#能登半島地震

☆就任早々に能登の被災地視察 石破総理の足で稼ぐ政権の存在感

☆就任早々に能登の被災地視察 石破総理の足で稼ぐ政権の存在感

★「防災庁」設立を石破総理が所信表明 あす能登視察で切なる叫びを聴いてほしい

★「防災庁」設立を石破総理が所信表明 あす能登視察で切なる叫びを聴いてほしい

  きょうも石川県内は全域で雨模様だ。能登では先月の記録的な大雨や元日の能登半島地震の影響で地盤が緩んでいるところがあり、半島尖端の珠洲市ではいち早く昨夜、雨が強まり土砂災害のおそれがあるとして、市内の大谷、若山、清水、仁江の4地区の534世帯996人に避難指示を出し、早めの避難を呼びかけている。

  余談かもしれないが、珠洲市は先手を打ち、行動が実に速い。元日の震災後に仮設住宅の建設を進める石川県に対し、世界的な建築家で知られる坂茂(ばん・しげる)氏に珠洲市での仮設住宅の建築設計を依頼してほしいと要望したのは同市の泉谷満寿裕市長だった。その要望が実り6棟90戸が完成した。県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。同市の観光名所である見附島の近くあり、外装の色合いも周囲の松の木と妙にマッチしていて、まるで別荘地のような雰囲気だ。

  そして、去年5月5日に最大震度6強の揺れに珠洲市は見舞われた。この地震で死者1人、負傷者数48人、住宅の全半壊131棟の被害が出たが、その年の秋に開催した「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)を無事やり遂げた。当時、市議会では、震災復興を優先して開催経費(3億円)をこれに充てるべきとの意見や、行政のマンパワーを復旧・復興に集中すべきとの意見が相次いだ。泉谷市長は「地域が悲嘆にくれる中、目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁し、予定より3週間遅れで開催にこぎつけ、14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内を彩り、大勢の鑑賞者が訪れた。

  ちなみに、自身が初めて泉谷市長と関わりを持たせていただいたのは2006年6月の市長選で初当選されてまもなくのころだった。当時、金沢大学の地域連携担当スタッフだった自身は、生物多様性をテーマとした環境保全プロジェクト「里山里海自然学校」(三井物産環境基金)を泉谷市長に提案させていただいたのがきっかけだった。市内の小学校の空き校舎を無償で貸与していただいた。その後、金沢大学から5名の教員スタッフが常駐し、環境境保全型の農林水産業を実践的に学ぶ人材育成プログラムを実施、現在も「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」として継続している。これまで述べた国際芸術祭や世界的な建築家、大学との関わりなどから、能登の尖端にありながら、時代の先端を走る珠洲というイメージを持つ県民は多い。ましてや震度6強の地震に2度も見舞われながら。

  石破総理はきょう衆院本会議で所信表明演説を行い、この中で「防災庁」の設立に向けて、専任閣僚を置くよう準備を進めると述べた。また、発災後速やかにトイレ、キッチンカー、ベッド、風呂を配備する官民連携体制を構築する。防災庁の具体化に向けて、ぜひ本庁をとは言わないが、拠点を能登に置いて珠洲市などの取り組みと連携してほしいと願っている。石破総理はあす5日に能登を視察する予定だ。ぜひ、被災者の切なる叫びを聴いてほしい。(※写真は、きょう4日の衆院本会議での石破総理の所信表明演説の様子=総理官邸公式サイトより)

⇒4日(金)午後・金沢の天気   あめ時々くもり

☆能登の観光名所ダブル被害 地震と豪雨で映画『忘却の花びら』ロケ地が大打撃

☆能登の観光名所ダブル被害 地震と豪雨で映画『忘却の花びら』ロケ地が大打撃

  先日(先月29日)能登半島の北側に位置する奥能登の輪島市町野町をめぐった。9月21、22日の豪雨の現場だ。行く途中で能登町を流れる町野川の橋脚で、自衛隊や消防隊員が瓦礫を取り除きながら捜索活動を行っていた=写真・上=。その様子を見守っていた土地の人に尋ねると、この周辺で31歳の女性が行方不明になっているので捜索を行っているのだという。輪島市の女性で、21日朝に職場に向かった後、消息が途絶えていて、本人の車が近くの道路で見つかっている。豪雨による死者は13人で、この女性含め3人が安否不明となっている。

