#9月の記録的な大雨

★変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その6~

★変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その6~

  この1年、能登を何度も往復した中で、よい意味で変わらぬ光景だったのが祭りだった。能登では元日の地震で2万4千棟の住家が全半壊した。それでも、能登の祭りのシンボルでもあるキリコや神輿を出せる町内は出して祭りを盛り上げていた。7月5日に見た能登町宇出津の「あばれ祭」に能登の人々の心意気を感じた。

           逆境にめげず祭りを楽しむ能登人の心意気

  宇出津は港町でもある。元日の地震で沿岸の地盤が沈下して港町の一部では海水面より低くなったところもある。そんな中で祭りの掛け声が響き渡っていた。「イヤサカヤッサイ」。掛け声が鉦(かね)や太鼓と同調して響き渡る。高さ6㍍ほどのキリコが柱たいまつの火の粉が舞う中を勇ましく練り歩く。神輿2基とキリコ37基が港湾側の祭り広場に集った。キリコの担ぎ手は老若男女で衣装はそれぞれ。キリコに乗って鉦と太鼓をたたく、笛を吹く囃子手(はやして)にも女性も多くいた=写真・上=。  

  この祭りにはルーツがある。江戸時代の寛文年間(1661-73)、宇出津で疫病がはやり、京都の祇園社(八坂神社)から神様を勧請し、盛大な祭礼を執り行った。そのとき大きなハチがあらわれて、病人を刺したところ病が治り、地元の人々はこのハチを神様の使いと考えて感謝した。それから祭りでは「ハチや刺いた、ハチや刺いた」とはやしながら練り回ったというのが、この祭りのルーツとされる(日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」公式ホームページより)。逆境に立たされれば、立たされるほど闘争心をむき出しにして元気よくキリコを担ぐ、そのような言い伝えのある祭りなのだ。

  8月24日には輪島大祭の住吉神社の祭りに行ってきた。境内は震災で本殿が全壊し、高さ7㍍もある総輪島塗の山車や曳山も倒壊、鳥居や石灯籠も倒れた。そんな中でも、若い衆がガレキの山をバックに祭り太鼓を披露していた=写真・下=。前日までは人手が足りないのでキリコは出さないことになっていたが、祭り当日になって仮設住宅や金沢などの避難先からキリコ担ぎの仲間たちが続々と集まり、夕方になってキリコも担ぎ出された。「やっぱりキリコが出んと祭りにならん」。祭りを盛り上げたいという若い衆の気持ちが伝わったのだった。

  能登の祭りは地域の参加者だけが楽しむのではなく、参加したい人をどんどんと受け入れ、みんなで楽しむ。逆境にめげずに祭りを楽しむ能登人の心意気が伝わってくる光景だった。

⇒31日(火)夜・金沢の天気   くもり

☆変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その5~

☆変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その5~

       能登半島を車で走っていてこの一年変わらぬ光景がある。それは、山頂に並ぶ長さ30㍍クラスの風力発電のブレイド(羽根)が回っていないことだ。日本海に突き出た能登半島は風の流れがよいとされ、ブレイドが回る風力発電は能登では見慣れた風景でもあった。ところが、元旦の最大震度7の揺れ以降、ブレイドがストップした。風力発電が立地する場所は珠洲市が30基、輪島市が11基、志賀町が22基、七尾市が10基の合わせて73基で、その後に再稼働したのは志賀町にある日本海発電(本社・富山市)の9基とほか数基ようだ。

     この一年、ブレイドは回らず 凍える風力発電 

  今月27日に半島の尖端の珠洲市を訪れたときに国道249号の大谷トンネル付近から見えた5基はすべて止まったままだった。山には積雪があり、まるで風車が凍えているかのようにも見えた。同市にある30基の風力発電を管轄している「日本風力開発」(東京)の公式サイトによると、発電所や変電所の敷地内外を徒歩によるアクセスやドローンおよび航空写真で確認した。その結果、1基についてはブレイド1枚の損傷を確認した、としている。「6月10日現在の状況」として、ブレイドの損傷原因を現在も引き続き追究中で、それ以外の風車およびほかの設備についても周辺安全に影響する損壊がないことを確認しながら、具体的な復旧方法や工程を関係機関とともに策定中、とある。しかし、再稼働の日程については公式サイトでの記載はなかった。

