#能登

★トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(中)

★トキと共生する佐渡のGIAHSストーリー(中)

   初日(29日)に記念講演があり、環境省環境事務次官の中井徳太郎氏が「トキ野生復帰の意義とGIAHS(世界農業遺産)」と題して、佐渡のトキの野生復帰に向けた環境省の取り組みなどについて話した。2008年9月に10羽のトキが放鳥され27年ぶりにトキが佐渡の空に舞った。その後も放鳥は続き、ことし9月現在で野生のトキの生息数は484羽になった。

       佐渡と能登をつなぐトキの「縁」と「愛着」

          一方で、地元の農家は農薬や化学肥料の削減により、魚や昆虫などの動物のほか水辺の植物を育み、トキが暮らしやすい生息環境をつくることにいそしんできた。それを「生きものを育む農法」や「朱鷺と暮らす郷づくり」認証制度というカタチで農法を統一化することでトキの生息環境とコメのブランド化を進めてきた。2011年6月、国連の食糧農業機関(FAO)が世界農業遺産に「トキと共生する佐渡の里山(SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis)」を認定した。中井氏が強調したのは「トキとの共生を目指す里地づくりの強みを生かした地域循環共生圏」という言葉だった。

      二日目(30日)の基調講演で、公益財団法人「地球環境戦略研究機関」の理事長、武内和彦氏が「日本の持続可能な農業とは~佐渡GIAHSの農村文化から考える~」と題して、「世界農業遺産は過去の遺産ではなく、生き続ける遺産」と説明した。「朱鷺と暮らす郷づくり」認証農家は現在407戸に。佐渡の積極的なトキの米づくりを目指す新規就農者は2019年度実績で67人に。学校ではトキとコメ作りをテーマに環境教育や食育教育が行われている。佐渡は多様な価値観を持った人たちが集う「コモンズ」共同体へと進化している。農業だけでなく観光や自然環境、コミュニティーの人々が連携することで横つながり、そして世代を超えるという新たなステージに入っている。武内氏が強調したのは「佐渡GIAHSにおける新たな農村文化の展開」という言葉だった。

   今回のGIAHS認定10周年記念フォーラムで発表された事例報告など聞いて、佐渡の人たちの「トキへの愛着」というものを感じた。そして、トキをめぐっては能登と佐渡の「縁」もある。1970年1月、本州最後の1羽だったオスのトキが能登半島で捕獲された。能登では「能里(のり)」の愛称があった。能里は佐渡のトキ保護センターに送られた。佐渡にはメスのトキ「キン」がいて、人工繁殖が期待された。しかし、能里は翌1971年に死んだ。キンも2003年10月に死んで、日本のトキは絶滅した。本来ならば、ここで人々のトキへの想いは消えるだろう。ところが、佐渡の人々、そして環境省はあきらめなかった。1999年から同じ遺伝子の中国産のトキの人工繁殖を始め、冒頭のように2008年9月に放鳥が始まった。(※写真・上は石川県歴史博物館で展示されている「能里」のはく製)

   きょうパネルディスカッション=写真・下=では「これからの日本農業への提言」をテーマに話し合った。能登GIAHSから参加した珠洲市長の泉谷満寿裕氏から意外な発言があった。「トキを能登で放鳥してほしい」と。この発言には背景がある。環境省は今後のトキの放鳥について、2025年までのロードマップをことし6月に作成し、トキの受け入れに意欲的な地域(自治体)を中心に、トキの生息に適した環境の保全や再生、住民理解などの社会環境の整備に取り組む(6月22日付・読売新聞Web版)。トキは感染症の影響を受けやすい。さらに、佐渡で野生生息が484羽に増えており、今後エサ場の確保などを考慮すると、佐渡以外での複数の生息地を準備することが不可欠との判断されたのだろう。泉谷氏の発言は地元佐渡で受け入れの名乗りを上げたことになる。

