#奥能登珠洲ヤッサープロジェクト

★奥能登芸術祭の破損作品を再生し 復興のシンボルに

★奥能登芸術祭の破損作品を再生し 復興のシンボルに

  株式相場が荒れまくっている。先週末の終値より一時4600円以上値下がりした。岸田内閣は、「貯蓄から投資へ」というスローガンを掲げ、ことしから「新NISA(少額投資非課税制度)」を始めるなど資産運用を奨励してきたので、この制度を活用して株式投資を始めた人も多かっただろう。また、円安でドル建て外債を購入した人も多かった。ところが、株式市場の暴落と急激な円高だ。もちろん、投資は自己責任なのだが、「政府や日銀が余計なことをするからだ」といまさら嘆いている人も多いのではないか。詰まるところ、個人消費が一段と冷え込み、景気全体が腰折れするのではないか。

  話は変わる。去年秋、能登半島の尖端の珠洲市で奥能登国際芸術祭が開催されたとき、「奇跡の作品」と称された作品があった。その年の5月5日に同市北部を震源とするマグニチュード6.5、震度6強の地震が発生し、市内だけでも住宅被害が690棟余りに及んだ。その強烈な揺れにもビクともしなかった作品が、金沢在住のアーティスト・山本基氏の作品『記憶への回廊』(2021年制作)だった。

  写真・上は、去年5月の震災後の8月23日に金沢市内の学生たちとスタディ・ツアーで、作品の展示会場を訪れたときのもの。スカイブルーの室内で、白い塩の作品。高さ2.8㍍の塩の階段だ。床と階段で7㌧の塩を使っている。作品の階段の中ほどと頂上付近で崩れたように見える部分があるが、これは2021年の制作のときとまったく変わっていない。

  作品は2021年9月16日の震度5弱、2022年6月19日の震度6弱、そして去年5月の震度6強とこれまで3度の大地震に耐えた。しかし、ことし元日の震度7の地震では、珠洲市の関係者から「残念ながら壊れた」との話を耳にしていた。

  どのように壊れたのか一度見てみたいと思い、先日(7月24日)、展示会場を訪ねたが、鍵がかかっていた。きのう、芸術祭の総合ディレクター・北川フラム氏が震災支援を目的に立ち上げた「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」公式サイトをたまたま見つけた。チェックすると、「5月の活動報告」(6月11日付)に壊れた『記憶への回廊』の現状の画像が掲載されていた=写真・下=。塩の塔が無残にも崩れ落ちた姿だ。この画像を見る限りでは、根こそぎ倒壊したように見える。

  公式サイトによると、作品を点検に訪れた山本基氏が「落下した天井板が当たったことにより塩の塔が崩れた」と述べた。また、「今後の修繕も出来る限り現状のものを利用していく考え」と語るなど、作品の復旧に意欲を燃やしているようだ。

  プロジェクト名の「ヤッサープロジェクト」の「ヤッサー」は、珠洲のキリコ祭りの掛け声で、若い衆が力を合わせてキリコや曳山を動かすときに「ヤッサーヤッサー」と声を出して気持ちを一つにする。北川氏は芸術への想い、地域復興への願いを一つに込めて、「ヤッサープロジェクト」と名付たのだろう。この作品『記憶への回廊』の再生が復興のシンボルの一つにならないだろうか。

⇒5日(月)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

☆奥能登国際芸術祭の作家 地域復興の願い込め動き出す

☆奥能登国際芸術祭の作家 地域復興の願い込め動き出す

  去年秋に能登半島の尖端、珠洲市で開催された奥能登国際芸術祭2023(9月23日-11月12日)で心を打たれた作品の一つが、人生の生き様をテーマにした画家、弓指寛治氏の『プレイス・ビヨンド』だった。岬にある自然歩道を歩きながら、珠洲の地元で生まれ育った南方寳作(なんぽう・ほうさく)という人物が生前に残した伝記をもとにした、人生ストーリーを立て札と絵画を見ながらたどる=写真=。

