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★「能登GIAHS」10周年の国際会議から~下~

★「能登GIAHS」10周年の国際会議から~下~

   能登の世界農業遺産「能登の里山里海」が認定されて10年周年を記念する国際会議(11月25-27日)と連携して「GIAHSユースサミット2021 ㏌ NOTO」が26日に開催された。国連大学サスティナビリティ高等研究所OUIKが主催し、GIAHS認定サイトの能登地区から飯田高校、鹿西高校、日本航空高校石川、新潟県から佐渡総合高校、そして宮崎県から五ヶ瀬中等教育学校の5校が参加、生徒40人が集った。テーマは「世界農業遺産を未来と世界へ~佐渡と能登からつながろう~」。

        ユース宣言の力強さ、そして「知事の花道」

   ちなみに、OUIKのフルネームは「いしかわ・かなざわオペレーティングユニット」。国連大学サスティナビリティ高等研究所が世界に6ヵ所設けているフィールド研究拠点の一つで、2008年4月に金沢市で開設された。里山里海と生物多様性などを研究テーマとしている。

   生徒たちは8つのグループに分かれて世界農業遺産をテーマに生物多様性や農業の発展、産業の発展、伝統文化、食文化、教育、発信などについて、それぞれの地域(サイト)の特徴や課題を話し合った。その内容を「GIAHSユース宣言」(13項目)としてまとめた。以下抜粋。

   将来の農業に向けては「3. 小さなアクションが積み重なれば世界はかわっていくはずです! 地域経済をより身近なものとして、問題について考え続けます」「4. GIAHS地域に密着した商品やブログラムのアイデアを考えます」、認定地の大人たちへは「11. 私たちは、GIAHS地域の自然環境を守るために、開発の抑制や、その代替えとなる案を、共につくり出すことを希望します」、世界の認定地のユースへは「13. 私たちと一緒にGIAHSのことをもっと知り、地域とつながり、積極的に行動して、GIAHSの輪を広げて行きましょう」。生徒自らが作成した台本で宣言した=写真・上=。

   能登の世界農業遺産は10年を経て、さまざま課題も浮き彫りとなっている。それは、少子高齢化と人口減少によって能登が持続可能な地域社会であり続けられるのかどうかだ。里山里海の保全や農林水産業の事業継承、祭り文化の担い手を養成していくことが課題となっている。しかし、高校生が授業で自分たちの地域の世界農業遺産について学ぶチャンスはほとんどないのが現状だ。OUIKが「ユースサミット」を企画した狙いは、GIAHS地域の「サスティナビリティ」を高めることだ。自身も同じ想いでユースサミットを傍聴していたので、生徒たちのユース宣言を聴いて、その力強さに心が励まされた。

   話は変わる。この国際会議開催の提唱者は谷本正憲県知事と県庁関係者から聞いている。前々回のブログで述べたように、2013年5月の「GIAHS国際フォーラム」の能登誘致も、知事がローマのFAO本部に事務局長を訪ね、直談判で開催にこぎつけた。今回の国際会議の基調講演で、「能登GIAHSは国内で初めて認定された。トップランナーとしてさらに深化させていく」と強調していた。政策としてSDGsやカーボンニュートラルを先取りして、能登GIAHSをバックアップしていくと具体的な政策を述べた。国際評価を得ても、情報発信を続けなければ価値はないとの趣旨だった。

   谷本氏は現在7期目。76歳。今月17日には来年3月の任期満了に伴う知事選には立候補せず、今期限りでの退任を表明した。今回の国際会議はある意味で、「知事の花道」のようにも思えた。うがった見方だが。(※写真・下は「GIAHSユースサミット」で生徒たちに国際会議の開催について述べる谷本知事)

⇒28日(日)夜・金沢の天気     はれ

★「能登GIAHS」10周年の国際会議から~上~

★「能登GIAHS」10周年の国際会議から~上~

   「Globally lmportant Agricultural Heritage Systems」(GIAHS、世界農業遺産)についてこのブログで初めて取り上げたのは2010年12月19日付だった。この制度は国連食糧農業機関(FAO)が「持続可能な開発に関する世界首脳会
議」(ヨハネスブルグ・サミット)で提唱し設けた。ブログで取り上げた時は、能登半島の8つの市町の首長が連名で申請書をFAOに提出し終えたころだった。申請には当時国連大学副学長だった武内和彦氏(東大教授)らの支援があった。2009年9月に奥能登の農耕儀礼「あえのこと」がユネスコ無形文化遺産に登録されていた。この農文化の国際評価は、FAOのGIAHS認定を得るベースにもなりうるのではないかとの期待もあった。