   これまで、佐渡のトキが海を超えて能登に飛来して話題になったことが何度かある。2014年2月にはメスのトキが珠洲市に飛来して、半ば定着したことから、地元の住民に親しまれ、「美すず」の愛称もつけれられた。15年4月にオスのトキも飛来してきて、美すずと巣をつくれば、本州では絶滅後、初めてのつがいとなる可能性があると能登の人々は想像を膨らませた。が、美すずもオスもいつの間にか佐渡に戻った。泉谷氏の発言は能登の人々のトキへの愛着を代弁していたようにも聞こえた。

⇒30日(土)夜・佐渡の天気     くもり

★トキが能登の空に戻るとき

★トキが能登の空に戻るとき

   環境省は国際保護鳥であるトキについて、新潟県佐渡島の以外でも放鳥を検討するため、生息環境を本年度から5ヵ年かけて調査する、とメディア各社が伝えている。トキの生息についてはこのブログでも何度か取り上げた。1970年1月、本州最後の1羽だったトキが能登半島で捕獲された。オスで「能里(のり)」の愛称があった。能里は佐渡のトキ保護センターに繁殖のため送られたが、翌1971年に死んだ。2003年10月、佐渡で捕獲されていたメスの「キン」が死んで、日本のトキは絶滅した。その後、同じ遺伝子の中国産のトキの人工繁殖が佐渡で始まり、2008年から放鳥が行われている。現在、野生で約450羽が生息している(2021年6月現在、環境省佐渡自然保護官事務所調べ)。

   順調に繁殖してきたトキだが、佐渡だけで定着が進んでも病気が広がるなどして一気に数が減ってしまうおそれがある。そこで環境省は、複数の場所で野生繁殖の取り組みを進める必要があるとして、2026年度以降で本州での放鳥を行う方針を決めたようだ。これまで佐渡のトキが能登をはじめ本州に飛来することはあったが、定着してはいない。

   では、どこで放鳥が始まるのか。やはり、本州最後の一羽が生息していた能登ではないだろうか。奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)には大小1000ヵ所ともいわれる水稲用の溜め池がある。溜め池は中山間地にあり、上流に汚染源がないため水質が保たれている。ゲンゴロウやサンショウウオ、ドジョウなどの水生生物が量、種類とも豊富である。これらの水生生物は疏水を伝って水田へと流れていく。

    また、奥能登はトキが営巣するのに必要なアカマツ林が豊富だ。また、リアス式海岸で知られる能登には平地より谷間が多い。警戒心が強いとされるトキは谷間の棚田で左右を警戒しながらドジョウやタニシなどの採餌行動をとる。豊富な食糧を担保する溜め池と水田、営巣に必要なアカマツ林、そしてコロニーを形成する谷という条件が奥能登にはある。

   佐渡の西側から能登は距離にして100㌔余りで、気象条件もよく似ている。トキのつがいを奥能登で放鳥すれば、第二の繁殖地になるのではないか、などと夢を描いている。(※写真は輪島市三井町で営巣していたトキの親子=1957年・岩田秀男氏撮影)

★「心の灯り」能登の祭りがことしも

★「心の灯り」能登の祭りがことしも

   地域の祭りが盛んな能登でよく使われる言葉がある。「盆や正月に帰らんでいい。祭りには帰っておいで」と。親たちが、ふるさとを離れて都会などで暮らす子どもたちによく言う。能登の祭りは「キリコ」と呼ぶ高さ10㍍ほどの奉灯(ほうとう)や曳山(ひきやま)がにぎやかに練り、地域にとっては年に一度のビッグイベントなのだ。その祭りがことしも開催が危ぶまれている。

