#奥能登国際芸術祭

★アートとSDGs

★アートとSDGs

   前回の能登半島の珠洲市で開催された「創造都市ネットワーク日本(CCNJ)現代芸術の国際展部会シンポジウム」の続き。シンポジウムの前半は奥能登国際芸術祭の総合ディレクター、北川フラム氏の基調講演。後半は「里山里海×アート×SDGsの融合と新しいコモンズの視点から」をテーマにパネル討論だった。このテーマのキーワードは「里山里海×アート×SDGs」。能登半島は2011年に国連食糧農業機関(FAO)から世界農業遺産(GIAHS)に認定された。そのタイトルが「能登の里山里海」だった。さらに市は独自に2017年に奥能登国際芸術祭を開催し、2018年には内閣府の「SDGs未来都市」に登録されるなど、「持続可能な地域社会」を先取りする政策を次々と打ち出している。

   討論会のファシリテーターは自身が務め、パネリストは泉谷満寿裕珠洲市長、国連大学サスティナビリティ高等研究所OUIK事務局長の永井三岐子氏、金沢21世紀美術館学芸部長チーフ・キュレーターの黒澤浩美氏、金沢市都市政策局SDGs推進担当の笠間彩氏の4人。前回のブログの冒頭でも述べた、「アートとSDGsは果たしてリンクできるのか」とパネリストに投げかけた。里山里海とアートはこれまでもこのブログで紹介してきたようにインスタレーション(空間芸術)でつながる。SDGsは貧困に終止符を打ち、地球の環境を保護して、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにすることを呼びかける国連の目標だが、SDGsの17の目標の中に「アート」「芸術」という文字はない。

   アートとSDGsは果たしてつながるのか。すると、討論の中で「アーチストもSDGsをどう創作・表現するか迷っている」という言葉が出た。ハタと気がついた。アーチストもSDGsを表現しようと試行錯誤している。珠洲市は「SDGs未来都市」に登録されている、作家もそのコンセプトを表現しようとするはずだ。思い当たる作品が浮かんだ。

   インドの作家スボード・グプタ氏の作品「Think about me(私のこと考えて)」がある。大きなバケツがひっくり返され、海の漂着物がどっと捨てられるというイメージだ=写真=。プラスチック製浮子(うき)や魚網などの漁具のほか、ポリタンク、プラスチック製容器など生活用品、自然災害で出たと思われる木材などさまざまな海洋ゴミだ。ガイドブックによると、これらの漂着ごみのほとんどが実際にこの地域に流れ着いたものだ。地域の人たちの協力で作品が完成した。グプタ氏の創作の想いが海洋ゴミを無くして海の自然と豊かさを守ろうという意味と解釈すれば、まさにSDGsだ。

   奥能登国際芸術祭ではインスタレーションの視点で楽しんだが、SDGsの視線で作品を見たことはなかった。アートには無限の可能性や、社会を豊かに変えていくことができる芸術の力があるのではないか、と今さらながら感じ入った次第だ。

⇒22日(土)夜・金沢の天気      くもり

☆「さいはての地」という特異点に迫るアートと起業

☆「さいはての地」という特異点に迫るアートと起業

   「アートとSDGsはつながるのか」、そんな思いをめぐらしながら参加したシンポジウムだった。きょう21日、能登半島の珠洲市で始まった「創造都市ネットワーク日本(CCNJ)現代芸術の国際展部会シンポジウム」。国際芸術祭を開催している自治体が開催している勉強会でもある。

   珠洲市で昨年秋に開催された「奥能登国際芸術祭2020+」の総合ディレクターの北川フラム氏=写真・上=が「持続可能な地域社会と国際芸術祭」と題して基調講演。「厳しい地域ほど魅力的で、珠洲は地政学的にも特異点がある。芸術祭で大いに変わる可能性がある。ぜひ10年で最低3回の芸術祭をやってほしい」と述べた。珠洲の特異点として、「この地には日本で失われた生活が残っている。そして、国と人がつながる日本海を望む『さいはての地』であり、鉄道の消滅点でもある。地域コミュニティーの絆が強く、里山里海の自然環境に恵まれている。アートはこうした特異点に迫っていく」とアーチスト目線で珠洲の魅力と可能性を強調した。

