#新型コロナウイルス

☆現金嫌いへ意識変化、そしてデジタル通貨へ

☆現金嫌いへ意識変化、そしてデジタル通貨へ

          けさ新聞を広げると広告チラシが落ちてきた。地元のスーパーの特売チラシが2枚、総菜の通販のチラシ1枚の合わせて3枚だが、何だか久しぶりのように感じた。

   4月7日に新型コロナウイルスの感染防止対策として緊急事態宣言が発令され、16日には全国拡大した。石川などは「特定警戒県」に指定され、地域でも緊張感が高まった。この頃からスーパーの特売日やポイント還元の折り込みチラシを見なくなった。買い物客の混雑を招くため、チラシを自粛していたようだ。今月14日に39県で宣言が解除され、石川でも「非常」から「日常」に徐々に戻りつつある。チラシを見て感慨深い。

   きのう金沢市役所から特別定額給付金の申請用紙が郵便で届いた。国が国民1人に10万円を配る特別定額給付金。先週、オンライン申請をしようとPC画面に向ったが、「ICカードリーダー」が必要とあり、持っていなかったので諦めた。スマホによる申請も可能とあったがまるで複雑なゲームのようだったのでこれも諦め、申請書が郵送されてくるのを待っていた。

   送付された申請書(請求書)に銀行口座の番号を記入し、預金通帳とマイナンバーカードのコピーを添付し、返信用封筒で返送した。ごく簡単だが、まったくのアナログ。やはりオンライン申請でOKとしないと、この国際的なデジタル時代に乗り遅れるのではないか。本人確認の書類の添付は不要で、入力も短時間で済むなど、デジタルの利点がまったく活かされていない。

   コロナ禍で日常の変化がある。それは「人が触ったものには触らない」という行為が共有された行動規範として定着したことだ。ドアノブやエレベーターのタッチボタン、そして何より現金だ。以前から紙幣や硬貨は非衛生的だと指摘はあった。もちろん、現金を粗末してはいけないという国民性もあった。それが、コロナ禍で現金は手にすること自体が不快感を伴う存在になった。この意識変化で、今後キャッシュレス化がさらに進み、現金しか受け付けないという店舗には入らなくなるだろう。

   さらに、政府と日銀はアフター・コロナの政策として、デジタル法定通貨へと急ぐのではないか。2024年に予定している新札発行をデジタル法定通貨へと舵を切るのではないかと憶測する。政府としてのもくろみもある。税務申告されていない現金、いわゆる「タンス預金」が数十兆円もあると言われる。政府が銀行での預金分しかデジタル通貨と交換しないと発表した時点で、タンス預金は一気に消費へと回る。アフター・コロナの経済対策になればまさに「一石二鳥」とほくそ笑むのではないか。

⇒24日(日)午前・金沢の天気    はれ 

★コロナワクチン 世界の希望の光になるか

★コロナワクチン 世界の希望の光になるか

   けさのニュースをチェックすると、18日のニューヨーク株式のダウ終値は911㌦高で、一時上げ幅が1000㌦を超えた。その理由が新型コロナウイルスのワクチン開発への期待感が高まりだった(19日付・共同通信Web版)。そこで、アメリカメディアを検索してみる。「Moderna Coronavirus Vaccine Trial Shows Promising Early Results」(モデルナ社がコロナウイルスのワクチンの初期の臨床試験で有望な結果)の見出しの記事があった(18日付・ニューヨーク・タイムズWeb版)。

   モデルナ社はアメリカのバイオテクノロジーの製薬会社。記事を読む。「The company said a test in 8 healthy volunteers found its experimental vaccine was safe and provoked a strong immune response. It is on an accelerated timetable to begin larger human trials soon.」(同社によると、健康なボランティア8人を対象にテストを行なったところ、この実験用ワクチンは安全で、強い免疫反応を引き起こすことがわかったという。近いうちに大規模な臨床試験を開始する予定である)。この3月からNIH(国立衛生研究所)と共同で、ワクチン開発を進めてきた、とある。

