#能登半島

☆スペクタルな能登が「里山里海国定公園」に

☆スペクタルな能登が「里山里海国定公園」に

   能登半島の海岸沿いには景勝地が連なっていることから、1968年に「能登半島国定公園」に指定されている。景勝地の特徴は大きく2つある。「外浦」と呼ばれる波風が荒い、千里浜海岸から能登金剛、曽々木海岸、木ノ浦、禄剛崎かけての西側エリアだ。禄剛崎は半島の尖端で、東側エリアに入ると「内浦」と呼ばれる波風が静かな、見附島や九十九湾、穴水湾、七尾湾、氷見海岸と連なる。まさに動と静が織りなすリアス式海岸の絶景だ。

   中でも自然のスペクタルショーを目にすることができるのは輪島市の曽々木海岸だ。秋の夕方、窓岩で知られる海に突き出た岩石の穴に夕日が差し込む。岩の穴と夕日がちょうど同じ大きさで、すっぽり収まったときは思わず拝みたくなるような神々しさだ=写真・上=。5分間ほどの光景である。

   前置きが長くなった。きょうの地元紙の朝刊は、海岸線が中心だった能登半島国定公園に内陸部の里山を含め広げる拡張候補地として選ばれたと、環境省の発表を報じている=写真・下=。その選定理由について、環境省公式サイト「国立・国定公園総点検事業フォローアップ結果について」(6月14日付)では以下のように記載されている。

「既存の国定公園周辺には、棚田や谷地田、塩田、まがき集落景観がみられ、気候や地形といった自然条件に適応した人の営みが里山の風景を形作っている。こうした人と自然との関わりが評価され、国内初の世界農業遺産に登録されている」「地域は昆虫類が豊富で、シャープゲンゴロウモドキをはじめとした二次的自然環境に依存する希少種も生息・生育し、生物多様性が高く、トキの本州最後の生息地であった」「これらの里山域は、隣接する既存の国定公園の風景を成す一体の要素と考えられる」

    能登半島は2011年に世界農業遺産(GIAHS、FAO国連食糧農業機関)に認定されていて、里山里海が一体化した風景は国際評価を得ているとの理由だ。生物多様性に富んだ能登では、ため池で見られるシャープゲンゴロウモドキなど希少種も多い。そして、本州最後のトキの生息地であったと記されている。ちなみに、本州最後のトキが絶滅したのは1971年、国定公園に指定されて3年後のことだった。

   今回の拡張候補地の選定によって、能登の里山里海そのものが国定公園化する。環境省は2030年度をめどに地元自治体とともにどの里山区域を指定するか作業を進める。今回の拡張候補地の選定で、環境省が進めている2026年度に向けた本州でのトキ放鳥の候補地としてさらに弾みがついたのではないだろうか。ブログ(6月12日付)でも紹介したコウノトリのひな3羽も能登で育っている。トキもコウノトリも国の特別天然記念物だ。人々に見守られて国定公園で羽ばたく日を楽しみにしている。

⇒15日(水)午後・金沢の天気    あめ

★コウノトリとトキが能登の空に舞う日

★コウノトリとトキが能登の空に舞う日

   前回のブログの続き。能登半島にコウノトリのつがいが3羽のひなを育てているという記事を読んで、兵庫県豊岡市のコウノトリにまつわる、ある物語を思い出した。

   江戸時代には日本のいたるところでいたとされるコウノトリが明治に鉄砲が解禁となり個体数は減少。太平洋戦争の時には営巣木であるマツが燃料として伐採され生息環境が狭まり、戦後はコメの生産量を上げるために農薬が使われ、その農薬に含まれる水銀の影響によって衰弱して死ぬという受難の歴史が続いた。1956年に国の特別天然記念物の指定を受けるも、1971年5月、豊岡で保護された野生最後の1羽が死んで国内の野生のコウノトリが絶滅した。

