#珠洲市

☆続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~2~

☆続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~2~

   「奥能登国際芸術祭2020+」で色鮮やかな海をテーマとしているのが、ひびのこずえ氏の作品「Come and Go」=写真・上=だ。作品展示だけでなく、ダンスも演じるパフォーマンスたっぷりの芸術だ。テーマとしているのは能登の海。一般には冬場の鉛色の荒れた海を想像しがちだが、じつにカラフルな構成になっている。

      自然環境と人々の暮らし、能登の森羅万象をアートに

   実際にひびのこずえ氏は能登の海を潜って得た感性で作品づくりをしている。寄せては返す潮の満ち引き、それは出会いと別れでもあり、移り変わりでもある。ここから作品名を「Come and Go」と名付けられたとボランティアガイドから説明を受けた。

   展示作品は海中のイメージを表現している。写真の真ん中に大きなウミガメがいて、海藻や魚、クラゲもいる。ここは海であり、地球であり、そして宇宙をイメージする、まるで無重力空間のようだ。

   奥能登国際芸術祭には金沢美術工芸大学も出品している。教員・学生60人余りで構成するアートプロジェクトチーム「スズプロ」。市内の広々とした旧家の屋敷を借りて、5つの作品を展示している。スズプロは2017年の芸術祭から参加しているが、今回は新作として『いのりを漕ぐ』という大作を展示している。客間に能登産材の「アテ」(能登ヒバ)を持ち込み、波と手のひらをモチーフに全面に彫刻を施したもの。学生らがチェーンソーやノミでひたすら木を彫り込んだ。

   教員・学生たちのは一年を通して珠洲の祭りや伝統行事に参加しながら地域交流を深めている。そして、日本海を見渡すこの地域の調査研究を行い、ここでしか表現し得ない作品の制作を目指してきた。アテを使ったのも、この木が能登特産の素材だからだ。そして「能登曼荼羅(まんだら)」=写真・下=という作品がある。これは2017年制作の作品だが、その地域研究の成果が凝縮されている。「奥能登を、絵解く」をテーマに、人々の四季の暮らしや生業(なりわい)、祭り行事、喜び悲しみの表情まで実に細かく描写されている。まさに、森羅万象の仏教絵画の世界なのだ。

⇒18日(月)夜・金沢の天気     はれ

★能登の地震、地球は動く

★能登の地震、地球は動く

   きのうの地震は金沢でも揺れを感じた。16日午後6時42分ごろ、能登半島の尖端を震源とする強い地震があった=写真・上=。気象庁によると、震源の深さは13㌔で地震の規模を示すマグニチュードは5.1と推定されている。震源近くの珠洲市では震度5弱を、隣接の能登町では震度4を。このほか震度3の揺れは輪島市や新潟県、長野県でも観測された。金沢は震度2だった。きょうのテレビニュースによると、人的な被害は出ていない。また、珠洲市で開催されている奥能登国際芸術祭の展示作品などへの影響はいまのところないようだ。

   ことしに入って能登半島を震源とした震度1以上の揺れはきのう夕方を含めて36回(震度3以上は7回)発生している。2020年は11回(同2回)、2019年は9回(同1回)、2018年は3回(同0回)だったので、地震活動が活発化していることが分かる(tenki.jp「石川県能登地方を震源とする地震情報」)。

   能登半島の地震と言えば、2007年3月25日午前9時41分の能登半島地震を思い出す。輪島市などで震度6強、マグニチュードは6.9だった。本震の後、震度5弱の余震も続いた。被害は死者1人、負傷者356人、全壊家屋686棟、半壊家屋1740棟、一部損壊家屋2万6958棟に及んだ(Wikipedia「能登半島地震」)。震災の翌日、学生たちといっしょに復旧のボランティアに被災地に入ろうとしたが、余震があり危険として現地の対策本部から待ったがかかり、3日後に被災地に入ったことを覚えている。。