       能登にグローバルな目線が注がれた2011年

   そのブログの締めくくりをこう記した。「正式な登録は来年夏ごろであり、登録が決まった訳ではない。が、動き出した。類(たぐい)希なる農業資産を祖先から受け継ぐ能登半島は過疎・高齢化のトップランナーでもある。このまま座して死を待つのか、あるいは世界とリンクしながら、生物多様性を育む農業を現代に生かす努力を重ね新たなステージを切り拓いていくのか、その岐路に立っている。」

   申請の翌年2011年6月10日、中国・北京で開催されたFAO主催のGIAHS国際フォーラムで、能登と当時に申請していた佐渡市の申請などが審査された。自身も北京に同行しその成り行きを見守った。審査会では、能登を代表して七尾市長の武元文平氏と佐渡市長の高野宏一郎氏がそれぞれ農業を中心とした歴史や文化、将来展望を英語で紹介した。質疑もあったが、足を引っ張るような意見ではなく、GIAHSサイトの連携についてどう考えるかといった内容だった。申請案件は科学評価委員20人の拍手で採択された。日本の2件のほか、インド・カシミールの「サフラン農業」など合わせて4件が採択された。日本では初、そして先進国では初めてのGIAHS認定だった。

   能登の認定タイトルは「Noto’s Satoyama and Satoumi」。GIAHS認定を受けてから、徐々に能登に変化が起き始める。一年おきに開催されるFAOのGIAHS国際フォーラムの開催が2013年5月は能登で決まった。この決定に関係各国は驚いたはずだ。北京でのフォーラム閉会式で、GIAHS事務局長は「次回はカリフォルニアで開催を予定している」と述べていた。カリフォルニアワインの代名詞となっているナパ・バレーはワインの産地だ。それがひっくり返って能登に。

    ネタ明かしをすると、2012年5月、ヨーロッパ視察に訪れた石川県の谷本正憲知事がローマのFAO本部にジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバ事務局長を訪ね、能登での開催を提案していたのだ。FAOは次のフォーラム開催が1年後に迫っていたにもかかわらず変更を決断。「認定サイトの地で初めてのフォーラム開催」をFAOはうたった。それ以前は2007年がローマ、09年がブエノスアイレス、11年が北京だった。

   能登半島の七尾市和倉温泉で開催されたGIAHS国際フォーラム(2013年5月29-31日)には11ヵ国19サイトの関係者が集まった。能登では初の国際会議だった。そして、審査会では新たに日本の3サイト(熊本県「阿蘇の草原と持続可能な農業」、静岡県「静岡の茶草場農法」、大分県「国東半島宇佐の農林漁業循環システム」)など5サイトが新たに認定された。その後もGIAHS国際フォーラムは開催され、現在では22ヵ国の62サイトに。そして、イタリア、スペインなどヨーロッパにも認定が広がっている。

   2011年のGIAHS認定をきっかけに、能登にグローバルな目線が注がれることになり、「Noto」が世界に浸透していくことになる。(※写真は、2011年6月、北京で開催されたGIAHS国際フォーラムの認定状を手にする武元七尾市長=左=と高野佐渡市長)

⇒26日(金)夜・金沢の天気        あめ  

☆トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(上)

☆トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(上)

   新潟県佐渡市で開催されている「GIAHS(世界農業遺産)認定10周年記念フォーラム ㏌ 佐渡」に参加している。世界農業遺産は自然環境と調和した農林漁業や伝統文化が色濃く残されていている地域(サイト)を国連の食糧農業機関(FAO)が認定する。フィリピンのイフガオ棚田やチュニジアのオアシス農業など22ヵ国の62サイト、そのうち日本では11サイトが認定されている。日本での世界農業遺産サイトのうち、「能登の里山里海(Noto’s Satoyama and Satoumi)」と「トキと共生する佐渡の里山(SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis)」は2011年6月に日本で初めてGIAHS認定を受けた。