   その後、飼育されていたコウノトリの人工繁殖と野生復帰計画は豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷公園が中心となって担い、ロシア(旧ソ連)などから譲り受けて人工繁殖に取り組んだ。豊岡でのコウノトリの野生復帰が知られるようになったのは2005年9月、秋篠宮ご夫妻を招いての放鳥が行われたことだ。ある物語はここから始まる。

   カゴから飛び立った5羽のうち一羽が近くの田んぼに降りてエサをついばみ始めた。その田んぼでは有機農法で酒米をつくっていた。金沢市の酒蔵メーカー「福光屋」などが酒米農家に「農薬を使わないでつくってほしい」と依頼していた田んぼだった。秋篠宮ご夫妻の放鳥がきっかけで地元のJAなどが中心となってコウノトリにやさしい田んぼづくりが盛んになった。

   コウノトリが舞い降りる田んぼの米は「コウノトリ米」として付加価値がつき、ブランド化した。こうした、生き物と稲作が共生することで、コメの付加価値を高めることを「生き物ブランド米」と称されるが、豊岡はその成功事例となった。そして、豊岡にはコウノトリを見ようと毎年50万人が訪れ、エコツーリズムの拠点にもなった。

   さて、3羽のひなの誕生が能登にコウノトリが定着するきっかけとなるかどうか。能登の自治体では同じく国の特別天然記念物トキの野生放鳥の候補地として環境省に名乗りを上げている。8月上旬をめどに3ヵ所程度を選定し公表され、2026年度以降の放鳥となる(5月10日付・環境省公式サイト)。3ヵ所の一つに選ばれれば、将来コウノトリとトキが能登の空に舞う日が来るのではないか。世界農業遺産(GIAHS)でもある能登の里山に。夢のような光景だ。   

(※写真・上は豊岡市役所公式サイト「コウノトリと共に生きる豊岡」動画より、写真・下のトキは1957年に岩田秀男氏撮影、場所は輪島市三井町洲衛))

⇒12日(日)午後・金沢の天気    はれ

☆カーボンニュートラルな能登の光景

☆カーボンニュートラルな能登の光景

   能登半島で見る印象的な風景は、山の峰に並ぶ風力発電、山裾や田んぼ、畑の一角に広がる太陽光発電ではないだろうか。脱炭素の世界的な潮流を受け、日本も2030年に温室効果ガスの46%削減、2050年までのカーボンニュートラルの実現を表明している(2021年4月・気候サミット)。日本が排出する二酸化炭素の4割が電力関連で、再生可能エネルギーに置き換える動きが全国的に活発だ。

   能登半島全体では74基、うち半島尖端の珠洲市には30基の大型風車がある。経営主体は日本風力開発株式会社(東京)、2007年から順次稼働している。発電規模が45MW(㍋㍗)にもなる国内でも有数の風力発電地域だ。発電所を管理する会社のスタッフの案内で現地を訪れたことがある。ブレイド(羽根)の長さは34㍍で、1500KW(㌔㍗)の発電ができる。風速3㍍でブレイドが回りはじめ、風速13㍍/秒で最高出力1500KWが出る。風速が25㍍/秒を超えると自動停止する仕組みなっている。羽根が風に向かうのをアップウインドー、その反対をダウンウインドーと呼ぶ。1500KWの風車1基の発電量は年間300万KW。これは一般家庭の1千世帯で使用する電力使用量に相当という。(※写真・上は能登半島の先端・珠洲市の山地にある風力発電)

   なぜ能登半島に立地したのか。「風力発電で重要なのは風況」と現地のスタッフが説明してくれた。中でも一番の要素は平均風速が大きいことで、6㍍/秒を超えることがの目安になる。能登半島の沿岸部、特に北側と西側は年間の平均風速が6㍍/秒を超え、一部には平均8㍍/秒の強風が吹く場所もあり、風力発電には最適の立地条件なのだ。いいことづくめではない。能登で怖いのは冬の雷。「ギリシアなどと並んで能登の雷は手ごわいと国際的にも有名ですよ」と。そのため、ブレイドの材質は鉄製ではなく、FRP(繊維強化プラスチック)にしているが、それでも落雷のリスクはあるという。