  その後、町野地区に入った。この日は晴天で、少し風が吹いていたせいかぼんやりとかすんでいた。乾燥した泥が薄黄の粉塵になって舞い上がっているのだ。マスクをして車の外に出た。同地区の中心部にある「五里分(ごりわけ)橋」には大量の流木が橋脚に絡んでいた。豪雨当時はこの橋がダム化して流れを堰き止め、周囲の濁流があふれたのだろう。橋の近くのスーパーの店は閉まっていて、中には入れなかったが倒れた陳列棚や冷蔵庫など従業員が片付けていた。床には泥が覆っていた。ただ、店は休まず営業しているようで、隣接する倉庫のようなところでは水や食品などを扱っていた。

  また、近くで新築の家が建設中だったが、濁流にさらされたのだろう、高さ1㍍くらいまで水に浸かった跡が見えた。そして、水害から1週間経っていたものの、震災で倒壊した家々の中には泥水が生々しく残っていた。

  輪島市町野町の曽々木海岸に入った。ここには夕日がすっぽり入り幻想的な光景を描き出す「窓岩」で知られる観光名所でもある。ところが、窓岩は元日の地震で崩れ落ちた=写真・中=。さらに、豪雨で山からの土砂で埋め尽くされた状態になっていた。民宿や旅館が押し流されたり、山から落ちてきた岩に押しつぶされたりしている=写真・下=。

  この曽々木海岸は能登の観光ブームの発祥の地だった。昭和32年(1957)、曽々木海岸をロケ地とした東宝映画『忘却の花びら』(主演:小泉博・司葉子)が公開され、「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして、忘却を誓う心の哀しさよ」の名文句が大ブームを呼んだ。横長のリュックを背負った若者が列をなしてぞろぞろと歩く姿を「カニ族」と称する言葉もこのころ流行した。さらに、昭和39年(1964)9月に国鉄能登線が半島先端まで全線開通、同43年(1968)に能登半島国定公園が指定された。

  能登の観光の一時代を背負ってきた曽々木地区の人たちにとっては、地震と豪雨が打撃となった。この二重災害を忘れてほしくない。忘却されてなるものか、地域の人たちの想いに違いない。

⇒1日(火)夜・金沢の天気    はれ

★12月に「強雪」また来るのか 能登に続く大雪、地震、大雨の猛威

★12月に「強雪」また来るのか 能登に続く大雪、地震、大雨の猛威

  この冬も大雪なのか。日本気象協会の「3か月予報」(今月24日発表)によると、「12月は平年に比べ曇りや雨または雪の日が多いでしょう」とある。さらに、同協会の気象予報士は「12月になると、冬型の気圧配置が強まる時期がありそうです。特に初冬期は海面水温が相対的に高く、上空に強い寒気が南下すると雪雲が急速に発達するでしょう。シーズン最初から局地的な短時間強雪に注意して下さい」と呼びかけている。

  解説によると、日本近海の2023年までのおよそ100年間にわたる秋(10-12月)の海域平均海面水温(年平均)の上昇率は、+1.45℃/100年となる。これを海域別に見ると、日本海中部が+2.21度、日本海南西部は+1.77度となっている。つまり、日本海中部や日本海南西部の海面水温の上昇率は、世界全体や北太平洋全体で平均した海面水温の上昇率のおよそ2〜3倍と大きくなっている。大陸で冬型の気圧配置が強まり、強い寒気が日本海に南下すると、雪雲が急激に発達し、局地的な短時間強雪になりやすい。12月の大雪は過去3年間続いている。2023年12月22日には北陸に「顕著な大雪に関する気象情報」が発表され、輪島では24時間の降雪量が53㌢と12月の観測史上1位を更新する短時間強雪となった。

