#震度6弱

☆能登半島の群発地震 地下の「流体」って何だ

☆能登半島の群発地震 地下の「流体」って何だ

   政府の地震調査委員会の定例会合がきのう11日に開かれた。能登半島の地震についての「評価」報告が公式サイトに掲載されている。 それによると、能登地方では、2020年12月から地震活動が活発化、21年7月ごろからさらに活発となっている。20年12月1日から きょう12日までに震度1以上を観測する地震は186回、このうち震度3以上は30 回発生している。

   これまでの最大の地震は、ことし6月19 日のマグニチュード5.4 、震度6弱だった。翌日20日にはM5.0、震度5強の揺れ。去年9月16日にはM5.1、震度5弱があった。「一連の地震活動は、現在のところ減衰する傾向は見えず、依然として活発な状態が継続している」と記載されている。

   今回の地震調査委員会では、能登半島の地震について重点的に議論され、公式サイトでは「調査委員長見解」も公表されている。注目するのは、能登地方で続く活発な地震活動の原因について、「地震活動域に外部から何らかの力が作用することで地震活動が活発になっている可能性」が考えられ、その外部からの作用とは「能登半島北部での温泉水の分析からは、何らかの流体が関与している可能性がある」としている。

   その流体がどのような作用で揺れを起こしているのか。「球状圧力源」「開口割れ目」「断層すべり」の3つの原因を上げ、「いずれの可能性も考えることができ、原因を1つに特定することは困難」としている。以下、自己流で読み解くと、揺れが続く地域の地下では「流体」の作用で、岩盤が球状に膨らむ、岩盤の亀裂が板状に開く、断層がすべる、など3つの揺れのモデルが考えられるが、特定するのは難しい。つまり、地震発生のメカニズムの解明までには至っていないというのだ。

   定例会合後の記者会見で、調査委員長の平田直・東大名誉教授は「地震活動が長期間継続し、答えがはっきりわからないことも多いが、委員会として現状、言える範囲で見解を示した。能登半島では周辺に活断層もあり、これまで起きている地震より規模の大きな地震に加え、場合によっては津波が起きる可能性もあるので、そのことに留意をして備えを進めてほしい」と呼びかけた(11日付・NHKニュースWeb版)。

   気になることがある。6月19日の震度6弱の揺れは震源の深さが13㌔と発表されていた。揺れはその後も続き、7月に入って震度1以上の揺れがきょうまでに4回観測されている。4回とも震源の深さは10㌔となっている。ということは、震源が浅くなっているということなのだろうか、あるいは、岩盤が球状なので浅いも深いもあるということなのだろうか。今後、「流体」が上昇し、それが地上に吹き上げてくるのだろうか。誰もが考える素朴な疑問だ。地震調査委員会として解明してほしい。

⇒12日(火)夜・金沢の天気   はれ  

(※写真は、「奥能登国際芸術祭2020+」の作品「漂流記」。加藤力、渡辺五大、山崎真一の3氏によるアーティストユニット「力五山」が能登半島と大陸の位置関係を示したジオアート=Geo Art)

⇒12日(火)夜・金沢の天気     くもり 

★群発地震で土煙を上げて細る「珠洲の海」

★群発地震で土煙を上げて細る「珠洲の海」

   群発地震が続く能登半島の珠洲市できょう21日午前10時42分に震度3の地震があった。ショッキングな映像もユーチューブで流れている。観光名所の一つでもある見附島の側面崩落の様子だ。19日午後3時8分の震度6弱、そして20日午前10時31分の震度5強の揺れで、見附島の側面の土煙を上げて側面が崩れた=写真・上=。

   見附島周辺は海水浴場にもなっていて、これまで何度も行ったことがある。高さ28㍍、周囲400㍍の島で、軍艦がこちらに向かってくるかのようなスケール観があるので、「軍艦島」とも呼ばれている。珠洲市は珪藻土の産地で、見附島も珪藻土からなる島で長年の風化や浸食でいまのようなカタチになったとされる。

   見附島の海岸一帯は能登半島国定公園に指定されている。眺めていて面白いのはヘッドの部分の「原生林」だ。珪藻土は雨水を蓄えるため、植物の生育にはとてもよい環境でもあり、クロマツやシイ、ツバキなどが生い茂る。そして、島の森にはカラスやサギ、ウ、カモメなどの鳥も飛び交っている。