   珠洲市の国際芸術祭は2017年と2021年の2回。北川フラム氏が地域が大きく変化するには「10年、最低3回」と述べたが、すでに珠洲市には変化が起きている。移住者数で見てみる。芸術祭開催前の5年間(2012-16年度)と開催後の5年間(2017-21年度12月末)との比較では開催前が135人に対して、開催後は255人と1.9倍も増えている。また、今年度の上半期(4-9月)は転入者が131人、転出者が120人で、転入が初めて転出を上回った。この社会動態の変化はなぜ起きているのか。北川フラム氏が述べたように、半島の先端という地理的な条件や過疎化といったハンディはアーチストにとって「厳しい地域こそ魅力的」に感じ、移住者も共感するという現象なのか。 

   その社会的な背景には、若者世代を中心として都市の人口集中、一極集中とは一線を画して、地域の新たな価値を見出す動きが活発化しつつある。そんな時代とマッチしたのかもしれない。事例を一つ上げる。去年3月に東京のIT企業に勤める男性が珠洲市に移住してきた。テレワークを通して本社の仕事をしながら、副業ビジネスとして、能登でクラフトジンを開発するためだ。ジンの本場・イギリスのウェールズにある蒸留所に行き、能登のユズやクロモジ、藻塩など日本から送りそれをベースにジンの生産の委託契約を結んできた。勤務先の会社が副業を解禁としたタイミングだった。将来は小さな蒸留所を能登でつくる計画も抱いている。能登の地域資源であるボタニカル(原料植物)を探して夢に向かって進む姿と、アーチストたちの創作の姿を重なって見える。「のとジン」=写真・下=は来月から通信販売が始まる。

   冒頭の「アートとSDGsはつながるのか」の問題提起は次回で。

⇒21日(金)夜・珠洲の天気    くもり時々ゆき

★名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~下~

★名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~下~

   「奥能登国際芸術祭2020+」はきのう5日で63日間の会期を終了した。芸術祭実行委員会のまとめによると、来場者は4万8973人(速報値)だった。新型コロナウイルスのパンデミックで開催が1年延期され、さらに石川県にはまん延防止等重点措置が出され、開会の9月4日から30日までは原則として屋外の作品のみの公開だった。さらに、9月16日には震度5弱の地震に見舞われた。幸い人や作品へ影響はなかったものの多難な幕開けだった。後半の10月以降は屋内外の作品が公開され、24日までの会期が11月5日まで延長となった。

    アートもSDGsも「ごちゃまぜ」 風通しのよさが地域を創る

   芸術祭のほかに珠洲市は、SDGsの取り組みにも熱心だ。内閣府が認定する「SDGs未来都市」に名乗りを上げ、2018年6月に採択された。同市の提案「能登の尖端“未来都市”への挑戦」はSDGsが社会課題の解決目標として掲げる「誰一人取り残さない」という考え方をベースとしている。少子高齢化が進み、地域の課題が顕著になる中、同市ではこの考え方こそが丁寧な地域づくり、そして地方創生に必要であると賛同して、内閣府に応募した。

   採択された後、同市は「能登SDGsラボ」を開設した。市民や企業の参加を得て、経済・社会・環境の3つの側面の課題を解決しながら、統合的な取り組みで相乗効果と好循環を生み出す工夫を重ねるというもの。簡単に言えば、経済・社会・環境をミックス(=ごちゃまぜ)しながら手厚い地域づくりをしていく。そのために、金沢大学、国連大学サスティナビリティ高等研究所いしかわ・かなざわ・オペレーティングユニット(OUIK)、石川県立大学、石川県産業創出支援機構(ISICO)、地元の経済界や環境団体(NPOなど)、地域づくり団体などがラボに参画している。

