#珠洲市

☆能登半島地震 赤い糸『時を運ぶ船』は残った

☆能登半島地震 赤い糸『時を運ぶ船』は残った

   今回の大地震で半島の尖端、珠洲市は震度6強に見舞われた。先日(1月30日)同市を訪れた際にこの目で確かめておきたいところがあったが、時間がなかったことと、がけ崩れなどで通行止めとなっていてそれは叶わなかった。

   この目で確かめたかったこと、それは珠洲市で開催された奥能登国際芸術祭の作品だった。金沢市在住のアーティスト山本基氏の作品『記憶への回廊』(2021年制作)=写真・上=が倒壊したとメディア各社が報道していた。作品がある場所は、旧・保育所の施設。真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれ、活気と静謐(せいひつ)が交錯するような空間が演出されている。遊戯場には塩を素材にした立体アートが据えられ、天空への階段のようなイメージだ。途中で壊れたように見える部分は作者が意図的に初めから崩したもので、地震によるものではない。作品には10㌧もの塩が使われている。2023年5月5日に起きた震度6強の揺れには耐えたが、今回の地震では塩の作品が崩れたという(※写真は2022年8月23日に撮影)。

   塩田千春氏(日本/ドイツ)の作品『時を運ぶ船』=写真・下=は芸術祭の公式ガイドブックの表紙を飾るなどシンボル的な作品だ。この作品は2017年の第1回芸術祭で制作された。赤い毛糸は強烈なイメージで、作品を観賞するたびに人間の本能をくすぐるような感動を覚える。この作品は無事だったようだ(※写真は2023年8月23日に撮影)。

   珠洲市で展示されていた作品の多くはダメージを被った。メディアの報道によると、奥能登国際芸術祭の総合ディレクターである北川フラム氏は震災に関する支援を行う「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」を立ち上げた。アーティストやサポーターで構成する有志グループで、被災した人たちと協力しながら、同地の復興に寄与していくという。北川氏は述べている。「珠洲の人々と他地域の人々を結びつけるアート作品や施設の撤去、修繕、再建などを行い、珠洲に思いを寄せる人々の力を結集したいと考えます」(「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」公式サイト)。

   「ヤッサー」は珠洲の祭りの掛け声で、若い衆が力を合わせて巨大なキリコや曳山を動かすときに「ヤッサーヤッサー」と声を出して気持ちを一つにする。北川氏は芸術への想い、地域復興への願いを一つに込めて動き出そうとしている。

⇒4日(日)夜・金沢の天気   くもり

★能登半島地震 生き埋め捜索急ぐも「72時間の壁」

★能登半島地震 生き埋め捜索急ぐも「72時間の壁」

   能登半島の尖端にある珠洲市の泉谷満寿裕市長は逆境を乗り越え、チャレンジ精神あふれる政治家でもある。去年5月5日に震度6強に見舞われ、9月に予定していた「奥能登国際芸術祭2023」を開催すべきかどうかどうかで市議会などで意見が分かれた際も、泉谷市長は「地域が悲嘆にくれる中、何か目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁し、予定より3週間遅れで開催にこぎつけた。51日間の会期で延べ5万1000人を上回る来場者があり、予想を上回るにぎわいを見せた。その泉谷市長が今回の地震で発した言葉が、「壊滅的な状況」だった。

   2日午前に開催された石川県災害対策本部員会議にオンランで出席した泉谷市長が発した言葉だった。珠洲市は今回の地震で震度6強と津波に見舞われ、人口1万2600人・世帯数5800世帯のうち全壊が1000世帯となった。同市の避難者数は6250人(8日午前8時現在)。インフラでは断水4800戸(4日午前8時現在)、停電8100戸(同)となっている。そして、差し迫っているのは「72時間の壁」だ。(※写真は、4日付の地元紙夕刊)

   珠洲市での死者23人(4日午後現在)、そして安否不明者は35人におよぶ。しかし、全壊が1000世帯もあり、一家ごと生き埋めになっているケースもあるだろう。能登は高齢者の一人暮らしの割合も高いので、はたしてどれだけの人が安否不明なのか全容はわかっていない。生存率が大幅に下がるとされる発生72時間がきょう午後4時に迫っている。まだ多くの人が倒壊した建物に取り残されているに違いない。

