#馳浩

☆「発言撤回」「ブログ認める」 馳氏のメディア裏投げ技か

☆「発言撤回」「ブログ認める」 馳氏のメディア裏投げ技か

   馳浩知事はプロレスラー時代、ジャイアントスイングが得意技だった。相手の両足を抱え込んで振り回し、放り投げるあの技だ。衆議員だった馳氏が2013年に官房機密費を使ってIOC委員105人のアルバムをつくり東京五輪の招致活動に使ったと講演(今月17日)で発言。その後、発言が問題視されると、「五輪招致に関する発言は全面撤回する。今後一切発言しない」と繰り返している。事実関係をきちんと釈明してほしいと望む石川県の有権者の一人とすると、まるでジャイアントスイングで放り投げられたような感覚だ。

   では、ブログをどうするのか。馳氏のオフィシャルブログ「はせ日記」は2013年4月1日付で、アルバムについて記載している。以下。

   「IOC委員への直接的な働きかけは、IOC憲章により、できない。できないけれど、間接的な働きかけと、東京開催の意義を伝播させるためのロビー活動を進める海外出張」などと述べ、「10時半」にアルバム業者の社長と打ち合わを行い、「15時20分、官邸へ。菅官房長官に、五輪招致本部の活動方針を報告し、ご理解いただく。・駐日大使館ごあいさつ訪問 ・国際会議出席 ・国際的なロビー活動 ・ともだち作戦 ・想い出アルバム作戦・・・・などなど」。そして、菅氏から「安倍総理も強く望んでいることだから、政府と党が連携して、しっかりと招致を勝ち取れるように、お願いします!」と発破をかけられた、と記載している。

   ブログを読むと、時系列で話が流れているので、じつに分かりやすい。メディア各社の報道によると、馳氏は22日に石川県庁で開いた補正予算案の記者会見で、「ブログに記載がある『想い出アルバム作戦』があったことは事実か」との記者の問いに、「その通り。ブログに書いてあることは事実だ」と答え、さらに「『想い出アルバム作戦』とはどういったものか」との問いには、「この五輪招致に関する問題については、先日の私の発言は全面撤回した。したがって五輪招致に関して、これ以上申し上げるつもりは全くない」と述べた。

   会見は1時間余り続き、「五輪招致に関しては今後一切発言しない」と38回も繰り返した(23日付・北國新聞)。しかし、ブログの記述に関しては「事実」と認めている。今回の馳発言が問題として指摘されるのは、官房機密費の使途について公の場で語ったことだろう。オリンピック招致のために1冊20万円のアルバムを105冊つくったことに違法性や不正があるわけではない。一度語ってしまったことは認めて、事実関係を釈明すればよいのではないか。なのに、発言は撤回し、ブログは認めるという矛盾するような馳氏の思惑はどこにあるのだろうか。

   ひょっとして「裏投げ」か。発言は撤回するも片腕で相手の首の付け根を、ブログを認めつつもう片方の腕で相手の腰を抱えて、後ろに反り投げる。あえてメディアをかく乱させるテクニックなのかもしれない。

⇒23日(木)午前・金沢の天気    はれ時々くもり

☆テレビメディアへの格闘技 馳知事の肖像権問題

☆テレビメディアへの格闘技 馳知事の肖像権問題

   元プロレスラーの闘争本能に火がついたようだ。石川県の馳浩知事は自身や県職員の映像が地元テレビ局が制作したドキュメンタリー映画で無断使用された訴えもめている。メディア各社の報道によると、馳知事はきのう4日の新年度記者会見で「今後の定例会見はテレビ局の社長の出席を踏まえて開催するかどうかを検討したい」と述べた。テレビ局と知事の「一対一」の対決ではなく、社長が出席しないのであれば定例会見そのものを開催しないとメディア全体を巻き込むようにも取れる発言だ。

   馳氏がやり玉に挙げているドキュメンタリー映画は石川テレビ放送(本社:金沢市)が制作し、去年10月に全国公開した映画『裸のムラ』。残念ながら、まだこの映画を鑑賞してはいない。ネットに上がっている映画のチラシ=写真=によると、去年3月、「保守王国」と言われる石川県の知事を7期28年つとめた谷本正憲氏から馳氏にバトンタッチ。知事選では「新時代」をスローガンに掲げて選挙戦を戦ったが、2000年6月の衆院選の初立候補のときも、スローガンは「新時代」だった、とテレビ局側は軽く筆力でパンチ。そして、「ここ一番で必ず登場するのは、ご存知キングメーカーの森喜朗だ」「ムラの男たちが熱演する栄枯盛衰の権力移譲劇」と読み手の想像力をたくましくさせる文章を掲載している。

