#白山手取川ジオパーク

★能登半島地震 白山麓で学ぶ集団避難の中学生たち

★能登半島地震 白山麓で学ぶ集団避難の中学生たち

   きょうの各紙の朝刊によると、気象庁はこれまで能登半島地震は震度7が志賀町、震度6強が輪島市、珠洲市、七尾市、穴水町と発表していたが、地震発生時に通信が途絶えていた輪島市と能登町の2ヵ所の震度計のデータを解析すると、輪島市の震度計では震度7、能登町の震度計では震度6強を記録していることが分かった。また、輪島市できのう倒壊家屋から新たに3人が見つかり、同市の犠牲者は101人、石川県全体では236人になった。震災から25日経つが被害の全体がつかめていないのが現状だ。

   先日、輪島市の避難所に身を寄せている知人と電話で連絡を取った。本人にはエコノミークラス症候群の兆しもなく、周囲に感染症の人もいないので「おかげさんで無事に暮らしている」とのことだった。ただ一つ、「孫のようすを見てきてほしい」と頼まれた。16日まで中学生の孫を含めて5人での避難所生活だったが、17日からは中学生の集団避難が始まり、金沢市の南の白山市にある県の施設にいるとのこと。

   被災地の中学生たちの集団避難についてはこのブログ(17日付)で述べた。輪島市では地震の影響で授業再開の見通しがたたないことから、市内3つの中学校の生徒401人のうち保護者の同意を得た258人が白山市にある「白山青年の家」と「白山ろく少年自然の家」に3月まで集団避難させている。授業は避難先の施設のほか、市内の中学校などで行われる。3年生は高校受験を控えていて、生徒たちの学びの環境を確保することを最優先したのだろう。

   そこで、おととい24日に白山ろく少年自然の家に行って来た=写真・上=。白山麓は雪深いところで、周囲の積雪は35㌢ほどだった。ここに輪島市の1年生と2年生が集団避難をしている。訪れた時間は午後5時ごろだったので、授業は終わっていた。玄関のロビーに入ると、中学生たち5、6人が談笑している様子が見られた。教員の人と立ち話をした。この施設では130人ほどが避難しているという。ただ、親が金沢に移住したり、親戚の家があずかることになったりと個別の事情があり、人数は一定していないとのことだった。

   依頼を受けた知人には白山ろく少年自然の家の写真と、子どもたちが談笑している雰囲気をメールで伝えた。「それだけで十分、ほっとした」との返信があった。被災地で大変な思いをした子どもたちが集団避難での生活と学びを通じてさらに一歩成長することを願う。

   以下はまったくの自身の妄想だ。能登の中学生たちは国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産に認定された「能登の里山里海」について学んでいることは知っている。集団避難をしている白山麓はユネスコの世界ジオパークに認定されている(2023年5月)=写真・下=。そこで、教員と立ち話をした折に「せっかくですから、ジオパークについて生徒たちも学んではどうですか」と提案しようと思ったが、余計なことを言うべきではないとの思いもあり結局、口にはできなかった。

   ただ、施設にはジオパークの関連資料もあり、生徒たちは白山を眺めながら資料を手に取って自主的に学ぶかもしれない。

⇒26日(金)午前・金沢の天気   くもり

☆ユネスコ世界ジオパーク「白山手取川」から学ぶこと

☆ユネスコ世界ジオパーク「白山手取川」から学ぶこと

          前回のブログの続き。ユネスコが定める世界ジオパークに、石川県白山市の「白山手取川ジオパーク」が認定される見通しだ。日本ジオパーク委員会公式サイト(2022年12月16日付)によると、専門家によるユネスコ世界ジオパーク・カウンシル セッション(評議会)で審査され、白山手取川ジオパークを世界ジオパークに認定することを勧告することが決まった。ことし5月10日にパリで開催される第216回ユネスコ執行委員会で承認され、世界ジオパークの認定が決定する。 

   白山は北陸3県ほか岐阜県にまたがる標高2702㍍の活火山であり=写真・上=、富士山、立山と並んで「日本三名山」あるは「三霊山」と古より称される。奈良時代には禅定道(ぜんじょうどう)と呼ばれた登山ルートが開拓され、山岳信仰のメッカでもあった。その白山を源流とする手取川は加賀平野を流れ、日本海に注ぎこむ。40万年前から火山活動が始まったとされる白山による噴出物によって大地がつくられ、その大地を手取川が削り、峡谷や扇状地、平野が形成されてきた。国内の世界ジオパークは、洞爺湖有珠山、アポイ岳、糸魚川、伊豆半島、山陰海岸、隠岐諸島、室戸、阿蘇、島原半島の9地域があり、白山手取川の認定が正式に決まれば10番目となる。

   白山と手取川が世界ジオパークの国際評価を受けると、ジオパーク愛好家やインバウンド観光客が世界から続々と集まってきて、大地を楽しみ学ぶジオツアーも盛んになるだろう。地元メディアの報道によると、白山市は当初予算案に国際セミナーの開催やツアー会社との連携など関連費3460万円を盛り込んでいる。

   観光もさることながら学びも積極的に入れてはどうだろうか。手取川は加賀平野の水田を潤してきた=写真・下、石川県庁公式サイト「くらし・教育・環境」手取川扇状地より=。一方で、「暴れ川」の歴史があり、いまも自治体のハザードマップでは下流域は赤く染まっている。昭和9年(1934)7月11日の大水害は、いまでも語り継がれている。白山の雪解け水に加え、1日の雨量352㍉という記録的な豪雨に見舞われた。「百万貫岩」と地元で称される推定4800㌧もの巨大な岩が鉄砲水で流され、また流域の死者・行方不明者も110人余りと記録されている。

   この流域では治水対策は永遠のテーマでもある。ジオパークの学びとして、リスクの視点から「7・11」の事例を紹介し、地域の人々が長年積み上げてきた水害対策の試みについて説明することで、白山手取川ジオパークの価値がさらに高まるかもしれない。

⇒17日(金)夜・金沢の天気      くもり