   先日、輪島市門前町の「黒島天領祭」の関係者から電話でヒアリングがあった。黒島はかつて北前船船主が集住した街で、貞享元年(1684)に幕府の天領(直轄地)となり、立葵(たちあおい)の紋が贈られたことを祝って始まった祭礼とされる。輪島塗と金箔銀箔で飾った豪華な曳山=写真=が特徴で、毎年8月17、18日に行われる。自身もこれまで祭りに参加する学生たち40人ほどを連れて黒島を訪れている。昨年(2020年)は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため中止となっていた。

    ヒアリングは「ことし祭りを実施したら、学生のみなさんには参加してもらえるでしょうか」との内容だった。祭りの実施をめぐって祭礼実行委員会のメンバーの中で意見が分かれているとのこと。2台の曳山には曳き手や行列などでそれぞれ100人ほどが携わる。まさに「3密」状態となるので、コロナ禍が治まっていない現状ではことしも中止せざるを得ない、との意見。一方、これまで祭りの歴史にはさまざま困難はあったものの継続してきたので、規模を縮小してでも実施すべきとの意見に分かれている。

   ヒアリングでの問いにはこう答えた。「大学の講義でもオンラインと対面の授業に分かれている。この状況では学生たちも前向きに祭りに参加しようというモチベーションにはなれない」と。「ワクチン接種が行き届くまで待ちましょう」と付け加えた。黒島天領祭の実施の結論はまだ出ていないが、中止派が多数と聞いた。地域の人にとって祭りは「心の灯り」のようなものだ。その灯りを絶やしたくないという想いは双方同じだろう。

   能登を代表する祭りとして知られる七尾市「青柏祭」(5月3-5日)のメイン行事は高さ12㍍の山車「でか山」3基が街を練るが、昨年に続きことしも山車の運行は中止となった。そして、きょうの紙面では「金沢百万石まつり」(6月4-6日)がことしも中止の方向で検討されているようだ(4月29日付・北國新聞)。石川県の発表によると、きょう新たに新型コロナウイルス感染者39人を確認した。1日の感染者数としては過去最多となった。また、能登半島の尖端に位置する珠洲市で初めて陽性が確認され、県内の全市町で感染者が出たことになる。祭りの季節を前にコロナ禍がことしも立ち塞がる。

⇒29日(木)夜・金沢の天気      くもり時々あめ

★悲劇の始まりはどこにあったのか

★悲劇の始まりはどこにあったのか

   このニュースに接して言葉が出ない。残念としか言いようがない。事件は全国ニュースにもなった。石川県中能登町の前副町長の広瀬康雄氏(65)が93歳の母親とともに15日未明に死亡した状態で見つかった。県警の司法解剖などから、広瀬氏が母親を殺害後、自殺した無理心中とみられる(2月16日付・北國新聞)。広瀬氏は3月16日告示の町長選に出馬予定で、支援者は本人が「選挙事務所を開いてから体重が落ちた」と述べていたと言い、選挙の準備で相当なプレッシャーを感じていたようだ(同)。

   自身が広瀬氏と出会ったのは、2012年4月だった。自治体の特色ある取り組みを学生たちに講義してもうら、大学コンソーシアム石川の授業「石川県の市町」の講師依頼をした。当時は企画課長で快く引き受けてくれた。7月の講義で、「織姫の里なかのと」をタイトルに繊維産業を活かした地域づくりについて話していただいた。町の基幹産業である繊維については、麻織物から合成繊維へ、そして新素材や炭素繊維などにチャレンジしている企業の現状を紹介し、産業の観光化について熱く語ったのを覚えている。その後、住民福祉課長、総務課長を歴任して、2014年から副町長だった。講義をお願いしたことが縁となり、お会いすると言葉を交わし親しくさせていただいた。

   広瀬氏に転機が訪れたのは昨年12月だった。現職の町長から後継候補に指名され、本人も町長選に立候補を表明。1月15日に副町長を辞して、同30日に後援会の事務所開きをして選挙の準備を進めていた。先日、後援会事務所の前を通りかかったので、事務所をのぞいたが、本人はあいさつ回りに出かけていて不在だった。事務所のスタッフから、毎日100世帯以上を訪問していると聞き、選挙への意欲を感じた。