  去年のブログでもこの大雪のことを記している。「雪による被害が出ているのは能登地方だ。半島尖端部にある輪島市や珠洲市ではきょう午前で50㌢余りの積雪となっている。大雪で倒れた木や電柱が道を塞ぎ、車で行き来できなくなっており、180世帯が孤立化した。また、停電が2200戸余り、凍結による断水なども起きている。地元紙のきょうの朝夕刊によると=写真=、道路での倒木の撤去に時間がかかるため復旧の見通しは立っていないところもあり、輪島市などではまだ170世帯余りの孤立状態が続いている。同市は要望に応じ、食糧や毛布といった救援物資を届けている。停電などは一部復旧したものの、2100戸で停電が続いている」(2023年12月23日付、写真も)

  輪島市と珠洲市など能登は大雪に見舞われ、その後10日目の元日に最大震度7の能登半島地震があった。大雪、地震、大雨と自然猛威が続いて来た。大雪はこの冬も繰り返すのか。

⇒27日(金)朝・金沢の天気    くもり時々はれ

★「能登の再難」水害拡大させた地震、豪雨、そして流木による無慈悲な連鎖

★「能登の再難」水害拡大させた地震、豪雨、そして流木による無慈悲な連鎖

  先日(今月22日)、記録的な大雨の現場となった輪島市を巡った。同市門前町浦上地区での被災現場で地元の人たちが語っていた言葉が印象的だった。元日の地震で自宅が半壊し仮設住宅で生活しているシニアの男性は、今回の大雨で大量の流木が押し寄せて集落地区そものものが半壊状態=写真・上=となったことに、「神も仏もない」と涙ぐんでいた。たまたま、話を横で聞いていて自身も胸が痛くなった。災難が2度やってきて、なすすべなく悲嘆にくれる心境を感じた。

  けさの地元メディアの報道によると、能登半島の北部、奥能登を中心とした大雨でこれまで死者は9人、行方や安否が分からない人が6人いる。また、土砂崩れで道路などが寸断されて孤立している集落が46ヵ所・367人に上る。また、停電は2860戸。この停電の影響による水道施設の停止や水道管の破裂などで5216戸で断水となっている。

  21日の大雨は予想外だった。気象台の予測では、能登地方は24時間で150㍉の雨だったが、実際に降った雨は輪島市で午前8時から午前11時の3時間で220㍉、まさに「ゲリラ豪雨」だった。気象庁は21日午前10時50分に輪島市と珠洲市、能登町に大雨の特別警報を出したが、河川が一気に氾濫するなど手遅れの状態だった。22日午後10時までの48時間雨量は輪島市で498㍉、珠洲市で393㍉と平年の9月1ヵ月分の雨量の2倍余りに達した。

  冒頭の話に戻る。22日午後に輪島市を巡って見えたことは、山間地での流木の怖さだった。元日の震災で地盤が緩み、その後の大雨で山の中腹では土砂崩れが起きたのだろう、流木が人里にもなだれ込んでいた=写真・中=。流木の流れ落ちる角度が少し違っていれば、民家を直撃したに違いない。

  これらの流木は河川の下流で橋脚などに当たり、積みあがって今度は「ダム化」=写真・下=して、橋の周囲の街並みに広範囲に水害をもたらした。まさに、地震と豪雨が連鎖し、その媒体としての流木が水害を拡大させた。「神も仏もない」、まさに天地からの無慈悲な連鎖の構図が現地で見えてきた。

⇒25日(水)夜・金沢の天気    はれ

☆「能登の再難」元日地震と記録的な大雨合わせ避難者1356人に

☆「能登の再難」元日地震と記録的な大雨合わせ避難者1356人に

  大雨に見舞われた輪島市の被災地を見て回り、痛ましく感じたことがいくつかある。その一つが、元日の地震で自宅が全半壊したため仮設住宅に入り、さらに今回の大雨で床上浸水の災害を被り、再び避難所生活に戻る被災者の人たちの心情だ。輪島市門前町浦上地区の仮設住宅を訪れた。仮設住宅の住人に話を聞いた。山でがけ崩れが起き倒木が大量に発生した。近くの浦上川が決壊し、流木が次々と流れ着き、集落近くの橋梁にぶつかってたまり、まるで「土砂ダム」と化した。