   バイオマス発電所もある。珠洲市に隣接する輪島市の山中にある。発電所を運営するのは株式会社「輪島バイオマス発電所」。スギやアテ(能登ヒバ)が植林された里山に囲まれている。木質バイオマス発電は、間伐材などの木材を熱分解してできる水素などのガスでタービンエンジンを駆動させる。石炭など化石燃料を使った火力発電より二酸化炭素の排出量が少ない。もともと二酸化炭素を吸湿して樹木は成長するのでカーボンニュートラルだ。発電量は2000KWで24時間稼働するので年間発電量は1万6000MW、これは一般家庭の2500世帯分に相当する。エンジンを駆動させるために必要な木材は一日66㌧、年間2万4千㌧の間伐材が必要となる。(※写真・中は輪島市三井町にある輪島バイオマス発電所の施設)

   創業者から会社設立に至った経緯をうかがったことがある。「能登の里山を再生するために、間伐材をどうしたら有効利用できるかを考えていたら、バイオマス発電が浮かんだ。そこから夢も膨らみ、地産地消のエネルギーで地域の活性化に貢献したいと思い、会社をつくったのです」。森林維持には欠かせない間材で生じた木材のうち丸太材やパルブ材などに利用されるのは70%程度に過ぎない。残りの端材や曲がり杉は、利用されずに林地残材という形で山の中にそのまま残されているのが現状。これではもったいない。カスケード利用(多段的利用)しない手はない(同社公式サイト)。里山のもったいない精神から発想された再エネなのだ。

   能登半島では農地のほかに山間部でも大規模なメガソーラー(1000kW)が相次いで稼働している。耕作放棄地など活用したのだろう。気になることもある。川沿いの平野部に設置されている太陽光パネルだ。これが、集中豪雨による冠水や水没で損壊したり、設備が流されるということにはならないだろうか。太陽光パネルは実は危険だ。損傷し放置された太陽光パネルに日が当たると発電し、感電や火災につながる可能性がある。(※写真・下は珠洲市にあるソーラー発電施設)

   きょうの新聞各紙は、環境省は使用済みの太陽光パネルのリサイクルを義務化する検討に入ったと伝えている。太陽光パネルの寿命は長くて30年だ。普及が進んでいる能登地区の近未来の課題でもある。

⇒29日(日)夜・金沢の天気    はれ

★渡り鳥シギが舞い降りる千里浜の風景

★渡り鳥シギが舞い降りる千里浜の風景

   きのう能登半島の「千里浜なぎさドライブウェイ」を久しぶりに車で走行した。波打ち際を車で走ると爽快な気分になる。乗用車やバスで走行できる海岸は世界で3ヵ所と言われる。アメリカ(フロリダ半島)のデイトナビーチ、ニュージーランド(北島)のワイタレレビーチ、そして能登半島の千里浜だ。砂のきめの細かさと、適度に海水を含んで引き締まっていることでビーチが道路のようになる。

   千里浜はもう一つの名所でも知られる。春と秋の波打ち際にシギやチドリといった渡り鳥の群れが次々と降りてきて、人々を和ませる。この日は、シギの一群が舞い降りていた=写真=。渡り鳥はオーストラリアから日本を経由してシベリアを往復する。この季節は、冬場をオーストラリア周辺で過ごした渡り鳥が夏場の産卵のためにシベリアで行うに向かう。その途中に能登半島に立ち寄る。

   シギのお目当ては全長5㍉ほどの小さなエビ、ナミノリソコエビだ。波が引いた砂の上に残るナミノリソコエビを次の波が打ち寄せるまでのごくわずかな時間でついばむ。このエビは環境に敏感なことでも知られる。砂質が粗くなり汚泥がたまると生息できなくなる。逆な言い方をすれば、シギやチドリが舞い降りる海岸はきれいな海のバロメーターでもある。