   こうしたごちゃまぜの風通しのよさは行政や地域の経済人、それに地域の人々と触れることで感じることができる。ことし6月に東証一部上場の「アステナHD」が本社機能の一部を同市に移転したものその雰囲気を経営者が察知したことがきっかだった。そして、社会動態も好転している。今年度の上半期(4-9月)は転入が131人、転出が120人と転入がプラスに転じた。多くが若い移住者だ。

   芸術祭実行委員長である珠洲市長の泉谷満寿裕氏は「芸術祭は『さいはて』の珠洲から人の時代を流れを変える運動であり、芸術祭とともに新たな動きを産み出していきたい」ときのうの閉会式で述べていた。能登半島の尖端のこうした動きこそアートだと感じている。(※写真は『私たちの乗りもの(アース・スタンピング・マシーン)』フェルナンド・フォグリ氏=ウルグアイ)

⇒6日(土)夜・金沢の天気     はれ

☆名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~上~

☆名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~上~

   能登半島の尖端、珠洲市で開催されている奥能登国際芸術祭(9月4日-11月5日)の最終日に鑑賞してきた。名残惜しさと芸術の秋が相まって楽しむことができた。

   代々の生活がにじむアート

   芸術祭で8組のアーティストが作品を創作しているのがスズ・シアター・ミュージアム「光の方舟」。日本海を見下ろす高台の旧小学校の体育館を活用している。その入口にこれも作品かと思うほどに人目をひくのが樹木だ。強風に吹かれて曲がっているのだ=写真・上=。能登の厳しい自然環境を感じさせる。

   このミュージアムのコンセプトは「大蔵ざらえプロジェクト」。珠洲は古来より農業や漁業、商いが盛んだったが、道具や用具=写真・中=などは時代とともに使われる機会が減り、多くが家の蔵や納屋に眠ったまま忘れ去れていた。市民の協力を得て蔵ざらえしたこれらの道具や用具を用いて、アーティストと専門家が関わり、民族博物館と劇場が一体化したシアター・ミュージアムが創られた。芸術祭終了後も常設施設として残される。   

   市内の旧家もアートの展示会場になっている。古民家の家財道具を寄せ集め、天井から生える木のように見せる作品「いえの木」=写真・下=。金沢美術工芸大学アートプロジェクトチーム「スズプロ」が制作した。作品をよく見ると、旧式の扇風機やテレビに混じって「小作米領収帳」が見えた。その土地で何代にも渡り生きてきた人々の生活がにじみでている。

   美大の学生たちは一年を通して珠洲の祭りや伝統行事に参加しながら地域交流を深め、地道なフィールドワークを行っている。日本海を見渡すこの地で、奥能登でしか表現し得ないアートとは何か、実に壮大なテーマではある。

⇒5日(金)夜・金沢の天気     くもり

☆続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~2~

☆続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~2~

   「奥能登国際芸術祭2020+」で色鮮やかな海をテーマとしているのが、ひびのこずえ氏の作品「Come and Go」=写真・上=だ。作品展示だけでなく、ダンスも演じるパフォーマンスたっぷりの芸術だ。テーマとしているのは能登の海。一般には冬場の鉛色の荒れた海を想像しがちだが、じつにカラフルな構成になっている。

      自然環境と人々の暮らし、能登の森羅万象をアートに

   実際にひびのこずえ氏は能登の海を潜って得た感性で作品づくりをしている。寄せては返す潮の満ち引き、それは出会いと別れでもあり、移り変わりでもある。ここから作品名を「Come and Go」と名付けられたとボランティアガイドから説明を受けた。

   展示作品は海中のイメージを表現している。写真の真ん中に大きなウミガメがいて、海藻や魚、クラゲもいる。ここは海であり、地球であり、そして宇宙をイメージする、まるで無重力空間のようだ。