   見附島の近くにある海岸べりの公園に、万葉の歌人として知られる大伴家持が珠洲を訪れたときの歌碑がある=写真・下=。「珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり」。748年、越中国司だった家持は能登を巡行し、最後の訪問地だった珠洲で朝から船に乗って越中国府に到着したときは夜だったという歌だ。ルートからすれば、船に乗ってしばらくすると見附島の横を通って航行していたはずだ。しかし、見附島を詠んだ歌はない。

   ここからは空想だ。見附島の名前は弘法大師(空海)が佐渡島から珠洲に船で渡ってきたときに名付けたとの言い伝えがある。空海の生まれは宝亀5年(774)なので、家持が珠洲を訪れたのはそれ以前の話だ。つまり、家持の「珠洲の海」は当時この島を称した言葉ではなかったか。文献をベースにした訳ではなく、勝手な解釈である。

   話は冒頭に戻る。見附島は波浪風雨による侵食で岩盤が年々削り落とされている。今回の地震でもさらに側面が崩落した。自然の猛威にさらされながらカタチを変えてきた。何万年とかかって変貌してきた島の歴史の一端を見た思いがした。

⇒21日(火)夜・金沢の天気     くもり

☆能登半島の尖端で震度6弱、やはり来たか

☆能登半島の尖端で震度6弱、やはり来たか

   そのとき、民放テレビが放送していた能登がテーマのバラエティ番組を楽しく見ていた。グラグラと揺れを感じた。同時に、スマホの緊急警報(Jアラート)が高々と鳴り響いた。「19日午後3時08分ごろ、能登地方で強い地震」。NHKは番組そのものが地震速報に切り替わった。地元・北陸放送のアナウンサーはヘルメット姿で速報を伝えていた=写真・上=。

     能登半島の尖端部分を震源とする、深さ10㌔、マグニチュードは5.2の揺れ。震度6弱は珠洲市、震度5弱は能登町、震度4が輪島市と。石川県内だけでなく、震度3の揺れが新潟県上越市、富山県高岡市、氷見市、福井県あわら市で観測された。(※その後、震源の深さは13㌔、マグニチュードは5.4に修正されている)

   番組では、珠洲市の泉谷市長が電話でのインタビューで揺れについて語っていた。「発生当時、市役所の3階の市長室にいた。突然、突き上げられるような揺れが10秒ほど続いた。棚から書類などがほとんど落ちた。現時点で被害情報はまだ入ってきていないが、市内をパトロールしてなるべくはやく被害を把握したい」と述べていた。NHKでは午後3時50分から、松野官房長官が記者会見を行い、志賀原発ではいまのところ異常は報告されていないと語っていた。「やはり来たか」。テレビにくぎ付けになった。

   能登地方では2018年から小規模な地震活動が確認され、おととし2020年12月以降で活発化している。去年9月16日には珠洲市で震源の深さ13㌔、マグニチュード5.1、震度5弱の地震があった。同市では「奥能登国際芸術祭2020+」が始まっていたが、展示作品などに影響はなかった。能登半島では震度6以上の強い地震がこれまでも起きている。15年前の2007年3月25日の「能登半島地震」ではマグニチュード6.9、震度6強の揺れが七尾市、輪島市、穴水町を襲った。

   話は変わる。きょうの午前中、菩提寺(曹洞宗)で催された「普度会(ふどえ)」の法要に参列していた=写真・下=。10年に一度開催される法要でそれまでは父親が参列していたので、自身は初めてだった。和尚の説明書きによると、冷害や干ばつ、震災などの自然災害で江戸時代中ごろに飢饉(きん)が全国でまん延した。飢饉でなくなったすべての人たちを弔う法要として、曹洞宗では普度会が始まったそうだ。「普(あま)ねく度(ど)す会」、これは僧と檀家が一堂に会して、この法要を営む。

   日本史で習う「天保の飢饉」は加賀藩も例外ではなかった。能登には「一村一墓(いっそんいちぼ)」という仕組みができた。集落の墓をすべて一つにまとめ、最後の一人が墓参することで「村終い(むらじまい)」とすることを村の定めとした。その集落は消滅せずにいまも存在する。集落は珠洲市にあり、一村一墓の定めは現代でも継がれている。

   きょうの能登半島の地震、そして普度会法要でふと一村一墓の集落のことを思い起こした。

⇒19日(日)夜・金沢の天気     はれ