   事件についての記事を読むと、遺書などは見つかっていない。ただ、家族や支援者の話として、声がけしても返事がなかったり、本人の相当な疲労感を周囲も感じ取っていたようだ。亡くなったとされる14日もあいさつ回りをしていた。自身がこれまで接してきた印象は、理論的で仕事熱心、そして冷静なタイプだった。その人物がなぜ母親を道連れに死を選んだのか。悲劇としか言いようがない。

⇒16日(火)夜・金沢の天気    ゆき 

☆能登のグローバルな伝統行事アマメハギ

☆能登のグローバルな伝統行事アマメハギ

   きのうは節分、きょうは立春。能登では節分の恒例行事としてアマメハギが行われた。これまで取材などで何度か能登町秋吉地区を訪れている。当地では、アマメは囲炉裏(いろり)で長く座っていると、足にできる「火だこ」を指す。節分の夜に、鬼が来て、そのアマメをハギ(剥ぎ)にくるという意味がある。節分は季節を分ける、冬から春になるので、農作業の準備をしなさい、いつまでも囲炉裏で温まっていてはいけないという戒めの習わしでもある。現在では子どもたちに親の言うことを聞きなさいという意味になっている。

   秋吉地区で行われるアマメハギは高校生や小中学生の子どもが主役、つまり仮面をかぶった鬼を演じる。玄関先から居間に上がりこんで、木の包丁で木桶をたたきながら、「なまけ者はおらんか」などと大声を出す。すると、そこにいる園児や幼児が怖がり泣き叫ぶ。その場を収めるために親がアマメハギの鬼にお年玉を渡すという光景が繰り広げられる。ただ、今年は新型コロナウイルスの感染拡大に配慮して、鬼は居間に上がらず、玄関先での訪問となったと昨夜のテレビニュースで伝えていた。

   この伝統行事もこれまで何度か時代の波にさらされてきた。少子高齢化と過疎化で今でも伝承そのものもが危ぶまれているのは言うまでもない。行事を世話している地域の方からこんな話を聞いたことがある。かつて、アマメハギで鬼に扮する小中学生への小遣い渡しが教育委員会で問題となり、行事を自粛するよう要請されたこともあったそうだ。このことがきっかけで行事が途絶えた地区もあったという。

   時代の洗礼にさらされながらも、2018年にアマメハギが秋田・男鹿半島のナマハゲなどともに日本古来の「来訪神 仮面・仮装の神々(Raiho-shin, ritual visits of deities in masks and costumes)」として、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録された。国際評価を得たのだ。と同時に、面白いことに、アマメハギやナマハゲの行事は日本のローカルな行事ではなく、世界中にあるということに気づかされた。

   ヨーロッパの伝統行事「クランプス(Krampus)祭」。クランプスはドイツやオーストリアの一部地域で長年継承されている伝統行事。頭に角が生え、毛むくじゃらの姿は荒々しい山羊と悪魔を組み合わせたとされ、アマメハギの仮面とそっくりだ。12月初め、子どもたちがいる家庭を回って、親の言うことを聞くよい子にはプレゼントを渡し、悪い子にはお仕置きをするのだという。そこで、ドイツ・ミュヘン市の公式ホームページをのぞくと「Krampus Run around the Munich Christmas Market」と特集が組まれていた。現地では有名な行事のようだ。

   「能登は上質なタイムカプセル」と評し、伝統産業や行事を持続可能なカタチで引き継ぐ風土への評価がある(坂本二郎・金沢大学教授)。能登にはユネスコ無形文化遺産だけでなく、FAOの世界農業遺産(GIAHS)という国際評価もある。SDGsに取り組む自治体もある。グローバルな価値観をあえて持ち込むことで未来へのソフトチェンジが拓けていくのではないだろうか。

