★続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~3~
海の見えるカナダのバンクーバーを拠点として活動をしているデイビッド・スプリグス氏が能登半島の珠洲にやって来て、最も強いインパクトを受けたのが日本海の荒波だった。その強烈さを作品名『第一波』=写真・上=に。かつての漁具倉庫に真っ赤に染まる大荒波が出現する。手書きで描かれた透明なフィルム層を重ねることで、襲いかかってくるような波の迫力が表現されている。
臨場感と記憶、そして未来、計算し尽くされた場のアート
正面から見れば荒波に見えるが、斜めから見るとまったくちがった赤い雲のようにも見え、カタチの認知が変る。「見る」ことの不確実性と流動性の不思議を感得できる。倉庫の内部は薄暗く広いので、近づいて見たり、遠巻きで眺めたりしてこの立体感を楽しむことができる。芸術作品は場の選定が絶対条件だ。スプリグス氏の要望に応じて、海のそばの制作現場を選ぶために関係スタッフが相当のリサーチをかけたことは想像に難くない。
この作品は銭湯が場となっている。青木野枝氏の作品『mesocyclone/蛸島 』=写真・中=。場所は蛸島(たこじま)という地名の漁師町にある、「高砂湯」と
いう銭湯だった。30年前に営業をやめている。この漁港近くにある銭湯に金属彫刻の青木氏が展示空間そのものを作品とするインスタレーションを展開した。
mesocyclone(メソサイクロン)は立ち上る小規模な積乱雲を意味する。脱衣場の床から天井へとつながる鉄の輪が、ゆらゆらと立ち上るような湯気を思い起こさせ、浴場に置いた使いさしの石鹸からかつての銭湯の匂いが漂う。仕事を終え船から下りた漁師たちが汗を流し、ゆったりつかった湯。町の人に愛されていた場の記憶を感じさせる。
場の作品では、そこから見える風景もコンセプトだろう。シモン・ヴェガ氏の作品『月うさぎ:ルナクルーザー』=写真・下=は海岸近くの児童公園にあり、前回訪れたときは外観しか鑑賞することができなかった。今回は木造の月面探査機の中を見ることができた。感動したのは、コックピッド(操縦席)から見える風景は確かに月面にも見えるのだ。ヴェガ氏が制作した月面探査機は市内の空き家の廃材で創られている。古さび捨てられていくものと宇宙というフォルムが合体し、そして海が月面に見えるという奇妙な感覚。これは作家の「未来は過去のなかにある」というコンセプトを表現しているようだ(奥能登国際芸術祭ガイドブック)。場を活かし、計算し尽くされた作品ではないだろうか。
⇒19日(火)午前・金沢の天気 はれ
実際にひびのこずえ氏は能登の海を潜って得た感性で作品づくりをしている。寄せては返す潮の満ち引き、それは出会いと別れでもあり、移り変わりでもある。ここから作品名を「Come and Go」と名付けられたとボランティアガイドから説明を受けた。
敷を借りて、5つの作品を展示している。スズプロは2017年の芸術祭から参加しているが、今回は新作として『いのりを漕ぐ』という大作を展示している。客間に能登産材の「アテ」(能登ヒバ)を持ち込み、波と手のひらをモチーフに全面に彫刻を施したもの。学生らがチェーンソーやノミでひたすら木を彫り込んだ。
「目にも鮮やか」という言葉の表現があるが、まさにこの作品のことではないだろうか。金沢在住のアーティスト、山本基氏の作品『記憶への回廊』=写真・上=だ。旧の保育所施設を用いて、真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれ、活気と静謐(せいひつ)が交錯するような空間が演出される。そして、保育園らしさが残る奥の遊戯場には塩という素材を用いた立体アートが据えられている。かつて、園児たちの声が響き、にぎわったこの場所は地域の人々の幼い時の記憶を呼び起こす。
マシンのような空間を作りたい。そして出来ることなら、大切な思い出に想いを寄せながら、未来をみつめる機会となってほしい。そう願っています」
道路で断ち切られた線路跡に設置されている、ドイツのトビアス・レーベルガー氏の作品「Something Else is Possible(なにか他にできる)」は前回(2017年)の作品=写真・上=だが、今でも寒色から暖色へのグラデーションが青空に映える。渦を巻くような内部には双眼鏡が置かれている。のぞいてみると、線路の200㍍ほど先にあるかつての終着駅、「蛸島駅」の近くに少し派手なメッセージ看板が見える。「something ELSE is POSSIBLE」と記されている。「ELSE」と「POSSIBLE」が大文字で強調されている。線路も駅もここで終わっているが、この先の未来には可能性はいくらだってある、と解釈する。レーベルガー氏が珠洲の人々に贈ったメッセージではないだろうか。
旧・鵜飼駅にあるのが、香港の作家、郭達麟(ディラン・カク)氏の作品「😂」だ。絵文字なので、使う人や読む人にとって少々意味がずれてくるかもしれない。ネットで検索すると、「うれし泣き」「泣けるほど感動」「深く感謝」といった意味だ。作品は、2つある。旧駅舎を郵便局に見立てて、絵葉書などを展示している。せっかく能登半島に来たのだから、ゆったりとした気持ちで葉書でも書いて送りましょう、とのメッセージのようも思える。そして、線路では、スマホに没頭するサルのオブジェがある=写真・中=。作者は香港から奥能登に来て、東京など大都会とはまったく異なる風景や時間の流れを感じたに違いない。スマホが象徴する気ぜわしい現代、そして時間がゆったりと流れる能登。「😂」の絵文字はその能登に感動したという意味を込めているのだろうか。