   奥能登国際芸術祭には金沢美術工芸大学も出品している。教員・学生60人余りで構成するアートプロジェクトチーム「スズプロ」。市内の広々とした旧家の屋敷を借りて、5つの作品を展示している。スズプロは2017年の芸術祭から参加しているが、今回は新作として『いのりを漕ぐ』という大作を展示している。客間に能登産材の「アテ」(能登ヒバ)を持ち込み、波と手のひらをモチーフに全面に彫刻を施したもの。学生らがチェーンソーやノミでひたすら木を彫り込んだ。

   教員・学生たちのは一年を通して珠洲の祭りや伝統行事に参加しながら地域交流を深めている。そして、日本海を見渡すこの地域の調査研究を行い、ここでしか表現し得ない作品の制作を目指してきた。アテを使ったのも、この木が能登特産の素材だからだ。そして「能登曼荼羅(まんだら)」=写真・下=という作品がある。これは2017年制作の作品だが、その地域研究の成果が凝縮されている。「奥能登を、絵解く」をテーマに、人々の四季の暮らしや生業(なりわい)、祭り行事、喜び悲しみの表情まで実に細かく描写されている。まさに、森羅万象の仏教絵画の世界なのだ。

⇒18日(月)夜・金沢の天気     はれ

☆「透かし」と「雪吊り」金沢の庭木アート

☆「透かし」と「雪吊り」金沢の庭木アート

    先日、能登半島・珠洲市で開催されている奥能登国際芸術祭の作品を鑑賞して思ったことは、「場のアート」というコンセプトだ。その場で訴えることがもっとも感性が伝わる。半島の最尖端という地勢で、大陸からの海洋ゴミが大量に流れ着く海岸で、廃線となった駅舎で、それぞれのアーティストたちが創作した作品からそのメッセージがダイレクトに伝わり、心に響く。

   「場のアート」という言葉は、庭師の仕事にも当てはまるのではないかと思っている。先月末に庭木の刈り込み(剪定)を造園業者にお願いした。ベテランや若手の庭師4人が作業をしてくれた。庭木は放っておくと、枝葉が繁り放題になる。庭として形状を保つためには、剪定によって樹木を整える。

   金沢の庭師は剪定のことを「透かし」と言う。透かし剪定は、枝が重なり合っている部分の不要な枝をとことん切り落とす。出来上がりを見ると、樹木全体がすかすかに透けて見えるくらいになる。素人の目線では、そこまで強く刈り込むと、樹木が枯れるのではないかと思うくらいだ。庭師によると、透かしによって、樹木が有する本来の美しさを保つ。その意味は、樹木の日当たりや風通しを良くすることで、葉を食う毛虫類や、幹に穴をあける害虫がつきにくくする効果がある。もう一つの効果は、べったりと重い金沢の積雪から庭木の枝を守るためなのだという。

   確かに、庭木に雪が積もると、「雪圧」「雪倒」「雪折れ」「雪曲」といった、金沢でよく見られる雪害が起きる。そこで、庭師は樹木の姿を見て、「雪吊り」「雪棚」「雪囲い」の雪害対策の判断をする。毎年見慣れている雪吊りの光景だが、縄の結び方などがまったく異なる。雪吊りで有名なのは「りんご吊り」だ。五葉松などの高木に施される=写真=。マツの幹の横にモウソウチクの柱を立てて、柱の先頭から縄を17本たらして枝を吊る。パラソル状になっているところが、アートでもある。

   金沢の庭師は庭木への積雪をイメージ(意識)して、剪定を行う。このために強く刈り込み「透かし」を施す。ゆるく刈り込みをすると、それだけ枝が不必要に成長して、雪害の要因にもなる。庭木の生命や美の形状を保つために、常に雪のことが想定しながら作業をする。透かしと雪吊りの技術、まさに「場のアート」ではないだろうか。

