#間仕切り

★能登と関わる建築家・坂茂氏に「世界文化賞」 被災家屋の能登瓦の再活用に動く

★能登と関わる建築家・坂茂氏に「世界文化賞」 被災家屋の能登瓦の再活用に動く

  能登半島地震の被災地での仮設住宅や去年秋の奥能登国際芸術祭2023の「潮騒レストラン」の設計など能登と深く関わってきた建築家の坂茂(ばん・しげる)氏が、世界の優れた芸術家に贈られる「世界文化賞」に選ばれたと報じられていた(10日付・NHKニュースWeb版)。「高松宮殿下記念世界文化賞」は日本美術協会が絵画や音楽、建築など5つの分野で世界的に活躍する優れた芸術家に毎年贈っている。

  建築部門で選ばれた坂氏は、紙でできた素材を使ったシェルターや仮設住宅を世界各地で造り、難民の救済や被災支援に取り組んでいることが高く評価された。記者会見で坂氏は「世界中で手軽に手に入るもので建築物をつうくり、社会の役に立ちたいと思った。地震で人が死ぬのではなく、建築物が崩れて人が亡くなる。だから、われわれには責任があると認識しながら、世界のために活動を続けたい」と受賞の喜びを述べた(10日付・NHKニュースWeb版)。

  坂氏の被災地支援を初めて見たのは、去年5月5日に震度6強の地震に見舞われた珠洲市での公民館だった。避難所用の「間仕切り」に工夫が凝らされていた=写真・上=。間仕切りはプラスティックではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。ベッドなどがある個室にはカーテン布が張られているが、プライバシー保護のために透けない。環境と人権に配慮した避難所だった。間仕切りは市に寄付されたものだった。次に坂氏の作品を見たのは同市で開催された「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日‐11月12日)だった。日本海を一望する「潮騒レストラン」は、ヒノキの木を圧縮して強度を上げ、鉄筋並みの耐震性と木目を活かして造られ、建物自体が芸術作品として話題を集めた。

  そして3度目が、能登半島地震の被災地支援で設計された木造2階建ての仮設住宅だった=写真・中=。石川県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。珠洲市の見附島近くあり、外装の色合いも周囲の松の木と妙にマッチしていて、まるで別荘地のような雰囲気を醸し出していた。木の板に棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を積み上げ、箱形のユニットとなっている。

  次なるプロジェクトも始動している。震災で倒壊した家屋=写真・下=から「能登瓦」を収集して、新築や改築、修繕の希望者に提供するほか、今後整備される災害公営住宅などにも再活用する。坂氏は現在は生産されていない「能登瓦」を耐寒性に優れた黒瓦であり、能登の景観を構成する要素だと高く評価している。家屋が倒壊したとは言え、割れてもいない能登瓦を廃棄物とすることに違和感があるのだろう。建築家の目線で「もったいない」と感じるのかもしれない。

⇒12日(木)午前・金沢の天気   くもり時々はれ

★「2023 アレどうなった」③ バンさんのマジキリとレストラン

★「2023 アレどうなった」③ バンさんのマジキリとレストラン

   ことし5月5日に能登半島の尖端は激震に見舞われた。マグニチュ-ド6.5、震度6強の揺れで、死者1人、負傷者数48人、住宅の全半壊131棟、一部破損581棟など被害が大きかった。最も被災したのは珠洲市だった。さらに、6日から雨が強まり、同市は土砂災害警戒区域にある740世帯1630人に避難指示を出した。激震と非情の雨が続いた。

    環境と人権に配慮した避難所、アートな建築構造

   地震から10日目となる5月15日に被災地を訪ねた。ブルーシートで覆われた家々が並び、神社の鳥居が倒れていた。被害が大きかった正院地区を歩いていると、視察に訪れていた泉谷満寿裕市長から声を掛けられた。「避難所にバンさんのマジキリがあるので見てください」とのこと。「バンさんのマジキリ」の意味を理解しないまま、とりあえず避難所に向った。