   第1段階の臨床試験では、18歳から55歳の45人が対象となっているが、今回発表した結果は8人分にとどまっている。臨床試験全体の結果の公開がまだ示されていない。600人を対象とした第2段階の試験をまもなく開始、7月には健康な数千人を対象とした第3段階の試験を前倒しのスケジュールで進める。記事では「急ぐと安全性が損なわれ、結果的にワクチンが効かなくなったり、患者に害を与えたりするのではないかという懸念が科学者の間に広がっている」との懸念も示している。ただ、全体的な記事のトーンは、「offering a glint of hope to a world desperate for ways to stop the pandemic.」(パンデミックを食い止めようと必死になっている世界に希望の光を与えている)と前向きだ。

   そしてきょうの東京株式は日経平均が335円高で始まり、上げ幅は一時500円を超えている。ニューヨーク株式の「ワクチン高」の流れを引き継いでいるのだろう。確かに暗いニュースが蔓延する世界で希望の光になってほしい。このワクチンの普及で、来年は東京オリンピックも盛り上がってほしいと願う。

⇒19日(火)午前・金沢の天気    くもり

☆「金沢嫌い」 ルーツをたどる

☆「金沢嫌い」 ルーツをたどる

   今月13日付のブログで「金沢嫌い」というタイトルで、新型コロナウイルスの感染者について「人口10万人当たりだと金沢市は27.9人と東京都35.9人に次いで多い。これが、感染者が出ていない能登北部などからは警戒されている」と書いた。そして、能登の知人からも「いま金沢から来ない方がいい。周囲の人も金沢に行かないようにしている」と電話で聞かされたことに自身もショックを受け、「金沢嫌厭」や「金沢嫌い」という言葉が浮かびタイトルにした。

   実は昔から「金沢嫌い」という言葉を聞いていた。まず、金沢人の言葉が、能登や金沢、富山や福井に住む人たちからは「上から目線」のように感じる。これは自身の体験にもなるが、高校時代に金沢で下宿生活を始めたとき、下宿のおばさんは「そうながや」「しまっし」と語尾にアクセントをつけ、念を押すように話した。慣れない間は、いつもしかられているような印象だったことを覚えている。生まれ育った能登では、たとえば「そやのきゃー」と語尾を消すように話すので優しい言葉に聞こえる。福井でも「そやのおー」とあえて語尾を丸くする。

    金沢言葉が周囲と違うと感じるのは歴史に由来すると考えている。日本史でも教わるように、戦国時代の北陸は「百姓の持ちたる国」として浄土真宗の本願寺門徒が地域を治めていた。その後、戦国大名・前田利家を中心とした武家集団が越前、能登に赴き、金沢に加賀藩の拠点を構えることになる。武家集団は上意下達、命令をしっかり相手に伝えるために語尾にアクセントをつける、あるいは言葉にアンカーを打つような言い回しにする。金沢の武家社会で育まれた言葉だった。

    宗教観の違いもあるかもしれない。「百姓の持ちたる国」は浄土真宗、武家社会の金沢では曹洞宗、つまり禅宗の家が多かった。浄土真宗と曹洞宗の宗教観の違いは葬儀に参列すれば理解できる。浄土真宗だと葬儀で「若いときからとても苦労されたが、その分、極楽浄土に行かれて・・」といった弔辞を今でも聞く。曹洞宗の僧侶は葬儀で「この世も修行、あの世も修行」と言って、エイッと大声で死者に喝を入れる。曹洞宗が武家社会に受け入れられた理由はこの「修行」がキーワードなのだろうと解釈している。

    記者時代に金沢の博識者から教わったことだが、金沢の武家界隈ではかつて、ニブツモンという言葉があった。父親が楽することばかり考えている息子たちを「このニブツモンが」と大声で叱ったそうだ。念仏を唱えれば極楽に行けると信じる浄土真宗の信徒たちをネンブツモノ(念仏者)と称し、それが金沢の武家社会では訛ってニブツモンになったようだ。武士たちは農山漁村の浄土真宗の信徒たちをこのような目線で見ていたことがうかがえる事例ではある。この言葉はもう死語だろう。長く金沢に住んでいるが直に聞いたことはない。