   このドキュメンタリー映画は石川テレビ放送が2021年と去年に放送した2本のドキュメンタリ-番組に新たな映像を加えて再編集したものを映画化した。馳氏がクレームをつけているのはこの点。テレビ報道のドキュメンタリ-番組に加え、さらに商業目的でつくった映画にも無断で自身や県職員の映像を使用しているのは、肖像権の無視ではないのか、との論拠だ。これに対し、石川テレビ側は、ドキュメンタリー映画の制作も報道活動の一環との位置づけで、映像は公務中ものであり、報道の目的である公共性に鑑み、許諾は必要ないと反論している。

   問題が表面化したのは今年1月。馳氏は元旦にサプライズで出場で議論を呼んだプロレス試合の映像を地元メディア各社に提供したが、石川テレビ側への提供は拒んだ。これに対して、同16日、石川テレビ側は馳氏に対して質問状を提出。一方、馳氏は同27日の定例記者会見で、公務員の映像を無断で使うことについて、石川テレビの社長に定例会見に出席して番組制作に対する考えを述べるよう求めた。

   2月4日、石川テレビ側は一歩引いて、質問状を撤回し謝罪したものの、馳氏は引かず、定例記者会見の場に社長が出席するよう再度求めた。石川テレビ側をこれを拒否している。そして、冒頭のように、馳氏は3月の定例記者会見は開かず、今月4日の新年度の記者会見で「定例会見に社長の出席を」と繰り返し述べている。

   ドロップキックやジャイアントスイングのような大技ではないが、狙いを定めたら一歩も引かない、まるで馳氏の格闘技のようだ。

⇒5日(水)午後・金沢の天気   くもり

☆2023卯年・飛躍の年に ~社会~

☆2023卯年・飛躍の年に ~社会~

   金沢の正月3が日は寒波や積雪もなく、わりと穏やかな天気続いた。あす4日は仕事始めなので、年末年始をふるさとや行楽地で過ごした人たちのUターンラッシュなのか、国道8号や北陸自動車道の金沢西ICの周辺はずいぶんと混み合っていた。

   ~エッと驚くジャイアントスイグン、ホッと和むアマメハギ~

   エッと驚くニュースもあった。地元メディアによると、去年3月に石川県知事選に当選した元プロレスラーの馳浩知事が元旦に東京の日本武道館で開催されたプロレス興行の試合に参戦し、得意技のジャイアントスイグンなどで会場を沸かせた、という(3日付・北國新聞、北陸中日新聞)=写真・上=。正月の休暇中だったとはいえ、周囲は当然、けがなどの負傷を心配し止めるよう進言したただろう。それを押し切って、リングに立ったようだ。   

   去年8月4日に県内を襲った豪雨のとき、馳知事は日本三名山の白山(標高2702㍍)の国立公園指定60周年を記念し、知事自ら白山の魅力をPRするために登山。途中の山あいで孤立状態になるというハプニングに見舞われている。気象情報を収集した上で、登山を中止すべき判断もあったのではないかと、当時、知事の登山は物議を醸した。馳氏のジャイアントスイングに周囲が振り回されている印象だ。

   能登の正月の行事といえば、輪島市や能登町に伝わる厄除けの伝統行事「アマメハギ」だ。新暦や旧暦で開催日が地域によって異なる。輪島市門前町皆月では毎年1月2日に行われ、天狗や猿などの面を着けた男衆が集落の家々を回る。当地では、アマメは囲炉裏で長く座っていると、足にできる「火だこ」を指す。節分の夜に、鬼が来て、そのアマメをハギ(剥ぎ)にくるという意味がある。木の包丁で木桶をたたきながら、「なまけ者はおらんか」などと大声を出す。すると、そこにいる園児や幼児が怖がり泣き叫ぶ。その場を収めるために親がアマメハギの鬼にお年玉を渡すという光景が繰り広げられる。(※写真・下は、輪島市観光科・観光協会公式サイト「輪島たび結び」より)

