☆テレビメディアへの格闘技 馳知事の肖像権問題
元プロレスラーの闘争本能に火がついたようだ。石川県の馳浩知事は自身や県職員の映像が地元テレビ局が制作したドキュメンタリー映画で無断使用された訴えもめている。メディア各社の報道によると、馳知事はきのう4日の新年度記者会見で「今後の定例会見はテレビ局の社長の出席を踏まえて開催するかどうかを検討したい」と述べた。テレビ局と知事の「一対一」の対決ではなく、社長が出席しないのであれば定例会見そのものを開催しないとメディア全体を巻き込むようにも取れる発言だ。
馳氏がやり玉に挙げているドキュメンタリー映画は石川テレビ放送(本社:金沢市)が制作し、去年10月に全国公開した映画『裸のムラ』。残念ながら、まだこの映画を鑑賞してはいない。ネットに上がっている映画のチラシ=写真=によると、去年3月、「保守王国」と言われる石川県の知事を7期28年つとめた谷本正憲氏から馳氏にバトンタッチ。知事選では「新時代」をスローガンに掲げて選挙戦を戦ったが、2000年6月の衆院選の初立候補のときも、スローガンは「新時代」だった、とテレビ局側は軽く筆力でパンチ。そして、「ここ一番で
必ず登場するのは、ご存知キングメーカーの森喜朗だ」「ムラの男たちが熱演する栄枯盛衰の権力移譲劇」と読み手の想像力をたくましくさせる文章を掲載している。
このドキュメンタリー映画は石川テレビ放送が2021年と去年に放送した2本のドキュメンタリ-番組に新たな映像を加えて再編集したものを映画化した。馳氏がクレームをつけているのはこの点。テレビ報道のドキュメンタリ-番組に加え、さらに商業目的でつくった映画にも無断で自身や県職員の映像を使用しているのは、肖像権の無視ではないのか、との論拠だ。これに対し、石川テレビ側は、ドキュメンタリー映画の制作も報道活動の一環との位置づけで、映像は公務中ものであり、報道の目的である公共性に鑑み、許諾は必要ないと反論している。
問題が表面化したのは今年1月。馳氏は元旦にサプライズで出場で議論を呼んだプロレス試合の映像を地元メディア各社に提供したが、石川テレビ側への提供は拒んだ。これに対して、同16日、石川テレビ側は馳氏に対して質問状を提出。一方、馳氏は同27日の定例記者会見で、公務員の映像を無断で使うことについて、石川テレビの社長に定例会見に出席して番組制作に対する考えを述べるよう求めた。
2月4日、石川テレビ側は一歩引いて、質問状を撤回し謝罪したものの、馳氏は引かず、定例記者会見の場に社長が出席するよう再度求めた。石川テレビ側をこれを拒否している。そして、冒頭のように、馳氏は3月の定例記者会見は開かず、今月4日の新年度の記者会見で「定例会見に社長の出席を」と繰り返し述べている。
ドロップキックやジャイアントスイングのような大技ではないが、狙いを定めたら一歩も引かない、まるで馳氏の格闘技のようだ。
⇒5日(水)午後・金沢の天気 くもり
エッと驚くニュースもあった。地元メディアによると、去年3月に石川県知事選に当選した元プロレスラーの馳浩知事が元旦に東京の日本武道館で開催されたプロレス興行の試合に参戦し、得意技のジャイアントスイグンなどで会場を沸かせた、という(3日付・北國新聞、北陸中日新聞)=写真・上=。正月の休暇中だったとはいえ、周囲は当然、けがなどの負傷を心配し止めるよう進言したただろう。それを押し切って、リングに立ったようだ。
能登の正月の行事といえば、輪島市や能登町に伝わる厄除けの伝統行事「アマメハギ」だ。新暦や旧暦で開催日が地域によって異なる。輪島市門前町皆月では毎年1月2日に行われ、天狗や猿などの面を着けた男衆が集落の家々を回る。当地では、アマメは囲炉裏で長く座っていると、足にできる「火だこ」を指す。節分の夜に、鬼が来て、そのアマメをハギ(剥ぎ)にくるという意味がある。木の包丁で木桶をたたきながら、「なまけ者はおらんか」などと大声を出す。すると、そこにいる園児や幼児が怖がり泣き叫ぶ。その場を収めるために親がアマメハギの鬼にお年玉を渡すという光景が繰り広げられる。(※写真・下は、輪島市観光科・観光協会公式サイト「輪島たび結び」より)
そのタレント性を政治家として引き出したのが当時、自民党幹事長だった森喜朗氏だった。1995年7月の参院選で石川選挙区に森氏からスカウトされて立候補し、民主改革連合の現職を破り当選した。その後、タレント議員の巣窟のように称されていた参院から鞍替えして、2000年6月の衆院選で石川1区から出馬。かつての森氏と奥田敬和氏の両代議士による熾烈な戦いは「森奥戦争」とも呼ばれた。その代理選挙とも称された選挙で、民主党現職で奥田氏の息子・建氏を破る。しかし、03年11月の衆院選では奥田氏に敗れる。比例復活で再選。05年9月の衆院選では奥田氏を破り3選。プロレスラーは続けていたが、05年11月に文部科学副大臣に就いたので、政治家が本業となり、06年8月に両国国技館で引退試合を行った。
このころ、環境問題のグローバルスタンダードの一つに「生物多様性」が国際的にクローズアップされていた。谷本氏は2008年5月、ドイツのボンで開催された生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)に乗り込んだ。各国200人が集まったハイレベル会議でスピーチを行い、生物多様性と里山里海、持続可能な農林水産業を国連大学と協働して取り組んでいくとアピ-ルした。あわせて、アフメド・ジョグラフ条約事務局長を訪ね、名古屋市で2010年に開催されるCOP10で関連会議を石川で開催してほしいと要請した=写真・上=。ジョグラフ氏はその4ヵ月後に能登の里山里海を下見に訪れた。2010年10月にはCOP10公認のエクスカーションに石川が選ばれ、世界17ヵ国50人の政府関係者や研究者、環境NGOメンバーらが訪れた。
北京でのフォーラム閉会式で、次回は2013年にカリフォルニアワインの代名詞となっているアメリカのナパ・バレーでの開催が発表されていた。それがひっくり返って能登で開催されることになる。谷本氏が動いた。2012年5月、知事としてヨーロッパ視察に訪れた谷本氏はローマのFAO本部にジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバ事務局長を訪ね、能登での開催を提案したのだ。FAOは次回開催が1年後に迫っていたにもかかわらず変更を決断した。谷本提案は説得力があった。「認定地でフォーラムを開催すべき」と。それ以前は2007年がローマ、09年がブエノスアイレス、11年が北京、そして13年はナパ・バレーだが、いずれも認定地ではない。認定地からの強い要望であり、FAOとしても受け入れざるを得なかったのだろう。