  風力発電のブレイドは地震の揺れで自動的に止まるため、メンテナンスを施して再び稼働させる。では、なぜ再稼働がなぜ進まないのだろうか。以下は憶測だ。再稼働させるための器材を積んた車で現地にたどり着くことが困難なのだろう。山の道路に亀裂ができたり、がけ崩れなどで寸断されていることは想像できる。さらに、9月の記録的な大雨で山道そのものが崩れたりと、アクセスがさらに難しくなっている可能性がある。実際、今月27日に同市を訪れた際も、これまで行ったことがある風力発電の場所に車で行こうとしたが、山の道路の入り口に「がけ崩れ危険」と立ち入り禁止のカラーコーンが置かれてあった。

  能登半島では今後さらに風力発電の増設が計画されていて、13事業・181基について環境アセスメントの手続きが行われている。風力発電は再生可能エネルギーのシンボルでもある。以前、珠洲市で現地見学をさせてもらったことがある。風速3㍍でブレイドが回りはじめ、風速13㍍/秒で最高出力1500KWが出る。半島の沿岸部、特に北側と西側は年間の平均風速が6㍍/秒を超え、一部には平均8㍍/秒の強風が吹く場所もあり、風力発電には最適の立地条件にある、との説明を受けた。

  能登での風力発電の立地に地震というネックがあることが露呈した。果たしてこのまま181基の立地計画は進むのか。それより何より山の道路が再び整備され、再稼働が可能なのか。

⇒30日(月)午後・金沢の天気    はれ

★変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その4~

★変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その4~

  元日の能登半島地震のある意味でシンボル的な光景とされてきたのが、輪島市で240棟余りの商店や民家が全焼し焦土と化した朝市通り、そして、倒壊した輪島塗製造販売会社「五島屋」の7階建てビルだった。その後、朝市通りやビルはどうなっているのか、今月26日に現地を見に行った。

         徐々に進む復旧・復興への足音 震災と洪水の二重災難を超えて 

  倒壊ビルの現場では、パワーショベルなど重機2台が動いていた。行政による公費解体は11月初旬に作業が始まった。2棟ある五島屋ビルのうち倒壊を免れた3階建てのビルは解体が終わり、市道にはみ出して倒壊した7階建てビルは3階から7階部分の解体撤去が終わっていた=写真・上=。工事看板によると、解体作業は来年1月いっぱいまで続くようだ。

  現場では倒壊によってビルに隣接していた、3階建ての住居兼居酒屋が下敷きとなり、母子2人が犠牲となっている。問題視されているのはビル倒壊の原因が何なのかという点に絞られている。一部報道によると、2007年3月25日の能登半島地震でビルが大きく揺れたことから、五島屋の社長はビルの耐震性を懸念して、地下を埋めて基礎を強化する工事を行っていた。それが倒壊したとなると、社長自身もビル倒壊に納得していないようだ。ビルの築年数は50年ほど。基礎部の一部が地面にめり込んでおり、くいの破損や地盤が原因ではないかとも指摘されている。国土交通省が基礎部を中心に倒壊の原因を調べている。なぜ、震度6強の揺れに耐えきれずに根元から倒れたのか。ビル倒壊の原因が分かってくれば、責任の所在もおのずと明らかになるだろう。

  次に朝市通りに行く。軒を連ねていた通りの240棟が全半焼し、4万9000平方㍍が焼け野原となった。現地を眺めると一面に更地が広がっていた=写真・中=。焼け焦げたビルなどの解体撤去もほぼ終えていた。行政としても、朝市通りは震災復旧のシンボルでもあり、力を注いできたのだろう。素人目線ながら、復興に向けて大変なのはむしろこれからだろうと憶測する。被災地でよく問題になるとされるのが、土地の区画整理だ。誰の家がどこにあったかなどを測量して、近隣と合意を得て区画整理していく。これが4万9000平方㍍となると膨大な作業となり、かなりの年数がかかるのではないだろうか。