   能登半島のアマメハギや秋田・男鹿半島のナマハゲは2018年にユネスコの無形文化遺産に日本古来の「来訪神 仮面・仮装の神々(Raiho-shin, ritual visits of deities in masks and costumes)」として登録されている。能登にはユネスコ無形文化遺産だけでなく、FAOの世界農業遺産(GIAHS)という国際評価もある。SDGsに熱心に取り組む自治体もある。「能登は上質なタイムカプセル」(坂本二郎・金沢大学教授)と評価されている。伝統文化や行事、産業を持続可能なカタチで引き継ぐ文化風土が能登にはあり、そうした風土がグローバルな価値として再評価を受けている。

⇒3日(火)夜・金沢の天気     くもり時々あめ

★車座で語り、すしに舌鼓 岸田総理の「能登時間」

★車座で語り、すしに舌鼓 岸田総理の「能登時間」

   今月24日に投開票の参院石川選挙区の補欠選挙は選挙戦も終盤に入り、各候補者の訴えもボルテージが上がってきた。立候補しているのは自民党の宮本周司氏、立憲民主党の小山田経子氏、共産党の西村祐士氏、NHK受信料を支払わない国民を守る党の齊藤健一郎氏の4氏。きのう日曜日は岸田総理ほか、立民の泉代表や共産の市田副委員長、N党の立花党首らそうそうたるメンバーが応援に駆け付けたと地元メディア各社が報じている。

   ニュース番組で流れた4人の党首らの演説で異様だったのは立花氏だった。「彼(齊藤候補)は立候補しているが選挙活動は一切しません。みんな選挙に行かなくていいです。もっと言うと齊藤候補に入れなくていいです。今回なぜ齊藤氏が立候補したかというと練習です。2ヵ月後に選挙(参院選)があるのでポスターをどれだけの人に貼ってもらえるのか、政見放送をどんな形でできるのかといった練習なので(投票に)行かなくていいです」(17日付・石川テレビ)。まるで「石川の選挙は来る参院選の練習、供託金300万円は授業料」と言わんばかりの自虐的なコメントだった。映像で見る限り、会場にはそこそこ人は集まってもいた。

   岸田総理の動きはまるで「能登・金沢・加賀」の縦断ツアーのような日程だった。朝日新聞の「首相動静(17日)」によると、午前9時5分に羽田空港発、同46分に能登空港着。10時3分、輪島市の「里山まるごとホテル」のレストラン「茅葺庵 三井の里」で地元企業関係者らと意見交換。11時56分、七尾市の公園「湯っ足りパーク」前で街頭演説。午後0時49分、道の駅「能登食祭市場」を視察。1時7分、市内の印鑰(いんにゃく)神社で祭りの山車「でか山」の制作風景を見学。同18分にすし店「松乃鮨」で、西田自民党衆院議員らと食事。同47分、報道各社のインタビュー。2時32分、かほく市の「のと里山海道高松サービスエリア」で休憩。以上が能登での動き。

   さらに、午後3時12分、金沢市の「いしかわ四高記念館」前で街頭演説。4時31分、能美市の根上総合文化会館前で街頭演説。5時16分、小松市のうどん店「中佐中店城南店」で佐々木同党衆院議員と食事。5時53分に小松空港に到着。宮橋小松市長らと。6時25分、同空港発。7時14分、羽田空港着。

   時間の配分を見ると、能登では輪島と七尾で4時間も費やしている。ちなみに金沢は1時間、加賀は2時間。以下憶測だ。能登での遊説は、補選の応援もさることながら、先の知事選(3月13日)の「後遺症」を払拭する狙いもあったのかもしれない。知事選では能登地区の国会議員、首長、JAやJFなど団体が馳浩氏と対抗した山田修路氏を支援した。岸田総理ほか自民の幹部は馳氏の応援に駆け付けた。党を巻き込んだ保守分裂選挙だった。今回の補選を機にその分裂の溝を埋めたいと、あえて能登での時間配分を考慮したのではないだろうか。

   地元紙によると、岸田氏は輪島の古民家で囲炉裏を囲み車座で地域の人たちと語り、七尾の神社では祭りの準備をする若い衆の木遣り歌で出迎えられ、すし店では七尾湾特産のトリガイなど11貫に舌鼓を打った(18日付・北國新聞)とある。この心憎いほど内容の濃い「能登時間」を演出したのは誰か、むしろその人物の方が気になった。