   能登半島地震について、北陸地方の地震活動に詳しい地震学者の尾池和夫氏(2007年当時・京都大学総長)は「ユーラシアプレート内部で発生したと考えられるが、あまり大きな地震の起きない珍しい場所での地震だ」と話し、そのうえで「ユーラシアプレートに乗っている西日本全体の地震活動が活発化している。今回の地震で、このプレート東端の能登半島沖まで、大きな地震が進行してきたことが明らかになった」と述べていた(2007年3月25日付・読売新聞Web版)。

   学生時代に読んだ小松左京のSF小説『日本沈没』では、ユーラシアプレートに乗っている能登半島など日本列島は太平洋プレートに押され沈没するが、最後に沈むのが能登半島という設定だったと記憶している。そんな印象から、能登は地震の少ない地域だと思っていたのだが。やはり地殻変動が起きているのか。地球は動く。

⇒17日(金)午後・金沢の天気  くもり時々あめ  

★「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~5~

★「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~5~

   能登半島の先端部分、いわゆる奥能登を走行していた「のと鉄道能登線」が全線廃線となったのは2005年4月だった。かつての駅舎や線路、トンネルが今でも残っている。珠洲市で開催されている「奥能登国際芸術祭2020+」では46ヵ所で作品が展示されているが、うち7つがかつての駅舎や線路を活用した作品だ。

    廃線の場から発するアーティストの想い、そしてメッセージ

   道路で断ち切られた線路跡に設置されている、ドイツのトビアス・レーベルガー氏の作品「Something Else is Possible(なにか他にできる)」は前回(2017年)の作品=写真・上=だが、今でも寒色から暖色へのグラデーションが青空に映える。渦を巻くような内部には双眼鏡が置かれている。のぞいてみると、線路の200㍍ほど先にあるかつての終着駅、「蛸島駅」の近くに少し派手なメッセージ看板が見える。「something  ELSE  is  POSSIBLE」と記されている。「ELSE」と「POSSIBLE」が大文字で強調されている。線路も駅もここで終わっているが、この先の未来には可能性はいくらだってある、と解釈する。レーベルガー氏が珠洲の人々に贈ったメッセージではないだろうか。

   旧・鵜飼駅にあるのが、香港の作家、郭達麟(ディラン・カク)氏の作品「😂」だ。絵文字なので、使う人や読む人にとって少々意味がずれてくるかもしれない。ネットで検索すると、「うれし泣き」「泣けるほど感動」「深く感謝」といった意味だ。作品は、2つある。旧駅舎を郵便局に見立てて、絵葉書などを展示している。せっかく能登半島に来たのだから、ゆったりとした気持ちで葉書でも書いて送りましょう、とのメッセージのようも思える。そして、線路では、スマホに没頭するサルのオブジェがある=写真・中=。作者は香港から奥能登に来て、東京など大都会とはまったく異なる風景や時間の流れを感じたに違いない。スマホが象徴する気ぜわしい現代、そして時間がゆったりと流れる能登。「😂」の絵文字はその能登に感動したという意味を込めているのだろうか。

   旧・正院駅には「植木鉢」を巨大化した「植林鉢」という作品が並ぶ=写真・下=。サンパウロに生まれ、ニューヨークに拠点を構えて、建築家、そしてアーティストとして活躍する大岩オスカール氏の作品だ。駅舎を囲むように植えられているのはソメイヨシノ。作者はおそらく春に現地にやって来た。そこで見たサクラのきれいなこの場所に感動し、秋は紅葉の名所にしたいと考えたのではないだろうか。ガイドブックによると、植林の材料のタンクは、地元の焼酎蒸留会社の不要になったタンクをリサイクルしたもの。巨大な植木鉢の側面には、能登で見た海の波、そして海を赤く染める夕日が描かれている。

   アーティストが廃線という場で、それぞれの想いやメッセージを込めて、創作に没頭する姿を改めて思い描いた。

⇒9日(木)午前・金沢の天気      くもり後はれ

☆「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~4~

☆「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~4~

     「奥能登国際芸術祭2020+」では海の環境問題をテーマにした作品を鑑賞した。大陸と向き合う能登半島の海沿いは「外浦(そとうら)」と呼ばれる。その外浦の笹波海岸にインドの作家スボード・グプタ氏の作品「Think about me(私のこと考えて)」がある。大きなバケツがひっくり返され、海の漂着物がどっと捨てられるというイメージだ=写真・上=。プラスチック製浮子(うき)や魚網などの漁具のほか、ポリタンク、プラスチック製容器など生活用品、自然災害で出たと思われる木材などさまざまな海洋ゴミだ。ガイドブックによると、これらの漂着ごみのほとんどが実際にこの地域に流れ着いたものだ。