旧・正院駅には「植木鉢」を巨大化した「植林鉢」という作品が並ぶ=写真・下=。サンパウロに生まれ、ニューヨークに拠点を構えて、建築家、そしてアーティストとして活躍する大岩オスカール氏の作品だ。駅舎を囲むように植えられているのはソメイヨシノ。作者はおそらく春に現地にやって来た。そこで見たサクラのきれいなこの場所に感動し、秋は紅葉の名所にしたいと考えたのではないだろうか。ガイドブックによると、植林の材料のタンクは、地元の焼酎蒸留会社の不要になったタンクをリサイクルしたもの。巨大な植木鉢の側面には、能登で見た海の波、そして海を赤く染める夕日が描かれている。
前回(2017年)の奥能登国際芸術祭でも同じ海岸で、深澤孝史氏が「神話の続き」と題する作品=で、この地域に流れ着いた海洋ごみを用いて、神社の鳥居を模倣して創作した=写真・下=。古来より、強い偏西風と荒波に見舞われる外浦の海岸には、大陸から流れ出たものを含めさまざまな漂流物が流れ着く。大昔は仏像なども流れてきて、「寄り神」として祀られたこともあるが、現在ではそのほとんどが対岸の国で発生したプラスチックごみや漁船から投棄された漁具類だ。
は英語、10個は中国語、日本語は3個だった。ポリタンクだけではない。医療系廃棄物(注射器、薬瓶、プラスチック容器など)の漂着もすさまじい。環境省が2007年3月にまとめた1年間の医療系廃棄の漂着は日本海沿岸地域を中心に2万6千点以上あった。
「奥能登国際芸術祭2020+」が開催されている石川県珠洲市は能登半島の尖端に位置する。さらに海に突き出た最尖端に「禄剛崎(ろっこうざき)灯台」がある。灯台の近くには、「ウラジオストック 772㎞」「東京 302㎞」などと記された方向看板がある=写真・上=。この看板を見ただけでも、最果ての地に来たという旅情が沸いてくる。別の石碑を見ると、「日本列島ここが中心」と記されている。確かに地図で眺めても能登半島は本州のほぼ中央に位置する。最果てでありながら、列島の中心分に位置するという不思議な感覚が今回のアートでも表現されている。
れている=写真・中=。アクリル板を使って日本列島と島々を表現し、天井から逆さでつるすことで、周辺の海域や能登半島と大陸の位置関係などを示している。背景の壁面にはユーラシア大陸が描かれ、周辺海域や日本列島の特性、大陸と能登半島の歴史などもゆらゆらと揺れながら浮かび上がる。
崎詣(まり)り」と呼んで、その姿に合掌する習わしがある。また、同市馬緤(まつなぎ)の海岸には、「巨鯨慰霊碑」がある。明治から昭和にかけて、シロナガスクジラなどが岩場に漂着し、地域の人たちに恵みをもたらした。それに感謝する碑である。こうした海の生き物に感謝する歴史と伝説を調査し、土地の人々からの聞き取りを基に、台湾出身の作家、涂維政(トゥ・ウィチェン)氏は「クジラ伝説遺跡」を創作した。
なぜこの海をのぞむ児童公園を創作の場に選んだのか。上記のガイドブックを読んでなんとなくイメージが浮かんできた。この公園の入り口には、万葉の歌人として知られる大伴家持が珠洲を訪れたときの歌碑=写真・中=がある。「珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり」。748年、越中国司だった大伴家持が能登へ巡行し、最後の訪問地だった珠洲で朝から船に乗って越中国府に到着したときは夜だったという歌だ。当時は大陸の渤海(698-926年)からの使節団が能登をルートに奈良朝廷を訪れており、大伴家持が乗った船はまさに月面探査機をイメージさせるような使節団の船ではなかったか。ヴェガ氏もこの話を地元の人たちからこの話を聞いて発想し、ここでルナークルーザーを創ったとすれば、歴史の場を意識した作品ではないのか。こうした勝手解釈ができるところが作品鑑賞の楽しみでもある。
所」=写真・下=。製材所の海側の壁は透明なアクリル壁に手直しされ、ベンチに座ると海の水平線を望むことができる。
このミュージアムのコンセプトは「大蔵ざらえプロジェクト」。珠洲は古来より農業や漁業、商いが盛んだった。当時の文物は、時代とともに使われる機会が減り、多くが家の蔵や納屋に保管されたまま忘れ去れたものが数多くある。市民の協力を得て蔵ざらえした文物をアーティストと専門家が関わり、博物館と劇場が一体化した劇場型民俗博物館としてオープンした。会場そのものも、日本海を見下ろす高台にある旧小学校の体育館を活用している。
てなしに使われた朱塗りの御膳などが並ぶ。地域の歴史や食文化を彷彿させる=写真・中=。「唐箕(とうみ)」が並んでいた。脱穀した籾からゴミを取り除く農具で昔の農村では一家に一台はあった。それを並べて陳列することで、農村の風景が蘇る。そのほか、1960年代の白黒テレビや家電製品も並ぶ。
と、波が打ち寄せる波や風の音、そしてかつてこの地域に歌われていた民謡が流れて、会場の古い民具と響き合い、記憶の残照が浮き上がる。 