#西田幾多郎

★西田幾多郎の「円相」オブジェ

★西田幾多郎の「円相」オブジェ

        先日、石川県かほく市にある「西田幾多郎記念哲学館」を見学した。西田幾多郎は哲学書『善の研究』で知られる。実在とは何か、善とは何か、宗教とは何か、人間の存在をテーマに考え抜いた哲人である。記念哲学館は生れ故郷の地に2002年6月に開館した。これまでツアーの見学コースの一つとして2度訪れた程度だった。

   1階の展示室「哲学へのいざない」に入ると、いきなりガツンと来る言葉があった。「いまだ研究もせない前にまずその利益を知ろうとする好奇心ほど有害なるものはない」(「哲学のアポロジー」より)。「カントの言った如く」と前置きをし、これを述べた。「近代哲学の祖」とも言われるイマヌエル・カントの言葉の引用なのだが、哲学にとどまらず、研究者たる者への心構えのように響く。

   展示室で一つだけ、アレッと感じるコーナーがあった。西田幾多郎はよく「円相」を書いていたという説明があった。中国・唐代の禅僧である盤山宝積の漢詩である「心月孤円光呑万象」(心月  孤円にして、光 万象を呑む)をイメージして描いた円相図がオブジェになっている=写真・上=。

   自身は茶道を習っているが、床の間に円相の掛け軸をかけ、眺めながら茶を点てる。満月のようにも見える円相は絵なのか、それとも文字なのか分かりにくいが、禅宗の教えの一つとされる。円は欠けることのない無限を表現する、つまり宇宙を表現している、と解釈されている。千利休の口伝書とされる『南方録』には「水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶を点てて仏に供え、人に施し、吾ものみ、花をたて香をたく、皆々仏祖の行いのあとを学ぶなり」とある。雑念を払い、ひたすら無限の境地で、自らの心を円相とせよ、それが茶の道の心得であると教えている。

   「心月」は月のように澄みきって明らかな心、悟りを開いた心を澄んだ月にたとえた禅語とされる。ふと、前述の「いまだ研究もせない前にまずその利益を知ろうとする好奇心ほど有害なるものはない」を思い出した。雑念を払い、ひたすら無限の境地で研究に励むこと、と。

   ちなみに自身が床の間の掲げる円相の掛け軸は「人間万事 一場 夢(じんかんばんじ いちじょうのゆめ)」=写真・下=。世の中に起きる良し悪し全ては、はかない夢であり、動じることはない。そんな意味だろうか。作者は曹洞宗管長を務めた板橋興宗・大乗寺住職だった。西田幾多郎が円相をイメージしていたこと、そして自身も円相の掛け軸を好んでいることに、少しだけ接点が見いだせた思いだった。

   では、哲学者として円相を模索したきっかけは何だったのだろうか。ひょっとして、茶道をたしなんだのだろうか。そんなことを想いめぐらしながら、90分ほど館内を見学した。

⇒5日(火)午後・金沢の天気    くもり時々はれ  

☆李登輝氏が訪れた金沢ゆかりの3人

☆李登輝氏が訪れた金沢ゆかりの3人

   台湾の民主化を成し遂げ、哲人政治家としても知られる元総統、李登輝氏がきのう30日亡くなった。97歳だった。2004年暮れの12月に来日、29日と30日に一泊2日で石川県を訪れた。そのとき、民放テレビ局の報道にいたので、取材スタッフに同行して李氏の姿を間近に見ることができた。その案内役をつとめた、「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」の中川外司氏(故人、元金沢市議)から「李氏が敬愛してやまない日本人が金沢に3人いる」と聞いて意外に感じたことを覚えている。

   当時、李氏がJR金沢駅から直行したのは「金沢ふるさと偉人館」だった。ここで中川氏が最初に案内したのは八田與一の胸像だった。台湾の日本統治時代、台南市に烏山頭(うさんとう)ダムが建設され、不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、台湾の人たちに日本の功績として高く評価されている。このダム建設のリーダーが、金沢生まれの土木技師、八田與一だった。ダム建設後、八田は軍の命令でフィリピンの灌漑施設を調査するため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受け、船が沈没し亡くなる。1942年(昭和17年)だった。その後、八田の妻は烏山頭ダムの放水口に身投げし後追い自殺したことは台湾でもよく知られた逸話だ。

   偉人館では鈴木大拙コーナーも熱心に見学した。その著書『禅と日本文化』を手に取っていた。中川氏に聞くと、李氏は日本での留学時代(京都帝国大で農業経済専攻)に、禅が日本人の精神と文化にどのような影響を及ぼしているのか理解するために初めて読んだ書物が『禅と日本文化』だったと本人が語っていたと教えてくれた。李氏は「人間はいかに生きるべきか」と自問し、哲人政治家と呼ばれるほどの哲学書好きで知られたが、その知的バックボーンのとっかかりが鈴木大拙だったのかもしれない。

   その哲人政治家ぶりは翌日30日の訪問先でも理解できた。西田幾多郎記念哲学館(石川県かほく市)を見学し、墓地を訪れ参拝した。その著書『善の研究』で知られる西田幾多郎は実在とは何か、善とは何か、宗教とは何か、人間存在をテーマに考え抜いた哲人である。李氏も西田哲学の基本的な着眼点とされる「場の論理」で自らの考えを深め、政治思想の基盤としていったのだろう。台湾と中国を「特殊な国と国との関係」とする二国論を打ち出し、「一つの中国」を原則とする中国と対峙した。

   多感な青春時代に巡り合った書物、農業発展のダムの先駆者と妻の後追いの悲話、そして人間存在を問いかけながら、統一併合をもくろむ中国と対した政治家時代。李氏はさまざまな思いを胸に金沢を訪れたのだろう。(※写真は日本李登輝友の会台北事務所ホームページより)

⇒31日(金)朝・金沢の天気     くもり時々はれ