⇒12日(日)夜・金沢の天気     くもり

★「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~5~

★「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~5~

   能登半島の先端部分、いわゆる奥能登を走行していた「のと鉄道能登線」が全線廃線となったのは2005年4月だった。かつての駅舎や線路、トンネルが今でも残っている。珠洲市で開催されている「奥能登国際芸術祭2020+」では46ヵ所で作品が展示されているが、うち7つがかつての駅舎や線路を活用した作品だ。

    廃線の場から発するアーティストの想い、そしてメッセージ

   道路で断ち切られた線路跡に設置されている、ドイツのトビアス・レーベルガー氏の作品「Something Else is Possible(なにか他にできる)」は前回(2017年)の作品=写真・上=だが、今でも寒色から暖色へのグラデーションが青空に映える。渦を巻くような内部には双眼鏡が置かれている。のぞいてみると、線路の200㍍ほど先にあるかつての終着駅、「蛸島駅」の近くに少し派手なメッセージ看板が見える。「something  ELSE  is  POSSIBLE」と記されている。「ELSE」と「POSSIBLE」が大文字で強調されている。線路も駅もここで終わっているが、この先の未来には可能性はいくらだってある、と解釈する。レーベルガー氏が珠洲の人々に贈ったメッセージではないだろうか。

   旧・鵜飼駅にあるのが、香港の作家、郭達麟(ディラン・カク)氏の作品「😂」だ。絵文字なので、使う人や読む人にとって少々意味がずれてくるかもしれない。ネットで検索すると、「うれし泣き」「泣けるほど感動」「深く感謝」といった意味だ。作品は、2つある。旧駅舎を郵便局に見立てて、絵葉書などを展示している。せっかく能登半島に来たのだから、ゆったりとした気持ちで葉書でも書いて送りましょう、とのメッセージのようも思える。そして、線路では、スマホに没頭するサルのオブジェがある=写真・中=。作者は香港から奥能登に来て、東京など大都会とはまったく異なる風景や時間の流れを感じたに違いない。スマホが象徴する気ぜわしい現代、そして時間がゆったりと流れる能登。「😂」の絵文字はその能登に感動したという意味を込めているのだろうか。

   旧・正院駅には「植木鉢」を巨大化した「植林鉢」という作品が並ぶ=写真・下=。サンパウロに生まれ、ニューヨークに拠点を構えて、建築家、そしてアーティストとして活躍する大岩オスカール氏の作品だ。駅舎を囲むように植えられているのはソメイヨシノ。作者はおそらく春に現地にやって来た。そこで見たサクラのきれいなこの場所に感動し、秋は紅葉の名所にしたいと考えたのではないだろうか。ガイドブックによると、植林の材料のタンクは、地元の焼酎蒸留会社の不要になったタンクをリサイクルしたもの。巨大な植木鉢の側面には、能登で見た海の波、そして海を赤く染める夕日が描かれている。

   アーティストが廃線という場で、それぞれの想いやメッセージを込めて、創作に没頭する姿を改めて思い描いた。

⇒9日(木)午前・金沢の天気      くもり後はれ

☆「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~4~

☆「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~4~

     「奥能登国際芸術祭2020+」では海の環境問題をテーマにした作品を鑑賞した。大陸と向き合う能登半島の海沿いは「外浦(そとうら)」と呼ばれる。その外浦の笹波海岸にインドの作家スボード・グプタ氏の作品「Think about me(私のこと考えて)」がある。大きなバケツがひっくり返され、海の漂着物がどっと捨てられるというイメージだ=写真・上=。プラスチック製浮子(うき)や魚網などの漁具のほか、ポリタンク、プラスチック製容器など生活用品、自然災害で出たと思われる木材などさまざまな海洋ゴミだ。ガイドブックによると、これらの漂着ごみのほとんどが実際にこの地域に流れ着いたものだ。