  地元メディアの報道によると、震災からの復興計画を進めている輪島市の復興まちづくり計画検討委員会は今月20日、計画案をとりまとめ、輪島市長に提出した。目玉となるプロジェクトに「輪島朝市周辺再生」を掲げ、商店街や住まいの共生を目指して市街地整備を行う。これを受けて行政は市民からも意見を求め、来年2月中に正式決定する。復興計画の期間は10年で、2026年度までを上下水道などのインフラ整備などを進める「復旧期」、2030年度までを朝市周辺の新たな街づくりを進める「再生期」、2034年度までを地域資源を活用した新たな観光や産業を創出する「創造期」と定め、復興プロジェクトに着手していく。

  朝市通りから金沢に帰る途中に、48時間で498㍉という9月の記録的な大雨に見舞われ、床上浸水した仮設住宅の宅田町第2団地に立ち寄った。市内中心部を流れる河原田川の氾濫で、団地の一帯が冠水した。住人にとってはまさに震災と豪雨による二重災害となった。豪雨から3ヵ月を経て、仮設住宅の修繕が終わり、住人が避難所から徐々に戻っていた。車に積んだ布団や毛布を住宅に運び込む姿をよく見かけた=写真・下=。本格的な冬に入る。これからは寒波や雪との戦いになるのだろう。

⇒29日(日)夜・金沢の天気    あめ

☆来年元日に輪島で二重災害の犠牲者追悼式典 防災力強化へ地域担当を配置

☆来年元日に輪島で二重災害の犠牲者追悼式典 防災力強化へ地域担当を配置

  きょうも能登半島の一部が揺れた。気象庁によると、午後0時39分ごろ、能登半島の西方沖を震源とするマグニチュードは3.5の地震があり、海側にある志賀町では震度2が観測された。先月11月26日にはマグニチュード6.6があり、志賀町で震度5弱、金沢は震度3だった。このときは不安が走った。揺れの中心にあたる震央が志賀町にある志賀原発と向き合っている位置にあり、津波は大丈夫か、原発施設への被害はないかと案じたからだ。

  地元紙のきょうの夕刊で、元日の能登半島地震の関連の記事いくつかあった。地震の発生1年となる来年元日に、輪島市で開かれる石川県主催の犠牲者追悼式典に石破総理が出席する、とのこと。式典は午後3時35分開会で、地震発生時刻の午後4時10分に出席者が黙祷をささげる。9月の記録的な大雨による犠牲者も合せて追悼する。地震による犠牲者は今月19日時点で、直接死が228人、災害関連死(県関係者)が270人となる。豪雨による死者は16人となる。514人の死を弔う。

  もう一つの関連記事。政府はきょう、2026年度中を目指す「防災庁」創設を見据え、全閣僚が参加する「防災立国推進閣僚会議」の初会合を総理官邸で開いた=写真、20日付・総理官邸公式サイトより=。47の都道府県を担当する職員として「地域防災力強化担当」を配置し、平時の対策や災害時の情報収集に取り組む方針を確認した。議長の石破総理は「政府一体で本気の事前防災を進める」と強調した。

  内閣府防災部門の定員は現在110人で、災害対応力の強化に向けて、平時は備蓄促進や防災訓練、ボランティア参加などに関して自治体の対応を促す。そして、災害発生時には直ちに現地に駆けつけて災害状況を把握し、避難所の環境の改善など進める。都道府県側にも連携する担当職員の配置を要請する。

  能登半島地震では自治体の対応に関してさまざまな批判が出ていた。住んでいた自治体と避難先の他自治体との相互の情報伝達がなく、被災者に仮設住宅の開設の情報が十分伝わらなかったという事例もある。新設される防災力強化の地域担当には、ぜひ、自治体間のコーディネーター役も期待したい。

⇒20日(金)夜・金沢の天気    くもり  

★能登の被災現場で両陛下が気遣いされた過酷な復旧現場と関連死のこと

★能登の被災現場で両陛下が気遣いされた過酷な復旧現場と関連死のこと

  きょう金沢は冷え込んだ。最高気温が4度、最低が1度なので真冬並みの寒さだった。午後に出向いた能登は最低が0度だった。冷え込みで懸念するのは仮設住宅や避難所で暮らしている人たちのことだ。被災地では疲労に寒さが加わり低体温症などで体調を崩す人が出ているのではないだろうか。