(※上の写真は能登町のHPより、下の写真はドイツ・ミュンヘン市のHPより)

⇒3日(水)午前・金沢の天気   はれ

★個性と物語「在来イネ品種」にほれ込む

★個性と物語「在来イネ品種」にほれ込む

    能登半島の尖端にあり、小学校の廃校舎を活用している金沢大学能登学舎で、2007年に始めた人材育成事業はことし14年目を迎える。スタートの第1フェーズでは「能登里山マイスター養成プログラム」との名称で、そして現在は第4フェーズに入り、「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」と改称し、国連のSDGsの考え方をベースに里山里海の持続可能性を学ぶカリキュラムとして社会人受講生に提供している。

   能登は自然環境と調和した農林漁業や伝統文化が色濃く残されていて、2011年には国連の食糧農業機関(FAO)から「能登の里山里海」として世界農業遺産(GIAHS)の認定を受けるなど、国際的にも評価されている。一方で、能登は深刻な過疎・高齢化に直面する「課題先進地域」でもある。新しい地域の仕組みをつくり上げる、志(こころざし)をもった人材が互いに学び合い切磋琢磨することで、未来を切り拓く地域イノベーションが生まれることをこの人材育成プログラムに込めている。

   これまで13年間で修了生は196人。面白い取り組みで注目されているマイスターがいる。能登半島の付け根に位置する羽咋(はくい)市で農業を営む越田秀俊・奈央子さんから「今月号の『現代農業』(2月号)に在来イネ品種のことを投稿しました」とメールで便りが届いた。二人はマイスタープログラムで学び、その後結ばれた。

   『現代農業』で「在来イネ品種に惚れた!」とのタイトルで投稿記事が紹介されていた=写真=。かつて、日本には多様な在来イネ品種があった。歴史の中で淘汰され、今はコシヒカリなどが主流だが、在来品種にはそれぞれ個性と物語があり、復活の兆しがある。就農5年目の二人が取り組んでいる水稲は「銀坊主」「関取」「農林1号」など。

   中でも、銀坊主は明治時代に富山の農業者が1株だけ倒れないイネを発見したことがきっかで北陸などでかつて普及した。この倒れにくい耐倒伏性は荒れ気味の天候にも強く、二人はこの品種に生命力を感じている。さらに、素朴で主張しない味は、濃い味付けのおかずに合うそうだ。奈央子さんは「銀ちゃん」と親しみを込めて栽培に工夫を重ねている。

   秀俊さんは投稿記事の中で、在来品種について「私たち新規参入者にとってはありがたい側面があります」と2つのメリットを上げている。栽培者が少ないので競合を避けることができること。そして、品種そのものに物語があるため、購入者に説明しやすい。何より、「古い品種の栽培はとても面白い」と。芒(のぎ)の長さや葉の鋭さ、太さ、収穫量、野性味など品種ごとに違いがあり、「こんなイネがあったんだ」と新鮮な驚きを届けてくれる。在来品種にほれた二人が懸命に栽培に取り組む様子が目に浮かぶ。

⇒16日(土)午後・金沢の天気     あめ

★コロナ禍でも「あえのこと」は絶やさず

★コロナ禍でも「あえのこと」は絶やさず

   新型コロナウイルイスの感染拡大で能登半島でもイベントがほとんどが中止となった。何百年という歴史があるキリコ祭りも中止となった。ただ、家々で毎年12月5日に営まれる農耕儀礼「あえのこと」だけはささやかに行われた。「あえのこと」は田の神をご馳走でもてなす家々の祭りを意味する。2009年9月、ユネスコ無形文化遺産に単独で登録されている。   

   田の神はそれぞれの農家の田んぼに宿る神であり、農家によって田の神さまにまつわる言い伝えが異なる。共通しているのが、目が不自由なことだ。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったなど諸説ある。目が不自由であるがゆえに、それぞれの農家の人たちはその障害に配慮して接する。座敷に案内する際に階段の上り下りの介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。もてなしを演じる家の主たちは、自らが目を不自由だと想定しどうすれば田の神に満足していただけるのかと心得ている。

