#石川県知事選

★車座で語り、すしに舌鼓 岸田総理の「能登時間」

★車座で語り、すしに舌鼓 岸田総理の「能登時間」

   今月24日に投開票の参院石川選挙区の補欠選挙は選挙戦も終盤に入り、各候補者の訴えもボルテージが上がってきた。立候補しているのは自民党の宮本周司氏、立憲民主党の小山田経子氏、共産党の西村祐士氏、NHK受信料を支払わない国民を守る党の齊藤健一郎氏の4氏。きのう日曜日は岸田総理ほか、立民の泉代表や共産の市田副委員長、N党の立花党首らそうそうたるメンバーが応援に駆け付けたと地元メディア各社が報じている。

   ニュース番組で流れた4人の党首らの演説で異様だったのは立花氏だった。「彼(齊藤候補)は立候補しているが選挙活動は一切しません。みんな選挙に行かなくていいです。もっと言うと齊藤候補に入れなくていいです。今回なぜ齊藤氏が立候補したかというと練習です。2ヵ月後に選挙(参院選)があるのでポスターをどれだけの人に貼ってもらえるのか、政見放送をどんな形でできるのかといった練習なので(投票に)行かなくていいです」(17日付・石川テレビ)。まるで「石川の選挙は来る参院選の練習、供託金300万円は授業料」と言わんばかりの自虐的なコメントだった。映像で見る限り、会場にはそこそこ人は集まってもいた。

   岸田総理の動きはまるで「能登・金沢・加賀」の縦断ツアーのような日程だった。朝日新聞の「首相動静(17日)」によると、午前9時5分に羽田空港発、同46分に能登空港着。10時3分、輪島市の「里山まるごとホテル」のレストラン「茅葺庵 三井の里」で地元企業関係者らと意見交換。11時56分、七尾市の公園「湯っ足りパーク」前で街頭演説。午後0時49分、道の駅「能登食祭市場」を視察。1時7分、市内の印鑰(いんにゃく)神社で祭りの山車「でか山」の制作風景を見学。同18分にすし店「松乃鮨」で、西田自民党衆院議員らと食事。同47分、報道各社のインタビュー。2時32分、かほく市の「のと里山海道高松サービスエリア」で休憩。以上が能登での動き。

   さらに、午後3時12分、金沢市の「いしかわ四高記念館」前で街頭演説。4時31分、能美市の根上総合文化会館前で街頭演説。5時16分、小松市のうどん店「中佐中店城南店」で佐々木同党衆院議員と食事。5時53分に小松空港に到着。宮橋小松市長らと。6時25分、同空港発。7時14分、羽田空港着。

   時間の配分を見ると、能登では輪島と七尾で4時間も費やしている。ちなみに金沢は1時間、加賀は2時間。以下憶測だ。能登での遊説は、補選の応援もさることながら、先の知事選(3月13日)の「後遺症」を払拭する狙いもあったのかもしれない。知事選では能登地区の国会議員、首長、JAやJFなど団体が馳浩氏と対抗した山田修路氏を支援した。岸田総理ほか自民の幹部は馳氏の応援に駆け付けた。党を巻き込んだ保守分裂選挙だった。今回の補選を機にその分裂の溝を埋めたいと、あえて能登での時間配分を考慮したのではないだろうか。

   地元紙によると、岸田氏は輪島の古民家で囲炉裏を囲み車座で地域の人たちと語り、七尾の神社では祭りの準備をする若い衆の木遣り歌で出迎えられ、すし店では七尾湾特産のトリガイなど11貫に舌鼓を打った(18日付・北國新聞)とある。この心憎いほど内容の濃い「能登時間」を演出したのは誰か、むしろその人物の方が気になった。