  前回ブログで天皇・皇后両陛下が元日の能登半島地震、そして9月の記録的な大雨の被災者を見舞われるため、今月17日に輪島市を訪れたと述べた。その様子を新聞メディア各社(18、19日付)が詳細に報じている=写真=。

  両陛下は9月の豪雨について、輪島市と珠洲市、能登町の3人の首長から説明を受けた。被災者がこれまで見たこともないような大粒の雨だったこと、震災と豪雨の二重被災に心が折れそうになっている人も多いこと、そうした中でも生活の立て直しに懸命に取り組んでいる人たちもいるとの内容だった。首長の説明に対し、両陛下は「建物を解体する作業員や屋根瓦の職人、あるいはボランティアの確保は難しくないでしょうか」と案じ、災害関連死が多いことについては「災害関連死された方はどのような状況でお亡くなりになったんでしょうか」と尋ねるなど、個々の状況について心配されていたという。

  両陛下が3月に輪島市を訪問した際は、移動はヘリコプターだったが、今回はマイクロバスによる移動だった。そのことで両陛下は、バスからより近い距離で災害現場を目の当たりにされた。このため、屋根に上り危険を伴う復旧作業に当たる人々を案じられていた。 また、両陛下は被災した人々と話す中、涙を流す人が多かったことから、二重被災を受けて心が深く傷つけられていると感じられたようだ(19日付・メディア各社の報道)。

  両陛下が気遣っておられた災害関連死の新たな情報が入ってきた。地元テレビメディアの報道(19日付)によると、きょう災害関連死を判断する行政の審査会が開かれ、新たに15人を認定すると決めた。関連死の認定は新潟と富山両県の6人を合せ276人となり、直接死228人を合せ犠牲者は504人となる。

⇒19日(木)夜・金沢の天気    あめ

☆両陛下が3度目の能登見舞いに 輪島で豪雨犠牲者の冥福祈る

☆両陛下が3度目の能登見舞いに 輪島で豪雨犠牲者の冥福祈る

  天皇・皇后両陛下はきのう(17日)16人が亡くなった9月の能登の記録的な大雨による被災者を見舞うため、輪島市を日帰りで訪問された(18日付・メディア各社の報道)。午前中に特別機で能登空港に到着。マイクロバスで輪島市役所を訪れ、坂口市長から豪雨の被害や被災者の現状について説明を受けた。この後、塚田川が氾濫し、住宅4棟が流され、14歳の少女ら4人が犠牲となった同市久手川町を訪れ、濁流で流され木々や押しつぶされた自動車など被災の傷跡が残る現場で10秒ほど頭を下げ、冥福を祈られた。

  両陛下は豪雨で30世帯51人が避難生活を送る輪島中学校を訪れ、イスに座る被災者と対面し、中腰になって「お体に気を付けて」と声をかけられた。また、両陛下は県警や消防署、自衛隊関係者とも対面し被災者の救助と支援の労をねぎらった。豪雨被害は輪島市と隣接する珠洲市と能登町でもあり、泉谷珠洲市長と大森能登町長がそれぞれの被災状況を説明した。

  両陛下の能登訪問は元日の能登半島地震の見舞いに訪れた3月22日、4月12日に続いて3度目となる。輪島市は地震と豪雨の二重被害が集中した地域。元日の地震では震度7、その復旧・復興の途上の9月21日に輪島市は48時間で498㍉の記録的な豪雨に見舞われた。両陛下は3月に輪島を訪れた際に、店舗や住宅など200棟が焼けて焦土と化した朝市通りで犠牲者の冥福を祈られた。そして今回の豪雨被害による輪島訪問で現地の二重被害の状況を実感されたのではないだろうか。

  石川県危機対策課がまとめた12月17日時点での地震による死者は469人で、そのうち、家屋の下敷きになるなどして亡くなった直接死は228人、災害による負傷の悪化や避難生活での身体的負担による疾病で亡くなった関連死は241人となった。避難者は仮設住宅などに移り、53人となっている。また、豪雨による犠牲者は16人、避難者は400人余り。災害直後からその数は大きく減っていない。輪島では仮設住宅のうち584戸が豪雨で床上浸水などの被害を受け避難所に入っていたが、復旧作業が進み、住民が戻り始めている。

