#河合雅雄

☆「自然に触れ、命と向き合う」河合雅雄氏の言葉

☆「自然に触れ、命と向き合う」河合雅雄氏の言葉

   ニホンザルなどの霊長類の研究で多大な功績を残した河合雅雄氏(京都大学名誉教授)が今月14日に亡くなられた。97歳だった。もう16年も前になるが、河合氏を金沢大学に招き、シンポジウムの基調講演をいただいた。80歳を過ぎておられたが、かくしゃくとした姿、語り口調だったことを覚えている。故人をしのんで、ネットで掲載した講演の主旨を再録する。

   2005年12月17日に開催したシンポジウムは朝日・大学パートナーズシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森 ~里山を『いま』に生かす~」(主催:金沢大学、龍谷大学、朝日新聞社)。基調講演のテーマは「森あそびのすすめ」。

                  ◇

   森林文化の盛んなヨーロッパを訪ねると驚く。森のかなり奥まで道があり、深い森の中をおばあさんが1人で歩いていたり、お年寄りが孫を連れて歩いていたりする。人々は命あるものとの交流を楽しんでいる。特にドイツ人は森が好きで、月曜の朝には「どこの森に行って来たの」というあいさつになるくらいだ。

   文化資源として森を利用するということが、日本では欠けている。文化とは、芸術だけではない。いろいろな「あそび」も文化だ。私はよく「森あそびのすすめ」と言っている。内容は、英語の頭文字で言うと「CSRE」。つまり、Cはカルチャー(文化)、Sはスポーツ、Rはレクリエーション、Eはエデュケーション(教育)だ。

   川あそびなら、わかるだろう。日本人は世界でも傑出した川あそびの文化をつくってきた。私も子どものころ、夏になると、朝から晩まで川に入り浸っていた。今は「川は危険だ」ということで、子どもはプールに行く。だが、プールは泳ぐだけ。川では泳ぐことはごく一部。そこにはカワセミが飛び、いろいろな魚や水生昆虫が住み、石の裏には生物の卵や幼虫がいる。子どもはあそびの天才で、自発的なあそびを展開する。同じように森という自然を舞台に、森あそびを考えていいと思う。

   子どもの理科離れがいわれる。もっと怖いのは自然離れだ。人格形成にかかわる問題だ。子どもを取り巻く環境は人工化してしまっている。個室を与えられ、そこにはマンガがあり、電子ゲームがあり、テレビがある。人間との対話も携帯電話でないとコミュニケーションできない。

   自然に触れ、命あるものと向き合って対話し、心の潤いを得る。もっとも子どもは自然の中で残虐なこともやる。私もトンボの尾をちぎって棒を突き刺して飛ばしたこともある。だが、いつか自分でふと気づく。「かわいそうやな、こんなアホなことやめよう」と。行為を通じて自分の中の残虐性に気づく。自然とのかかわりの中で、命の尊さを知る。

   子どもは本当は自然が好き。ただ、知らないだけだ。大人が取り上げたのではないか。大人が子どもに自然を返してあげる努力が必要だ。

                 ◇

   パネル討論では、会場から「石川にはクマ問題がある。クマと人との共存はあり得るか」という質問があった。河合氏は「あり得るが、簡単ではない。原因の一つが里山問題。クマは奥山にいて、人と動物が共有する里山がバリアになっていた。でも、里山に人がいなくなり、動物のものになった。動物がおいしい農産物の味を一度覚えたら、戻すのは簡単ではない。保護管理に専門家があたらなければならない」と。また、司会者からの「里山をもっと楽しく、みんなのものにする提言を」とのふりに、河合氏は「新しい、多様な里山を作ってはどうか。例えばモミジの山、小鳥が集まる山、昆虫の森など。オオムラサキが飛んできたら、子どもたちは大感激するはずだ」と答えて会場をなごませた。

(※写真は、2005年11月2日、シンポジウムの事前打ち合わせに兵庫県篠山市=現・丹波篠山市=の自宅を訪ねた折、河合氏は和装で出迎え)

⇒16日(日)午後・金沢の天気    くもり時々あめ

☆『森の学校』河合雅雄氏から学んだこと

☆『森の学校』河合雅雄氏から学んだこと

           このニュースを知って、7月に亡くなった俳優の三浦春馬氏(享年30)とのちょっとした「縁」というものを感じた。彼が18年前、12歳のときに初主演した映画『森の学校』が来月12月から再び全国公開されるという。この映画は京都大学名誉教授の霊長類学者、河合雅雄氏が自らの少年期を綴った『少年動物誌』を映画化したものだ。2005年12月に河合氏を金沢大学に招いて講演をいただいた。そのときに映画についても述べておられた。

   映画では、三浦春馬氏が演じる雅雄少年が兵庫県の丹波篠山で、病弱で学校を休みがちな小学生のころ、昆虫や動物に興味を抱き、裏庭に小さな動物園をつくり始める。昭和10年の時代設定だ。父親の戦死で東京から転校して来た女の子が、雅雄に森での遊び方を教わるうちに笑顔を取り戻していく。そして、雅雄は肉親の死で命の大切さを知る。篠山の森には相変わらず泥だらけになって遊ぶ子どもたちの姿があり、壮大な自然と命、子どもの好奇心がテーマだ。

   河合氏の金沢大学での講演テーマは「森あそびのすすめ」だった。映画で描かれた人生の延長戦線上の話として、京都大学に入り、芋を洗うサル、あいさつをするサルを発見する。定年後でも、子どもたちをボルネオのジャングルに連れて行き、いっしょにキャンプをしながら、人が自然の中で学んだことを事例として話をされた。

   講演で印象的だったのは、今の日本人の「自然離れ」についてだった。「日本人は木材や山菜などを利用する資源の場として、また、保水など環境保全の場として森を利用してきたが、文化資源としての利用が欠けている」と話し、「川遊びのように森を利用して遊んでほしい」と訴えた。子どもの「自然離れ」を心配し、「本来、子どもは自然が大好き。それを大人が取り上げていませんか」と問いかけた。確かに、子どもたちを学習塾や「勉強、テスト」と追い立て、野山に入れない現状は変わっていない。映画で訴えたかったことはまさにこの点だったのかもしれない。

   人里へ出るクマや増えすぎるシカ、イノシシ、サルが問題についても述べられた。「動物社会に異変が起こっている」と。その大きな要因は、里山の崩壊にあるとの指摘があった。燃料革命(薪や炭からガス、石油へ)や中山間地の過疎化で人がいなくなり、野生動物たちは山から下りてきて作物を狙い始めた。動物ごとの習性や分布の実態をふまえた向き合い方でないと、十分な対応できない、と

   最近、人里に出てくる動物は殺してもよいという論調が出始めている。一律の殺処分では解決しないだろう。森に集い学ぶ発想は現代こそ必要なのではないだろうか。河合氏から学んだことである。

⇒12日(木)夜・金沢の天気     くもり