⇒18日(月)午後・金沢の天気     くもり 

☆「石川県知事選」「金沢市長選」で何が変わるのか

☆「石川県知事選」「金沢市長選」で何が変わるのか

   前回ブログの続き。NHK金沢はきょう午前1時43分のWeb版で石川県知事選で馳浩氏の当選を伝えている。馳浩氏(無所属・新)19万6432票、山野之義氏(無所属・新)18万8450票、山田修路氏(無所属・新)17万2381票となっている。そして、同4時21分に全国ニュースWeb版で当選のニュースを流している。「保守分裂の構図となった石川県知事選挙は、元文部科学大臣の馳浩氏が、初めての当選を果たしました。石川県では、28年ぶりに知事が交代することになります」

   地元紙など各紙も大見出しで報じている。「新知事に馳氏 山野氏と7982票差」(北國新聞)、「知事に馳氏 保守分裂大接戦制す」(読売新聞・号外)、「馳氏知事当選 大激戦 山野氏、山田氏抑え」(北陸中日新聞)=写真=。もともときょうは新聞休刊日だった。全国紙は号外、地元紙は特別発行というカタチで取り上げている。では、28年ぶりの知事交代でどのような変化が起こるのだろう。

   谷本知事は多選批判もあったが、逆に言えば28年間にわたって信任を受けて、ロングランのプロジェクトを展開してきた。「能登と金沢・加賀の格差是正」をスローガンに能登半島の道路や空路などインフラ整備を積極的に進めてきた。さらに、金沢城の復元は史実を尊重することで価値を高めると同時に、伝統工芸の技を継承するという絶妙なコンセプトに取り組んできた。なので、旧・自治省出身の政策立案に長けた知事というイメージが谷本氏にはある。中央政界ともつかず離れずバランスをとってきた。 

   では、馳氏はそれを継承できるのか、できないのか、しないのか、するのか。そこがよく分からない。他の候補に圧倒的な大差ならば、「あなたにお任せ」というのが民意かもしれないが、これだけ僅差だと、谷本路線をひっくり返すことはできるのだろうか。問われているのは、行政経験のない馳氏が行政マンをどううまく使い回し、新たなコンセプトを創り上げていくか、だろう。

   馳氏を応援した能登のある首長は「馳氏の面倒見のよさにはとても感謝している」と話した。ほかの人からも同じ話を聞いた。おそらく面倒見のよさは根っからのキャラなのだろう。それだけに地元の信頼を裏切らない県政運営が問われる。一方で、選挙期間中は安倍元総理ら自民党幹部らが続々と応援に入った。けさの地元民放のインタビューに応じた馳氏は「朝一番で森元総理に選挙結果を報告した」と答えていた。番組を見ていて、中央政界に寄り添った県政運営になるのではないかとも気になった。基地や原発問題などをめぐっては、地元と中央の間に立って県政が揺れることもしばしばある。

   今回の知事選の県全体の投票率は61.8%だ。トリプル選挙の金沢よりさらに高い。能登・金沢・加賀でさまざまな課題解決への政治手腕がこれから問われる。同時に軋轢も出て来るだろう。「気に入らない、面倒なことにはチョップ」、これだけは勘弁願いたい。任期は今月27日から4年間となる。

⇒14日(月)夜・金沢の天気    くもり

☆有権者の心に火を放つのは誰か、石川県知事選の混沌

☆有権者の心に火を放つのは誰か、石川県知事選の混沌

   石川県知事選はこれまで述べて来たように、金沢・加賀・能登という地域感情や「森奥戦争」といわれた政争が深く絡んできた。しかし、奥田敬和氏は1998年7月に没し、後継の子息・健氏も2012年12月の衆院選で敗れ政界を引退。森喜朗氏も2012年11月に政界を引退している。では、「森奥」はもう過去の話なのか。当事者はいなくなったが、双方を支持してきた有権者の心の中にはその残影がまだある。

   いくつか検証してみる。森氏がスカウトした馳浩氏と奥田健氏の石川1区での戦いも壮絶だった。2009年8月の衆院選は全国の投票率が69.2%に対し石川1区は72.2%と盛り上がった。勝った奥田氏が所属する民主党の政権交代をかけた選挙でもあった。逆に、2012年12月は有権者の民主政権への落胆が強く、全国投票率が59.3%と低調な選挙となり、石川1区も投票率58.5%に落ち込んだ。奥田氏も馳氏に4万7000票対9万9000票対の大差で敗れ、比例復活もならず政界から身を引いた。これで「森奥戦争は名実ともに終わった」という印象を金沢の有権者は抱いたに違いない。