   話は随分と横にそれたが、金沢の言葉は歴史と風土の中で育まれたが、冒頭で述べたように、いまでも「上から目線」と勘違いされやすい。関西の「京都嫌い」は有名だが、北陸の「金沢嫌い」もなかなかのものだ。金沢の観光パンフでよく使われる言葉に「加賀百万石」がある。かつての栄華をいつまで誇っているのかと揶揄する向きもある。しかし、金沢の人たちはあまり気にはしてないようだ。生まれ育って得た言葉に他人を見下す発想などもともとないのだ。

(※写真は加賀藩初代の前田利家が建立した曹洞宗・宝円寺の仁王像)

⇒18日(月)朝・金沢の天気     くもり

☆再燃「ローカル局の炭焼き小屋論」~下

☆再燃「ローカル局の炭焼き小屋論」~下

   前回述べたBSデジタル放送問題は、キー局側が地上波番組をそのまま同時再送信するような放送を避けて、独自色のある番組を放送することで、系列局側の「炭焼き小屋論」は杞憂に終わった。ところが、コロナ禍と放送とネットの同時配信で、「炭焼き小屋論」が再燃する様相だ。

    県域ローカル局は競争と共創の2チャンネル発想  

    ネット動画に接続できる機能を備えたテレビ受像機は今では普通だ。東京キー局が番組をそのまま全国にネット配信すると、同じ系列局のローカル局にチャンネルを合わさなくても、ダイレクトにキー局の番組を視聴するようになる。また、県によっては民放局が2局、あるいは3局しかないところがあり、他のキー局の番組がネットで配信されると、県域のローカル局を視聴する比率が落ち込むことになりかねない。キー局による、ローカル視聴率のストロー現象が起こりかねない。

   二つめは設備のコストだ。ローカル局が独自に動画配信となると、ローカル局でも数十万件のアクセスを想定した動画サーバーや回線を確保しなけらばならず、ネット配信自体にコストがかかる。キー局や準キー局(大阪、名古屋)ならばコスト負担に耐えられるかもしれないが、ローカル局単体でネット配信の余力はあるだろうか。

   そして著作権の処理の問題もある。日本の著作権処理は細かすぎる。テレビ番組を制作し放送する権利処理と、その番組をネットで配信する権利処理は別建てとなる。ネット配信だとドラマの場合は出演者、原作者、脚本家、テーマ曲の作詞家、作曲家、テーマ曲を歌った歌手、CDを製作した会社、番組内で使用した全ての楽曲の権利者など、全ての権利者の許諾を取らなければならない。番組は「著作権の塊(かたまり)」でもある。スポーツ番組も放送する権利と配信権があるなどややこしい。テレビで流していた番組をネットで同時配信するとなると、ネット分の著作権料が上乗せされる。放送のビジネスモデルは主に視聴率だが、ネット配信のビジネスモデルはアクセス数による広告料でしかなく、収益化は可能だろうか。

   逆転の発想でローカル局(系列局)のチャンスが到来するかもしれない。「炭焼き小屋」を暗いイメージで使ったが、能登半島の尖端に全国から注目されている炭焼き小屋がある。栽培しているクヌギで高品質の茶道用の炭を焼き、全国から注文が殺到している。同様に、地域の魅力があふれる面白い番組は全国から視聴される。北海道テレビのバラエティ番組『水曜どうでしょう』などはローカル発全国の先鞭をつけた番組だった。あるいは、首都圏や関西圏など他エリアに住む出身者に「ふるさと」をアピールできるのではないだろうか。

   コストがかかる送信鉄塔施設などは鉄塔を共用するテレビ局数社がこの際、共同出資で鉄塔を維持保全する会社をつくるとう選択肢もあるだろう。また、自社制作比率が低いローカル局は単独でネット配信をしなくても、同じ県域のローカル局数社が共同で運営する動画配信サービスを始めてもよい。事例として、名古屋の民放局4社が立ち上げた動画配信サービス「Locipo(ロキポ)」=写真=がある。4局がニュースや情報番組などを配信している。このサイトにアクセスすれば、名古屋のリアルな情報を視聴できる。金沢でも民放4局が共同出資でこのような動画配信サービスを日本語と英語で構築できないだろうか。能登、金沢、加賀の県内各地のケーブルテレビ局も巻き込む。「KANAZAWA」チャンネルを売りに観光ツーリズムを誘う。

