#能登半島

★本州最後の一羽のトキ「能里」が残した教訓

★本州最後の一羽のトキ「能里」が残した教訓

   本州最後の一羽のトキは愛称「能里(のり)」と呼ばれていた。能登半島で生息していたが、国の指示で1970年1月に捕獲され、繁殖のために佐渡トキ保護センターに移された。しかし、翌71年3月13日にケージの金網でくちばしを折ったことが原因で死んでしまった。もう半世紀も前のことだが、能登の人たちの中には、「昔ここには能里が飛んで来とった」と今でも懐かしそうに話すシニアの人たちもいる。

   こうした能登のトキへの想いが伝わったのだろう、環境省は去年8月、佐渡市で野生復帰の取り組みが進むトキについて、本州で放鳥を行う候補地として能登半島と島根県出雲市を選定し、能登での放鳥は2026年以降と発表した。これを受けて、石川県は先月15日に発表した2023年度の当初予算案で、放鳥のための生息の環境づくり関連費として1億360万円の「トキ予算」を盛り込んだ。また、国連が定める「国際生物多様性の日」である5月22日を「いしかわトキの日」と決め、県民のモチベーションを盛り上げる。(※写真は石川県歴史博物館で展示されている「能里」のはく製)

   トキ放鳥のムードが盛り上がる中で、懸念も増している。このブログでも何度か取り上げた、能登半島で進む風力発電の増設計画についてだ。長さ30㍍クラスのブレイド(羽根)の風車が能登には現在73基あるが、新たに12事業・171基が計画されている。

   自然保護の観点から懸念されるのはバードストライク問題であり、景観上もふさわしくない。そして、地域住民への影響もある。去年7月で開催された「能登地域トキ放鳥推進シンポジウム」(七尾市田鶴浜)で、地元の環境保護団体の代表と立ち話で意見交換をした。代表が住む地域の周囲には10基の風車が回り、「風が強い日の風車の風切り音はとてもうるさく、滝の下にいるような騒音だよ」「これ以上、増設する必要はない」と強調していた。

   石川県は今月5日、能登でのトキの放鳥に向けた「ロードマップ」案を作成。それによると、能登の9つの自治体などと連携し、トキが生息できる環境整備として700㌶の餌場を確保する方針で、化学肥料や農薬を使わない水田など「モデル地区」を設けて生き物調査を行い、拡充していく。

   能登はトキが営巣するのに必要なアカマツ林が豊富だ。そして、リアス式海岸で知られる能登は平地より谷間が多い。警戒心が強いとされるトキは谷間の棚田で左右を警戒しながらドジョウやタニシなどの採餌行動をとる。豊富な餌を担保する溜め池と水田、営巣に必要なアカマツ林、そしてコロニーを形成する谷という条件が能登にはある。佐渡に次ぎ、能登半島が本州のトキの繁殖地となることを期待したい。

⇒12日(日)午後・金沢の天気    はれ

☆「タラの子付け」に満足の田の神 豊作をもたらすか

☆「タラの子付け」に満足の田の神 豊作をもたらすか

   ユネスコ無形文化遺産に登録されている、能登半島の尖端・奥能登に伝わる農耕儀礼「あえのこと」は、農家が稲作を守る「田の神様」に労をねぎらいと収穫に感謝を捧げる伝統行事として知られる。「あえ」はごちそうでもてなすこと、「こと」はハレの行事を意味する。毎年12月5日の行事は「田の神迎え」と言われ、それぞれの農家が田んぼから田の神を自宅に向えて饗応する。2月9日は「田の神送り」と言われ、農家でくつろいでもらっていた田の神を再度ごちそうでもてなし、その後田んぼにお見送りをする。田の神の行事は家々で伝承されていて、迎え方や送り方、そして、もてなし方はそれぞれに違いがある。

   去年12月5日の「田の神迎え」を能登町の柳田植物公園内にある茅葺の古民家「合鹿庵(ごうろくあん)」で見学し、このブログで書き留めた。そして、きのう2月9日の「田の神送り」を同じ合鹿庵で見学した。

   12月5日のブログでも述べたが、田の神は目が不自由であるという設定になっている。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂で目を突いてしまったなど諸説がある。目が不自由であるがゆえに、農家の人たちはその障がいに配慮して田の神に接する。座敷に案内する際に段差がある場合は介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。演じる家の主(あるじ)たちは、どうすれば田の神に満足いただけるもてなしができるか工夫を凝らして独り芝居を演じる=写真・上=。