⇒18日(月)午後・金沢の天気     くもり 

★馳浩知事は「ジャイアントスイング」な地域活性化を

★馳浩知事は「ジャイアントスイング」な地域活性化を

   石川県の新知事、馳浩氏がきのう28日に初登庁した=写真=。今月13日の知事選では前金沢市長の山野之義氏を7982票の僅差で破り激戦を制した。馳氏の政治家人生は実にドラマチックだ。

   馳氏は母校の星稜高校で国語の教員をしていたときにロサンゼルス・オリンピック(1984年)のレスリング競技グレコローマンスタイルのライトヘビー級に出場。予選敗退だったものの、高校教諭でありオリンピック出場選手として県民は誇りに感じたものだ。それが一転、翌年85年にジャパンプロレスに入り、87年には新日本プロレスに入団してリングで戦う。北陸の精神風土は保守的だ。県民の多くは「教員辞めて、タレントになり下がった」という思いで受け止めていたのではないだろうか。

   そのタレント性を政治家として引き出したのが当時、自民党幹事長だった森喜朗氏だった。1995年7月の参院選で石川選挙区に森氏からスカウトされて立候補し、民主改革連合の現職を破り当選した。その後、タレント議員の巣窟のように称されていた参院から鞍替えして、2000年6月の衆院選で石川1区から出馬。かつての森氏と奥田敬和氏の両代議士による熾烈な戦いは「森奥戦争」とも呼ばれた。その代理選挙とも称された選挙で、民主党現職で奥田氏の息子・建氏を破る。しかし、03年11月の衆院選では奥田氏に敗れる。比例復活で再選。05年9月の衆院選では奥田氏を破り3選。プロレスラーは続けていたが、05年11月に文部科学副大臣に就いたので、政治家が本業となり、06年8月に両国国技館で引退試合を行った。

   その後も「森奥代理戦争」は続く。民主党が政権を奪取した09年8月の衆院選では奥田氏に敗れるも、比例復活で4選。12年12月の選挙では奥田氏を破り5選。14年12月の衆院選では、リタイヤした奥田氏に代わって立候補した民主党の田中美絵子氏を破り6選。2015年10月には文科大臣に就任し、翌16年8月まで務めた。ここまで実績を積み上げると、石川県における政治的な地位は不動となるとなり、17年4月には自民党県連会長に就任。同年10月の衆院選では田中氏を大差で破り7選。そして、21年7月に来る知事選への意欲を見せ、次期衆院選に出馬しないことを表明した。

   では、馳氏の政治手腕とは何か。結論から述べると、提案型ではない。面倒見のよさなのだ。地域から課題が持ち込まれるとそれと徹底して向き合う姿勢だ。その話を聞いたのは、奥能登・珠洲市の泉谷満寿裕市長からだった。奥能登国際芸術祭(2017、2021年)を開催するにあたって、馳氏に相談を持ち掛けたところ、「文化庁との連携や国からの支援など、選挙区でもないのによく面倒を見てくれた」と。ちなみに、当時の馳氏の選挙区は石川1区(金沢市)、能登は3区。

   確かに、馳氏は知事選で真新しい選挙公約を掲げたわけでもない。むしろ、徹底した面倒見のよさを発揮させることが県政を盛り上げることになるのかもしれない。県政として新たな方針を打ち出すより、珠洲市のように県内の各自治体から地域創りや地方創生の本気度を引き出し、理にかなったものであれば県政として徹底的に面倒を見るという施策が必要だ。

   馳氏はプロレスラー時代、ジャイアントスイングが得意技だった。相手の両足を抱え込んで振り回し、放り投げるあの技だ。やる気のない県内自治体にジャイアントスイングをかける意気込みで県政を活性化させてほしいと願う。

⇒29日(火)夜・金沢の天気    はれ時々くもり

☆「石川県知事選」「金沢市長選」で何が変わるのか

☆「石川県知事選」「金沢市長選」で何が変わるのか

   前回ブログの続き。NHK金沢はきょう午前1時43分のWeb版で石川県知事選で馳浩氏の当選を伝えている。馳浩氏(無所属・新)19万6432票、山野之義氏(無所属・新)18万8450票、山田修路氏(無所属・新)17万2381票となっている。そして、同4時21分に全国ニュースWeb版で当選のニュースを流している。「保守分裂の構図となった石川県知事選挙は、元文部科学大臣の馳浩氏が、初めての当選を果たしました。石川県では、28年ぶりに知事が交代することになります」