   ローカル局には「ネット上げ」という言葉がある。キー局が全国ネットワークのニュースとして取り上げてくれるニュースや特集、あるいは番組のことを指す。ロ-カル局が共同で動画配信サービスを構築して「ネット受け」を狙う。ローカル局同士は電波では互いに視聴率の競争をするものの、ネット配信では共創を目指す。ビヨンド・コロナ(コロナ禍を超えて)の「2チャンネル」の発想が必要なのではないだろうか。

⇒16日(土)午前・金沢の天気   くもり時々あめ

★再燃「ローカル局の炭焼き小屋論」~上

★再燃「ローカル局の炭焼き小屋論」~上

   10数年前になるが、大学の調査である会社を訪問すると才気あふれる美貌の女性たちがてきぱきと仕事をこなしていた。上司(男性)に 「いずれアヤメかカキツバタ、ですね」と話すと、上司は「この職場は、立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花です」と笑って返してきた。女性を花にたとえる言葉だが、最近あまり使われない。「女性は職場の花ではありません。それはハラスメントです」と突っ込まれそうなので自身も言葉を控えている。そのアヤメが自宅庭に咲き始めたので、玄関に活けてみた=写真=。確かにカキツバタと見分けがつけにくいが、こだわるのは日本人だけかもしれない。英語ではひっくるめてアリス(iris)と称している。

   放送とネットの時配信 ローカル局の生き残りは可能か

    冒頭の会社は金沢の民放局だった。いまでも笑顔が絶えない明るいオフィスだろうか、と気になった。というのも、新型コロナウイルスの災禍でいま民放全体に危機感が増しているからだ。ローカル局の関係者が憂いていた。「最近、キー局が冷たい」と。放送と通信の同時配信をNHKが本格的に4月からスタートさせた。民放キー局も同時配信を新しいビジネスモデルで構築する転換期を迎えている。ネットフリックスといった動画配信事業者との対抗策も念頭に置いている。

   民放キー局それぞれが本格的に同時配信を進めれば、ローカル局を介さずにオールジャパン、そして世界に番組を発信できる。ところが、ローカルの存在基盤となっている「県域」が外れる。県域は放送電波の割当てのことで、放送免許は基本的に県単位で1波、あるいは数県で1波が割り与えられている。1波とは、東京キー局(日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビ、テレビ東京)の系列ローカル局のことだ。キー局の番組がネットを通じてダイレクトに全国や世界で視聴できるようになれば、県域の意味が失せる。こうなると、キー局と系列局という関係性は電波では残るが、ネット上では関係性がなくなる。地方局の関係者が「最近、キー局が冷たい」と嘆いた背景がここにある。

   さらに、民放全体の危機感として、屋台骨のテレビ広告費の減少にある。電通がまとめた「2019年 日本の広告費」によると、通年で6兆9381億円で前年比101.9%と、8年連続のプラス成長だった。中でも、インターネット広告費が初めて2兆円超えてトップの座に躍り出て全体を底上げした。一方、テレビ広告費(1兆8612億円)は対前年比97.3%と減少し、首位の座をネットに明け渡した。テレビ広告費の減少要因は、台風などの自然災害や、消費税増税に伴う出稿控えやアメリカと中国の貿易摩擦の経済的影響などで3年連続の減少となった。ことしはさらにコロナ禍で「官公庁・団体」「金融・保険」などは増加するかもしれないが、「化粧品・トイレタリー」「情報・通信」などは激減するだろう。最近のテレビCMは自社広告や「ACジャパン」が目立つ。

   かつて「ローカル局の炭焼き小屋論」という言葉がテレビ業界であった。2000年12月にNHKと東京キー局などがBSデジタル放送を開始したが、このBSデジタル放送をめぐってローカル局から反対論が沸き上がった。放送衛星を通じて全国津々浦々に東京キー局の電波が流れると、系列のローカル局は田舎で黙々と煙(電波)を出す「炭焼き小屋」のように時代に取り残されてしまう、といった憂慮だった。当時の状況がいま再燃しているのだ。