   いつまでも渡り鳥が舞い降りる千里浜であってほしいと願うが、難題もいくつかある。砂浜の浸食は以前から問題となっている。河川災害を予防するためにつくられた砂防ダムや、コンクリートの護岸が設置されて、陸からの砂が海岸に運ばれなくなった。とくに、金沢港に建設された長い堤防の影響で、砂を含んだ加賀地方からの海流がせき止められて、千里浜への流れが少なくなってしまった。県や関係自治体では2011年に「千里浜再生プロジェクト」を設置して対策を講じてはいる。

   砂浜の浸食だけでなく、能登半島の対岸の国で捨てられたポリタンクやペットボトル、食品トレー、医療系廃棄物(注射器、薬瓶、プラスチック容器など)の漂着が相次ぐ。海洋プラスティックごみによって、海岸の汚染が懸念される。さらに、地球温暖化による海面の上昇も気懸りだ。気象庁の調べによると、1960年から2020年までの海面水位の変化を海域別に見た場合、北陸から九州の東シナ海側で他の海域に比べ大きな上昇傾向がみられる(気象庁公式ホームページ「日本沿岸の海面水位の長期変化傾向」)。

   海岸の浸食や漂着物、海面上昇によって、ナミノリソコエビの生息環境が失われつつあるのではないか。そんなことを案じながらの、なぎさのドライブだった。

⇒17日(火)夜・金沢の天気     はれ 

☆海流がさらす「ロシアの不埒」漂着ゴミ

☆海流がさらす「ロシアの不埒」漂着ゴミ

   能登半島の沖合には北朝鮮の木造船がよく流れ着く。大陸側に沿って南下するリマン海流が、朝鮮半島の沖で対馬海流と合流し日本海側の沿岸に流れてくる=写真・上=。とくに能登半島は日本海に突き出ているため、近隣国の漂着物のたまり場になりやすい。このところ問題になっているのが、ロシアからの漂着ゴミだ。

   とくに目立っているのは大量の注射器と注射針だ。地元紙によると、能登半島の先端の珠洲市の海岸で今月27日、市と県の職員、建設業協会のメンバーが海岸線を巡回して回収したところ、新たに1377本の注射器と注射針が見つかった。注射器の長さは約10㌢で、針のついているもの、針だけ包装されているものもあった。ロシア語で「医療用」と表記されている(28日付・北國新聞)。注射器や注射針は輪島市の海岸でもこれまで625本が見つかっている(3月4日付・同)。

   能登半島だけでなく、島根や鳥取、兵庫、京都府の海岸でも注射器が見つかっている(2月28日付・共同通信Web版)。以下は憶測だ。これだけ大量のものが投棄されるということは、時期的に新型コロナウイルスのワクチン接種で使用したものではないだろうか。ロシア、あるいはロシアから提供を受けた北朝鮮が沖合で廃棄したものかもしれない。漂着したものはごく一部で、まだ膨大な量の注射器と注射針が海を漂っているに違いない。

   ことし1月には同じ珠洲市の海岸に、船体の全長が50㍍ほどある鉄製の船が海岸に流れ着いた=写真・下=。船体にはロシア語が書かれていた。能登海上保安署は、ロシアで射撃訓練の際に「標的船」として使われる船に似ているという(1月4日付・朝日新聞ニュースWeb版)。では、ロシアはなぜ、どのような理由で射撃訓練を日本海で行ったのか。実に不気味だ。そして、標的船を回収せずにそのまま海に遺棄する感覚に不埒さを感じる。