   供されたごちそうで、季節の違いもある。12月5日「田の神迎え」では、メイン料理は寒ブリの刺し身だった。そして、2月9日「田の神送り」では、タラの子付けという刺し身が出されていた=写真・下=。タラの漢字は魚へんに雪と書く「鱈」。能登半島の沖で獲れるマダラはこの降雪の時季に身が引き締まって、味がのっている。そのまま刺し身ではなく、タラの子である真子をゆでてほぐし、タラの身にまぶしたもの、この「タラの子付け」はなかなかおつな味がする。さらに、昆布でしめたマダラの身に子付けをするとさらに旨みが増す。

   田の神送りを東京から見学にやってきたという料理研究家の女性は、「このタラの子付けは能登独特の刺し身ですよ。ほかに見たことはありませんね」と話していた。一部金沢の料理屋やスーパーでも見かけるが、能登が発祥かもしれない。迎えに寒ブリの刺し身をたしなみ、送りにはタラの子付けを堪能する奥能登の田の神様。なんともグルメで贅沢な神様ではある。「満足じゃ」と田に戻られたに違いない。ことしも豊作をもらたしてほしいと農家の切なる願いが込められている。

⇒10日(金)夜・金沢の天気     くもり

★歴史と記憶、未来を紡ぐ能登半島「さいはての芸術祭」

★歴史と記憶、未来を紡ぐ能登半島「さいはての芸術祭」

  前回ブログの続き。能登半島の尖端に位置する珠洲市が力を入れて取り組んでいるイベントがある。それは「奥能登国際芸術祭」。ことしは第3回展となり、9月2日から10月22日まで51日間の予定で開催される。日本海に突き出た半島の尖端の芸術祭のキャッチフレーズは「最涯(さいはて)の芸術祭、美術の最先端」である。

   総合プロデューサーの北川フラム氏は「さいはてこそが最先端である」という理念と発想を芸術祭で問いかけている。かつて江戸時代の北前船の全盛期では、能登半島は海の物流によって栄えたが、近代に入り交通体系が水運から陸運中心へとシフトしたことで、「さいはて」の地となった。そこで、北川氏はアーチストたちと岬や断崖絶壁、そして鉄道の跡地や空き家など忘れ去られた場所に赴き、過疎地における芸術の可能性と潜在力を引き出してきた。

   2017年の作品の一つ、『神話の続き』(作者:深沢孝史)。珠洲の海岸に創作された「鳥居」である=写真・上=。かつて能登には寄神(よりがみ)信仰があった。大陸からさまざまな文明がもたらされた時代、海から漂着した仏像や仏具などは神社にご神体として祀られ、漂着神となった。神は水平線の向こうからやってくるという土着の信仰だ。時代は流れ、現代の「寄神」は大陸からもたらされる大量の漂着物(廃棄物)なのである。作者はその漂着物を地元の人たちといっしょに拾い集めて、作品を創った。文明批評を芸術として表現した。

         新型コロナウイルス感染拡大で一年延期となった2021年の第2回展で、北川氏は家仕舞いが始まった市内65軒の家々から1600点もの民具を集めて、モノが主役の博物館と劇場が一体化した劇場型博物館『スズ・シアター・ミュージアム』を造った。8組のアーティストが民具を活用して、「空間芸術」として展示している。

   江戸、明治、大正、昭和など各時代の文物を珠洲じゅうから集めたとあって、中には博物館として目を見張る骨董もある。「海揚がりの珠洲焼」がそれ=写真・下、「奥能登国際芸術祭2020+」公式ホームページより=。珠洲は室町時代にかけて中世日本を代表する焼き物の産地だった。各地へ船で運ぶ際に船が難破。海底に眠っていた壺やかめが漁船の底引き網に引っ掛かり、幻の古陶が時を超えて揚がってくることがある。まるで上質なタイムカプセルに触れるような心癒される作品だ。

   第3回展のことしはどのような作品にお目にかかれるのか。「より深く地域の潜在力を掘り起こし、諸外国にも珠洲の魅力を伝えていきたい」と北川氏は抱負を語っている(2023年度版パンフから引用)。インバウンド観光を意識した何か仕掛けがあるのかもしれない。