   地元紙など各紙も大見出しで報じている。「新知事に馳氏 山野氏と7982票差」(北國新聞)、「知事に馳氏 保守分裂大接戦制す」(読売新聞・号外)、「馳氏知事当選 大激戦 山野氏、山田氏抑え」(北陸中日新聞)=写真=。もともときょうは新聞休刊日だった。全国紙は号外、地元紙は特別発行というカタチで取り上げている。では、28年ぶりの知事交代でどのような変化が起こるのだろう。

   谷本知事は多選批判もあったが、逆に言えば28年間にわたって信任を受けて、ロングランのプロジェクトを展開してきた。「能登と金沢・加賀の格差是正」をスローガンに能登半島の道路や空路などインフラ整備を積極的に進めてきた。さらに、金沢城の復元は史実を尊重することで価値を高めると同時に、伝統工芸の技を継承するという絶妙なコンセプトに取り組んできた。なので、旧・自治省出身の政策立案に長けた知事というイメージが谷本氏にはある。中央政界ともつかず離れずバランスをとってきた。 

   では、馳氏はそれを継承できるのか、できないのか、しないのか、するのか。そこがよく分からない。他の候補に圧倒的な大差ならば、「あなたにお任せ」というのが民意かもしれないが、これだけ僅差だと、谷本路線をひっくり返すことはできるのだろうか。問われているのは、行政経験のない馳氏が行政マンをどううまく使い回し、新たなコンセプトを創り上げていくか、だろう。

   馳氏を応援した能登のある首長は「馳氏の面倒見のよさにはとても感謝している」と話した。ほかの人からも同じ話を聞いた。おそらく面倒見のよさは根っからのキャラなのだろう。それだけに地元の信頼を裏切らない県政運営が問われる。一方で、選挙期間中は安倍元総理ら自民党幹部らが続々と応援に入った。けさの地元民放のインタビューに応じた馳氏は「朝一番で森元総理に選挙結果を報告した」と答えていた。番組を見ていて、中央政界に寄り添った県政運営になるのではないかとも気になった。基地や原発問題などをめぐっては、地元と中央の間に立って県政が揺れることもしばしばある。

   今回の知事選の県全体の投票率は61.8%だ。トリプル選挙の金沢よりさらに高い。能登・金沢・加賀でさまざまな課題解決への政治手腕がこれから問われる。同時に軋轢も出て来るだろう。「気に入らない、面倒なことにはチョップ」、これだけは勘弁願いたい。任期は今月27日から4年間となる。

⇒14日(月)夜・金沢の天気    くもり

★ドキュメント3・13「石川県知事選」「金沢市長選」

★ドキュメント3・13「石川県知事選」「金沢市長選」

   きょうは石川県知事選ならびに金沢市長選、そして同市議補選のいわゆる「トリプル選挙」の投開票日。午後2時すぎ、一票を投じるため出かけた。くもり空だったが、外は暖かさを感じた。自家用車で外気温を見ると20度だ。投票場は小中学校の体育館=写真・上=。ひっきりなしに人が行き交っていた。投票率は高いのではないかと想像した。知事と市長という首長ダブル選挙の相乗効果もあるだろう。何しろ、前回の知事選(2018年3月)では金沢市の投票率は30.6%、金沢市長選は(2018年11月)は24.9%とそれぞれ最低を記録していた。投票を終えて再び外に出る。心地よい風が吹いている。この陽気が人々を投票に誘っているのかもしれないとふと思った。

   午後8時00分、NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の冒頭で速報が流れた。「金沢市長選 新人・村山卓氏 当選確実」=写真・中上=。投票が終わった途端に当確の速報を流すということは、NHKの出口調査でトップと2番目の差が少なくとも10ポイント以上ついていたということだ。NHKは「選挙のNHK」と呼ばれるほど、出口調査や開披台調査などを独自で実施して「当確」を出している。なので、候補者は民放の当確ではななく、NHKの当確を確認して初めて万歳をするのが習わしになっているほどだ。それにしても、投票終了直後での当確はちょっと速すぎる。本人も選挙事務所に現れてはいないだろう。

