#墓参り

☆旧盆墓参りとブッダのインド料理の話

☆旧盆墓参りとブッダのインド料理の話

   旧盆入りのきょう金沢市の南隣の野々市市と北隣の津幡町へ親戚の墓参に行ってきた=写真・上=。近隣であってもお盆の風習に違いがある。金沢市は7月中旬の新盆、野々市市と津幡町は旧盆での墓参りが多い。

   この時節いつも思うことだが、同じ墓参りでも金沢と能登・加賀では参り方に違いがある。金沢の場合は、墓所にキリコをつり下げる棒か紐がかけてあり、墓参した人は札キリコをかける。札キリコには浄土真宗の墓所ならば「南無阿弥陀仏」、曹洞宗ならば「南無釈迦牟尼仏」と書いて、裏の「進上」に墓参した人の名前を記す。この札キリコをつるすことで、その墓の持ち主は誰が墓参に訪れたのか分かる仕組みになっている。

    これに対し能登・加賀では、札キリコを持参する風習はないが、墓参りの後にその家を訪ねて仏壇にも合掌をする。直接顔を見せる能登・加賀と、名前を札キリコに書き置きする金沢の違いがある。むしろ、札キリコを持参する風習の金沢の方が独特のようだ。金沢での言い伝えでは、代々の加賀藩主の墓地に年寄衆や家老・若年寄らが札キリコを献上したことが、年月を経て庶民にも広まったとする説もある。武家文化の名残りなのだろうか。

   墓参りの帰り、インド料理の店に入った。初めての店だった。店内で流れるBGMはまるでお経の合唱のような、ゆったりとして荘厳な響きで、インドの民謡のような雰囲気だ。マトンカレーとプレーンナン、タドリーエビを注文。

   ふと壁を見ると、ブッダ(仏陀)のポスターが飾ってあった=写真・下=。従業員の許可を得て、写真を撮らせてもらった。インドで製作されたポスターで顔は女性のようなふっくらとした笑顔で描かれている。全体に光沢があり、美しく、じつにまばゆいポスターだ。「南無阿弥陀仏」と唱え、墓参りをした後だっただけに、ありがたい思いで料理を食べた。たわいもない話である。

⇒12日(土)午後・金沢の天気    はれ

☆「札キリコ」と「祭りキリコ」のこと

☆「札キリコ」と「祭りキリコ」のこと

   石川県内ではきょう新たに確認された新型コロナウイルス感染者は1995人となった(石川県庁公式サイト「医療・福祉・子育て」)。今月10日から12日までは2000人台に達していて、最多レベルの感染が続く。このような中、お盆の時季でもあり、金沢の街中や道路などは混雑している。3年ぶりに行動制限のないUターンラッシュだ。

   きょう金沢市の南隣の野々市市と北隣の津幡町へ親戚の墓参に行ってきた。近隣であってもお盆の風習に違いがある。金沢市は7月中旬の新盆、野々市市と津幡町は旧盆での墓参りが多い。

   時季だけでなく、墓参りの仕方にも違いがある。金沢の場合は「札キリコ」を持参する。墓の前に札キリコをつり下げる棒か紐がかけてあり、墓参した人は棒か紐につるす。札キリコには宗派によって、例えば浄土真宗の墓地ならば「南無阿弥陀仏」、曹洞宗ならば「南無釈迦牟尼仏」と書いて、裏の「進上」には墓参した人の名前を記す=写真・上=。この札キリコによって、その墓の持ち主は誰が墓参に来てくれたのかということが分かる仕組みになっている。

   これに対し能登・加賀では、札キリコを持参する風習はないが、墓参りの後にその家を訪ねて仏壇にも合掌をする。直接顔を見せる能登・加賀と、名前を札キリコに書き置きする金沢の違いがある。むしろ、金沢の方が独特なのかもしれない。以前、お寺の関係者から聞いた話だが、札キリコは江戸時代からあり、金沢では武家の間だけの風習だった。名刺代わりに札キリコに名前を書いて墓参した。それが、明治以降は庶民に広がったという説だった。

   キリコはもともと切子灯籠(きりことうろう)と呼ばれていて、行灯(あんどん)のようなカタチをしていた。金沢では、札キリコとしてコンパク化して名刺の役割を持つようになった。一方、能登ではキリコは巨大化した。能登各地で伝統的に催される夏祭りと言えば、祭りキリコ=写真・下=。神社の神輿の先導役として集落を練る。

   この祭りキリコは高さ10数㍍のものもあり、若集が数十人で1基を担ぎ上げる。鉦(かね)や太鼓が備えられ、祭りキリコが動き出すとにぎやかになる。では、なぜ巨大化したのか。祭りキリコは集落のシンボル的でもあり、輪島塗で装飾を施し豪華さを、あるいは、大きさを誇示することを繰り返して巨大化したとも言われる。

   「札キリコ」と「祭りキリコ」はもともと切子灯籠。地域によって用途が異なり、また独自の大きさとカタチに変化した。切子灯籠の進化論ではある。ただ、ルーツは同じなので「札キリコ」と「祭りキリコ」のカタチはなんとなく似ている。

