#能登半島

★能登で地震、金沢でカミナリは止まず 「弁当忘れてもPCの雷対策忘れるな」

★能登で地震、金沢でカミナリは止まず 「弁当忘れてもPCの雷対策忘れるな」

  能登で地震が続いている。きのう(29日)午前9時前に震度3の揺れがあった。震源地は半島の北で深さ10㌔、マグニチュード3.6と推定されている。2ヵ月前の11月26日は半島の西方沖を震源とする震度5弱の地震があり、このときは深さ7㌔、マグニチュード6.6だった。このほかにも震度1や2の揺れが日に数度起きることもある。不気味に感じるのは、きのう、そして11月26日の地震、去年(2024年)元日の震度7、マグニチュード7.6の地震は震源地が異なることだ。一部の地震学者は「能登半島地震の余震活動が、震源近くの断層を刺激して地震を発生させている可能性もある」と指摘している。

  素人の当て推量なのだが、元日の震源は半島北端の珠洲市だったが、このところの震源は半島を南下している。断層が断層を刺激して南下しているのか。このまま南下すると限りなく金沢に近づいてくる。金沢には「森本・富樫断層」がある=図=。国の地震調査研究推進本部の「主要活断層」によると、切迫度が最も高い「Sランク」の一つだ。断層は全長26㌔におよび、今後30年以内の地震発生確率が2%から8%とされる。金沢市の公式サイトに掲載されている「平成24年度(2012)被害想定調査結果」によると、この森本・富樫断層で金沢市内中心部に直下地震が起きた場合、マグニチュード 7.2、最大震度7と想定されている。あくまでも憶測だが、南下する揺れに連動するのか。金沢に住む一人としては不気味だ。

  話は地震から雷に移る。このところ雷が鳴り止まない。きのうも未明にかけて落雷が相次いだ。能登半島の中ほどにある志賀町役場の富来支所では落雷のため館内の受電施設や電源ケーブルが破損したため、職員のパソコンや銀行のATMが使用できなくなるという状況が発生。支所では窓口業務などが出来なくなり業務停止とした(30日付・地元メディア各社の報道)。このニュースで「雷サージ」のことが頭をよぎった。雷が直接落ちなくても、近くで落ちた場合に瞬間的に電線を伝って高電圧の津波現象が起きることを指す。電源ケーブルを伝ってパソコンの機器内に侵入した場合、部品やデータを破壊することになる。役場のPCのデータは大丈夫だったのか。(※写真・下は、北陸電力公式サイト「雷情報」より)

  週間予報をチェックすると、石川県には2月4日から6日まで雷マークが出ている。何しろ金沢は「カミナリ銀座」だ。きょうも金沢で雷注意報が出ている。全国の都市で年間の雷日数が30年(1991-2020)平均でもっとも多く、45.1日ある(気象庁公式サイト「雷日数」)。雷マークがあるなしに関わらず、自身は外出するときにはPCの電源をコンセントから抜いて出かける。晴れていても急に雨雲になるのが金沢の天気だ。なので、昔から「弁当忘れても傘忘れるな」という金沢独特の言い伝えがある。現代風に言うと「弁当忘れてもPCの雷対策忘れるな」。

⇒30日(木)午後・金沢の天気    くもり時々ゆき

☆能登半島の沖に連なる「178㌔の海域活断層」 原発にどう向き合うのか

☆能登半島の沖に連なる「178㌔の海域活断層」 原発にどう向き合うのか

  能登地方では2018年から小規模な地震活動が確認され、2020年12月以降で活発化し、ことし元日にマグニチュード7.6、最大震度7の地震となった。震度7の観測地点は輪島市門前町走出と志賀町香能の2ヵ所。半島の中で隣接するこの輪島市門前町と志賀町はこれまでも大きな地震に見舞われている。自身の記憶にあるのは2007年3月25日に門前沖を震源とするマグニチュード6.9、震度6強の揺れ。過去には、1892年12月9日に志賀町沖を震源とするマグニチュード6.4の地震が起きている(政府の地震調査委員会資料より)。志賀町には北陸電力の志賀原発の1号機・2号機=写真=があり、現在は2機とも停止中なのだが、現地の人たちにとっては揺れが起きるたびに気が気ではないだろう。