   珠洲市内には全国各地から災害救助犬25頭以上が到着し、倒壊家屋の中に人がいないか捜索活動にあたってる。72時間の壁が迫る中で泉谷市長は「力を振り絞って人命救助に取り組んでほしい」と訴えた(3日・県災害対策本部員会議)。「壊滅的な状況」の言葉から泉谷市長の必死の願いが伝わってくる。

⇒4日(木)午後・金沢の天気    はれ

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~9 踊りのアート

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~9 踊りのアート

   奥能登国際芸術祭では踊る舞うのダンス・パフォーマンスもアートだ。総合ディレクターの北川フラム氏がガイドするバスツアーに参加すると、面白いステージを2ヵ所めぐることができた。

   最初のステージは『MAMMOTH(マンモス)』。コスチューム・アーティストのひびのこづえ氏、ダンス・パフォーマー藤村港平氏、そして音楽は川瀬浩介氏の3人の演出によるダンス・パフォーマンスだ。会場は旧・保育所の芝生の屋外ステージを予定していたが、この日は雨模様ということで、施設の中の体育広場で催された。

   マンモスを似せたコスチュームで藤村氏が現れ、観客をなでたり、脅かしたりと観客と絡みながら会場を歩き回る。ダンス・パフォーマンスは、マンモスの生きた時代から現代までの長い歴史を、衣装を替えながらダイナミックに、そして繊細にダンスで表現していく。滅びと再生、続く未来に人の姿はどうあるべきなのか、そんなことを感じさせる空気感がステージに漂う。それにしても、奇妙であり大胆なダンス・パフォーマンスだった。(※写真・上は旧保育所のステージ、写真・下はマンモスの衣装=出演中の撮影は禁止とされおり、写真は藤村港平氏ツイッターより)

   もう一つのダンス・パフォーマンス、世田谷シルクによる『おくのとのきおく』は海岸沿いの野営場で行われた=写真・下=。地元珠洲にある自然音や人の棲む生活音、出来事や昔の話など人の声を集め、それらを切り取って表現化している。『おくのとのきおく』は漢字で表記すれば「奥能登の記憶」。
 
            この創作演劇は劇場で行われるような会話劇ではなく、言葉にとらわれない身体表現だ。地域の音だけでなく、途中の振付はこの地域に伝わる「砂取節」や「ちょんがり節」など、土地になじみ深い民謡がそのまま演じられた。東京から来た演じ手たちは徹底的に地元を取材し、踊りや節回しの技を習得したにちがいない。まるで、「土地というパズルに音のピースをひとつひとつ拾い集めていくような感覚」がステージにあふれ、観賞する側を刺激する。視覚芸術のような60分間だった。
 
⇒22日(日)夜・金沢の天気   くもり

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~2 丘の上のアート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~2 丘の上のアート

   急な坂道を車で上り、丘の上に立つと眼下に日本海の絶景が広がる。芸術祭のために造られた「潮騒レストラン」に入る=写真・上=。水平線で区切られた空と海のコントラストを眺めながら、食事や喫茶ができる。地元の海で採れるアオサノリとサザエを具にしたパスタは海の香りを漂わせる。

   このレストランですごさを感じるのは一見して鉄骨を感じさせる構造だが、よく見るとすべて木製だ。公式ガイドブックによると、ヒノキの木を圧縮して強度を上げた木材を、鉄骨などで用いられる「トラス構造」で設計した、日本初の建造物となっている。日本海の強風に耐えるため本来は鉄骨構造が必要なのかもしれないが、それでは芸術祭にふさわしくない。そこで、鉄骨のような形状をした木製という稀にみる構造体になった。これもアートだ。

   海岸線に沿うように長さ40㍍、幅5㍍の細長いレストランを建築設計したのは建築家、坂茂(ばん・しげる)氏。被災地や紛争地で支援活動を続ける建築家としても知られる。ことし5月5日に震度6強に見舞われた珠洲市で、被災した人々に避難所用の「間仕切り」を公民館に設置した。現地で見学させてもらったが、ダンボール製の簡単な間仕切りだが、透けないカーテン布が張られ、プライバシーがしっかりと確保されていた。