   それ以降、石川1区では馳氏が独走態勢に入るが、投票率は下がった。2014年12月は全国は52.6%だったが、石川1区は43.1%と極端に低かった。2017年10月も全国53.6%、石川1区は51.9%だった。知事選に出馬表明した馳氏が後継の小森卓朗氏を立てた去年10月も全国55.9%だが、石川1区は52.2%と低調だった。この投票率の低さは、有権者の立場から両氏を支援してきた人たちの「森奥戦争のロス状態」ではないかとも推測した。

   これが3月13日投開票の知事選に反映されるのか。そうではない。興味深い選挙ストーリーが浮かび上がっている。知事選は事実上、馳氏(元衆院議員)、山田修路氏(元参院議員)、山野之義氏(元金沢市長)の保守系3候補の争いになっている。馳氏と山田氏は安倍元総理が率いる派閥「清和会」の議員だった。森氏はかつて清和会の会長をとつめた。

   朝日新聞Web版(2月13日付)によると、去年11月下旬、安倍氏は派閥の山田氏を議員会館の自室に呼んで知事選立候補への自制を求めた。その後、安倍氏は山田氏を何度も呼び、「困るんだよ」と迫ったが、山田氏は「出ると決めたんです」とかたくなだった。山田氏は国会の閉会直後の12月24日、議員を辞職し退路を断った。

   派閥の領袖からいさめられても、山田氏は臆することなく出馬の意向を打ち出した。自民党県連は馳、山田の両氏に「支持」を出しているが、自民党本部からは菅元総理、小泉進次郎氏らが馳氏の応援に駆けつけている。森氏がバックヤードで馳氏支援に回ってることは想像に難くない。この森氏の関与、そして山田氏の潔さが森奥戦争のロス状態に陥っていた有権者の心に再び着火するかもしれない。

   山田氏には立憲民主党や社民党県連、連合石川など推薦・支援に回っている。まるで1994年知事選の森奥戦争のように、「自民党」対「非自民連合」の構図のように見えるが、そのような単純な構図ではない。1区(金沢)と2区(加賀)の国会議員2人は馳氏だが、3区(能登)の議員2人と12市町首長のうち8人が山田氏支持を表明している。

   地元の北國新聞社と民放が調査した告示後の調査(2月24-26日)によると、1区は「山野の支持が厚く、馳をリード」、2区は「馳の支持が伸び、山田に並んだ」、3区は「山田は底堅いものの、馳や山野も徐々に浸透」と報じている。投票に「必ず行く」の答えは82.6%と高率で、関心の高さを示している。

   3候補はともに自らの退路を断っての出馬で日増しに選挙戦は熱くなっている。混沌としてきた知事選に有権者の感度もさらにヒートアップしそうだ。

⇒28日(月)午後・金沢の天気      はれ

★「森奥戦争」と石川県知事選

★「森奥戦争」と石川県知事選

   石川県の少々年配の有権者だったらおそらく「森奥戦争」と聞けばピンと来るはずだ。森喜朗と奥田敬和の両代議士によるかつての激しい政争を指す。奥田氏は1998年7月に没し、森氏も2012年11月に政界を引退してはいるが、いまでも選挙があるたびに、「森奥戦争が」とささやかれる。今回の県知事選(3月13日投開票)でも何度か耳にしている。

   現在の衆院選小選挙区は1区(金沢)、2区(加賀地方)、3区(能登地方)と別れているが、両氏が初出馬した1969年は中選挙区で1区(金沢・加賀)と2区(能登)だった。同じ1区(定数3)で、金沢が地盤の奥田氏と加賀が地盤の森氏はトップ争いを演じた。当時は、森氏は自民党の福田赳夫派の清話会に、奥田氏は田中角栄派の経世会に属していたので、2人の争いは「角福戦争」と称された派閥抗争の代理戦というイメージも当時はあった。1994年に小選挙区が導入されて奥田氏は1区、森氏は2区となり直接対決に一応終止符が打たれた。