  けさ(20日)の地元紙によると、北陸電力は元日の地震を受け、志賀原発2号機の再稼働に向けた原子力規制委員会の審査(今月6日)で、能登半島北部に連なる海域の活断層をこれまでの96㌔から178㌔に修正して見直していることが分かった。活断層が連動する長さをこれまでの1.8倍とすることで、原発で想定する揺れや津波の大きさに影響することになる。

  この記事を読んで、電力側の対応が遅いのではないかというのが県民の一人としての自身の感想だ。今回の地震では、すでに政府の地震調査委員会は半島の北東から南西にのびる150㌔の活断層がずれ動いたことを指摘している。元日から4日間の揺れは、1日が358回、2日が387回、3日が135回、4日が65回の計945回におよんだ(気象庁の報道発表、図はウエザーニュース公式ホームページより)。半島の尖端部分で起きた主破壊は西と東に分かれ、それぞれ向きや傾斜の異なる断層を次々と破壊しながら大きく成長していった様子が明らかになっている。また、研究論文「2024 年 Mw 7.5 能登半島地震における複雑な断層ネットワークと前駆的群発地震によって制御される複合的な破壊成長過程」(研究者代表:奥脇亮・筑波大学生命環境系助教、深畑幸俊・京都大学防災研究所附属地震災害研究センター教授)は、「長く静かに始まり、向きや傾斜の異なる断層を次々と破壊した」と表現している。

  これまでの2号機の再稼働に向けた審査の中で、電力側は原発敷地内を通る10本の断層は「活断層でない」と主張し、これを受けて原子力規制委員会は2023年3月3日の会合でその主張を妥当と判断し、2号機再稼働への道を開いた。ところが、今回の地震で原発周辺の海域で活断層が連動することがはっきりした。実際、元日の地震では原発敷地の地下で震度5強を観測。変圧器が故障し、外部電源の一部が使えない状況が続いている。また、この日に4㍍の津波が周辺を押し寄せた。

  敷地内の断層が「活断層でない」から原発が安心安全なのではなく、半島の沖にある178㌔もの連動した活断層にどう対応するのか、揺れや津波想定をどう算出していくのか、この壮大な難問に向き合うことになるのだろう。正直、志賀原発が止まっていてよかったというのが県民の思いではないだろうか。

⇒20日(水)夜・金沢の天気     くもり

★屋内でも熱中症になる 「暑熱順化」を社会教育のテーマに

★屋内でも熱中症になる 「暑熱順化」を社会教育のテーマに

  能登には伝統的な特徴ある住家がある。黒瓦と白壁、そして「九六の意地」と呼ばれる間口9間(約16㍍)奥行き6間(約11㍍)の大きな家だ。「意地」というのも、家を建てるなら大きな家を建ててこそ甲斐性(かいしょう)がある、とされるからだ。10年ほど前だが、実際に九六の家を訪ねると、畳にして32畳の広い座敷があった。能登では結婚式や葬儀を自宅で行う。家の主に「エアコンを使わないのですか」と尋ねると、「夏は風が通るし、冬は石油ストーブがあればそれで十分」とのことだった。このとき、能登の大きな家ではエアコンは必要ないのだろうと思った。

  きょう(7日付)地元紙・北陸中日新聞が、「奥能登 相次ぐ熱中症搬送」の見出しで記事を掲載している。以下引用する。能登半島地震で大きな被害があった奥能登2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)で、7月に熱中症の疑いで24人が救急搬送された。24人のうち、住宅内で症状を訴えたのは9人。1人は仮設住宅にいた70代の男性でエアコンはあったが、使っていなかった。さらに、4人は住宅内のエアコンのない部屋にいた。ほか4人に関しては住宅内でどのような状況で熱中症に罹ったのかについて詳細は分かっていない。