⇒15日(金)夜・金沢の天気    はれ 

☆緊急事態は解除、季節は「夏マスク」へ

☆緊急事態は解除、季節は「夏マスク」へ

   きょう北陸は蒸し暑い。石川は24度の予想だが、お隣・富山は27度だ。外出していて、この夏日の暑さでうっとうしいのはマスクだ。アベノマスクはまだ自宅に届いていないが、布マスクをすると考えただけで息苦しさを感じる。夏用のすっきりしたマスクはあるのだろうか。ネットで検索すると、能登半島にある丸井織物(中能登町)が夏物の服に使われるポリエステル製のマスクを製造販売している=写真=。6月20日発送分まで待たなければならないほど人気のようだ。

   安倍総理はきょう午後、新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言について、39県の解除を正式決定する。重点的な対策が必要な13の「特定警戒都道府県」のうち、石川、茨城、岐阜、愛知、福岡の5県と特定警戒以外の34県が対象。総理が記者会見で理由を説明する。決定に先立ち、政府は午前、有識者の意見を聞くための諮問委員会を開催。諮問委は39県の解除を了承した(14日・共同通信Web版)。

   ただ、これまで議論が白熱したPCR検査の在り様について結論にいたっていない。今月11日の参院予算委員会でも感染症対策専門家会議の副座長が感染者総数の実態について、「(実際の人数は)10倍か15倍か20倍というのは誰も分からない」と述べていた。実際の感染者数は日々報告されている数を上回る可能性があるとの見方だった。

   隠れウイルス感染者が仮に20倍もいるとすれば、感染に気がつかずに亡くなる人も大勢いるはずだ。そこで新聞の死亡欄をチェックしてみる。とくに、金沢市は人口10万人当たりの感染者が27.9人(13日現在)と東京都の35.9人に次ぐ。仮にその20倍だったら、おそらく新聞の死亡欄はあふれるのではないか、と。ここ数日の金沢市を調べると5人から8人(12-14日、北陸中日新聞死亡欄)だ。不謹慎な言い方だが、死亡欄があふれ返っていれば新聞が大騒ぎするだろう。感染者が20倍もいるとは到底思えない。

   話を戻す。PCR検査を徹底してやるべきなのか。感染者を徹底的に洗い出して隔離すべきは隔離し、第二波、第三波が来るの防げとの論調はどうなのか。山梨大学の学長が「不十分な検査体制は日本の恥」とまで言って議論を呼んだ。解除を決定するのであれば、この際、議論にぜひケリをつけてほしいものだ。

   解除されるとは言え、コロナウイルスは身近にいるだろうことは想像がつく。用心は続けたい。季節は「夏マスク」に移行する。

⇒14日(木)午後・金沢の天気    はれ

★「金沢嫌い」

★「金沢嫌い」

   「使えない」と実感することがある。その一つがマイナンバーカードだ。新型コロナウイルス対策として、国が国民1人に10万円を配る特別定額給付金。パソコンとマイナンバーカードがあれば申請できる。机を探すとマイナンバーカードの暗証番号が書かれた記載票もあった。さっそくオンライン申請をしようとPC画面と向き合った。ところが、申請サイトの入口でつまずいた。「ICカードリーダー」が必要とある。カードの情報を読み取るためとある。カードリーダーなんて持っていない。この時点で「使えない」と判断した。スマホによる申請も可能とあったがまるでゲームのようだったのでこれも諦めた。申請書が郵送されてくるのを待つことにした。

   市役所から送付される申請書に銀行口座の番号など必要事項を記入し、通帳のコピーと運転免許証のコピーを添付して返送すればそれで済む。オンライン申請は本人確認の書類の添付は不要であり、入力も短時間で済むはずなのだが。デジタルの利点がまったく活かされていない。ICカードリーダーを差し込まなくても、受付画面にカード番号と暗証番号を入力するだけでもよいのではないだろうか。

