⇒ニュース走査

★NHKの同時配信の意義はどこに

★NHKの同時配信の意義はどこに

   NHKが民放に先駆けて進めている番組のインターネット同時配信について、待ったがかかった。高市総務大臣が閣議後の記者会見(11月8日)で、NHKが同時配信の認可を総務省に申請していることに関して、コストが適正かどうかなど懸念を述べ、NHKの肥大化につながる恐れがあるとの考えを示した、と報じられている。

     NHKの同時配信はことし5月29日に改正放送法が参院本会議で可決成立したことを受けてのことだ。同時配信の時代が日本にも遅ればせながらやってくる、と期待している。遅ればせというのは、同時配信はイギリスの公共放送BBCは2008年から、そのほかアメリカやフランスなど欧米では当たり前のように行われているからだ。PCやスマホがあればリアルアイムで世界のニュースを視聴できる時代なのだ。

   それになぜ待ったがかかったのか。NHKは総務大臣の認可を経て2019年度中の開始を予定しているが、見直しを迫られる事態となった。問題は、NHKが提出した同時配信の実施基準案についてだ。基準案では、同時配信などの基本業務は受信料収入の2.5%を上限とする今の基準を守るとした。一方で、1)東京オリンピック、2)国際放送の配信、3)字幕と手話への対応、4)地方向け放送や民放連との連携の4業務は公益性が高いので別枠扱いにするとした。これに対して、総務省サイドは費用が最大で受信料収入の3.8%に膨らむではないかとクレームをつけたかっこうだ。

   自身の個人的な考えで言えば、総務省サイドの意見に齟齬(そご)はない。NHKは最優先の公益性を災害報道だと位置づけ、同時配信をまずスタートさせることを考えるべきだ。関東を直撃した台風19号(10月12日)では、NHKは情報の量と速さ、ネットワークといった点で、民放を寄せ付けなかった。自然災害は台風と豪雨・洪水だけではない。豪雪、干ばつ、地震、津波、火山噴火、土石流・地滑りなど、日本の災害は多様だ。狂暴化し、広域化する自然災害に向けての同時配信を早く進めてほしい。国際放送の配信や民放との連携など次なるステップでよい。

   国民の命と財産を守るための情報はNHKの本来のミッションのはずだ。災害はいつでもやって来る。繰り返すが、同時配信をそのものを早く進めてほしいそれだけだ。(※写真は、2011年3月11日の東日本大震災で津波で陸に打ち上げられた大型漁船=宮城県気仙沼市)

⇒11日(月)朝・金沢の天気    はれ

☆祝賀御列の儀を安堵のお気持ちで

☆祝賀御列の儀を安堵のお気持ちで

   天皇陛下の即位にともなうパレード、「祝賀御列の儀」がきょう午後3時ごろ、皇居から両陛下がオープンカーに乗り込み始まった。NHKと民放が中継していたので視聴した。この様子を誰よりも喜んで見ていたのは上皇陛下ではないかと察する。この日を思い描いておられたのは上皇陛下なのだから。

   2016年8月8日、テレビで放送された天皇のお言葉(ビデオメッセージ)にじっと聞き入っていた。「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」

   なるほど、天皇はこう考えておられたのだ、ということを知った思いがした。とくに、天皇が国民との関係や距離をどう考え、自らの象徴天皇の役割を担ってこられたのか、改めて感じ入った。

    今でも脳裏に残っているお言葉もある。「天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き・・・」。「殯(もがり)」は、人の死後に本格的に埋葬するまで、遺体を棺(ひつぎ)に納めて安置し、近親者が儀礼を尽くして幽魂を慰める習俗のことを指す。天皇家の殯は亡き天皇の全霊を次の代が引き継ぐ大切な儀式なのだ。しかし、当時天皇が述べられた「重い殯」の意味合いを察した。2ヵ月続く皇室の伝統的な葬送「殯」は、心に重いのだろう。あえて「重い殯」とお言葉にすることで、こうした皇室の伝統的な葬送の在り様も含めて見直したい、とのお気持ちを述べられたのではないかと今も思っている。

    生前に皇位が継承されれば、殯の儀式は重くなくてよい。国民が祝福する中で、パレードが無事執り行われ、国事行為としての「即位の礼」はすべて終わったことになる。あのビデオで発せられたお言葉から3年余り、上皇陛下は安堵のお気持ちではないだろうか。