   このレストランの横に旧・小学校の体育館を改修した「スズ・シアター・ミュージアム」=写真・下=がある。同市の文化の保存活用のため2021年に開業した民俗博物館。家庭で使用されてきた生活用具を集約し、展示・紹介するとともに、アーティストらによる物語が展開される体験型の施設だ。この地に根付く農林漁業の生業と生活文化、民具、民謡、祭囃子が映像や光、音とともに空間に響き渡る。

⇒26日(火)午後・金沢の天気   くもり時々あめ

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~1 シンボルアート

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~1 シンボルアート

   能登半島の尖端にある珠洲(すず)市で「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)が始まった。2017年に初めて開かれた国際芸術祭は3年に一度のトリエンナーレで開催されている。2020年はコロナ禍で1年間延期となり、翌年に「奥能登国際芸術祭2020+」として開催。3回目のことしは5月5日にマグニチュード6.5、震度6強の地震に見舞われて開催が危ぶまれたものの、会期を当初より3週間遅らせて開催にこぎつけた。14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内各所で展示されている。

   きのう24日に日帰りで会場を何ヵ所か訪れた。奥能登国際芸術祭の公式ガイドブックの表紙=写真・上=を飾っているのが、ドイツ・ベルリン在住のアーティスト、塩田千春氏の作品『時を運ぶ船』。「奥能登国際芸術祭2017」に制作されたが、芸術祭と言えばこの作品を思い浮かべるほど、シンボルのような存在感のある作品だ。塩砂を運ぶ舟から噴き出すように赤いアクリルの毛糸が網状に張り巡らされた空間。赤い毛糸は毛細血管のようにも見え、まるで母体の子宮の中の胎盤のようでもある。

   以下、ボランティアガイドの説明。作者の名前は「塩田」。珠洲の海岸には伝統的な揚げ浜式塩田があり、自分のルーツにつながるとインスピレーションを感じて、塩田が広がるこの地で創作活動に入ったそうだ。『時を運ぶ船』という作品名は塩田氏が珠洲のこの地域に伝わる歴史秘話を聴いて名付けたのだという。戦時中、地元のある浜士(製塩者)が軍から塩づくりを命じられ、出征を免れた。戦争で多くの友が命を落とし、その浜士は「命ある限り塩田を守る」と決意する。戦後、珠洲では浜士はたった一人となったが伝統の製塩技法を守り抜き、その後の塩田復興に大きく貢献した。技と時を背負い生き抜いた浜士の人生ドラマに塩田氏の創作意欲が着火したのだという。それにしてもこの膨大な数のアクリルの毛糸には圧倒される。

   海岸沿いで目立つのは、鳥居をモチーフとしたファイグ・アフメッド氏(アゼルバイジャン)の作品『自身への扉』=写真・下=。ガイドブックによると、作品は日の出と日の入りの間に立ち、人生における2つの側面を表現しているのだという。光を反射するスパンコールの鳥居をくぐると風の音が聞こえ、そして波が打ち寄せる。まるで、人生の「門」をくぐるという儀式のようだ。見学した時間は夕方午後5時を回っていたので、人生の黄昏時の門をくぐったことになるのだろうか。

⇒25日(月)午前・金沢の天気   はれ時々くもり   

★「震災復興の光に」アートを掲げ進む政治家の姿

★「震災復興の光に」アートを掲げ進む政治家の姿

   ことし5月5日に震度6強の揺れに見舞われた能登半島の尖端・珠洲市で、「奥能登国際芸術祭2023」が今月23日から11月12日まで開催される。3年に1度開催され今回は3回目となる。テーマは「最涯(さいはて)の芸術祭、美術の最先端。」。芸術祭の総合ディレクターをつとめるのはアートディレクターの北川フラム氏。そして、実行委員長は市長の泉谷満寿裕氏。震災という難局に見舞われながら、芸術祭を実行する意義は何なのか。

   石川県内の21の大学・短大などで構成する「大学コンソーシアム石川」のシティカレッジ授業(7月29日)で、泉谷氏の講義=写真・上=を聴講した。テーマは「さいはての地域経営」。その中で泉谷氏は芸術祭の開催意義について述べていた。