   この森奥の戦いは県政にも波及した。1991年2月の知事選だった。8期目を目指す中西陽一知事に対して、森氏は副知事だった金沢出身の生え抜きの県庁マン、杉山栄太郎氏を自民党公認として担ぎ出した。これに対して、奥田氏は多選批判もあった中西氏への支援を掲げて金沢を中心に支持を固め、中西8選へと導いた。このときの投票率は76%、1万1000票差の激戦だった。その後、奥田氏は自民党を離党し、新生党の結成に参加する。

   知事選をめぐる森奥戦争の第2ラウンドは1994年3月だった。中西氏が任期中に死去。後継の知事選で、奥田氏は副知事の谷本正憲氏を擁立。これに対して、自民党幹事長だった森氏は、参院議員で元農林水産事務次官の石川弘氏(金沢出身)を推した。このころは奥田氏が所属する新生党を中心とする公明党、民社党、日本新党、社会党のいわゆる「非自民」連立政権で、細川護熙総理が谷本氏の応援に駆け付け、街頭演説が行われた香林坊が聴衆で埋め尽くされたのを覚えている。谷本氏が1万600票差で競り勝ち、投票率は70%だった。その後、谷本氏は通算7期にわたって知事を務め、去年11月に引退を表明した。   

   話は国政選挙に戻る。奥田氏が死去し、後を継いだのは子息の奥田健氏だった。衆院石川1区の補欠選挙(1998年8月)に民主党公認で出馬し、自民党公認の岡部雅夫を下して初当選。新たな森奥戦争をほうふつさせたのが2000年年6月の衆院選だった。プロレスラーでもあった馳浩氏が、自民党幹事長の森氏から抜擢されて1995年7月の参院選石川選挙区(定員1)に出馬して初当選。2000年衆院選で馳氏は鞍替えして自民党公認で1区から出馬し、奥田氏を破った。2003年の衆院選では逆に奥田氏が馳氏に勝った。そして、2005年には馳氏が勝ち、2009年は奥田氏が勝利するという、まさに森奥戦争の再現だった。しかし、奥田氏は2012年12月の衆院選で4万7000票対9万9000票という大差で馳氏に敗れ、比例復活もならず政界から身を引くことになる。2021年6月に急性心筋梗塞で他界。62歳だった。(※写真は2012年衆院選石川1区のポスター掲示板)

   今回の知事選には、参院議員だった山田修路氏、衆院議員だった馳氏、そして金沢市長だった山野之義氏が立候補している。まさに退路を断って争う、近年まれに見る保守系3候補の激しい争いだ。森奥戦争はもう過去の話なのか。次回でさらに分析してみる。

⇒26日(土)午後・金沢の天気      はれ

☆「金沢嫌い」と石川県知事選

☆「金沢嫌い」と石川県知事選

   けさの朝刊の一面見出しは、全国紙は「ロシア、ウクライナ進攻」、そして地元紙は「知事選 5新人立候補」だ=写真=。ウクライナ情勢めぐり世界をウオッチすると同時に、地元石川の将来のありようを知事選の各候補者の主張を読み解きながら考えるチャンスでもある。3月13日が投開票日で、金沢市長選もこの日に重なる。市長選もまた話題満載だ。

   地元に住む者として、知事選をめぐるポイントをいくつか点検してみたい。全国的に見れば、金沢市は百万石の伝統を現代に伝える優美な街というイメージで、観光需要は北陸新幹線の金沢開業(2015年3月)以来さらに高まった。石川の県庁所在地であり、市の人口は46万人と北陸3県(石川、富山、福井)でもっとも大きい。都市の強みや魅力など、いわゆる「都市力」を評価した2021年度版「日本の都市特性評価」(森記念財団都市戦略研究所)でも、神戸市、仙台市に次いで8位に金沢市がラキングされ、毎年全国ベスト10に入っている。

