当)に抜擢している。

   その石破氏とちょっとした出会いがある。私は大学で大学版地方創生推進事業(COC+)を担当しており、学生たちに授業の一環として視聴してもらうビデオ「地域創生概論-いしかわで学ぶ未来可能性」を作成していたときだ。地方創生大臣だった石破氏が講演に金沢市を訪れるとの情報を得て、内閣府を通じてインタビューを申し込み承諾された。インタビューは2016年2月7日、 場所は障がい者施設や児童養護施設、ケア付高齢者住宅などの複合型施設「シェア金沢」で。

Q:地方創生にはどのような人材が必要なのですか
石破大臣:昔から地域を変えるのは「よそ者、若者、ばか者」と言われ、外から新鮮な目で見ることが一つの要素なんです。若い感性とは、たとえばPCが使える、外国語が使えること。ばか者はこれまでの既成概念にとらわれない新しい考え方を持つこと。学生はそのすべてを持っている人が多いし、チャレンジ精神旺盛な方を求めたい。

Q:地域で活躍する若者に対して期待することは何ですか
石破大臣:地方は東京と違い、行政との距離が近い。地域の特性を最大限に活かして金沢の大学が未来を作っていくのか。この国の未来は「学生」に創ってもらわないといけない、今はそんな時代です。明治維新など、歴史の変わり目に常に若者がいるというのはそういうことなんです。

Q:地域の大学に期待することは何ですか
石破大臣:「象牙の塔」にならないこと。大学が持つ本来の真実を探求する心は忘れないでほしい。今は「地方が日本を変える時代」、その責任感や使命感、学生にはそんな感性を持って欲しい。

   10分足らずの単独インタビューだったが、石破氏は淡々と答えた。無駄のない、理路整然とし、そして奥が深い内容だった。冒頭での「よそ者、若者、ばか者」は意外な言葉だったが、印象的だった。確かに、よそ者=客観性、ばか者=専門性、若者=エネルギーは歴史の転換点を担ってきた。石破氏もテレビ出演などで「国防がライフワーク」と語ってきたように、外交や安全保障に精通する政策通で、ある意味で「ばか者」ぶりを印象付けてきた。 

   9月の総裁選に向けて、石破氏は「ばか者」ぶりを発揮すればよいではないか。つまり、外交や安全保障政策について、安倍政権の不確実性を指摘して、トランプ大統領との日米同盟でこの国の安全保障を真に託せるのかと問うべきだ。そこを突けるのは石破氏しかいない。報道では、森友・加計学園問題をめぐる安倍総理の政権運営を念頭に、石破氏が「正直、公正」な政治姿勢を対立軸に据えるとしているが、野党の使い古しで争点とすれば弱い。むしろ「いつまでトランプに頼っているのか」と安倍氏の外交・安全保障を対立軸として明確にすれば、党内でも議論が起き、総裁選も面白くなるのではないか。私は一票を持っていないが。

⇒10日(金)夜・金沢の天気     くもり

★「平成最悪」の豪雨

★「平成最悪」の豪雨

    「死者126人 平成最悪」と新聞の見出しは白抜きベタで伝えている。西日本豪雨での大雨特別警戒は全て解除されたものの、その後の被害は日々拡大している。昨日付の紙面では104人だった死者がきょう付で126人だ。安否不明者は86人もいる。先週5日に気象庁が「記録的な大雨になる恐れがある」と呼びかけたが、「平成最悪」になるとは想像すらできなかった。

    堤防が決壊した岡山県倉敷市真備町の空から映像をテレビで見たが、まさに泥海に水没した街だった。屋根の上から、登った樹木から助けを求める人、実に痛々しかった。4階建ての病院から入院患者や避難住民がボートやヘリコプターを使って救助が続けられているのを見て、ビルなどの建築物の必要性を改めて感じた。

    地場産業への打撃も深刻だ。岡山県総社市でアルミニウム工場への浸水で溶解炉が爆発した。山口県岩国市で有名な日本酒「獺祭(だっさい)」の蔵元のホームページによると、「豪雨により岩国にある本社・酒蔵に浸水と停電による被害を受けました。」「 本社隣接の直営店 獺祭ストア本社蔵はしばらくの間営業中止とさせて頂きます」とあった。一升瓶(1.9㍑)換算で90万本分の製造に影響が出て、ストアの被害など設備を含めた被害総額は15億円になり、製造再開には2ヵ月半ほどかかるという。このほか、農林水産業など一次産業を始め、加工、流通の2次、3次産業にも多大な被害を与えていることは想像に難くない。

    高速道路の山陽道の福山西IC―広島ICの通行止めや、JR貨物の山陽線の兵庫―山口間と、予讃線の香川―愛媛間でJR貨物が運休している。復旧が遅れることになるればそれだけ、東日本から九州への物流にも影響が出るだろう。

     先月6月7日に土木学会が発表した数字を思い起こす。今後30年以内に70-80%の確率で発生するとされる「南海トラフ地震」がM9クラスの巨大地震と想定すると、経済被害額は最悪の場合、20年間で1410兆円(推計)に達すると。倒壊などによる直接被害は169兆5千億円、それに加え、交通インフラが寸断されて工場などが長期間止まり、国民所得が減少する20年間の損害額1240兆円を盛り込んだ数字だ。