    日本海の海洋ごみ問題を訴える「Think about me」

           前回(2017年)の奥能登国際芸術祭でも同じ海岸で、深澤孝史氏が「神話の続き」と題する作品=で、この地域に流れ着いた海洋ごみを用いて、神社の鳥居を模倣して創作した=写真・下=。古来より、強い偏西風と荒波に見舞われる外浦の海岸には、大陸から流れ出たものを含めさまざまな漂流物が流れ着く。大昔は仏像なども流れてきて、「寄り神」として祀られたこともあるが、現在ではそのほとんどが対岸の国で発生したプラスチックごみや漁船から投棄された漁具類だ。

   データがある。石川県廃棄物対策課の調査(2017年2月27日-3月2日)によると、県内の加賀市から珠洲市までの14の市町の海岸で合計962個のポリタンクが漂着していた。ポリタンクは20㍑ほどの液体が入るサイズが主で、そのうちの57%に当たる549個にハングル文字が書かれ、373個は文字不明、27個は英語、10個は中国語、日本語は3個だった。ポリタンクだけではない。医療系廃棄物(注射器、薬瓶、プラスチック容器など)の漂着もすさまじい。環境省が2007年3月にまとめた1年間の医療系廃棄の漂着は日本海沿岸地域を中心に2万6千点以上あった。

   漂着物は目に見える。もっと問題なのは一見して見えない、大きさ5㍉以下のいわゆる、マイクロプラスティックではないだろうか。ポリタンクやペットボトル、トレーなどが漂流している間に折れ、砕け、小さくなって海を漂う。マイクロプラスチックを小魚が飲み込み、さらに小魚を食べる魚にはマイクロプラスチックが蓄積されいく。食物連鎖の中で蓄積されたマイクロプラティックを今度は人が食べる。単なるプラスティックならば体外に排出されるだろうが、有害物質に変化したりしていると体内に残留する可能性は高いとされる。

   ポリタンクや医療系廃棄物の不法な海洋投棄は国際問題だ。「地中海の汚染防止条約」とも呼ばれるバルセロナ条約は21ヵ国とEUが締約国として名を連ね、1978年に発効した。条約化を主導したのは国連環境計画(UNEP)だった。UNEPの研究員アルフォンス・カンブ氏と能登の外浦で意見交換したことがある。そのとき、彼が強調したことは日本海にも汚染防止条約が必要だ、と。あれから15年余り経つが、汚染はさらに深刻になっている。日本海の汚染防止条約が今こそ必用だと実感している。スボード・グプタ氏の作品は海洋汚染を「自分事」として考えることが必要だと訴えているのではないか。「Think about me」と。

⇒8日(水)午前・金沢の天気     あめ

★「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~3~

★「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~3~

         「奥能登国際芸術祭2020+」が開催されている石川県珠洲市は能登半島の尖端に位置する。さらに海に突き出た最尖端に「禄剛崎(ろっこうざき)灯台」がある。灯台の近くには、「ウラジオストック 772㎞」「東京 302㎞」などと記された方向看板がある=写真・上=。この看板を見ただけでも、最果ての地に来たという旅情が沸いてくる。別の石碑を見ると、「日本列島ここが中心」と記されている。確かに地図で眺めても能登半島は本州のほぼ中央に位置する。最果てでありながら、列島の中心分に位置するという不思議な感覚が今回のアートでも表現されている。

   能登半島を中心に描くジオアート、クジラ伝説を描く考古学アート

   市内の多目的ホール「ラポルトすず」のロビーに、加藤力、渡辺五大、山崎真一の3氏によるアーティストユニット「力五山」が創作した「漂流記」が展示されている=写真・中=。アクリル板を使って日本列島と島々を表現し、天井から逆さでつるすことで、周辺の海域や能登半島と大陸の位置関係などを示している。背景の壁面にはユーラシア大陸が描かれ、周辺海域や日本列島の特性、大陸と能登半島の歴史などもゆらゆらと揺れながら浮かび上がる。