   「あえのこと」を見学すると「ユニバーサルサービス(Universal Service)」という言葉を連想する。社会的に弱者とされる障害者や高齢者に対して、健常者のちょっとした気遣いと行動で、障害者と共生する公共空間が創られる。「能登はやさしや土までも」と江戸時代の文献にも出てくる言葉がある。初めて能登を訪れた旅の人(遠来者)の印象としてよく紹介される言葉だ。地理感覚、気候に対する備え、独特の風土であるがゆえの感覚の違いなど遠来者はさまざまハンディを背負って能登にやってくる。それに対し、能登人は丁寧に対応してくれる。もう一つ連想する言葉がSDGsだ。「誰一人取り残さない」という精神風土、あるいは文化風土をこの「能登はやさしや土までも」から感じ取る。

   去年、金沢大学で「あえのこと」見学ツアーを実施した。ブラジルからの女子留学生は「とても美しいと感じる光景の儀式でした。ホスピタリテーの日本文化を知る機会を与えていただき感謝しています」と喜んでいた。留学生たちは日本の「お・も・て・な・し」を体感したようだった。(※写真は、2019年12月5日の輪島市千枚田、川口家の「あえのこと」)

⇒5日(土)夜・金沢の天気    くもり

★「山のダイヤ」 コノミタケの話

★「山のダイヤ」 コノミタケの話

    紅葉が街や山々を彩っている。山のふもとにある金沢大学キャンパスも紅葉の真っ盛りだ。青空にイチョウ、ケヤキが映える=写真・上=。そして、秋はキノコのシーズンだ。先日、金沢から能登有料道路、主要地方道「珠洲道路」を経由して、半島の先端・珠洲市に行ってきた。沿道のあちこちに車が止まっていた。おそらくキノコ狩りの車だ。また、沿道近くの山ではビニールテープが張り巡らされている。これは、ナワバリ(縄張り)と言って、山林の所有者が「縄が張ってあります。立ち入ってはいけません」とキノコ狩りに人々に注意を促すものだ。つまり、マツタケ山の囲いなのだ。

   キノコ狩りのマニアは、クマとの遭遇を嫌って金沢や加賀地方の山々を敬遠する。そこで、クマの出没が少ない能登地方の山々へとキノコ狩りの人々の流れが変わってきている。能登地方の人々にとっては迷惑な話なのだが。

   能登の人たちが「山のダイヤ」と呼ぶキノコがある。コノミタケだ=写真・下=。ホウキダケの仲間で暗がりの森の中で大きな房(ふさ)がほんのりと光って見える。見つけると、土地の人たちは目が潤むくらいにうれしいそうだ。1㌔1万円ほどで取り引きされ、能登ではマツタケより値段が高い。高値の理由は、コノミタケはすき焼きの具材になる。能登牛(黒毛)との相性がよく、肉汁をよく含み旨味で出て、香りがよいのだ。

   能登の人たちは、キノコのことをコケと呼ぶが、コノミタケとマツタケをコケと呼び、それ以外はゾウゴケ(雑ゴケ)と呼んで区別している。金沢や加賀地方からキノコ狩りにやってくる人たちのお目当ては、シバタケだ。アミタケと呼ぶ地域もある。お吸い物や大根のあえものに使う。でも、能登に人たちにとってはゾウゴケなのだ。コノミタケへの思い入れはそれほど強い。