   一方の知事選は激戦が予想されている。開票作業を見学するため、金沢市営中央市民体育館(同市長町3丁目)に出かけた。市内のすべての投票箱が集められ、開票作業が行われる。午後8時40分に到着したがまだ始まってはいなかった。トリプル選挙の開票だけに体育館のフロアはほぼ埋まった状態だ。開票台の一列の机に30数人が並んでいる。それが、12列ある。その脇にはサポートするスタッフが控えている。ざっと500人の市職員がいるのではと推測した。

   その開票作業を取材するために、メディア各社の記者やカメラマンがすでに集まっていた。同時に開披台調査をするスタッフも集まっていた。開披台調査は開票作業をする職員の手元を双眼鏡で覗き込んで、投票に書いてある候補者の名前を読んで発声する。この声が口元のマイクから無線でメディア各社の選挙報道フロアに届き、受信したスタッフが数値化していく。金沢の開票場のほかに県内の主な自治体の開票場にスタッフを張り付けているだろう。

   午後9時30分、開票作業が始まった=写真・中下=。28年ぶりに新人同士の争いとなった知事選には、元文部科学大臣の馳浩氏と、元参院議員の山田修路氏、元金沢市長の山野之義氏の3人が競り合っている。メディアの開披台調査スタッフは、開披台で開票作業をする職員の手元を双眼鏡で覗き込んで、「ヤマノ、ヤマノ、ハセ、ハセ、ヤマダ、ヤマダ」と名前を発している=写真・下=。数分経つと、場所を移り別人の手元をのぞく。こうすることで、市内の地域の偏りがなくなる。NHKの腕章をした開披台調査スタッフを数えると10数人いた。

   自身は双眼鏡を持たない。調査スタッフの横にさりげなく立って、名前を聞く。すると、おおむね見当がつく。「山野4割、馳3割、山田2割」かと。間もなくして、市の選管が投票率を掲示板に貼り出した。知事選「58.48%」、市長選「55.95%」。前回より知事選で28ポイント、市長選で31ポイントもアップしている。

   ベンチでひと休みしていると、隣にいた民放の調査スタッフの女性が声をかけてきた。初めて開票場に来たと言い、「選挙番組の裏側を知ることができて、勉強になります」と。そして、「でも、とてもアナログな現場ですよね」とも。同感だった。デジタル投票に移行すれば、おそらく開票作業は瞬時に終わるだろう。

   午後11時ごろに帰宅した。能登地区と加賀地区のそれぞれの候補の得票率はどうなっているのかとテレビやネットをチェックしたが、知事選の当確は流れていない。相当な接戦なのだろ。アルコールを入れたせいか、うとうととそのまま寝込んでしまった。

⇒13日(日)夜・金沢の天気      くもり

☆有権者の心に火を放つのは誰か、石川県知事選の混沌

☆有権者の心に火を放つのは誰か、石川県知事選の混沌

   石川県知事選はこれまで述べて来たように、金沢・加賀・能登という地域感情や「森奥戦争」といわれた政争が深く絡んできた。しかし、奥田敬和氏は1998年7月に没し、後継の子息・健氏も2012年12月の衆院選で敗れ政界を引退。森喜朗氏も2012年11月に政界を引退している。では、「森奥」はもう過去の話なのか。当事者はいなくなったが、双方を支持してきた有権者の心の中にはその残影がまだある。

   いくつか検証してみる。森氏がスカウトした馳浩氏と奥田健氏の石川1区での戦いも壮絶だった。2009年8月の衆院選は全国の投票率が69.2%に対し石川1区は72.2%と盛り上がった。勝った奥田氏が所属する民主党の政権交代をかけた選挙でもあった。逆に、2012年12月は有権者の民主政権への落胆が強く、全国投票率が59.3%と低調な選挙となり、石川1区も投票率58.5%に落ち込んだ。奥田氏も馳氏に4万7000票対9万9000票対の大差で敗れ、比例復活もならず政界から身を引いた。これで「森奥戦争は名実ともに終わった」という印象を金沢の有権者は抱いたに違いない。

   それ以降、石川1区では馳氏が独走態勢に入るが、投票率は下がった。2014年12月は全国は52.6%だったが、石川1区は43.1%と極端に低かった。2017年10月も全国53.6%、石川1区は51.9%だった。知事選に出馬表明した馳氏が後継の小森卓朗氏を立てた去年10月も全国55.9%だが、石川1区は52.2%と低調だった。この投票率の低さは、有権者の立場から両氏を支援してきた人たちの「森奥戦争のロス状態」ではないかとも推測した。