  仮設住宅は河川の近くにあり、床上浸水の状態となった=写真・上=。ただ、橋の下流にあるので、流木が流れてきて仮設住宅を直撃するということは免れた。話をしてくれたシニアの男性は「仮設住宅は助かった方だ。この橋の上流はひどいことになっている」と。その話を聞いて少し上流に上がると、流木が押し寄せていた。流木が民家にぶつかり、壁などがゆがんでいた。軽トラック2台も流されてきたのだろうか。電柱が倒れ、一帯では広範囲に流木や泥があふれていた=写真・下=。

  男性は震災で仮設住宅に入った。今回の水害では周囲は泥であふれた。避難所から通って仮設住宅の泥を除去することが「当面の仕事だ」と話した。泥のにおいが一帯に立ちこめていた。

  最大震度7の地震、そして記録的な大雨。能登半島は「災難」、そして「再難」に見舞われた。石川県まとめによると、大雨による死者は23日現在で輪島市6人、珠洲市1人の計7人。避難者は計1088人(輪島市730、珠洲市243、能登町102、ほか13=22日午後4時時点)に上っている。能登半島地震での避難生活(地元での1次避難)も続いていて、計268人(輪島市72人、珠洲市145人、志賀町51人=9月17日時点)が避難所に身を寄せている。地震と水害を合わせ1356人となる。

⇒23日(月・振休)午後・金沢の天気    はれ時々くもり

☆能登に「大雨特別警報」リスク 輪島市で1万8千人に避難指示

☆能登に「大雨特別警報」リスク 輪島市で1万8千人に避難指示

  停滞している秋雨前線の影響できょうから能登半島を中心に強烈な雨が降っている。気象庁はさきほど、21日午前11時前に能登に線状降水帯が発生し、非常に激しい雨が同じ場所に降り続いているとして「大雨特別警報」を発表した。気象庁によると、輪島市中部付近では、レーダーによる解析で午前9時10分までの1時間におよそ120㍉の猛烈な雨が降った。また、ウエザーニューズの雨雲レーダー(午前9時00分時点)を見ると、日本海に伸びる秋雨前線の周辺では雨雲が発達し、その一部が能登半島にかかって線状降水帯となっている。輪島市のアメダスでは9時00分までの1時間に98.5mmの観測史上1位となる猛烈な雨を観測した。

  輪島市や珠洲市では河川が氾濫。元日の能登半島地震で山間地などで地盤が緩んでいることから、輪島市は大雨で土砂災害が発生する危険性が非常に高まっているとして、市内の12地区の8867世帯、1万8180人に避難指示を出した。「避難指示」は5段階の警戒レベルのうち警戒レベル4の情報で、危険な場所から全員避難するよう呼びかけている。この雨はきょう正午からあす正午までの24時間で能登に100㍉が予想されている。

  写真は7月6日に撮影した輪島市の山間地の様子。民家の裏山では地震で山が崩れがけ地と化しており、大雨でさらに土砂災害の危険性もはらむ。能登ではこのような裏山が崩れているところがいたるところにある。また、川べりの民家の場合、下流で山の土砂崩れが起きると「土砂ダム」が出来て住宅が水没することにもなる。そして、大雨で心配されるのはため池の決壊だ。能登半島は中山間地での水田が多く、その上方にため池が造成されている。半島全体で2000ものため池があると言われている。地震でため池の土手に亀裂などが入っていると、急に雨量が増すことでため池が決壊する可能性がある。こうなると、下流にある集落に水害が起きる。

  ため池は共同所有と個人所有があり、それぞれに管理が行われている。ところが、個人所有の場合だと世代替わりでため池の存在すら忘れ去られていることが多い。ため池を放置すれば土砂崩れや水害のリスク、「ため池ハザード」が広がる。もちろん、この問題は能登だけではない。大雨になると、日本中の山のふもとにある集落ではこのようなリスクを背負う。