   「漂流記」という作品タイトルはおそらく、作品全体が館内の空調でゆらゆら揺れることから、あたかも大陸から船に乗って能登半島に渡って来るイメージではないか。能登半島には平安時代に大陸の渤海からの使節団を迎える「能登客院」が置かれ、大陸の玄関口だったとの言い伝えがある。それにしても、実にダイナミックな「ジオアート( Geo Art)」だ。

           そして、「考古学アート」もある。 珠洲市には、イルカを祭神の使いとして祀る須須神社があり、同神社前の海にイルカが現れると地元では「三崎詣(まり)り」と呼んで、その姿に合掌する習わしがある。また、同市馬緤(まつなぎ)の海岸には、「巨鯨慰霊碑」がある。明治から昭和にかけて、シロナガスクジラなどが岩場に漂着し、地域の人たちに恵みをもたらした。それに感謝する碑である。こうした海の生き物に感謝する歴史と伝説を調査し、土地の人々からの聞き取りを基に、台湾出身の作家、涂維政(トゥ・ウィチェン)氏は「クジラ伝説遺跡」を創作した。

    旧・日置小中学校のグラウンドには、体長10㍍のクジラの骨が出土する考古遺跡がアートとして再現されている=写真・下=。遠い昔の伝説、海の生き物への感謝、そして生命の営みの跡という実感がリアルに迫って来る。骨組みの一つ一つが丁寧に創られ、まさに発掘現場を描く「考古学アート」ではないだろうか。

⇒7日(火)午後・金沢の天気     くもり

☆「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~2~

☆「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~2~

   エルサルバドルの芸術家シモン・ヴェガ氏の作品「月うさぎ:ルナークルーザー」は木造の月面探査機が海に向かって飛び出そうとしているイメージだ=写真・上=。珠洲の空き家から出た廃材と、宇宙船という非日常性が一体化したフォルムがなんとも面白い。創作された場は児童公園なので、おそらく子どもたちの人気の的になっているに違いない。ガイドブックによると、「未来は過去の中にある」というヴェガ氏のコンセプトを表現している。そして、作品づくりにあたっては地元の伝説などをよくリサーチしたようだ。

    海が見える歴史の場、生業の場で発想したアートとは何か

   なぜこの海をのぞむ児童公園を創作の場に選んだのか。上記のガイドブックを読んでなんとなくイメージが浮かんできた。この公園の入り口には、万葉の歌人として知られる大伴家持が珠洲を訪れたときの歌碑=写真・中=がある。「珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり」。748年、越中国司だった大伴家持が能登へ巡行し、最後の訪問地だった珠洲で朝から船に乗って越中国府に到着したときは夜だったという歌だ。当時は大陸の渤海(698-926年)からの使節団が能登をルートに奈良朝廷を訪れており、大伴家持が乗った船はまさに月面探査機をイメージさせるような使節団の船ではなかったか。ヴェガ氏もこの話を地元の人たちからこの話を聞いて発想し、ここでルナークルーザーを創ったとすれば、歴史の場を意識した作品ではないのか。こうした勝手解釈ができるところが作品鑑賞の楽しみでもある。

   普通の工場なのだが、海が見渡せると発想すると工場全体がアートにもなる。これが芸術作品かと一瞬思ってしまうのが、沖縄・東京・地元珠洲の作家とデザイしたチーム「Noto Aemono Project」が制作した「海の見える製材所」=写真・下=。製材所の海側の壁は透明なアクリル壁に手直しされ、ベンチに座ると海の水平線を望むことができる。

  チ-ムのテーマはもっと深い。製材所という工場の歴史と役割だ。かつて地域の森で育まれ、伐り出された木は建築材として活用されてきた。しかし、安価な輸入木材などが使われるようになり、地域の木が使われなくなった分、山は荒れてクマやイノシシなどがはびこるようになった。地域材の循環という視点からも製材所の果たす役割は大きい。海を前にたたずむ製材所から見える山と里、人と暮らし、自然環境と地域経済の繋がりが見えてくる。海の見える製材所を見出したアーティストの感性が伝わってくる。