  このほか、仕事場や学校など住宅以外での屋内にいたのは5人、農地や道路といった屋外は7人、車内は3人だった。熱中症で搬送された24人のうち、半数超えの13人が65歳以上だった。熱中症というと、炎天下の屋外で起きるというイメージを持っていたが、上記の記事を読んで分かることは、屋内でも、屋外でも発生するということだ。7月下旬になってからほぼ毎日の最高気温が30度を超えていて、この期間で13人が搬送された。

  屋内であっても熱中症になる。ではどうすれば熱中症を防げるのか。ネットで調べると、「暑熱順化」という言葉が出て来る。本格的に暑くなる前から、徐々に体を暑さに慣れさせるとの意味。さらに医学系ネットの解説では、暑さに対して適切な体温調整ができるように、発汗機能を高めること、とある。身体は発汗によって体温を調節するが、熱中症は暑さによって発汗機能が乱れて体温が上昇することで起こる。こうなる前に、適度な運動を習慣化することで発汗機能を高めることや、半身浴によって意図的に汗をかくようにすることなどが有効のようだ。

  厚生労働省公式サイトの「熱中症による死亡数の年次推移」によると、2018年以降は国内で毎年のように1千人以上が命を落としている。ことしはすでに40度を超える暑さが各地で観測されている。暑さが生命に被害を及ぼす時代だ。各家庭でのエアコン設置の義務化や、行政や教育機関による「暑熱順化」の教育が必要な新たな段階に入った。

⇒7日(水)夜・金沢の天気     はれ時々くもり

☆元旦大揺れ震度7 「令和6年能登半島地震」

☆元旦大揺れ震度7 「令和6年能登半島地震」

   きょう元旦は寝正月で午前10時ごろに起床した。正午すぎに家族とおせち料理を楽しみ、正月酒を昼から楽しんだ。会話も弾み、つい飲み過ぎた。午後3時ごろ眠気が襲ってきて、また布団に入って寝た。午後4時すぎだった。枕元に置いたスマホがピューンピューンと鳴った。緊急地震速報だ。「エッ、地震が」と寝ぼけ眼で見ていると。グラグラと家が揺れ出した。押し入れの引き戸などがガンガンと音を立てて閉じたり開いたりを繰り返している。数十秒も続いただろうか。いったん止んだが、しばらくして、またピューンピューンと緊急地震速報が鳴った。寝ている場合ではない。家具などは大丈夫か。すっかり酔いもさめた。

   NHKの地震速報をチェックする。気象庁の観測によると、地震が起きたのは午後4時10分ごろで、震源地は能登地方で、地震の規模を示すマグニチュードは7.6と推定。この地震で能登半島の中ほどにある志賀町では震度7の激しい揺れを観測したほか、震度6強を七尾市と輪島市、珠洲市、穴水町で、震度6弱を中能登町と、能登町、新潟県長岡市で観測した。金沢は5強だった。去年5月5日に半島の尖端、珠洲市で震度6強があり、今回はさらに広範範囲で規模も大きな揺れとなった。緊急地震速報はその後、10数回も鳴り、金沢も震度3の揺れが何度か起きた。(※写真の上・下はNHKテレビ地震速報より)

   そして、震度6強だった輪島市では大規模な火災が発生した。場所は観光名所でもある朝市通り近くだ。そして、大津波警報が発令された。能登の海岸の一部では5㍍の波、富山湾でも3㍍が発生し、漁船が波に飲まれて多く沈没していると海上保安庁の情報が流れていた。NHKの女性アナウンサーは強い口調で津波の警戒を呼び掛け、テレビ画面の右上には「大津波にげて!」「EVACUATE! にげて!」 と表示が出ている。

   気象庁は記者会見し、能登地方で震度7の揺れを観測した地震について「令和6年能登半島地震」と名付けた。気象庁は損壊家屋1000棟程度以上や相当の人的被害など顕著な被害が発生した場合に名付けていて、2007年3月25日に輪島市沖を震源すると震度7クラスの地震が発生したときも「平成19年能登半島地震」としている。

