#能登瓦

★「能登瓦が住宅を押しつぶした」誤解を談ずる怖さ

★「能登瓦が住宅を押しつぶした」誤解を談ずる怖さ

  きょう能登半島地震の震源地で震度6強の揺れに見舞われた珠洲市をめぐった。勇壮なカタチから通称「軍艦島」と呼ばれ、市の観光名所でもある見附島は去年5月5日の震度6強、そして今回と度重なる揺れで「難破船」のような朽ちた姿になった。街では倒壊した家々が連なる。同市では全半壊の住宅が4289棟に及んでいる(4月26日現在・石川県危機対策課まとめ)。

  建物の倒壊した現場を眺めると、瓦屋根が住宅を押しつぶしたような光景が目に入ってくる=写真=。黒瓦は「能登瓦」と呼ばれ、珠洲市は瓦の産地でもある。耐寒性に優れると重宝されている。その能登瓦の重さが住宅被害の拡大につながったのかもしれないと勝手にイメージしていた。これが誤解だと知ったのは、きょうの新聞紙面で取り上げられていた「能登復興建築人会議」の記事だった。

  建築人会議は、日本建築家協会北陸支部石川地域会と石川県建築士事務所協会などが幹事役となり、建築の専門家集団として自治体と被災者の調整役も担う目的で先月31日に設立された。その設立記念フォーラムがきのう28日、金沢市で開催され、報告の中で取り上げられたテーマの一つが「瓦屋根と住宅被害」の実態調査だった。以下、北陸中日新聞の記事(29日付)から引用。

  建築人会議のメンバーである金沢工業大学の竹内申一教授らが「重い黒瓦が被害を大きくしたとの風評被害がある」と問題提起をし、建築設計の研究者ら13人が輪島市河井町で計479棟の住宅について目視調査を行った(2月16日)。約9割は木造住宅。瓦屋根の建物のうち、1981年5月末までの旧耐震基準のままの住宅の約6割が半壊などの被害があった一方、2000年以降の今の耐震基準の新しい住宅では約9割は被害が目立たなかった。このため、家屋倒壊などの原因は耐震性で、瓦屋根が要因ではない可能性が高い、と報告した。今回は目視調査だったが、輪島市と連携し、さらに詳しい建築時期や耐震化も確認して調査結果の精度を上げる方針、という。

  この記事を通して、瓦と住宅被害の誤解が解けた。被害状況を素人判断で断ずる怖さでもある。

⇒29日(月)夜・金沢の天気    くもり

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~14 番外アート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~14 番外アート

   奥能登国際芸術祭が開催されている珠洲市の正院地区の道路を車で走っていると、田んぼに羽を休めるコハクチョウの群れが見えた=写真・上=。毎年この時季に舞い降りて来る。この日は、ざっと30羽はいただろうか。1枚の田んぼに水がはってあり、地元の愛鳥家の人たちが11月初旬に飛来するコハクチョウのために予め準備していたのだろう。

   能登半島は川がない地域も多く、農業用水を確保するために中山間地に「ため池」が造成されてきた。その数は2000もあるとされ、中には中世の荘園制度で開発された歴史あるため池も各地に存在する。コハクチョウや国指定天然記念物オオヒシクイなどがため池や周辺の水田を餌場として飛来する。ため池や田んぼは水鳥たちの楽園でもある。越冬のためにシベリアから飛来したコハクチョウたちは3月になると北へ帰って行く。

   珠洲の海岸を歩くとクロマツ林が所々に広がっている=写真・中=。日本海の強風に耐え細く立ちすくむクロマツを眺めていると、逆境に耐え忍ぶ自然の姿にむしろ寂寥感を感じてしまう。この能登の海岸のクロマツ林を描いたとされるのが長谷川等伯の国宝「松林図屏風」。もやに覆われ、松林がかすんで見える傑作である。

   等伯が松林図屏風を描いたのは長男・久蔵が没した翌年の1594年。等伯56歳だった。京都で画壇の一大勢力となっていた狩野永徳らとのし烈な争い。強風に耐え細く立ちすくむ能登のクロマツに等伯が心を重ねたのはこの心象風景だったのだろうか。

   今月4日付のブログで「能登の民家は特徴がある。黒瓦と白壁」と書いた。すると、ブログをチェックしてくれた知人から「どんな風景なんだ。ブログでアップしてくれよ」とメールが届いた。そこで、能登半島の中ほどにある七尾市中島地区の民家の外観を撮ったものがあったので載せてみた=写真・下=。この風景は、金沢と能登半島を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」の横田インター付近に見え、移動中の車中から横目で眺めることができる。

   家屋は旧加賀藩の農家の特徴といわれた「東造り(あずまづくり)」の建築様式。切妻型の瓦屋根は、建物の上に大きな本を開いて覆いかぶせたようなカタチをしている。左右にある蔵は黒瓦と白壁のコントラスが鮮やかだ。黒瓦は「能登瓦」と呼ばれる。七尾市と珠洲市は瓦の産地で、耐寒性に優れると重宝されてきた。もう10年も前のことだが、新潟県の佐渡島に渡ったとき、神社仏閣や古民家の屋根が黒瓦だった。佐渡の人に尋ねると、「佐渡ではかつて北前船を通じて能登から瓦を仕入れていた。いまでも能登瓦と呼んでいる」と。このとき初めて能登瓦という言葉を耳にした次第。

⇒6日(月)午後・金沢の天気   くもり