   能登で愛されるコノミタケは能登独特の呼び名だ。でも詳しいことは分かっていなかったので、金沢大学の研究員が調べた。能登町や輪島市の里山林に発生しているコノミタケの分類学的研究を行ったところ、ホウキタケの一種でかつて薪炭林として利用されてきたコナラやミズナラ林などの二次林に発生していることが分かった。研究者は鳥取大学附属菌類きのこ遺伝資源研究センターや石川県林業試験場と協働で調査を進め、DNA解析でコノミタケが他のホウキタケ類とは独立した種であることが確認された。そこで、「ラマリア・ノトエンシス(Ramaria notoensis、能登のホウキタケ)」という学名を付け、コノミタケを標準和名とすることを、2010年の日本菌学会で発表した。

   たかがキノコ、されどされどキノコなどと言いながら、能登の人たちはコノミタケと能登牛のすき焼きをつつく。そして来月になれば、食の話題は11月6日に漁が解禁となるカニに移る。

⇒30日(金)夜・金沢の天気    くもり

☆コロナ禍「ふるさとは遠きにありて思うもの」

☆コロナ禍「ふるさとは遠きにありて思うもの」

   あと1週間もすれば旧盆だ。この時季は能登はにぎやかだ。観光客と帰省客がどっと訪れ、キリコ祭りといった祭礼も各地で盛り上がる。例年ならば8月の14日か15日に能登の実家を訪れて墓参し、キリコ祭りを見ながら親戚や旧友たちと杯を重ねながら近況を語る。真夏のこの光景を心に刻んで金沢に帰る。で、コロナ禍のことしはどうするか。

   「4月13日」の緊迫した状況ならば、帰省を見合わせざるを得ない。この日は、金沢市の10万人当たりの感染者が15.3人と東京都の13.6人を超えて全国トップとなったことから、石川県の知事が県独自の緊急事態宣言を出した。知事は「改めて危機感を共有し、社会全体が一致結束しなければならない」と不要不急の外出や移動の自粛徹底を要請した。この危機感のアピ-ルが奏功したのだろうか、いまは10万人当たりで金沢市は31.9人(8月2日現在)、東京都の96.7人(同)と比べると感染者数は増えてはいるものの随分とペ-スダウンしている。

   冒頭で述べた能登各地で執り行われるキリコ祭りは、今年ほとんどが中止となった。キリコ祭りは巨大な奉灯を1基当たり気数十人で担ぎ上げて街を練り歩く神事でもある。少ない地域でも数基、多いところは数十基もあり、金沢ほか遠来からの帰省客や観光客がキリコ担ぎや見学にやってくる。まさに「3密」を招くので、それを避けるための中止だ。つまり、「ことしは来てほしくない」という地元の人たちの正直な気持ちが痛々しく伝わる。キリコ祭りが行われる能登の6市町のうち、感染者ゼロは5市町だ。相手の気持ちを考えると気軽に帰省してよいものか。

   キリコ祭りを考えると、複雑な気持ちがもう一つある。能登は過疎高齢化の尖端を行く。帰省客らが来てキリコを担がないとキリコそものが動かせないという集落も多い。今回のコロナ禍でキリコ祭りを止めたことをきっかけに、来年以降も止めるというところが続出するのではないか。すでに、高齢化でキリコを出すことも止めた集落もあり、伝統祭礼の打ち止めに拍車がかかるのではないかと案じる。

   このキリコ祭りの日を楽しみに能登の人たちは1年365日を過ごす。帰省する兄弟や、縁者、友人たちを自宅に招いてゴッツオ(祭り料理)をふるまう。その後、夜を彩るキリコの練り歩きを皆で楽しむ。そのキリコ祭りがなくなれば、地域の活気そものが失われる。

   金沢出身の文人・室生犀星は『ふるさとは遠きにありて』の詩を詠んだ。今回はあえて帰省を止め、「帰るところにあるまじや」「ふるさとおもひ涙ぐむ」のか、あるいは「Go To ふるさと」か。迷いは続く。

(※写真は能登のキリコ祭りを代表する一つ、能登町「あばれ祭り」。40基のキリコが街を練る)

⇒4日(火)朝・金沢の天気     くもり時々はれ