⇒6日(月)午前・金沢の天気     はれ

☆「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~1~

☆「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~1~

   能登半島の尖端に位置する珠洲市で「奥能登国際芸術祭2020+」がきょう4日開幕し、さっそく鑑賞に出かけた。3年に一度のトリエンナーレで今回が2回目。当初は昨年の秋開催だったが、新型コロナウイルスの影響で1年間延期となっていた。16の国と地域から53組のアーティストが参加し、46ヵ所で作品が展示されているが、石川県には「まん延防止等重点措置」が適用されていて、屋内の作品を中心に25ヵ所が今月12日まで公開を見合わせとなっている。

       タイムカプセルに触れるような「劇場型民俗博物館」

   最初に足を運んだのは、「スズ・シアター・ミュージアム」。オープン時間が午前9時だと勘違いして並んだところ、実際は午前9時30分だったので、はからずも開会初日の一番乗りとなった。屋内での作品鑑賞ということで、検温など「コロナ検査」があり、さらに行動履歴が追跡できるリストバンドをして中に入る。

   このミュージアムのコンセプトは「大蔵ざらえプロジェクト」。珠洲は古来より農業や漁業、商いが盛んだった。当時の文物は、時代とともに使われる機会が減り、多くが家の蔵や納屋に保管されたまま忘れ去れたものが数多くある。市民の協力を得て蔵ざらえした文物をアーティストと専門家が関わり、博物館と劇場が一体化した劇場型民俗博物館としてオープンした。会場そのものも、日本海を見下ろす高台にある旧小学校の体育館を活用している。

   市内65世帯から1500点の民具を集め、8組のアーティストが「空間芸術」として展示している。会場に入ると、天井から紐が無数に垂れ下がっていた。地域の祭礼でかつて使われていた「奉灯キリコ」に古着を裂いて結びなおした1万本の紐を垂らして、あたかも森のような空間を創っている=写真・上=。その、奥能登の祭りの夜に、「ヨバレ」というおもてなしに使われた朱塗りの御膳などが並ぶ。地域の歴史や食文化を彷彿させる=写真・中=。「唐箕(とうみ)」が並んでいた。脱穀した籾からゴミを取り除く農具で昔の農村では一家に一台はあった。それを並べて陳列することで、農村の風景が蘇る。そのほか、1960年代の白黒テレビや家電製品も並ぶ。

   会場の中央アリーナには珠洲の古代の地層から掘り出された砂を敷き詰めた砂浜がしつらえられ、古びた木造船とピアノ、そして漁具が置かれている。そこに波の映像がかぶさる=写真・下=。シアターの時間が来ると、波が打ち寄せる波や風の音、そしてかつてこの地域に歌われていた民謡が流れて、会場の古い民具と響き合い、記憶の残照が浮き上がる。   

   珠洲は世界農業遺産に認定された美しく豊かな里山里海が広がり、その自然を背景に揚げ浜式製塩法や珠洲焼、ユネスコ無形文化遺産に登録されている農耕儀礼「あえのこと」、そして日本遺産「キリコ祭り」など伝統的な産業や文化が受け継がれている。「スズ・シアター・ミュージアム」では、まるで上質なタイムカプセルに触れるような心癒される風景に出会う。

⇒4日(土)夜・珠洲の天気    くもり

★「失われゆくモノ」に見出す新たな芸術価値

★「失われゆくモノ」に見出す新たな芸術価値

   あと3週間で「奥能登国際芸術祭2020+」(9月4日-10月24日)が石川県珠洲市で開幕する。16の国と地域から53組の芸術家たちが参加する。ローカルメディアによると、現場ではすでにアーティスト・イン・レジデンスによる作品づくりが市民も巻き込んで盛り上がっている。