   マイナンバーカードの「使えない」と意味合いはまったく違うが、車のナンバーにも気遣う。石川県には金沢ナンバーと石川ナンバーがある。金沢ナンバーはいわゆるご当地ナンバーなのだが、この新型コロナウイルスのご時世で、「気になるナンバー」になっている。石川県の感染者はきょう13日現在で284人、うち金沢市は129人。人口10万人当たりだと金沢市は27.9人と東京都35.9人に次いで多い。これが、感染者が出ていない能登北部などからは警戒されている。4月の大型連休のとき、能登の知人から「いま金沢から来ない方がいい。周囲の人も金沢に行かないようにしている」と電話で聞かされ、自身もショックを受けた。

   7月から能登各地ではキリコ(奉灯)祭りという祭礼が営まれるが、今年は中止が相次いでいる。キリコ祭りで代表的な「あばれ祭り」(7月3日・4日、能登町)も4月には中止を決定した。金沢からキリコ担ぎや見学に大勢やってくる。いわゆる「3密」になるからだ。「来てほしくない」という正直な気持ちが痛々しく伝わる。

   政府が4月7日に緊急事態宣言を発令し、16日に全国に拡大した。あす14日には「特定警戒」の石川を含め39県で解除する方針を固めたと各メディアが報じている。では、解除によって「非常」から「日常」にたんたんと戻るのか。あのトヨタが2021年3月期の業績予想を営業利益79%減と発表し、「リーマンショックよりインパクトがはるかに大きい」と述べた(12日付・時事通信Web版)。経済、社会、そして世界にどのような余派が広がるのか。それにしても、能登を始め加賀地方や富山県、福井県の人たちには「金沢嫌い」にはならないでと願うばかりだ。

⇒13日(水)夜・金沢の天気     はれ

★たかがマスク、されどマスク

★たかがマスク、されどマスク

   きょう11日の衆院予算委員会で加藤厚労大臣が、全国の新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)について「5月10日現在で250件あるのではないか」と述べた(11日付・共同通信Web版)。厚労省は1ヵ所で5人以上の感染者が出たケースをクラスターとしている。250のクラスターのうち医療機関がもっとも多く85件、続いて老人ホームなど福祉施設57件、飲食店23件と続く。クラスターの3分の1が病院ということになる。

   石川県でも6件あり、うち2件が病院。その1件は県内最大のクラスターだ。石川県の感染者280人、うち69人がその病院の入院患者や看護師、介護士、病院事務員。県内の死者17人のうち、その病院での死者は11人となっている(11日・NHKニュースWeb版)。その病院に祖父が入院しているという知人から聞いたことだが、クラスター化してから毎日祖父の容態について病院から報告があるそうだ。「家族の心配を察しての病院側の配慮だろう」と。一方で「病院なのになぜこんなことに」と外部から批判もあるようだ。「病院スタッフのストレスは相当なものだろう。返ってそれが心配だ。医療崩壊にならなければよいが」と知人は案じていた。

   きょう別件でまったく別の病院を訪れた。総合病院だが、現在まで感染者を出していない。感染対策は徹底していて、出入り口は正面玄関のみとし、その正面玄関でサーモグラフィーによる発熱者のチェックを行っている。病院内に入ると、マスクの自動販売機が設置されていた。さすが、感染対策が徹底している病院は違うと思い、さっそく自販機で買おうとしたが、貼り紙があった=写真=。

   「お客様へ マスク販売制限につきまして マスクの販売個数制限によりマスク自動販売機の販売を一時停止させていただきます。マスクは地下のセブンイレブンで販売させていただきます。・・・」と。受付でなぜ自販機が中止なのかと尋ねると、一人で何枚も購入する人がいるのでやむなく対面販売となったようです、と。そこで病院地下にある「セブンイレブン」に行くと商品棚にマスクが置いてあった。サージカルマスクだ。医療用に使用される感染防止用マスクで、サージカル(surgical)は外科の意味。「製造者名」をチェックすると、「横井定株式会社」とある。あのアベノマスクを供給する名古屋市の会社だ。

   さすが病院で販売するマスクは違うと思い、5枚を手にしてカウンターへ。すると、店員は「お客さん、申し訳ありませんがお一人1枚でお願いします」と。確かによく見ると棚の奥に「マスクはお一人1枚」と小さな貼り紙があった。棚に毎日200枚ほど並べるが、それでも夕方には売り切れになるのだという。1枚110円。一回買って、もう一度並ぶ客もたまにいるがその場合でも、「お断りをしています」とはっきり。たかがマスク、されどマスク。