   これが3月13日投開票の知事選に反映されるのか。そうではない。興味深い選挙ストーリーが浮かび上がっている。知事選は事実上、馳氏(元衆院議員)、山田修路氏(元参院議員)、山野之義氏(元金沢市長)の保守系3候補の争いになっている。馳氏と山田氏は安倍元総理が率いる派閥「清和会」の議員だった。森氏はかつて清和会の会長をとつめた。

   朝日新聞Web版(2月13日付)によると、去年11月下旬、安倍氏は派閥の山田氏を議員会館の自室に呼んで知事選立候補への自制を求めた。その後、安倍氏は山田氏を何度も呼び、「困るんだよ」と迫ったが、山田氏は「出ると決めたんです」とかたくなだった。山田氏は国会の閉会直後の12月24日、議員を辞職し退路を断った。

   派閥の領袖からいさめられても、山田氏は臆することなく出馬の意向を打ち出した。自民党県連は馳、山田の両氏に「支持」を出しているが、自民党本部からは菅元総理、小泉進次郎氏らが馳氏の応援に駆けつけている。森氏がバックヤードで馳氏支援に回ってることは想像に難くない。この森氏の関与、そして山田氏の潔さが森奥戦争のロス状態に陥っていた有権者の心に再び着火するかもしれない。

   山田氏には立憲民主党や社民党県連、連合石川など推薦・支援に回っている。まるで1994年知事選の森奥戦争のように、「自民党」対「非自民連合」の構図のように見えるが、そのような単純な構図ではない。1区(金沢)と2区(加賀)の国会議員2人は馳氏だが、3区(能登)の議員2人と12市町首長のうち8人が山田氏支持を表明している。

   地元の北國新聞社と民放が調査した告示後の調査(2月24-26日)によると、1区は「山野の支持が厚く、馳をリード」、2区は「馳の支持が伸び、山田に並んだ」、3区は「山田は底堅いものの、馳や山野も徐々に浸透」と報じている。投票に「必ず行く」の答えは82.6%と高率で、関心の高さを示している。

   3候補はともに自らの退路を断っての出馬で日増しに選挙戦は熱くなっている。混沌としてきた知事選に有権者の感度もさらにヒートアップしそうだ。

⇒28日(月)午後・金沢の天気      はれ

★「森奥戦争」と石川県知事選

★「森奥戦争」と石川県知事選

   石川県の少々年配の有権者だったらおそらく「森奥戦争」と聞けばピンと来るはずだ。森喜朗と奥田敬和の両代議士によるかつての激しい政争を指す。奥田氏は1998年7月に没し、森氏も2012年11月に政界を引退してはいるが、いまでも選挙があるたびに、「森奥戦争が」とささやかれる。今回の県知事選(3月13日投開票)でも何度か耳にしている。

   現在の衆院選小選挙区は1区(金沢)、2区(加賀地方)、3区(能登地方)と別れているが、両氏が初出馬した1969年は中選挙区で1区(金沢・加賀)と2区(能登)だった。同じ1区(定数3)で、金沢が地盤の奥田氏と加賀が地盤の森氏はトップ争いを演じた。当時は、森氏は自民党の福田赳夫派の清話会に、奥田氏は田中角栄派の経世会に属していたので、2人の争いは「角福戦争」と称された派閥抗争の代理戦というイメージも当時はあった。1994年に小選挙区が導入されて奥田氏は1区、森氏は2区となり直接対決に一応終止符が打たれた。

   この森奥の戦いは県政にも波及した。1991年2月の知事選だった。8期目を目指す中西陽一知事に対して、森氏は副知事だった金沢出身の生え抜きの県庁マン、杉山栄太郎氏を自民党公認として担ぎ出した。これに対して、奥田氏は多選批判もあった中西氏への支援を掲げて金沢を中心に支持を固め、中西8選へと導いた。このときの投票率は76%、1万1000票差の激戦だった。その後、奥田氏は自民党を離党し、新生党の結成に参加する。

   知事選をめぐる森奥戦争の第2ラウンドは1994年3月だった。中西氏が任期中に死去。後継の知事選で、奥田氏は副知事の谷本正憲氏を擁立。これに対して、自民党幹事長だった森氏は、参院議員で元農林水産事務次官の石川弘氏(金沢出身)を推した。このころは奥田氏が所属する新生党を中心とする公明党、民社党、日本新党、社会党のいわゆる「非自民」連立政権で、細川護熙総理が谷本氏の応援に駆け付け、街頭演説が行われた香林坊が聴衆で埋め尽くされたのを覚えている。谷本氏が1万600票差で競り勝ち、投票率は70%だった。その後、谷本氏は通算7期にわたって知事を務め、去年11月に引退を表明した。   