⇒2日(木)夜・金沢の天気   くもり

☆「SDGsネイティブ」を育てる能登半島の最先端

☆「SDGsネイティブ」を育てる能登半島の最先端

   能登半島の尖端に位置する珠洲市が内閣府の「SDGs未来都市」に選定されたのは2018年6月だった。SDGsは国連が進める持続可能な開発目標で、社会課題の解決目標として「誰一人取り残さない」という考えを込めている。先日、SDGsの取り組みについて同市の担当者から話を聞く機会を得た。採択から5年目、その成果は。

   SDGs未来都市の認定を受けて、「能登SDGsラボ」を開設した。大学の研究者や、地元の経済界や環境団体(NPOなど)、地域づくり団体が加わっている。取り組みの話を聞いていて、「時代の最先端」と感じたのは、SDGsを取り込んだ学校教育だった。市内の9つの全小学校は「生き物観察会」を実施しており、児童たちは里山里海の生物多様性を実地で学んでいる。そのサポートをSDGsラボに加わっている自然生態学の研究者や環境系NPO、地域住民らが学校の教員とプログラムを組んで行っている。

   その生き物観察会をベースに「SDGs学習」を小学校低学年の段階から行っている。学習に使われているテキストを見せてもらった。SDGsラボが作成した『みんなの未来のためにできること』。SDGsの基本となっている17の持続可能な開発目標がイラストで分かりやすく紹介されている=写真・上=。SDGsラボのメンバーでもあり、金沢市に研究拠点を置く国連大学OUIKの研究員がオランダの漫画家マルフレート・デ・ヘール氏の作品『地球と17のゴール』をネットを見つけ、メールで本人から日本語訳と出版の許可の了解を取り付けた。もちろん、販売目的ではない。

   さらにテキスト『みんなの未来のためにできること』に特徴的なのは、市内9つの小学校がそれぞれに「すず市 SDGs こども せん言」=写真・下=を掲げていることだ。ある小学校のテーマはゴール7「エネルギーをみんなに そしてクリーン」で、児童たちの「せん言」は「電気のムダ使いをしないようにします」「電気を使えることに感謝します」「電気を生み出す自然を大切にします」を掲げ、「テレビを見ない時はときは消す」などと具体的なアクションを記している。

   こうした小学校低学年から始めるSDGs学習は高校生になるまで続く。このため、小学校から高校の教員が定期的に会合を開いて、授業の進め方などについて意見交換を行い、さらに地域と連携するSDGs学習を行っている。

   こうした地域と一体性のあるSDGsプログラムが面白い展開につながった事例がある。高校の同級生だった女子生徒がそれぞれ大学生になり、地元のカボチャ生産農家が規格外品の捨て場などに困っていることを知り、食品ロスと地域課題の解決のためにと、カボチャの種から抽出した油を天然由来の植物オイルと調合してシードオイルの化粧品の開発を手がけている。2人は高校時代に地元の上場企業のインターンシップに参加しアドバイスを受け、去年4月に会社を立ち上げている。

   「SDGsネイティブ」を育てる珠洲市の5年目の取り組みである。地域経済は多様な人材の集合体でもある。地域資源を活用したコミュニティビジネスや地域課題を解決するソーシャルビジネスの芽がこの地で大きく膨らみつつある。

⇒1日(水)夜・金沢の天気    くもり

★アワビの危機にどう取り組むのか 舳倉島の海女たち

★アワビの危機にどう取り組むのか 舳倉島の海女たち

   日本海に突き出た能登半島の尖端・輪島市のさらに49㌔沖合に舳倉島(へぐらじま)という周囲5㌔ほどの小さな島がある。アワビが採れる島で「海女の島」として知られる。自身も記者時代に海女さんたちを取材に島に何度も訪れた。輪島市や舳倉島を拠点に現在でも200人ほどの海女さんがいる。ウエットスーツ、水中眼鏡、足ひれを着用して、素潜り。採れたアワビは「海女採りアワビ」としてブランド化されていて、浜値で1㌔1万円ほどの値がする。