⇒10日(日)夜・金沢の天気   くもり

★首里城、再建への難題

★首里城、再建への難題

       正殿など全焼した首里城の火災の原因は、報道によると、火元とみられる正殿北側1階部分の焼け跡から分電盤とみられる焦げた電気設備が見つかっている(琉球新報Web版・4日付)。防犯カメラの解析などから、外部侵入による事件性は低いようだ。関連記事で気になるのが、正殿が木造の漆塗りであったことが燃焼速度を速めた要因になった可能性があるとの指摘だ(朝日新聞Web版・10月31日付)。漆塗りのため木造に水が浸透しづらく、消火を妨げた可能性はある、という。

   首里城の特徴は漆塗りを駆使した、いわば「漆の城」である。今後再建に向けた議論の中で漆の特徴を最大限に生かすのか、防災対策として漆の使用を抑制するのか、この点が論議になってくるのではないか。

   2009年5月に首里城=写真・上=を訪れた。正殿入り口の二本の柱「金龍五色之雲」が目に飛び込んでくる。四本足の竜が金箔で描かれ、これが東アジアの王朝のロマンをかきたてる。全体の弁柄(赤漆)はこの二本の柱の文様を強調するために塗られたのではないかと想像してしまう。さらに内部の塗装や色彩も中国建築の影響を随分と受けているのであろう、鮮やかな朱塗りである。国王の御座所=写真・下=の上の額木(がくぎ)には泳ぐ竜が彫刻され金色に耀いている。琉球漆器の職人たちが首里城の塗りと加飾を施し、一つの巨大な作品に仕上げた。ウチナーンチュ(沖縄の人)の誇りをかけた仕事だったことは想像に難くない。

   ユネスコ世界文化遺産「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」(2000年登録)の首里城跡は、4.7㌶におよぶ地下の遺構や、琉球王朝時代の他の城跡などで、今回焼失した正殿などの建造物は世界遺産ではない。その意味で、正殿などの建造物は再建は進めやすいだろう。正殿などは本土復帰20年の記念事業として1989年に着工し、92年に「首里城公園」としてオープンした。事業費は建物だけで73億円かかった。

   再建を進める際に浮上する問題は想像するにいくつかある。国を支援を得て復興資金は工面できたとしても、プロ職人と建築資材が集まるかどうか。92年の首里城復元時には樹齢400年のヒノキが他府県や台湾から集められたが、正殿を造る大木を確保できるだろうか。また、正殿だけで5万枚、全体で22万枚という赤瓦を調達できるだろうか。木造の板壁に塗る弁柄漆は確保できるのだろうか。御座所や周辺の装飾に沈金(ちんきん)など伝統の漆塗り職人の確保はどうか、だ。

   さらに、冒頭で述べた木造の漆塗りと防災の問題だ。まさかと思うが、防災を優先して、この際、正殿を木造から鉄筋コンクリートにするという議論だけにはなってほしくない。玉城知事は記者会見(1日・総理官邸)で本土復帰50年となる2022年5月までに再建計画をまとめると述べたが、ウチナーンチュの誇りをかけた仕事となることを願う。

⇒4日(月・振休)昼・夜金沢の天気     はれ

★「漆の城」首里城 燃ゆ

★「漆の城」首里城 燃ゆ

   北陸に住んでいて、沖縄・那覇市の弁柄(べんがら)の首里城はとても異国情緒にあふれた文化遺産だと、2003年と2009年の2回訪れたときに感じた。「これは巨大な漆器だ」と。それが、昨日(10月31日)未明に出火し、無残な姿になった。復興に向けて沖縄県と国の話し合いも今後進むだろう。ただ、建物だけ再建すれば済む話ではなく、巨大な漆芸術という点で容易くなはない。

    戦前の首里城は正殿などが国宝だった。戦時中、日本軍が首里城の下に地下壕を築いて、司令部を置いたこともあり、1945年(昭和20年)、アメリカの軍艦から砲撃された。さらに戦後に大学施設の建設が進み、当時をしのぶ城壁や建物の基礎がわずかに残っていた。大学の移転とともに1980年代から復元工事が進み、1992年には正殿が復元された。2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではなかった。