   珠洲市は人口1万3千人。過疎化が進み、本州で最も人口の少ない市でもある。一方で世界農業遺産「能登の里山里海」に認定され、農耕儀礼「あえのこと」はユネスコ無形文化遺産に登録。そして、珠洲市は佐渡のトキやコハクチョウなど野鳥が舞い降りる自然豊かな土地柄でもある。芸術祭の効果について、2017年の第1回芸術祭以降の5年間で移住者が269人になったと数字で説明があった。

   泉谷氏は「半島の尖端に位置する珠洲の潜在的な魅力がアートを通じて広がった。芸術家を志す若者や、オーガニック農業、リモートワーク、カフェの経営などさまざまな人たちが集まってきている」と強調した。アート作品は市内のさまざまな地域に点在し、作品はその地域の空間や歴史の特性を生かしたものが創作されている。なので、作品鑑賞をひとめぐりすると、同時に珠洲という土地柄も理解できる。これが移住を促すチャンスにもなっている。

   5月の震災では1人が亡くなり30人余りが負傷、全壊28棟・半壊103棟、一部損壊564棟などの被害を被った。ことしの開催に当たっては、「震災復興に集中すべき」と反対意見が多かった。芸術祭の市の予算は3億円余りで、復興に回すべきという議論も相次いだ。泉谷氏は、「何か目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたいと開催を決断した」とその想いを語った。(※写真・下は、塩田千春作『時を運ぶ船』をベースにした国際芸術祭2023パンフの表紙)

   また、震災後の人口動態は、5月から7月の3ゕ月では転入が50人、転出が47人で3人が転入超過だった。「これまで移住してくれた人たちがどこかに行くのではないかと心配したが、なんとか留まってくれている」と述べた。

   「震災復興の光」としての芸術祭ではインバウンド観光客の誘致にもチカラを入れたいと積極的だった。実際、講義が終わってから台湾へ芸術祭のツアーについて打ち合わせに行くとの話だった。その結果、今月から10月にかけて台湾から能登空港へのチャーター便が6便運航することが決まったようだ。

   「災い転じて福となす」ということわざがある。「震災復興の光に」とリーダーシップを発揮して、前に向いて進む政治家の姿こそ、アートなのかもしれない。

⇒7日(木)午前・金沢の天気    くもり一時あめ

★「負けとられん珠洲」 円相の熱いメッセージ

★「負けとられん珠洲」 円相の熱いメッセージ

   「負けとられん 珠洲!!」。5月5日に震度6強の揺れに見舞われた能登半島の尖端・珠洲市の知人から、メールで写真が送られてきた。ことし9月に同市で開催される「奥能登国際芸術祭2023」の企画発表会がきのう(10日)、多目的ホール「ラポルトすず」であり、作品紹介と同時に震災復興をアピールするロゴマークが公開された。それが、「負けとられん 珠洲!!」のキャッチコピーの作品=写真=という。「負けとられん」は能登の方言で、「負けてたまるか」の意味だ。

   今回の震災で同市では1人が亡くなり、30人余りが負傷、全壊28棟、半壊103棟、一部損壊564棟(5月30日時点・石川県調べ)など甚大な被害を被った。知人は発表会に参加していて、メールでロゴの制作者のことも述べていた。考案したのは金沢美術工芸大学の研究生の男性で22歳。実家が珠洲市で最も被害が大きかった正院町にあり、自宅の裏山が崩れて祖母が負傷したのだという。

   別の背景もメールに書かれてあった。奥能登国際芸術祭には毎回、金沢美大の学生チームが市内の古民家で作品を発表していたが、震災で作品制作を予定していた民家が使えなくなり、今回は出展を断念したということだった。そこで、奥能登国際芸術祭を主催する市側は、断念した金沢美大の学生チームに地震からの復興のロゴマークの制作を依頼した。学生チームには研究生も加わっていて、身内の負傷と出展断念の2重の痛手を乗り越えて、このロゴの制作に携わったようだ。