⇒18日(水)午後・金沢の天気   あめ

☆「第九」コンサートを聴きながら 能登半島地震のこの一年をめぐる思い

☆「第九」コンサートを聴きながら 能登半島地震のこの一年をめぐる思い

  ベートーベン「第九交響曲」の演奏をきょう聴いて、年の瀬を実感した。石川県音楽文化協会の主催で金沢歌劇座で開催され、石川フィルハーモニー交響楽団の演奏、合唱は県合唱協会合唱団、名古屋なかがわ第九合唱団、氷見第九合唱団のメンバー、指揮者は碇山(いかりやま)隆一郎氏。昭和38年(1963)から続く恒例の年末コンサートで、ことしで62回となる。

  リーフレットに第九をめぐるエピソードが記されている。第九はベートーベンが残した最後の交響曲だが、初演はウイーンで演奏された1824年5月だったので、200周年ということになる。初演のとき、ベートーベンは聴力を完全に失っていて、指揮者の横で各楽章のテンポを指示するだけの役割だった。終演後の聴衆の拍手にまったく気づかず、背を向けていた。見かねたかアルト歌手がベートーベンの手を取って、聴衆の方に向かわせて初めて熱狂的な反応に気が付いたという話だ。そんなリーフレットの説明も目を通していると、演奏が始まった。(※写真は、第九交響曲コンサートのチラシ)

  第一楽章は、弦楽器のトレモロとホルンで始まり、朝靄(あさもや)がかかったような入りだが、やがてホルンに促されるように全楽器が叩きつけるような強奏になる。演奏を聴きながら、元日の能登半島地震を想い起した。穏やかな正月を迎えることができたと思っていたところ、午後4時10分、スマホがピューンピューンと鳴り、緊急地震速報。グラグラと金沢の自宅が揺れ出した。押し入れの引き戸などがガンガンと音を立てて閉じたり開いたりを繰り返している。震源地は能登地方で「震度7」の速報が走った。

  第二楽章は、まるで「ティンパニー協奏曲」だ。ティンパニーを駆使した構成で、弦楽器の各パートによりフーガ風のメロディが次第に盛り上がっていく。震災から復興に向けて動き出した。6月下旬から公費解体が始まり、ガレキは港から船で、金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」はガレキを運ぶ連結トレーラーが目立つようになった。

  第三楽章は、木管楽器による短い序奏に続いてバイオリンが安らぎに満ちた音を奏でる。やがてクラリネットがそれを受け継ぎ。息の長いメロディアと歌声が響く。個人的にこのメロディに雨音を感じた。9月の大雨は最初は柔らかな雨音だった。それが長く続き、ときには強烈に降り、輪島市では48時間で498㍉とい記録的な大雨となり、被害をもたらした。

  第四楽章は、「歓喜の歌」として知られる独唱と合唱を取り入れた楽章だ。管楽器と打楽器による不安げな導入部に続き、チェロとコントラバスによる会話のような演奏が入り、この後、低音弦楽器から順に高音弦楽器へ、そして全楽器による合奏へと高揚していく。聴いているうちに気分が高揚してくるのが分かる。合唱が高らかに歌い上げた後にオーケストラのみで力強く曲を閉じる。同時に、過ぎゆく年を振り返り、来るべき新しい年を喜びとともに迎えたい。そんな気分になる。(※楽章の記事の一部はリーフレットより引用)

⇒15日(日)夜・金沢の天気   あめ

☆豪雨でドロ沼となった輪島の仮設住宅を復旧 キッチンカーや移動販売車が行き交う

☆豪雨でドロ沼となった輪島の仮設住宅を復旧 キッチンカーや移動販売車が行き交う

  前回の続き。輪島市は二重被災地でもある。元日に最大震度7の地震、そして9月に48時間で498㍉という記録的な大雨に見舞われた。市役所に近い宅田町の仮設住宅では、地震の被災者が住んでいた182戸が近くを流れる河原田川が豪雨で氾濫して一帯が冠水した。仮設住宅に土砂が流れ込み、水が引いても一帯はドロ沼の状態だった=写真・上、9月22日撮影=。この豪雨でほとんどの世帯は近くの小学校体育館などの避難所に身を寄せている。今月15日に現地を訪れると、住宅の床や壁の取り換えや、泥を落とす作業、消毒などが行われていた=写真・中=。