   アワビ漁では、海女さんたちが自主的に厳しいルールをつくっている。アワビの貝の大きさ10㌢以下のものは採らない。アワビとサザエの漁期は7月1日から9月30日までの3ヵ月。海に潜る(磯入り)の時間は、午前9時から午後1時までの4時間と制限している。さらに、休漁日はすべての海女が一斉に休む。こうしたルールを互いに守ることで、持続的なアワビ採りの恩恵にあずかっている。

   舳倉島にはアワビの長い歴史がある。万葉の歌人・大伴家持が越中国司として748年、能登を巡行している。島に渡っていないが、詠んだ歌がある。「沖つ島 い行き渡りて潜くちふ あわび珠もが包み遣やらむ」。沖にある舳倉島に渡って潜り、アワビの真珠を都の妻に送ってやりたい、との意味だ。この和歌から分かることは、1270年余り前からこの島ではアワビ漁が連綿と続いたということだ。  

   世界の野生生物の絶滅のリスクなどを評価しているIUCN(国際自然保護連合、本部=スイス・グラン)の公式サイトによると、世界に54種あるアワビのうち、日本で採取されている3種(クロアワビ、マダカアワビ、メガイアワビ)を含め20種について、「絶滅の危機が高まっている」として新たにレッドリストの絶滅危惧種に指定した。

   公式サイトの事例によると、アワビは日本だけでなく世界でも高級食材であり、南アフリカでは犯罪ネットワークによる密猟で壊滅的な打撃を受けている。さらに、「海洋熱波」によりアワビが食物としている藻類が減り、西オーストラリア州の最北端では大量死。また、農業および産業廃棄物が有害な藻類の繁殖を引き起こしていて、カリフォルニアとメキシコ、イギリス海峡から北西アフリカと地中海にかけてはアワビの病弱化が報告されている。

   このアワビ激減の対応策として、IUCN研究員は「養殖または持続可能な方法で調達されたアワビだけを食べること。そして、漁業割当と密猟対策の実施も重要です」と述べている。

   先に述べた舳倉島でもクロアワビ、マダカ、メガイの3種が採れているて、昭和59年(1984)の39㌧の漁獲量をピークに右肩下がりに減少し、近年では2㌧ほどと20分の1に減少している。このため、島に禁漁区を設け、種苗の放流、アワビを捕食するタコやヒトデなどの外敵生物の駆除作業などを行っている。今回のIUCNによるレッドリスト化によって、海女さんたちは今後さらにどのような取り組みを進めるのか。海の生態系から得られる恵み、「生態系サービス」の視点からも海女さんたちの取り組みが国際的にも注目されるのではないだろうか。

⇒10日(土)夜・金沢の天気    くもり

☆能登で巣立ったコウノトリ、台湾へ2000㌔の大冒険

☆能登で巣立ったコウノトリ、台湾へ2000㌔の大冒険

   ことし6月と7月に2度、能登半島の志賀町で生まれたコウノトリを観察に行った。小高い丘にある牧場の電柱のてっぺんに巣があった。3羽のひなを育てているつがいは足環のナンバーから、兵庫県豊岡市で生まれたオスと、福井県越前市生まれのメスで、ことし4月中旬に電柱に巣をつくり、5月下旬には親鳥がひなに餌を与える様子が確認された。

   初めて見た6月24日は、ひな鳥とはいえ、かなり成長していて親鳥かと一瞬見間違えるほどだった=写真・上=。それから1ヵ月たった7月24日に再度訪れた。時折羽を広げて飛び立とうとしている様子だった。この場所はコウノトリのひなが育った日本での最北の地とされていて、能登の地での定着と繁殖を期待しながら巣を見上げていた。

   その後、巣立った3羽のコウノトリの1羽が台湾で確認されたと、兵庫県立コウノトリの郷公園(豊岡市)の公式サイトで発表された。きのう15日付の「お知らせ」ページによると、確認されたのは足環のナンバーから8月5日に巣立ったオス。10月31日に台湾屏東県車城(海沿いの村)で、今月11月8日に台湾雲林県台西郷蚊港村(養殖池)でそれぞれ確認された。確認日と場所と写真・下は台湾野鳥保育協会によると記載されている。

   地図で確認すると、台湾屏東県は台湾の最南端で、能登半島から飛んで渡ったとすれば、2000㌔にもおよぶ。サイトによると、日本生まれの個体が台湾で確認されたのは初めてのケース。ことし、国内で巣立った幼鳥は8府県の34巣から計80羽だった。それにしても、最北の能登で巣立ち、台湾の最南端までよく飛んだものだ。サイトは「国境を越えて冒険中です」と紹介している。まさに、大冒険だ。