    これまでブログで書いた首里城の印象を以下採録する。首里城の正殿に向かうと、入り口の二本の柱「金龍五色之雲」が目に飛び込んでくる。四本足の竜が金箔で描かれ、これが東アジアの王朝のロマンをかきたてる。全体の弁柄はこの二本の柱の文様を強調するために塗られたのではないかと想像してしまう。さらに内部の塗装や色彩も中国建築の影響を随分と受けているのであろう、鮮やかな朱塗りである。国王の御座所の上の額木(がくぎ)には泳ぐ竜が彫刻され金色に耀いている。

  2階の柱には唐草文様が描かれ、どこまでも続く。パンフレットでこれが沈金(ちんきん)だと知って驚いた。石川県能登半島には輪島塗がある。輪島塗の2つの特徴は、椀の縁に布を被せて漆を塗ることで強度が増す「布着せ」と沈金による加飾。沈金は、塗った器に文様を線掘りして、金粉や金箔を埋めていく。この2つは輪島塗のオリジナルだと思っていたが、琉球漆器でも16世紀ごろから用いられた技法だったことは発見だった。

  那覇市内で漆器店のよく看板を見かけた。「漆器・仏具」とセットになっていて、器物と並んで、仏壇や位牌、仏具などが陳列されている。祖先崇拝が伝統的に強い風土に根ざした地場産業だ。ということは、漆塗りの職人が今でもおそらく何百人という単位でいるのだろう。これらの漆工職人を動員して自前で首里城の塗りと加飾を施し、一つの巨大な作品に仕上げた。漆器王国、沖縄の実力ともいえる。

 その首里城を遠望すると、朱塗りの椀に金箔の加飾が施されたようにも見えた。ゴールデンウイークだったせいもあり、首里城には多くの観光客が押し寄せ、まるで、人々を受け入れる巨大な器のようだった。

⇒1日(金)夜・金沢の天気 くもり時々あめ

☆新幹線戻る、その心理効果

☆新幹線戻る、その心理効果

   水に浸かった北陸新幹線のあのショッキングな画像から13日ぶりに安堵を得た気がした。台風19号の影響で長野市内を流れる千曲川の堤防が決壊し、新幹線車両センターが浸水し、電気設備の修繕や復旧のため、長野‐上越妙高間で運転を見合わせていた。それがきのう25日の始発から金沢ー東京間の全線で運転を再開した。首都圏との大動脈がつながるだけで、安心感が漂うので不思議なものだ。

   地元紙をチェックすると、「金沢駅 かがやき戻る」(北國新聞25日付夕刊)、「安堵 北陸新幹線13日ぶり全通」(北陸中日新聞26日付朝刊)などと各紙一面トップで伝えている=写真=。記事も面白い。同日午前8時45分に東京駅始発「かがやき501号」が金沢駅に到着すると、石川県内の温泉どころである和倉、山代、片山津、山中、湯涌の温泉旅館の女将らが法被姿で、改札をくぐってきた利用者に「いらっしゃいませ」と声をかけていたと報じている。行楽シーズンの真っ盛りでの新幹線の不通は、宿泊キャンセルなどで相当に痛みがあったことは想像に難くない。全線再開でひと安心だろう。

   しかし、客足はすぐ戻るだろうか。台風21号の影響で、千葉県など関東では記録的な大雨になり、河川の氾濫や土砂崩れによる家屋の倒壊など死者も出ている。新幹線が再開したからといって、関東からの観光客が果たして戻るだろうか。心理的に微妙なところだ。

   とは言え、街ににぎわいが戻ってほしいのは金沢に住む一人として正直な気持ちだ。きょうは、一足早いハローウイーンの行列が金沢駅から武蔵や香林坊までの目抜き通りを練り歩いた。大人もこどもも思い思いの仮装をして楽しそうに歩いていた。あす27日は「金沢マラソン2019」が開催され、国内外のランナー1万3000人が中心街などを走る。11月になれば兼六園では雪吊りが始まる。冬へと季節は移ろう。

⇒26日(土)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

★祝意と違和感と

★祝意と違和感と

   191の国と国際機関から代表が参列し、天皇陛下の中心的な儀式である「即位礼正殿の儀」が滞りなく執り行われた。国民を代表して安倍総理が「寿詞(よごと)」という祝辞を読み上げた。テレビで即位礼正殿の儀を視聴したのは人生で二度目だ。今回も古式にのっとり行われ、タイムスリップした感覚で見ていた。