    日本海の海洋ごみ問題を訴える「Think about me」

           前回(2017年)の奥能登国際芸術祭でも同じ海岸で、深澤孝史氏が「神話の続き」と題する作品=で、この地域に流れ着いた海洋ごみを用いて、神社の鳥居を模倣して創作した=写真・下=。古来より、強い偏西風と荒波に見舞われる外浦の海岸には、大陸から流れ出たものを含めさまざまな漂流物が流れ着く。大昔は仏像なども流れてきて、「寄り神」として祀られたこともあるが、現在ではそのほとんどが対岸の国で発生したプラスチックごみや漁船から投棄された漁具類だ。

   データがある。石川県廃棄物対策課の調査(2017年2月27日-3月2日)によると、県内の加賀市から珠洲市までの14の市町の海岸で合計962個のポリタンクが漂着していた。ポリタンクは20㍑ほどの液体が入るサイズが主で、そのうちの57%に当たる549個にハングル文字が書かれ、373個は文字不明、27個は英語、10個は中国語、日本語は3個だった。ポリタンクだけではない。医療系廃棄物(注射器、薬瓶、プラスチック容器など)の漂着もすさまじい。環境省が2007年3月にまとめた1年間の医療系廃棄の漂着は日本海沿岸地域を中心に2万6千点以上あった。

   漂着物は目に見える。もっと問題なのは一見して見えない、大きさ5㍉以下のいわゆる、マイクロプラスティックではないだろうか。ポリタンクやペットボトル、トレーなどが漂流している間に折れ、砕け、小さくなって海を漂う。マイクロプラスチックを小魚が飲み込み、さらに小魚を食べる魚にはマイクロプラスチックが蓄積されいく。食物連鎖の中で蓄積されたマイクロプラティックを今度は人が食べる。単なるプラスティックならば体外に排出されるだろうが、有害物質に変化したりしていると体内に残留する可能性は高いとされる。

   ポリタンクや医療系廃棄物の不法な海洋投棄は国際問題だ。「地中海の汚染防止条約」とも呼ばれるバルセロナ条約は21ヵ国とEUが締約国として名を連ね、1978年に発効した。条約化を主導したのは国連環境計画(UNEP)だった。UNEPの研究員アルフォンス・カンブ氏と能登の外浦で意見交換したことがある。そのとき、彼が強調したことは日本海にも汚染防止条約が必要だ、と。あれから15年余り経つが、汚染はさらに深刻になっている。日本海の汚染防止条約が今こそ必用だと実感している。スボード・グプタ氏の作品は海洋汚染を「自分事」として考えることが必要だと訴えているのではないか。「Think about me」と。

⇒8日(水)午前・金沢の天気     あめ

★「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~3~

★「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~3~

         「奥能登国際芸術祭2020+」が開催されている石川県珠洲市は能登半島の尖端に位置する。さらに海に突き出た最尖端に「禄剛崎(ろっこうざき)灯台」がある。灯台の近くには、「ウラジオストック 772㎞」「東京 302㎞」などと記された方向看板がある=写真・上=。この看板を見ただけでも、最果ての地に来たという旅情が沸いてくる。別の石碑を見ると、「日本列島ここが中心」と記されている。確かに地図で眺めても能登半島は本州のほぼ中央に位置する。最果てでありながら、列島の中心分に位置するという不思議な感覚が今回のアートでも表現されている。

   能登半島を中心に描くジオアート、クジラ伝説を描く考古学アート

   市内の多目的ホール「ラポルトすず」のロビーに、加藤力、渡辺五大、山崎真一の3氏によるアーティストユニット「力五山」が創作した「漂流記」が展示されている=写真・中=。アクリル板を使って日本列島と島々を表現し、天井から逆さでつるすことで、周辺の海域や能登半島と大陸の位置関係などを示している。背景の壁面にはユーラシア大陸が描かれ、周辺海域や日本列島の特性、大陸と能登半島の歴史などもゆらゆらと揺れながら浮かび上がる。