   江戸時代には日本のいたるところでいたとされるコウノトリが明治に鉄砲が解禁となり個体数は減少。太平洋戦争の時には営巣木であるマツが燃料として伐採され生息環境が狭まり、戦後はコメの生産量を上げるために農薬が使われ、その農薬に含まれる水銀の影響によって衰弱して死ぬという受難の歴史が続いた。1956年に国の特別天然記念物の指定を受けるも、1971年5月、豊岡で保護された野生最後の1羽が死んで国内の野生のコウノトリが絶滅した。

   その後、飼育されていたコウノトリの人工繁殖と野生復帰計画は豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷公園が中心となって担い、ロシア(旧ソ連)などから譲り受けて人工繁殖に取り組んだ。豊岡でのコウノトリの野生復帰が知られるようになったのは2005年9月、秋篠宮ご夫妻を招いての放鳥が行われたことだった。

   2000㌔の大冒険の後は、能登に戻って定着と繁殖を期待したい。

⇒16日(水)午後・金沢の天気   あめ

★「群発」「深発」に見舞われる能登半島の揺れ

★「群発」「深発」に見舞われる能登半島の揺れ

   きのう14日午後5時9分に三重県南東沖で深発地震があった。震源の深さは約350㌔、地震の規模はマグニチュード6.1と推定されている。速報などを見て不思議だったのは、震央である東海地方では揺れず、遠く離れた福島県、茨城県で震度4を、そして能登半島で震度2の揺れが観測されたことだった=写真・上、ウェザーニュースWeb版より=。メディア各社はこの現象を「異常震域」と伝えている。

   異常震域という言葉を初めて意識したのは2021年9月29日に能登半島沖を震源とした地震だった=写真・下、同=。午後5時37分ごろ、日本海中部で震源の深さ400㌔、マグニチュード6.1の地震があった。この地震で、北海道、青森、岩手、福島、茨城、埼玉の1道5県の太平洋側で震度3の揺れを観測した=写真・上、同=。このときの地震は大陸のユーラシアプレートに沈み込む太平洋プレートの内部深くで起きたとみられている。震源が深かったため、近くの能登半島よりも遠くの地域が大きく揺れる現象だった。

   朝日新聞Web版(14日付)によると、今回の地震も沈み込む太平洋プレート内で発生した、震源が深い「深発地震」と呼ばれるタイプと考えられる。プレート内を揺れが伝わったため、プレートの沈み込み口に近い関東・東北地方を中心に揺れが観測された。一方、震源の真上にある「マントル」は軟らかく、プレート部分に比べて揺れが伝わりにくいため、三重県などでは人が感じる揺れはなかったとみられる。

   まとめると、日本海中部が震源だった揺れは太平洋プレートの沈み込みの深さが約400㌔、今回の三重沖は350㌔だった。プレート内部は振動が伝わりやすいので、震源地よりむしろ、プレートの入り口の方が揺れる。つまり、関東・東北地方の揺れが顕著となった。

   そしてきのう午後10時28分、能登半島の尖端付近が揺れ、珠洲市で震度4を観測した。震源の深さ約10㌔、マグニチュード4.2だった。半島の尖端は2020年12月ごろから揺れが続く群発地震に見舞われていて、震度1以上の地震はことし164回目となる。同市ではことし6月19日に震度6弱、同20日には震度5強の揺れがあった。一連の群発地震は、地下にある水などの流体の動きが原因で、太平洋プレートとの関係は別と専門家は指摘している(15日付・北陸中日新聞)。

   能登半島の尖端は、地下の流体で揺れる「群発地震」、さらに太平洋プレートでも揺れる「深発地震」が続いている。理不尽にくらっているダブルパンチのようで、痛々しい。

⇒15日(火)午前・金沢の天気   くもり時々はれ

★「小泉訪朝」から20年 「拉致1号事件」から45年

★「小泉訪朝」から20年 「拉致1号事件」から45年

   もう20年になる。2002年9月17日、当時の小泉総理が北朝鮮を訪れた。金正日総書記は小泉総理に対し、日本人拉致の事実を認めて謝罪した。拉致被害者5人の生存も確認され、帰国した。ただ、日本政府が認定している拉致被害者17人のうち、帰国できたのはこの5人だけだった。