⇒21日(土)午後・金沢の天気   あめ時々くもり

☆崩れたトンネル内にトンネル 逆転の発想で車の走行と復旧工事が同時可能に

☆崩れたトンネル内にトンネル 逆転の発想で車の走行と復旧工事が同時可能に

  元日の能登半島地震では13万6000棟におよぶ住宅の全半壊や部分破損、山の土砂崩れ、海岸の隆起や沈没などのほかに、道路の崩れがいまも随所にある。半島を縦断する自動車専用道路「のと里山海道」が今月10日に全線での対面通行が可能になったものの、国道249号など幹線道路ではトンネル内部の崩落などで通行止めとなっているところもある。その現場をめぐっていると、修復現場で「逆転の発想」を感じることがある。

  その一つが輪島市の白米千枚田に近い国道249号での現場。国交省能登復興事務所は土砂崩れで寸断された国道の海側が隆起していることに着目し、海側の地盤を活用して道路を新設した。新しい道路の延長は800㍍で、うち海側430㍍で幅6㍍の2車線。山と海の両サイドに高さ3㍍の土嚢を積んで山からの崩落と高波の影響を防いでいる。この道路は5月のGWに供用が開始された。

  同じ国交省能登復興事務所が手掛けている輪島市の国道249号「中屋トンネル」の復旧工事も逆転の発想なのかもしれない。なにしろ、トンネルの中にトンネルを造って、工事を進めると同時に車が通れるようにするという。同事務所公式サイトに掲載されている「記者発表資料」(9月10日付)によると、トンネルの長さは1.3㌔だが、コンクリートの内壁などが崩れたため、940㍍にわたって補修工事が続いている。このうち、6ヵ所に「鋼製プロテクター」(防護壁、高さ3.8㍍、幅4㍍)を設置することで、トンネル本体が工事中でも車が通れる空間を確保するという。今月25日正午から緊急車両や地元住民の車に限って通れるようになる。(※写真は、国交省能登復興事務所の今月10日付・ニュースリリースで掲載されている中屋トンネル内のプロテクター)

  当面は1車線の交互通行となるが、復旧工事を進めて年内には2車線通行を目指すという。トンネルの内部に四角い小さなトンネルを設け、トンネル本体の補修を進めながら、車の通行を可能にするという珍しいこの工事は、きのう(18日)現地で地元住民のための見学会を開催して説明した。逆転の発想もさることながら、被災地の人々への丁寧な対応にも納得がいく。

⇒19日(木)夜・金沢の天気    あめ時々くもり

☆震災のむごさと教訓を語り継ぐ のと鉄道「語り部列車」が出発

☆震災のむごさと教訓を語り継ぐ のと鉄道「語り部列車」が出発

  能登半島を縦断する鉄道はJR七尾線と「のと鉄道」。のと鉄道は石川県の第3センターで、JR七尾線と連結した中能登の七尾駅から奥能登の穴水駅までの33㌔を往復する。七尾湾のコバルトブルーの海の絶景が楽しめ、4月になると100本余りのソメイヨシノやシダレ桜が構内を彩る観光名所として知られる駅もある。

  のと鉄道は元日の能登半島地震で線路がガタガタに歪むなど大きな被害に見舞われた。穴水駅に隣接した本社も破損したため、同駅内に停車中だった車両2両を仮の本社事務所として使い急場をしのいだ時期もあった。全線での運転再開にこぎつけたのは4月6日だった。こうした地震の当時の状況や震災の経験を乗務員が乗客に話す「語り部列車」(団体予約)の運行がきのう(16日)始まった。

  のと鉄道公式サイトには、語り部となる3人の女性乗務員が紹介されている=写真=。写真・中の宮下さんは地震が発生したとき、駅で停車中の車内にいた。津波から逃れるため、乗客を高台へと誘導した。あの日の恐怖は月日が経っても薄れることはなく、深く胸に刻み込まれているという。写真・左の牛上さんは自宅で被災した。家屋の倒壊は免れたが、目の前では土砂崩れが起き、尊い命が失われた。気持ちが沈んだ時期もあったが、この現実を伝えることが私の使命だと前向きに考えるようになった。写真・右の坂本さんは、自身の体験談はもちろん、能登各地での被災状況も丁寧に伝えていきたいと思っている。震災以降、悲しい思いと同時に人の温かさや能登の自然のおかげで元気を取り戻すことができた。語りを通して、能登の魅力をあらためて感じてもらえたらと願っている。