     生物多様性と農業を循環させる「生き物ブランド米」の先駆け

   能登と佐渡のGIAHSは中国・北京で開催されたFAO主催のGIAHS国際フォーラムでの審査会(2011年6月11日)で認定された。当時、自身も金沢大学でこの申請作業に関わっていて北京での審査の様子を見守った。七尾市長の武元文平氏と佐渡市長の高野宏一郎氏はそれぞれ能登と佐渡の農業を中心とした歴史や文化、将来展望を英語で紹介した。認定された夜の懇親会で、武元氏は「七尾まだら」を、高野氏は「佐渡おけさ」を歌い、ステージを盛り上げた。中国ハニ族の人たちもステージに上がり歌うなど、国際民謡大会のように盛り上がった。(※写真・上は「佐渡おけさ」をステージで披露する高野市長、右横で踊るのが渡辺竜五・市農林水産課長=2020年4月より市長)
 
   そして、高野氏は受賞の喜びをこう語った。「世界農業遺産の認定はゴールではなく、新たなスタートです。この認定を誇りに思うとともに、佐渡島民は受け継いできたこの農業の価値を認識し、より一層の持続可能な農業生産活動と里山、自然、文化の保全そしてトキをシンボルとした生物多様性保全に取り組みを進めなければなりません」

   当時、佐渡市は国際保護鳥トキの放鳥で減農薬の稲作農法を行う「朱鷺と暮らす郷づくり」認証制度をベースにコメのブランド化を進めていた。いわゆる「生き物ブランド米」の先駆けでもあった。世界農業遺産の認定を契機に高く評価された。その後、佐渡市は生物多様性と循環型農業の構想を未来に向けてどのように描ているのか知りたく、今回のフォーラムに参加した。

   午後2時から始まったフォーラムは、佐渡を拠点に活動している太鼓芸能集団「鼓童」の演奏で始まった=写真・下=。52の国と地域で6500回を超える公演を行っているという。腰を落として全身の力を使って太鼓を打ち込む姿は胸を打つ。佐渡の人々の心意気を象徴するような迫力ある響きだ。

⇒29日(金)夜・佐渡の天気     はれ

★「里山」が国際用語「SATOYAMA」になる言葉の価値

★「里山」が国際用語「SATOYAMA」になる言葉の価値

    このブログでもよく使う「里山」という言葉はすでに国際用語になっていると周囲で話すと、驚く人が多い。「なんで里山が」「どういうこと」と。その事例として出すのが、国連大学サステイナビリティ高等研究所が事務局となっている、「SATOYAMA イニシアティブ国際パートナーシップ」(IPSI)という国際組織だ。2010年10月に名古屋市で開催された生物多様性条約第10回締約国会議(CBD/COP10)で採択された「Satoyama Initiative」の推進母体となっている。

   SATOYAMAイニシアティブは生態系を守りながら農林業や漁業の営みを続ける「持続可能な利用」という概念であり、生物多様性の戦略目標とする国際的な取り組み。SATOYAMAイニシアティブがCOP10で採択されたのには伏線があった。2008年5月にCOP9がドイツのボンで開催され、日本の環境省と国連大学が主催したサイドイベント「日本の里山・里海における生物多様性」で、当時の黒田大三郎環境省審議官が「SATOYAMAイニシアティブ」を提唱した。

    これに、CBD事務局長のアフメド・ジョグラフ氏が共感し、「成長を続け現代的な社会を形成した日本は文化や伝統、そして自然との関係を保ってきた。そのコンセプトは世界で有効であり、日本の経験に大きな期待が集まっている」と支援を表明した。そのジョグラフ氏は4ヵ月後、名古屋市で開催された第16回アジア太平洋環境会議(エコアジア)出席の後、能登半島を訪れ、輪島市の千枚田や地域の人たちの森林保全の取り組み、休耕田を活用したビオトープでの環境教育など日本のSATOYAMAの現場をつぶさに見学した=写真・上=。

   じつはそれ以前にもSATOYAMAは海外で紹介されていた。イギリスBBCがNHKのドキュメンタリー番組『映像詩 里山』を動物学者で番組プロデューサーのD・アッテンボロー氏のナレーションで吹き替えて、番組『SATOYAMA』として放送し、これが欧米で反響を呼んだ。1999年のことだ。こうしたいくつかの伏線があって、COP10で「SATOYAMAイニシアティブ」が採択された。COP10の参加者は「SATOYAMAエクスカーション」公認コースとなった能登半島を訪れている。