  その内容が濃い。戦前に人々はなぜ満蒙開拓のために大陸に渡ったのか、そして軍人に志願したのか、どのような戦争だったのかを、立て札の文字をたどりながら、設置されている絵画を見ながら追体験していく。ただ、ストーリーが記された立て札は87枚、絵画は50点もある。立て札一枚一枚を読んで、さらに絵を鑑賞していると、いつの間にか時間が経って辺りが暗くなったの覚えている。

  その弓指氏がきのう18日、珠洲市役所を訪れ、出品した作品の売却費の一部65万円を地震の支援金として市に寄付した。また、弓指氏は同日から泊まり込んで珠洲市でボランティア活動を行う(5月19日付・北國新聞)。芸術家として深く関わった現地が地震で甚大な被害を受けたことに心を痛めたのだろう。  

  奥能登国際芸術祭の総合ディレクターである北川フラム氏は震災に関する支援を行う「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」を立ち上げている。アーティストやサポーターで構成する有志グループで、被災した人たちと協力しながら、同地の復興に寄与していくという。北川氏は述べている。「珠洲の人々と他地域の人々を結びつけるアート作品や施設の撤去、修繕、再建などを行い、珠洲に思いを寄せる人々の力を結集したいと考えます」(「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」公式サイト)。

   「ヤッサー」は珠洲の祭りの掛け声で、若い衆が力を合わせて巨大なキリコや曳山を動かすときに「ヤッサーヤッサー」と声を出して気持ちを一つにする。弓指氏も芸術への想い、地域復興への願いを一つに込めて動き出そうとしているのだろうか。

⇒19日(日)夜・金沢の天気    くもり

☆能登半島地震 赤い糸『時を運ぶ船』は残った

☆能登半島地震 赤い糸『時を運ぶ船』は残った

   今回の大地震で半島の尖端、珠洲市は震度6強に見舞われた。先日(1月30日)同市を訪れた際にこの目で確かめておきたいところがあったが、時間がなかったことと、がけ崩れなどで通行止めとなっていてそれは叶わなかった。

   この目で確かめたかったこと、それは珠洲市で開催された奥能登国際芸術祭の作品だった。金沢市在住のアーティスト山本基氏の作品『記憶への回廊』(2021年制作)=写真・上=が倒壊したとメディア各社が報道していた。作品がある場所は、旧・保育所の施設。真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれ、活気と静謐(せいひつ)が交錯するような空間が演出されている。遊戯場には塩を素材にした立体アートが据えられ、天空への階段のようなイメージだ。途中で壊れたように見える部分は作者が意図的に初めから崩したもので、地震によるものではない。作品には10㌧もの塩が使われている。2023年5月5日に起きた震度6強の揺れには耐えたが、今回の地震では塩の作品が崩れたという(※写真は2022年8月23日に撮影)。

   塩田千春氏(日本/ドイツ)の作品『時を運ぶ船』=写真・下=は芸術祭の公式ガイドブックの表紙を飾るなどシンボル的な作品だ。この作品は2017年の第1回芸術祭で制作された。赤い毛糸は強烈なイメージで、作品を観賞するたびに人間の本能をくすぐるような感動を覚える。この作品は無事だったようだ(※写真は2023年8月23日に撮影)。

   珠洲市で展示されていた作品の多くはダメージを被った。メディアの報道によると、奥能登国際芸術祭の総合ディレクターである北川フラム氏は震災に関する支援を行う「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」を立ち上げた。アーティストやサポーターで構成する有志グループで、被災した人たちと協力しながら、同地の復興に寄与していくという。北川氏は述べている。「珠洲の人々と他地域の人々を結びつけるアート作品や施設の撤去、修繕、再建などを行い、珠洲に思いを寄せる人々の力を結集したいと考えます」(「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」公式サイト)。

   「ヤッサー」は珠洲の祭りの掛け声で、若い衆が力を合わせて巨大なキリコや曳山を動かすときに「ヤッサーヤッサー」と声を出して気持ちを一つにする。北川氏は芸術への想い、地域復興への願いを一つに込めて動き出そうとしている。

⇒4日(日)夜・金沢の天気   くもり