   正直、違和感があったのは安倍総理の「天皇陛下万歳」の三唱だった。ほかに言い方はなかったのだろうかと思った。というのも、私は小さいころ亡き父から聞いていた話は、戦時中、仏領インドシナ(ベトナム)の戦線でフランス軍と戦うとき、兵士たちは「天皇陛下万歳」と叫びながら突進していった、と。父はそれを否定的に言っていたのではなく、今思い起こせば、戦友たちは勇敢に戦ったと表現するために「天皇陛下万歳」という言葉を持ち出して話を聞かせてくれたのだと思う。

   もう少し詳細に父が話してくれたことを述べる。父が所属したのは歩兵第八十三連隊第六中隊。フランス軍との戦闘で、カンボジアとの国境の町、ロクニンに転戦。昭和20年8月15日、敗戦の報をこの地で聞くことになる。終戦処理の占領軍はイギリスが任に当たり、父の部隊はサイゴンで捕虜となる。このころから部隊を逃亡する兵士が続出。その数は600人とも言われている。多くは、ベトナムの解放をスローガンに掲げる現地のゲリラ組織に加わり、再植民地化をもくろむフランス軍との戦いに加わった。中にはベトナム独立同盟(ベトミン)の解放軍の中核として作戦を指揮する元日本兵たちもいた。父はゲリラ組織には加わらなかったが、ベトナム解放戦線に加わりその後再び捕虜となった元同僚の兵士から聞いた話として、はやりフランス軍に突進するときには「天皇陛下万歳」と声を上げていた、と。

   当時日本軍兵士は死を覚悟で敵に対峙するときに、このフレーズを使ったのだろう。戦場の叫びだ。安倍総理はこうした事実を理解しているのだろうか。私は戦争体験者である父から聴いて知っていたので違和感が残った。ご存命の元兵士の方々は今回の万歳三唱を視聴してどのような思いだっただろうか。

⇒23日(水)夜・金沢の天気     くもり

☆衝突映像、公開のタイミング

☆衝突映像、公開のタイミング

   ビデオの3分29秒で「ガシャーン」という衝突音が響く。映像は今月7日、能登半島沖の350㌔の日本の排他的経済水域(EEZ)で、水産庁の取締船「おおくに」と北朝鮮の漁船が衝突したときの動画だ。18日夜、水産庁がホームページで公開した。

   動画(12分54秒)は「退去警告に従わないため、撮影を開始する」とコメントが入り、撮影が始まっている。漁船の船体には北朝鮮の国旗が描かれ、漁の網を引き揚げている様子が映る。違法操業と確認できたため、取締船が漁船に向けて放水を開始する。EEZから退去するよう警告アナウンスを何度も伝える。放水するため取締船が漁船に併走している。「石を投げる様子ないか」と取締船は漁船の様子を確認しながら並走を続ける。すると、漁船が左に方向を変えて急接近、漁船の左の側面が取締船の船首に衝突する「ガシャーン」という音が響く。同時に「ガイセンが本船とぶつかった」と撮影者の声が入っている。ガイセンは「該船」のこと、取り締まる対象の船のことを指す。

   ビデオでは、衝突の後、漁船が取締船を追い越すように離れていく様子が映っている。しばらくして、漁船が傾き始め沈没する。海に飛び込み脱出する乗組員の様子が生々しく映っている。取締船は救助ボートを出し、救命いかだを現場に投げて救助に当たる。ビデオの12分00秒には、別の北朝鮮の船が来て、救助された船員たちが次々と乗り移っていく様子が映っている。「救命いかだからNK公船に全員が乗り移った模様」「救命いかだからNK公船が離れていく」のコメントを最後に映像は終了する。

   北朝鮮外務省の報道官は12日の声明で、「日本側が故意に衝突した犯罪的な行為だ」と指摘、日本に対し漁船沈没の損害賠償を強く求めた。漁船が急旋回したため衝突したとの日本の主張に対して、声明では通常の航行状態だったと反論し、「日本は意図的な行為を正当化しようとしている」とも非難した。

   北朝鮮が声明を出したとき、水産庁ははやく映像を公開し事実関係を明らかにすべきではないか、何をもたもたしているのかと不信感すら抱いた。水産庁が公表した映像を見る限り、声明にある「日本側が故意に衝突した犯罪的な行為」との指摘は論外ではあることは言うまでもない。むしろ遅れたタイミングの映像公開によって、北朝鮮の声明の論拠を崩したことにもなる。仮に、この映像が先に公開されていたらどうか。それでも、声明は「映像は捏造」と主張していたかもしれない。
(※写真は、北朝鮮の漁船が水産庁の取締船に衝突する様子=水産庁ホームページの動画より)