    このSATOYAMAをさらに国際用語へと押し上げたのは能登と佐渡だった。国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)が認定する世界農業遺産(GIAHS)への2011年申請に、能登の8市町は共同して「Noto’s Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」を、そして、佐渡市は「SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis(トキと共生する佐渡の里山)」を提出した。双方とも申請タイトルに「Satoyama」を冠した。2011年6月、北京でGIAHS国際フォーラムが開催され、日本で初めてこの2件がGIAHSに認定された=写真・下=。「Satoyama Initiative」の採択と連動する相乗効果でもある。

   自身はCOP9、そしてCOP10、北京でのGIAHS国際フォーラムに実際に参加して、「Satoyama」「SATOYAMA」の言葉が持つ深みや重み、可能性というものを感じてきた。生物多様性や世界農業遺産の国際評価のキーワードでもある。そして、SDGsとの親和性も高い。COP10から11年、GIAHS国際フォーラムから10年、「里山」の言葉の価値をふと振り返ってみた。

⇒4日(月)午後・金沢の天気     はれ

★啓蟄 萌え出づる生物多様性

★啓蟄 萌え出づる生物多様性

    きょうは二十四節気の一つ「啓蟄(けいちつ)」だ。冬ごもりしていた虫が春の気配を感じ姿を現わし出すころ。虫に限らず、さまざまな生き物が目覚める。万葉の時代から、この春の感覚は共有されていたようだ。「石ばしる垂水の上のさわらびの 萌え出づる春になりにけるかも」(志貴皇子)。雪解けの水が岩からほとばしる滝のほとりに、ワラビが芽を出す春がきた、と。地上に生命力があふれる季節がめぐってきた。

   啓蟄にちなんで、このブログで取り上げてきた生物多様性にちなむ名言を紹介したい。コフィ・アナン氏(元国連事務総長)の言葉だ。「生物多様性は生命そのものにとっての生命保険でもある。農業や文化の多様性や生物多様性は、我々の生命維持システムにとって重要であり、保険のような存在。生物多様性が優れていればいるほど、我々は将来の問題に備えて保険をかけることができる。キノア(アンデス地方で栽培される雑穀)は種ごとに違った病気に強いという性質があり、全体として非常に病気に強い、生物多様性に富んだ農場が数多くある。これは、現在と将来の世代にとって重要なことだ」

   能登半島を4度訪れたパルビス・クーハフカン氏(元FAO世界農業遺産事務局長)が2013年2月に開催された国際セミナーで語ったこと。「私は能登の一部で、農薬の使用をやめた所を見学させていただいた。そこでは有機栽培でコメが生産されており、少しずつ水田にカエルや動物、様々な種類のヒルやミミズ、貝類が戻ってきていた。生態系や生物多様性を回復するだけでなく、自然の中のある種のバランスが取り戻され、農薬や肥料の必要がなくなるため、これは非常に重要なことだ。このような自然なシステムがもっと増えれば、きっと水田に魚が増え、GIAHS(世界農業遺産)がいっそう改良される」

   そのパルビス氏が初めて能登を訪れたのは2010年6月だった。国連大学高等研究所の研究員らとともに金沢大学の能登学舎(珠洲市)で、研究スタッフから能登の里山里海の地域資源を活用する地域人材の養成の仕組み、とくに生物多様性など環境配慮の水田づくりの実習カリキュラムなどについて説明を受けた。目を輝かせてのぞき込んだのが水田で採取した昆虫標本だった=写真=。標本をカメラに撮りながら、「この虫を採取したのは農家か」「カエルやヒルやミミズ、貝類の標本はあるか」と矢継ぎ早に質問も。フランスのモンペリエ第2大学(理工系)で生態学の博士号を取得し、専門は天然資源管理や持続可能な開発、農業生態学だ。   

           昆虫標本を見終えて、パルビス氏は「若者の人材養成に昆虫標本の作製まで 取り入れているプログラムはレベルが高い」「能登の生物多様性と農業の取り組みはとても先進的だ」と評価。翌年2011年6月のGIAHS北京フォーラムで審査された「能登の里山里海」と佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」がとともに日本で初めて世界農業遺産に認定された。パルビス氏がよく口にする言葉は「バイオ・ハピネス(Bio-Happpiness)、自然と和して生きようではないか」だ。

⇒5日(金)午後・金沢の天気     あめ