⇒11日(月)夜・金沢の天気     はれ

☆コロナ禍 テドロス発言を読む

☆コロナ禍 テドロス発言を読む

   このブログで初めて「新型コロナウイルス」の言葉を用いてブログを書いたのはことし1月20日付だった。タイトルは「パンデミックを防げ」のタイトルで「(中国の習主席に)春節には海外渡航を全面的に禁止するくらいの強い指導力を発揮してほしい。」と書いた。あれから110日余り経った。不謹慎な述べ方かもしれないが、コロナ禍をめぐる世界の動き、国内、そして身近な出来事はブログのネタに事欠かない。書き続けたコロナ禍で見えてきたこと、それははやりWHOのテドロス事務局長の不可解な動きと言える。以下ブログで述べてきたことを抜き出してみる。

   1月20日付ブログではWHOへの期待感を書いた。「中国で肺炎患者が増えていることを受けて、WHOの事務局長が22日にスイスのジュネーブで緊急の会合を開くことになったと報じている。まるで、パンデミック(pandemic)、世界的な感染の広がりを示唆する動きではないのか。」「中国では今月24日から旧正月の春節の大型連休に入ると、日本を含め世界中に中国人観光客が訪れることになる。WHOの事務局長の緊急会合は、このタイミングで世界各国に注意を呼びかける意味合いがあるのではないだろうか。」

   1月25日付では、WHOへの不信感を綴った。「WHOは機能不全の状態に陥っているのではないか。おそらく今後、国際世論の批判の目はWHOに向かう。」「『国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態』として、事務局長が緊急事態を宣言することになる。が、23日のWHO会合では時期尚早との判断だった。」「では、なぜ時期尚早との判断なのか。中国にとっては非常に不名誉なことになるのと中国指導部は考え、WHOが緊急事態宣言を出さないよう根回しをしたのであろうことは想像に難くない。」

   1月30日付ではテドロス事務局長の資質を問うた。「今頃になって、WHOが焦り始めている。健康危機管理プログラムのトップの言葉を29日付のBBCが引用している。『Coronavirus: Whole world ‘must take action’, warns WHO』(コロナウイルス:全世界が警戒しなくてはならない、とWHOが警告)。記事の中で、テドロス事務局長は新型ウイルスが世界に及ぼす危険性について、報告書で『高い』とせず『中程度』としたことに言及し、『深く後悔している』と述べている。何を今さらと言うべきか。」

   2月7日付では、テドロス氏の巧みな「営業活動」について述べた。マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツ氏の慈善財団がウイルス対策のために1億㌦をWHOに寄付することに関してだ。ゲイツ氏は寄付について「This response should be guided by science, not fear」(対策は恐怖ではなく、科学によって導かれるべきである)とコメントしていた。よく似た言葉をテドロス氏が先月30日の「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言したときにの記者会見で発していた。「This is the time for facts, not fear.This is the time for science, not rumours.」(恐怖ではなく、事実の時。これは噂ではなく科学の時です)。2人の言葉のニュアンスがそっくりだった。「ということは、テロドス事務局長がゲイツ氏に寄付を要請する『営業』をかけたのではないかと察した。おそらくこの言葉を用いて、ワクチンや治療薬の開発資金を提供してほしいとゲイツ氏に直接懇願したのだろう。」

   3月10日付では、世界の経済はすでにパニックに陥り、9日のニューヨーク株式のダウは暴落したことに関連し、WHOがいまだにパンデミックと表現しないことのもどかしさを綴った。「『今さら発言』ではないだろうか。WHOのテドロス事務局長は9日の記者会見で、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて「パンデミックの脅威は現実味を帯びてきた」と述べた。一方で、依然、制御は可能だと強調し、感染国・地域が100を超えた現実を踏まえ、柔軟に対応していく考えを示した(10日付・共同通信Web版)。パンデミックはもう起きていると世界に警報を出すのがWHOのスタンスではないだろうか。」。WHOがパンデミックとの表現で感染拡大を喚起したのは2日後の11日だった。