⇒14日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆ 「多死社会」と「一村一墓」

☆ 「多死社会」と「一村一墓」

   少子高齢化の日本は、死亡数が増加し人口減少が加速する、いわゆる「多死社会」ともいわれる。2019年に日本で亡くなった人の数は137万人、ちなみに出生数は86万人だ(厚生労働省令和元年人口動態統計の年間推計)。旧盆の墓参りに出かける予定だが、最近思うことは故人の弔い方や墓参りのあり方が大きな曲がり角に来ている、ということだ。 

   お盆にもかかわらず、草が伸び放題の荒れた墓を金沢でもよく目にする。何らかの事情で家族や親族が墓参りに来ていない無縁墓なのだろう。最近は、墓を造らず納骨もしないという人も増えている。樹木葬や遺灰を海にまく、あるいは、葬儀もせず遺体を火葬して送る「直葬(ちょくそう)」という言葉も最近聞く。葬式や墓造りには当然ながら多額の費用がかかる。墓を造ると墓守りもしなければならない。死後になぜこれほど経費をかけるのか、むしろ残された家族のために使うべきだという発想が現役世代には広がっているのではないだろうか。確かに、生前に本人の遺志があったとしても、死後にはすべて昇華してしまうのだ。

   そこで最近よく聞くのが、共同墓だ。以前、東京に住む友人から共同墓の権利を購入したとのメールをもらった。費用が安く、供養してもらえるようだ。ただ、遺骨は永久供養ではなく33回忌で、他の遺骨と一緒に合祀されるとのこと。「家族に迷惑がかからない分、すっきりしていい」と本人は納得していた。共同墓がこれからのトレンドではないだろうか。

   以下は参考事例だ。能登で「一村一墓(いっそんいちぼ)」という言葉を聞いて、その地を訪れたことがある。珠洲市三崎町の大屋地区だ。江戸時代に人口が急減した時代があった。日本史で有名な「天保の飢饉」。能登も例外ではなく、食い扶持(ぶち)を探して、若者が大量に離村し人口が著しく減少した。村のまとめ役が「この集落はもはやこれまで」と一村一墓、つまり集落の墓をすべて集め一つにした。そして、ムラの最後の一人が墓参りをすることで村じまいとした。しかし、集落は残った。江戸時代に造られた共同墓と共同納骨堂=写真=は今もあり、一村一墓は地域の絆(きずな)として今も続いている。

   現実問題として一村一墓は今の時代こそ必要になのかもしれない。多死社会にあって、都会にいる子孫たちはわざわざ墓参にくるだろうか。縁が薄れていく墓はさらに増えるだろう。むしろ、共同墓にして、誰かが供養に来てもらえばそれでよい。町内会で一墓、もうそんな時代ではないだろうか。

⇒14日(金)朝・金沢の天気    はれ

☆されど墓参り

☆されど墓参り

          政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長がきのう夕方、臨時の記者会見で、政府として盆帰省に関する提言を出すべきと述べた。「盆と正月にはふるさとに帰る」とよく言う。ファミリーの絆(きずな)を確かめ合う場であり、とくに盆の墓参りは肉親を亡くして初盆を迎えるなど個々人によって意味合いがまったく異なる。それを政府に対して自粛や「オンライン帰省」を求めるというのは、こればかりは「おせっかい」の領域ではないだろうか。それぞれが考えて行動すればよいだけの話だ。 

   もし実家に祖父や祖母といった高齢者がいれば、接する機会を少なくし、飲酒・飲食の機会もなるべく避けた方がいい。基本的な感染防止策(手指の消毒やマスク着用、換気など)で気をつけることは、国から言われるまでもなく、すでにニューノーマルだ。

   そもそも盆帰省に国が関与する権限はない。墓参りをして先祖に感謝し自らの心の安寧を得るのは、憲法が保障する基本的人権の一つ、幸福追求権(第13条)ではないだろうか。国がとやかく言うレベルのものではない、と考える。

   盆の帰省について、西村経済再生担当大臣はきのう4日の記者会見で、政府として一律に控えることまでは求めない考えを重ねて示したうえで、帰省先で重症化するリスクの高い高齢者に感染を広げないよう感染防止策の徹底を呼びかけた(8月4日付・NHKニュースWeb版)。また、大臣は帰省について「県をまたぐ移動については、国として『一律に控えてください』とは言ってはいない」と述べた(同)。その通りだ。盆帰省と旅行は趣が異なる。墓参りは個々人にとって年に1度の格式ある行事なのだ。

   個人的には墓参りで帰省したいと思っている。その場合、墓参をし、実家にあいさつし、「このご時世ですので」と飲食などを避け金沢に戻る。それでよいと思っている。

   ところで、知人から聞いた話だが、「ゴーグル墓参り」という有料サービスを石材店が実施しているという。ネットで検索すると、このサービスを行っているのは一般社団法人「全国優良石材店の会」で、依頼を受けた地域の加盟店のスタッフが墓参りを代行し、周囲360度を撮影したデータを依頼者に送る。依頼者はその動画データをスマホに入れ、VRゴーグルに接続して見る。墓参りを自宅で疑似体験することになる。

   体が不自由なシニアにとってはこのようなゴーグル墓参りであっても、墓参りをすることで安堵を得るだろう。墓参りも時代とともに変化する。たかが墓参り、されど墓参りではある。

⇒6日(木)朝・金沢の天気     はれ