   では、「政治力」はどうか。金沢を中心に県内はまとまっているのか。金沢の市長がその政治手腕を県知事として発揮したことはあるのか。この59年間、15期にわたって知事を務めたのは中西陽一氏(故人)、谷本正憲氏の2人で、ともに官僚出身で副知事だった。官僚出身の知事は堅実に地域課題に取り組み、成果を出すという行政能力を請われて知事に擁立されるケースは全国的にも多いが、石川はその典型的なケースと言えるかもしれない。1947年4月に公選による知事選が始まって以来、金沢の政治家が知事となって県政を束ねたことはないのだ。

   県外の人が上記の話を聞けば、おそらく「えっ、なぜ」と驚くかもしれない。以下、想像を膨らませて書く。石川は能登、金沢、加賀の3つの地域に分かれていて、それぞれに独自の文化や歴史、それに基づく言葉がある。実はこうした文化風土の違いが、能登と加賀の人々の「金沢嫌い」を生んでいる。もう20年も前になるが、金沢市長が隣接の町長に合併を呼びかけたものの振られた。町長はその後再選されているので、自身は民意だったと解釈している。

   金沢のどこが嫌われるのか。日本史でも教わるように、戦国時代の北陸は「百姓の持ちたる国」として浄土真宗の本願寺門徒が地域を治めていた。その後、戦国大名・前田利家を中心とした武家集団が金沢に拠点を構えた。金沢の人は日常の言葉として「そうしまっし」と語尾にアクセントをつけて念を押すように話す。武家社会の上意下達の名残とも言えるが、初めて聞く人にとっては「上から目線」を感じることもある。金沢の観光パンフでよく使われる「百万石」。かつての栄華をいつまで誇っているのかと揶揄する向きもある。能登や加賀からの目線で、金沢はどこか「異質」に映る。

   とは言え、産業の集積など都市力で金沢は群を抜いている。県内の他の地域からすれば、やっかみや憧れが入り混じる。歴代の知事はそうした県民感情を巧みに政策として活かし、「能登と金沢・加賀の格差是正」をスローガンに能登半島の道路網などインフラ整備を積極的に進めてきた。知事選の候補者に必要なのはこうした地域の機微を理解した上でのバランス感覚なのだと感じている。

⇒25日(金)午後・金沢の天気      はれ

★保守三つどもえ 石川の「マンボウ知事選」

★保守三つどもえ 石川の「マンボウ知事選」

   「マンボウ」という言葉が身近で再び使われている。今月26日に対面での会議が予定されていたが、さきほどスマホのショートメールで「すみません、マンボウでリモートとさせていただきます」と主催者から連絡があった。マンボウは「まん延防止等重点措置」のことだが、石川県は県内で新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからないことから、きのう23日、国に対して同措置の適用を要請した=写真=。今回で3回目だ。1回目は去年5月16日から6月13日、2回目は8月2日から9月30日だった。言葉は不謹慎かもしれないがすっかり慣れっこになった。マンボウの呼び方はそれを現している。

   ただ、これまで2回のまん延防止等重点措置と異なるのは、対象地域はこれまで金沢市だったが、今回は県内全域を対象としている。というのも、県の発表によると、感染者数が今月21日は229人、22日は過去最多の263人、23日も226人と3日連続で200人以上、そしてきょう24日は193人だ。金沢市を中心に県内全域に感染が広がっていて、きょうだけで高齢者施設や保育園、幼稚園などで8つのクラスターが新たに発生している。

    県内ではこれまでに9913人の感染が確認され、このうち140人が死亡している。このペースだと、あすは感染者が1万人の大台を突破しそうだ。谷本知事は緊急の対策本部会議(23日)で、「かつてない規模とスピードで感染者が増加している。断腸の思いではあるが、厳しい措置を講じる必要がある」と述べた(24日付・NHKニュースWeb版)。具体的には、飲食店への時短要請や県民旅行割の予約受付などを停止する。