   北朝鮮による拉致問題はいまだに解決していない。2021年11月、国連総会で人権問題を扱う第3委員会は北朝鮮に対してすべての拉致被害者の即時帰還を求める決議案を採択した。採択は17年連続となる。拉致被害者は日本だけではない。ヨーロッパではオランダ、フランス、イタリア、ルーマニアなど5ヵ国に及んでいる。アジアでは日本のほか韓国、タイ、マレーシア、シンガポール、マカオの6つの国・地域だ。   

   これまで何度か、日本人拉致「1号事件」の現場を訪れたことがある。能登半島の尖端近く、能登町宇出津(うしつ)の遠島山公園の下の入り江がその現場だ=写真・上=。1977年9月19日に事件は起きた。以下、当時事件を取材した元新聞記者のK氏から聞いた話だ。

   同年9月18日、東京都三鷹市の警備員だった久米裕さん(当時52歳)と在日朝鮮人の男(同37歳)はJR三鷹駅を出発。翌19日、現場と近い旅館「紫雲荘」に到着した。午後9時、2人は黒っぽい服装で宿を出た。怪しんだ旅館の経営者は警察に通報し、石川県警の捜査員らが現場に急行した。旅館から歩いて5分ほどの入り江で男は石をカチカチとたたいた。数人の工作員が船で姿を現し、久米さんを船に乗せて闇に消えた。男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた捜査員に逮捕された。旅館からはラジオや久米さんが持参していた警棒などが見つかった。

   しかし、当時は拉致事件としては扱われず、公にされなかった。その後、拉致は立て続けに起きた。同年10月21日に鳥取県では松本京子さん(同29歳)が自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪(2号事件)。そして、11月15日、新潟県では下校途中だった横田めぐみさん(同13歳)が日本海に面した町から姿を消した(3号事件)=写真・下=。

   政府は拉致事件として認定していないが、1963年5月11日、能登半島の志賀町沖に刺し網漁に出た寺越昭二さん(当時36歳)、寺越外雄さん(同24歳)、寺越武志さん(同13歳)の3人が行方不明となり、後日、船だけが沖合いで発見された。1987年1月22日、外雄さんから姉に北朝鮮から手紙が届いて生存が分かった。2002年10月3日、武志さんは朝鮮労働党員として来日し、能登の生家で宿泊した。武志さんは「自分は拉致されたのではなく、北朝鮮の漁船に助けられた」と拉致疑惑を否定している。このケースは、北朝鮮の工作船と遭遇したため連れ去られた「遭遇拉致」と見られている。 

   1999年3月23日朝、能登半島東方沖の海上から不審な電波発信を自衛隊が傍受し、能登沖と佐渡島沖で2隻の「漁船」が発見された。北朝鮮の不審船による日本領海侵犯事件として、海上自衛隊と海上保安庁の巡視船など追跡したが、不審船は高速で逃げ切った。いまでも海上保安庁は北朝鮮の不審船による領海侵犯に目を光らせている。拉致事件は終わってはいない。

⇒17日(土)午後・金沢の天気    はれ

☆「旅するチョウ」アサギマダラが舞う季節

☆「旅するチョウ」アサギマダラが舞う季節

   「旅するチョウ」と称されるアサギマダラが能登や加賀の空に舞う季節がやってきた。このチョウは春は日本列島の北の方へ、秋には南の方へ。その距離は2000㌔にも及ぶと言われる。金沢大学に在職中はこの時季に学生や留学生といっしょに、能登半島で一番高い山である宝達山(637㍍)によく登った。山頂付近にはエサとなるフジバカマやホッコクアザミが繁っていて、東北方面からやってきたアサギマダラを間近に観察できた。

   地元でアサギマダラの保護活動を取り組んでいる人たちに同行してもらい、アサギマダラを捕獲し、マーキングして放す様子を見せてもらった。面白いのは捕獲の様子だ。右手で白いタオルを振り回すと、そのタオルをめがけてふわふわとまるでダンスを踊っているようにアサギマダラが飛んで来る。近寄って来たところを、左手に持ったネットで捕まえる。