  のと鉄道は「語り部列車」を運行する意義ついて「地震の風化防止や災害の教訓を伝えるため」と強調し、「列車内では、震災を経験した弊社社員が『語り部』となり、能登に何が起き、人々がいま何を思い、考え、生きているのか、穏やかな車窓からの風景とともに“能登の今”をお伝えします。防災の大切さや被災地の現状をご自身のこととして感じていただき、ご乗車された皆様のこれからの暮らしに役立てていただければ幸いです」と述べている(のと鉄道公式サイト)。

  語り継ぐことは災害の風化を防ぐ原点でもある。のと鉄道の乗務員スタッフがその先陣を切ったことは評価に値する。能登の行政や町内会、学校、会社、社会福祉法人などでも災害への対応や教訓を伝える語り部を養成してほしいと願う。

⇒17日(火)夜・金沢の天気 はれ  

☆疲労する被災生活の関連死を防ぐ 現場対応の看護師を養成へ

☆疲労する被災生活の関連死を防ぐ 現場対応の看護師を養成へ

  能登半島地震による災害関連死がさらに増えて147人(石川県関係分)となった。石川県と被災自治体による7回目の合同審査会(今月4日、医師・弁護士5人で構成)で答申があった16人について、七尾市と能登町、穴水町が正式に認定したと発表した(13日)。内訳は七尾市が7人、能登町が8人、穴水町が1人。家屋の下敷きになるなどして亡くなった直接死227人と合せて、県内の震災による死者は374人となる。

  3市町はどう遺族の承諾を得て関連死の状況を一部公表している。それによると、七尾市で亡くなった50代の男性は自宅で被災。震災によるとストレスに加え、道路事情が悪い被災地での勤務などにより、心身に負担が生じて急性心筋梗塞のため死亡した。能登町の80代の女性は自宅で被災後に近くの避難所へ。その後、親戚宅へ移ったが悪路の長時間移動や避難生活、慣れない場所での生活環境の変化で心身に負担が生じた。持病の影響もあり、十二指腸憩室穿孔で死亡した。穴水町の90代の女性は自宅で被災後、車中泊を経て自宅での生活を継続していたが、地震の影響でデイサービスが中断し、次第に全身状態が悪化して肺炎で死亡した。詳細は公表されていないが、今回は自殺者1人が初めて関連死として認定された。

  被災自治体がこれまで公表した関連死を調べてみるといくつかの傾向がが分かる。一つは、80代以上の高齢者が多いことだ。今回認定された16人の中で遺族が年齢を公表した13人のうち、50代が1人、60代が1人、70代が1人、80代が5人、90代が5人と圧倒的に多い。そして、関連死の背景となる要因として、避難所などにおける生活の肉体的・精神的疲労が多く、避難所などへの移動中の心身の負担も多い。また、地震のショック、余震への恐怖による心身の負担も大きい。要介護認定を受けていたり、持病などの既往症が関連死につながったケースもある。

  こうした関連死を防ぐには、避難所などでの現場で医療全般を知る看護師の目線が必要だろう。8月30日付のブログでも述べたが、石川県は9月補正予算案に、県立看護大学が災害への対応力を備えた看護師の育成をする専門講座を開設する経費を盛り込んだ。避難所における衛生的なトイレ利用や、避難者がストレスなく就寝できるスペースの確保など、高齢者が安心して暮らせる避難所運営、そして感染症予防や健康管理を看護のプロの目線で見極めていく、そうした関連死を防ぐための看護師の養成を目指してほしい。しかも、はやく。(※写真は、石川県立看護大学のモニュメント「風・心・光」=同大公式サイトより)

⇒15日(日)夜・金沢の天気    あめ