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★能登が輝く祭りシーズン ウイズコロナで3年ぶり

★能登が輝く祭りシーズン ウイズコロナで3年ぶり

   能登では夏から秋にかけて祭りのシーズンとなる。「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」。能登の集落を回っていてよく聞く言葉だ。能登の祭りは集落や、町内会での単位が多い。それだけ祭りに関わる密度が濃い。子どもたちが太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らす。大人やお年寄りが神輿やキリコと呼ばれる大きな奉灯を担ぐ。集落を挙げて、町内会を挙げての祭りだ。その祭りが新型コロナウイルスの感染拡大の影響で2020年と21年は軒並み中止だった。3年ぶりでようやく「復活」のめどがついたようだ。

   能登の祭りは派手でにぎやかだ。大学教員のときに、留学生たちを何度か能登の祭りに連れて行った。中国の留学生が「能登はアジアですね」と目を輝かせた。キリコは収穫を神様に感謝する祭礼用の奉灯を巨大化したもので、大きなものは高さ16㍍にもなる=写真=。輪島塗の本体を蒔(まき)絵で装飾した何基ものキリコが地区の神社に集う。集落によっては、若者たちがドテラと呼ばれる派手な衣装まとってキリコ担ぎに参加する。もともと女性の和服用の襦袢(じゅばん)を祭りのときに粋に羽織ったのがルーツとされ、花鳥風月の柄が入る。インドネシアの留学生は「少数民族も祭りのときには多彩でキラキラとした衣装を着ますよ」と。留学生たちは興味津々だった。

   ところで、3年ぶりに祭り再開とは言え、実施に当たってはコロナ対応にかなり気遣っているようだ。地元紙の記事によると、高さ15㍍のキリコを100人の若衆で担ぎ上げ、6基が街中を練る七尾市の石崎奉燈祭(8月6日)では練り歩く範囲を町中心部の広場に限定して実施するようだ。さらに祭りの2日前に関係者のPCR検査を、当日には抗原検査を実施して陰性の人のみ参加とする。そして、祭り当日の飲酒は禁止となる(今月26日付・北國新聞)。

   祭りに酒はつきものだが、大きなキリコを担ぎ上げる際には勢いをつけるために一升瓶を回し飲みしたりするので、禁止となるようだ。石崎奉燈祭は漁師町の若衆が中心なので、ノンアルコールで勢いはつくのかどうか。

   能登のキリコ祭りは2015年4月に、日本遺産「灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~」に認定され、全国から見学や参加希望の祭りファンが増えていた。また、祭りを開催する側もおそらくこれ以上の中止が続くと、伝統行事の祭礼の継承そのものが痛手となること判断したのだろう。冒頭の「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」の言葉が示すように、過疎化が進行する能登にあって、祭りの継続は集落にとって価値観の共有であり、持続可能な地域づくりに欠かせない祭礼イベントなのだ。

⇒27日(月)午前・金沢の天気    はれ時々くもり

★「必要は発明の神さま」で祭り復活

★「必要は発明の神さま」で祭り復活

   「必要は発明の母」と言われる。この場合は「必要は発明の神さま」かもしれない。新型コロナウイルスの感染拡大で、昨年に引き続きことしも各地域の祭礼や神事などの恒例行事の中止が相次いでいる。インターネット調査で、コロナ禍で失われる可能性が⾼い⽇本⽂化として、「祭り」がもっとく高く42.3%、「花⽕⼤会」32.8%、「屋形船」29.0%、「花⾒」24.3%と続く(⼀般社団法⼈マツリズム、有効回答:男女400人、調査:2021年02月27日-3月1日)。祭りについては以前から高齢化や少子化で担い手不足が指摘されていたが、コロナ禍が拍車がかけたとも言える。

   多くの祭りは、神輿を担ぎ、その先導に獅子舞などがいて、それを見学する人々がいる。いわゆる「3密」の状態になることから、祭りが中止となるケースが多い。このような中、伝統の祭りを絶やしてはいけないと、神様を神社から外にお連れする神輿の代わりにミニ台車を手作りした神社の宮司がいる。きょう神社を訪れる機会に恵まれ、その想いを聞いた。

   石川県羽咋(はくい)市にある深江八幡神社。羽咋は祭礼の獅子舞が盛んな土地柄だが、昨年ほとんど中止となった。宮司の宮谷敬哉氏は3密を避けるために神輿を出せないとなれば、一人で押せる台車を作れないかとホームセンターに何度も通い、高さ150㌢ほどのものを完成させた=写真=。みこしに欠かせない鳳凰(ほうおう)は手作りが難しかったので、通販で小型のものを購入し飾り付けた。「神座(みくら)台車」と名付けた。

   昨年7月12日の例祭「祇園祭」では、神のより代である御霊代(みたましろ)を台車に収め、獅子頭だけを乗せた手押しワゴンが先導した。宮谷宮司が神輿の代わりに1人で台車を押して後に続いた。各家を1軒1軒回った。例年ならば神輿と獅子舞でにぎやか祭礼だが、簡素ではあるものの中止することなく続けることができた。

   この地区は500年ほど前に疫病が流行したことから、京都の八坂神社から神を招いて七日七夜祈祷したところ疫病が収まり、それを機に祇園祭が始まったと伝わる。宮谷宮司は「苦労して疫病を鎮めた歴史が地元にあり、『できない』ではなく、『どうしたらできるか』と考えた末にアイデアが浮かんだ」と。

   この神座台車と獅子頭の手押しワゴンが意外な展開を見せる。1965年(昭和40)年前後に神輿の渡御が途絶えていた集落から復活させたいと申し出があった。10月18日に地元の子どもたち6人が中心となって、神座台車と獅子頭の手押しワゴンで町内を歩いて回った。少子高齢化で担い手が少なくなり中止していたが、実に55年ぶりに祭りが復活したのだ。

   宮司は「祭りの復活で地域の様子が活き活きとしていることを一番感じたのは地域の人たちだと思う」と。この秋も神座台車と獅子頭の手押しワゴンの出番となる。

⇒17日(木)夜・金沢の天気     くもり