   そして病床使用率についても23日時点の病床使用率は31%だが、谷本知事は「病床使用率が50%を超えるかもしれない。法律上できる限りの対策をとって感染者数の増加に歯止めをかけたい」と危機感を募らせた(同)。

   そして気になるのは、来月24日は知事選の告示、3月13日は投開票だ。2回目のまん延防止等重点は2ヵ月続いた。3回目も2ヵ月続けば、マンボウ下での選挙戦をどう進めていくのか。立候補を表明しているのは、元プロレスラーで自民党の前衆院議員の馳浩氏(60)、元農林水産審議官で自民党前参院議員の山田修路氏(67)、そして金沢市長の山野之義氏(59)の3人で「保守三つどもえの戦い」となっている。

   候補者が感染したり、後援会事務所でクラスターが発生するとその陣営はアウトだろう。マンボウと知事選は今後どう絡んで展開していくのか。注目したい。

⇒24日(月)夜・金沢の天気     くもり

☆退路絶ち三つどもえ「知事選」春の嵐

☆退路絶ち三つどもえ「知事選」春の嵐

   きょうも雪の朝だ。晴れ間に雪すかしをする。「冬来たりなば春遠からじ」と自身に言いきかせながら作業をする。この冬は寒さは厳しいが、桜の開花は早めめで金沢は3月25日との情報が出ている(1月13日付・ウエザーニューズ公式ホームページ)。春が待ち遠しいのだが、この3月は「政治の嵐」に見舞われそうだ。3月13日投開票の石川県知事選挙にきのう(13日)金沢市長の山野之義氏(59)が立候補を表明し、すでに名乗りを上げている元プロレスラーで自民党の前衆院議員の馳浩氏(60)、同じく元農林水産審議官で自民党前参院議員の山田修路氏(67)との「三つどもえの戦い」となることがほぼ確定した=写真=。

   石川の知事選で、知名度がある保守系の政治家3人が争う構図は初めてだ。現職の谷本正憲氏(76)は自治省の元官僚で副知事に就任し、1994年3月の知事選で元農水事務次官の候補を破り、以降7期28年になる。去年11月に今期限りでの退任を表明した。その前の中西陽一氏も自治省の元官僚で副知事に就任し、1963年の知事選で当選、以降8期31年その任に当たった(76歳で在職中死亡)。自身は石川で生まれたシニア世代で、物心がついて覚えた知事の名前は「中西」「谷本」の2人しか知らない。なので「国会議員は政治家」「知事はキャリア官僚」というイメージがこびりついてしまっている。

   地方分権の首長とは言え、中央官庁とのパイフを持つ知事は頼りされる。都道府県知事の6割が元キャリア官僚といわれる。ところが、最近のトレンドとして国会議員などの政治家が知事への「転職」にシフトしているのではないだろうか。現在、都府県知事は12人は元国会議員で、自民党衆院議員を辞して東京都知事になった小池百合子氏はそのシンボル的な存在かもない。ほかにも、群馬の山本一太氏(元参院議員)、沖縄の玉城デニー氏(元衆院議員)が知られる。

   では、なぜ知事への転職を目指すのか。以下憶測だ。自民党の国会議員といえども、党という「合議体」の一員にすぎない。大勢の「センセイ」の一人なのだ。それに比べ、知事は政策の実現に向かって進むことができる。谷本氏は県内で2番目の空港となる能登空港の開港(2003年7月)、北陸新幹線の金沢延伸(2015年3月)といった大型プロジェクトをやり遂げた。また、中西氏が「能登と加賀の格差是正」を打ち出して能登半島に縦貫する「能登有料道路」(83km)をつくり、谷本氏は2013年3月に無料化した。2人には政策の実現性というものが見えた。

