#航空自衛隊

☆現場を行く~海上の空で消えたF-15戦闘機~

☆現場を行く~海上の空で消えたF-15戦闘機~

   その現場は、源義経が都落ちして平泉に向かうとき、武蔵坊弁慶が杖で義経を叩いて検問をくぐり抜けたという歌舞伎『勧進帳』などの伝説で知られる「安宅の関」(石川県小松市)の沖合だった。31日午後5時30分ごろ、航空自衛隊小松基地を離陸したF-15戦闘機一機が基地から西北西におよそ5㌔離れた日本海上空でレーダーから機影が消えた。この戦闘機にはパイロット2人が搭乗していた。戦闘機から異常を知らせる無線連絡やパイロットが脱出する際に発せられる救難信号は感知されていない。パイロットはまだ見つかっていない。

   きょう午後2時ごろ、「安宅の関」近くの海岸に行き、捜索の様子を眺めた。目視で4隻の船が捜索に当たっていた。一隻は海上自衛隊の潜水艦救難艦「ちはや」だった=写真・上=。潜水艦救難のためにDSRV(深海救難艇)、ROV(無人潜水装置)など装備している。確認できたもう一隻は海上保安庁の巡視艇だった=写真・下=。また、海岸沿いでは基地の隊員数人が海岸を見回っていた。機体の残骸などが打ち上げられていないか、確認しているようだった。航空自衛隊は1日付の報道発表で、浮遊物として、航空機の外板等の一部と、救命装備品の一部を回収したと発表している。

   同じく1日付の報道発表「小松基地所属F-15戦闘機の航跡消失について(第3報)」で2人の搭乗員について氏名を公表している。「搭乗員(前席)は、航空戦術教導団飛行教導群司令1等空佐、田中公司52歳、搭乗員(後席)は同飛行教導隊1等空尉、植田竜生33歳」。「飛行教導群」は戦闘機部隊に対する技術指導を行うベテランパイロットが所属している。

   岸防衛大臣の会見(1日午前)では、すでに事故調査委員会を航空幕僚監部に設置。「今回の場合は純粋に訓練に向かう途中の単独の事故ということであり、そういった意味での飛行停止は求めていない」と語っていた。が、報道によると、きょう2日、小松基地の石引司令がF-15戦闘機の事故後初めて小松市役所に宮橋市長を訪ねて事故の件を謝罪し、「すべての訓練飛行を見合わせている」と説明した。

⇒2日(水)夜・金沢の天気      あめ

★ベテランパイロット操縦の戦闘機、なぜ墜ちたのか

★ベテランパイロット操縦の戦闘機、なぜ墜ちたのか

  「ジェット戦闘機」という言葉が脳裏に焼き付いたのはこの事故だった。1969年2月8日午前11時59分、金沢市泉2丁目の住宅街に航空自衛隊小松基地の「F104J」戦闘機が墜落し、死者4人、負傷者22人、全焼17戸という大惨事だった=写真・上は1969年2月8日付・北國新聞夕刊=。墜落の原因は落雷で、パイロットは脱出し、無人の戦闘機が市街地を直撃した。翌年入学した高校が墜落現場から1.5㌔離れたところにあったことから、何回か現場を見に行ったことを覚えている。当時は「70年安保粉砕」「自衛隊違憲」が盛り上がっていたころで、社会が騒々しく動いていた。

   53年前の墜落事故を思い起こさせる事故がきのう31日に起きた。NHKニュースWeb版(1日付)によると、午後5時30分ごろ、小松基地のF15戦闘機1機が訓練のために離陸したあと、基地から西北西におよそ5㌔離れた日本海上空でレーダーから機影が消えた=写真・下=。この戦闘機は「飛行教導群」と呼ばれる部隊の2人乗りの機体で、パイロット2人が搭乗していた。防衛省や海上保安庁が捜索した結果、消息を絶った周辺の海上でこの戦闘機の外板や救命装備品のそれぞれ一部が見つかった。パイロットはまだ見つかっていない。

   記事を読んで考え込んだのは、自衛隊の説明によると、「飛行教導群」は戦闘機部隊を教育する任務に当たっていて、高い技術が求められる航空自衛隊の戦闘機パイロットの中でも精鋭が集められている、ということだ。パイロットの中でもベテラン中のベテランだ。戦闘機から異常を知らせる無線連絡やパイロットが脱出する際に発せられる救難信号は感知されていない。一瞬の出来事だった。事故は単なる操縦ミスなどはなく、予期せぬ落雷か、あるいはそれに相当する何かの異変が起きたのか。

   同基地のF15戦闘機は領空侵犯をする可能性がある飛行物体に対してスクランブルをかける任務に当たっている。

⇒1日(水)午後・金沢の天気    くもり時々あめ