     1410兆円という数字を目にした時は数字が「躍っている」との印象だったが、政府が発表した「南海トラフ地震防災対策推進基本計画」(2014年3月28日)に目を通してみる。M9クラスの巨大地震を想定した場合の「減災目標」を「想定される死者数を約33万2千人から今後10年間で概ね3割減少させること、また、物的被害の軽減に関し、想定される建築物の全壊棟数を約250万棟から今後10年間で概ね5割減少させる」と掲げている。いま、南海トラフ巨大地震が起きれば最悪30万人余りの命が失われるのだ。暗い話になってしまった。

⇒10日(火)午前・金沢の天気   はれ

☆「麻原」か「松本」か、躍る見出し

☆「麻原」か「松本」か、躍る見出し

    「オホーツク海高気圧」と「太平洋高気圧」ががっぷり四つ状態になって梅雨前線が激しを増し、そして長時間居座っている。あの「ゆずぽん酢」で知られる高知県馬路村では3日間で1200㍉を超える降水量を記録したというから驚きだ。そんな中、法務省が6日午前に、坂本堤弁護士一家殺害事件(1989年11月)、長野県松本市でのサリン事件(1994年6月)、東京の地下鉄サリン事件(1995年3月)など一連のオウム真理教による犯行の首謀者、松本智津夫死刑囚らの刑を執行したとのニュースをテレビの速報テロップで知った。

    当時金沢のテレビ朝日系「北陸朝日放送」の報道デスクとして「オウム真理教」事件とはさまざまな場面でかかわった。当時、テレビ映像の露出は頻繁だった。あの電極が付いた「ヘッドギア」は「カルト教団」を強く印象づけた。オウム真理教への取材で最初のかかわりは1992年10月だった。石川県能美市(当時・寺井町)の油圧シリンダーメーカー「オカムラ鉄工」の社長に麻原彰晃が就いて記者会見をした。社長が信者で資金繰りの悪化を機に社長を交代した、という内容だった。ほとんどの従業員は教団の経営に反発して退職し、代わりに信者が送り込まれていたので「教団に乗っ取られた」と周囲の評判は良くなかった。まもなく会社は事実上倒産。会社の金属加工機械などは山梨県の教団施設「サテイアン」に運ばれていた。その後の裁判で、金属加工機械でロシア製カラシニコフAK47自動小銃を模倣した銃を密造する計画だったことが明らかになった。

    1995年3月20日の地下鉄サリン事件の実行犯だった医師の林郁夫らがレンタカーで逃げた先が能登半島・穴水町の海辺の貸し別荘だった。4月7日、一緒に身を隠した信者の一人が別荘の近くで警官の職務質問を受け逮捕された。テレビのニュースで知った林郁夫は盗んだ自転車で貸し別荘を出て、金沢方面に向かう途中で警官の職務質問を受けて逮捕された。一緒に逃げた公証人役場事務長拉致監禁死事件(1995年2月)の実行犯・松本剛は翌月5月に大阪・堺市で逮捕された。

    では林郁夫らはなぜ能登半島に逃げたのか、さまざまな憶測が当時飛び交った。オウム真理教は1992年9月にモスクワに支部を開設し、ソビエト連邦の崩壊(1991年12月)で混乱する現地で信者を獲得していた。当時、極東ウラジオストクと富山湾を北洋材(シベリア木材)を積んだロシア船が行き来しており、ロシアに密入国するチャンスをうかがっていたのではないか、と。当時のモスクワ支部長は上祐史浩が兼務していたこともあり、「彼だったら、そのくらいのことは考えるだろう」という推測に過ぎなかったのだが、「ロシア逃亡説」はまことしやかに流れていた。その後の林郁夫の全面自供により地下鉄サリン事件の全容が明らかになり、検察は死刑ではなく無期懲役を求刑した。

    死刑執行の当日の夕刊を購入した。ある新聞の一面は「麻原死刑囚 刑執行」、別の新聞は「松本死刑囚 刑執行」の白抜きベタの大見出しが躍っている。この紙面を若い学生たちがコンビニで見て不思議に思っただろう。「どちらが本当なのか」と。本名は松本智津夫、教祖名は麻原彰晃。シアニの世代には麻原の方が通りはよい。ただ、刑の執行名では松本だ。翌日7日の全国・ローカルの朝刊7紙を比較すると、「松本」5、「麻原」2だった。別に購入したスポーツ系の2紙とも「麻原」だった。読者への衝撃度を考慮すると「麻原」なのだろうか。

    ちなみにイギリスのBBCテレビのWeb版では、「Seven members of the Aum Shinrikyo doomsday cult which carried out a deadly chemical attack on the Tokyo underground in 1995 have been executed, including cult leader Shoko Asahara.」と伝え、「麻原」だった。

    「平成」の時代に象徴的な事件だった。平成も来年2019年4月末をもって終わる。平成のうちに事件を終幕としたかったのだろう。刑の執行命令書に署名した上川陽子法務大臣が臨んだ記者会見(6日)。慎重な言葉選びに、かすかにそのような想いを感じた。

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