  仮設住宅を管轄する石川県庁では、被災者には再入居してもらうことを前提に年内をめどに仮設住宅の復旧作業を急いでいる。それにしても、被災者は元日の震災で避難所生活となり、7月上旬にようやく仮設住宅入居したものの、その3ヵ月後に豪雨で再び避難所生活を余儀なくされている。度重なる自然災害に翻弄され、心痛はいかばかりか。

  河原田川の上流にある小学校グラウンドの仮設住宅を訪ねた。時間は正午過ぎで、仮設住宅地の入り口にキッチンカーが駐車していて、人の列ができていた=写真・下の㊤=。「スパイスカレー」の看板が見えた。このカレーの匂いに誘われて列ができたのだろうか。キッチンカーの場合は、食品衛生管理者講習を受講し、その後に飲食店営業許可(食品衛生法に基づく許可)を取得すれば開業できるので、震災以降ずいぶんと増えているように思える。

  仮設住宅をめぐるとキッチンカーのほかにも、食料品や日用品を積んだ移動販売車=写真・下の㊦=をよく見かける。輪島市内の商店や飲食店の多くはシャッターが閉められていて、被災地の人にとっては、ある意味で便利な存在かもしれない。

  地震の被災者用に整備された仮設住宅は七尾市、輪島市、珠洲市、羽咋市など能登を中心に10市町で6882戸(159ヵ所)におよび、今月12日時点で6671戸が完成している(石川県まとめ)。また、豪雨の被災者用に輪島市で264戸、珠洲市で22戸の整備が進んでいる。供与期間は原則として仮設住宅の完成から2年間となるが、住宅の新築など個別の事情に応じて延長できる。まもなく寒波とともに冬の季節がやってくる。被災者への手厚い対応を行政に望みたい。

⇒18日(月)夜・金沢の天気    あめ

★まもなくズワイガニ漁が解禁 輪島の漁船は「板子一枚、下は土砂」

★まもなくズワイガニ漁が解禁 輪島の漁船は「板子一枚、下は土砂」

  もうそろそろこの季節だ。来月11月6日にズワイガニ漁が解禁となる。雄のズワイガニにはご当地の呼び方があって、石川県では「加能(かのう)ガニ」と呼ぶ。加能とは、加賀と能登のこと。加能ガニは重さ1.5㌔以上、甲羅幅14.5㌢以上のものは「輝(かがやき)」のブランド名が付く。山陰地方では「松葉ガニ」、福井県では「越前ガニ」だ。ただ、加能ガニのファンの一人として案じているのは、能登の漁港から出漁できるのか、ということだ。(※写真・上は、金沢市の近江町市場に並んだ茹でズワイガニ=2022年11月撮影) 

  能登で水揚げが一番多い輪島漁港では元日の地震で漁港の海底の一部が隆起して漁船が出れなかったが、海底の土砂をさらう浚渫(しゅんせつ)作業が行われ、徐々に出漁できるようになっていた。ところが、9月の記録的な大雨で漁港の入り口付近などに河川から大量の土砂が流れ込み、海底には多いところで80㌢ほどの土砂が堆積。漁船が座礁するなどの危険性があるため、国交省北陸地方整備局では、きのう(28日)から土砂を取り除く緊急の浚渫工事を始めている。深さ1㍍ほど土砂を除去することで水深6㍍を確保し、安全に漁船が航行できるようにするとのこと(29日付・メディア各社の報道)。(※写真・下は、ズワイガニ漁を行う底曳き網船=輪島漁港、ことし8月24日撮影)

 

  漁港の海底隆起は輪島漁港だけではない。能登半島の北側、外浦と呼ばれる珠洲市、輪島市、志賀町の広範囲で海岸べりが隆起した。隆起があったは3市町で22漁港になる。それぞれ浚渫工事が行われ、出漁が可能になった矢先の9月の大雨だった。「板子一枚、下は地獄」は漁師がよく口にする言葉だが、まさに「板子一枚、下は土砂」となった。浚渫工事はなんとか11月6日のズワイガニ漁解禁に間に合うのだろうか。

⇒29日(火)夜・金沢の天気    あめ時々くもり