⇒20日(日)午後・金沢の天気    はれ

★「オープンイノベーション」って何だ

★「オープンイノベーション」って何だ

       「人生百年時代」という言葉に戸惑っている。これまでの人生観は、60歳定年で再就職し、65歳まで頑張り、後は年金をもらって泰然自若として余生を送る、だった。ところが、「人生百年時代」の言葉の裏には年金制度の下心が見えてくる。高齢者はリタイアせずそのまま働き、年金保険料や税金を納めてもらい、年金の受給開始をできるだけ待ってもらうという、時代の要請を感じる。これに背いて、時の政権を恨んで生きようとは思わない。問題は、65歳の人生観から人生百年時代へとライフスタイルを延ばすために、求められる能力・スキルをどう身につけるかである。

   キャリアの単なる延長では意味がない。有している技術やノウハウはもう時代についていけない。キャリアアップやキャリアチェンジが必要なのだ。自虐的な発想だが、65歳から身につける、能力・スキルには限界がある。せめて50歳で会社を辞しキャリアチェンジに進む、あるいは会社に兼業を認めてもらい、キャリアアップを図るといった自己開発が必要なのだ。これは、個人のキャリアもさることながら、会社組織にとっても必要ではないかと考えている。老舗企業として生き残るのはそう楽ではない。

   「オープンイノベーション」という言葉がある。これまでの自前主義(クローズドイノベーション)に代わって、会社の外にある知識や技術を積極的に取り込むという意味で使われる。もちろん、それぞれの企業内には秘密保持契約があり、自ら創った壁に風穴を空けて、既存のベンチャー企業やIT企業から技術導入するというのはそう簡単ではないだろう。「スタートアップ」と称される、新規サービス・ビジネスモデルの確立を目指すメンバーを取り込み、 イノベーションの創出を求める大企業の間で盛んに言われているのが、オープンイノベーションだ。 一方で、成功事例は少なく、失敗に終わる事例が多いことから、「オープンイノベーションごっこ。そう簡単ではない」と自虐的に言う人もいる。

   オープンイノベーションを起こすべきはむしろ政府だろう。厚生労働省の統計によると、ことし1-7月の出生数は前年同期に比べて5.9%減の51万8590人となり、ショックが走った。2016年に100万人を割り、わずか3年で90万人を割る公算が大になってきた。「団塊ジュニア」と称されてきた世代の女性が45歳以上になり、20代と30代の女性が減少している。つまり、人口減は構造的な問題なのだ。

   この問題に対応するには事実婚というオープンイノベーションを導入するしかないだろう。日本には戸籍の問題があり、事実婚を阻害しているが、結婚をしないで子供を出産する許容さ、その支援制度を政府が前向きに示すことではないか。事実婚のオープンイノベーションに踏み切れば、高齢化した社会の変革も促されるのではないだろうか。

⇒18日(金)夜・珠洲市の天気     くもり

★被害者権利「日本が故意に衝突、損害賠償を」

★被害者権利「日本が故意に衝突、損害賠償を」

  数十年に一度の重大な災害が予想される特別警報が出された台風19号。各地で爪痕を残し、13日朝、台風の中心部は東北三陸沖の太平洋側に抜けた。ネットニュ-スで被害状況をチェックしているが、長野県の千曲川の堤防が一部決壊し住宅地が浸水。また、長野市のJR新幹線車両センターも水没して、北陸新幹線の車両が水に浸かっている状態で終日運休が決まった。時間が経つにつれ、さまざまな被害状況が確認され、今回の台風のすさまじさが見えてくる。

  もう一つ「北の台風」が吹き始めた。12日付のロイター通信Web板(日本語)は「北朝鮮が日本に賠償要求、故意に沈没漁船に衝突と主張」との見出しで、今月7日に起きた能登半島沖の日本のEEZ(排他的経済水域)内での北朝鮮漁船と水産庁取締船との衝突について、北朝鮮側の発表を報じている。

   ニュースを以下要約する。朝鮮中央通信社(KCNA)が12日に報じた内容として、北朝鮮外務省の報道官は声明で、日本側が故意に衝突した犯罪的な行為だと指摘、将来このような事案が発生しないよう日本は対応すべきだと主張。さらに「日本政府に沈没船の損害補償を強く求める。このような事態が再び起これば日本は望ましくない結果に直面することになる」と指摘。漁船が急旋回したため衝突したとの日本の主張に対して、通常の航行状態だったと反論し、「日本は意図的な行為を正当化しようとしている」と非難した。