⇒1日(元旦・月)夜・金沢の天気   くもり  

☆道路への倒木で問われる 山の所有と境界の問題

☆道路への倒木で問われる 山の所有と境界の問題

   きょうの金沢は寒気から一転して寒さがやわらぎ、金沢では日中の最高気温が9度だった。あさからときおり雨も降り、積もっていた雪がずいぶんと溶けている。自宅2階からの雪景色が一変している。左の五葉松の枝に積もっていた雪がまったくなく、屋根雪も少なくなった。(※写真は、26日午前7時59分に自宅2階から撮影した近所の雪景色)

   積雪60㌢の記録的な大雪となった能登半島の輪島市では、雪による倒木で道路がふさがれ、一時220世帯余りが孤立状態となっていたが、きのう25日夕方にはすべて解消した。また、停電となっていた2200戸はほとんどが復旧したものの、80戸でまだ停電が続いている。

   雪害に遭われた方々に申し訳ない言い方になるかもしれないが、今回の能登の集落の孤立や停電は過疎高齢化による里山問題の象徴的な事象ではないかと考えている。孤立した集落の市道などは車2台がすれ違うのが精一杯の細い道で、雪の重みで倒れた樹木などが道をふさいだ。輪島など奥能登の中山間地の道路には杉やアテ(能登ヒバ)など常緑樹が多く植林されているが、枝打ちなどがなされず、横に傾いて、道路を覆うようになっている木も多く見かける。本来ならば山の持ち主が枝打ちなどするが、所有者が地域で不在になって、山の木々が荒れ放題になるケースが増えている。

   また、「境界管理」の問題もある。森林には私的所有権が設定されているが、実のところオーナーが健在である場合、その隣地との境界は代々からの言い伝えで分かるが、代を重ねるごとにあいまいになり、分からなくなる。すると、道路沿いの境界にある杉やアテをだれも管理しないということが起きる。こうした木々が今回の大雪で道路に倒れ込む、さらに倒木で電柱の電線を切断することは想像に難くない。また、山道の倒木問題は冬だけでなく、地盤が緩みやすくなる梅雨の時期にも起きる。

   里山の管理の問題はこれまでクマやイノシシなどの獣害でよく指摘されてきたが、今回の倒木による集落の孤立問題をきっかけに、危機管理として所有や境界を超えた対策が必要ではないだろうか。

⇒26日(火)夜・金沢の天気   くもり時々あめ 

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~1 シンボルアート

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~1 シンボルアート

   能登半島の尖端にある珠洲(すず)市で「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)が始まった。2017年に初めて開かれた国際芸術祭は3年に一度のトリエンナーレで開催されている。2020年はコロナ禍で1年間延期となり、翌年に「奥能登国際芸術祭2020+」として開催。3回目のことしは5月5日にマグニチュード6.5、震度6強の地震に見舞われて開催が危ぶまれたものの、会期を当初より3週間遅らせて開催にこぎつけた。14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内各所で展示されている。

   きのう24日に日帰りで会場を何ヵ所か訪れた。奥能登国際芸術祭の公式ガイドブックの表紙=写真・上=を飾っているのが、ドイツ・ベルリン在住のアーティスト、塩田千春氏の作品『時を運ぶ船』。「奥能登国際芸術祭2017」に制作されたが、芸術祭と言えばこの作品を思い浮かべるほど、シンボルのような存在感のある作品だ。塩砂を運ぶ舟から噴き出すように赤いアクリルの毛糸が網状に張り巡らされた空間。赤い毛糸は毛細血管のようにも見え、まるで母体の子宮の中の胎盤のようでもある。

   以下、ボランティアガイドの説明。作者の名前は「塩田」。珠洲の海岸には伝統的な揚げ浜式塩田があり、自分のルーツにつながるとインスピレーションを感じて、塩田が広がるこの地で創作活動に入ったそうだ。『時を運ぶ船』という作品名は塩田氏が珠洲のこの地域に伝わる歴史秘話を聴いて名付けたのだという。戦時中、地元のある浜士(製塩者)が軍から塩づくりを命じられ、出征を免れた。戦争で多くの友が命を落とし、その浜士は「命ある限り塩田を守る」と決意する。戦後、珠洲では浜士はたった一人となったが伝統の製塩技法を守り抜き、その後の塩田復興に大きく貢献した。技と時を背負い生き抜いた浜士の人生ドラマに塩田氏の創作意欲が着火したのだという。それにしてもこの膨大な数のアクリルの毛糸には圧倒される。