   なぜアサギマダラは回るタオルに寄って来るのか。解説も面白かった。寄って来るタオルの色は白色と水色。白色と水色でも、回転しないタオルには寄って来ない。ゆっくり回すより、はやく回すと寄って来る。アサギマダラには回転する白や水色のタオルはどのように見えているのだろうか。吸蜜植物のホッコクアザミやフジバカマ、ヒヨドリバナなどお花畑が広がる光景のように見えるのかもしれない。

   ところで、「アサギマダラ」という名前はなぜついたのだろうか。ネットで調べると、「前ばねは黒、後ろばねは茶色の地色ではねの中央に透き通るような部分があります。この白い部分が新鮮な個体では青みがかっており、日本古来の色『あさぎ色』に見えることからアサギマダラの名前がついています」(「愛媛県総合科学博物館」公式サイト)との解説がある。

   アサギマダラの命は羽化後4、5ヵ月とされる。その間に2000㌔の旅をする。いま能登で蜜を吸って、これから小笠原諸島や与那国島、さらに台湾まで移動する。この時節は台風の季節でもある。向かい風をどう乗り切って南に向かうのか。そして、なぜ過酷な旅をするのか。人の人生というものを連想させる、不思議なチョウではある。

(※写真は、世界農業遺産「能登の里山里海」情報ポータル公式サイトより) 

⇒16日(金)夜・金沢の天気     はれ

★「絵になる」イカキング その宣伝効果と経済効果

★「絵になる」イカキング その宣伝効果と経済効果

   この巨大なイカの像はすっかり観光名所になった。愛称は「イカキング」。イカ類の水揚げ量では全国で有数の漁港がある石川県能登町小木の観光交流センター「イカの駅つくモール」の広場に去年4月、突如として現れて話題になった。スルメイカの巨大モニュメントは全長13㍍、全幅9㍍、高さ4㍍、重さは5㌧のサイズだ。素材は航空機などに使う繊維強化プラスチックのFRP製。子どもたちが中に入って遊んだり、大人たちが写真を撮ったりと、けっこう人気がある。

   一方で物議も醸した。制作費2700万円のうち、2500万円が新型コロナウイルスの感染症対応として国が自治体に配分した地方創生臨時交付金だった。町役場には「コロナ対策に使うべき交付金ではないか。なぜモニュメントをつくるのか」と疑問の声が寄せられた。町役場では、臨時交付金には「地域の魅力磨き上げ事業」という項目があり、それに該当すると説明を重ねてきた。

   果たして「地域の魅力磨き上げ」効果はあったのか。町役場はきょう30日、ホームページに「能登町イカキング効果算出プロジェクト報告資料」と題するページにアップした。それによると、経済効果を5億9400万円、国内のテレビ報道における宣伝効果(パブリシティ効果)を約18億円と算出している。町役場では公募に応じた経営コンサルティング会社(東京)の男性社員の協力を得て作業を進めてきた。

   ことし6月から8月にかけて来場者にアンケートを実施。来場理由を尋ねると、総数1125人のうち45%に当たる506人が「イカキングを見たかったから」と答えた。この数字をベースに、レジ利用者数から入場者数(去年4月からことし7月まで)を16万4556人と推計。うち45%の支出額などを算定すると、上記の5億9400万円という数字になる。

   宣伝効果は国内のBSやケーブルテレビを含むテレビ番組でイカキングが取り上げられたのは36回、時間にして158分となる。これをテレビコマーシャルとして換算し、約18億円と見積もった。

   また、アンケートで来場のきっかけを尋ねたところ、「テレビ」が31%と最も多く、「家族・友人・知人からの口コミ」22%、「ネット検索」16%、「新聞・チラシ」8%、「SNS」7%の順だった。町役場では「SNSをきっかけとした来場が少なかった。SNSに投稿したくなるさらなる仕掛けが必要」と分析している。

   確かに、イカキングは「コロナ後」を見据えて、さらにPRする必要がある。その期待に応えてくれるのはインバウンド観光客かもしれない。欧米ではタコやイカはデビルフィッシュ(Devilfish)、「悪魔の魚」にたとえられ、巨大化したタコやイカと闘うアメリカ映画もある。その意味で、これから日本を訪れるであろうインバウンド観光客や留学生にとって、SNSに投稿したくなる、「絵になる」のがイカキングではないか。

⇒30日(火)夜・金沢の天気     くもり