   送られてきたロゴの写真を視ると、文字を取り巻く「円」が印象的だ。しかも、下から「円」が力強く描かれて、下で切れている。いわゆる「円相」だ。中国・唐代の禅僧である盤山宝積の漢詩である「心月孤円光呑万象」(心月  孤円にして、光 万象を呑む)をイメージして描いたのが円相と言われる。円は欠けることのない無限の可能性を表現する。そう解釈すると、被災者である市民が心を一つにして、災害を乗り越えようという、力強いメッセージのようにも読める。

   3回目となる奥能登国際芸術祭は当初の開催予定より3週間遅れて9月23日から11月12日まで開かれ、14の国・地域から59組のアーティストが参加する。実行委員長である泉谷満寿裕市長が発表会で、「国際芸術祭が珠洲の復興に向けた光になればと思う」とあいさつしたとメールで書き添えられていた。市長のあいさつからも、「負けとられん珠洲」の熱いメッセージが伝わってくる。

⇒11日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆震度6強から1ヵ月 揺れ止まぬ能登は日本の縮図なのか

☆震度6強から1ヵ月 揺れ止まぬ能登は日本の縮図なのか

   能登半島の尖端を震源とするマグニチュード6.5、震度6強の地震が発生してきょう5日で1ヵ月が経った。地震は断続的に続いていて、きのう4日朝にもマグニチュード3.0、震度2の揺れがあった。震度1以上の揺れはことしに入って171回目となった(金沢地方気象台「震度1以上の日別震度回数・積算震度回数」より)。被災地では再建に向けて動き出しているが、課題も浮かんでいる。

   震度6強の揺れから10日目の15日に被害が大きかった珠洲市を訪れた。同市の全壊家屋は28棟、半壊103棟、一部損壊が564棟となった(5月30日現在・石川県庁調べ)。市内でもとくに被害が大きかった正院地区では、「危険」と書かれた赤い紙があちらこちらの家や店舗の正面に貼られてあった。貼り紙をよく見ると、「応急危険度判定」とある。   

   危険度判定は自治体が行う調査で、被災した建築物がその後の余震などによる倒壊の危険性や、外壁や窓ガラスの落下、設備の転倒などの危険性を判定し、人命に関わる二次的被害を防止するのが目的。判定結果は緑(調査済み)・黄(要注意)・赤(危険)の3段階で区分する。ただ、法的な拘束力はない。現地を訪れたときも、赤い紙が貼られている家だったが、買い物袋を持った住人らしき人たちが出入りしていた。危険と分かりながらも住んでおられるのかと思うと、自身も複雑な気持ちになった。

   地域経済にも深刻な被害をもたらしている。西村康稔経済産業大臣が今月3日に珠洲市を視察し、焼酎の製造会社で仕込み用タンクの損害や、「かめ」や「たる」が壊れて中身が流れ出たことについて説明を受けた。また、地元の伝統工芸品である珠洲焼の窯が壊れた状況を視察した。その様子を当日のNHKニュースが報じ、西村大臣は「事業を再開、再建できる支援をしていきたい。さまざまな補助金などがあるのでニーズに合わせて対応していく」と述べていた。また、同行した同市の泉谷満寿裕市長は「500以上の事業者が被害を受けた。事業者が再建をあきらめないように国の支援をお願いした」とインタビューに答えていた。

   能登半島では過疎高齢化が進み、空き家も目立っている。そこに追い打ちをかけるようにして、今度は震災に見舞われた。インタビューに答えていた泉谷市長は切実な表情だった。いつ揺れが止むか見通しが立たない。少子高齢化と地震多発の日本の縮図がここにある。災害復興のモデル地区として再生して欲しい、そう願わずにはいられない。

⇒5日(月)午前・金沢の天気    はれ

★能登の震度6強 避難所に「バンさんのマジキリ」

★能登の震度6強 避難所に「バンさんのマジキリ」

   前回ブログの続き。今回の地震6強の揺れで家屋などの被害が大きかった珠洲市正院町を歩いていると、横から声をかけられた。市長の泉谷満寿裕氏だった。金沢大学が2006年に開設した、生物多様性の学び舎「能登半島 里山里海自然学校」は泉谷市長との協働作業で同市で実現したプロジェクトだった。その経緯から、これまで何かと声をかけていただいている。