   海岸沿いで目立つのは、鳥居をモチーフとしたファイグ・アフメッド氏(アゼルバイジャン)の作品『自身への扉』=写真・下=。ガイドブックによると、作品は日の出と日の入りの間に立ち、人生における2つの側面を表現しているのだという。光を反射するスパンコールの鳥居をくぐると風の音が聞こえ、そして波が打ち寄せる。まるで、人生の「門」をくぐるという儀式のようだ。見学した時間は夕方午後5時を回っていたので、人生の黄昏時の門をくぐったことになるのだろうか。

⇒25日(月)午前・金沢の天気   はれ時々くもり   

★「震災復興の光に」アートを掲げ進む政治家の姿

★「震災復興の光に」アートを掲げ進む政治家の姿

   ことし5月5日に震度6強の揺れに見舞われた能登半島の尖端・珠洲市で、「奥能登国際芸術祭2023」が今月23日から11月12日まで開催される。3年に1度開催され今回は3回目となる。テーマは「最涯(さいはて)の芸術祭、美術の最先端。」。芸術祭の総合ディレクターをつとめるのはアートディレクターの北川フラム氏。そして、実行委員長は市長の泉谷満寿裕氏。震災という難局に見舞われながら、芸術祭を実行する意義は何なのか。

   石川県内の21の大学・短大などで構成する「大学コンソーシアム石川」のシティカレッジ授業(7月29日)で、泉谷氏の講義=写真・上=を聴講した。テーマは「さいはての地域経営」。その中で泉谷氏は芸術祭の開催意義について述べていた。

   珠洲市は人口1万3千人。過疎化が進み、本州で最も人口の少ない市でもある。一方で世界農業遺産「能登の里山里海」に認定され、農耕儀礼「あえのこと」はユネスコ無形文化遺産に登録。そして、珠洲市は佐渡のトキやコハクチョウなど野鳥が舞い降りる自然豊かな土地柄でもある。芸術祭の効果について、2017年の第1回芸術祭以降の5年間で移住者が269人になったと数字で説明があった。

   泉谷氏は「半島の尖端に位置する珠洲の潜在的な魅力がアートを通じて広がった。芸術家を志す若者や、オーガニック農業、リモートワーク、カフェの経営などさまざまな人たちが集まってきている」と強調した。アート作品は市内のさまざまな地域に点在し、作品はその地域の空間や歴史の特性を生かしたものが創作されている。なので、作品鑑賞をひとめぐりすると、同時に珠洲という土地柄も理解できる。これが移住を促すチャンスにもなっている。

   5月の震災では1人が亡くなり30人余りが負傷、全壊28棟・半壊103棟、一部損壊564棟などの被害を被った。ことしの開催に当たっては、「震災復興に集中すべき」と反対意見が多かった。芸術祭の市の予算は3億円余りで、復興に回すべきという議論も相次いだ。泉谷氏は、「何か目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたいと開催を決断した」とその想いを語った。(※写真・下は、塩田千春作『時を運ぶ船』をベースにした国際芸術祭2023パンフの表紙)

   また、震災後の人口動態は、5月から7月の3ゕ月では転入が50人、転出が47人で3人が転入超過だった。「これまで移住してくれた人たちがどこかに行くのではないかと心配したが、なんとか留まってくれている」と述べた。

   「震災復興の光」としての芸術祭ではインバウンド観光客の誘致にもチカラを入れたいと積極的だった。実際、講義が終わってから台湾へ芸術祭のツアーについて打ち合わせに行くとの話だった。その結果、今月から10月にかけて台湾から能登空港へのチャーター便が6便運航することが決まったようだ。