⇒30日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆「4月12日までに北陸で巨大地震」は来るのか

☆「4月12日までに北陸で巨大地震」は来るのか

   朝刊を開くと、週刊誌の広告に「4月12日までに北陸で巨大地震」とあり、気になって購入した。2007年3月25日の能登半島地震(マグニチュード6.9、震度6強)以来、地震を間近に感じるようになった。それより何より、このところ能登半島の尖端あたりを震源として再び揺れが多発している。震度1以上の揺れは去年は年間70回、ことしに入り33回観測されていて、今月8日と23日には震度4の揺れがあった。少々ドキドキしながら週刊誌『週刊ポスト』(4月15日号)のページを開いた=写真=。

   3月16日の福島県沖地震を発生7時前に予測、的中したとされる東大名誉教授、村井俊治氏が警告している。それによると、「(今月)23日午前9時23分頃に石川県能登地方で震度4の地震が発生したが、それを凌ぐ地震発生の可能性があるという」。以下、引用だ。

   「この半年、新潟県南部、富山県、石川県、岐阜県北部などで、〚異常変動』が集中しています。『隆起・沈降』では、北陸3県の広い範囲が沈降する一方、石川県の能登半島先端が隆起し、その境目にある電子基準点『輪島』や『穴水』周辺に歪みが溜まっていると考えられる」「北信越は、最新のAIによる危険度判定で東北に次ぐ全国2位で、衛星画像の解析でも地震の前兆と思われる異常が観測されている」

   村井名誉教授は測量学が専門で、国土地理院が全国約1300か所に設置した電子基準点のGPSデータを使って地表の動きを捉え、基準点の1週間ごとの上下動の「異常変動」、長期的な上下動の「隆起・沈降」、東西南北の動きの「水平方向の動き」という3つの主な指標を総合的に分析する。

   地震の専門でない者が軽々に語るべきことではないが、地図に記されている「1週間内に7㌢以上の変動を記録した電子基準点」では石川県と岐阜県にまたがる白山(2702㍍)近くで8㌢以上の上下の動きあった地点が2ヵ所記されている。白山は活火山だけに、噴火の兆しではないかと不安がよぎる。気象庁公式ホームページによると、「白山では、山頂付近のやや深部を震源とする地震が増加しています。火山活動の活発化を示す変化は認められていませんが、今後の火山活動の推移に注意してください」と記載されている。周辺の沈降と地震はどう関連しているのか。

   記事は2㌻の構成で、的確な文章で分かりやすい。ただ、一つ疑問が残ったのは、なぜ「4月12日までに」なのか説明がほしかった。具体的な数字が示されているということは根拠があるはずだ。それをあえて記事にしなかったのはなぜか。伏せたのか。むしろ気になる。

⇒30日(水)夜・金沢の天気     はれ

☆能登半島の尖端で頻発する地震の不気味さ

☆能登半島の尖端で頻発する地震の不気味さ

   3月は地震のイメージが強く残る。「3・11」の言葉で象徴される東日本大震災(2011年3月11日)はもちろんそうなのだが、さらに「3・25」の能登半島地震(2007年3月25日)と重なる。マグニチュード6.9、震度6強だった。本震の後、震度5弱の余震が続いた。能登には「2・7」もある。1993年2月7日にM6.6、震度5を記録した能登半島沖地震だ。積雪が残るこの時季は春を待つこともさることながら、どうしても揺れを警戒してしまう。

   きょうの夜中に知人からメールが入った。地震情報だった。「能登に大きな被害はないようだけれど、金沢も注意してください」と。「また地震か」と憂鬱な気分になった。きょう午前1時58分ごろ、能登地方を震源とする震度4の揺れを観測する地震だった。マグニチュードは4.8、震源の深さは10㌔、最も揺れたのは半島の尖端・珠洲市だった。金沢は震度1だったが就寝中で気がつかなかった。

   ウエザーニュース社の公式ホームページを確認すると、震度4に続く震度3の揺れは半島のほかに、富山県舟橋村、新潟県の長岡市と糸魚川市、上越市で、震度2や震度1の揺れは東北や関東など広い範囲に及んでいる=写真・上=。M4.8でこれほど広く揺れるとは。