   立ち話で、「バンさんのマジキリがすごいので見に行かれたらいい」と。「バンさんのマジキリ」の意味が分からなかったが、「それはどこにありますか」と尋ねると、「大通りを右にまわって、駐在所の後ろにある正院公民館にある」とのことだった。

   さっそく行ってみると、公民館は避難所だった。玄関でスタッフに「バンさんのマジキリはどこにありますか」と尋ねると、案内してくれた。正直な話、珠洲市は国際芸術祭を開催しているので、泉谷市長から「バンさんのマジキリ」と聞いて、芸術作品かとも思っていた。ところが、実際に見てみると、避難所のパーテーションだった=写真・上=。

   スタッフの説明によると、建築家の坂茂(ばん・しげる)氏は、被災した人々にプライバシーを確保する避難所用の「間仕切り」の支援活動を行っていて、同市にもその間仕切りが寄贈された、とのこと。間仕切りは木製やプラスティックなどではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。カーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けない。中にあるベッドもダンボールだ=写真・下=。坂氏は1995年の阪神大震災を契機に災害支援活動に取り組んでいて、このような「バンさんのマジキリ」を開発したようだ。

   それにしても、泉谷市長からいきなり「バンさんのマジキリ」とは別の意味があるのではと考えてしまった。そこで、「珠洲市」「坂茂」でネット検索すると、ことし9月に開催を予定している「奥能登国際芸術祭2023」に向けて、日本海が見える丘にある劇場型民俗博物館「スズ・シアター・ミュージアム」の隣接地でカフェがオープンすることになっている。その建築設計を担当しているのが坂氏だった。おそらく、泉谷市長は坂氏とこれまで面談を重ねている。なので、「バンさん」と親し気な表現なのだと理解できた次第。

⇒17日(水)午後・金沢の天気   はれ

☆能登の震度6強 目にした崩落の現場

☆能登の震度6強 目にした崩落の現場

          能登半島の尖端で震度6強の地震が発生してきのう15日で10日目。恐る恐るだが午後に現地を訪ねた。恐る恐るというのも、きのう午前中も震度2が1回、そして昼過ぎに震度1が2回あった。揺れは続いているのだ。ただ、現地をこの目で確かめないことには気持ちが納まらないという想いもあり、エイッ、ヤッーと車のアクセルを踏んだ。

   金沢から2時間ほどで珠洲市に着いた。今回の地震では同市を中心に1人が亡くなり、40人がけが。住宅被害は全壊が16棟、半壊15棟、部分損壊が706棟となっている。また、住宅以外でも蔵や納屋など62棟に被害が及んでいる(石川県危機管理監室まとめ)。被害が大きかった同市正院町に入ると、全半壊の家屋や、土蔵の白壁が落ちる=写真・上=などの被害があちらこちらにあった。

   これまでの何度か購入したことがある酒造メーカー「櫻田酒造」を訪ねた。酒の貯蔵庫では屋根の落下や辻壁の剥がれ落ち、貯蔵タンクの一部が傾くなどしていた。震度6強の揺れでは、棚から出荷前の一升瓶が200本落ちて割れた。冬季の酒の仕込みに間に合うように酒蔵の改修工事を予定しているが、社長は「さらに強い地震が来るのではないかと不安もよぎる」と話した。   

   海岸沿いにある「須須(すず)神社」では鳥居が倒壊していた=写真・中=。この神社は、国指定重要文化財の「木造男神像」や、この地を訪れた源義経が海難を免れたお礼にと奉納した「蝉折の笛」や「弁慶の守刀」が収められていることで知られる由緒ある社だ。鳥居は花崗岩でできており、高さ9㍍もある大鳥居だった。近くを歩いていたシニアの男性に尋ねると、去年6月の地震6弱の揺れで鳥居が一部壊れ、修復工事を終えたばかりだったという。「また鳥居が崩れるなんて、残念です」と肩を落とした。

   山沿いに入ると裏山が崩れている民家があった。家まであと数㍍のところで土石流が止まっていた=写真・下=。揺れだけでなく、今後、大雨に見舞われたらさらに二次災害が起きるのではないかとつい不安がよぎった。

⇒16日(火)夜・金沢の天気    はれ