   話は国政選挙に戻る。奥田氏が死去し、後を継いだのは子息の奥田健氏だった。衆院石川1区の補欠選挙(1998年8月)に民主党公認で出馬し、自民党公認の岡部雅夫を下して初当選。新たな森奥戦争をほうふつさせたのが2000年年6月の衆院選だった。プロレスラーでもあった馳浩氏が、自民党幹事長の森氏から抜擢されて1995年7月の参院選石川選挙区(定員1)に出馬して初当選。2000年衆院選で馳氏は鞍替えして自民党公認で1区から出馬し、奥田氏を破った。2003年の衆院選では逆に奥田氏が馳氏に勝った。そして、2005年には馳氏が勝ち、2009年は奥田氏が勝利するという、まさに森奥戦争の再現だった。しかし、奥田氏は2012年12月の衆院選で4万7000票対9万9000票という大差で馳氏に敗れ、比例復活もならず政界から身を引くことになる。2021年6月に急性心筋梗塞で他界。62歳だった。(※写真は2012年衆院選石川1区のポスター掲示板)

   今回の知事選には、参院議員だった山田修路氏、衆院議員だった馳氏、そして金沢市長だった山野之義氏が立候補している。まさに退路を断って争う、近年まれに見る保守系3候補の激しい争いだ。森奥戦争はもう過去の話なのか。次回でさらに分析してみる。

⇒26日(土)午後・金沢の天気      はれ

★保守三つどもえ 石川の「マンボウ知事選」

★保守三つどもえ 石川の「マンボウ知事選」

   「マンボウ」という言葉が身近で再び使われている。今月26日に対面での会議が予定されていたが、さきほどスマホのショートメールで「すみません、マンボウでリモートとさせていただきます」と主催者から連絡があった。マンボウは「まん延防止等重点措置」のことだが、石川県は県内で新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからないことから、きのう23日、国に対して同措置の適用を要請した=写真=。今回で3回目だ。1回目は去年5月16日から6月13日、2回目は8月2日から9月30日だった。言葉は不謹慎かもしれないがすっかり慣れっこになった。マンボウの呼び方はそれを現している。

   ただ、これまで2回のまん延防止等重点措置と異なるのは、対象地域はこれまで金沢市だったが、今回は県内全域を対象としている。というのも、県の発表によると、感染者数が今月21日は229人、22日は過去最多の263人、23日も226人と3日連続で200人以上、そしてきょう24日は193人だ。金沢市を中心に県内全域に感染が広がっていて、きょうだけで高齢者施設や保育園、幼稚園などで8つのクラスターが新たに発生している。

    県内ではこれまでに9913人の感染が確認され、このうち140人が死亡している。このペースだと、あすは感染者が1万人の大台を突破しそうだ。谷本知事は緊急の対策本部会議(23日)で、「かつてない規模とスピードで感染者が増加している。断腸の思いではあるが、厳しい措置を講じる必要がある」と述べた(24日付・NHKニュースWeb版)。具体的には、飲食店への時短要請や県民旅行割の予約受付などを停止する。

   そして病床使用率についても23日時点の病床使用率は31%だが、谷本知事は「病床使用率が50%を超えるかもしれない。法律上できる限りの対策をとって感染者数の増加に歯止めをかけたい」と危機感を募らせた(同)。

   そして気になるのは、来月24日は知事選の告示、3月13日は投開票だ。2回目のまん延防止等重点は2ヵ月続いた。3回目も2ヵ月続けば、マンボウ下での選挙戦をどう進めていくのか。立候補を表明しているのは、元プロレスラーで自民党の前衆院議員の馳浩氏(60)、元農林水産審議官で自民党前参院議員の山田修路氏(67)、そして金沢市長の山野之義氏(59)の3人で「保守三つどもえの戦い」となっている。

   候補者が感染したり、後援会事務所でクラスターが発生するとその陣営はアウトだろう。マンボウと知事選は今後どう絡んで展開していくのか。注目したい。

⇒24日(月)夜・金沢の天気     くもり