   「災い転じて福となす」ということわざがある。「震災復興の光に」とリーダーシップを発揮して、前に向いて進む政治家の姿こそ、アートなのかもしれない。

⇒7日(木)午前・金沢の天気    くもり一時あめ

★「負けとられん珠洲」 円相の熱いメッセージ

★「負けとられん珠洲」 円相の熱いメッセージ

   「負けとられん 珠洲!!」。5月5日に震度6強の揺れに見舞われた能登半島の尖端・珠洲市の知人から、メールで写真が送られてきた。ことし9月に同市で開催される「奥能登国際芸術祭2023」の企画発表会がきのう(10日)、多目的ホール「ラポルトすず」であり、作品紹介と同時に震災復興をアピールするロゴマークが公開された。それが、「負けとられん 珠洲!!」のキャッチコピーの作品=写真=という。「負けとられん」は能登の方言で、「負けてたまるか」の意味だ。

   今回の震災で同市では1人が亡くなり、30人余りが負傷、全壊28棟、半壊103棟、一部損壊564棟(5月30日時点・石川県調べ)など甚大な被害を被った。知人は発表会に参加していて、メールでロゴの制作者のことも述べていた。考案したのは金沢美術工芸大学の研究生の男性で22歳。実家が珠洲市で最も被害が大きかった正院町にあり、自宅の裏山が崩れて祖母が負傷したのだという。

   別の背景もメールに書かれてあった。奥能登国際芸術祭には毎回、金沢美大の学生チームが市内の古民家で作品を発表していたが、震災で作品制作を予定していた民家が使えなくなり、今回は出展を断念したということだった。そこで、奥能登国際芸術祭を主催する市側は、断念した金沢美大の学生チームに地震からの復興のロゴマークの制作を依頼した。学生チームには研究生も加わっていて、身内の負傷と出展断念の2重の痛手を乗り越えて、このロゴの制作に携わったようだ。

   送られてきたロゴの写真を視ると、文字を取り巻く「円」が印象的だ。しかも、下から「円」が力強く描かれて、下で切れている。いわゆる「円相」だ。中国・唐代の禅僧である盤山宝積の漢詩である「心月孤円光呑万象」(心月  孤円にして、光 万象を呑む)をイメージして描いたのが円相と言われる。円は欠けることのない無限の可能性を表現する。そう解釈すると、被災者である市民が心を一つにして、災害を乗り越えようという、力強いメッセージのようにも読める。

   3回目となる奥能登国際芸術祭は当初の開催予定より3週間遅れて9月23日から11月12日まで開かれ、14の国・地域から59組のアーティストが参加する。実行委員長である泉谷満寿裕市長が発表会で、「国際芸術祭が珠洲の復興に向けた光になればと思う」とあいさつしたとメールで書き添えられていた。市長のあいさつからも、「負けとられん珠洲」の熱いメッセージが伝わってくる。

⇒11日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆震度6強から1ヵ月 揺れ止まぬ能登は日本の縮図なのか

☆震度6強から1ヵ月 揺れ止まぬ能登は日本の縮図なのか

   能登半島の尖端を震源とするマグニチュード6.5、震度6強の地震が発生してきょう5日で1ヵ月が経った。地震は断続的に続いていて、きのう4日朝にもマグニチュード3.0、震度2の揺れがあった。震度1以上の揺れはことしに入って171回目となった(金沢地方気象台「震度1以上の日別震度回数・積算震度回数」より)。被災地では再建に向けて動き出しているが、課題も浮かんでいる。

   震度6強の揺れから10日目の15日に被害が大きかった珠洲市を訪れた。同市の全壊家屋は28棟、半壊103棟、一部損壊が564棟となった(5月30日現在・石川県庁調べ)。市内でもとくに被害が大きかった正院地区では、「危険」と書かれた赤い紙があちらこちらの家や店舗の正面に貼られてあった。貼り紙をよく見ると、「応急危険度判定」とある。   

   危険度判定は自治体が行う調査で、被災した建築物がその後の余震などによる倒壊の危険性や、外壁や窓ガラスの落下、設備の転倒などの危険性を判定し、人命に関わる二次的被害を防止するのが目的。判定結果は緑(調査済み)・黄(要注意)・赤(危険)の3段階で区分する。ただ、法的な拘束力はない。現地を訪れたときも、赤い紙が貼られている家だったが、買い物袋を持った住人らしき人たちが出入りしていた。危険と分かりながらも住んでおられるのかと思うと、自身も複雑な気持ちになった。

