#宮橋勝栄

★「 I shall return 」人生哲学の考察

★「 I shall return 」人生哲学の考察

   「 I shall return 」を訳せば「私は戻ってくることになる」となる。同じ未来を表現する助動詞でwillを使えば「戻るつもりだ」と自らの意志を示すが、shallだと「戻ることになる」という運命的な意味合いが含まれる。この言葉が有名になったのは、太平洋戦争でアメリカ軍のダグラス・マッカーサー司令官が駐留していたフィリピンで日本軍の攻勢に遭い、1942年に撤退するときに発した言葉だった。2年後にフィリピンに戻り反撃に転じたことから、「 I shall return 」は不屈の行動を意味する言葉として知られるようになった。

   最近この言葉を使った人物がいる。3月22日付のブログでも書いた、石川県小松市の市長選挙(3月21日)で敗れた和田慎司氏だ。任期は今月12日まで。今月5日の年度初めの市職員への訓示で、「私の好きな言葉」として「 I shall return 」と述べて憶測を呼んだ(4月8日付・北陸中日新聞)。7日には政界復帰の意志かと記者から問われ、「深い意味を考えていただきたい」と述べた(同)。

   もう一度、選挙戦を振り返ってみる。和田氏は小松製作所に入社し、2005年の市長選に初挑戦し現職に敗れ、2009年に当選を果たした。今回は4期を目指していた。失政もなく、69歳は「まだいける」という年齢だろう。公立小松大学の設立、日本遺産「小松の石文化」の登録(2016年)や内閣府「SDGs未来都市」の選定(2019年)など、ある意味で順風満帆で迎えた市長選だった。新人の宮橋勝栄氏は41歳。大手ドラッグストア「クスリのアオキ」など経て、2011年の小松市議選に初当選。2期目の2017年に市長選に立候補して和田氏に敗れ、今回は再挑戦だった。

   選挙戦で和田氏は3期12年での財政健全化の実績を強調し、北陸新幹線小松駅の開業を見据えた駅周辺へのホテル誘致など訴えた。宮橋氏は緊縮財政で小松の活気が失われたと批判し、市長退職金(2000万円)の全額カットを公約、さらに小中学校の給食無償化や音楽ホールやカフェを備えた複合型図書館の建設など公約に掲げた。

   選挙戦では和田氏が自民、公明、立憲民主の推薦を得て、宮橋氏には市議の自民党第二会派などの支援を得ていた。また、小松の2人の自民党県議がそれぞれに支援に回るという「保守分裂」の選挙だった。ローカル紙の見出しでは、3月14日告示の選挙序盤で「和田氏を宮橋氏が追う」、中盤17日ごろからは「和田氏を宮橋氏が激しく追い上げ」「激戦」に変わり、最終盤で「宮橋陣営 票切り崩しに懸命」。21日の投開票(投票率60%)では宮橋氏2万8676票、和田氏2万3731票と4900票差で形勢が一気に逆転した。

   選挙は民意とは言え、和田氏はこの選挙結果に今も納得していないのかもしれない。「 I shall return 」からはその心境が読める。その気持ちが伝わることがもう一つある。今月12日の任期を最後までまっとうすると、本人は執務を続けている。引退はしないという意思表示なのだろう。アメリカ大統領選挙でバイデン氏に敗れたトランプ氏も任期ぎりぎりまで大統領署名や恩赦を乱発して政界復帰のポーズを取っていた。

   マッカーサーが発したもう一つ有名な言葉がある。1950年に朝鮮戦争が勃発し、マッカーサーは国連軍総司令官として戦争を指揮した。が、トルーマン大統領との方針の食い違いから1951年に解任され、アメリカへ呼び戻された。そのときのワシントンの上下院合同会議での演説。「 Old soldiers never die ; they just fade away 」(老兵は死なず。ただ消え去るのみ)。これも人生哲学としては選択肢の一つだ。

(※写真はバチカン宮殿のラファエロ作「アテネの学堂」)