   「漂流記」という作品タイトルはおそらく、作品全体が館内の空調でゆらゆら揺れることから、あたかも大陸から船に乗って能登半島に渡って来るイメージではないか。能登半島には平安時代に大陸の渤海からの使節団を迎える「能登客院」が置かれ、大陸の玄関口だったとの言い伝えがある。それにしても、実にダイナミックな「ジオアート( Geo Art)」だ。

           そして、「考古学アート」もある。 珠洲市には、イルカを祭神の使いとして祀る須須神社があり、同神社前の海にイルカが現れると地元では「三崎詣(まり)り」と呼んで、その姿に合掌する習わしがある。また、同市馬緤(まつなぎ)の海岸には、「巨鯨慰霊碑」がある。明治から昭和にかけて、シロナガスクジラなどが岩場に漂着し、地域の人たちに恵みをもたらした。それに感謝する碑である。こうした海の生き物に感謝する歴史と伝説を調査し、土地の人々からの聞き取りを基に、台湾出身の作家、涂維政(トゥ・ウィチェン)氏は「クジラ伝説遺跡」を創作した。

    旧・日置小中学校のグラウンドには、体長10㍍のクジラの骨が出土する考古遺跡がアートとして再現されている=写真・下=。遠い昔の伝説、海の生き物への感謝、そして生命の営みの跡という実感がリアルに迫って来る。骨組みの一つ一つが丁寧に創られ、まさに発掘現場を描く「考古学アート」ではないだろうか。

⇒7日(火)午後・金沢の天気     くもり

☆「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~2~

☆「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~2~

   エルサルバドルの芸術家シモン・ヴェガ氏の作品「月うさぎ:ルナークルーザー」は木造の月面探査機が海に向かって飛び出そうとしているイメージだ=写真・上=。珠洲の空き家から出た廃材と、宇宙船という非日常性が一体化したフォルムがなんとも面白い。創作された場は児童公園なので、おそらく子どもたちの人気の的になっているに違いない。ガイドブックによると、「未来は過去の中にある」というヴェガ氏のコンセプトを表現している。そして、作品づくりにあたっては地元の伝説などをよくリサーチしたようだ。

    海が見える歴史の場、生業の場で発想したアートとは何か

   なぜこの海をのぞむ児童公園を創作の場に選んだのか。上記のガイドブックを読んでなんとなくイメージが浮かんできた。この公園の入り口には、万葉の歌人として知られる大伴家持が珠洲を訪れたときの歌碑=写真・中=がある。「珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり」。748年、越中国司だった大伴家持が能登へ巡行し、最後の訪問地だった珠洲で朝から船に乗って越中国府に到着したときは夜だったという歌だ。当時は大陸の渤海(698-926年)からの使節団が能登をルートに奈良朝廷を訪れており、大伴家持が乗った船はまさに月面探査機をイメージさせるような使節団の船ではなかったか。ヴェガ氏もこの話を地元の人たちからこの話を聞いて発想し、ここでルナークルーザーを創ったとすれば、歴史の場を意識した作品ではないのか。こうした勝手解釈ができるところが作品鑑賞の楽しみでもある。

   普通の工場なのだが、海が見渡せると発想すると工場全体がアートにもなる。これが芸術作品かと一瞬思ってしまうのが、沖縄・東京・地元珠洲の作家とデザイしたチーム「Noto Aemono Project」が制作した「海の見える製材所」=写真・下=。製材所の海側の壁は透明なアクリル壁に手直しされ、ベンチに座ると海の水平線を望むことができる。

  チ-ムのテーマはもっと深い。製材所という工場の歴史と役割だ。かつて地域の森で育まれ、伐り出された木は建築材として活用されてきた。しかし、安価な輸入木材などが使われるようになり、地域の木が使われなくなった分、山は荒れてクマやイノシシなどがはびこるようになった。地域材の循環という視点からも製材所の果たす役割は大きい。海を前にたたずむ製材所から見える山と里、人と暮らし、自然環境と地域経済の繋がりが見えてくる。海の見える製材所を見出したアーティストの感性が伝わってくる。

⇒6日(月)午前・金沢の天気     はれ