#青山緑水

☆梅雨入り晴耕雨読とりとめのない日常

☆梅雨入り晴耕雨読とりとめのない日常

          北陸も梅雨に入り、金沢のきょう一日の天気はどんよりとした曇り空、そして雨が時折ぱらついた。この時節は、二十四節気の一つ「芒種(ぼうしゅ)」のころ。次候に「腐草蛍と為る」とある。ホタルが明かりをともして、飛び交うころだ。昔の人は、腐った草がホタルに生まれ変わると信じていたようっだ。

   光っては消えるゲンジボタルの明滅の間隔が東日本と西日本では違うことは知られている。西日本では2秒に1回、東日本では4秒に1回と観測されている。オスが交尾相手を探す際に見せる明滅なのだが、なぜ東西で間隔が異なるのかよく分かっていない。では、西日本と東日本と中間にある金沢ではどうか。以前、同じ関心を持った仲間たちと金沢大学の角間キャンパスで計測したことがある。すると、おおむね2秒間隔だった。金沢は西日本の生態系ということになる。

   話は変わる。夏を迎え、我が家の和室も障子戸を外して簾(すだれ)に架け替えた。床の間の掛け軸も『五月晴れ』から『青山緑水』に取り換えた=写真=。山の木々は青々と輝き、山から流れ出る川水に緑が映える。生命力あふれる自然の情景を感じさせる。

   禅語辞典をくってみると『青山緑水是我家』という書もある。各地を行脚して歩く禅の修行僧の境涯を表現したもの。自然界では人の奢り高ぶった気持ちは通用しない。自然を我家として修行に励むことで、人は全ての生き物と同じように大自然の中に生かされているということを改め感じ、悟りをひらく。

   掛け軸の下の花入には、庭に咲いていた額アジサイ、ツキヌキニンドウ、シマササの3種を生けた。草むしりなど野外の作業はせずに、取り留めなくのんびりと過ごした晴耕雨読の日だった。ただ、能登半島の尖端区域は先月5日の震度6強の地震で地盤が緩んでいる恐れがある。大雨にならないことを祈る。

⇒12日(月)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

★『青山緑水』生命力あふれる自然の情景

★『青山緑水』生命力あふれる自然の情景

   二十四節気の一つ「芒種(ぼうしゅ)」のころ。穂先の尖った針のような部分を「芒(のぎ)」と呼んで、稲や麦など穀物を意味する言葉だ。かつて芒種は梅雨入り前に稲の田植えや麦を刈取る、野良仕事の季節の目安でもあった。いまは稲の品種改良も進んで5月のゴールデンウイークごろが田植えの時季になっている。

   芒種にちなんだわけではないが、我が家の和室も障子戸を外して簾(すだれ)をかけた。床の間の掛け軸も『五月晴れ』から『青山緑水』に取り換えた=写真=。山の木々は青々と輝き、山から流れ出る川水に緑が映える。生命力あふれる自然の情景を感じさせる。掛け軸の下の花入には、庭に咲いていたシモツケ、ズイナ、ツキヌキニンドウの3種を生けた。

   禅語辞典をくってみると『青山緑水是我家』という書もある。各地を行脚して歩く禅の修行僧の境涯を表現したもの。自然界では人の奢り高ぶった気持ちは通用しない。自然を我家として修行に励むことで、人は全ての生き物と同じように大自然の中に生かされているということを改め感じ、悟りをひらく。

   山中での修行と言えば、一度実物を鑑賞したいと思っている絵画がある。国宝の『出山釈迦図(しゅっさんしゃかず)』(東京国立博物館蔵)。髪やヒゲは伸び、やつれて衣も乱れ、山道を歩く釈迦の姿が描かれている。13世紀の中国・南宋時代のものとされる。これまで図録など見てきたが2つの解釈がある。東博の解説は、「本図は、永い修行にもかかわらず悟りを得られず、山を出る釈迦の姿を描いたものであるが、その精細で写実的な人物表現はきわめて秀逸」とある。一方、先の禅語辞典では「六年の苦行の後、ナイランジャナ河のほとり、菩提樹の下で成道した。梵天の勧請を受け、教化に踏み切ることを決意したが、そのために雪山(ヒマラヤ)を出る姿をあらわすのが出山の図である」(淡交社『茶席の禅語大辞典』)と。

   これまで聞いてきたのは、釈迦は6年の山中の苦行では悟りは得られず、命からがら山村に迷い込んで助けられ、菩提樹の下で悟りを得る。その後、民衆への教化のため俗界に下ったという説である。とすると、釈迦は2度山を出ている。図の姿は悟りを得られず山を出る姿なのか、あるいは、悟りを得て民衆への教化のために俗界に下る姿なのか。絵をじっくり見ながら思いをはせてみたい。とりとめのない話ではある。

⇒6日(日)夜・金沢の天気     くもり