   地域経済にも深刻な被害をもたらしている。西村康稔経済産業大臣が今月3日に珠洲市を視察し、焼酎の製造会社で仕込み用タンクの損害や、「かめ」や「たる」が壊れて中身が流れ出たことについて説明を受けた。また、地元の伝統工芸品である珠洲焼の窯が壊れた状況を視察した。その様子を当日のNHKニュースが報じ、西村大臣は「事業を再開、再建できる支援をしていきたい。さまざまな補助金などがあるのでニーズに合わせて対応していく」と述べていた。また、同行した同市の泉谷満寿裕市長は「500以上の事業者が被害を受けた。事業者が再建をあきらめないように国の支援をお願いした」とインタビューに答えていた。

   能登半島では過疎高齢化が進み、空き家も目立っている。そこに追い打ちをかけるようにして、今度は震災に見舞われた。インタビューに答えていた泉谷市長は切実な表情だった。いつ揺れが止むか見通しが立たない。少子高齢化と地震多発の日本の縮図がここにある。災害復興のモデル地区として再生して欲しい、そう願わずにはいられない。

⇒5日(月)午前・金沢の天気    はれ

★拉致被害は終わらない どうする「外交の岸田総理」

★拉致被害は終わらない どうする「外交の岸田総理」

   北朝鮮に拉致された被害者の家族会などがきのう27日、東京で集会を開いた。出席した岸田総理は「現在の状況が長引けば長引くほど、日朝間の実りある関係を樹立することは、困難になってしまいかねない。日朝間の懸案を解決し、共に新しい時代を切り開いていく観点から私の決意をあらゆる機会を逃さず伝え続けるとともに、首脳会談を早期に実現すべく、私直轄のハイレベルで協議を行っていきたい」と述べた(27日付・NHKニュースWeb版)。

   このニュースで意外だったのは、家族会は今年の新しい活動方針に「親世代が存命のうちに被害者全員の帰国が実現するなら、政府が北朝鮮に人道支援を行うことに反対しない」と明記したことだった。家族会が北朝鮮への「支援」に踏み込んだのは初めてのことだ(同)。拉致問題から46年がたち、今も健在な親は横田めぐみさんの母親の早紀江さん87歳と、有本恵子さんの父親の明弘さん94歳の2人となり、家族会として焦燥感があるのかもしれない。   

   拉致の「1号事件」は能登半島の尖端近くで起きた。1977年9月19日の「宇出津(うしつ)事件」だ。能登町宇出津の遠島山公園の下の入り江。山が海に突き出たような岬で、入り組んだリアス式海岸だ。東京都三鷹市の警備員だった久米裕さん52歳と在日朝鮮人の男37歳が宇出津の旅館に到着し、午後9時ごろに2人は宿を出た。怪しんだ旅館の経営者は警察に通報した。旅館から歩いて5分ほどの入り江で、男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた捜査員に逮捕された。久米さんの姿はなかった。

   しかし、当時は拉致事件としては扱われず、公にされなかった。その後、拉致は立て続けに起きた。10月21日に鳥取県では松本京子さん29歳が自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪(2号事件)。そして、11月15日、新潟県では下校途中だった横田めぐみさん13歳が日本海に面した町から姿を消した(3号事件)。(※政府の拉致問題対策本部がつくったポスター。12歳のときの横田めぐみさんの写真)

           2002年9月17日、当時の小泉純一郎総理と北朝鮮の金正日国防委員長による首脳会談で、北朝鮮は長年否定してきた日本人の拉致を認めて謝罪。日本人拉致被害者の5人が帰国した。2004年5月26日にも小泉総理が北朝鮮を訪れ首脳会談で、先に帰国した5人の家族が帰国することになった。

   現在、日本政府は北朝鮮に拉致された被害者として17人(5人帰国)を認定しているが、さらに、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない871人に関して、引き続き捜査や調査を続けている(警察庁「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」)。北朝鮮による拉致事件は終わっていない。

⇒28日(日)午後・金沢の天気    くもり