   3月の石川の知事選に国会議員、首長といった政治家3人が名乗りを上げた。その背景には、現在の副知事にキャリア官僚がいないということもあるのかもしれない。それにしても、3人の出馬表明は分かりやすい。馳氏は去年7月19日に記者会見し、秋の衆院選に出馬はせず知事選に立候補すると表明。山田氏は12月3日に立候補を表明し、臨時国会閉会後に議員辞職。山野氏は市長任期を連続3期12とする多選自粛条例を自ら議会に諮って通した。3人とも自ら退路を断ち知事選に臨む。その分、強烈な三つどもえの嵐が吹くことが予想される。折に触れてウオッチしていきたい。

⇒14日(金)夜・金沢の天気     くもり

★2022年の吉凶を読む

★2022年の吉凶を読む

   金沢は雪の正月を迎えた。自宅周囲で20㌢だろうか。「白銀の世界」と言うほどの積もりではない。初日の出を拝むことはできなかったが、「2022年」はどのような年になるのだろうか。「2022」という数字を見ていると、まるで白鳥3羽が池を泳ぐ姿のようにもイメージする。このブログ『自在コラム』も書き続けて17年目に入るが、これまで「2226」回を数えている。ことしは白鳥が舞うような良き年になるのだろうか。

   経済の動きを占ってみる。日経平均株価の年末の終値(12月30日)は2万8791円で前年と比べて1347円値上がりし、年末の終値としては32年ぶりの高値だった。しかし、経済を取り巻く高揚感はあっただろうか。日常生活では、1㌦=115円の円安ドル高で近所のガソリンスタンドの価格が一時1㍑169円になった。円安ドル高はことしも続きそうだ。

   明るい兆しも感じる。日本や中国、ASEANなど15ヵ国が参加するRCEP(地域的な包括的経済連携)がきょう1日発効する。日本にとって中国との初めての経済連携協定で、貿易の拡大による経済の押し上げ効果が期待される。とくに、自動車や鉄鋼、化学などの分野で関税の撤廃が進み、日本製品の輸出が増える。NHKニュースWeb版(12月31日付)は、RCEP発効で域内の貿易が2019年の実績より1.8%押し上げられ、金額で418億㌦増える。増加分のうち、日本は202億㌦と半分近くを占めるとのUNCTAD(国連貿易開発会議)の試算を引用して報じている。

   政治状況はブレが少ないのではないか。7月にも予定される参院選。去年10月の衆院選では、野党共闘(立憲・共産)で政権交代を目指すと野党側は声高に有権者に訴えたが惨敗した。岸田内閣によほどの失政がない限り、与党の過半数維持は継続するだろう。ただ、「窮鼠返って猫を噛む」のたとえがあるように、野党が共闘して「国会議員数が多すぎる。半分に削減する」などと訴えると、シンパシーを感じる有権者が相当数いるに違いない。

   身近な選挙もある。石川県知事選が3月13日にあり、まだ確定していない金沢市長選もそのころになりそうで、「ダブル選挙」ではないかと地元紙が報じている。現在7期目の谷本知事は不出馬を表明していて、自民党の国会議員2人が職を辞して出馬を表明。保守分裂選挙の様相を呈してきた。さらに、現職の山野金沢市長も知事選への出馬が判断待ちの状態となっている。石川では春一番ではなく、選挙の嵐が起こりそうだ。

   隣国の動向を占う上でこの言葉をどう解釈すればよいのか。NHKニュースWeb版(1日付)によると、中国の習近平国家主席は31日夜、国営テレビなどを通じて国民に向けた新年の祝辞を述べた。その中で、「祖国の完全な統一の実現は、台湾海峡両岸の同胞の共通の願いだ」と台湾の統一に重ねて自信を示した。

   台湾の「完全な統一」は中国にとって香港に次ぐ国家戦略だろう。それを強行するのは北京オリンピック・パラリンピックの後。パラの最終日が3月13日なので、14日以降だ。台湾有事となれば、在日米軍が介入する。日本も安全保障関連法に基づき、アメリカ軍の後方支援を行うことになる。ひょっとして2022年は緊張感が漂う年になるのか。

⇒1日(土)午後・金沢の天気      あめ