#金沢ふるさと偉人館

★石川県民にとって複雑な気持ち、そして残念な事件

★石川県民にとって複雑な気持ち、そして残念な事件

   この事件をコラムで書くべきか、書くべきでないか迷った。石川県民にとって複雑な思いがする。それほど残念なニュースだ。

   去年6月29日午後7時45分ごろ、大分県別府市の交差点で、信号待ちをしていた2台のバイクに軽乗用車が追突。バイクに乗っていた2人がはね飛ばされ、当時19歳の男子大学生が死亡し、別の男子学生が軽傷を負った。軽乗用車を運転していた当時26歳の男性会社員は応急処置や警察への届け出をせずに車を放置して現場から逃走した。警察庁はきのう15日、全国の警察を挙げて捜査をする「重要指名手配」に指定し、容疑者を追っている。ひき逃げの犯人が重要指名手配に指定されるのは全国で初めてのケースとなる(15日付・NHKニュースWeb版)

   重要指名手配に指定された理由として、これまでの警察の捜査で、容疑者は▽事件前、大学生を呼び止めて言いがかりをつける様子が目撃されている、▽時速100㌔近くのスピードでブレーキをかけずに、はねたとみられる(同)。故意に起こした悪質な事件として指名手配されている。手配されているのは、八田與一容疑者27歳。

   冒頭で「残念なニュース」と述べたのも、このブログで「八田與一」の名前が何度も登場する。台湾の日本統治時代、台南市に当時東洋一のダムと称された「烏山頭ダム」が建設された。不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、台湾の人たちから日本の功績として現在も高く評価されている。ダム建設のリーダーが、金沢生まれの土木技師、八田與一(1886-1942)だった。石川県では誉れの高い人物であり、「金沢ふるさと偉人館」にその業績が紹介されている。

   八田容疑者に関する記事をチェックすると「石川県生まれ」とある。以下は憶測だ。おそらく「與一」と名付けた両親、あるいは祖父母は故郷の偉人にちなんで、立派に育ってほしいとの想いを込めたのだろう。石川県民の一人として、容疑者には警察に自首し、罪を償い、更生してほしいと願う。

⇒16日(土)午前・金沢の天気    はれ

☆李登輝氏が訪れた金沢ゆかりの3人

☆李登輝氏が訪れた金沢ゆかりの3人

   台湾の民主化を成し遂げ、哲人政治家としても知られる元総統、李登輝氏がきのう30日亡くなった。97歳だった。2004年暮れの12月に来日、29日と30日に一泊2日で石川県を訪れた。そのとき、民放テレビ局の報道にいたので、取材スタッフに同行して李氏の姿を間近に見ることができた。その案内役をつとめた、「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」の中川外司氏(故人、元金沢市議)から「李氏が敬愛してやまない日本人が金沢に3人いる」と聞いて意外に感じたことを覚えている。

   当時、李氏がJR金沢駅から直行したのは「金沢ふるさと偉人館」だった。ここで中川氏が最初に案内したのは八田與一の胸像だった。台湾の日本統治時代、台南市に烏山頭(うさんとう)ダムが建設され、不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、台湾の人たちに日本の功績として高く評価されている。このダム建設のリーダーが、金沢生まれの土木技師、八田與一だった。ダム建設後、八田は軍の命令でフィリピンの灌漑施設を調査するため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受け、船が沈没し亡くなる。1942年(昭和17年)だった。その後、八田の妻は烏山頭ダムの放水口に身投げし後追い自殺したことは台湾でもよく知られた逸話だ。

   偉人館では鈴木大拙コーナーも熱心に見学した。その著書『禅と日本文化』を手に取っていた。中川氏に聞くと、李氏は日本での留学時代(京都帝国大で農業経済専攻)に、禅が日本人の精神と文化にどのような影響を及ぼしているのか理解するために初めて読んだ書物が『禅と日本文化』だったと本人が語っていたと教えてくれた。李氏は「人間はいかに生きるべきか」と自問し、哲人政治家と呼ばれるほどの哲学書好きで知られたが、その知的バックボーンのとっかかりが鈴木大拙だったのかもしれない。

   その哲人政治家ぶりは翌日30日の訪問先でも理解できた。西田幾多郎記念哲学館(石川県かほく市)を見学し、墓地を訪れ参拝した。その著書『善の研究』で知られる西田幾多郎は実在とは何か、善とは何か、宗教とは何か、人間存在をテーマに考え抜いた哲人である。李氏も西田哲学の基本的な着眼点とされる「場の論理」で自らの考えを深め、政治思想の基盤としていったのだろう。台湾と中国を「特殊な国と国との関係」とする二国論を打ち出し、「一つの中国」を原則とする中国と対峙した。

   多感な青春時代に巡り合った書物、農業発展のダムの先駆者と妻の後追いの悲話、そして人間存在を問いかけながら、統一併合をもくろむ中国と対した政治家時代。李氏はさまざまな思いを胸に金沢を訪れたのだろう。(※写真は日本李登輝友の会台北事務所ホームページより)

⇒31日(金)朝・金沢の天気     くもり時々はれ