⇒8日(木)夜・金沢の天気     くもり時々あめ

☆4選の壁と匿名ポスターの威力

☆4選の壁と匿名ポスターの威力

   きのう21日、石川県では4つの市町選挙があった。小松市長選と中能登、宝達志水、能登の各町長選だ。ある意味で驚いたのは小松市長選だった。失政もなく、69歳という年齢は「まだいける」、そして内閣府の「SDGs未来都市」に選定され、3年後に控えた北陸新幹線小松駅の開業など、ある意味で順風満帆の現職市長が新人の41歳、元市会議員に敗れた。この選挙結果から読み取れるトレンドは何か。

  小松市は建設機械の最大手「小松製作所」の発祥の地でもあり、主力工場などが同市にある。和田慎司氏は大学卒業後に同製作所に入社し、産業機械事業本部副部長をつとめ、2009年に初当選した。今回は4期目を賭けた挑戦だった。一方、初当選を果たした新人の宮橋勝栄氏は大学卒業後に大手ドラッグストア「クスリのアオキ」など経て、2011年4月に小松市議選に初当選。2期目の2017年に市長選に立候補して敗れ、再挑戦だった。

  選挙戦では、和田氏は3期12年での財政健全化の実績を強調し、北陸新幹線小松駅の開業を見据えた駅周辺へのホテル誘致を訴えていた。逆に宮橋氏は緊縮財政で小松市の活気が失われたと批判し、市長退職金(2000万円)の全額カットを公約、さらに小中学校の給食無償化や音楽ホールやカフェを備えた複合型図書館の建設なども公約に掲げた。

   選挙戦では和田氏が自民、公明、立憲民主の推薦を得て、宮橋氏には市議の自民党第二会派などの支援を得ていた。また、小松出身の2人の自民党県議がそれぞれに支援に回るという「保守分裂」の状態だった。ローカル紙の情勢分析をチェックすると、3月14日告示の選挙序盤では、「和田氏を宮橋氏が追う」という論調だったが、中盤17日ごろからは、「和田氏を宮橋氏が激しく追い上げ」「激戦」などとの論調に変わってきた。

   選挙戦の激しさを象徴するかのように、市内265ヵ所の選挙ポアスター掲示板のほかに、匿名ポスターがあちらこちらに貼られた。この匿名ポスターというのは候補者を支援する団体として選管に届けて認められた確認団体が出すもの。ただし、候補者の名前と写真が掲載しないという条件がつく。公選法では市長選の場合、候補者1人つき1000枚のポスターを作成できる。そこで、両陣営は「現職小松市長 再び。今が働き盛り」や「41歳に一票を 若さ 情熱 政策。」など工夫を凝らした匿名ポスター=写真=を貼った。さらにそれを有権者がSNSなどで拡散することで、選挙戦が盛り上がった。ちなみに、右側の歌舞伎の隈(くま)取りは毎年5月に開催される「お旅まつり」で屋台で子ども歌舞伎が上演されることから、祭りのシンボルとして使われる。

   今回選挙(投票率60%)の開票結果は宮橋氏2万8676、和田氏2万3731で、4945票差だった。前回(投票率59%)は和田氏2万7735、宮橋氏2万2678で5057票差だった。まさに5000票差の逆転現象が起きた。

   同市内で住む何人かの知人にメールで選挙結果について尋ねた。すると、宮橋氏の勝因については、「市長になったら退職金を全額カットすると公示の日にアピールしていた。これはけっこうSNSでも話題になった。小中学生の学校給食の無料化もママ友の間では評判がよかった」と。和田氏の敗因については、「四選は長すぎると言う人(有権者)はもともと多くいた。周囲を固めている人もシニアな人が多く、守りの選挙だったのでは」と。

   四選の壁。和田氏の祖父・伝四郎氏は戦後の小松市長を4期(1947-63)つとめた。それ以来、小松市には四選の市長は出ていない。

⇒22日(月)夜・金沢の天気     はれ