   なぜこれほど北は強気に出てくるのか。衝突から損害補償の請求まで仕掛けられたワナではないか。領海の基線から200㌋(370㌔)までのEEZでは、水産資源は沿岸国に管理権があると国連海洋法条約で定められている。ところが、北朝鮮は条約に加盟していないし、日本と漁業協定も結んでいない。北朝鮮は衝突があったEEZは自国の領海であると以前から主張している。日本側が領海を侵犯した上、公船が漁船に体当たりしたと自らの立場を正当化する戦略として仕立てたのだろう。これからことあるごとに「北朝鮮の領海での日本側の意図的な衝突、損害賠償を請求する」と高いボルテージで言い続けるだろう、北朝鮮は被害国だという「権利」の主張だ。

   北朝鮮では近海の漁業権を中国に売却したため、漁民が危険を冒して大和堆などの沖合に出ざるをえない事情があると言われている。ロシアのEEZに入り拿捕が相次ぎ、日本のEEZの方が拿捕されないので「安全」と見くびっている。おそらく北による違法操業は今後も当面止むことはないだろう。日本は水産庁が撮っている今回の衝突映像を国際社会に公開すべきだ。衝突が単なる事故なのか、故意に衝突した「事件」なのか。厄介なボールが日本に撃ち込まれた。(※写真は、日本のEEZで違法操業する北朝鮮の漁船=海上保安庁の動画から)

⇒13日(日)午前・金沢の天気     くもり

★迫る台風19号、茜色の夕空

★迫る台風19号、茜色の夕空

  見事な茜(あかね)色の風景だった。きょう午後5時37分、金沢の外環状道路を車で走っていて西の空に見えた=写真=。暴風雨の前のつかの間の和みの光景か。非常に強い台風19号が迫っている。あす12日は北陸も大荒れとなる見込みだ。自身が講義を予定をしていた金沢大学の人材養成事業「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」も次週に延期となった。紙面ではラグビーのワールドカップもニュージランドvsイタリア(愛知・豊田市)、イングランドvsフランス(横浜市)が中止となり、試合はドロー(引き分け)扱いとなると報じられている。確かにこの2会場は19号の直撃コースだ。

  それにしてもラグビーW杯の盛り上がりはだれが予想していただろうか。W杯の開催ついての功労者は、かつて「神の国」発言で物議をかもした森喜朗元総理であることは選挙地盤でもあった石川県民が地元紙を通じてよく知っている。森氏が日本ラグビーフットボール協会の会長を務めていた2009年に今回の第9回W杯の日本招致に成功した。 当時は衆議員在任中でもあったので、「趣味のラグビーのために国費を使うのか」などと冷ややかな声も地元ではあった。政界引退後は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を務める。ラグビーW杯と東京オリンピック・パラリンピックが成功裏に終われば、「スポーツ界の神様」と称されるかも。

  森元総理のことはさておき、ラグビーについて知るとなんとグローバルなスポーツかと実感する。その国に3年以上滞在していれば、その国の選手として国籍に関係なく出場できるのだ。日本チームのメンバーはニュージーランドのトンプソンルーク、南アフリカのピーター・ラブスカフニ、オーストラリアのジェームス・ムーア、韓国の具智元ら。多国籍を超えて、日本チームとして結束しているところが見事だ。国歌斉唱では外国人選手も「君が代」を歌い、むしろグローバルさを感じさせる。

  このラグビーの在り様は、日本が取るべき将来の進路ではないかと考える。急速に進む少子高齢化で働き手や担い手が不足する中、日本の多国籍化を進めていく。国際化と述べると共通の理念が求められるが、目標に向かって結束する場合は多国籍化でよいのではないか。多国籍化が求められるのは、スポーツだけでなく、研究開発やマーケット戦略、生産性や教育分野など幅広い。市民生活でもあえて日本人の社会に溶け込む必要はない。たとえば、金沢に「ニュージーランド村」や「南アフリカ村」があってもいい。日本の法律の下でお互いに暮らし安さを追求すればそれでよいのではないか。茜色の夕空を見てそんなことを考えた。

⇒11日(金)夜・金沢の天気    はれ