   バンさんとは建築家の坂茂(ばん・しげる)氏のこと、マジキリは被災した人々のための避難所用の「間仕切り」のことだった。坂氏は1995年の阪神大震災を契機に世界各地で被災地の支援活動に取り組んでいて、同市にもその間仕切りが寄贈された。間仕切りはプラスティックなどではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。個室にはカーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けない=写真・上=。中にあるベッドもダンボールだ。まさに環境と人権に配慮した避難所なのだ。

   その後、珠洲市ではあるテ-マをめぐり議論が沸き起こった。9月に予定している「奥能登国際芸術祭2023」を開催すべきかどうか。市議会では、震災復興を優先して開催経費をこれに充てるべきとの意見が相次いだ。芸術祭は2017年からトリエンナーレで開催されことしで3回目。開催予算は3億円とされていた。泉谷市長は「地域が悲嘆にくれる中、何か目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁し、予定より3週間遅れで開催にこぎつけた。

   坂氏の建築作品を再び鑑賞したのは芸術祭だった。急な坂道を上り、丘の上に立つと眼下に日本海の絶景が見渡せる。海岸線に沿うように長さ40㍍、幅5㍍の細長い建物「潮騒レストラン」があった。

   このレストランで坂氏の発想と知恵を感じた。一見して鉄骨を感じさせる構造だが、よく見るとすべて木製だ。公式ガイドブックによると、ヒノキの木を圧縮して強度を上げた木材を、鉄骨などで用いられる「トラス構造」で設計した日本初の建造物、とある。日本海の強風に耐えるため本来は鉄骨構造が必要なのかもしれないが、それでは芸術祭にふさわしくない。そこで、鉄骨のような形状をした木製という稀にみる構造体になった。これもアートだ。

   間仕切りは避難者がいなくなり撤去。レストランは芸術祭の期間中だけの営業だったが、オーシャンビューのロケーションと能登の魚介類を使ったパスタの人気が高く、今月8日に営業を再開している。

⇒29日(金)夜・金沢の天気    くもり

★能登の震度6強 避難所に「バンさんのマジキリ」

★能登の震度6強 避難所に「バンさんのマジキリ」

   前回ブログの続き。今回の地震6強の揺れで家屋などの被害が大きかった珠洲市正院町を歩いていると、横から声をかけられた。市長の泉谷満寿裕氏だった。金沢大学が2006年に開設した、生物多様性の学び舎「能登半島 里山里海自然学校」は泉谷市長との協働作業で同市で実現したプロジェクトだった。その経緯から、これまで何かと声をかけていただいている。

   立ち話で、「バンさんのマジキリがすごいので見に行かれたらいい」と。「バンさんのマジキリ」の意味が分からなかったが、「それはどこにありますか」と尋ねると、「大通りを右にまわって、駐在所の後ろにある正院公民館にある」とのことだった。

   さっそく行ってみると、公民館は避難所だった。玄関でスタッフに「バンさんのマジキリはどこにありますか」と尋ねると、案内してくれた。正直な話、珠洲市は国際芸術祭を開催しているので、泉谷市長から「バンさんのマジキリ」と聞いて、芸術作品かとも思っていた。ところが、実際に見てみると、避難所のパーテーションだった=写真・上=。

   スタッフの説明によると、建築家の坂茂(ばん・しげる)氏は、被災した人々にプライバシーを確保する避難所用の「間仕切り」の支援活動を行っていて、同市にもその間仕切りが寄贈された、とのこと。間仕切りは木製やプラスティックなどではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。カーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けない。中にあるベッドもダンボールだ=写真・下=。坂氏は1995年の阪神大震災を契機に災害支援活動に取り組んでいて、このような「バンさんのマジキリ」を開発したようだ。

   それにしても、泉谷市長からいきなり「バンさんのマジキリ」とは別の意味があるのではと考えてしまった。そこで、「珠洲市」「坂茂」でネット検索すると、ことし9月に開催を予定している「奥能登国際芸術祭2023」に向けて、日本海が見える丘にある劇場型民俗博物館「スズ・シアター・ミュージアム」の隣接地でカフェがオープンすることになっている。その建築設計を担当しているのが坂氏だった。おそらく、泉谷市長は坂氏とこれまで面談を重ねている。なので、「バンさん」と親し気な表現なのだと理解できた次第。

⇒17日(水)午後・金沢の天気   はれ