   この地震の52分前の午前1時6分ごろにも震度3が、前日午後4時36分にも震度2がそれぞれ珠洲市で観測されている。珠洲市だけではなく、半島の先端では2020年12月ごろから地震活動が活発化していて、震度1以上の地震が2021年は70回、2022年はすでに18回発生している。

   中には不気味な揺れもあった。去年9月29日、日本海側が震源なのに太平洋側が揺れる「異常震域」という初めて聞く地震があった。震源の深さは400㌔、マグニチュード6.1の地震に、北海道、青森、岩手、福島、茨城、埼玉の1道5県の太平洋側で震度3の揺れを観測した=写真・下=。この地震は大陸のユーラシアプレートに沈み込む海洋の太平洋プレートの内部深くで起きたとみられている。震源が深かったため、近くよりも、遠くが大きく揺れる現象とされる(9月29日付・朝日新聞Web版)。

   半島の尖端で何が起きているか、朝日新聞Web版(1月2日付)を引用する。「プレートには、海底下にあった時に岩石の隙間に入り込んだ海水や、鉱物の構造の中に含まれる結晶水と呼ばれる水がある。こうした水の多くはプレートとともに地球の地下深くに入っていくが、地下250㌔ほどから何らかの原因で分離し、十数㌔まで上昇した可能性が考えられるという」

   「マグマだまり」ではなく「水だまり」の可能性が指摘されている。その先例として、1965年8月から約5年続いた長野県の松代群発地震が指摘されている。地下深くから上昇してきた水が岩盤にしみ込み、岩盤の強度が下がって地震が起きたとみられる。このときは山が1㍍隆起したほか、水が噴き出す水噴火という現象もあった(同)。

   能登半島の尖端で水噴火があるとどうなるのか。周囲が海なので、どのような現象が起こるのか。

⇒8日(火)午後・金沢の天気      はれ

★「田の神さま」をもてなす能登人のココロ

★「田の神さま」をもてなす能登人のココロ

   きょう(5日)奥能登の伝統的な農耕儀礼「あえのこと」を見学した。農家が田んぼから田の神を自宅に招いて、稲の実りに感謝してごちそうでもてなす行事。2009年にユネスコ無形文化遺産にも登録されている。能登町の柳田植物公園内にある茅葺の古民家「合鹿庵(ごうろくあん)」では毎年公開で儀礼を行っていて、今回も50人余りが見学に訪れていた。  

   田の神はそれぞれの農家の田んぼに宿る神であり、農家によって田の神さまにまつわる言い伝えが異なり、夫婦二神、あるいは独神の場合もある。共通していることは、目が不自由なこと。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったなど諸説がある。目が不自由であるがゆえに、農家の人たちはその障がいに配慮して接する。座敷に案内する際に段差がある場合は介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。演じる家の主(あるじ)たちは、どうすれば田の神に満足いただけるもてなしができるかそれぞれに工夫を凝らす。

   田の神のもてなし役は執行者と呼ばれるが、合鹿庵での執行者は近くに住む中正道(なか・まさみち)さん、70歳。中さんは町の「あえのこと」保存会の会員であり、前日に自宅を訪問して話を聞いた。開口一番に、「地元の人は『あえのこと』とは言いません。『タンカミサン(田の神さま)』ですよ」と。もともとこの農耕儀礼には正式な名称というものがなく、いまでも農家の人々はタンカミサンと呼んでいる。かつてこの地を訪れた民俗学者の柳田国男が「あえのこと」として論文などで紹介し、それが1977年に国の重要無形民俗文化財に、そしてユネスコ無形文化遺産の登録名称になった。「あえ」は「饗」、「こと」は「祭事」の意で饗応する祭事を指す。