   4月9日付では、アメリカのトランプ大統領のWHO批判について記した。「トランプ大統領が新型コロナウイルス感染症へのWHOの対応が『中国に偏っている』と批判していることについて、テドロス氏は『われわれは全ての国に寄り添っている』と述べ、特定の国への配慮などは行っていないと反論した(9日付・共同通信Web版)。」「テドロス氏の反撃もあった。トランプ大統領への名指しはしなかったが『さらなる死者の増加を望まないのであれば、政治問題化するのは、やめてほしい』と主張」。ユーチューブ動画で公開されているテドロス氏への批判のコメントを紹介した。「WHO cannot be trusted in they’re in the pocket of China. Pathetic gentlemen, very sad state indeed.」(WHOは中国のポケットにいるため、信頼できない。哀れな紳士、確かに悲しい状態)

   4月29日付ではテドロス氏への批判が国際世論として広がっていると述べた。「このブログでも何度か述べたが、テドロス氏はWHOの緊急事態宣言を『時期尚早』と見送った(1月23日)。これが感染拡大の原因の一つと問題視する見方が世界で広がった。最近ときおり閲覧する、署名サイト『Change.org』でテドロス氏解任キャンペーンが展開されている。きょうチェックすると100万を上回る署名が集まっている。」

   こうしてテドロス発言をチェックしてみると、WHOとしてのビジョンを先に示さないので批判が集まりやすいが、テドロス氏自身には打たれ強さとしたたかさを感じる。今後、中国・武漢でのWHOによる原因調査、さらに国際賠償の行方などさまざまに状況は展開していくだろう。WHO、そしてテドロス氏の観察を続けたい。

⇒9日(日)午前・金沢の天気    くもり時々はれ

★洗い使う「アベノマスク」が届く日

★洗い使う「アベノマスク」が届く日

   新型コロナウイルスの感染拡大の影響で緊急事態宣言が延長され、「新しい生活様式」という概念が提案された。ウイルス対策について話し合う政府の専門家会議が提言した、3つの基本として①身体的距離の確保、②マスクの着用、③手洗い、を掲げている。中でもマスクの着用は、街中を歩く人や車を運転する人、見かける人のほどんとが心がけている。もともと日本ではマスクの着用に抵抗感が薄かったので、新しい生活様式としてなじみやすかったのだろう。手洗いも同様。また、ソーシャルディスタンスの言葉として定着した身体的距離の確保はコンビニなどでもちろん、エレベーターでも見かける。4つの角にそれぞれ1人が立ち、5人目として入らずに次を待つ。

   新しい生活様式による日常の最大の変化は、マスクの洗濯かもしれない。マスクは衛生上、使い捨てという概念だったが、それが一変した。生活様式としてマスクを身につけるのであれば、それは衣類と同様に持続可能な使い方をしなけらばならない。それは洗濯である。自らも実践している。洗剤で手洗いをする。1枚を2日間使い、2枚か3枚をまとめ洗いをする。ハンガーにつるすと改めて時代の変化を感じる=写真=。

   マスクは消耗品ではないということに気づかせくれたのは需要と供給のアンバランス、「品切れ」だった。先日も金沢市内のドラッグストアを2軒回ったが商品棚にはなかった。3軒目を回ろうとしたがまるで「マスク・パトロール」のようでやめた。マスクを求めて店を探し回るとの意味だが、それが3密(密集、密閉、密接)のもととなる。

   ところで、安倍総理は洗濯して繰り返し使える布マスクを全世帯に2枚配布すると方針を表明した(4月1日・新型コロナウイルス感染症対策本部)。あれから1ヵ月以上たつが、466億円かけて支給されるマスクはいつ届くのか。気になって厚労省公式ホームページを検索する。「4月17日から東京都、5月11日の週から東京都以外の特定警戒都道府県に順次、配送を開始」とある。「特定警戒県」である石川県はあさって11日から配布されるようだ。「アベノマスク」と揶揄されてもいるが、ありがたく受け取りたい。何度も洗い、着け心地をそのつど試し、そしてパンデミックの時代を語るシンボルとして保存しておきたいものだ。

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