   自身も開幕の日から現地に赴き芸術の秋を堪能することにしている。楽しみにしているのは「大蔵ざらえプロジェクト」。能登半島の先端に位置する珠洲市は古来より陸や海の交易が盛んだった。珠洲にもたらされた当時の貴重な文物は、時代とともに使われる機会が減り、多くが家の蔵に保管されたままになり忘れ去れたものも数多くある。市民の協力を得て蔵ざらえした文物をアーティストと専門家が関わり、博物館と劇場が一体化した劇場型民俗博物館「スズ・シアター・ミュージアム」が新たに開設される。芸術祭の総合ディレクター、北川フラム氏のアイデアで、「失われゆくモノから新たな社会共通資本をつくろう」と新たなアートの可能性を創造する。

          大蔵ざらえで回収された文物は日用品のほか、農具や漁具、膳や椀、キリコ灯籠、屏風や掛け軸など、まさに行き場のなくなったモノが美術や民俗、人類学、歴史学などに分類される。さらに、アーティストたちの手が施されることによって、現在から数百年余り昔への時間の旅、そして海を越えてつながる各地の風景を感じさせる旅へと誘ってくれること楽しみにしている。「スズ・シアター・ミュージアム」そのものも廃校となった小学校を活用している。

   ただ心配しているのは、このところ続いている地震だ。14日午後10時38分ごろ、能登半島の先端東側を震源とするマグニチュード4.1の地震が発生し、珠洲市で震度3の揺れを観測している。この地域では7月に地震活動が活発になり、7月11日には最大震度4が観測されている(15日付・ウエザーニュース公式ホームページ)。アーティストが丹精込めて制作した作品群に被害が及ぶのではないかと、芸術祭ファンの一人として気がかりではある。

(※写真は「海揚がりの珠洲焼」。珠洲は室町時代にかけて中世日本を代表する焼き物の産地だった。各地へ船で運ぶ際に船が難破。海底に眠っていた壺やかめが漁船の底引き網に引っ掛かり、幻の古陶が時を超えて揚がってくることがある=「奥能登国際芸術祭2020+」公式ホームページより)

⇒16日(月)午前・金沢の天気     くもり

☆さいはての芸術祭 美術の最先端

☆さいはての芸術祭 美術の最先端

   能登半島の尖端に位置する石川県珠洲(すず)市でことし9月に開催される「奥能登国際芸術祭2020+」の市の担当者から先日、パンフレットを手渡しでいただいた。本来は昨年2020年の秋に開催だったが、新型コロナウイルスの感染拡大で1年間延期となっていた。パンフに会期が9月4日から10月24日と記されていたので、「開催まで50日を切り、いよいよですね。前回(2017年)は『最涯(さいはて)』がテーマでしたが、今回は何ですか」と尋ねると、担当者は「大蔵ざらえなんですよ」と。「大蔵ざらえって、店仕舞いのセールスのときに使う言葉ですよね」と確かめると、「そうです。大蔵ざらえがアートになるんです」とにやりと笑った。

   パンフのメインの写真は、風でうなだれた海辺の松の木の下に六曲屏風や木桶、旧式のテレビ、壺などが置かれたものだ=写真=。よく見ると、「塩」と書かれた看板がある。珠洲は揚げ浜式塩田が栄えた土地なので、この家はかつてその塩を販売していた家なのかと想像した。不思議なもので、古い家具や道具などを見ると、つい、それを使っていた人々や生業、日常というもの思い浮かべてしまうものだ。では、それをどのようにアートにするのか。

   市内の廃校となった小学校体育館に家庭の蔵や納屋、押し入れやなどに眠っている古道具などのモノを集められ、それをもとにアーティストたちがいくつかの作品に仕上げていく。これに市民もサポーターとして参加し、古道具の搬入や、作品づくり欠かせない紐(ひも)を古着や古い布を材料につくるなど協力している。これまで市内の65軒から1500点を超える民具を収集したそうだ。

   これを「大蔵ざらえプロジェクト」と名付けて発案したのは芸術祭の総合ディレクター、北川フラム氏のひらめきだという。パンフはこう解説がある。

「陸や海の交易などにより珠洲にもたらされた文物は、時代とともに使われる機会が減り、その多くが家の蔵に保管されています。過疎、高齢化が進む珠洲では『家じまい』も進んでいます。江戸、明治、大正、昭和、平成、各時代の文物を珠洲じゅうから集め、アーティストと専門家が関わり、モノが主役の博物館と劇場が一体化した『スズ・シアター・ミュージアム』が誕生します」