   確かに、ユネスコ登録では宗教行事は回避されるため、「田の神さま」より「あえのこと」の名称の方が審査が通りやすかった。それでも、中さんは「あえのこと」の登録名称に今でも違和感があると正直に語った。また、ユネスコ無形文化遺産に登録されたことを意識してか、農家では「素朴な感謝の気持ちより、儀礼を行うこと自体が目的となっているのではないか」と懸念する。調度品やお供え物が豪華になり、服装も羽織袴になった。
   
   さらに、伝統な供え物では「焼き物」は「田が焼ける(かんばつ)」につながり、「蒸し物」は「虫(害虫、イモチ病)」につながることから避けられてきた。それが、最近では「茶碗蒸し」を出す家もある。「伝統的な供え物には農家の心や願いが込められている。できるだけ正確に伝えることに、伝統や無形文化遺産の価値があるはず」と。中さんは地域の人たちや、両親、祖父母から聞いてきたことを冊子にまとめ、農家の後継者の人たちに「田の神さま」を伝えている。

(※写真は能登町「合鹿庵」で執り行われた農耕儀礼「あえのこと」行事。田の神さまにことしのコメの出来高を報告する中正道さん=写真・左=)

⇒5日(日)夜・金沢の天気     はれ

☆カーボンニュートラルな生き方

☆カーボンニュートラルな生き方

   前回のブログの続き。イギリスで開催された国連の気候変動対策会議「COP26」では、世界の平均気温の上昇を1.5度に抑える努力を追求し、石炭火力発電については「段階的な廃止」を「段階的な削減」に表現を改めることで意見対決をまとめて成果文書が採択された。日本政府も2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする「カーボンニュートラル宣言」を掲げ、脱炭素社会の実現に向けて待ったなしで突き進んでいくことになる。

   自分の仕事が地球環境や気候変動にどのような影響を与えているだろうか。環境に謙虚な気持ちを持つということはどういうことなのか。そのことに取り組んでいる人物の話だ。能登半島の尖端、珠洲市の製炭所にこれまで学生たちを連れて何度か訪れている。伝統的な炭焼きを生業(なりわい)とする、石川県内で唯一の事業所だ。二代目となる大野長一郎氏は45歳。レクチャーをお願いすると、事業継承のいきさつやカーボンニュートラルに対する意気込みを科学的な論理でパワーポイントを交えながら、学生たちに丁寧に話してくれる。

   22歳で後継ぎをしたころ、「炭焼きは森林を伐採し、二酸化炭素を出して環境に悪いのではないか」と周囲から聞かされた。しかし、自分自身にはこう言い聞かせてきた。樹木の成長過程で光合成による二酸化炭素の吸収量と、炭の製造工程での燃料材の焼却による二酸化炭素の排出量が相殺され、炭焼きは大気中の二酸化炭素の増減に影響を与えない、と。ただ、実際にはチェーンソーで伐採し、運ぶトラックのガソリン燃焼から出る二酸化炭素が回収されない。「炭焼きは環境にやさしくないと悩んでいたんです」   

   この悩みを抱えて、2009年に金沢大学の社会人向け人材育成プロジェクト「能登里山マイスター養成プログラム」に参加した。自身も大野氏とはこの時に知り合った。大野氏は自然環境を専門とする研究者といっしょに生業によるCO²の排出について検証する作業に入る。ライフサイクルアセスメント(LCA=環境影響評価)の手法を用い、過去6年間の製造、輸送、販売、使用、廃棄、再利用までの各段階における環境負荷を検証する。事業所の帳簿をひっくり返しガソリンなどの購入量を計算することになる。仕事の合間で2年かけて二酸化炭素の排出量の収支計算をはじき出すことができた。また、環境ラベリング制度であるカーボンフットプリントを用いたCO²排出・固定量の可視化による、木炭の環境的な付加価値化の可能性などもとことん探った。

