#石崎奉燈祭

☆阿部詩選手と能登の「泣き女」の号泣 威勢よくキリコ巡行

☆阿部詩選手と能登の「泣き女」の号泣 威勢よくキリコ巡行

  パリオリンピックで柔道女子52キロ級の2回戦でまさかの敗退を喫し、大会2連覇ならず号泣した阿部詩選手の姿が印象的だった。試合会場に響き渡るようなあの泣き声、テレビで視ていて、ふと自身の故郷の奥能登のことを思い出した。小学生のころだから今から50年以上も前のことだ。親戚の葬儀に参列すると、棺(ひつぎ)にしがみつくようにして、ワァッーと号泣する女性がいた。子どもながらにびっくりしたのを覚えている。あのときのイメージと阿部選手の号泣が重なる。

  能登では真言宗の葬儀などで「泣き女(め)」と呼ばれる女性の号泣で死者を弔う儀式がかつてあった。泣き女の泣く姿に周囲の人たちも泣いて弔う。そんな儀式だったと記憶している。それぞれの地域には泣き女役の女性がいた。ただ、いまは見たことも聞いたこともない。すっかり昔の話になった。(※写真・上は、東京五輪女子52㌔級で阿部詩選手が金メダル。史上初の兄妹同日優勝を飾った=JOC公式サイト動画より)

  話は変わる。能登では夏から秋にかけて祭りのシーズンとなる。「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」。能登の集落を回っていてよく聞く言葉だ。能登の祭りは集落や、町内会での単位が多い。それだけ人々が祭りに関わる密度が濃い。子どもたちが笛を吹き、太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らす。大人やお年寄り、女性も神輿やキリコと呼ばれる大きな奉灯を担ぐ。集落を挙げて、町内会を挙げての祭りだ。(※写真・下は、燃え盛る松明をキリコが威勢よくめぐる能登町宇出津の「あばれ祭」=7月5日撮影)

  きのう夜(3日)能登で最大級のキリコが巡行する七尾市の「石崎奉燈祭」が行われた。キリコは高いもので15㍍になり、五階建てのビルの高さに匹敵する。重さ2㌧ほどのキリコを男衆100人が担ぎ上げ、「サッカサイ、サカサッサイ、イヤサカサー」と威勢のよい掛け声で町内を練り歩いた。元日の地震で倒壊した家屋があり、道路も一部で歪んだりしているため、祭りの開催には町内で賛否両論があったようだ(8月4日付・地元メディア各社)。そこで、前夜祭は中止とし、キリコの巡行も道路に傷みが少なかった300㍍に限定して行われた。

  もう一つ、能登でよく聞く言葉。「1年365日は祭りの日のためにある」。震災があっても祭りの伝統は絶やさない。能登の人たちの意地でもある。

⇒4日(日)夜・金沢の天気    はれ時々くもり

★能登が輝く祭りシーズン ウイズコロナで3年ぶり

★能登が輝く祭りシーズン ウイズコロナで3年ぶり

   能登では夏から秋にかけて祭りのシーズンとなる。「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」。能登の集落を回っていてよく聞く言葉だ。能登の祭りは集落や、町内会での単位が多い。それだけ祭りに関わる密度が濃い。子どもたちが太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らす。大人やお年寄りが神輿やキリコと呼ばれる大きな奉灯を担ぐ。集落を挙げて、町内会を挙げての祭りだ。その祭りが新型コロナウイルスの感染拡大の影響で2020年と21年は軒並み中止だった。3年ぶりでようやく「復活」のめどがついたようだ。

   能登の祭りは派手でにぎやかだ。大学教員のときに、留学生たちを何度か能登の祭りに連れて行った。中国の留学生が「能登はアジアですね」と目を輝かせた。キリコは収穫を神様に感謝する祭礼用の奉灯を巨大化したもので、大きなものは高さ16㍍にもなる=写真=。輪島塗の本体を蒔(まき)絵で装飾した何基ものキリコが地区の神社に集う。集落によっては、若者たちがドテラと呼ばれる派手な衣装まとってキリコ担ぎに参加する。もともと女性の和服用の襦袢(じゅばん)を祭りのときに粋に羽織ったのがルーツとされ、花鳥風月の柄が入る。インドネシアの留学生は「少数民族も祭りのときには多彩でキラキラとした衣装を着ますよ」と。留学生たちは興味津々だった。

   ところで、3年ぶりに祭り再開とは言え、実施に当たってはコロナ対応にかなり気遣っているようだ。地元紙の記事によると、高さ15㍍のキリコを100人の若衆で担ぎ上げ、6基が街中を練る七尾市の石崎奉燈祭(8月6日)では練り歩く範囲を町中心部の広場に限定して実施するようだ。さらに祭りの2日前に関係者のPCR検査を、当日には抗原検査を実施して陰性の人のみ参加とする。そして、祭り当日の飲酒は禁止となる(今月26日付・北國新聞)。

   祭りに酒はつきものだが、大きなキリコを担ぎ上げる際には勢いをつけるために一升瓶を回し飲みしたりするので、禁止となるようだ。石崎奉燈祭は漁師町の若衆が中心なので、ノンアルコールで勢いはつくのかどうか。

   能登のキリコ祭りは2015年4月に、日本遺産「灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~」に認定され、全国から見学や参加希望の祭りファンが増えていた。また、祭りを開催する側もおそらくこれ以上の中止が続くと、伝統行事の祭礼の継承そのものが痛手となること判断したのだろう。冒頭の「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」の言葉が示すように、過疎化が進行する能登にあって、祭りの継続は集落にとって価値観の共有であり、持続可能な地域づくりに欠かせない祭礼イベントなのだ。

⇒27日(月)午前・金沢の天気    はれ時々くもり