   珠洲市は高齢化率が50%を超え、空き家や高齢世帯の増加が深刻な問題になっている。その中から、これまでになかった新たなアートの可能性を見出していく。北川フラム氏がよく使う言葉は、「失われゆくモノから新たな社会共通資本をつくろう」だ。そして、「大蔵ざらえプロジェックト」と銘打って、古道具アートの展示場を、劇場型民俗博物館「スズ・シアター・ミュージアム」と名付けた。

   奥能登国際芸術祭は「最涯(さいはて)の芸術祭、美術の最先端。」のキャッチで、16の国と地域から53組のアーティストが参加する。現場ではすでにアーチスト・イン・レジデンスによる作品づくりで、市民も巻き込んで盛り上がっているようだ。

   ちなみに、同市の人口は1万3400人で、石川県19市町のトップを切って4月13日に新型コロナウイルスのワクチン接種をスタートとさせ、8月中には中学生以上の希望者全員の接種を終える予定だ。感染者の累計は4人と県内でもっとも少ない。9月4日に始まる芸術祭を意識してコロナ対策の先手を打ってきたことが奏功している。

⇒21日(水)午後・金沢の天気      はれ

☆企業版パーマカルチャーの時代

☆企業版パーマカルチャーの時代

   このブログで「パ-マルチャー」という言葉を何度か使って、リスクヘッジと人間の行動の解析を試みた。パーマネント・アグリカルチャー(パーマカルチャー=Permaculture、持続型農業)の略語だ。農業のある暮らしを志す都会の若者たちの間で共通認識となっている言葉だ。農業だけではなく、地域社会の伝統文化を守ることで自分を活かしたいと考えている若者たちも多く見受けられるようになった。

   このパーマカルチャーの発想で若者たちの地方への流れができたのは直近で言えば、2011年3月の東日本大震災のときだった。金沢大学が2007年度から能登半島で実施している人材育成事業「能登里山マイスター養成プログラム」の2011年度募集に初めて東京からの受講希望が数名あった。面接で受講の動機を尋ね、出てきた言葉が「パーマカルチャー」だった。里山や農業のことを学び、将来は移住したいとの希望だった。実際、東京から夜行バスで金沢に到着し、それから再びバスで能登に。あるいは前日に羽田空港から能登空港に入り、月4回(土曜日)能登で学んだ。その後、実際に能登に移住した受講生もいた。

   そして、パーマカルチャーの第2波が新型コロナウイルスの感染拡大にともなう動きだ。コロナ禍で、石川県の自治体への移住相談が増えていて、とくに能登地域にある七尾市では前年同時期の約12倍、珠洲市は約4倍になっているという(2020年7月11日付・日経新聞北陸版)。コロナ禍をきっかにリモートワークが広がった。光回線や5Gなど通信インフラが整っていれば、東京に在住する必要性はない。第2波で特徴的なのは、このリモートワークをきっかけに、人だけではなく企業そのものが「本社移転」を目指し始めたことだ。

    昨年7月、総合人材サービスの「パソナグループ」は東京の本社機能の一部を兵庫県淡路島に移転すると発表し注目を浴びた。そして、東証一部の医薬品商社「イワキ」の社長はきのう29日に石川県の谷本知事を訪ね、ことし6月から本社機能の一部を東京から能登半島の最先端・珠洲市に移転することを報告した。同社は珠洲にテレワークの拠点を置き、同月から持ち株会社「アステナホールディングス」に移行、人事や経理を中心に希望者が移住する。メディア各社の記事=写真=を読んで、同社の本気度が伝わってきた。
  
   パーマカルチャーは人間の本能ではないかと察している。コロナ禍だけでなく、天変地異のリスクが東京で起きたとき、企業は果たして存続できるのか。パソナにしても、イワキにしてもそうしたことを本能的に嗅ぎ取って先回りをしているのではないかと思えてならない。もちろん企業的な計算や価値判断もあるだろう。能登でどのような企業展開を試みるのか注目したい。

⇒30日(土)夜・金沢の天気    あめ