   得た結論は、生産する木炭の不燃焼利用の製品割合が約2割を超えていれば、生産時に排出されるCO² 量を相殺できるということが明らかになった。3割を燃やさない炭、つまり床下の吸湿材や、土壌改良材として土中に固定すれば、カーボンマイナスを十分に達成できる。これをきっかけに木炭の商品開発の戦略も明確に見えてきた。さらに、炭焼きの原木を育てる植林地では昆虫や野鳥などの生物も他の地域より多いことが研究者の調査で分かってきた。「里山と生物多様性、そしてカーボンニュートラルを炭焼きから起こすと決めたんです」

   付加価値の高い茶炭の生産にも力を入れている。茶炭とは茶道で釜で湯を沸かすのに使う燃料用の炭のこと。2008年から茶炭に適しているクヌギの木を休耕地に植林するイベント活動を開始した。すると、大野氏の計画に賛同した植林ボランティアが全国から集まるようになった。能登における、グリーンツーリズムの草分けになった。(※写真・上は大野氏が栽培するクヌギの植林地。写真・下はクヌギで生産する「柞(ははそ)」ブランドの茶炭)

⇒16日(火)夜・金沢の天気      はれ

★名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~下~

★名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~下~

   「奥能登国際芸術祭2020+」はきのう5日で63日間の会期を終了した。芸術祭実行委員会のまとめによると、来場者は4万8973人(速報値)だった。新型コロナウイルスのパンデミックで開催が1年延期され、さらに石川県にはまん延防止等重点措置が出され、開会の9月4日から30日までは原則として屋外の作品のみの公開だった。さらに、9月16日には震度5弱の地震に見舞われた。幸い人や作品へ影響はなかったものの多難な幕開けだった。後半の10月以降は屋内外の作品が公開され、24日までの会期が11月5日まで延長となった。

    アートもSDGsも「ごちゃまぜ」 風通しのよさが地域を創る

   芸術祭のほかに珠洲市は、SDGsの取り組みにも熱心だ。内閣府が認定する「SDGs未来都市」に名乗りを上げ、2018年6月に採択された。同市の提案「能登の尖端“未来都市”への挑戦」はSDGsが社会課題の解決目標として掲げる「誰一人取り残さない」という考え方をベースとしている。少子高齢化が進み、地域の課題が顕著になる中、同市ではこの考え方こそが丁寧な地域づくり、そして地方創生に必要であると賛同して、内閣府に応募した。

   採択された後、同市は「能登SDGsラボ」を開設した。市民や企業の参加を得て、経済・社会・環境の3つの側面の課題を解決しながら、統合的な取り組みで相乗効果と好循環を生み出す工夫を重ねるというもの。簡単に言えば、経済・社会・環境をミックス(=ごちゃまぜ)しながら手厚い地域づくりをしていく。そのために、金沢大学、国連大学サスティナビリティ高等研究所いしかわ・かなざわ・オペレーティングユニット(OUIK)、石川県立大学、石川県産業創出支援機構(ISICO)、地元の経済界や環境団体(NPOなど)、地域づくり団体などがラボに参画している。

   こうしたごちゃまぜの風通しのよさは行政や地域の経済人、それに地域の人々と触れることで感じることができる。ことし6月に東証一部上場の「アステナHD」が本社機能の一部を同市に移転したものその雰囲気を経営者が察知したことがきっかだった。そして、社会動態も好転している。今年度の上半期(4-9月)は転入が131人、転出が120人と転入がプラスに転じた。多くが若い移住者だ。

   芸術祭実行委員長である珠洲市長の泉谷満寿裕氏は「芸術祭は『さいはて』の珠洲から人の時代を流れを変える運動であり、芸術祭とともに新たな動きを産み出していきたい」ときのうの閉会式で述べていた。能登半島の尖端のこうした動きこそアートだと感じている。(※写真は『私たちの乗りもの(アース・スタンピング・マシーン)』フェルナンド・フォグリ氏=ウルグアイ)

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